カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

ウッド・フィッシュ・ストーリー

今週のお題「自己紹介」

筆者が大学時代に知遇を得た人の中Kという人がいて、筆者はなれなれしくこっこ君などと読んでいたが、ともあれ素晴らしいブロガーという一面も持っているので紹介させてほしい。

matoyomi.hatenablog.com

スマートな人間をほめる形容詞に「頭の回転が速い」というものがあるが、筆者にとって彼は「頭が自分とは違う方向に高速回転している人」であった。

不思議なもので実際に会わなくなって、ブログを通して彼を知るようになってからの方が彼のことをよくわかるようになった気がする。それはきっと彼はとても聞き上手で筆者はつい話し過ぎてしまい、彼のことを知ろうとしなかったからなのだろう。

彼の本名は切り開くといったような意味の言葉である。筆者は彼の名を考える。するとその名がとくに彼のために天から与えられたような心持になり、そのうちもし筆者自身が子を授かることがあればそのような他者から見てしっくりくるような名前を付けてみたいものだと思う。そうして彼は今後もスマートさに裏打ちされた飄々さで何某かを切り開き、耕し、そこに何かを実らせていくのだろうな、願わくばそれを出来るだけ前列で見ていたいものだ、としみじみ考える。

ところで表題である。そんな彼のエントリの一つにいつにもまして興味をひかれた。

matoyomi.hatenablog.com

木魚って見た目に魚要素ないよな、どちらかというとコーヒー豆の親玉っぽいよなというのは常日頃気にしてはいたが、そもそも何であんなものをぽくぽくしているのだろう、と思ったので調べてみることにした。勿論情報強者御用達Wikipediaである。当然のごとく木魚の項もあったが、引き写しのようであったり、内容が重複したりと筆者の文章注意力を大いに喚起し他山の石とすべき記事であった。

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まあしかしなんでしょうな、いらすとやさんの画像とか使ってみると「オッ 俺もブロガーっぽいぞ」とか思ってしまいますな。

ともあれかいつまんで言ってしまうと木魚は元来そのまま木製の魚だったのだという。目を開けたまま寝る魚を見て昔の人々は昼夜を問わず起き続ける精神性を魚に見出したのだろう。実際は寝ているのだけど。

魚のように寝るのも惜しんで修行に励みなさいといいつつお手本であるところの魚をぼんぼこ叩くというのもいかがなものかと思うが、魚を叩くことによって煩悩が吐き出されるというシステムにもなっていたらしいのでまあいいのだろう。木製の魚を叩くという行動そのものが若干の煩悩みを醸し出しているところがポイントであるのかもしれない。

もしかしたらこっそり魚を干物にしている最中に弟子に見つかった和尚が誤魔化すためにとっさに「いや、これは叩くために干しているのじゃ」みたいなことを言っていたのがルーツなのかもしれない。そろそろ誰かに怒られるかもしれない。

sogei.net

だんだんと魚を叩き続けることに罪悪感を煽られてきたのかはわからないが明代には現代のような木魚が成立したという。前述したまんま魚の「木魚」も現在でも主に禅寺で使われていることがあるようだ。行事を開始するときなどに鳴らされたりするらしい。

で、どうして読経の際にぽくぽく叩くのかというと一つは前述のとおり煩悩を吐き出すため、一つは読経をリズムよくするリズムキープの役割(バックビートである)、そして最後に読経しているものの眠気覚ましである、という。筆者が読経していたらその一定のリズムにますます眠気を誘われてしまいそうであるが……よしんば寝なくても今すぐ寝転がりたいという煩悩がエンドレスに湧き続け、木魚サイドから汲めども尽きぬ煩悩にクレームが入るかもしれない。

木魚叩きロボットが誕生し、木魚が打ち鳴らされたとして、吐き出される煩悩は一体誰のものなのか。制作者なのか。ロボット自身なのか。ロボットに煩悩は宿るのか。なるほど煩悩も心の一つには違いなく、人間の心を考えるのにいい契機になりそうである。あと動画で見たい。絶対面白いと思う。

今月の目標の「今週のお題に毎週答える」初回からギリギリでの達成となってしまった。いや、他者紹介だけでそういえば自分の紹介はまだしていない。平成元年生まれ、既婚、左利きAB型、右投げ左打ちです。今年の一月一日からこのブログをはじめました。現在は地元の雄・西郷どんが大河になったのでその感想を主に書いています。よろしくお願いします。