カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

万葉集は「君の名は」からはじまる――新元号「令和」制定に寄せて

余談

元号、令和だってよとボスが伝えに来てくれた、そんな愉快な職場である。

幸いにも元号がいつ変わろうとさほど影響のない業界におり、なんとなくのお祭り気分で過ごすことが出来たが、それも生前退位のおかげなのだな、と思う。

筆者は平成元年生まれであるので昭和の終わりを知らないが、ここまで朗らかでなかったというのは伝え聞く。残り少ない平成の日々も、今日の1日の様にのほほんと過ごしたい。

本題

令和は万葉集から取られたという。といってその文章のルーツは中国に帰すらしく、そういったことが30分もせず情報として流れてくるあたり現代の情報社会のすごさを思い知らされるが、そうなってみると万葉集が気になってくるのが人情である。ぽつぽつと見たことはあるが、しっかり「読んだ」ことはなかった。

早速kindleで検索してみると、kindleアンリミテッド対応の書籍があるではないか。

万葉集(現代語訳付)

 

万葉集(現代語訳付)

万葉集(現代語訳付)

 

 早速昼休みにダウンロードしてみるが1696ページと言うから恐れ入る。そもそも万葉集が全20巻の大著であるから当然であるのだが。それを手のひらに持ち歩けてしまう時代の素晴らしさよ。

ひとまず「令」で検索して(これも電子書籍の素晴らしい利点である)おお、本当に報道で言っていた「令和」の元ネタがあるな、と確認してから最初から読み始める。

万葉集の「葉」は「言の葉」と言うことだとばかり思っていたがそうでもない、ということが分かり早速賢くなる。頭空っぽの方が伸びしろがあるのである。

始まりは「君の名は」

万葉集は4,500余りの歌から成る。そのトップを飾るのが、雄略天皇の御歌である。早速鑑賞してみよう。

篭毛與  美篭母乳  布久思毛與  美夫君志持  此岳尓  菜採須兒  家吉閑名  告紗根  
虚見津  山跡乃國者  押奈戸手  吾許曽居  師吉名倍手  吾己曽座  我許背齒  告目  家呼毛名雄母

う~んなるほど味わい深い……嘘である。筆者の知能では全く分からないのである。読者諸賢よ、母乳というワードに目が釘付けになり解釈がストップしているところ申し訳ないが、それは当て字であってこの歌と母乳は関係ないぞ。

今回参照するテキストの素晴らしいのは書き下してあり、また訳も付してあるところである。

因みに書き下すとこの様になる。

籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜採ます児 

家聞かな 告らさね

そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて 

われこそ座せ われにこそは 告らめ 家をも名をも

う~んなるほど味わい深い……嘘である。おしなべてくらいしか分からないのである。

佐佐木先生の現代語訳を参照しつつ筆者がなるべく短く訳すると、「良い籠、良い掘る串を持ち、この丘で菜を積む少女よあなたの家は。君の名は。大和の国の総体は私が納めています。全てが我が家です。私は告げましょう、家も、名も」と言ったところであろうか。

要するに雄略天皇は出会った女性に「君の名は」と呼び掛けていらっしゃるのである。

というか、そのまんま現代的に訳すと「へい、そこの小物遣いが魅力的な君、どこ住み? 何て名前? ちな、この辺おれのシマだから(笑)」ぐらいの感じである。さすがに砕け過ぎか。でも大体こんな感じであるような気がする。

「君の名は」は完全に観るタイミングを失ってしまって未見なのだが、なにやら口かみ酒が話題になったのは覚えている。雄略天皇もこのあと口かみ酒くらい作ってもらったかもしれない。

天皇と口かみ酒と言えば万葉集と並び称される日本の古文書、「古事記」にて応神天皇が「須須許里がかみし酒に我酔いにけり」と歌っているし、万葉集にも「君がため醸みし待酒安の野にひとりや飲まん友無しにして」という歌があるという。

その歌がいつ出てくるか待ちながら読み進めるのもよいかもしれない。

ともあれ、この様なトップのおおらかな愛から始まる歌集と言うのは何とも素晴らしいではないか。

一気に親しみがわき、続きを読んでいく。

大体みんな同じ事で悩んでいる

万葉集には「相聞」というカテゴリがあり、大まかにいえば「相手がいることを前提にして読む歌」であり、その性質から恋歌が多い。LINEよりはメールである。「Re:Re:」なのである。あじかんのあの曲がなんで「Re:」でもなく「Re:Re:Re:」でもなく「Re:Re:」なのかわかる世代も少なくなっていくのだろうかと思うとちょっと切ない。


ASIAN KUNG-FU GENERATION 『Re:Re:』(Short Ver.)

ともあれおよそ1200年前であっても人は大体同じようなことで悩んでいたり思い至っていたりして、そこに普遍性を感じる。西野カナ女史はかの時代にいてもさぞもてはやされたことであろう。

みこも刈る信濃の真弓引かずして弦箸くるわざを知ると言はなくに

は「弓を引きもしないで弦を張れますとはだれも言いません。だからあなただって私の心を引いてもいないのにわかるなんて言わないで」といったところで、わかる……なんかイケメンにちょっかい出されても自分をしっかり持つタイプのヒロインが平成の御代でも言ってそう……と思うし、

 

あしひきの山のしづくに妹待つと我立ちぬれぬ山のしづくに 

 という「貴女を待っていたら山の雫に濡れちゃった。山の雫に。大事なことなので2回言いました」みたいな歌に

吾を待つと君がぬれけむあしひきの山のしづくにならましものを

即ち「貴方を濡らした山の雫になりたかったことでございます」とか返されているともうなんかこう……壁とかを……殴りたくなるのである。

また、男があなたの髪は今どのようになっていますかね、という問いかけに対する

人はみな今は長しとたけと言へど君が見し髪乱れたりとも

他人から長いとか束ねろとか言われても、乱れてしまっても、貴方が見てくれた髪はそのままにしていますよ、という返歌はめちゃくちゃにかっこいい。

 

まだまだ紹介したい歌は沢山あるのだが、折角なので4/1のうちに記事を更新したいのでこの辺りで。機会があれば加筆したい。

ともあれ、是非この機会に万葉集に触れてみてほしい。 推し歌を見つけてほしい。

 

車窓から見える景色は既に思い出、あるいは下道熊本・熊本城・南阿蘇行

余談

ということで2/24前後のあれこれについて、こちらはB面、筆者の記録である。

妻が土日の不在でも大丈夫なようにスケジュールを組むと、必然本来の土日は買い出しや夫婦そろっての行事(大正琴の稽古など)が多いので、筆者の時間もぽっかり空いた。

2月の初めには今年の3月で熊本を発つ(そう、明日が入社式である)弟が在熊中に遊びに来ないか、と誘ってくれ、しかし先だって記事にしたように連休は妻の実家への帰省を優先したため果たせていなかったことに思い至った。

そうだ、熊本行こう、下道で行こう、と前日に決めた。

弟には、「明日行こうかなと思っているんでよろしく」

とだけLINEしておいた。兄と言うのは理不尽なものである。

本題

熊本に辿り着くまで

朝起きると弟から「はいよー」とだけLINEが来ていた。楽。

妻を空港に送り届け、眠気覚ましにコーヒーでも飲もうと売店に寄ると、「歴史人」が丁度新撰組特集だったので購入する。妻も筆者も新選組は好きである。来年あたりは和泉守兼定を拝見してみたいものだと思う。(例年土方歳三の命日を軸に一般観覧が出来る)

時刻は8時前。初めての下道熊本行きが幕を開けた。

道中は色々と興味深い光景があった。河童懲罰士が見たら狂喜乱舞するであろうデカい河童の像が学校のそばにあったり(正式には「ガラッパどん」である。そういえば鹿児島は川内にも地域に根差した河童伝説があるのであるが、なにかでそのイラストが「河童のカーたん」になっていて京極夏彦氏が嘆いたことがあった。「妖怪馬鹿」は堅苦しくなく面白いので是非読んでいただきたい。京極夏彦氏の漫画力の高さにビビることであろう)

 

その他にも日本棚田100選の棚田であったり、田舎にはつきものやたらデカいナフコに2度遭遇し、もしかしてループしているのではと思ったり、隕石が墜落したかのようなログハウスであったり、谷底の廃墟と化したウフフホテルなど、車窓からの景色は筆者の道中を大いに楽しませてくれた。しかし検索によって見つけれらたカッパスタチューはともかく、他の愉快スポットは当然筆者は運転中であり、田舎道のつらさ1車線であるため脇に車を停めて撮影するわけにもいかず、読者諸賢に共有できないのがもどかしく、いつも助手席にいてくれ、そういった体験を第一に共有し、また写真として記録に残してくれている妻がいない寂しさに早くも心がくじけそうになっていたりもした。

まあこの頃妻は銀座において鯉登少尉の女となっている訳であるが。

そうこうしているうちに熊本との県境に差し掛かった。丁度車も途絶えていたので、車を停車し撮影することが出来た。

 ついでに弟にいや~3時間かかるってナビでは言ってたけど思ったより早く着くかもよ、とLINEもしておいた。実際、車は少なく、前を走る車に妙な連帯感が芽生えたりもするくらいであった。

が、熊本に入るとにわかに混みだしてきた。運転も少しマンネリ気味になっており、気分を変えるために下道オンリーで帰るつもりであったが高速道路の無料区間は利用してみよう、西回りは初めてだし、ということにした。この記事を書いている時点では鹿児島方面からも開通区間が増えたが、南九州道西回り区間は現在も工事中の区間があり、ぶつ切りの状態となっている。そのうちの一部分を利用させてもらうという訳だ。

具体的には津奈木ICから乗った。愛車のナビは2008年製であるので存在しない道をひた走っているのが面白い。この途中でついに愛車・スタンリック君の走行距離が10万キロを超えたのだが、高速を走っている途中であるのでやはり停車して撮影という訳にもいかず残念。日奈久ICで降りた。視界に広がる海。日奈久と言えば宮原ICで食べる日奈久ちくわを利用したちくわパンが絶品であるのだが、そうだよな、ちくわが名産なら当然海に面している土地だよな、と当たり前のことを今更理解したりした。ついでに言えばずっと「ひなく」だと思っていたのだが「ひなぐ」だった。

再び下道に降りると初めて聞く名前の顕彰碑であったり、建物の遺構だったりの案内があるのだが、やはりメモするいとまがない。

が、ここで筆者は閃いた。「OK、Google!」である。これによって検索機能を起動させ、調べさせればその履歴は残るのではないか……という試みは見事に成功したのだが、Google検索の履歴は設定が悪いのか、chromeには一定数しか残っていないようで、今調べても発見できなかった。宮本武蔵の高弟と、農学者の方の顕彰碑であったはずであるのだが。

相変わらず道は混んでいた。もはや「OK、Google!」マスターと化した筆者はそれでもって弟にハンズフリーで電話をかけ、(通話はBluetoothでもともとハンズフリーで出来る)遅れる旨を連絡した。

ようやく熊本市街地に入ったときは12時半を回っていた。前回歌仙兼定を鑑賞したときに妻と通った道をなぞっていることに気が付き、一層寂しさが募る。

その頃妻は薄緑丸をはじめとした刀剣を愛でていた。

再会、弟よ

弟と合流する。第1の目的は生存確認でありこの時点ですでに達成していたのだが、次は兄として弟に腹いっぱい食わせるという使命もあったので、弟にラーメン屋さんを教えてもらい、2人で向かう。

弟「まあしかし、道が混んでいるね~何かあるのかな」

筆者「熊本入った時からずっとこんな感じだったよ。何かあるのかな?」

弟「検索してみよう……あっ!」

筆者「お、なにかあったかね」

弟「いちご狩りがやっているね」

筆者「大変魅力的だが多分それではないんじゃねえかなあ」

※後になって分かったことだが、熊本大学入試直前であった。それが多少なりとも影響していたのではないかと思われる。

しかして筆者の前に「ヤツ」は現れた。マシマシできるタイプのラーメン……! しかし食券にてマシ具合を選択できるので初心者でもご安心だ。筆者はラーメンの盛り自体は最大サイズ(太一盛り)の「マシ」はなしでお願いした。成程尋常ではない食べごたえで、確かにおいしいのだが「あーおいしかった」として済ませるためには筆者の胃袋では朝を抜くか、サイズをもう1段階縮めるべきであったと後悔する結果になってしまった。最終的に食事と言うか戦いになっていた。チャーシューが旨い。

銀杏城へ

腹ァ一杯状態になってしまったのでどこかしら歩こう、と言う話になり、熊本城へ向かうことにした。何度か書いているが、筆者は熊本城と言う城にほれ込んでおり、何度も訪れている。前回の歌仙兼定鑑賞時には暑さもあり断念したが、散策には丁度良い天候である。

やはりクレーンが2つの天守閣の間にある、という情景で相変わらず動揺してしまう。この写真だけだとお、言うほど大したことなさそうだな、と思われるかもしれないが、

すぐ横に目をやるとこういった絶句する風景が広がる。

崩落した石たちは分類され、再び石垣としてリユニオンする時を待っていた。

報道で見られた方も多いであろう、ギリギリで支えられている戌亥櫓。地震の凄まじさを物語る一方、石垣の技術の素晴らしさを伝え、自然の脅威に立ち向かう勇気を与えてもくれるようだ。

案内板は清正公にちなんで片鎌槍になっていた。熊本城入り口の「閉鎖中」が悲しい。

道なりに行くと熊本城の入り口近くまでは向かうことが出来、加藤神社近くの石垣は1か所だけ覆いがしておらず、触れられる部分がある。

弟「これが現在、普通の人が触れることが出来る唯一の熊本城の石垣なんだって」

筆者「さすが熊本県民、よう知っとるなあ」

弟「なんかこの間、通りすがりのおじさんに教えてもらった」

筆者「お前さんのそのコミュニケーション能力と言うか形容しがたい何かは何なんだろうな本当に」

加藤神社からは熊本城天守閣を至近で見ることが出来るスポットがある。境内には加藤清正大河ドラマのための署名活動が展開されており、筆者も賛同した。関連俳優があんなことになってしまったが、是非実現してほしいと思う。

その他にも黒いあいつに塩を送ることもできるし、

仏さまを拝むことも出来る。

再び道を戻って未申櫓は割と原形をとどめている頼もしい櫓である。 

 丁度その向かい辺りから降りていくと、城彩宛という観光施設があり、城下町を切り取ったような風情ある造りとなっている。

 甘夏ミルクサワーをいただいた。優しい味に柑橘類のアクセントがきいて飲み良い。

 エモーショナルな自販機群もあった。わずかでも、この城とそれを支えている人たちの一助になるようなことをこれからもしていきたい、と強く思った。

まずは妻をちゃんとここに連れてきたい、とも。

クマモト・ナイト・ウォーカー

本来は生存を確認し、飯を食べ、ちょっとぶらついて弟をバイト先に送り出して終わり、といったつもりだったのだが、アラサーとしてはちょっと疲れが来ており、急遽弟の家に泊めてもらうことにした。手早く自分のパジャマを供出し、Wi-Fiのパスワードを提供し、未開封の歯ブラシまで提供してくれる弟。挙句の果てには昨日買ったけど食べなかったダブルチーズバーガーまでくれるということで「たらしめが……」と一抹の嫉妬と深い感謝を抱いた。それ以上に大いなる眠気があり、弟がバイト先に出た後、1時間ほど眠った。

 すごく懐かしい「「男子大学生」を感じさせる弟の部屋。知らない天井を見上げた筆者は暫くぼけっとして「歴史人」を読んでいた。斉藤一の所属部隊が違うのでは……?とか思いながら。

と、妻は無事に明日の戦友と食事をとれていることが判明した。LINEにておしゃれな食事風景が送られてくる。筆者も対抗することにした。

既読はつくが返信がこない。もしかして量が少ないことを心配しているのでは? オートロックの会場および施錠の仕方を動画付きで送ってくれた弟に感謝しながらも筆者は身支度を整え、夜の熊本へ飛び出した。アスファルトタイヤを切り付けたかどうかは定かではない。

目指すはもちろん、マックである。筆者は吉田類氏ではない。旅先の食事は安全がすべてに優先する。マック――ああマスプロダクツの権化よ、筆者の慣れぬ地にて不安な魂をその油分でもって救ってくれ。

泊まることにしたため、明日は南阿蘇に向かうことになっていた。となればガソリン補給も必要である。昼間通った場所を思い出し、弟の下宿、ガソリンスタンド、マックが一本の線で繋がったとき「勝利」は約束された――

――のだが、そこは慣れぬ道の悲しさ、またカーナビの非情さで細い道をぜいぜい言いながら通ってみると地元の人々がこちらに多大の信頼を掛けた運転でやってきたり通行したりし、青息吐息で1時間近くかかって弟の下宿に戻ってきた。階段を上ると通知音がした。

妻の憐憫の返信であった。

早速妻を安心させようと戦利品を送信した。

「そうそう、熱冷まシートありがとうね」

その応答に筆者は妻が安心したことを感じたのだった。めでたしめでたし。

阿蘇村へ

その後、春コミを妻が無事に迎えられるか我が事のように気になり、眠れず、妻に心配のLINEをして通知音が響いて迷惑になるようにと窘められつつ、筆者は自らの鼻腔の異常に気が付いていた。

ヤツだ。

まだ2月と言うに……しかし間違いない。筆者はこの感覚を覚えている。

愛しく憎い宿敵――花粉を。

油断していた。陽気にぶらぶらしていたら花粉をしっかり取り込んでしまっていたのである。筆者の粘膜はもはや無残に落城し、箱ティッシュは一夜にして空となった。

朝のテレビで清正公が杉の木を植えたエピソードを紹介しており、危うく舌打ちしてしまう所であった。

阿蘇村までの道のりは弟が運転を引き受けてくれたが、まずはセブンイレブン鼻セレブを買うことから始まった。

筆者の知らない橋を通って、南阿蘇村に辿り着いた。

あの日まで、弟は、弟たちは南阿蘇村で暮らしていた。

下宿の家主さんであった方の所で弟は車を停め、軽快な足取りで建て替えた家主さんのお家のドアをノックする。家主さんと言葉を交わし、そのままトイレを借りる弟。一体誰の血が流れているのだ、そのコミュニケーション能力。

弟の下宿は見事なまでに更地になっていた。あの鉄塔、あんなに大きかったかな、と弟がつぶやいた。足元には普通の石ではないようなものもちらほら見られた。もしかしたら弟の下宿の一部もあるのかもしれない。

弟「いつもここでぎりぎり駆け込んでくるやつがいたよ」

弟「この橋をこの時間にわたれたら一限セーフ! って感じがあった。この下の川で水遊びをしたなあ」

主なく佇む原付。近寄ってみると、自賠責期限もとうに切れていた。弟はここへ筆者のお下がりの原付を持っていっていたが、(ちなみに親父が下道を走ってここまで搬入した。)あの日に下宿の下敷きになり、廃車となった。

弟「まだ残っているね……新歓の時の紙飾り……もうずっとあのまんまなんだろうな」

弟「で、新歓の後は大体みんなここで吐くわけですよ」

筆者「ですか」

弟「僕も無事吐きました」

筆者「無事かなあ、それ」

この脇を「この神社は怪現象があるって噂で……」と弟が話していると、ちょっと距離のあるところからおじいさんが声をかけてくれ、よかったら参拝してくれ、ということだったのでお言葉に甘えて参拝させていただいた。

丁度社殿が修復されており、昼間と言うこともあり恐ろし気な感じはなかったが、やはり神聖な、周囲と雰囲気の違う不思議な感じがあった。

参拝して戻ってみると、先程のおじいさんは柔和な笑顔で有難う、と言ってくれた。どかからきたの、という問いに弟が「○○下宿です」と答えると、一層目を細め、そう、また来てくれたんか、と続けてくれた。

来週もまた来ます、と弟は答えた。皆が就職する前に、先程の家主さんの家でパーティーをするらしいのだ。

おじいさんは筆者たちが角を曲がるまでずっと、手を振ってくださっていた。

弟「ここも、ここも、ここも……もう半分くらい下宿はないかも。ちなみにこの小学校が、僕が最初避難したところだよ」

1時間もかからずにかつての弟の生活圏を一周できてしまった。

弟「あ、このたんぼ、なぜかPSの本体が発掘されたんだよね。大騒ぎだったよ。娯楽がないから(笑) それで大騒ぎできていたころが懐かしいよ」

家主さん宅に戻るとコーヒーとイチゴの準備がされており、恐縮ながら頂いた。弟が昨日、検索でいちご狩りのことを話題にしたのを思い出していた。弟は自分のこと、そして同期の去就をそれぞれ語り、家主さんは本当の親の様に優しいまなざしでその報告を聞いていた。

弟はあの日以降も何度も同期達と南阿蘇村を訪れている。今後も訪れることだろう。ifの話は出来ない。だけれども、弟は確実に前に進み、人間が分厚くなった。それでいいじゃないか、それだけでいいじゃないか、と思う。

ところでいいじゃないかといいいなかは語呂が似ているな、とも思う。

旅の垢と花粉をこそぎ落とすべく、南阿蘇村の温泉に寄った。ポイントカードももらった。是非また来たいと思う、ゆったりできる湯だった。

風呂上りはいつものコーヒー牛乳ではなくこちら。熊本の柑橘飲料に外れなしといった印象。爽やかな味で心なし鼻の通りもよくなったように思う。

ここでお土産に買った「マグマのしずく」はマジで万能調味料なので皆さん是非お試しいただきたい。

sizen.shop-pro.jp

お昼は「梅の家」さんで肉うどん。ダシがしみていておいしい。初めて弟を南阿蘇村に送り出すときにも梅の家さんで肉うどんを食べ、筆者の中で筆者と南阿蘇との某かが完結を迎え、第2章が始まった予感がした。

このままではいつまでもいてしまいそうなので弟の下宿につき次第、早々に帰った。早々過ぎて上着を忘れて来た。あわよくば荷造りの手伝いもするはずだったのに荷を増やしてどうする。

就職おめでとう、弟。激動の4年間お疲れさまでした。社会はまた大変さのベクトルが変わってきますが、きっと乗り越えられます。あなたを誇りに思います。

そして自宅へ戻った筆者は、間もなく自分が妻と連絡が取れずうろたえることをまだ知らないのであった。

知らない街はきっと彼女の見飽きた夢、あるいはHARU COMIC CITY 24 東京(春コミ)に妻が参戦した話など

余談

さすがに2月の話を4月にするのもどうかと思うのでいい加減記事にしておきたい。これから記述する話と明日更新予定の記事は妻と筆者それぞれがなんとひと月以上が経過してしまった2/24の前後にどのように振る舞ったかと言う物語である。

その日、我々はそれぞれ別々の場所で非日常に接することとなった。インドア派の2人にとって稀有なことであったので書き留めておく。同時間帯のことが重複して語られることがあるかもしれないが、それぞれの章が奇数章や偶数章のみで展開される訳ではない。

 

まずは妻の話、大都会へのゆきて帰りし物語である。

 

本題

出発まで

妻が刀剣乱舞を敬愛する審神者であることは、既に述べた。愛があふれると文章化してしまう性質を持っている妻はそれをしばしばコミュニティにシェアする日々を送っていたが、刀剣乱舞においてはその思いが一層極まり、ついに広大なるインターネットに放り込むボトルメールから物質化して黒猫に託すスタイルに昇華したようであった。刀剣乱舞はいわゆる二次創作活動においてガイドラインがしっかり制定されており、それを参照しつつ安心して同人活動が行えるのも有り難いことであった。週末の我々のルーティンの一つに「集荷センターに行く」が追加されて久しい。

京都行の際も単独行動の時間で他審神者さんと実世界での交流を持ち、大変刺激を受けたようでその後益々創作に励んでいたが、昨年末、妻から相談を受けた。

「春コミに出たいのだが、どうだろうか」

といったものであった。筆者は所謂即売会には参加経験がないことは以前も述べたし、不勉強にも「春コミ」をその時点で存じていなかった。調べてみると、なかなか巨大規模であるらしかった。旧知の方も同じイベントに参加するため、一人で参加するよりは安心して参加できると思う、とのことであった。

妻の同人活動は細々としたものであり、頒布価格も一般的なものであるため印刷代と送料を引くとお金はほとんど残らない。東京に遠征したら確実に赤字になるであろう。しかし直接自分の作品を好きな人と会えるチャンスが目の前にぶら下がっていたら、それを無碍にできる創作者はそうおるまい。筆者であってもそうであろう。元々の発行部数自体が少ないということもあるだろうが、妻の同人誌が同人ショップにおいて本来価格より大幅に高騰して取引がなされているのも見せてもらった。需要はあるようである。

創作の大半はひとり家でPCに向かう地味な作業である。その作業の中で実際に対面した読者諸賢を想うことは励みになるに違いない……と考え、送り出すことにした。即売会のレポートでは時折会場の熱気に浮かされたタイプの人とエンカウントすることがあるようで、そこに一抹の不安があったが妻の読者諸賢が紳士淑女であることを信頼することとした。

となれば、東京に行き、そして帰る準備をせねばならない。幸い早めに相談をしてくれたので、飛行機も安くチケットが取れた。問題は宿で、筆者も東京は何度か行ったことがあるが地理関係が全く分からず、いちいちグーグルマップとにらめっこしながら空港、会場、路線との兼ね合いで逡巡を重ねた。

結局のところ、女性専用であること、滞在時間に割と融通が利くこと、リーズナブルな価格であることから都内のカプセルホテルを予約した。

春コミに合わせて新刊を出すことにし、「会場搬入」というテクニックを使っていた。これは所謂ウスイホンであっても3本の矢メソッドでもってダンボールで届くとなかなかな重量となり妻の腰を寒からしめ移動において各所へ迷惑をかけてしまう所を、会場に直接お届けいただくことでそれらの苦悩を取り除いてくれるシステムである。差し入れ用のお菓子や設営用のグッズも一緒に入れておけばますますご安心だ。これと撤退時に会場から搬出することの2段構えでなるべく荷物を減らす心づもりであった。

なにしろ初出展。お品書き、名札、お釣りなど全てが手探りであり、細々したものを買いに100円ショップには大変お世話になった。設営においてはあの布屋さんに足を向けては寝られないと妻は言う。

筆者としては気がかりなのは会計で、お金を扱うのは慣れていても緊張するもの。基本的に(筆者も人のことを言えないが)文系科目にスキルを全振りしている妻にとって、横にお知り合いの方がいるとはいえ初対面の人相手では緊張してしまい、電卓の打ち間違いなどが発生しないとも限らない。また、別件ではあるが東京は複雑である。地図を参照することが多くなるであろう。

ということで筆者のタブレットを渡すことにし、Padposを導入することにした。Android限定であり、現在は開発が停止してしまっているのが残念だが、基本無料であり、妻の同人活動においてはこの無料の範囲内で全く問題がない。画像(妻の場合はそれぞれの同人誌の表紙画像にした)を選択することで自動的に金額が入力され、複数冊購入、全種購入への対応も簡単であり、ジャーナル機能や金種機能も備えているのが有り難い点である。タブレットがあれば大画面で地図を参照できるのもよい。

また、都会と言えば初心者殺しの交通機関。GooglepayがSuicaにも対応したということで、こちらも導入した。交通系ICカードの統一で鹿児島や広島にも使えるのでもっと早く導入すればよかったと思う。

妻も無事新刊を入稿し、準備は整った。

1日目・鯉登少尉の女再び

出発当日。いつもの如く、休日の我々は平日の3倍のスピードで目覚めた。LCCの朝は早いので丁度いい。空港への道のりも特段の問題はなく、搭乗手続きもスムーズであり、予定通り妻は機上の人となった。機体が安定すると、得意げに機内Wi-FiでLINEを送ってきたりした。

無事東京に到着した妻が最初に送ってきたのはピーポくんの写真であった。(妻はアンジャッシュファンである)

今回の妻の東京行きには春コミ(特に妻の参加するイベントは「閃華」というようであった)の他にもいくつか目的があり、そのうちの一つは「ゴールデンカムイとコラボした香水に接する」ことであった。銀座にてそのコラボ香水を実際に目にし、手にできるショップがあるというのである。史上稀に見る目的で銀ブラデビューを果たす妻の無事を祈っていると、「実は既にかいで来た」というLINEとともに画像が送られてきた。即ち今まで茫然自失するくらいには堪能してきたらしい。

銀座の一等地に突如出現した極北の地。この演出力には驚かされる。パッケージも格好良く、デキる男といった感じがする。「既にかいで来た」とは妻の弁であるが、実は既に予約も済ませていた。これが鯉登少尉の女の真骨頂……。

意識を取り戻した妻は身軽になるため宿泊先へ。「宇宙船の様でテンションが上がった」とは妻の弁。コンパクトにまとまっていながらコンセントも2穴あるのがうれしいとも。

 

荷物を置くと再び目的のひとつである國學院博物館にて行われていた特別展「神に捧げた刀―神と刀の二千年―」へ。直前まで勘違いしていたが國學院博物館は國學院大學と独立して渋谷にあり、都会の真ん中でこういった展示があるあたり、やはり文化力とでもいうべきものの違いを見せつけれらるようで田舎オタクとしては羨望である。

審神者である妻のお目当てはやはり「薄緑丸」と「ソハヤノツルギウツスナリ(写し)」であったろうか。シャーマンキング世代の筆者としては「フツノミタマ(写し)」も気になるところ。

「薄緑丸」は箱根神社所蔵の刀であり、別名を「膝丸」としても知られるかの源義経が奉納したとされる刀である。となれば「刀剣乱舞」の膝丸!と筆者などはすぐに思ってしまうのだが自体はもう少し複雑であって、「膝丸」伝説を継ぐ刀は複数本存在し、刀剣乱舞においては公式コラボも果たした「大覚寺の膝丸」がその比重としては強いようである。しかし、派生作品で箱根神社の「薄緑丸」に言及したという話も聞き、(筆者は未確認)刀剣乱舞という作品の性質を考えるに、古より様々な人々の思いが仮託された刀はそれぞれに揺るぎ無き刀であり、総括するに「源氏ばんざい」であるのであろう。キリストだって沢山墓があり、仏舎利を集めたら何人分になるかわからないという話も聞く。大切なのは鑑賞することによってまた1つ、その刀に思いが乗っていくというその事実である。

妻曰く、お兄ちゃん(前回の京都行でこちらも諸説ある「髭切」を北野天満宮にて鑑賞している)よりスマートで凛とした感があり、他方お兄ちゃんに感じた「妖刀」感はあまりなかった、とのことであった。ちなみに妻は源氏兄弟本を上梓している。

その後無事明日共闘する審神者さんと合流し、良い雰囲気の食事をして決戦前夜は更けていったようであった。

決戦当日

戦が始まる……。

妻は8時には戦場入りし、なんやかんやでぎりぎりまで設営をしていたようである。「Get Wild」がかかり、スタートなのに既に何事かが終わった雰囲気も漂う中、順調な出足で、完売こそしなかったものの想定外の売上、沢山の交流及び純粋なファンとしての頒布物の購入などを実現しつつ、初出展でありながら会計まわりもバッチリだったということで本当に良かったと思う。アフターにも参加できたようだ。その移動時、連絡が取れなくなり肝を冷やしモバイルバッテリーを次回はもう一つ余計に持って行ってもらうと良いかもしれない。

楽園へ

その翌日、妻は埼玉にいた。実家にてシルバニア愛を呼び覚ましていた妻にうかつに埼玉の「森のキッチン」の存在を教えてしまったがため、決戦翌日であるというのに妻はまたも早く起床、県をまたいで聖地巡礼へと向かったのである。

開店とともに森のキッチンへ滑り込む妻。愛…愛である。

シルバニアファミリーにはピザを欲張って取ったことを戒められるエピソードがある、ということを教えてくれながら妻が送ってきたピザ。味も良かったらしい。

ジオラマも豊富に展示されていたようである。よく聞く「赤い屋根のおうち」なども年代ごとにマイナーチェンジしているのであるが、それを淡々と言い当てる妻がちょっとこわい。「これがUKモデルだから……」とかさらっと言ってくる。

お待ちかねのショータイム、ショコラウサギちゃんの神ファンサである。この後ツーショットも撮ってもらっていた。店内は平日でありながら満席であったという。実は妻は幼少のみぎり、シルバニア愛が高じるあまりコンテストに応募し、入賞した経験があるのだが遠方であるためウサギちゃんから直接賞状が手渡される授賞式に参加できなかったという経験を持つ。今回ついに、妻は過去を取り戻すことが出来たのである。

ショータイムが終わってからのちの妻が暫く何も言わず、ただただ写真を送り続けたも仕方のないことだと言えよう。

その後、都会の文化資本サブカルショップめぐりと言う形で満喫し、再び無事機上の人となり、帰宅する妻であった。

初めての即売会出展参加が良いもので終わってとてもよかったと思う。シルバニアファミリー展が開催されることもあり、早速GWは大阪に参戦するらしいので、良いことの連鎖が続けばよいなと思う。筆者の分も満喫してほしい。あと石切丸も鑑賞してきてほしい。

フクースナ&ヒンナ! あるいはゴールデンカムイ17巻感想

ゴールデンカムイ 17 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

余談

時系列に沿ってブログ記事を進めていきたい、いきたいのだがやはりゴールデンカムイ17巻の感想はせめて刊行から一週間経たないまでに記事にしておきたかったのでご容赦願いたい。

今回も限定版と電子書籍版を購入した。電子版では裏表紙の勇作さんが拝めないのは今巻の根幹(突然の押韻)に関わる部分であると思うのでそろそろ対応してほしい。同じ集英社でもジャンプコミックスはこの辺り行き届いていた記憶があるのだが。

同日に実家にて「3月のライオン 14」と「ドリフターズ 6」も拝読し、良質な物語に打ちのめされたのでこれらもそのうち記事にしたい。記事にしたいことが沢山ある人生で有り難いことである。

そういう訳で、以下、ゴールデンカムイ17巻までのネタバレが乱舞します。

 

 

 

本題

色々が交錯する17巻であった。着地点が見えたかと思えばまた見えなくなる。見えている、近づく交差点にどきどきさせられ続けた。また、各々の人物たちにとってやはり「日露戦争」というものがどれだけの転機であったかと言うのを改めて思い知る巻でもあった。

 

日露戦争延長戦―敵を信じ、そして決して信じない戦い

前巻の衝撃のヒキから続いて展開される日露スナイパー対決。時々工兵。尾形を相手取るロシア側の狙撃手・ヴァシリは実在の狙撃手であるヴァシリ・ザイツェフがモデルであろう。あのハリウッド映画「スターリングラード」は彼の伝記が元であるという。

お互いを一流と認めた狙撃手の心理戦は息が詰まり、1ページ1ページをめくる手がもどかしい。

朝の光が足音、ウイルタの棺といった真実を映し出したかに思えたその瞬間――それこそが必殺の瞬間であった。ただし、尾形にとっての。

尾形は人を信じない。臆病なほど慎重であるその性質は狙撃手としてピッタリであり、人間として最低である。

尾形は人を信じない。信じないからこそ、同じタイプと認めたヴァシリをギリギリまで信じる。その二律背反の危うさが尾形にはある。高所の細い足場を好んで渡る猫のような。そして紙一重の所で、相手を信じない。いや、相手が自分を信じ切らないことを信じているのかもしれない。

紙面の向こうの耳が痛くなるほどの寒さと静寂さが伝わるようだった。そこに響く銃声も。その後に尾形が必殺の一撃を打ち込むために銃身を動かす音さえも。

全てを終えた尾形の表情がどこか寂しげに見えたのは同類を見つけたと思ったがやはり自分に及ばなかったことによるのだろうか。

しかしバトル物と言うかこういった漫画の宿命だが勝手に阿仁マタギの株が上がる結果にもなった。勃起!

優しさと言う毒

静かなる激戦の後、高熱を発して尾形は昏倒する。

回想、日露戦争時。再び「勇作殿」との歪な兄弟関係が紐解かれる。

「男兄弟というのは一緒に悪さもするものなんでしょう?」

自分を「兄」と慕ってくれる「弟」へのこの意趣返しはあまりに残酷だ。しかし弟は葛藤の末、兄ではなく国家を、あるいは父を選ぶ。

顛末を見届けていた黒幕はやはり鶴見中尉。「たらしこんで見せましょう」という尾形の表情は以前花沢中将を暗殺した時の鶴見中尉へのそれとは違うように感じる。

この頃はまだ鶴見中尉に純粋に父性を求めていたのかもしれない。(そう考えると「たらしこんで見せましょう」と中将暗殺時の「たらしめが……」の呼応が物悲しい)

その表情が鶴見中尉の「血統」への煽りで変わるあたりはやはり情報将校恐るべしと言ったところだろうか。

華々しく激戦区で勇猛に旗手を務めあげる勇作殿。その姿に師団の人々は心を掴まれていく。一方、尾形は孤独に狙撃手をこなす。誰からも労わられることもなく。惨い対比である。そして勇作殿が信頼を勝ち得ていると知った尾形は、彼を「殺さない方向で」行くことを了承するのだが……。

勇作殿は戦場の俗語的な意味でも「童貞」であった。捕虜殺害を強制しようとする兄。拒絶する弟。(重大な軍紀違反だから当然である)自分と同じステージに降りてきてほしい兄。兄は自分と同じステージにいるはずだという弟。

それは0の人間だから言える論理である。1と10よりも、0と1ははるかに違う。殺したことがあるかどうか、というのは。ましてや尾形は幼少期に既に「1」を経験した人間だ。杉元ですら、自らの戦争での殺人を肯定するのに多くの理由を必要とした。尾形の場合であればもはや麻痺したと言ってもいいだろう。欺瞞で固めた自分を正論と言う熱湯で溶かそうとし、優しさと言う毒で侵そうとする弟。

それはそのまま自分が得られなかった父の愛を一身に受けたからだと容易に想像が出来る。自分がこの世に必要な人間だと肯定されて育ってきた人間。勇作殿の流す涙はウソ偽りなく清い。だからこそ、尾形には水銀以上に有害であったに違いない。

だから。尾形は、読者諸賢は知っての通り勇作殿を撃ち抜く。その祝福された道を邁進する弟が倒れたのなら、その道を自分がなぞれるのではないかと思って。尾形の論理はいつだって一貫している。撃てば、その先何かが得られると。

しかし実際はそうはならなかった現実を反映してか、回想は事実通りではなく、勇作殿は倒れず、こちらを振り向いて終わる。祝福された道を塞ぐように。

そして尾形は目が覚め、勇作殿の姿がアシリパに重なる。母性として、異性としてアシリパを見ているのかとばかり思っていたが、「自分には眩し過ぎる異物」として勇作殿と同じカテゴリにアシリパを認識してしまったのなら今後が不安である。

走る白石・走る亀裂

なんだかんだでゴールデンカムイと言うのは杉元・アシリパ・白石の三人がコアなのだなと思わされる。

白石は決して善人ではない。けれどここぞというとき、白石……!としか言いようがないことをしてくれる。今回もそうであった。歴戦のジャンプユーザーである読者諸賢であれば、ジャングルの王者タ~ちゃんのアナべべを思い起こすかもしれない。

三人そろって再会してほしいものである。

他方、不吉な亀裂も走ってしまった。様々フラグを立てているし、尾形なのかな、と思う。ヒンナしてしまったし。ただ、野田先生も最近キャラに愛着が湧いて殺しづらくなっているのかな…? と思うことはあるし、未来は変えられるというのはゴールデンカムイのテーマの一つのようにも思うので、単純にメンバーが死ぬ、という訳にはならなそうなのもこの漫画の面白さではあるのだが。

貴公子、相変わらず奇行し。

「白くらみ」に襲われる杉元一行。地面にたき火を埋めたり秘蔵っ子カネモチを振る舞うなど思い出したかのようにマタギポイントを稼ぐ谷垣。カネモチを思い出す杉元には思わずニヤリとさせられる。

極限状態で思い出されるのはやはり日露戦争の記憶。失った友。殺し、戮し、弑した記憶。血と闇の記憶の中で呼びかけるもの――それはやはり、アシリパであり、杉元にとってもそれは光であるのだった。この辺りのアシリパを軸とした尾形と杉元のシンクロ性がどう決着するのかが一つの争点となるのではないかと思っている。

我関せず燈台をエンジョイする貴公子・鯉登の行動で杉元一行が燈台の光だと察知して初めて本筋で役に立った気がする貴公子であった。スーシュカはお茶うけにとても合う! ちなみに手に引っ付いた金づちがどうなったかは是非限定版を購入しておまけ質問箱で確かめてほしい。そこだけ濃厚な描写が見られるので必見である。

ペリメニボルシチが出てきてまたも以前紹介したシベリカ子さんの著作を思い出し勝手に懐かしくなる筆者であった。

杉元一行を救ったのも、燈台守家族を絶望の淵に沈めたのもまた、日露戦争が発端であった。夫婦に幾許かの希望と、不審な写真を残して一行は出発する。

再び監獄へ

そして三十秒で支度させそうな女傑が史上まれに見る嬉しくないお胸様とともに登場し、再び監獄にて一同が集結する気配を醸し出しつつ次巻に続く。

個人的にはロシア皇帝まわりの過去があくまでキロランケ視点でしか語られないので、もしかしたら真実とは微妙に違うのでは? と考えたりもしている(ウイルクとキロランケの役割が逆とか)日露戦争と手投げ弾の関係(ゴールデンカムイではキロランケ発祥)など、歴史にウソを混ぜ込むのが上手いなあと相変わらず思わされる。ともあれ次巻もまた楽しみに待ちたい。

春立てる霞の空に、下関越えんと――広島帰省&広コミ224&せとうちめぐり参戦について

余談

この間の記事にも書いたのだけれど書きたいことは沢山あって、しかし月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人、その歩みを順番に書き留めようとすると、なかなか時間がかかってしまうのである。

この辺り、瞬時に記事化できれば多くの人の目に留まる機会が増え、ブログの目的のひとつであるレスポンスを頂ける可能性も増えるのだが、(未だにアクセスを頂ける記事の多くは、その話題を知って即日作成した記事であることからもそれはうかがえる)なかなかそれが出来ないのが情けない。ブロガーへの道は険しい。

ともあれ今回の帰省についてもひと月余りが経ってしまった。これ以上風化しないうちにまとめておきたい。

本題

一日目

今年も二月の連休に妻の実家に帰省した。妻は何度か帰省しているが、筆者は丁度一年ぶりとなる。今回は二泊三日と滞在日数を倍にしてゆっくりさせていただくことにした。それ故、新幹線の時間もゆっくり目にできた(早得がその時間なら取れたというのもある)

道中、ちょっと奮発してお重のお弁当を食べたり、川内原発が緊急事態になったというエリアメールが着信し動揺したり(訓練であった)間もなくなくなるというシンカンセンスゴイカタイアイスを食べたりするが概ね平穏に時は流れていった。いつも、新幹線での移動は三時間くらいあるのでそこで仮眠をとるつもりで前日からちょっと無理をしたりするのだが、新幹線に乗るとテンションが上がってしまって寝付けず、午後七時くらいにガクッと疲れるので素直に前日しっかり寝る、ということをいい加減学習したい。

懐かしい広島駅に降り立つ。いつもはここから在来線に乗り換え、妻の実家へと向かうのであるが、今回はいくつか目的があるため一度駅を出る。大坂でもそうであったように、新幹線の切符は広島市内の駅であればその切符で乗り継ぎが出来るので、素直に改札機に通して吸い込まれないよう、駅員さんに事情を話して一時出場扱いにしていただく。

一歩外に出ると、知らない広島駅前の風景が広がっていて驚く。

思わずのけぞって上を見上げてしまう。お上りさん丸出ししぐさである。筆者が在広時は完成予想図しかなかったものが、質量を伴ってそこにある。不思議な感覚だった。

また、「スタンド使いは引かれ合う」システムが発動したので「さすが都会……」と中四国第一の都市を誇ったりもした。

一度駅を出たのは広島駅福屋6F、香ぎゃらりぃ広島さんに向かうためであった。

同店舗では刀剣乱舞とのコラボグッズが販売されていたのである。広島の上流階級マダムたちが集う階層であるので我々夫婦は分不相応で小さくなって訪問したが、スタッフさんは大変丁寧に接してくださり、妻が元々の目的であったコラボグッズを購入したのは勿論のこと、筆者もつい「桜」のお香を買ってしまった。

筆者が重度の花粉症であるため、換気が最低限度になってしまう我が家において、現在室内で春を感じさせてくれる演出家として大いに活躍してくれている。

おまけでつけてくださったバンブーのお香も清涼感にあふれ新鮮であった。

来た道を戻り、在来線へ向かう。「エールエール」では「たこやきレインボー」さんがライブをされていた。古くは「ももいろクローバー」さんもこの舞台に立ったという。途中、「ちから」のおにぎりが恋しくなって買ってしまう。「ちから」のおにぎりとうどんは学生にはちょっと贅沢だったが、奮発して買うと必ず満足させてくれる食事だった。それは今も変わらなかったことに嬉しくなってしまう。

瀬戸内の穏やかさをローカル線のスピードで感じながら、我々は実家へとたどり着いた。瀬戸内の幸を振る舞われ、お風呂を頂き、ふかふかの布団を敷くなかで、義父の蔵書への誘惑を感じながらも、どっと疲れが出て日が替わるかどうかのうちに眠りについてしまった。

二日目

ふと、大勢の人の気配を感じて目が覚めた。すると暫くして電車がゴトンゴトンと音を立て、通り過ぎていった。検索してみると始発電車の様であった。普段と違う環境で某かが研ぎ澄まされているのかもしれない、と思った。

少しうとうとして、七時半ごろご不浄に行くと朝食が整えられつつあったので、慌てて着替え、妻を起こし、ご相伴にあずかった。

食べながら、本日の予定を確認する。メインは広島コミケ224の参戦である。妻は何度か経験しているようであるが、筆者はこういった即売会の類は初めて。そういった「即売会しぐさ」のような暗黙のルールがないかどうかドキドキしながら臨むことになった。(妻曰く、しぐさというか、戦利品を写真で上げてしまうとそれが転売屋に転載されることがある、ということで以下、頒布物の画像は控えさせていただく)

会場最寄駅から歩いていくと、カートを転がした「戦士たち」が同じ方向へ集っていくのが見て取れ、戦が始まる……と否が応にも緊張が高まった。

到着したのは開場して三十分ほど経っていたろうか。それでも入場までまだ並んでおり、同人文化の勢いを感じた。入場の為にカタログを購入する段になると、おお、やはりこういうシステムなのだなとちょっとテンションが上がる。

入場するとその地平はまさに同人の楽園であり、世の中にこういう場所があるのかとしみじみと感動させられる。自らの「好き」に素直であることのなんと貴いことだろうか。妻もまた、妻ではなく一人の「オタク」としてその集合の中へ溶け込んで行くべきであると思ったので、我々はそこから別行動をとることとした。

筆者は勝手がわからないので取りあえず一番端から見て回ることにした。

会場の雰囲気からも察しはついていたが、圧倒的に所謂「女性向け」のサークルさんが多く、素敵な作品であっても筆者の風体からお声がけすると事案に発展する可能性もあるため趣味に男女は関係ないと常日頃思ってはいるけれど、こんな時は可憐な女性になりたいな……と正直なところ考えてしまったりもした。

が、「こいのぼり」さんで可愛らしい動物ピンズを買わせていただいて(ガラスのきのこにも非常に惹かれたのだけど鹿児島まで無傷で持って帰れる自信がなかった)少し緊張がほぐれ、この祭りをもっと楽しまなくては、という気持ちにシフトすることが出来た。

まずは「ヤドリギ」さんでイタリア建築物の擬人化本を買った。ジョジョアニメによってイタリアに興味が湧いていたからである。もしかしたら今後、アニメの背景に元の建築物が映り込むかもしれないと考えると胸が躍る。擬人化は勿論、元々の建築物もうまく絵に落とし込まれていて、視ているだけで楽しい。便箋セットも買わせていただいた。

続いて「茶飲時」さんで「酷いよ!! さニャわさん」を買った。表紙がきらきらしていて目に嬉しい。表紙に「創作審神者が本丸運営するマンガ」と書いてくださっているので手に取りやすかった。お声がけして、ちょっと見させていただく。おお、同人イベントっぽい……!と勝手にウキウキしたりする。可愛らしい絵柄で結構バッサリ言うことは言う猫の審神者が可愛らしく、クセになる。4コマが基本であるが後半にはストーリー漫画もあり、読み応えがあった。

審神者さんなんですか? と声をかけてくださったのに「オヒョヒョ」みたいな応答しか出来なくて恥ずかしかった。交流こそ対面販売の醍醐味と言うに……。

頂いたペーパーを見るとオリジナルの猫漫画も面白そうで買えばよかったと今しみじみと後悔している。

気を取り直して再び会場を巡る。もはや脳みその何かが開き始め、一度通って気になったけど躊躇したあれやこれやにGOサインを脳が叩きつけていく。「臓内ニガツ」さんの「切っ先のベイビーピンク」を買った。

めちゃくちゃ良かった。

安易なハッピーエンドは簡単だ。優しい世界にすればいい。

安易なバッドエンドは簡単だ。悪意で世界を満たせばいい。

「読者を納得させうる、登場人物視点での筋の通ったエンディングを作品に迎えさせる」というのは、難しい。

可憐な、しかし瞼を晴らし、涙を流し、鼻を赤らめた少女が自らの胸に包丁を突き立てんとするショッキングな表紙の「切っ先のベイビーピンク」には表題作と「ナナ」という作品の二点が収録されていて、どちらも胃にどろりと入り込んでくるようなヘビーな作品だ。けれどその漫画力の高さで、ページを繰る手は止められない。そしてそれぞれの主人公が辿り着いた彼女らなりのエンディングの納得力は高い。特に表題作は、筆者の安易な想像から更に一段階飛躍され脱帽である。

あとがきの作者様の「ハッピーエンド論」にも納得することしきりであったし、そんな……オリジナル同人誌が初めてでいらっしゃるなんて……と恐れおののいたりもした。

kurauchi.booth.pm

自家通販もされておられた。是非チェックしていただきたい。

 

続いて、実は開始から何度も迷っていた「阿部輪業」さんのスペースへお邪魔し、「トクシュカノカナメ」を購入させていただいた。前述の通り女性の多い会場全体の中、貴重な同年代の男性で出展されている阿部さんに知らず親近感を抱きながらも、始めは気恥ずかしさがあり、意を決したときは席を外されていたので勝手に三顧の礼でもって作品を買わせていただいたことになる。そこはコミュニケーション能力不全の悲しさ、戻られるや否やお声がけしてしまったようでかえってご迷惑をおかけしてしまった。「トクシュカノカナメ」は瀬戸内の島を思わせる(阿部さんは関東の御出身の様なのだが)架空の島を舞台に、役所の「特殊課」に所属する学生のカナメさんが巨大二足歩行メカを駆って島民の人々の水回りのトラブルを解決するという地に足がついているようで実は五センチくらい浮いているような、現在と地続きの近い未来としてありそうなSF(すこし・ふしぎ寄りの)であって、読後感爽やかに読むことが出来た。最後には島のMAPもあり、会場のある地域にもゆかりがある(銅像がある)ズッコケ三人組の折り返しを思い出させるような「MAPによる物語の膨らみ」を感じられたのも嬉しかった。もっとこの島で展開する話を見たい、と思った。後からわざわざペーパーを追いかけて渡してくださり、恐縮であった。(そのお人柄がにじみ出た優しいエッセイだった。)

 

そして「mana」さんのスペースにて筆者と妻はめぐり合うのであった。二人ともそモノトーンを基調としながらもここぞという所に間違いなくカラーを差し入れるその筆遣いの迷いのなさと絵柄のポエジィかつどこか張りつめた緊張感、世界観、そのサイズからは想像できない「圧」に打ちのめされ、結局のところ単純に「すき……」しか言えない状況と化しており、諸々の作品を買わせていただいた。どころか、原画の数々を作者様の直解説付きで見させていただき、幸福銀行から残高ががつがつ引き落とされていくのを感じた。対面販売の醍醐味を最後の最後にがっつり味わえて嬉しかった。

 

会場全体をコスプレイヤーの方々が闊歩されており、こんなにたくさんのコスプレイヤーさんを拝見するのも初めてだったので2.5次元の再現度の高さに目が忙しかった。おお、○○と○○が談笑しながら筆者と同じ地平を歩いている……これがエモいという感情……と思ったりもした。

 

即売会と言えば冊子を売るところ、とばかり思っていたが、グッズの展示も沢山あり、見ているだけでも楽しかった。軍資金不足でなければもっと色々を買いたかったが残念。やはり創作をしている方々はエネルギーがあり、月並みな感想になるが良い刺激を頂いた。戦利品がありながら行きよりも足取りが軽やかだったのは気のせいではない。

さて、その高揚のまま我々は広島駅へと向かった。昨日たまたま、「STU48」さんが今日、前述したエールエールにて「せとうちめぐり」で凱旋することを知ったからである。瀧野さんと筆者はShow Roomにおいて何度かコメントに反応して頂いた仲(他人)であり、筆者のSTU48での最推しメンである甲斐心愛さんが参加されないのは残念ではあったがSTU48を直に応援したい、という気持ちは妻とともにあり、参戦しよう、ということになったのである。しかし広島コミケが予想の三千倍楽しかったので移動も遅れ、握手会参加は既に不可能となっていた。

しかしライブ自体は無料で観戦できるのである。神かな? もちろん、握手会に参加できる方と我々のようなそうでない人々とはエリアが区切られていたが、それでも肉眼にSTU48が映っているという事実が筆者を大変に満足させてくれた。解禁になったばかりの曲を含め、ゲームコーナーなど、無料でこんなに楽しませてくれてよいのですか? という気分になった。芸能人の方々によく言われることであるが、やはり生で見ると液晶を通してみるよりはちゃめちゃに可愛いな……と思った。やはりファンの方への対応は素人目では石田千穂さんが一歩抜きんでているように思えた。ゲームコーナーでの瀧野さんの空気の読み振りも良かったし、岩田さんの年若いとは思えない進行のうまさも際立っていた。もっともっと語りたいことがあったはずなのだが老いの悲しさ、思い出せないのがつらいところ。

「風を待つ」は山下達郎さんを彷彿とさせるようなナンバーで今の季節、窓を開けはなって自然風を取り入れながら少しハミングしながら聞くのにピッタリなやさしい曲だ。それを瀬戸内で聞けたことはとても良い思い出になった。


【MV full】風を待つ / STU48 [公式]

いよいよ船上劇場へのカウントダウンが始まった。こんなに頑張っているのに関連グループのせいでマイナスなことばかり広がってしまって悲しい。今後も微力ながらSTU48を応援していきたい。是非錦江湾に講演に来てください。

 

そして気が付けば三時が過ぎ、我々は著しく空腹なことに気が付いた。前回もそうであったがやはりこの辺りであればお好み焼きは「みっちゃん総本店」が間違いがない。肉玉そばダブルにチーズをイン。そして贅沢にレモスコをかける。これが勝利の鍵だ。さくさくともっちり理想的な調和。三時という半端な時間であっても大勢の人がその味を堪能していた。

お好み焼きの余韻とソースの香りをその身にまとわせながら、我々は再び帰路に就いた。途中、義理の祖父母宅に寄らせていただいた。

前回は義父母の書棚であったので今回は義祖父母の書棚。やはり「全集」は良い……書棚レベルが上がる気がする。「モオパッサン」という表記の美しさよ。義祖父は最近は益々足腰が弱り、杖をつき、またベッドにて就寝されるということであったが、初孫である妻が来た喜びからか、前回お会いした時以上に溌剌としておられた。やはり孫と言うのは何よりのカンフル剤かもしれず、もっと妻を頻繁に帰省させてあげなくては、と改めて感じさせられた。

義祖父は囲碁がアマ六段であられるので筆者としても囲碁を何度か覚えようと試みたのだが、並べ方が決まっている将棋と違って囲碁と言うのは自由度が高すぎてほとんど宇宙、ああ、オープンワールドゲームで何をしたらいいのかわからない、という人はこういう気分なのか、と思ったりしつつ、日々に追われて結局習得できずにいる。そのことを義祖父に相談すると、これが良い、と「三手の詰碁」という薄い冊子を頂いた。帰りしな、早速開いてみると一行目から「ダメツマリを利用して仕留めることが出来ます」と全く解読できない文章が乱舞しており、宇宙猫顔をせざるを得なかった。

宇宙猫 - Google 検索

 我が祖母も大好きな干し柿は今年はあまり振るわなかったが栗が沢山取れたとのことで、自家製マロングラッセを頂いた。口触り良くおいしかった。

帰宅後、初めてリアルタイムで「いだてん」を見た。視聴率が振るわないらしいが、まっとうに面白かった。主人公二人が交錯するシーンなど、偽史の面白さ極まれりと言った感じだ。そういえばこの頃はまだ画面にピエール瀧がいたな……。

実はアイドル文化にも造詣の深い義父に妻が自慢げにSTU48のことを話しているのを横目にジョジョスマホゲーを始めても見た。ブチャラティが来たものの予定より早く帰ってしまったようであり、筆者の所にもいつもより早く睡魔がやってきたので床に就くことにした。

三日目

精神年齢が四歳児なので休日は早く目覚めてしまう。朝食があることの有り難さを噛みしめながら、しかし現実が迫っていることの悲しみが牛乳の冷たさとして筆者に降りかかっているような朝であった。

昼食を「わたや」さんでいただいた。山賊焼きはもとより、うどんもおいしかった。それにしても鹿児島のそば茶屋と言い、置かずにはいられない魔力が水車にはあるのだろうか。

広島駅構内にて「ポテりこ」を注文し、その湯気を残して我々は広島を後にした。ホクホクしてとてもおいしいので是非出来立てを食べていただきたい。

さらば瀬戸内、また半年後にでもお邪魔したい。やはり第二の故郷である。

あなたのストーカーになりたい――私の未来予想図

100記事目になった。

98記事目の時にふと気づき、折角だからと色々と考えていた。そのうちに業務は多忙になり、遠出の日々の記録は旬を逃し、確定申告のテクニックはもはや泥棒見てから縄をなう状態となり、書きたいという気持ちはありながらも今度は日が開きすぎてちょっと気恥ずかしい……という正しくスパイラルに陥ってしまっていた。

そうしているうちに「はてなダイアリー」が終了した。

筆者は決して優秀なダイアラー(たぶんこういう言い方はしない)ではなかったが、しかし手前勝手にサンチマンタリスムに沈んだりもし、ますます更新が遠のいた。

そんな折、ブログのお題が「未来予想図」であると知った。

筆者にとっての未来予想図と言えば被害妄想なナンバーであるのだが。


Creepy Nuts(R-指定&DJ松永) / 未来予想図 【Lyric Video】

 ともあれ折角の区切りの記事、このブログの未来予想図を描いてみるのもいいだろう。ナイスタイミングだ。

ということで筆者は未来予想図として、目標として、標題を掲げるのである。

あなたのストーカーになりたいのである。

後ずさりはしないでほしい。

もしかして、「ストーカー」をご存じないだろうか。

ストーカー (ハヤカワ文庫 SF 504)

原題を「路傍のピクニック」というこの小説は筆者の中で二大SFピクニックであるのだが(もう一つは勿論「火星年代記」最終章の「百万年ピクニック」である)、筆者はこれを「地獄先生ぬ~べ~」のコミックスのおまけコーナーで紹介されて以来ずっと心に残っており、長じて読み、感嘆したものだった。というか、あのおまけコーナー電子書籍でまとめて復刻してくれ、頼む。(ペットの動物霊の回の「動物に温かい寝床と食べ物を与える代わりに何を奪ったか、考えてみるのもいいかもしれない」といったような文は当時の筆者の胸をひどく打ったものだ)

この小説での「ストーカー」は案内人とでもいった側面を持つ。彼らがどうなっていくか、それは是非本文を読んでほしいが、要するに筆者は読者諸賢の案内人になりたい、ということである。

「物語のトンネル」と言う概念を知り、膝を打った。最近の筆者も「物語のトンネル」に囚われている人間であったからだ。その記事のコメントにもいくらか見られたけれど、物語を咀嚼するにも体力がいる。時間がいる。可処分時間が少ないと、「何故貴重な時間を使ってまで嫌な気分にならなくてはいけないのか?」と言った気分になる。筆者が近ごろ優先的にコミックエッセイの類を崩しているのは、そう言った部分にも起因する。

西尾維新先生が書き、日本橋ヨヲコ先生が挿し絵を描いた「ある果実」という作品があって要するに読書論の話なのだけど、高校二年生でそれを読んだ筆者は感嘆した。こいついつも感嘆してんな、邯鄲淳か? といったところであるが、さておきそれは「今まで読んできた本がたまたま面白かっただけで、今後読む本はすべて、ことごとくつまらなかったらどうしよう」という不安の種として筆者の心に沈んでいった。後に、つまらない本などこの世になく、直ぐに面白くなる本と、面白くなるのに時間がかかる本があるだけだという結論の大輪を咲かせるに至るのであるが、しかしこの悩みは長いこと抱え込み続けた。

あるいは「3月のライオン」に将棋の研究を「素潜り」に例える描写がある。初めの頃は浅く潜るだけで沢山のものを見つけられた。しかし、研究を続けていくと、より深く潜らなくてはならず、また手ぶらで帰還しなくてはならないこともある。ひどく消耗する。足がすくむ。若い新進気鋭の者たちは、物おじせず飛び込んでいく――その羨望と嫉妬。

実際のところ、一日は二十四時間しかない。業界関係者によると一時間は六十分しかないし、ここだけの話、一分は六十秒であるらしく、その限られた時間を無駄にしたくないというのは当然の欲求である。

それでも。

やはり平凡な地球の下で平凡な顔をしてる平凡な君のままでいられるのはオーノキヨフミの相方くらいであって、緩急があった方が、カタルシスが得られるというのは事実ではある。


平凡 / オーノキヨフミ / PV / MV

だからこそ、そんな日々を忙しく送る読者諸賢のストーカーになりたいと筆者は願う。

お前、なかなかいいこというじゃねえかよ、といわれる人間になりたい。

そこまでいうならそのコンテンツ、試してみるよ、という記事を書きたい。

なにも、「ま、まああんたほどの実力者がそういうのなら……」までならなくてもいいのである。

暗いトンネルを照らす灯りに、素潜りへ付き添う酸素ボンベに、沼へ引きずり込むマドハンドになりたい。

そして、読者諸賢の目からだけ見える何かを伝えてくれたなら、キャッチボールが返ってきたのなら、こんなに嬉しいことはないのである。


リリカルネッサンス「The Cut」(MV)

 

 

 

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豚骨王国の変容ー第五回鹿児島ラーメン王決定戦に臨む

今年も中日の半端な時間にラーメン王決定戦に参戦することが出来た。

 

混み具合はこんな感じで、多少並ぶもののうまさをより増幅させてくれる程度の並び方で済んだ。席も程よく空いていた。やはりラーメン王決定戦を満喫するのなら、中日の夕方に限るという確信が深まった。

我々の口元を拭ったりテーブルを拭いたりなど今年も八面六臂の活躍を見せてくれていたのはもちろん鹿児島県民の八割が所持しているといわれるふるさとのデパート山形屋ティッシュであった。

なお、妻はあるラーメン屋さんの虜となり、本日昼前にもう一度単騎駆けしたが、非常な混雑となっており泣く泣く諦めたそうである。

因みにその時の様子がこちら。ここに単身挑むには妻はまだ功夫が足らなかった。筆者も躊躇するであろう。

↓ちなみに昨年はこんな感じでした。

kimotokanata.hatenablog.com

 では、今回も堪能させてもらった三杯のラーメンについてど素人が徒然に感想を書いていきたい。

そばる「特製鴨ねぎ醤油そば九条ねぎと焼きねぎのマリネ~」

以前からファンだった蕎麦屋さん。父にお薦めしたところ、「おい、ラーメン屋さんだったぞ、美味しかったけど」と言われたのが懐かしい。(当時はまだ不定期だったように思う。現在は曜日によって蕎麦屋さんとラーメン屋さんの日は完全に区別されている)まさかラーメン王決定戦に参戦するほどになっているとは…と事前特番を見て驚かされた。

蕎麦屋さんとしては毎日違う日替わりメニューを出すなど革新的なことをしてきたそばるさんがラーメン王決定戦では果たしてどんなラーメンを食べさせてくれるのか?(例年、出場者決定特番とどんなラーメンを提供するかの特番が組まれるのだが後者を見逃してしまい、その後はあえて情報を遮断するようにしたのである)

ワクワクは尽きず、まずはそばるさんと心に決めた。


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一口啜ってなるほど、これはラーメンではなくまごうことなき「醤油そば」であると納得させられた。焼き鳥メインの居酒屋も経営され、筆者も大好きな鴨南蛮そばを擁するそばるさんだからこそ出来るしっかりとコクと深みのあるスープ。二つのねぎの甘さと香ばしさ、食感の楽しさはどうだ。スモークされた合鴨の香りと頼もしい味付け、それらに彩られながらもしっかりと主役を主張する麺。緻密な計算が美しく器の中に調和している。後のことなど考えさせず、この一杯に真摯に向き合わなければいけないと思わせる完成度の高い麺だった。汁までしっかり飲み干してしまった。

麺酒場木村本店「本場四川汁無担々麺」

続いて妻がセレクトしたのは麺酒場木村本店さん。放送当時からイケメンと名高い店長さんであったため、つ、妻……まさかイケメンにつられて……捨てないで……と不整脈が出かかったが妻は筆者が担々麺をこよなく愛する人間であることをちゃんと覚えてくれており、その為のセレクトだったのである。(いい話)ちなみに店長さんは一生懸命ラーメンを作っており、ご尊顔を拝見できなかったようであった。対応してくれた奥様もたいそう美しかったようである。なお、店長さんの名字は上釜さんと言い、屋号の木村本店はご自分の名前は全く関係なく、木村拓哉さんのファンだからである。

妻曰く、奥様直々にひたすら混ぜるようにと言い含められたようで、気合を入れて混ぜていた。途中、筆者も加勢する。そしてようやく口にする妻。「おいし…いやうまい!」言い直す必要はあるのか。とはいえ筆者が広島から離れている間にご当地グルメとして存在感を高めているという(帰省時食べ損ねた、くやしい)汁無担々麺を広島にて堪能して舌が肥えている妻が即座にポジティブな意見をたたき出すのだから期待が高まる。口にした瞬間、頭の先まで山椒の「麻(しびれ)」の刺激と香りが突き抜ける。そして加速度的にトウガラシ、ラー油と混然一体となった「うまさ」―これ以外になるほど形容しようがない―が増大していく。舌の刺激がリズム良く、更なる一口を要求してくる。汁がないことも手伝って、あっという間に食べ終わってしまった。

Noodle Laboratory 金斗雲「黄金雲!!~照り焼きトーフステーキ&ジューシーチキン~バターフレーバーオイル添え~」

金斗雲さんもラーメン王決定戦の常連で、いつも気になっていたがこれまで食べる機会はなかった。特集の時に見る店舗のおしゃれさ、店長さんの喋り方はいわゆる「意識の高いラーメン」を筆者に想起させ、日々をちゃらんぽらん過ごす筆者にとっては勝手な苦手意識を抱いていたのかもしれない。二つのラーメンを食べ終え、さてあと一杯くらい、と考えていたとき、筆者は正直なところ「絶対に食べたい!」というラーメンはなかった。食べたかった二杯は既に食べていたし、心優しい妻は筆者が汁無担々麺にハマっているのを悟り、半分以上を筆者に食べさせてくれたので、満腹感もそれなりにあったのである。この状態で他のラーメンに臨むのは不誠実なのでは? と思ったりもした。しかし祭りに参加している高揚から、また前売り券はもう一枚買ってもいるということもあり、もう一杯食べてみたいという気持ちも同時に存在していた。

妻の鶴の一声で、金斗雲さんになった。前回の記事にも書いたが、妻はあまり豚骨ラーメンが得意ではないので、味噌ラーメンである金斗雲さんはありがたい存在であったことであろう。また、トーフステーキは「トーフだからヘルシー」と妻の二杯目への罪悪感を薄くしてくれているようであった。優しい欺瞞。

流石人気店、この時間帯であってもそこそこ列の待ち時間があったが、ふとチケットを渡す相手を見て驚いた。店長さんその人であった。柔らかな物腰で、来店のお礼とトッピングの有無を尋ねられた(全て入れていただいた)。やはり規模が大きく、運営を任せられるスタッフの体制が整っているからこそだとは思うが、暖かい部屋で指揮を執っていても構わないであろうに、先頭に立って接客をされるその姿勢に勝手な偏見、苦手意識でもって足を遠のかせていた自分を深く恥じ入る思いであった。筆者の耳の赤かったのは二月の北風のせいばかりではない。

万感を持って受け取ったラーメンと、謎の容器を持って筆者は妻の待つブースへと向かうのだった。

具の贅沢さがまず目を楽しませてくれる。どこから手をつけようかという幸福な迷いの後、意を決して箸を差し入れると具で封じられていた豊かにブレンドされた味噌の香りがぶわっと広がる。野菜、カラッと揚げられたチキン、トーフステーキの三者三様の食感と味が楽しく、その斬新さと定番「黄雲」をベースとした味噌ラーメンが理想的な同居を果たしている。全体的にはあくまでも優しい味わいである。

妻は「正直チキン目当てだったのにごめんなさいという感じだ!」と自分が頼んだものが予想以上に美味しいというポジティブな困惑を抱えつつ、丼もがっつりとホールドしていた。半ばまで食べたころ、筆者は店主より託された謎の容器を解き放つことにした。それこそがバターオイルである。そう、黄金雲はまだ一段階変身を残していたのだ! 丼へかけ入れられたバターオイルは周囲に破壊的なまでの香りをふりまく。これで食欲が刺激されないわけがない。これ以上はないと思われたスープはよりまろやかにかつコク豊かに変貌し、まさしく我々は店主の掌の上で踊る孫悟空に過ぎなかったことを痛感させられた。妻の傾倒ぶりはすさまじく、ほとんど一人で一杯食べてしまうほどであった。一杯食べる妻が好き。帰宅から今に至るまで、「金斗雲さんおいしすぎじゃなかった?」「明日も食べようかな……いや食べよう!」「混み過ぎて食べられなかった…(その後美容院の予約があったため長居は出来ない)…こんなに好きなのに…」「もしかしてと思ってほかの店舗に行ってみたけどやっぱり閉まってた……」「きんとうん~~すちだ」などと完全にムーブがガチ恋勢のそれであり、筆者の観測上から考えれば妻をそこまで至らせたのは道重さゆみさん以来であるのでかなりビビっている。捨てないで…。(不整脈)そのうち店舗にもお邪魔したいと思う。

 

 ↑妻が悲し気に送ってきた閉まっている店舗の写真

食べ終えて

今回も三杯ともとても美味しく、投票においては三店舗に一票ずつ投票させていただいた。記事を書いている間に、結果が出ていた。TAKETORAさん二冠おめでとうございます。そばるさんの技能賞がわがことのように嬉しい。木村本店さん、金斗雲さん、が選外だったということに驚きが隠せない。それほどのレベルの高さがある大会だということであろう。

今回おおっと思ったのは、十八店舗のうち実に十店舗と、過半数以上が「豚骨ラーメン以外」を選択していたことである。保守的な気風である鹿児島でも、ラーメンには変革の嵐が吹き荒れているようで面白い。とはいえやはり上位陣は豚骨ラーメン勢が多くを占める。お互いが切磋琢磨され、より鹿児島ラーメンが盛り上がればいいな、と思う。

それと、昨年に続いてになるのだが、やっぱりラーメンは一杯五百円くらいにして、もう少し量を抑えてほしい……こんなにたくさんおいしいラーメンがあるのに胃袋が限界なんてこんな残酷な話はないのである。

第六回の中日の夕方ごろに、またお会いしましょう。