カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

令和の夜明けぜよ!――「文久土佐藩」始末記

余談

令和おめでとうございます。毎年五月は陛下たちの偉業に思いをはせる為に十連休でいいのでは? 筆者はそう思います。六月も十連休でいいと思います。世界中毎日誰もが十連休でいいと思います。

閑話休題

さて記念すべき令和一発目の記事を書くにあたり、ちょっとした逡巡があったりもしたのだが、折しも弊本丸にてイベントの区切りもついたこともあり、彼の話を書くことにした。

明治の夜明けをついに見ることの叶わなかった男・坂本龍馬。彼の佩刀であった陸奥守吉行が令和の夜明けとともに新たな仲間を弊本丸に連れ帰ってきてくれた、その記録と考察(妄想)を綴ろうと思う。

 

ということでここからは刀剣乱舞イベント「文久土佐藩」イベントの致命的なネタバレおよび独自考察(妄想)、陸奥守吉行の極バレなどが含まれますのでご注意ください。


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本題

はじめに―事前予想答え合わせ

 

kimotokanata.hatenablog.com

 

まずは文久土佐藩という五文字から筆者が妄想を溢れさせた前記事を検証する形で全体の輪郭を縁取っていきたい。

新刀剣男士予想について

筆者が予想したのは南海太郎朝尊・一国兼光・肥前忠広・埋忠明寿の四振。予想と言っても全部賭けに等しかったのだが。昔金田一少年の事件簿でこういう犯人の予想の仕方してたなあ。

実装されたのは南海太郎朝尊と肥前忠広の二振。本命、対抗が順当に入ったという印象を受けた。正直なところ新刀剣男士は一振、あるとして新刀剣男士+長義救済ドロップくらいだと思っていたので二振の同時実装は嬉しい驚きであった。

ということは次回の特命調査は三振実装ということでよろしいですね?(曇りなき瞳)

改変内容について

 やはり土佐藩として特に出来事の密度が濃い文久二年を起点として大きく歴史が改変されている、といった感じに思えた。予想の一つがニアミスしたわけであるが、これも吉田東洋が死んでいる場合と生きている場合をそれぞれ予想したのでまあニアミスも何もないか……しかし新聞広告にて告知されていた人物、特に吉田東洋坂本龍馬の動向についてはなかなか考察を掻き立てられる結果になったと思う。はりまや橋はふつう。

イベント「文久土佐藩」感想

無課金勢にも有り難い良心的なイベント

まずはイベントそのものについての感想を述べたい。筆者は途中三回ほど寝落ち・夜討ち・朝駆けなどによって賽を振る機会を逃したが、それでも4/30の17:00補充分によってどうにか追加課金なしに二振りの新刀剣男士を弊本丸に顕現させることが出来た。一回目に六が出たら二回目に一が出るということが内二回あり、見事なバランス感覚だと感心はするが別に驚くことはないな。初回高知城マップで早く彼らを迎えたいばかりにいいや限界だ使うね! して城下町ボスを倒して得たばかりの七福賽を使用して突破したが、残りの回数は二週目にしっかり引き継がれて安心であった。ある程度のレベルの審神者諸賢であれば、今から始めても十分にお迎えは可能であろうと思われる。

初回、高知城の後ろが通れることを全く頭に入れていなくて、追い詰めたと思ったら文字通り頭上を飛んで行かれた時は己の阿呆さにスマホを叩き割ってしまいそうであったが、それ以外は基本的に楽しく、まるでゲームをプレイしている感覚で楽しく遊ばせてもらった。入電の演出からして格好いいではないか……。検非違使なんかも城下町ステージみたいな感じでステージ上に見える形でいて、ランダムに移動しつつ、かち合ったら戦闘とかでいいのになと思う。(と、言いつつ、筆者は未だに検非違使とガチンコ勝負をしたことがない)

ただ直前まで江戸城をプレイしていたので、賽の目は勿論のこと、勝利内容(A勝利、もしくは完全勝利)で+1マス進めます……ならもっとモチベーションが上がったのになとは思った。そういったところで七福賽の誘惑は課金アイテムとして実に蠱惑的である。城下町クリアで一つ手に入るあたりがまた小悪魔めいている。次回三周目に三振目が実装することがあれば場合によっては課金してしまうかもしれない。今回は九州国立博物館および福岡市立博物館に行きコラボ展開によって存分に還元するためにここでは辛抱するぞという鉄の意志によって何とかすることが出来たが。

肥前忠広の「参戦」の興奮

いや、五振でしか出陣できないという制限でちょっと察してはいたのだけれどそれでもやっぱり文字通りの助太刀(脇差だけど)参戦は心躍るではありませんか。弊本丸に来てくれてからはちょっとパワーダウンしているきらいがあるがこれは政府の力と比べて筆者の審神者力(ぢから)が及ばないことの証左であろう。今日も畑作業を頑張ってほしい。

そして陸奥守吉行との二刀開眼はやはり「脇差」としての実装が分かった時から楽しみしていたが実際に目の当たりにするとテンションストップ高であった。テンションが上がり過ぎてスクリーンショット現代アートめいたものになった。↓

陸奥守吉行の、同じ立ち絵であっても喜色が目に見えるような再会の喜びと相反して常に苛立っている様子の肥前忠広。それは見て来た景色があまりに違う故か。

ところで「歴史改変」と「陸奥守吉行」そして「肥前忠広」と考え、そこに「文久二年」というスパイスを加えた時、肥前忠広がこの様な態度になるのも仕方ないような出来事が一つ存在する。

龍馬脱藩――これは後述するが、今回のイベントにおいては巧妙にぼかされている。文久二年を語るにおいて、土佐において吉田東洋暗殺との二本柱であるにも関わらず、である。

ともあれ龍馬脱藩について。読者諸賢はもしかしたらこのような知識をお持ちであるかも知れない。

坂本龍馬はその脱藩において姉・坂本栄より坂本家の重宝「陸奥守吉行」を授けられ、栄はその後脱藩に家族が関わったことで他家族に迷惑がかからぬよう自害したのだ――という知識を。

これは司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」や武田鉄矢小山ゆう両先生の「お~い!竜馬」でも採用されたエピソードであり、人口に膾炙していると言っていい。

が、この説は現代では懐疑的である。前回、活撃刀剣乱舞九話をお勧めする記事を書いた際に言及したが、脱藩後、寺田屋事件時点においても、陸奥守吉行は龍馬の手元にはないからである。

また、龍馬に陸奥守吉行を授けたとされる姉・栄は脱藩より十七年も前に亡くなっていたらしいというのが最近の調査で判明している。

ただ、刀剣乱舞の世界観においては恐らくこの説を採用していると思われる。それが是か非かということではない。これは刀剣乱舞のまさに設定の妙で、「刀の擬人化」ではなく「刀の付喪神」であるのだから、人口に膾炙した記憶・姿・形になることに何一つ不思議はないのである。

また、先の作品を否定するつもりももちろんない。前述したように栄の没年など新資料が明らかになったのは二作が世に出てより後のことであるからだ。土佐出身の漫画家である黒鉄ヒロシ先生はまた、自身も「坂本龍馬」をものされているが、初めに「竜馬がゆく」について「この連載を通して、多くの日本人に元気を与えた、それが全てである」のような言及をされておられる。(因みに筆者はこの「坂本龍馬」において語られている「土佐では龍馬が恐れられていて(実態を解釈しきれないまま名を恐れるというのは曹操を恐れる昔から変わらぬ民衆ムーヴである)皆がワーッと逃げ出したが、隠れきれなかったヒロシさんのひいばあちゃん(当時幼女先輩)に向かって、『いずれ、均しの世がくるぜよ』と笑って去っていった」というエピソードが滅茶苦茶好きである)

また、先に紹介した作品は両作品とも「竜馬」であるのがポイントである。あくまで史実「坂本龍馬」を下敷きにしたエンターテイメントであるというのを心得て読む分には抜群に面白く、もちろん筆者も愛読者である。もしまだ未読の読者諸賢がいるとしたら是非読んでほしい。特に「お~い! 竜馬」。これを語りだすと止まらないのでそのうち別記事にしようと思う。一つだけ付記していくと、今ではこちらも事実のようになっている「龍馬・武市・以蔵が幼馴染」というのもこの作品が生み出した「発明」であって必ずしも史実ではない。

龍馬のことになるとすぐ早口になってしまっていけない。

さて、では史実において、文久二年、脱藩時、栄さんはすでに亡くなっています。陸奥守吉行は、後から兄におねだりするということは、この時点では手にしていません。では、史実では龍馬は手ぶらで故郷土佐を後にしたのでしょうか。

ここで今一度、前記事において筆者が「南海太郎朝尊」実装の根拠とした「維新土佐勤王史」から引用させていただこう。

(前略)姉の乙女は早くも其の機(龍馬脱藩の意志)を察し、龍馬が日頃臨める、實兄秘蔵の肥前忠広の一刀を取り出し、御身に贐(はなむけ/旅に出る人に贈る餞別)せんとて與(あた)へければ、龍馬は之を推し戴き、首途よしと勇立ち(後略)

国立国会図書館デジタルコレクション「維新土佐勤王史」より引用。()部分及び太字処理は筆者による。

上記書籍はこちらからどなたでも無料で閲覧できるので、機会があればぜひご一読いただきたい。(111コマ目にあります)

そう、正解は越後製菓(平成ジョーク)――ではなく、肥前忠広だったのである。恥ずかしながら、前回南海太郎朝尊説を立てさせて頂いたときは子資料しか参照しておらず、今回国会図書館にあるのを発見して読み進めてみたらこの記述を発見して、筆者は思わずマジか、と声が漏れてしまった。そういう話を聞いた気はしていたけれど、郷土資料にここまでがっちり書かれてしまっているとは思わなかった。

対になる刀だとは予想時点からしていた。

けれど、本来そうであったはずの(後から以蔵に譲られたとしても)坂本龍馬の佩刀としての顕現を他の刀に譲り渡して、自らは人斬りの刀として語られ、記憶され、ボロボロの姿と斬るという衝動をアイデンティティという「ことにして」顕現するなんて、そんな悲しいことがあっていいのか。

坂本家に秘蔵されていた。龍馬は常日頃欲しがっており、手にしたときはこれでうまくいきそうだとさえ思ってくれた、そんな刀が危惧していた「俺なんかどうせ」枠へ入っていく。とりあえず弊本丸では腹いっぱい飯を食べてほしいが、胃袋キャラなのも以蔵収監時の毒殺画策エピソードを下敷きにしているんじゃないかと邪推してしまう今日この頃である。作者の人そこまで考えてないといいと思う。

 

早く極修行に行かせて己の迷いと葛藤を断ち斬って帰って来させてあげたいと思う。首の包帯も折れたことと以蔵の斬首が反映されているのだろうなあ……。服が汚れているのは染髪料がこぼれたということにしておきたい。

南海太郎朝尊は無自覚な神であるのか

アァ~ッこの絵面ちょっと……本当すみませんちょっと……もう少しなんというか……手心と言うか……四年ですよ? 四年孤立無援で(地元の仲間たち的な意味で)陸奥守吉行が頑張ってきたというのにいっぺんにこんなことをされてしまうともう高低差で鼓膜ブチ破れてしまうので小分けにしていただいてもいいですか? どうして豆腐豆腐豆腐ステーキみたいなことするんですか? ありがとうございます。つきましては極もよろしくお願い申し上げます。

ちょっと見苦しいところをお見せしてしまったが南海太郎朝尊もまた、今までのパターンに当てはまらない特異な刀剣男士である。公式に顕現したばかりの刀剣男士であり、自らが人間でないことに自覚的であるという。

南海太郎朝尊の発言は予告動画にも使用され、話題になった。筆者はその意味を測りかねていたが、陸奥守吉行の真逆の発言を受けて少し考えたことがあるので記しておく。

即ちこの思考は元の持ち主を反映しているという妄想だ。

武市半平太という人が、一代の傑物であったことは疑いがない。しかし多くのリーダーがそうであるように、権力を求めた結果、権力の奴隷に成り果ててしまった側面があったことは否めない。

他方龍馬は、「世界の海援隊でもやりますか」と権力に執着を見せなかったエピソードが有名である。これも少なくとも言った場所は懐疑的である(その時西郷はその場にいなかったと思われる)が、人口に膾炙する龍馬のイメージとしては強かろう。

そう、読者諸賢お察しの通り「刀」を力、権力と解釈すると二人の発言が素直に読み解けるのである。いつからか刀に囚われてしまった武市、あくまで自らの目標を切り開くために活用した龍馬……その対比は特に文久年間において余りにも残酷だ。

あるいはこの二つの刀の発言の相関性は、武市が土佐勤王党を指導しようとし、龍馬が海援隊を先導しようとしたことを示しているのかもしれない。これはそのまま、南海太郎朝尊と陸奥守吉行が他のものと接するありかたと反映されているようであり、興味深い。

南海太郎朝尊は自らのことを人間ではないと自覚的であるという。では自らをどうみなしているのか。例えば一見コミカルな時間遡行軍の残骸を罠に仕掛けるという作業も、自らも敵も人間ではない異形であるからこそ淡々と行えることであるのかもしれない。他方で、人であっても必要であれば淡々と某かの駒にしそうな危うさもあり、その一段高いところにいる感じは、ある種、審神者に自らをどう扱うかの選択を伺う神そのものではないか、と思う。眼鏡の奥の瞳が審神者を無自覚ながらも厳しく見据えているのであれば、正しく刀(南海太郎朝尊)の(視線の)延長線上には人がいるのだ。

南海太郎朝尊は前記事でもちょっとふれたように刀としては新しい部類に入り、刀としては先輩である肥前忠広が先生呼びしているのは持ち主の関係を反映(まねっこと考えると可愛いぞ)しているのだろうが、損傷した肥前忠広を武市が南海太郎朝尊(刀工の方)に依頼して脇差に打ち直させたという逸話を踏まえると、脇差としては直系の関係になるのだからそういった意味でも不自然ではなく、面白い関係性だと思う。

とはいえ武市・以蔵・龍馬の関係を踏まえるとこの辺りちょっと不穏なものも感じてそれはそれで考察がはかどるものである。ウッ……本来は望んでいないが尊敬している方の為に手を汚し続ける者とそれを知ってか知らずか甘言で弄す者、そしてそれら二人を旧友としての立場から諫めようとする者……こんなごってりするものを放り込んでくるなら二クールくらい用意していただかなくては困ります!

前述した「維新土佐勤王史」は勤王党名簿から始まる。党首である武市半平太は勿論筆頭、坂本龍馬も一ページ目に名前が確認できる。後近江屋で龍馬と運命を共にする中岡慎太郎(中岡光次)、池田屋事件で命を散らす北添佶磨など多士済々としたメンバーである。

名簿をめくり終え、読者諸賢はもしかしたら最初から見始めるかもしれない。

残念ながら、それは徒労に終わる。変名を使っている訳でも、貴方が見落としたわけでもない。

岡田以蔵土佐勤王党名簿には名前は載っていない。

吉田東洋暗殺実行犯と言われる那須信吾、安岡嘉助、大石団蔵も載っていない。

その次の項「簿外党員」の欄にて確認が出来る。

彼らを軽んじて元から名簿に載せなかったのか、暗殺他アンダーグラウンドな働きをさせる故に何かあったときに切り捨てられるようにしていたのか……土佐勤王党四天王と言われる吉村寅太郎も簿外党員扱いにされているため真相は不明だが、(天誅組として挙兵が失敗に終わってしまったゆえかも知れないが)しかしこの処遇、必ずしも恵まれているとは言えないだろう。

吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ

――吉村寅太郎 辞世

吉野山天誅組が挙兵した)で紅葉が風に舞っていたならば、自分が太刀を振りかざし血煙を起こしていたと思い出してほしい……土佐勤王党一つのエピローグである。

こんなほっとけない成分まで出してきて……悔しいでも賽振っちゃう……。それでいて武市は三文字の切腹を果たして武士の頭目の面目を保ったわけであるが、南海太郎朝尊の腹部装甲は厚めと言うからこの界隈で言う所の「しんどい」である。

「時の政府」の考える「正しい歴史」とは? 時間遡行軍の正体は?

新たなる刀剣男士について語っていたら早六千字近くなってしまったので打鍵を急がせるが、しかし今回のストーリー……これがまたいやいや……と。一筋縄ではいかぬ代物なのである。

正直なところ筆者は、プレイ中寝ぼけ眼だったのもあって初めの郷士、次の留守居組はTwitterにて確認した。大太刀_参政については南海太郎朝尊が吉田東洋に言及していたこともあり、気にしていたのでリアルタイムで驚かされた。

というか「吉田東洋土佐勤王党の首魁で恐怖政治の主導者」という時点で大分ビビった。確かに吉田東洋土佐勤王党によって暗殺されるに至ったのは勤王思想の対立と言うことではなく(吉田東洋自体は大河ドラマ西郷どん」によって存在を抹消されたが間違いなく西郷吉之助隆盛の人生にとって多大なる影響を与えた勤王の大家、藤田東湖と親交を結んでいるほど勤王思想には理解がある)その開国か攘夷かという点であったから、「勤王」を冠する党の首魁となることもまあ、あるかもしれないが……いやあるかなあ!? そもそも武市も以蔵も姿は見えないし……もしかして高知城に囚われている? ピーチ姫? とか思っているところに大太刀_参政とかスッ……とお出しされても困るのである。いやいや参政って現代で大勲位と言えば中曽根康弘氏であるように、あの頃の土佐、文久土佐で言ったらそんなの吉田東洋以外の何者でもないじゃないか!

でも吉田東洋は人間で、そして今は土佐勤王党の首魁で、そして時間遡行軍は……。

いや。

そうなのか……?

そういう切りこみ方をするのか……?

筆者はその妄想に至ったとき、「刀剣乱舞絢爛図録」を引っ張り出し、公式が発表している「世界観」を今一度確認した。二度確認した。三度確認し、ステレオグラムで見たり、音読したりもみた。

結論としてはよくわからなかった。「神様、よくわかりませんでした」と言う言葉が人類の墓碑銘であるというのは前世紀から決まっていることであるが、しかし分からないなりにやはり妄想を展開することをお許し願いたい。

歴史修正主義者の主張は本当に誤りであるのか

以降はこれまで以上に妄想の上に妄想を重ねる、砂上の楼閣でジェンガをするような事態となってしまうがどうぞ御笑覧いただければ幸いである。

刀剣乱舞と言う作品の大前提に踏み込む話になる。刀剣乱舞と言うのは、西暦2205年に「正しい歴史の修正」を標榜する歴史修正主義者達が時間遡行軍を編成し歴史を攻撃する行為を時の政府審神者」なる者を派遣し追伐する物語である、とされる。審神者なる者は過去に飛び、最強の付喪神である「刀剣男士」と共に歴史を守るのである。(刀剣乱舞図録第二刷/世界観の項目を参照)

もしかしたら読者諸賢の中には既に「ん?」と思った方もいらっしゃるかもしれないが一つずつ見ていきたい。

まず「正しい歴史の修正」を標榜するのは敵対する時間遡行軍側であるという点。それは言うまでもなく「歴史修正主義者達にとっての」「正しい歴史」であって「時の政府」が容認しない歴史、と言うことになるであろう。筆者は引っかかるのである。わざわざここに「正しい」というお飾りを入れる必要はどこにもないはずだからだ。「歴史の修正」で何も問題はない。あえて「正しい」と魚の小骨のように引っかかる要素を残す必要がどこにあるのだろう。また、池田屋の開始台詞から考えるに、歴史修正主義者は一グループという訳ではないようだ。

次に、歴史修正主義者たちは数多の時間遡行軍を編成し歴史を攻撃する。審神者はそれに対抗する。日々積み重ねたお馴染みの後継である。気になるのは、「審神者なる者は過去に飛び」という一文。我々審神者は本丸にて派遣した部隊の健闘と無事を祈る者ではなかったのか……? 確かに「活撃刀剣乱舞」では審神者も過去に飛べる描写があったが、それは緊急時に限るようにも思われた。

これらと先に述べた郷士留守居組・参政、そして志士という名前付きの時間遡行軍の存在、そして「放棄された世界」という存在、「文久土佐」という特性を考えた時、ジェンガは危うくも一つの形を作るのである。

刀剣男士=時間遡行軍という方程式はサービス開始当初からまことしやかに囁かれており、筆者も特に今年に入って諸々の点からやはりそうなのだろうか、と考えていたが、今回の展開で改めてその確信が深まった。そして推測を先に進めてみたくなった。

歴史修正主義者は我々を派遣する政府とはまた別の「政府」であり「時間遡行軍」は我々と別の審神者と刀剣男士達、「放棄された世界」とは他の政府とのバトルロイヤルに敗れた「政府」が瓦解した世界なのではないかと。そして放棄された世界を軌道に戻すことが出来た「政府」は何かしらの利点があるのではないか。

名前付きの時間遡行軍は彼らの佩刀が刀剣男士として顕現して、かつ審神者が同時代に滞在することでより霊力が強まり、名前を得、恐らくは姿かたちも持ち主に近づくほどに「物語の力」を強めた状態なのではないだろうか。

正義の反対は悪ではなく別の正義だというストーリーは一周して陳腐になってしまったきらいがあるが、しかし往々に真実と言うのはチープで救いの無いものだ。考えてみれば、土佐勤王党が恐怖政治を敷いている時点で、吉田東洋が牛耳っている時点で、時間遡行軍を追い払ったところで歴史が、少なくとも我々の知っている歴史に戻るとは思えない。それでも「政府」から来た彼らが「戻る」と言うのなら、戻るのかもしれない。

けれどそれが我々審神者が認識している歴史に「戻る」とは限らないのではないか?

司馬遼太郎先生を始める「物語」によって形作られたという側面が特に多い坂本龍馬の佩刀を、刀剣乱舞の世界、我々を指令する政府においては「寺田屋事件の際に既に坂本龍馬の佩刀であった」という物語を背負わされている、我々の知る歴史とは違う「守るべき歴史」を宿す陸奥守吉行を今回の特命調査のキーキャラクターに任命したのはそのことを文字通り「物語って」いるのではないか? 

肥前忠広こそは「政府が守ろうとする物語としての歴史」と「史実」とのはざまで犠牲になったキャラクターということではないのか? 今やこの2019年においてもどこかへ姿をくらましてしまった彼こそが。

審神者なる者は過去に飛ぶ。もしそれが緊急の最後の手段であるとすれば。相対する審神者が、刀剣男士が、他方の審神者からは時間遡行軍に見えているのだとすれば。南海太郎朝尊の意味深な言葉は単なる情景描写だったのではないか? 陣形を決めて、向き合うとき、刀(剣男士)の延長線上(相対する先)に人(審神者/審神者が本当に人なのか?という点については大いに議論の余地が残ってはいるがひとまず)がいるのだから。

我々審神者は政府の指示をこなせばこなすほど物語を守り、史実に乖離していくのではないか?

調査結果報告にわざわざ「志士を倒したかどうか」があるあたりが実に不穏である、と思う。この世界では少なくとも報告書上は「坂本龍馬めいたもの」を高知城で葬っていなくてはならないということではないか。しんどさを刻んできてくれる。「壊れた銃」を志士を撃破した場所で一行は発見しているが、これは「戦闘によって破損した」ということではなく、「脱藩し、世間の広さを知り、見聞を広める」という一般的な坂本龍馬の物語が高知城天守閣に押し込められるという全く正反対に改変されたことによって「壊れてしまった」ことの表れなのだと考えている。志士≒陸奥守吉行≒坂本龍馬めいたものであるとすれば、物語を失った時彼は何を思ったのだろう。先程の説をとれば、彼らにとってはそれこそが守るべき正しい歴史ではあるのだが、壊れて役に立たない銃を持ち続けていたことを考えると、パラレルな世界になる前に通奏低音として流れていた歴史――仮に正史とする――は同じような気もする。

この世界の龍馬は我々の知っている彼以上に八面六臂の活躍をしなくてはならないようであるが頑張ってほしい。陸奥守吉行が「歴史を守るのが刀の本能」であるとこれまたさらっと重要そうであることを述べた。筆者が名前付きの時間遡行軍ボスたちに現地に飛んだ審神者の力が介入していると考えるのは刀剣男士単体ではこの本能によってどうしても元の持ち主を演じる≒歴史を改変することにブレーキがかかってしまう所を審神者ブーストによって突破しているのでは、という点も含まれるのだが、坂本龍馬めいたものに成り果てる前の陸奥守吉行が最後の本能で本物の坂本龍馬を逃がしてくれていたりしたらいいなあと思う。

以上まさか一万字超えとなってしまい、どれだけの方がここまで読んでいただいたか定かではないが、それほどまでに刀剣乱舞というゲーム本体もなかなか面白いものですよ、未経験の方は他展開もいいけれど、審神者着任お待ちしています。ということを申し述べて終わりとしたい。乱文失礼しました。

 

蛇足

お題箱と言う名の何でも箱を設置しましたのでよろしければご活用ください。

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