カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

迷宮入りだ! あるいはゴールデンカムイ18巻感想

ゴールデンカムイ 18 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

余談

いつか思い出してきっと泣いてしまう恋のDVD化に気が取られてしまい、次は9月か...と漠然と考えていたら先週、その前に今月新刊が出るという嬉しいサプライズに見舞われた。

ということでここからはゴールデンカムイ18巻までのネタバレがあります。

本題

アラウンド・タトゥー

再びの監獄突入...と思いきや本格的には次巻までお預け、という展開を二巻続けて味わってしまったものの、思わぬところの事情が明らかになったりとやはり目が離せぬ巻であった。

始まりは第七師団。そこから各視点へ暗号を軸に視点が展開していく。気がつけば刺青人皮も大分集まってきた。もしかしたら読者諸賢の中には解き明かした人々もいるのかもしれない。筆者は全く分からないが、アシリパがウイルクに学校に行くことを奨められていたということを踏まえると鶴見中尉の推測は少しずれていて、「アシリパが少し日本語を理解した」ということが暗号を解く鍵になるのではないかと考えている。例えば今回取り上げられた「迂」のように彼女の和名である「コチョウベアスコ」に対応する漢字がキーになっているとか。または、アシリパの言う通りアイヌが漢字そのものを重視しないのであれば、その形(例えば「迂」であれば左向きの矢印ととらえるような)仕掛けがなされているのかもしれない。解いたあとに出てくる言葉がアイヌ語、それがわからなければたどり着けないということもありそうだ。

さらってきましょうかと表情を変えず言い放つ宇佐見、呉越同舟ながら有用情報を引き出そうとする月島と茶化して台無しにする鯉登、カネモチをつくる谷垣など各人淡々とした描写ながら個性が「らしく」出ていて良い。

エノノカを救う杉元がしかし脳裏によぎるのはアシリパであり、それがとっさに出た言葉なのか、頭部の銃弾の影響がやはり現れ始めているのか一見して分からないのが恐ろしい。「俺がやったのに…」という杉元の目は暗い。それにしても、ゴールデンカムイで「へえ…どんな?」と促されたあとの展開ってろくなものがない。棺桶生き埋め刑、執行するのはものの本によると加害者の近親者であるというからなるほど杉元にやらせるわけにはいかないのだろう。

天は自ら助くるものを助く

場面変わって土方組、永倉さんのかわいい小首傾げで門倉元看守部長と出稼ぎ途中で連れ回されているキラウシが動く!っていうか現状二人ともただの無職じゃないか、と思ったがふと考えるとゴールデンカムイ主要メンバーの住所不定無職率やばいな…。土方その人は先程の生き埋め刑を彷彿とさせる状態で狭い空間に横たわっている。

下手人は刺青死刑囚の一人、関谷輪一郎。動物関係者、ストリキニーネ、そして名前の相似性を考えるにモチーフのひとつとしては関根元ではないかと考える。毎度お馴染みなつかしキャラ登場コーナーの過去の網走監獄では味噌汁ロシアンルーレットを開催。トリカブトが事態打開のキーとなったエピソードが印象深いおやびんを出してくるのがまた心憎い演出である。

運命ー例えば今まさにクライマックスにあるアニメ「ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風」においても極めて重要なテーマである。それこそが、関谷を突き動かしている。彼はクリスチャンであり、教会に行く敬虔な信者でありながら、しかしまさしく青天の霹靂によって愛娘を失う。その瞬間の瞳のハイライトの落差は文字通りの堕天である。

聖書においてキリストにもっとも愛された弟子とも言われるヨハネは毒杯を受けても命を落とすことがなかったという。果たしてそれが影響しているのかは分からないが、関谷は「毒」を用いて他人の運命を、運を試すことに取りつかれていく。試練を与えようとする。

神ならぬ人が人を理不尽なやり方で裁く。それは神を冒涜する傲慢である。それを恐らく、関谷自身も気づいている。本来は悲しいほどに義理堅く律儀な男なのであろう。彼は神をそれでも信じている。疑いながらも信じている。そして娘を間違いなく愛していた。

だからこそ彼は「かくあろう」とした。逆説的に。「愛娘を理不尽に神が奪うほどの凶悪犯に自らがならねばならない」というロジック。神の正しさを、自らの運命を肯定したいからこそ神を冒涜し、運命を弄ぶ。それは悲しすぎる自傷行為であり、自慰行為である。

その関谷を止めるのは神ではなく人間だった。「迷宮入りだ!」「謎は深まった!」など名探偵ぶりを発揮する門倉現無職はしかし、食らいつく。だてに無駄に尻の穴を見ていないのである。全裸で人の大事な刀を尻に挟んだりもするのである。凶運の持ち主は翻弄されながらもその凶運ゆえに楽になろうとして飲んだ毒薬で中和されて生き延びる。果たしてこのキングボンビーが一味にいることで土方組は今後どうなるのだろうか。正直ここまで忠誠心があるとは思っていなかったので過去エピソードが見たいと思う。

引導を渡す列の先頭にいたのは土方無戸籍である。始めに冷たく撥ね付けていた牛山について「土方を救うために牛山は飲んだ」と言われて表情を変え、自分の道の正しさを問われたときついに勝負の舞台に乗る。かつて土方が信じた道、新撰組、士道というものは否定され、破れ去った。しかしその体現者である土方は生きていた。それこそ生き埋めのように半死半生であったとしても。その土方の運命、命を運んだのはかつての石田散薬時代の知識、そして士道で身に付けた度胸であった。運に甘んじず自ら過去を原資に運命を引き寄せた土方。その土方により神を肯定され満足して死んでいく関谷。けれど土方自身は過去ではなく今を、現世を見ているという対比が感慨深い。

平行して牛山と少年の心暖まる(?)交流が語られる。別れを通して、少年はひとつ大人になっていく...。関谷との対決が息詰まるものであったが心理的な動きが主だったのを補うかのようにガンガンにアクションしてくれる。毒については関谷の方便で実際は女郎にまた騙されていたのは残念だったが......。

そいつの名はハセガ

いよいよプリズン・イン……の前に回想。ワンピースであれば二巻くらい使うところだがテンポよく話が進んでいく。束の間の穏やかな時間、それはしかし予想外の形で破られる。

長谷川幸一…一つの幸せさえも掴むことを許されなかった男の本名は、鶴見篤四郎。勘の良い人はガトリングガンとの親和性で気付いたかもしれないが、筆者は彼の「名乗り」シーンで戦慄させられた。ウイルクたちの手配書を見るシーンで追っ手サイドだとミスリードさせられたあとであったので驚きは大きかった。

ゴールデンカムイは大切なものを奪われた人々の物語であるが、鶴見中尉もまたそうであった。スパイではあっても妻と子に対しての愛情は本物であったのだろう。そう言えば今まで彼の家族の情報が全く出てこなかったのも伏線の一端であったのかもしれない。キロランケが妻子の間接的な敵と知ったとき鶴見中尉は長谷川幸一に戻るのだろうか? ソフィアが外見のイメージが随分と変わってしまったのさえ、鶴見中尉が敵とすぐに気づかないための伏線でないかとすら思えてきてしまう。

鶴見中尉のモデルは須見新一郎であると言われ続け、事実その要素はあると思われるが、今回のエピソードを踏まえると明石元二郎もそこにミックスされているのかなと感じた。ロシアという国への一つの復讐という形で鶴見中尉は革命を起こそうと考えているのかもしれない。

虎トラップの発動

現代に時間軸が戻り、どうにも出だしがよくないプリズン・インのさわりで次巻。今度は虎である。(シベリアトラ?)ロシアもヤバイッ。彫刻はワニかと思ったのだが。

9月までお預けとなると気が遠くなるが、監獄活劇を楽しみに待ちたい。

鏡の向こう、約束の場所ーーミラーマン、そして父が筆者をオタクにしてくれた

今週のお題「おとうさん」

あれだけ書きたいものがあるといっていて、しかし書けていない。これには続編発表によって急激にブレスオブザワイルド熱が高まったり本業の方がこれからどんどん忙しくなりそうだったりすることによるのもあり、また作業環境の更なる改善を待っていたこともある。


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カバーが安かったので買ってしまった。デフォルトの黒でも良かったのだがこの「銀河」がべらぼうに良い。思わず江戸っ子になってしまうてえもんよ。スタンドにするとこんな感じでWebという宇宙に飛び込みますよ、という感じがしてますます良い。セールで買ってから飼い殺しにされてきた不憫な端末であるが、今後存分に可愛がっていきたいと思う。


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さて父の日であった。実父においてはアサヒビールでも送っておけば良いので話は早いのだが、義父についてはお酒を飲まれないのでもう無理である(対応力のバリエーションのなさ)妻に相談すると、柿の種が良い、ということで粛々と従った。さすがにちょっと上等なやつにしようと企んで、妻に一緒に選んでもらった。お気に召せば良いが......。その流れで先程のカバーを発見したのである。これは父を大切にする者には良いことがある、ということであるかもしれない。

 

さて作業環境を新調しいよいよ記事に取りかかろうとしたところ、ひとつの訃報が入ってきた。「ミラーマン」の主演俳優の方が亡くなられたと言う。

実生活においても間違いなくヒーローであった氏の逝去を悼みながらも、筆者はごく個人的に何かしら数奇なものを感じられずにいられなかった。

父と筆者、そしてそのオタク人生を振り返るときに「ミラーマン」という作品はターニングポイントであったと言えるからだ。筆者の中の「特撮」観を形作ったひとつと言っても良いかもしれない。

ということでまたも懸案のあれやこれやを横に置いて、個人ブログらしくパーソナルな話を綴っていきたいと思う。

今や社会人一年生である弟二号機がいなかった頃であるから、幼稚園の頃であったはずである。戦隊ものが夕方から休日朝になったりし、今も続く休日にやたら早く起きるルーティンが形作られていた頃でもあった。ちなみに山間部の祖母の家では戦隊ものをやるチャンネルの電波が入らなかったのでこの頃から筆者は祖母宅へのお泊まりを渋り出すようになる。

カクレンジャー、ジャンパーソン、親父が借りてきたウルトラマン(グレート)や仮面ライダー(アマゾン)、なんか怖いやつ(真・仮面ライダー)......。おもちゃとしても仮面ライダーウルトラマンのソフビセットが与えられ、幼い筆者にも、大体「でかいヒーロー」「バイクに乗るヒーロー」「ロボットのヒーロー」「皆で戦うヒーロー」という区分があるらしい、という理解は何となく出来るようになっていた。

親父と風呂に入ることが好きだった。今から考えるとすぐ出たがる筆者を浴槽に留めようとしていたのだろうが様々なことを教えてくれた。ウルトラマンは兄弟であるが血が繋がっていないこともあるという衝撃の事実、仮面ライダーは皆バッタだと思っていたらアマゾンはイグアナ、タイガーマスクの原作最終回の救いの無さ......。

今考えると親父のすごいところは筆者をちゃんと一人の人間として見てくれていたことである。そこに子どもだから適当に誤魔化しておこうということはなかったし、軽んじることはなかった。その代わり自分の言に反したらひどく怒られた。(散々ねだって連れていってもらったゴジラVSスペースゴジラをおまけをもらった時点で満足してドラマパートが難しくて寝てしまったときとか)

金田一少年の事件簿」が面白いと言ったら金田一耕助の存在を教えてくれたし、麻薬を使っていたことがあることも教えられた。「名探偵コナン」が面白いと言ったらシャーロック・ホームズも麻薬を使う悪癖があることを教えられた。「地獄先生ぬ~べ~」が面白いと言ったら稲生物怪録について。こう考えると単にストレートに知識を与えるのがめんどくさかっただけではないかという気もしてくる。

さて、余談が長くなった。その風呂問答の中で筆者が覚えていることがある。子どもと言うのは、モノを聞きたがるし、クイズをしたがり、勝ちたがる。「とっても! ラッキーマン」にはまってお絵描き帳に自分の考えたヒーローを描いていた時分であった。風呂場で父にクイズを出した。

「クイズね! ○○マンを言ってください。先に言えなくなった方が負けね! あ、ウルトラマンは他のウルトラマンはだめね(自分が覚えてないから)」

勝算があった。父はジャンプではラッキーマンをろくに読んでいまいと考えていた。少なくとも読み込んではいまいと。しかし以外と、親父は答えてくる。勝利マン、友情マン、「会長はいいのか?」と余裕まで見せながら......。しかし筆者はどうにか「三本柱マン!」と勝利を確信した大声で告げた。

ミラーマン

けれども親父はまるで慌てずそういうのだった。全くの想定外の事態に慌てる筆者。

「どうした、言えなかったらお前の敗けだぞ」

そして筆者は敗北した。風呂上がり、早速ラッキーマンを一から読み返して「ミラーマン」を探し出さなくてはと思った筆者を親父は捕まえて、出掛けるぞ、と言った。この事を鮮明に覚えているのはそれが風邪を引いたとき以外で初めてパジャマで外出した出来事だからである。

いつもジャンプ他本を買いに行く「○○堂」であった。(メインは文房具なのだろうが、模型、本、ガチャガチャ、駄菓子、アイスなど様々あり、問屋価格で安かった)その奥、親父がアイスを選んでいる間などに眺めて暇を潰している「てれびくん」や「テレビマガジン」ゾーンで、親父はひとつの本を取った。いわゆるムック本である。

「これがミラーマンだ」

その初めて見るヒーローは、筆者に衝撃を与えた。不思議なことに漫画では沢山いるヒーローを受け入れられていたのに、特撮、実写ではそういったことを考えすらしていなかったのだ。他のページもめくってみた。また違うヒーローがいる。シルバー仮面レッドマン、バロム1、アイアンキング......。その壮烈なる画面に筆者の目は釘付けであったが、しかし親父に取り上げられた。

「帰るぞ」

ぶっきらぼうに言う親父の手には先程のムック本が入った袋が下げられており、代価として筆者は親父の足の裏踏みを帰宅後余儀なくされた......。

翌日からお風呂場での対決がヒーローの名前古今東西となったのは言わずもがなである。そのムックは弟怪獣の襲来により見るも無惨な姿になりはしたものの、一応今も実家に残っているはずである。

クラスに一人は怪獣博士がいた時分であった。家で親父に連戦連敗の筆者はしかし、幼稚園では誰も知らないヒーローを知っている大袈裟にいってしまえばヒーローであった。筆者にとって幸福だったのは、園長先生が親父と同世代で、「ミラーマンを知っているのか!」と反応してくれたことであった。そうでなければ、筆者は嘘つきとして蔑まれていたかも分からない。

かようにミラーマンは筆者にとって親父との想い出であり、特撮観、ヒーロー観を更新してくれた存在であり、また友達と大人が認めてくれ、自己肯定感を高める経験をさせてくれた実に思い出深い作品だったのである。

それが長じて、「人が知らないことを知りたい、もっと深くまで物事を突き詰めたい」という欲求にハマり、オタクめいた人格形成に繋がっていく......。

ミラーマン」そのものは実はしっかり観たことがない。なんだか初恋の人に会うようなきまずさがあって見られないでいるのである。けれど石田信之氏に弔意を表して、今こそ見てみようかな、とも思う。

次に親父と温泉に行くとき、背中を流すときの話の切り出しは「ミラーマン、見たんだけどさ」になることであろう。

ミラーマン大全

大人列車に乗ったあなたが、ダンスを思い出すまで-蛇足・兒玉遥さん卒業に寄せて

余談

昨日深夜から、AKB界隈が騒がしい。またしてもスキャンダル、しかもエースと言うことで蜂の巣をつついたような騒ぎとなっているが、トレンド見るに「お外」ではそこまで話題になっている様子がなかった。さすがに今はネットニュースもちょこちょこ出だしたようであるが。真偽はともかく、脇が甘いと言わざるを得ないし、内外の温度差を見るにつけ、世間の関心を日々AKSが失っていることに何とも言えない気分になる。

本題

本日、兒玉遥さんが卒業する。

既に発表時に、拙文をしたためていたのだが、

 

kimotokanata.hatenablog.com

 惰性でツイッターのトレンドを眺めていた時、あるハッシュタグが過熱していることに気づかされた。

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#兒玉遥卒業公演。

もちろん筆者は知っている。兒玉遥さんは握手会も卒業コンサートも卒業公演もなく、ひっそりと卒業していくことを。

一昔前のAKSなら、あるいはサプライズ公演をしてくれたかもしれないが、少なくとも筆者はそういった期待感はとうに消え失せていた。怪訝に思いながら、一縷の希望を込めて、クリックする。

そこにはファンの、いや敬意をこめてあえてこう言わせてもらうが、兒玉遥オタ諸賢、HKTオタ諸賢の愛があふれていた。推しの花道が無ければ作ればいい。そういった意気込みが見て取れた。

これだ。これが「オタク」なのだ。上げ損ねた快哉をようやく放つことが出来た。

オタは推しに似る、というが、逆に言えばこのイベント一つとっても兒玉遥という人がいかに素晴らしいアイドルであったが窺い知れるであろう。

デビュー以来常に中心にありながら、ついに一つのスキャンダルも出さずに卒業したというだけで素晴らしいことである。

彼女は間違いなくHKTの太陽であった。対照的に、宮脇咲良さんは月としての美しさの比重がより濃い、と筆者は思う。エネルギーの塊、HKTの元気印である兒玉さんと、兒玉さんを初め、周囲の人々のパワーがあればあるほど、それを反射し、増幅し、成長していた宮脇さん。

宮脇さんのメールが、兒玉さんの卒業発表後に着弾した。予感はあったけれど、あの日の発表は予想外だったのかな、と感じた。

大人になんてなるな……

と言えばかつて秋元康氏が渡辺麻友さんの写真集に添えた言葉で、「お巡りさんこの人です」といった気持になったものだが、しかし宮脇さんの、大人になりたくない、でも大人になってしまったという葛藤から、筆者は二つの曲を思いだした。

一つ目はもちろん「大人列車」、もう一つは「ダンスを思い出すまで」である。


【MV】大人列車 Short ver. / HKT48[公式]

今更読者諸賢に説明するまでもない大人列車は開幕の兒玉さんの涼やかな歌声が切ないナンバーに良くマッチした名曲であり、今聞くと

噂聴いてたけど

まさかこんなに急だと知らなかったよ

さよならを言えば

自分の気持ちちゃんと整理できたのだろうか?

HKT48「大人列車」より

と言う歌詞がまるで未来予知の様で筆者の胸をかきむしるが、果たしてこの曲で宮脇さんは「大人」になっていく「誰か」を見送っていくこともまた、卒業を兒玉さんが先んじたことに象徴的である気がする。

 

open.spotify.com

↑(上のリンクから無料で聴けます。すごい時代だなあ)他方、「ダンスを思い出すまで」は少し説明のいる曲かもしれない。IZONEの日本デビューシングル「好きと言わせたい」のカップリングであり、宮脇咲良さんとチャン・ウォニョンさんのユニット曲である。「ご機嫌サヨナラ」もそうだが、このシングルは基本的にカップリングがとてもいい。デビューシングルにこんな曲を持って来て、これIZONE解散コンサートで歌ったら泣いちゃうやつだな……と思ったりしていた。

そして。今回の卒業を受けて改めて聴いてみると、また新たな気付きがあり、そして妄想も膨らんだのだった。

あれかいくつか恋して大人になったけど

あの頃踊ってたようなダンスは覚えていない

(中略)

誰のため踊るのでしょうか

太陽に問いかけてみた

木漏れ日が降り注ぐだけ

ご自由に…見物してちょうだい

―IZONE「ダンスを思い出すまで」より

「大人列車はどこを走っているのか?」がやはり名曲であったけれど「大人列車」のアンサーとしてはちょっと物足りなかったこともあり、改めて聴きなおすとこのフレーズでガンと殴られたような衝撃を受けた。

筆者は夢想する。クセになってんだ……夢想して話すの……やっぱり大人たちは、少なくとも秋元康氏は兒玉さんを復帰させるつもりだったのではないか、と。そこまでいかなくとも、卒業公演くらいは見込んでいたのではなかろうか、と。

そしてその時の曲こそが「ダンスを思い出すまで」だったのではないかと。勿論、なこみくの「生意気リップス」のように、成長したときに照準を合わせてこういった歌詞をウォニョンさんに提供した、というのもあるのだろうが、歌詞のストーリーがあまりに「はるさく」コンビにはまってしまうからである。ダンスが比較的簡単であるのも、ブランクのある「誰か」に合わせたようにすら思えてしまう……。

全ては夢想である。夢想であるけれども、兒玉さんがとうとうダンスを踊ることなくHKTを去ったことが、やはり筆者には悲しく、それをオタク諸賢の「#兒玉遥卒業公演」というイベントによって慰められたことが嬉しく、思わずこのような記事を書いてしまった。

公演の最後、挨拶をするときにやっぱりちょっと噛んでしまって、劇場が温かい雰囲気に包まれるような、そんな光景を幻視してしまったのだ。

いつかまた、一途なダンスを見てみたいと思う。重ねてお疲れさまでした。

願わくばノイズのこだまも聴こえぬはるか先まで走れかし―HKT48兒玉遥さん卒業に寄せて

兒玉遥さんが卒業を発表した。
個人的には指原莉乃さんの卒業イベントにも一切姿を見せなかったため、まだまだ療養に時間がかかるのかなと思っていたので驚いた。
かつてHKT48とは兒玉さんの、「はるっぴ」のことであった。
特徴的なヘアスタイルと幼さはまさしくHKTというニューウェーブの象徴で、当時は本店(AKB48)で手一杯だった筆者はそのエナジー全開ぶりがフレッシュで、頑張って欲しいと思う反面、本店の貴重な選抜枠が削られることを恐れたりもした。


【MV full】 真夏のSounds good ! (Dance ver.) / AKB48[公式]


夏シングル「真夏のSounds good !」でその予想は実現した。(えっ……7年前?)と言っても史上最大人数の選抜人数では芋洗い状態でろくに映ってもいなかったが…(筆者は3’33辺りで辛うじて発見できた)
HKTでの勢力図は結成当時の「はるなつ」コンビ(兒玉さんと松岡菜摘さん)から総選挙等で頭角を表してきた宮脇咲良さんとの「はるさく」コンビが火花を散らし始めていた。なんだかんだで指原さんがHKTにやって来たり多田さんもやって来りもしていよいよHKT48名義の初めての曲、「初恋バタフライ」が発表された。あの島崎遥香さんが大ブレイクするきっかけとなった「永遠プレッシャー」のカップリングだ。


【MV full】 永遠プレッシャー / AKB48[公式]


【MV full】初恋バタフライ / HKT48[公式]


センターは兒玉さんではなかった。宮脇さんでもなかった。その年に加入したばかりの二期生、田島芽瑠さんであった。(このことに関して、NGT48名義曲が誕生したときに暫定センターから降ろされてしまった現研究生の加藤美南さんとそのつらさを共有できる先輩として相談に乗っていたことが今となっては懐かしく思い出される。今回の騒動をどんな気持ちで見ていたのだろう)MVを見るとなるほど納得の透明感、フレッシュさ、センター力を感じる。ここに兒玉さんは、宮脇さんは、「若さ」だけで戦う道を早くも断たれてしまった。そしてそれぞれが女の子から少女へと覚醒し、例えば宮脇さんはさくらたんから咲良さんへ、といわれる脱皮のストーリーを自らプロデュースして見せた。


【MV full】控えめI love you ! / HKT48[公式]


4枚目のシングルにて見事、兒玉さんはセンターを射止め、5枚目のシングル「12秒」にて宮脇さんとダブルセンターを務めた二人はまさしくHKTの顔だった。博多座での抜群のコメディエンヌぶりと、パフォーマンスのはつらつさは今も筆者の目に焼き付いている。兒玉さんと宮脇さん、どちらが欠けてもあの時のHKTのおもちゃ箱的な楽しさ、日々ブラッシュアップされる物事を見ていく喜びは味わえなかったであろう。
二人の切磋琢磨ぶりはしかししばしば、二人のファンの対立や過激な言動を生んだ。兒玉さんのファンが兒玉さんへ、あれは755だったと思うが、兒玉さんが大好きだから宮脇さんより上になって欲しい、といった旨の投稿をした。彼女はそれに答えた。


「そうやって、いつも比べないで。あなたが大好きならそれで幸せだから」


短い文章だが、ファンへの愛とたしなめ、宮脇さんへのいたわり、兒玉さんの優しさが色濃く出た出来事として筆者は強く印象に残っている。そうしてまた、彼女は、彼女たちはどれだけ様々なあるときははっきりとした、あるときは自覚のない敵意や悪意に晒されてきたのだろうと悲しくなったのもまた覚えている。


一年半の間、彼女は療養していた。そうして次の進路が決まった電撃卒業発表に、やはりしっかりとHKT48としての彼女にお別れを言えないファン諸賢の悔しさ、悲しさがちらつくけれども、療養する前、間、そして今になっても吹き荒れる言葉の洪水を端から見るにつけ、けれどやっぱりこうするしかなかったのかもしれない、と筆者は思わざるを得ないのである。きっと誰よりもHKTが好きだといってくれていた彼女こそが無念に違いないと。
筆者は夢想していた。指原さんが卒業し、宮脇さんと矢吹さんが一時離脱したこの状況に兒玉さんが颯爽と復帰することを。HKTの新章の扉を開くのは、いや新章の扉を開くのも、やはり兒玉さんだったんだと、「はるっぴ」だったのだと快哉を上げたかった。残念ながら一切は夢のまた夢であったが、本人の目指す夢を応援したい。


2016年の彼女の総選挙のスピーチを思い出す。前年、17位と目の前で逃した選抜入りを9位という文句なしの順位で手に入れた彼女は、秋元康氏から贈られた言葉だとして「夢はてを伸ばした一ミリ先にある」という言を引いた。一年半あまり、長い「一ミリ」の果てに素晴らしいものを掴めることを祈っている。

次に彼女の声を聞くとき、かつて噛み7とまで言われたいつもの舌ったらずな可愛らしい声なのか、それとも心身が万全というのは滑舌まで含んでいて、女優業に向けて全く生まれ変わっているのか。
どちらなのか楽しみではあるけれど、どちらにせよその時、筆者は改めてHKTのひとつの区切りを、終わりを感じるのだろうなと思う。
お疲れさまでした。

「ブエノスアイレス」は「フィンランド」より「シンガポール」より遠いーIZONE日本カムバック曲「Buenos Aires」初見感想

余談

休日の朝は何故か早く起きる。子どもの頃からいつもそうだ。妻は大体まだ夢の中にいるので、その間に洗い物をしたり、ごく簡単な朝食を作ったり、シルバニアに関する工作をしたりする。起きたときの妻の「わあ!」が聴きたいのである。

昨日も五時に起き、それゆえ十一時くらいにはもう眠かったのだが、辛抱して起きていた。「シブヤノオト」でIZONEの日本カムバック曲がTV初披露されるからである。見ないわけにはいくまい。

本題

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そして見た。最終的に多重債務ボーイズ諸賢がすべてを持っていった感があり、この才能を未成年の女の子が多い今回にぶつけるセンスに深夜のNHKの尖りっぷりを感じるが、全体としてあっという間の30分であった。まさか夫婦で宮野守さんの歌に合わせて筋トレをする日が来るとは。ゲストを繋ぐキーがチャンカワイさんというのも笑ってしまったし、リトグリがこの時間に見られるようになったんだなあと思ったりもした。

ウォニョンさんの「ほれてまうやろー」の意外な低音は往年のたかみなさんを彷彿とさせたし、イェナさんの「松本人志さんにいただきます」エピソードは微笑ましく、渡辺直美さんの「女の子同士だと仲が……」といういじりに対して一番端でありながら誰よりも早く首を振って否定したヘウォンさんが嬉しかった。ユリさんの歌声も聴くことが出来た。日本においてもそつなく会話を回すユジンさんの頼もしさ。宮脇咲良さんがメールで送ってくれたユッケデリバリーに対して言及することに喜ぶ妻。ただやっぱり、30分番組で全員に華を持たせるのは難しいよな……といったところ。特にダンスメンの不遇が目立った。本番のパフォーマンスではもちろん素晴らしいものを見せてくれたのであるが。

特に今回フィーチャーされているキム・ミンジュさんがトークに絡まなかったのはちょっと残念だった。ミンジュさんは泳がせば泳がすほどディープな笑いにつながるトークを隠し持っていて、それが筆者は好きなのだが、生放送の尺では厳しかったのかもしれない。(YouTubeの近況映像でもよく途中がカットされている)


IZ*ONE (아이즈원) - Buenos Aires MV Teaser 1


IZ*ONE (아이즈원) - Buenos Aires MV Teaser 2

さて本命のパフォーマンス。もちろんティザームービーは何度も再生していた(こういう韓国のカムバック文化を取り入れるのはとても良いことだと思う)相変わらずダンスは素晴らしいものがあった。というか皆足が長すぎるし稼働域はどうなっているんだと毎度ながら驚かされる。あのコンセプト評価の名曲、「Rumor」を思わせる振り付け、KPOPにしばしば見られる腰振りを下品でなく落とし込むなど随所にニヤリとさせれらるし、曲も良い。イントロの異国を感じさせる流れからサビに向かってだんだんと石造りの建物が立ち上がってくるかのような、しかし南米の情熱も包括しているような音作りがとても好きだ。

ただ、それを受け止める歌詞が今公開された範囲だと、う、ううむ、と筆者は思ってしまうのである。先だって「太陽は何度でも」公演で新旧様々な秋元康の本気を見せられたからかもしれないが、しかしもうちょっとなんとかならなかったのかと思う。逃避行の歌詞ならNGTにでも投げてやれよとも思う。

いきなり見知らぬ単語から曲がはじまる。ブエノスアイレススペイン語である(良い風=順風の意味であるらしい)(いいですよね……レスレクシオン・セグンダエスパーダ……)のでスペイン語で引くが、出てこない。どうもフランス語であるらしい。英語での「Do you want?」となるようだ。実際のブエノスアイレススペイン語を主とした多言語都市で、フランス語も話されている。「南米のパリ」とブエノスアイレスが謳われていることが影響しているのかもしれない。

歌詞中で「映画で見た町並み」とあるが、その名の通り「ブエノスアイレス」という香港映画がある。トニー・レオンが同性愛者を演じたことでも話題になったこの映画は、しかしブエノスアイレスでの「やり直し」に失敗し、悲恋で終わる。そして元恋人の実家がある台北にて主人公は「会いたければどこでも会えるのだ」と結論付けて映画は終わる。ウォニョンさんが台湾にルーツを持つことまで考えてこの映画を引用した……とは、筆者はちょっと思えない。ミンジュさんをクローズアップすることと矛盾するからである。(ただ、曲調の不穏さ的に二番で映画みたいに悲恋で終わりそうだなあ、逃避行失敗しそうだなあ、そもそも行けなさそうだなあとは思う)

タンゴについても言及がなされるが、ブエノスアイレスはタンゴ発祥の地であるらしい。後半に出てくるタンゴは、違った単語は今度こそスペイン語で恋人といったようなニュアンスであるようだ。

うーん……。

この感覚を、筆者は以前にも味わったことがあった。STU48参上! を聴いたときである。瀬戸内のいわゆる名所、名物が特にこだわりもなく並べられており、「やすす、あんた『瀬戸内 名物』でググって出てきたものを適当に歌詞に入れ込んでいるんじゃ……」と感じたものである。

なぜブエノスアイレスだったのだろう? まず逃避行がテーマにあり、前述した映画と同じように「地球の裏側」であるからという発想から来たのか。筆者がブエノスアイレスで調べて思い至ったのは、ソウルと姉妹都市であり、(ちなみに大阪も)ここから企画がスタートしたのではないか? という考えである。まずブエノスアイレスありきであり、そこからパッチワークのように繋ぎ合わせてこのような歌詞が出来上がったのではないか、と。そうでも思わないと、どうにもちぐはぐで、ブレブレで、出だしのフランス語がだんだん「ぶれる、ぶれる」と言っているようにさえ聞こえてしまう。

多分意図的にちょい古を狙っているのだとも思うが、歌詞も素晴らしいものがあったVioletaに比べるとちょっとこれは苦しい。サビ前は結構好きなのだが、そこはどちらかというとハロプロらしさを感じてしまうのがなんともはや、である。

秋元康氏の作詞曲には「フィンランド・ミラクル」(んんんんんまなつううううううう)と「まさかシンガポール」(PRODUCE48でも目覚ましい活躍を見せた白間美瑠 さんがセンターを務めた)という曲がある。前者はフィンランドの伝説に端を発して、実際は行かないけれどそこから自分の心に大切なものを見出だす、という歌詞であり、後者は恋人が一人でシンガポールに行ってしまったのを追いかける、という「シンガポール」という距離感的にも「まさか」と「でも行こうと思えば週末とかでも行けそう」が絶妙で、どちらもその地名を設定する必然性が歌詞にある、と思う。フィンランド大使館のTwitterで前者は言及されたりしている。翻って、本作にその必然性があるかというと、ちょっと首を捻ってしまう。

それと、衣装である。何かしらコンセプトがあるのだろうが、しかし似合っているメンバーとそうでないメンバーの差が激しいように思う。何でウォニョンさんはジャージを着せられてるんだ。「ご機嫌サヨナラ」のときも思ったが、素材がグンバツだからって何でも着せていいわけじゃないぞ、と思う。総じて韓国では100の素材を200にも300にもしてくれているが、日本では本人たちの魅力でなんとか100を保っている、というように思えてしまう。こんな言い方はしたくないが……。

歌詞に関しては未出の部分が出てきたら手のひらを返す準備ができているのでよろしくお願いしたい。衣装に関しては、早くオサレカンパニーを引きずってでも連れてきて欲しい。発売が楽しみである。その時はまた感想を書きたい。

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パソコンを卒業する日ーブログ記事作成環境を改善した話

お陰さまで妻と日々慎ましくも楽しい日々を送らせていただいており、前回更新後以降も読者諸賢にお伝えしたい様々なことがあった。より正確に言えば、更新前にもお伝えしたいことは山積していたと言って良い。

鹿児島で唯一の国宝である名刀・國宗を鑑賞したり、大正琴を引っ提げて慰問に行ったり、今度こそ家計簿を継続するぞとzaimを導入してみたり、私淑するブログ様のイベントが賑やかに開催されたり、これまた愛読しているブログ様がそのイベントに参加されていたり、山口真帆さんが研音に移籍したり、指原莉乃さんが卒業したり、弟の引っ越しを手伝ったり、どしゃ降りのなかかのやばら園に行ってうつくしいばらとシルバニアファミリーのショーを満喫したり、キンプリを見たり、独歩くんのお誕生日が来たり、produce101xを見たり、妻が大阪に行ったり、歯科業界のコミケに行ったり、確定申告の下ごしらえをしたり、佐賀で肥前忠広に邂逅したり、大川でうまい肉を食べたあと温泉を満喫したり、橋のライトアップを見たり、福岡でド級の海鮮丼を食べたり、タピオカミルクティーを飲んだり、ヒプノシスマイクの限定商品を購入したり、台湾旅行を計画したりと。

しかしそれだけのことがありながら、筆者は読者諸賢にブログでもってお伝えを出来ていない。言い方はよくないが、旬がいくぶん過ぎてしまった内容もある。何故か。忙しかったのか。それはないわけではない。連休前には「令和でお会いしましょう」でやり過ごしていた諸々の仕事が律儀にも令和で待っていてくれたため義理を果たすことにかなりのリソースを費やしていた。しかし五月に限っては、基本的に定時から一時間程度で帰宅できる日々が続いてもいた。

なのになぜ更新が減少してしまったのか。

ひとつは外的な要因として悲しいニュースがあまりにも立て続けに起こり、単純に気が塞いでしまったことと、こんなときにお気楽なニュースを太平楽にお届けすることに意味があるのだろうかと複雑な気持ちになってしまったことによる。あるいは、不器用な黙祷であったと言えるかもしれない。けれど結局のところ、筆者は筆者の人生を精一杯に生きる以外になく、その一つとしてブログの更新をこれからも続けようと月が替わることで自分の気持ちにひとつ区切りをつけた。

もうひとつは百聞は一見にしかず、こちらである。

実は昨年末ごろから髪の毛一筋ほどの横一文字のラインが液晶に入ってはいたのである。視認性は劣るものの、使えないこともなく、PCを修理に出して使えなくなる方がデメリットが大きいと思ったのでそのままにしておいたが、敵はそれをこちらの無条件降伏と見たのか、領土拡大に乗りだし、気づけばこのような有り様となってしまった。某かの悪意が介在したとしたとしか思えない絶妙な位置に黒いラインが入ってしまい、特にブログはすこぶる書きにくい。丁度打鍵する位置にこのラインがかぶるのでこの部分が全く見えないのである。ここですここ。これがまったく見えないのである。

もうヒジョーにイライラするのである。何でブログを書こうとするたびにセルフで「箱の中身はなんだろな」しなくてはならないのか。もう一つ、我が家には書斎兼物置兼作業部屋兼趣味解放部屋のようなスペースがあって、基本的にはここがPCの定位置であるのだが、最近は我が家でproduce101の過去シリーズがリバイバルしており、居間にてPCとテレビをhdmiで接続して大画面で鑑賞する、という機会が増えた。こうなると、狭い我が家とはいえケーブル等の取り回しもあってPCを都度移動させるのは億劫である。必然、居間に鎮座したままになるが、基本的に筆者は創作はたとえ愛する妻であれ、であるからこそ余計に気恥ずかしいので目の届かないところでこそこそやりたいタイプの人間であるので居間で打鍵は避けたい。あと、妻のボクササイズ(フィットボクシングを毎日頑張っている。えらい)の射程範囲にはいるので物理的にも危ない。かようにPCをプライベートに使うのに物理的・心理的ハードルが上がってしまったのが原因のひとつであった。

これをいかにして解決すべきか、本日の天気のように筆者の心中もモヤモヤとしていたが、ともあれ妻と共に週末恒例まとめて食料品調達の旅に出ることとなった。そこで、原稿の話となった。幾度か述べたが、妻もまた創作を嗜む。来月また、遠征を予定しているが、それについて相談があるようであった。

Bluetoothキーボードを検討したい」

ということであった。出先では見慣れぬものに感性が刺激され、創作がわき上がる。あることだろうな、と思う。ところがそれを書き留めるのにPCを持っていってはかさばるし、起動にも終了にも時間がかかる。電源の確保も心配せねばならない。アイデア程度であればスマホフリック入力でもよいのであろうが、しかし創作欲に追い付かないときもある。

Bluetoothキーボードならば! スマホにメモ帳アプリであっても、そこに思いの丈をダダダダダと流し込めるのである、これは実際やるかは別として空港のラウンジや機内などでも出来そうなコンパクトさも嬉しい、というのが妻の主張であった。カーズがあわ状プロテクターに至った経緯を思い起こさせるが、ともあれもっともな意見だと思い、またそういった状況であればポメラという選択肢が思い付いたであろうに、家計のことを考え既存のデバイスを使って費用を抑えようとしてくれている妻の心遣いが嬉しかったので寄り道をして家電量販店に立ち寄った。取り扱いは一点、3000円。高くはないが安くもなく、Bluetoothは相性や入力のラグも気にかかるので検証できないところに不安がある。一度保留とし、近場のリサイクルショップに向かった。あったのは二点。1000円と2500円。店員さんにお尋ねしてみたところ、試してもよいという。テスト用の電池まで貸してくださり、夫婦で試してみる。妻が気に入ったのは2500円の方であった。しかし慣れたら1000円の方が使いやすいかもしれない。熟考しているようであった。この時、筆者の頭に天啓が下った。

筆者も買えば良いのである。その旨を妻に告げ、二台ともを引き取り意気揚々と後にした。

買い出しを済まし、帰宅した筆者は早速キーボードをひとつ持って書斎へと向かった。そして出来上がったものがこの環境である。

ジョジョスマホ導入以来、大容量かつ丁度良い画面サイズで電子書籍スマホで閲覧することが増えており、活用機会が減っていたタブレットBluetoothキーボードによってにわかにブログ記事作成マシーンとして息を吹き返したのである。傾斜が必要であるので段ボールにシルバニア工作で余ったシートを貼って台を作成した。意外とマットな質感で滑り止めになって良い。

キーボード自体も軽い打ち心地で良い。レビューでは接続が切れやすいとあったがゼロ距離のためか特にそのようなこともない。ただ、なにか設定の問題だと思うのだが鍵かっこが両方とも右向きで入力されてしまうのが困る。Jガイルかよ。

写真はスマホから共有したものをGoogleフォトを介して掲載できるので特に不便はない。playストアをシャットアウトしているKindleGoogleフォトを使わせるのはちょっとした背徳感がある。

現状の問題としては前述したようにキーボードの構成が把握できていないところだろうか。ハッシュタグがうまく入力できないのを何とかしたい。ともあれ自分の打鍵した文章を確認しながら記事を進められるという当たり前のことが出来る喜びを噛み締めている。また適度に更新をしていきたいと思う。

最高を何度でもー菅原りこさん、長谷川玲奈さん、山口真帆さん卒業公演「太陽は何度でも」感想

早、三人の卒業発表から一月が経とうとしていた。

あの日以来NGTという単語を見るだけで頭痛がするようになってしまったので意識的無意識的にシャットダウンするようにしていたのだが、妻が卒業公演もDMM配信されると教えてくれたので最後にリアルタイムで三人を見られる機会(その時に卒業公演が三人でということを知り目眩に襲われた)だと思い、再びDMMに課金することにした。

相変わらず、定刻には始まらず、その詫びもなかった。少しすると音声のみで山口さんが会場のファン…いや敬意を表してオタ諸賢とするーに対してメッセージを告げているのが聞こえてきた。オタ諸賢の嗚咽が聞こえた。間もなく菅原さんの明るい影ナレが始まり、彼女達のNGTの終わりが始まった。

 M1 Maxとき315号

開幕、まず「本当に三人なんだ…」という気持ちが立ち上がったが、数瞬後にはその素晴らしいパフォーマンスに夢中になってしまった。アイドル百人力×3である。この曲自体もとても好きな曲で、三人がのびのび歌っているのが本当に嬉しかった。Maxとき315号はダイヤ改正により今は存在しない。そしてこの三人のNGT48としての姿も、もう間もなく。


M2 ファースト・ラビット

早速変化球で来たなという印象を受けた。しかし題名の通りの「ファーストラビット」であった山口さんのあえてこういう言い方をすれば「末路」を思い起こしてはっとさせられた。


M3 完璧ぐ~のね

今度は派生ユニットからの一曲と展開を読まさせない。渡辺麻友さん好きを公言する山口さんにふさわしい曲、アイドルのお手本のような振り付けがとても可愛いが、やはり歌詞と運営との対立が重なるようで深読みしてしまう。


自己紹介MC

山口さんてこんなに朗らかに話すし、甘える人には甘えるんだなあというのが改めてわかった。最後になるであろう自己紹介を会場中で受け止めている図が微笑ましかった。

長谷川さんはMCが不安だと言っていたが、起伏もあり落ちもついていて、何より愛嬌と声がよくあと二時間くらいMCでいいなと思った。


M4 おしべとめしべと夜の蝶々

あーっだめだめえっち過ぎますと見ている方が照れてしまうこの楽曲を滑り込ませてくるとは…!

そのギャップによるパフォーマンスの妙はもとより一連の騒動への皮肉も感じられてまたもニクい選曲であった。

 

M5 希望について

そして今度は0048から持ってくる。隙が無さすぎる。以前よりよい歌詞だと思っていたが、長谷川さんが歌うことでさらにその言葉がこちらに向けて飛びかかってくるような曲になっていた。彼女たちは騒動の先に進んでいるのだと確信できる力強さ。激しい動きに声が負けていない。


M6 虫のバラード

千秋楽では歌えなかったこの曲を満を持して菅原さんが歌う。ショートカットにしたのがビジュアルに抜群の説得力を生み出している。これが先程までのぽわぽわガールかと二度見したくなるような魂の絶唱。真実への惑い。NGTは、彼女を一人の歌手にした。人を信じる心に傷をつけることによって。この悪魔の交差点の先に彼女が救われることを願う。

MC

可愛らしい衣装(オサレカンパニーのこの公演用のオリジナル衣装)でやってくる長谷川さん、山口さん。早速おしめしでのキッスを詰問する長谷川さん。開き直って回数が一回少ないことを憤る山口さん、遅れてやってきて件の出来事について淡々と返答する菅原さん。それぞれの個性が増幅させ合ってとても愉快なMCである。三時間くらいやって欲しい。床になって聞いていたい。


M7 ウィンブルドンへ連れて行って

かつて(2012年くらい)筆者はSKE箱推しだった頃があり、その太古の記憶を刺激され勝手ながらジーンとくるものがあった。オリジナル公演でも七曲目であることを踏まえてここに持ってきているのなら恐ろしいことである。名も知らぬ人を応援する歌の主人公は「あなたの夢を見つけてください」と応援する側へエールを送ってくれた山口さんの言葉に重なるものがあった。

M8 残念少女

来たか……! と言う感じ。「彼女たち」に対してお前らがやっている事なんて「アイドルサイボーグ」渡辺麻友が10年前に完璧にパフォーマンスによって消化し、昇華しているんだが今更身を張ってやるなんて馬鹿なの? ギャグなの? というエッジ鋭い批判に真の「残念少女」達はぐ~の音も出まい。妻は小道具がガラケーからスマホに変化していたことに時代の流れを感じていた。

M9 ハート型ウィルス

個人的にはノースリーブスの印象が強いので三人で歌う曲として馴染みがあって良かった。単純に筆者もハート型ウィルス感染していたため記憶があいまいだが、「免疫がなかった」辺りの歌詞をやはり穿って考えてしまい事件の傷が自分にも根深いことを改めて知った。


M10 キャンディー

 

筆者の中ではあみなちやんを思い出す曲。ハート型ウィルスもそうだが小道具までいちいち可愛い。お手本の様なアイドルぶりの中、「女の子は楽天的」というリリックがやはり胃の腑にずぶずぶと沈み込んでくる。


M11 Only today

 昔と何もかもが変わったことを誰よりも知っている三人がまたもメッセージ性の強い曲を容赦なく見る者へ提示してくる。ポップであることが余計にNGT48の異常事態を知らせてくれているように思えた。


MC

前曲の「今日だけは付き合って」に呼応するようにNGTメンバーがやってきてくれた。妻は推しメンである小熊倫実さんの去就を気にしていたので、駆けつけてくれたことにたいそう喜んでいた。卒業するメンバーたちとの思い出を披露するメンバーたちの表情はやわらかで、卒業するメンバーたちの人柄が偲ばれたし、残るということで今後様々な辛苦が予想される中でそれでも来てくれるありていに言えばその「絆」に目頭が熱くなった。最後の曲、「桜の花びらたち」か皮肉も込めて「世界の人へ」辺りを予想していたが……

 

M12 黒い羊

これにはぶち抜かれた。それまでのセットリストは所謂「匂わせ」であったがここにきてど真ん中ストレート剛速球だ。拾う時点でネットニュースが騒然としたのも当然であることだろう。

この曲を山口真帆さんが歌う。恐ろしいことに、それでついにこの曲が完結した様にさえ筆者は思えてしまった。最後のピースは、そうであったのだとさえ。今後本家本元の「黒い羊」を聴いても残念ながら生き様をレペゼンしたこの日の黒い羊に叶うものは今後出て来ないであろうし、出てきてたまるかと思う。こんな曲がアテ書きのように「ハマって」しまうアイドルなんてこの世に一人もいていいはずがないのだ。

けれどもこの曲をパフォーマンスする山口さんは、ゾッとするくらい美しかった。振り付けであるとわかっていても、舞台で突き飛ばされ打ちひしがれる山口さんを見るのは心が痛んだが、それでも目をそらせない鬼気迫る迫力があった。

彼女は間違いなくアイドルだ。パフォーマンスで運営の喉元に匕首を突きつけて見せた。


アンコール

それぞれのオタク諸賢の口上、声は上ずり、言葉に詰まるときもあり、周りからもすすり泣きが聞こえた。さぞや無念だったろうと思う。それでも、もちろんこんなことは許されないけれど、最悪の最悪にまで発展しなかったのはアンコール口上を務めてくれたような良識ある本来的な「オタク」のお陰であるとせめて少しでも彼らの労を称えたい。


EC1この涙を君に捧ぐ

再び0048より。彼女たちは宇宙刑事よろしく一足お先、光の速さで明日へダッシュしていることが伺いしれるセレクトだ。そしてアンコールと言うオタクからの愛にこれほどストレートに答えることが出来る曲であることを、改めて気付かせてくれる素晴らしい構成でもあった。三人の衣装は穢れを払い落としたかのように爽やかにお色直しされていた。


お手紙①

さすがに他のメンバーからとはいかなかったか…と残念ながらも期待の方が大きく聞かせてもらった三人それぞれがそれぞれへ書いた手紙。それぞれの人物像が良くわかる文章であり、エピソードであった。運営については諦めていたが、仕方がないとはいえ距離を取ったメンバーがいることが明らかになるのはやはりつらいものがあった。名前まで挙げないのは武士の情けか、内部崩壊を牽制しているのか。それぞれがそれぞれにとって欠かせない支えとなっていたことがじんわりと伝わってくる温かい文章だった。


EC2 太陽は何度でも

そしてまさかのオリジナル曲。妻と事前に秋元康Pが

①楽曲を書き下ろす

②三人で再デビューさせる

あたりをするのではないかと半ばやけくそで予想したりしたのだが、まさかニアミスするとは。優しく、しかし決して弱くはない曲調と歌詞。もちろんそんなことをするより先にやることが色々あるだろうというのはその通りだと思うのだが、山口真帆さんたち三人がアイドル公演と言う形を以て運営に決別をするのであれば、彼女たちのその熱意には楽曲提供で応えるという秋元康という人の矜持を垣間見せてくれたのだと筆者は信じたいと思う。そういう気持ちに三人がしてくれた。

お手紙②

AKBファンたちは知っている。奇跡は間に合わないことを。けれどそれ以上に、時には間に合うことを知っている。ある年の総選挙で。ある年のリクエストアワーで。そしてその歴史に本日新しい一ページが刻まれた。

村雲颯香 さんの登場である。

山口さんが言及したメンバーの中で唯一NGT残留を決意したメンバー。過酷に生きることは過酷に死ぬより何倍も力がいるという。それは特に現状の「NGTでのアイドル人生」においてはそうであろう。単純に今後は様々な軋轢が四倍になる可能性だってある。けれど彼女は残留し、そして三人に心のこもったユーモアあふれるお手紙を返し、三人はそれに負けないくらいの言葉と、そしてエールを彼女に送った。長谷川さんの「ずっと村雲さんが推しメンでよかった」という言葉にとうとう涙してしまった。

オタク、これがメンを推すということで、信じるということではないですかと。

 

EC3 桜の花びらたち

そうして彼女たちは最後にAKBGの象徴の一つである曲を歌い、桜のように美しく潔く散っていった。

次への指針を残して。

筆者もそんなに劇場公演を観る人間ではないのだが、しかし今回のセットリストは身震いするほど素晴らしいものであった。かつてのHKTコンサートのようなワクワク感があり、もしかして指原莉乃さんがその構成にいっちょ噛みしていたら面白いと思うし、仮に山口真帆さんや菅原りこさん、長谷川玲奈さんたちでこのセットリストを組んだのだとしたら、AKBGはお手本の様なアイドル三人を失っただけではなく、将来の裏方、グループの屋台骨、中核を担うことのできる企画・構成・発想力を持った人材をみすみす手放してしまったということになる。全く同情はしないが。

アイドルは死んだ。運営が殺した。新潟出身の二人が新潟に対して罪悪感を抱くなんて絶対に間違っている。そんな状態でも彼女たちはオタクに感謝してくれて、どこまでも胸が苦しくなる。

始めは野次馬根性でもいい、アーカイブ配信がなされたら是非、「太陽は何度でも」公演を未見の方は観てほしいと思う。誇張でもなんでもなく日本アイドル代表の姿がそこにある。最後の晴れ舞台を目に焼き付けてほしい。

三人の煌めきは観たものの中で永遠に輝き続けるであろうし、その炎が彼女たちの次のステージでより燃え盛ることを期待してやまない。NGT48に所属していたことなんて、彼女たちのヒストリーの中で一行ちょろっと書かれるくらいの些細なことになってしまうくらい前途が洋洋であることを祈る。

またね。

 

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