カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

落第阿房列車その五 遥かなる旅路さらば京阪よ

余談

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ブラタモリ」#98,#99を観た。#100をとれないあたりが、鹿児島の鹿児島たる所以を雄弁に物語っているように思われたが、ともあれタモリさんが当地を訪れてくださるというのは望外の喜びである。というか、かごんま弁が大変お上手である。さすがハナモゲラ語マスターはすごい。

大木公彦名誉教授の喜びようも見ていて嬉しかった。「三月のライオン」や「風雲児たち」で描かれたように、極めてしまった人というのはえてして孤独である。そこにタモリさんのような知識・洞察力に優れた人がやってきたらそりゃあ嬉しいだろうなあと思う。そのリアクションに見ているこちらも毎度笑顔になってしまった。

また、かつて記事で書いたように不便な土地を常日頃自虐してきていたが、不便なばかりだと思っていたシラス台地を肯定してくれたようで嬉しかった。文字通り、我々と戦国、維新の薩摩人が地続きであることを改めて感じられた。

本題

時を、三月五日の朝に戻す。筆者の京都大阪の旅の大目的がミミズクヤさんで着物を購入することであったこと及びでごへなさんご夫婦にお会いすることであったことは、既に述べた。一方妻の大目的としてはこちらも既に述べたが筆者がこれから書き道を迷わないように再度書き添えさせていただくと、

・「活撃刀剣乱舞の世界展」へ行く

北野天満宮で参拝及び「宝刀展Ⅹと続『刀剣乱舞-花丸-』特別展」へ行く

・「京都刀剣御朱印巡り」を完遂する(粟田神社、豊国神社、建勲神社、藤森神社を参拝する)

ということであった。このうち「活劇刀剣乱舞の世界展」へ行く、粟田神社、豊国神社への参拝は既に達成できた。乱暴に言ってしまえばあと三スポット(北野天満宮建勲神社、藤森神社)を訪れることがこの旅の残りの目的である。

このうち北野天満宮建勲神社は下図左上二つの星であり、わりかし近場であるのだが、問題は藤森神社で、図の青く囲った星である。逗留先は二条城の近くであるから、ずいぶんと離れている。公共交通機関を使うと一時間以上。例によってどこをはじめに参拝するとしても、社務所の関係上スタートは九時であり、新幹線は新大阪を出発するのは十四時九分であるから京都からは十二時過ぎには出ていたいところであることを考えると移動も含め三スポットを三時間程度で見て回る、ということになる。

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少しでも効率よく回るため、最終日は豪勢にタクシーで移動することにした。世の中にはお金で買えないものがたくさんあるが、観光時間は買える。これにあたって、都会の読者諸賢は御用達かもしれないが「全国タクシー」というアプリを導入することにした。スマホからタクシーを呼び出すことが出来、しかもネット決済をすることによって支払いは省略できクーポンまで活用できる。電話が苦手な筆者にとって非常に心強い。早速逗留先から呼び出すと、到着時間は十分ということだったが思いのほか早く来てくれた。GPSでタクシーが今どのあたり、とわかるのもすごい。一路、北野天満宮を目指す。

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北野天満宮

平日朝ということもあり、予定よりだいぶ早く着いた。誤算だったのは、ここで雨が一気に強くなってしまったこと。我々は傘を持っておらず、また手提げは紙袋であった。幸い運転手さんが門近くで降ろしてくれたのでしばし雨宿りする。

誰もいらっしゃらない早朝の受付所は新鮮であった。参拝がてら境内をぶらぶらする。といっても雨がますます強くなるのでじっくり足を止められないのが残念なところ。途中、コンビニにでも寄ってもらって傘を購入するべきであった。

 

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八年前、弟の合格祈願に参拝して以来の北野天満宮は相変わらずの威容であった。

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九時を過ぎるとご同業(審神者)が続々いらっしゃったので、それに紛れるかのように粛々と入場する。スマートフォン等での撮影許可、本当にありがたい。

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この猫丸など形と逸話が面白く今すぐでも刀剣男士として登場できそうであるし、

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この脇指のインパクトと来たら破格である。

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小烏丸造の太刀は拵も美しく正しく宝剣の趣があった。

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青江恒次の太刀は細身ながら重厚さで我々を圧倒し、

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本命・髭切(鬼切丸)もまた、これなら鬼も切ったかもしれぬという言い知れぬ説得力を全身から生じさせていた。

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よした弥の彫りはただただ感嘆するばかりであるし、

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また、薩摩の誇る名刀工、波平行安の短刀と出会えたのは嬉しい驚きであった。

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東風は吹いていないが、梅は美しかった。

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建勲神社

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続いては建勲神社。我々を試すかのように石段が立ちはだかる。雨もあり、なかなか骨が折れた。写真を撮るのも難儀であった。そんな中、格別にフランクに対応くださる社務所の方に心まで温まる心地となる。

参拝後、タクシー到着まで雨宿りをしていると、男性が「私はレインコートがありますから」とビニール傘を譲ってくださった。もごもごお礼を言っているうちに、男性はさっそうとロードバイクで立ち去って行かれた。筆者もこのように粋な振る舞いが出来るようになりたい。本当にありがとうございました。

その後、とうとう手提げ袋が決壊したため、また空腹も限界に達したため、最寄りのコンビニにて送れるものは宅急便で送り、おにぎりを流し込んだ。

藤森神社

いよいよ最後の目的地である藤森神社に到着したのは十一時半頃であった。

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菖蒲の節句発祥の地ということもあってか金太郎像があったり、

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駆馬神事発祥の地ということで一際立派な神馬像があったりした。競馬ファンもよくお参りにくるらしく、専用の絵馬、お守りもあった。

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妻も粛々と参拝し、お守りを複数購入していた。

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宝物殿にて拝観した鶴丸国永の写しはその歴史まで写し取ったような風格があり、細い刀身がなるほどいかにも優美であった。愛が沢山奉納されていた。(ほんの一部だそうである)

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参拝後、いよいよ藤森駅にて乗車すれば雨との戦いも終わりなのだが、またこの藤森駅が長い坂を超えた先にあり、京都は最後の最後に我々にその厳しさを叩き込んだのであった。無事乗車し、晴天であれば伏見稲荷も攻められるくらいの時間的余裕があったが、そのまま新大阪を目指すこととした。途中、吹田市で空腹のあまり「お腹吹田市」とツイットした以外はあまり記憶がない。

再び新大阪駅、あるいは日常への回帰

さて無事に一時過ぎに新大阪駅に戻ってくることが出来、お土産を購入する段になって、新大阪駅構内のお土産屋さんでは地方発送をしてくれないことを知り衝撃を受ける。まあここまで来ればドアtoドアであるのだが、これ以上荷物を増やすつもりではなかったので自分の詰めの甘さに落胆した。

昼はさらば大阪、という気持ちを込め神戸牛のぼっかけ飯を食べた。誰が何と言おうとこもっているのである。

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旨みが噛むたび染みこんで大変うまい。

それでもなお大阪への気持ちは絶ちがたく、タイのおつまみを購入した。これがまたとてもおいしく、ご飯が欲しくてたまらなくなった。家の最寄りにあったら毎日通ってしまいそうである。


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いよいよ鹿児島中央駅へ向かう新幹線に乗り込む段になって、急にキャリーバッグのコントロールが悪くなった。


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いぶかしんで見てみると、まるで自分の役割が終わったことを悟ったかのように車輪が壊れたのであった。(写真は帰宅してからのもの)お前そんな……主人公一行を最終決戦の舞台へ無事送り出した後人知れず最期を迎えるライバルキャラみたいな……。

キャリーバッグが殉職し、妻もさくらに乗り込むや早々にゲストハウスにいた人物と同一とは思えないかのような静かな寝息を立てるにあたって、二泊三日の京阪旅行におけるものごとが新幹線の速度で現実と交換に収束していくことを筆者も受け入れざるを得なかった。秋辺り、また行きたい。

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落第阿呆列車・完