カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

大人列車に乗ったあなたが、ダンスを思い出すまで-蛇足・兒玉遥さん卒業に寄せて

余談

昨日深夜から、AKB界隈が騒がしい。またしてもスキャンダル、しかもエースと言うことで蜂の巣をつついたような騒ぎとなっているが、トレンド見るに「お外」ではそこまで話題になっている様子がなかった。さすがに今はネットニュースもちょこちょこ出だしたようであるが。真偽はともかく、脇が甘いと言わざるを得ないし、内外の温度差を見るにつけ、世間の関心を日々AKSが失っていることに何とも言えない気分になる。

本題

本日、兒玉遥さんが卒業する。

既に発表時に、拙文をしたためていたのだが、

 

kimotokanata.hatenablog.com

 惰性でツイッターのトレンドを眺めていた時、あるハッシュタグが過熱していることに気づかされた。

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#兒玉遥卒業公演。

もちろん筆者は知っている。兒玉遥さんは握手会も卒業コンサートも卒業公演もなく、ひっそりと卒業していくことを。

一昔前のAKSなら、あるいはサプライズ公演をしてくれたかもしれないが、少なくとも筆者はそういった期待感はとうに消え失せていた。怪訝に思いながら、一縷の希望を込めて、クリックする。

そこにはファンの、いや敬意をこめてあえてこう言わせてもらうが、兒玉遥オタ諸賢、HKTオタ諸賢の愛があふれていた。推しの花道が無ければ作ればいい。そういった意気込みが見て取れた。

これだ。これが「オタク」なのだ。上げ損ねた快哉をようやく放つことが出来た。

オタは推しに似る、というが、逆に言えばこのイベント一つとっても兒玉遥という人がいかに素晴らしいアイドルであったが窺い知れるであろう。

デビュー以来常に中心にありながら、ついに一つのスキャンダルも出さずに卒業したというだけで素晴らしいことである。

彼女は間違いなくHKTの太陽であった。対照的に、宮脇咲良さんは月としての美しさの比重がより濃い、と筆者は思う。エネルギーの塊、HKTの元気印である兒玉さんと、兒玉さんを初め、周囲の人々のパワーがあればあるほど、それを反射し、増幅し、成長していた宮脇さん。

宮脇さんのメールが、兒玉さんの卒業発表後に着弾した。予感はあったけれど、あの日の発表は予想外だったのかな、と感じた。

大人になんてなるな……

と言えばかつて秋元康氏が渡辺麻友さんの写真集に添えた言葉で、「お巡りさんこの人です」といった気持になったものだが、しかし宮脇さんの、大人になりたくない、でも大人になってしまったという葛藤から、筆者は二つの曲を思いだした。

一つ目はもちろん「大人列車」、もう一つは「ダンスを思い出すまで」である。


【MV】大人列車 Short ver. / HKT48[公式]

今更読者諸賢に説明するまでもない大人列車は開幕の兒玉さんの涼やかな歌声が切ないナンバーに良くマッチした名曲であり、今聞くと

噂聴いてたけど

まさかこんなに急だと知らなかったよ

さよならを言えば

自分の気持ちちゃんと整理できたのだろうか?

HKT48「大人列車」より

と言う歌詞がまるで未来予知の様で筆者の胸をかきむしるが、果たしてこの曲で宮脇さんは「大人」になっていく「誰か」を見送っていくこともまた、卒業を兒玉さんが先んじたことに象徴的である気がする。

 

open.spotify.com

↑(上のリンクから無料で聴けます。すごい時代だなあ)他方、「ダンスを思い出すまで」は少し説明のいる曲かもしれない。IZONEの日本デビューシングル「好きと言わせたい」のカップリングであり、宮脇咲良さんとチャン・ウォニョンさんのユニット曲である。「ご機嫌サヨナラ」もそうだが、このシングルは基本的にカップリングがとてもいい。デビューシングルにこんな曲を持って来て、これIZONE解散コンサートで歌ったら泣いちゃうやつだな……と思ったりしていた。

そして。今回の卒業を受けて改めて聴いてみると、また新たな気付きがあり、そして妄想も膨らんだのだった。

あれかいくつか恋して大人になったけど

あの頃踊ってたようなダンスは覚えていない

(中略)

誰のため踊るのでしょうか

太陽に問いかけてみた

木漏れ日が降り注ぐだけ

ご自由に…見物してちょうだい

―IZONE「ダンスを思い出すまで」より

「大人列車はどこを走っているのか?」がやはり名曲であったけれど「大人列車」のアンサーとしてはちょっと物足りなかったこともあり、改めて聴きなおすとこのフレーズでガンと殴られたような衝撃を受けた。

筆者は夢想する。クセになってんだ……夢想して話すの……やっぱり大人たちは、少なくとも秋元康氏は兒玉さんを復帰させるつもりだったのではないか、と。そこまでいかなくとも、卒業公演くらいは見込んでいたのではなかろうか、と。

そしてその時の曲こそが「ダンスを思い出すまで」だったのではないかと。勿論、なこみくの「生意気リップス」のように、成長したときに照準を合わせてこういった歌詞をウォニョンさんに提供した、というのもあるのだろうが、歌詞のストーリーがあまりに「はるさく」コンビにはまってしまうからである。ダンスが比較的簡単であるのも、ブランクのある「誰か」に合わせたようにすら思えてしまう……。

全ては夢想である。夢想であるけれども、兒玉さんがとうとうダンスを踊ることなくHKTを去ったことが、やはり筆者には悲しく、それをオタク諸賢の「#兒玉遥卒業公演」というイベントによって慰められたことが嬉しく、思わずこのような記事を書いてしまった。

公演の最後、挨拶をするときにやっぱりちょっと噛んでしまって、劇場が温かい雰囲気に包まれるような、そんな光景を幻視してしまったのだ。

いつかまた、一途なダンスを見てみたいと思う。重ねてお疲れさまでした。