余談
ということで2/24前後のあれこれについて、こちらはB面、筆者の記録である。
妻が土日の不在でも大丈夫なようにスケジュールを組むと、必然本来の土日は買い出しや夫婦そろっての行事(大正琴の稽古など)が多いので、筆者の時間もぽっかり空いた。
2月の初めには今年の3月で熊本を発つ(そう、明日が入社式である)弟が在熊中に遊びに来ないか、と誘ってくれ、しかし先だって記事にしたように連休は妻の実家への帰省を優先したため果たせていなかったことに思い至った。
そうだ、熊本行こう、下道で行こう、と前日に決めた。
弟には、「明日行こうかなと思っているんでよろしく」
とだけLINEしておいた。兄と言うのは理不尽なものである。
本題
熊本に辿り着くまで
朝起きると弟から「はいよー」とだけLINEが来ていた。楽。
妻を空港に送り届け、眠気覚ましにコーヒーでも飲もうと売店に寄ると、「歴史人」が丁度新撰組特集だったので購入する。妻も筆者も新選組は好きである。来年あたりは和泉守兼定を拝見してみたいものだと思う。(例年土方歳三の命日を軸に一般観覧が出来る)
時刻は8時前。初めての下道熊本行きが幕を開けた。
道中は色々と興味深い光景があった。河童懲罰士が見たら狂喜乱舞するであろうデカい河童の像が学校のそばにあったり(正式には「ガラッパどん」である。そういえば鹿児島は川内にも地域に根差した河童伝説があるのであるが、なにかでそのイラストが「河童のカーたん」になっていて京極夏彦氏が嘆いたことがあった。「妖怪馬鹿」は堅苦しくなく面白いので是非読んでいただきたい。京極夏彦氏の漫画力の高さにビビることであろう)
その他にも日本棚田100選の棚田であったり、田舎にはつきものやたらデカいナフコに2度遭遇し、もしかしてループしているのではと思ったり、隕石が墜落したかのようなログハウスであったり、谷底の廃墟と化したウフフホテルなど、車窓からの景色は筆者の道中を大いに楽しませてくれた。しかし検索によって見つけれらたカッパスタチューはともかく、他の愉快スポットは当然筆者は運転中であり、田舎道のつらさ1車線であるため脇に車を停めて撮影するわけにもいかず、読者諸賢に共有できないのがもどかしく、いつも助手席にいてくれ、そういった体験を第一に共有し、また写真として記録に残してくれている妻がいない寂しさに早くも心がくじけそうになっていたりもした。
まあこの頃妻は銀座において鯉登少尉の女となっている訳であるが。
そうこうしているうちに熊本との県境に差し掛かった。丁度車も途絶えていたので、車を停車し撮影することが出来た。
ついでに弟にいや~3時間かかるってナビでは言ってたけど思ったより早く着くかもよ、とLINEもしておいた。実際、車は少なく、前を走る車に妙な連帯感が芽生えたりもするくらいであった。
が、熊本に入るとにわかに混みだしてきた。運転も少しマンネリ気味になっており、気分を変えるために下道オンリーで帰るつもりであったが高速道路の無料区間は利用してみよう、西回りは初めてだし、ということにした。この記事を書いている時点では鹿児島方面からも開通区間が増えたが、南九州道西回り区間は現在も工事中の区間があり、ぶつ切りの状態となっている。そのうちの一部分を利用させてもらうという訳だ。
具体的には津奈木ICから乗った。愛車のナビは2008年製であるので存在しない道をひた走っているのが面白い。この途中でついに愛車・スタンリック君の走行距離が10万キロを超えたのだが、高速を走っている途中であるのでやはり停車して撮影という訳にもいかず残念。日奈久ICで降りた。視界に広がる海。日奈久と言えば宮原ICで食べる日奈久ちくわを利用したちくわパンが絶品であるのだが、そうだよな、ちくわが名産なら当然海に面している土地だよな、と当たり前のことを今更理解したりした。ついでに言えばずっと「ひなく」だと思っていたのだが「ひなぐ」だった。
再び下道に降りると初めて聞く名前の顕彰碑であったり、建物の遺構だったりの案内があるのだが、やはりメモするいとまがない。
が、ここで筆者は閃いた。「OK、Google!」である。これによって検索機能を起動させ、調べさせればその履歴は残るのではないか……という試みは見事に成功したのだが、Google検索の履歴は設定が悪いのか、chromeには一定数しか残っていないようで、今調べても発見できなかった。宮本武蔵の高弟と、農学者の方の顕彰碑であったはずであるのだが。
相変わらず道は混んでいた。もはや「OK、Google!」マスターと化した筆者はそれでもって弟にハンズフリーで電話をかけ、(通話はBluetoothでもともとハンズフリーで出来る)遅れる旨を連絡した。
ようやく熊本市街地に入ったときは12時半を回っていた。前回歌仙兼定を鑑賞したときに妻と通った道をなぞっていることに気が付き、一層寂しさが募る。
その頃妻は薄緑丸をはじめとした刀剣を愛でていた。
再会、弟よ
弟と合流する。第1の目的は生存確認でありこの時点ですでに達成していたのだが、次は兄として弟に腹いっぱい食わせるという使命もあったので、弟にラーメン屋さんを教えてもらい、2人で向かう。
弟「まあしかし、道が混んでいるね~何かあるのかな」
筆者「熊本入った時からずっとこんな感じだったよ。何かあるのかな?」
弟「検索してみよう……あっ!」
筆者「お、なにかあったかね」
弟「いちご狩りがやっているね」
筆者「大変魅力的だが多分それではないんじゃねえかなあ」
※後になって分かったことだが、熊本大学入試直前であった。それが多少なりとも影響していたのではないかと思われる。
しかして筆者の前に「ヤツ」は現れた。マシマシできるタイプのラーメン……! しかし食券にてマシ具合を選択できるので初心者でもご安心だ。筆者はラーメンの盛り自体は最大サイズ(太一盛り)の「マシ」はなしでお願いした。成程尋常ではない食べごたえで、確かにおいしいのだが「あーおいしかった」として済ませるためには筆者の胃袋では朝を抜くか、サイズをもう1段階縮めるべきであったと後悔する結果になってしまった。最終的に食事と言うか戦いになっていた。チャーシューが旨い。
銀杏城へ
腹ァ一杯状態になってしまったのでどこかしら歩こう、と言う話になり、熊本城へ向かうことにした。何度か書いているが、筆者は熊本城と言う城にほれ込んでおり、何度も訪れている。前回の歌仙兼定鑑賞時には暑さもあり断念したが、散策には丁度良い天候である。
やはりクレーンが2つの天守閣の間にある、という情景で相変わらず動揺してしまう。この写真だけだとお、言うほど大したことなさそうだな、と思われるかもしれないが、
すぐ横に目をやるとこういった絶句する風景が広がる。
崩落した石たちは分類され、再び石垣としてリユニオンする時を待っていた。
報道で見られた方も多いであろう、ギリギリで支えられている戌亥櫓。地震の凄まじさを物語る一方、石垣の技術の素晴らしさを伝え、自然の脅威に立ち向かう勇気を与えてもくれるようだ。
案内板は清正公にちなんで片鎌槍になっていた。熊本城入り口の「閉鎖中」が悲しい。
道なりに行くと熊本城の入り口近くまでは向かうことが出来、加藤神社近くの石垣は1か所だけ覆いがしておらず、触れられる部分がある。
弟「これが現在、普通の人が触れることが出来る唯一の熊本城の石垣なんだって」
筆者「さすが熊本県民、よう知っとるなあ」
弟「なんかこの間、通りすがりのおじさんに教えてもらった」
筆者「お前さんのそのコミュニケーション能力と言うか形容しがたい何かは何なんだろうな本当に」
加藤神社からは熊本城天守閣を至近で見ることが出来るスポットがある。境内には加藤清正公大河ドラマのための署名活動が展開されており、筆者も賛同した。関連俳優があんなことになってしまったが、是非実現してほしいと思う。
その他にも黒いあいつに塩を送ることもできるし、
仏さまを拝むことも出来る。
再び道を戻って未申櫓は割と原形をとどめている頼もしい櫓である。
丁度その向かい辺りから降りていくと、城彩宛という観光施設があり、城下町を切り取ったような風情ある造りとなっている。
甘夏ミルクサワーをいただいた。優しい味に柑橘類のアクセントがきいて飲み良い。
エモーショナルな自販機群もあった。わずかでも、この城とそれを支えている人たちの一助になるようなことをこれからもしていきたい、と強く思った。
まずは妻をちゃんとここに連れてきたい、とも。
クマモト・ナイト・ウォーカー
本来は生存を確認し、飯を食べ、ちょっとぶらついて弟をバイト先に送り出して終わり、といったつもりだったのだが、アラサーとしてはちょっと疲れが来ており、急遽弟の家に泊めてもらうことにした。手早く自分のパジャマを供出し、Wi-Fiのパスワードを提供し、未開封の歯ブラシまで提供してくれる弟。挙句の果てには昨日買ったけど食べなかったダブルチーズバーガーまでくれるということで「たらしめが……」と一抹の嫉妬と深い感謝を抱いた。それ以上に大いなる眠気があり、弟がバイト先に出た後、1時間ほど眠った。
すごく懐かしい「「男子大学生」を感じさせる弟の部屋。知らない天井を見上げた筆者は暫くぼけっとして「歴史人」を読んでいた。斉藤一の所属部隊が違うのでは……?とか思いながら。
と、妻は無事に明日の戦友と食事をとれていることが判明した。LINEにておしゃれな食事風景が送られてくる。筆者も対抗することにした。
既読はつくが返信がこない。もしかして量が少ないことを心配しているのでは? オートロックの会場および施錠の仕方を動画付きで送ってくれた弟に感謝しながらも筆者は身支度を整え、夜の熊本へ飛び出した。アスファルトタイヤを切り付けたかどうかは定かではない。
目指すはもちろん、マックである。筆者は吉田類氏ではない。旅先の食事は安全がすべてに優先する。マック――ああマスプロダクツの権化よ、筆者の慣れぬ地にて不安な魂をその油分でもって救ってくれ。
泊まることにしたため、明日は南阿蘇に向かうことになっていた。となればガソリン補給も必要である。昼間通った場所を思い出し、弟の下宿、ガソリンスタンド、マックが一本の線で繋がったとき「勝利」は約束された――
――のだが、そこは慣れぬ道の悲しさ、またカーナビの非情さで細い道をぜいぜい言いながら通ってみると地元の人々がこちらに多大の信頼を掛けた運転でやってきたり通行したりし、青息吐息で1時間近くかかって弟の下宿に戻ってきた。階段を上ると通知音がした。
妻の憐憫の返信であった。
早速妻を安心させようと戦利品を送信した。
「そうそう、熱冷まシートありがとうね」
その応答に筆者は妻が安心したことを感じたのだった。めでたしめでたし。
その後、春コミを妻が無事に迎えられるか我が事のように気になり、眠れず、妻に心配のLINEをして通知音が響いて迷惑になるようにと窘められつつ、筆者は自らの鼻腔の異常に気が付いていた。
ヤツだ。
まだ2月と言うに……しかし間違いない。筆者はこの感覚を覚えている。
愛しく憎い宿敵――花粉を。
油断していた。陽気にぶらぶらしていたら花粉をしっかり取り込んでしまっていたのである。筆者の粘膜はもはや無残に落城し、箱ティッシュは一夜にして空となった。
朝のテレビで清正公が杉の木を植えたエピソードを紹介しており、危うく舌打ちしてしまう所であった。
南阿蘇村までの道のりは弟が運転を引き受けてくれたが、まずはセブンイレブンで鼻セレブを買うことから始まった。
筆者の知らない橋を通って、南阿蘇村に辿り着いた。
あの日まで、弟は、弟たちは南阿蘇村で暮らしていた。
下宿の家主さんであった方の所で弟は車を停め、軽快な足取りで建て替えた家主さんのお家のドアをノックする。家主さんと言葉を交わし、そのままトイレを借りる弟。一体誰の血が流れているのだ、そのコミュニケーション能力。
弟の下宿は見事なまでに更地になっていた。あの鉄塔、あんなに大きかったかな、と弟がつぶやいた。足元には普通の石ではないようなものもちらほら見られた。もしかしたら弟の下宿の一部もあるのかもしれない。
弟「いつもここでぎりぎり駆け込んでくるやつがいたよ」
弟「この橋をこの時間にわたれたら一限セーフ! って感じがあった。この下の川で水遊びをしたなあ」
主なく佇む原付。近寄ってみると、自賠責期限もとうに切れていた。弟はここへ筆者のお下がりの原付を持っていっていたが、(ちなみに親父が下道を走ってここまで搬入した。)あの日に下宿の下敷きになり、廃車となった。
弟「まだ残っているね……新歓の時の紙飾り……もうずっとあのまんまなんだろうな」
弟「で、新歓の後は大体みんなここで吐くわけですよ」
筆者「ですか」
弟「僕も無事吐きました」
筆者「無事かなあ、それ」
この脇を「この神社は怪現象があるって噂で……」と弟が話していると、ちょっと距離のあるところからおじいさんが声をかけてくれ、よかったら参拝してくれ、ということだったのでお言葉に甘えて参拝させていただいた。
丁度社殿が修復されており、昼間と言うこともあり恐ろし気な感じはなかったが、やはり神聖な、周囲と雰囲気の違う不思議な感じがあった。
参拝して戻ってみると、先程のおじいさんは柔和な笑顔で有難う、と言ってくれた。どかからきたの、という問いに弟が「○○下宿です」と答えると、一層目を細め、そう、また来てくれたんか、と続けてくれた。
来週もまた来ます、と弟は答えた。皆が就職する前に、先程の家主さんの家でパーティーをするらしいのだ。
おじいさんは筆者たちが角を曲がるまでずっと、手を振ってくださっていた。
弟「ここも、ここも、ここも……もう半分くらい下宿はないかも。ちなみにこの小学校が、僕が最初避難したところだよ」
1時間もかからずにかつての弟の生活圏を一周できてしまった。
弟「あ、このたんぼ、なぜかPSの本体が発掘されたんだよね。大騒ぎだったよ。娯楽がないから(笑) それで大騒ぎできていたころが懐かしいよ」
家主さん宅に戻るとコーヒーとイチゴの準備がされており、恐縮ながら頂いた。弟が昨日、検索でいちご狩りのことを話題にしたのを思い出していた。弟は自分のこと、そして同期の去就をそれぞれ語り、家主さんは本当の親の様に優しいまなざしでその報告を聞いていた。
弟はあの日以降も何度も同期達と南阿蘇村を訪れている。今後も訪れることだろう。ifの話は出来ない。だけれども、弟は確実に前に進み、人間が分厚くなった。それでいいじゃないか、それだけでいいじゃないか、と思う。
ところでいいじゃないかといいいなかは語呂が似ているな、とも思う。
旅の垢と花粉をこそぎ落とすべく、南阿蘇村の温泉に寄った。ポイントカードももらった。是非また来たいと思う、ゆったりできる湯だった。
風呂上りはいつものコーヒー牛乳ではなくこちら。熊本の柑橘飲料に外れなしといった印象。爽やかな味で心なし鼻の通りもよくなったように思う。
ここでお土産に買った「マグマのしずく」はマジで万能調味料なので皆さん是非お試しいただきたい。
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お昼は「梅の家」さんで肉うどん。ダシがしみていておいしい。初めて弟を南阿蘇村に送り出すときにも梅の家さんで肉うどんを食べ、筆者の中で筆者と南阿蘇との某かが完結を迎え、第2章が始まった予感がした。
このままではいつまでもいてしまいそうなので弟の下宿につき次第、早々に帰った。早々過ぎて上着を忘れて来た。あわよくば荷造りの手伝いもするはずだったのに荷を増やしてどうする。
就職おめでとう、弟。激動の4年間お疲れさまでした。社会はまた大変さのベクトルが変わってきますが、きっと乗り越えられます。あなたを誇りに思います。
そして自宅へ戻った筆者は、間もなく自分が妻と連絡が取れずうろたえることをまだ知らないのであった。