カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

書を拾おう、街に出て。

余談

文化の日である。碑である。と変換され、前回触れた「鵺の碑」がフラッシュバックされる。曾祖母の命日でもある。いつの間にか八年も経ってしまった。

八年前の今日、筆者は大阪にて開催されるリクナビ開幕liveに参戦する――と見せかけて海遊館に向かっていた。広島大阪間がお得な切符が出ていたのである。そして初めての海遊館を堪能し、大阪城に到着して暫くして、母から訃報が届いた。それは丁度、蓮如上人の像に差し掛かったあたりで、敬虔な浄土真宗門徒であった曾祖母が招いた不思議な出来事のように思えた。

翌日は大学祭で、筆者は何度か書いたけれど文学サークルに所属していて、寡作ながらも「個人誌」(自分の作品をまとめた単行本のようなもの)を出すくらいの分量が貯まっており、文化祭にて頒布することになっていた。100部くらい刷った。

葬儀のため筆者は帰省し、大学祭には参加できず、自分の作品だけを集めた冊子を手に取る人を目の当たりにする、という野望は実現せずに終わった。

多分その時から、創作者としての筆者は足踏みが始まった。創作というのは基本的には孤独な作業だ。特に筆者は集中力がないし他にも色々ないのでやたらと時間がかかる。そうして出来上がった作品はかわいい。初めのころは、サークル仲間に受けるだけで嬉しかった。しかし学年が上がると、褒めてくれてもそれは年上だから気を遣わせてしまっているのでは……という思いがあった。だからこそ大学祭という外部の場で、実際自分の作品がどうなのか、というのをわが目で確かめたかった。あれこれを片付け、広島に戻るとありがたいことに在庫はだいぶ減ってはいたけれど、もしかして鍋敷きとして使われたのでは……という思いすら抱いた(失礼な話である)。

blog.hatenablog.com

先日、「週刊はてなブログ」で言及して頂いた。アプリを(ところで今、アプリから記事を書くボタンがなくなってしまっているのだけどどうしたのだろう)開いて通知を確認し、見慣れたペン先マークがあったので「今月のPV通知かな?」と思ったら言及についての通知だった。すぐに記事に飛んだ。有り難いことに二つも記事を紹介して頂いていた。大げさでなく、ちょっと涙が出た。

「フィッシュストーリー」という映画がある。原作は伊坂幸太郎先生の同名の作品だ。同先生の「終末のフール」とマッシュアップしたような内容のこの作品は多部未華子さんが可愛く、高良くんが爽やかで、渋川清彦さんが(西郷どんでは板垣退助役で登場している、筆者の大好きな役者さん)独特の味を出している、爽快に終わる傑作なのだが、その中で登場人物は言う。「これ、誰かに届くのかなあ?」大学時代からずっと、筆者が思っていたことだ。正しく大学時代、今は亡き素晴らしい映画館、「シネツイン本通り」で見た時もそう、そうなんだよな、と頷いた記憶がある。帰ってこないキャッチボールほどつらいことはない。

今年ブログを始めて、筆者がとても観測できないところからキャッチボールが返ってくることが何度かあり、投げ続けてよかった、とそのたびに思った。そして今回、公式にも取り上げて頂いて、より多くの人に届いたことがアクセス数からもわかった。

フィッシュストーリーは世界を救う。筆者が思いのままに各記事はそんなことは出来ないけれど、どこかの誰かに、そう、そうなんだよな、と思ってもらえることを目指して、これからも書いていきたい。

 

フィッシュストーリー
 

 現在Amazonprime会員なら無料で見られるので未見の方は是非。

本題

余談が、ながくなった。

図書館フェスティバルというなんとも文化的な催しがあると知り、行ってみることにした。うっかり「PRODUCE48パフォーマンスSP③」を追っかけ再生してしまったせいで、出発は昼前。幾らかの企画は既に受付終了していたりした。いつもとは違う、コーヒーの香り漂う図書館にわくわくする。

図書館を廻るクイズラリーは大人用、子ども用とあり、無論大人用を選んだわけであるが、なかなか手応えのある内容であった。(市章の色、映画化した作品、今期の芥川賞西郷どん島流しされていない島、など)大人用の問題に挑戦する少年少女がそこここに見られ、微笑ましかった。

「本の玉手箱」という司書さんおススメの本の福袋企画もやっており、今まで妻のカードで自分の分まで借りてもらっていた筆者も一念発起してカードを作成、挑戦してみることにした。これで我々夫婦で一度に十六冊の本が利用できるわけであるが、今の我々には持て余してしまいそうである。とんかつがきつくなるように、本の消化もエネルギーを使う。

カードの作製は暫くかかるということで、その間屋上での除籍書類無料配布へ。スタート時は整理券が配られるほどの盛況ぶりで、筆者が行った時は既に落ち着いていたものの、本もほとんどなくなってしまっている状態であった。それでも青空の下、掘り出し物を探す作業は楽しかった。

因みにどれくらい青いかというとこれくらい青空であった。気温も二十度とぽかぽかであった。

思いのほか楽しく時間を過ごすことが出来たが、明日の行事に向け買い出しが逼迫しており、ビブリオバトル他午後からの催しが拝見できなかったのが残念であった。また、本のフリーマーケットスペースには何も見当たらなかったが、すべて売れてしまって撤収したのか、場所が変更になったのか、それとも参加される方がいなかったのか……最後であるならば、筆者が前回の記事で処分したものを出典すればよかった、と後悔したりした。

本の玉手箱はこちらを選び、

中身はこのようになっていた。読了後また感想を記事にしたい。

除籍書類でゲットしたのはこの五冊。俳句は全然わからないのだが、ぱらぱらとめくった「俳句」三月号の「葱」一つがものすごくスペクタクルという見出しにハッとしてグッときて持ち帰ることにした。ちなみにこれは西村和子さんの俳句

ふたり四人そしてひとりの葱刻む

という句に対する言及となっている。(葱が歴史を語っている、といった感じ)個人的には「ふたり」「四人」「ひとり」と数え方のひらくか開かないかが葱の刻み方のリズムの違いを表しているようで面白い句だと思う。

言葉は自由で柔軟だ。矛にも勝れば盾にも勝ろう。それ故に獰猛な言葉を五・七・五の窮屈な檻に閉じ込めるというのは並大抵のことではない。筆者の文章は冗長になりがちであったり、中身が薄いことがよくあるので、この機会に俳句を学び、そこから記事に還元することを目指していきたいと思う。

電子書籍積読はどうしたか、というのは言わない約束でしょ、おとっつあん。