カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

大河ドラマ「西郷どん」第十三回 「変わらない友」

余談

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先日妻が誕生日であった。年の数だけ薔薇を包ませるような柄でもないが、近隣のフラワーショップごとうさんで花束を作ってもらう。予算を伝えて、「なんかこう、いい感じに」というアバウトな要求で大変豪華な花束を作ってくださった。薔薇を入れてくださりつつも筆者の顔面を考慮し気障過ぎない色合いをセレクトしてくれ、また夫婦ともに好きな風変わりな色のカーネーションも取り入れてくれている。そしてセンターには大輪のダリア……ダリアって花言葉「裏切り」では!? とぎょっとするが「感謝」の意味合いもあるようだ。ダリア、二面性を持ち過ぎでは。

夜は妻のリクエストで「わっか」さんに行った。夫婦とも下戸なので金にならない客なのであるが、いつも快く迎えてくださる。定番の鉄板料理(納豆の磯辺揚げ、串盛り合わせ、月見つくね)のほか、島ラッキョウと自家製酢味噌、カツオの腹皮とマコの炙り焼きが絶品で、お酒が欲しくてたまらなくなってしまう。しかし飲酒して代行屋さんにお金を払うよりはわっかさんにお金を落としたいのである。ぐっと我慢した。

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その後締めのパイピザの後に、お誕生日祝いとしてバニラアイスの抹茶トッピングを出していただいた。ちゃっかり筆者もいただいた。いつもありがとうございます。

月日の流れとは恐ろしいものでいつの間にやら妻の誕生日を(妻になる前を含め)相当数お祝いしたことになるが、祝った誕生日の方が祝っていない誕生日より多くなるように今後も執拗に祝い続けていきたいと思う。

本題

 いや、今回も面白かった。久々に画面の薩摩言葉占有率が高く、身じろぎはしたが。しかし、吉之助と篤姫の史実での関わりというと、やはり輿入れにあたっての奔走であると思うのだが、あっさり一年が経って驚いた。そこで吉之助の成長を見せるんじゃないのかよ!

不犯の誓いの後に月照を出すというなかなか意味深なカット割り(雌雄同体のかたつむりを添えちゃったりなんかして)を挟むそういう心遣いをもっと本筋にですね……。

薩摩に帰ってきてからは地元の友人たちにちょっと冷たかったり(推しが尊過ぎて軽はずみに口にできないガチ恋オタムーブ)斉彬に当意即妙に答えしっかり久光ヘイトを上げたり(地元トップオタVS凱旋トップオタの頂上決戦)しているのだがその過程を見せてくれよこのドラマの主人公って吉之助だよな、という話なのである。

正助が今回とてもよかった、というか非常に感情移入しつつ、このドラマには珍しく長い目で見た伏線も張れていて見事だったし、視聴していて気になっていた部分のフォローもなされていた。

正助は「吉之助は変わってしまった」という。確かに以前の吉之助であれば自らの恩を傘に着るような発言、「自分のおかげで江戸に行けるぞ!」みたいなことは言わなかったであろう、ただ、あの発言を忖度してみるに、自分が様々な事情でがんじがらめになっていたから、正助は自分がすでにセッティングしていたから半ば無理矢理連れていかれたのだ、ということで家族に申し訳が立つようにしようとしていたのではないか……と考えることもできる。(好意的過ぎるだろうか)そう言った意味では相変わらず気の使い方が不器用すぎる吉之助であるといえる。まあ、あの正助が一番腹を立てているのは変われていない、気を使われる自分自身になんだろうけれども。三河武士とはまた別ベクトルの薩摩の男のめんどくささが見事に表れていた。

吉之助は江戸に行ったからこその焦りがあり、正助は薩摩に残ったからこその焦りがある。この構図が後に外国を見て来たから焦る大久保利通と、日本に残り沸騰せんとする士族をなだめ続けたからこそ焦る西郷隆盛の構図として見事逆転する布石になっているのには唸らされた。

もっと言えば、今まで吉之助が斉彬と一緒にうっほほいと取り組んできた近代技術にどハマりしていくのも今回、そのせいでひっ迫する藩の内情を代弁した正助なのであって吉之助はそんな正助を見るに堪えないと苦言を呈するようになるのだからこのあたりまで踏まえているとしたら本当に見事である。(ちなみにその苦言を呈した西郷からの手紙を大久保はどうしたかというと……いやあ西郷どんでこれがどう描かれるか楽しみである)

ちなみに吉之助は今回写真を忌避していたが、本当に大の写真嫌いで、明治天皇からお願いされても写真を撮らなかったというから徹底している。(だもんで、寝ているところを隠し撮りしようかという話まで出たりしている。さすがに天皇陛下にそんな写真をお渡しするのもどうか、ということで実行はされなかった。)ちなみのちなみでいうと現在残っている日本人が撮影した日本人の写真は島津斉彬その人で、このブログにもたびたび登場している仙巌園の横、尚古集成館にて見ることが出来る。またまたちなんでしまうと福沢諭吉は幕末に幕府の船に乗って外国を訪れ、外国の女性とのツーショットを撮ったりしている。船が海に出て他の人が取れなくなってから見せびらかすという徹底ぶり。最後にちなんでしまうともと紙幣つながりの夏目漱石は「写真を撮ると病気が治る」(今回の魂が抜かれるという話と比べるとたかだか五十年かそこらでそこまで変わったのかと面白い。)と知人に勧められた家人が一計を案じて隠し撮りをし、病床の写真が遺っている。残念ながら迷信はしょせん迷信でその後ほどなくして世を去った。ちなみに「夏目漱石の写真」として有名な頬杖をついているあの写真は明治天皇の大喪の時に撮影した写真である、といい具合に明治天皇に話が一周したのでちなみ終わることにしたい。

吉之助と正助、二人の旅はまだ始まったばかりだ! といったところで次回も楽しみに待ちたい。