カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

冬の始まりに夏の摸倣を振り返る

講談社ノベルス期」というのがある人にはある、と筆者は思う。筆者にはあった。

あのサイズ感に。イヌくんに惹かれてたまらない時期が。

「カバーデザイン=辰巳四郎

「ブックデザイン=熊谷博人」

この並びだけでご飯がうますぎてふりかけが欲しくなってしまう時期が。

筆者は中学二年時にそうなった。そしてそれはほろ苦い諸々とともに封印されていたのだが、何度か書いた通り本で実家が傾いてしまっているので処分することになった。大分厳選して元々の1/5くらいになっているはずだがそれなりにあった。

カッパノベルスが混じっているじゃねーか! というのは言わない約束である。

自分の机の引き出しにしまっていたノベルスのカバーにこんなことを(移動教室の時に勝手に)書いてくれた「ヨネピー」は今、歯科医になっているはずである。それほどの時が流れても、鵺の碑はまだ出ないのだった。筆者が進学し、就職し、転職し、結婚しとライフイベントを黙々とこなしているのを横目に鵺の碑は何を思うのか。ということでカバーの下は邪魅の雫である。十年以上が立っているとはにわかに思えない。カバーって大事だ。

これら本は総じて今の筆者を形作った財産であるが、相続相手を探す前に家がつぶれても致し方ないので古書店に引き取ってもらうことにした。50円だった。引き取ってもらっただけで有り難いのであるが、筆者の青春は硬貨一枚か……とちょっとしみじみしたりもした。(とはいえ貧乏学生のこと、上記のほとんどはもともと古書店で購入したものである)また誰かの手に渡ればいいな、と思う。犯人にアンダーラインは引いていないので安心して欲しい。

本題

前述したとおり貧乏学生のこと、古書店だけではなく図書館も活用していた。

夏のレプリカ」は高校の図書館で初めて借りた本だった。森博嗣先生の作品は人気があり、値が張ったので図書室で借りられるのはありがたかった。季節は七月に入ろうとしていたと思う。いい時期に読んだ、と思った。

夏のレプリカ」は偶数章だけで展開される小説だ。奇数章だけで展開される「幻惑の死と使途」と対を成しているが、それぞれ単体で読むことが出来る。「幻惑の死と使途」の方は中三の冬に全く季節感なく読んでいたので、大分間をあけての偶数章、ということになる。

森博嗣先生の作品は残酷なまでにロジカルでありながら、しばしばマジカルを挟み込む時があって、特にこの作品はボーダー的である。「信頼できない語り手」が登場することが更に内容を一枚秘密のベールで包み込んだかのような、神秘性を持たせている。

上記の様に図書室の本で読んだ、即ち自分に所有権がない状態で主に授業の空き時間に読んだというパーソナルな事情も手伝って、シリーズの中でも本作品は曖昧模糊とした、夢の中の雲を歩いているような不思議な気持ちになる作品だ。

どうしてこの作品を今になって回想しているかというと、この間amasonmusicをシャッフルしているとカナブーンの「talking」がかかったからで、森ミステリィをそういえば大学時代にあまり読まなかったことにも思い立ったことに端を発する。高校までは森ミステリィで垣間見える「大学生活」にあこがれを感じたものだった。進学したのは文系だったけれど。

それで「夏のレプリカ」で検索をして、一つのブログに心を揺さぶられた。即ちまたまた、この記事は冗長なブコメであったことが明らかになるわけであるが、ともあれ下記の記事であった。

dokusyotyu.hatenablog.com

自分は果たせなかった「同時読み」「大学生時に読む」の達成を羨ましく思いながら、記事読了後4年前の記事であることに驚いた。

そして最新記事を拝読して二度驚いた。

dokusyotyu.hatenablog.com

 ああ筆者はこの方のレプリカなのだ(性別は違うし年齢は筆者が恐らく上だが)、とじんわりと感動し、数ある森ミステリィの中から「夏のレプリカ」でGoogle検索をしたことになにかしら運命めいたものを感じてしまいさえした。

かつて、そう、それこそ同じ高校の図書室で伊坂幸太郎先生の「重力ピエロ」に出会った時、その帯にあったように「小説まだまだいけるじゃん!」と思ったし、その後諸作品を読むにつれて、自分の書きたいものが既にとんでもない高水準で世に出ていることに絶望したりもした。大学時代の四年間、筆者は不精な創作者であったが、常に自分が誰かの劣化コピィでないかと怯えていた。(そういえば筆者が所属していたサークルでまぎれもないオリジナリティを発揮していた友人K氏が上記ブログ主様の記事にスターをつけていて三度驚いた)けれど今、自分の辿れなかった奇跡を辿ってくれている上記記事を見て思うのは絶望ではなく感動であった。それは同一化なのか、昇華なのかわからないが、高速道路のジャンクションで同じ車種が一瞬交差したような気持ちがそこにはあった。同胞を見つけた思いが勝手に湧き上がっていた。

なんだかんだで創作欲が再び湧きあがったりもして、リハビリの為に何年かぶりに即興小説を始めることにした。今月の目標は、少なくとも10本の即興小説を書くことしよう。

木本 仮名太の即興小説一覧 - 即興小説トレーニング