カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

否定され、しかし礎となった時代。九州国立博物館特別展 室町将軍ー戦乱と美の足利十五代ーを鑑賞した話。


特別展:室町将軍 - 戦乱と美の足利十五代 -

余談

相変わらず、刀剣乱舞に楽しませてもらっている。薩摩刀の実装......ずっと待ってます。

実際の刀剣においても機会を見つけては鑑賞させてもらっているのはこのブログにも綴っている通りだ。
個人的には阿修羅像降臨の折、機会を逸してから九州国立博物館はずっと訪問し損ねてしまっていたので、満を持してという気持ちもあり、また重要文化財一振り、国宝二振りの刀剣を含む貴重な品々と展示を通して自分のなかで今一つ形をつかめていない室町時代という時代を俯瞰したいという気持ちもあって、特別展にお邪魔することにした。

はじめは、初週に伺うつもりであった。が、折からの悪天候で出発三分前に高速バスの終日運休が決定、その後繁忙期もあり涙を呑んでいた。やはり、自分と九州国立博物館は縁がないのかーーそう思うこともあった。

たまさか、一週間前に急遽時間が空き、妻の素早い宿抑えムーブにより念願の九州国立博物館への来訪が実現することと相成った。

それは素晴らしい体験であり、今なお咀嚼しきるのに時間がかかっている。ただでさえ長口上が常の筆者であるから、その一つ一つを語り起こしていては盆も明けてしまうだろう。

まずは本記事で特別展の感想をまとめておきたい。

なお、特別展は一部を除いて撮影禁止であるが、今回は九州国立博物館様の「ぶろぐるぽ」という取り組みに参加させていただき、資料写真のご提供を頂いた。

筆者の拙い万言よりもはるかに一枚の写真が雄弁に物語ってくれるであろう。ありがたい。

本題

室町時代。勝手ながら筆者の印象は「混沌とした時代」であった。

権力のバランスに危うさがあり、また文化もその時々によって振れ幅が激しく、何か時代を一気通貫するものがない――それが鑑賞前のイメージだ。

この記事もまた、足利の重宝の数々を点として渡り歩き、その中で何かつながるものを見つけようとした鑑賞方法が元になっているからオムニバス的な形になってしまうかもしれないが、ご容赦頂きたい。

当日は開館前にすでに多くの方が並んでおり、筆者と妻もその一団に加わった。九州国立博物館の素晴らしいところはiD決済が出来るところである。キャッシュレス万歳。

天井の高さに圧倒されながら、会場である二階に向かう。


特別展:室町将軍 - 戦乱と美の足利十五代 - TVCMラップ

 

室町時代を通貫するもの。その数少ない要素が十五代にわたる足利将軍たちである。

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CMで、また入り口で展示は語りかける。これは特別展の題名通り「室町将軍」の物語なのであると。
室町時代と言う複雑怪奇な時代は将軍を道標として切り開くものであるのだと。

そういう意味でラップと漫画で敷居を下げているのは知識に乏しい筆者としても有り難かったし、小学生諸賢も結構食いついているようであった。

音声ガイドをレンタルしていると、早速ここからオープニングのナレーションが始まり、気持ちが高まる。

特別展は全部で四章構成となっており、まずは幕府の祖・足利尊氏南北朝の動乱から話が始まる。

第一章 南北朝の動乱足利尊氏

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我々を迎える三幅の掛け軸。

それぞれ誰かわかるだろうか?

耳の早い読者諸賢であれば、真ん中の騎馬武者が現在では「足利尊氏ではないという説が有力である、と言うことをご存知かもしれない。

現在は太平記を読む感じでは完全にドブぬめりクソ野郎としか言いようがない高師直、もしくはその一族と言う説が有力なようである。(読者諸賢には釈迦に説法であるが、歴史とは基本的に勝者が作るものであり、記述そのままをストレートに受け止めるのは特に動員兵力とかマシマシにしているらしい太平記においてはやめておいたほうがいい。が、しかし悪役としては滅茶苦茶キャラクターが完成されている)しかしやはり「室町時代」を想起させる非常に有名な肖像画であるから、この目で見られたのは嬉しかった。

左は正真正銘、足利尊氏である。優しい目をしている。広島の浄土寺にて発見されたもの。源頼朝徳川家康の肖像と同じ格好なのでこれが恐らく征夷大将軍の正装なのだろう。ちなみにみんなが知っている源頼朝像は現在、尊氏の弟である直義説が有力となっており、兄弟してややっこしいことになっている。

一番右はご存じの通り後醍醐天皇である。ガンダーラは探していない……と言いたいところだが、彼にとってのユートピア、京都、そして天皇が力を持つ治世が結局のところ手に入らなかった点を鑑みるにやはりガンダーラを追い求めていた可能性がある。

室町時代の黎明期は即ち尊氏と後醍醐天皇の憎悪百合である、というと各方面から怒られそうであるが、この辺りの関係性のぐちゃぐちゃさが入りから室町時代のハードルを上げている一因ではないかと個人的には思う。

そのあたりをこの第一章ではゆっくりと解きほぐしていってくれる。湧き上がってくる尊氏のイメージは簒奪者ではなく気の良い兄貴分的な姿である。

それ故に各方面にいい顔をし過ぎて、苦労をした印象もあるが……。

革包太刀 号 笹丸(名物二ツ則宗) (重文)

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その尊氏が佩用していたと伝わるのがこの太刀。

細身で優美、反りも滑らかで、直刃であることが更に気品を添えているように見える。

筆者はやはり直刃スキーであるので今回の展示ではこの太刀が一番心に残った。太刀だけでなく、「革包」の名の通り綺麗に張られた革の拵も素晴らしい。このヴィンテージと言う言葉では足りない質感の素晴らしさは是非、生で見ていただきたい。

後方からのぞくことが出来るのも素晴らしい。

ガラスケースに映っているのは仏舎利塔

武と仏。それが尊氏の生涯の彩りであることを考えると、象徴的な写真であると言えよう。

第二章 室町の栄華――義満・義持と唐物荘厳

続いて第二章は室町幕府の黄金期。なんといっても主役は文字通り黄金の金閣寺も作り、室町に住んで「室町幕府」という呼称の所以ともなった足利義満である。

彼が築き上げたバベルの塔、北山大塔の存在は半ば伝説であったが、最近その実在を裏付けるような部材が発見され、それを鑑賞できる。比較対象がご当地の博多ポートタワーだったりするのが親しみがわく。

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勘合貿易という単語に遥か学生時代を思い出す読者諸賢もいるかもしれない。筆者は勘合貿易をお互いの札が合えばOK! 的な使い方をしていたと習った記憶があるのだが、実際は割り印としての活用が主であったらしい。

もちろん合わなかったらそれなりのケジメが要求されたようである。その勘合貿易の割り印照合を体験することが出来る。写真撮影も可能だ。君は、生き延びて貿易品を持ち帰ることが出来るか?(冨野御大展にも行きたかった)

木印「日本国王印」&雲龍鎗金印箱(どちらも重文)

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木印は本来予備的なものであったが本体が紛失してしまい、割と頻繁に用いられていたらしい。金印箱は龍の装飾が恐ろしく細緻であり、金印をしまっておくための金印箱を厳重にしまっておくための箱が必要なのではないかと思わされた。

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因みにこれは対馬の宋氏が偽造していた印。用途と時代は少し違うのだが印つながりで一緒に紹介。この偽物が現存しているおかげで実際の室町将軍印がどんなものであったかわかる、と言うのだから歴史は面白い。

続いて義満の息子であり、歴代最長在任者である義持の時代となる。鎌倉とごたごたしたり、親父がやっとのことで始めた日明貿易を断絶させたりと、義満の陰に隠れてしまっているが色々な火種を蒔いている。

その大本は父・義満への曰く言い難い気持ちにあったのではないか、と思う。彼にとっての不幸は父への反抗がそのまま幕府の寿命を縮めてしまうことであった。

瓢鯰図(国宝)

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そんな義持はストレスの解消もあったのか、よく寺社仏閣を参拝したという。

特に禅については良く収め、如拙に銘じてこのような絵を描かせている。

(わかりにくいが、写真右から二番目)

↓公式ツイッターの画像が判り易い。二枚目。

簡単に言ってしまえば禅問答をイラスト化したもの。呆然としている男性の姿が印象的で、教科書等で見たこともある読者諸賢もいることだろう。

上部に書き連ねてある漢文は当時の高僧たちによる回答である。即ちこの絵画には出題と回答が一体になっているのであるが、解説においては回答が訳されていなくてこの絵画の味わいを損なってしまっていると感じた。

音声ガイドには一例を紹介してくれているので是非聞いてほしい。

回答といってもいわゆる身内受けというか出題者である「将軍ヨイショ」みたいな印象のものも多く、それを身分のわけ隔てない知的交流の場であったと考えるか、権力と求道が密接に結び付いてしまったことを嘆くのか、そういった判断のきっかけすら与えられないというのはもったいない。

ちなみに筆者が同様の出題をされたら「鯰が飛び込んでくるのを待ちます」と答えると思う。

 

第三章 将軍権力の揺らぎと成熟する文化――義教・義政の時代

 黄金期に蒔かれた火種が、早くもきな臭くなり始めている。

くじ引き将軍の名の通り、くじ引きで将軍にさせられた足利義教はしかしその経緯故か、彼なりに幕府、将軍の権威を引き上げようとする。

それは主に、父・義満の摸倣であった。勅撰和歌集日明貿易、有力豪族の引き締め……。この辺り、祖父、徳川吉宗享保の改革を模倣した松平定信寛政の改革を思い出させる。(そっちの方が時代としては後なのだが)

そして定信がそうであったように、義教もまた、偉大なる先駆者のトレースが上手くいかないことで改めて自らの、幕府の力の衰えを感じたことであろう。

統制の為に義教が取った方法――それは「万人恐怖」と称されるほどの恐怖政治であった。料理がまずいと処罰。梅の枝が折れていたら処罰。にっこり笑ったら処罰。しかしそれは結局のところ「やられる前にやる」方向へ部下を追い込み、公家に「犬死」と日記に記される無残な最期を遂げることになる。

 

尉(重文)

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室町時代に起こった文化と言えば、と能(猿楽)の観阿弥世阿弥親子を思い出す読者諸賢は多いであろう。筆者もそうである。

きっとパイオニアとして悠々自適の人生を送ったのであろうと。

そうではなかった。大庇護者であった義満の死後、義持は(やっぱり義満への対抗意識もあったのかなあ)田楽に傾倒し、以前より扱いは悪くなった。

義教の時代、彼は芸能においてもやはり義満を模倣しようとした。能へ再び、権力のリソースが注がれようとしていた。

が、それは世阿弥ではなく、そのいとこ、音阿弥に対してであった。義教は以前より入魂であった音阿弥に世阿弥の持っていた「大舞台で公演出来る権利」などを譲り渡してしまう。

世阿弥は、困窮し、都落ちすることになった。そうこうするうち、息子に先立たれてしまう。そうした受難の中、この面は彫られたと考えられている。髭が滅失していることもあり、より受難が色濃く映し出されているように見えてしまう。

ある意味では義教の義理堅さを表していると言えるが、しかし権力の理不尽さが面と言う形になったようにも思える。

 

さて父が惨死し、引き継いだ義政も、上手くいかない。(実際には兄が幼くして父の跡を継ぎ、一年持たずして病死している)というかそんな状態でバトンを渡されても既に機能不全が出始めているのである。

それでも義政は初め頑張った。小競り合いをする武士たちの争いに介入し、調停しようとした。将軍親政という父、祖父の理想を実現させようとした。

だが、そもそも身内がやいのやいのと思うようにならない、そうこうするうち、種火はいよいよ燃え盛り、応仁の乱が起きる。

それが誰も得をしない形で終結をしたとき、義政の政治的関心もまた、燃え尽きていた。

後に東山文化と呼ばれる文化的活動に彼はのめり込んでいくことになる。今我々が「和室」と呼び慣れ親しむ空間の誕生である。

そしてそこで利用される茶碗について数々の名品をコレクションしたのはさすがに将軍(隠居したけど)と言えよう。

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青磁花茶碗 銘 馬蝗絆(重文)

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もとは平清盛の息子、重盛の所有物であるこの茶碗は割れてしまった際に中国に送り、替わりを求めたが、これ以上のものはないと「本場」中国に太鼓判を捺され、鎹で修理を施された上で帰ってきたという逸品である。

さらっと言っているがこの時代に中国に「この茶碗取り替えてほしいなあ」という理由で送ることが出来る辺りに室町将軍の力を感じる。

ライティングが素晴らしく、青磁のぬらりとした碧さが魅惑的に出ている。ただ、この銘は修理されたときに施された鎹が蝗(イナゴ)に見えるということから名付けられたのであるが、それが少し見えにくかったように感じた。台に載せるなどすればより分かりやすかったかもしれない。

灰被天目 銘 虹(重文)

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室町時代は評価が低かった灰被天目だがそれであってもなお将軍がコレクションに加えたほどの名品。その銘の通り斜めにかけられた釉薬の境目が虹のようにきらめくさまは成るほど名品であり、角度を変えて何度でも鑑賞したくなる。

 

第四章 戦国の将軍たち――流浪する将軍と室町幕府の終焉

ここで音声ガイドの大般若長光が意味深な言葉を発する。やや、と思って展示の裏に回ると、ついにこの特別展の目玉の登場である。

 

太刀 銘 長光(名物 大般若長光)国宝

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しっかりとした反りと大胆かつ優美な刃文。太刀そのものの存在感に刃が負けておらず、むしろ競い合っている風ですらある。

剣豪将軍の異名を持つ足利義輝が大事にしていたのも納得できる文句なしの名刀である。

太刀 銘 康次(国宝)

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青江派の刀で大般若長光よりさらに長く、反りが強い。それに示し合わせたかのような豪壮な乱れ刃が素晴らしい。大日如来と素剣の入れ方にも無駄がない。

最後の将軍・足利義昭島津義久に送った刀。これほどの名刀を贈ったことは島津への将軍の期待値の高さをうかがわせる。(鬼島津こと島津義弘の「義」は義昭の偏諱であったりする)実際、都を追われてからも島津は将軍に惜しみなく援助した。もともとの願いの織田信長をどうにかしてくれたかどうかは……まあノーコメントで……。

現在鹿児島県の国宝は太刀 銘 国宗のみであるのだが、この康次を島津でとどめておいてくれたら国宝が一つ増えたのになあ、と鹿児島県民としては思う。

ある将軍は凶刃に倒れ、ある将軍はついに京の地を踏まずに亡くなり、ある将軍は追放される。

室町幕府はその役目を終えつつあった。その経緯がかつて初代将軍・足利尊氏と対立していた勢力のそれと末路が似ているのは歴史の皮肉であろうか。

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歴史の無常さにしんみりとしているとこの歴代将軍像勢ぞろいコーナーへとたどり着く。

この「圧」は是非体感して頂きたい。写真撮影も可能である。

個人的には、

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今回の特別展のキービジュアルにもなっている義満像(栄華を極めたはずなのになんだか悲しそうだ)や、

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恐怖政治を擬人化したような義教像、

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「どうしてこうなった」と言わんばかりの顔をしている義昭像が特にお気に入りである。

 

出口前に足利尊氏の生涯をまとめたVTRがあった。

地蔵菩薩をお守りとして生涯持ち歩いていたという尊氏のイメージは武家の棟梁と言うより一家の家長、頼れる親分と言った感じで、そういう「ほっとけなさ」が彼にはアットのだろうなと思う。

良くも悪くも優し過ぎた、苛烈になれきれなかったのではないか。

だからこそ、運命は彼に愛する者達との対立を余儀なくさせるのだが……。

尊氏は後醍醐天皇とはっきり敵対しても「尊氏」の名を捨てないし、死後天竜寺を建立して供養している。それが外面のためだけとはどうしても思えないのである。

その懐深い彼が実の弟、息子を人生のラスボスに設定しないといけなかったなんて余りにも惨い。

観終えて、本来ならば導入として設置していてもおかしくない内容であるのに出口直前で展開されていた理由がわかった。

室町幕府を通貫するもの、それは尊氏の祈りである。人々を守りたいという気持ちは、歪んでしまうことはあってもぶれることはなかったように感じた。

天皇と敵対したということで、足利将軍は水戸学をきっかけに評価は厳しく、幕末においては逆賊として先程の木造の首が晒されるという事態すら招いた。

その延長線上にある明治以降もまた、一度否定されたという事実は色濃く残り、不当な評価のままである嫌いは否めない。

だが、和室がそうであるように現在の我々の生活様式の基盤となったもので室町時代が生み出したものは多い。そしてそれらの多くは、室町将軍の影に日向にの援助があってこそのものであったろう。

室町時代を通して今につながる歴史のダイナミズムに思いをはせることが出来る、大変意義深い展示であった。

また、足利尊氏が一度都を追われ、九州国立博物館のある地・大宰府で再起、天下を手にしたことは劉邦が天命の地、漢中で漢中王になってから巻き返したことを思い起こさせ、その子孫で自身も漢中王となった劉備も関係する三国志展が次回特別展であることに不思議なめぐりあわせを感じた。

審神者ご同業諸賢においては、大般若長光パネルは一階の左端、カフェーそばと入り口から結構離れたところに設置されているのでご留意されたい。

コラボグッズは数が行き届いており、無事確保できて嬉しかった。転売屋死すべし。慈悲はない。一応、転売への転載防止のために画像を加工してあります。

 

やはり危惧していた通り、特別展のみで七千字を超えてしまったので他展示については項を分けることをお許しいただきたい。また明日。