カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

大河ドラマ「西郷どん」第十二回 「運の強き姫君」

余談

なんにも用事がないけれど、良い天気なのでふらふらとドライブをした。

用事が無い訳ではない。妻の所用でセブンイレブンに行く必要があったのだが、どこのセブンイレブンでもよかったので、ちょっと遠くのセブンイレブンを目指した。そこここに桜が咲いている。菜の花も咲いている。無教養な筆者が名を知らぬが可憐な花も咲いている。野に咲く花はいずれも天下の花である。本来であれば図鑑を持って調べてしかるべきであるのだが、例えば写真を撮って送ったら「これはこういう花ですね」みたいに教えてくれるアプリとかあったら面白いな、と思った。もうあるかもしれない。

思い立って、お知り合いの畑にもお邪魔した。またしても筆者は無教養ぶりを発揮し、冬野菜と春野菜の切り替え時期であったために大変ご面倒をかけたが、あたたかく対応してくださった。手に入れた野菜がどのように妻の料理に活かされるか、次回以降の余談で機会があったらご紹介したい。ちなみに今日は新玉ねぎのコンソメスープであった。シンプルな調理が新玉ねぎの甘さを存分に引き出しており、おいしかった。


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広い台地は様々な懊悩を吹き飛ばしてくれそうである。

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ビニールハウスに一つ屹立する菜の花は力強くメッセージ性がある。


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何故かしれっと蘇鉄があるのが南国のすごいところである。


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個人情報保護に関心の深い妻は桜相手であってもその姿勢を崩さなかった。

 


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ちなみに出発前は夫婦で春のセンバツを見た。馬淵監督通算五十勝おめでとうございます。決勝打の二十秒くらい前にお通夜ツイートしてすみませんでした。今回鹿児島は選抜されていないので、明徳義塾を応援しようと思います。

しかし、外に出ると西郷どんまでに三時間は仮眠をとらないといけない体になってしまった。体力をつけたい。

本題

いや、引き続き江戸編面白いですよ。主人公は誰なんだよと言う話にはなるけれど。中園さんの「篤姫は私が書きたかった……」という情念が垣間見えたような気もする。乱暴に言ってしまえば女性が強く、男性が情けない回であった。

「理想を語るにはそれに見合った実力が必要だ」という台詞がかつてあった。今回の吉之助にはその言葉を贈りたい。まあそのセリフの出るアニメは大変なことになっているけど

男性

主人公・吉之助は相変わらずどうにも出来ないことにくちばしを挟み続けている。一方で本来の任務である篤姫のお輿入れ工作はろくに進展しておらず(それ自体が良いことなのかどうか煩悶しているから進まないというのであればもっと早く斉彬に相談してしかるべきである。まあ、藩主キックがまたきそうだけど)、幾島の介入で何とかなった始末。橋本左内の描写によって「吉之助が過大評価されている」ことは製作者側も認識しているのでは……と思っているので、今回の様にたびたび出ている「救いたい人を救いたいときに結局救えない」吉之助像もわざとであり、今後覚醒すると信じているのだが、やはりフラストレーションが溜まる。覚醒イベントである「藤田東湖からの薫陶」がまさかのスルー、藤田東湖が紀行死という全く新しい概念を創出するに至っては、以前触れた「迫田利斉の不在」も併せて、吉之助を導くのは斉彬唯一神のみ、という路線で行くということなのだろうかとも思えるが、しかし幕末の面白さ、様々な派閥・思想・思惑が絡み合う群像劇が垣間見えたのにかき消えてしまったように思えていかにも残念である。(ただ、やはりこの時期に地震で亡くなる人物を出す、ということに対して制作側が配慮したのでは……というTwitterでの意見を拝見して、なるほどとも思った。それでも、せめて本編登場はして欲しかったが)敬天愛人、まさか単純にloveの発展としての思想にならないか不安である。

斉彬はやはり、鬼神であった。が、幾島に言われるまで大奥工作を全く忘れていましたというのはどうなんだ。また、外様大名でお目通りも難しいだろうから仕方がないが、斉彬の人物描写的に家定をろくに見分もせずまた聞きだけで暗愚と決めつけてしまっているのには違和感がある。篤姫はともかく幾島にもひた隠しにするのはどうかと思う。(しかも多分本人はまだ隠せていると思っているし)「不幸になる」じゃねーよ! そこをどうにか幸せに持っていくのが親父の力の見せ所だろ、と思ったりもする。

正助は久光に熱いファンメールとプレゼント(史実)父が帰り、大黒柱としての重責が離れ、出遅れを取り戻す為に必死である。久光がただの無能でない描写が引き続きなされていてうれしい。今大河の収穫として史上最高の久光が見られると信じたい。(寺田屋とか生麦事件とか、どういう風になるのだろうか)

井伊直弼は御台所に指名されて満更でもなさそう(あっBL大河ってそういう……)前大河では井伊家には「私が男であったなら……」と思った御仁がいたが、今大河ではまさか「私が女であったなら……」と思いそうな御仁を出すとは思わなかった。正論を吐くも、封殺。(そんなオーナー企業の縮図みたいなのを日曜夜に見せなくても……)安政の大獄まで、あと三年。

家定は予告での「死なない姫はどれじゃ」からおっと思っていたが、やはりなかなかいい造形をしている。その人生が死に彩られた家定にあって最優先事項であったのだろう。声は抑えられているだけにより悲痛に聞こえた。果たして篤姫と過ごすことでこの家定がどう変化するのか、楽しみである。

女性

完全にここのところ篤姫を軸に話が回っていて、また以前の繰り返しになってしまうがこの難しい役どころを北川景子さんが見事にこなしている。自らの幸せを捨て、故郷を捨て、故郷の言葉を捨て、斉彬の娘としての役どころを演じようとする。しかし地震により本音が垣間見え、吉之助の言葉(というより、それを言ってくれる吉之助の底抜けの人の好さ)に救われて再び気持ちを締めなおす。見事である。どうにか幸せになってほしい。

幾島が有能すぎてもうこいつ一人でいいんじゃないかな感があるが、そんな彼女につきつけられたのは篤姫はお世継ぎを生めない=幾島の出世も限られるということ。もうちょっと早めに言っておくべきだったのでは。春画を焼くシーンがこんなにも物悲しいとは思わなかった。篤姫薙刀の稽古をつけながら、幾島は自分にも言い聞かせているようでもあった。吉之助への「何もでけへんくせに!」は全視聴者が深く頷いたことであろう。

本寿院はまた画面制圧力の高い人が出てきたというインパクトにまずやられそうになるが、その気持ちは公方の生母というよりは、ただただ一人の子の母としての素直な気持ちであった。因みにこの後息子は勿論、吉之助よりも篤姫よりも長生きする(明治十八年没)今後の登場がどのようになるのか期待したい。嫁姑戦争があったりするのだろうか。

見終えて

篤姫主役のドラマとして観ればなかなかに面白かった。他方、吉之助がまるで成長していないことが気になる。次回予告の「吉之助サアが変わった」がどのように変わったかが今後の展開を占うことであろう。