カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

虎狼の心は残忍でも貪欲でもなく――ミュージカル『刀剣乱舞』~幕末天狼傳~初見感想

余談

ということで神企画に合わせて拙ブログも連続更新である。

その日のうちに更新を目標としているのでどうしてもいつも以上につたないところがあるかもしれないがご容赦いただきたい。

幕末――歴史好きにとってたまらない時代の一つ。幕末オタは最初に見た創作を親と思ってしまう傾向があるが、筆者にとってはやはり「お~い!竜馬」史観が強い。読者諸賢も機会があったら是非読んでみてほしい。

本題

新選組が嫌いな男子なんていません! ということで筆者も当然好きなのだが、しかし本作もめちゃくちゃよかった。刀剣男士諸君は勿論のこと、近藤勇、(なんと本日が命日、役者の方はお誕生日という不思議なめぐりあわせ)土方歳三沖田総司の三人の熱演にはたびたび目頭を熱くさせられた。

相変わらず一人「ハズした」ような編成をする審神者。筆者本丸では蜂須賀虎徹はあまりキラキラきらびやかでなんだか気後れしてしまって、しっかりと経験を積ませてあげられず、そのせいもあり天保江戸でも十分な活躍をさせてあげられなかった(このままでは慶長熊本での歌仙兼定もどうようになってしまうのでなんとかしてあげたい)ことを悔やむ日々でもある。

そういったことでイメージとしては「花丸」で培ったものが大きかった。別にそれで嫌いになったとかではなかったが、本作を通して蜂須賀虎徹がめちゃくちゃに好きになってしまった。天保江戸をなるはやで復刻してほしいという審神者は筆者以外にも大勢生まれたことであろうと思う。

 

kimotokanata.hatenablog.com

 前作の今剣たちがそうであったように、今作も刀剣男士は様々なジレンマに悩まされる。

今回、新選組の愛刀の中に一人放り込まれた蜂須賀虎徹。他の刀剣男士が刀としての本領を存分に発揮し、その持ち主の個性を色濃く受け継いでいるのに対して、「蜂須賀家の重宝」としての属性が濃い彼の在り方は対照的だ。重宝というプライド、虎徹というプライドへの自負は実戦において活躍できなかったという後ろめたさと鏡合わせである。そんな彼にとって偽物の「虎徹」である長曾祢虎徹――源清磨の刀という己を捨てて主が「そうあれかし」と願った振る舞いをし続ける――の存在は尊敬と畏れが入り混じるものであったろう。かくして他ごとにおいては極めて優等生な、酒だってジョッキでイケてしまう彼の長曾祢虎徹への対応は傍目には悪態という形で出力される。

終盤。歴史修正を回避するためには誰かが近藤勇を「斬首」(当初は切腹が予定されていたが斬首に変更になったという。近藤はその人生の終局において、ついに手に入れた武士としての面目を剥奪されたのである)しなくてはならない。そんなときにおいてすら、全てを自ら背負い込み、刀剣男士の役割を全うしようとする長曾祢虎徹を前についに蜂須賀虎徹は激昂し、その気持ちをぶつける。そして長曾祢虎徹の代わりに近藤勇の首を落とすのである。

「人間を斬る」という刀としての使命を、ずっと果たしたかったはずのそれを全うした時彼が果たして何を思ったのか。それはその鮮やかな太刀筋のように物語も断ち切られてしまうのでわからないけれども、一つ言えるのは長曾祢と蜂須賀、二人の魂は分かち合うことでそれまで以上に強固になったであろうということである。

そして近藤勇という壬生狼の長にして虎徹を愛した男、虎狼でありながらもしかしどこまでも懐大きく優しかった男が刀剣男士を未来からの存在を見抜いた眼力や、長曽祢虎徹を信頼のおける(自分の首を斬らせるほどに)と認めた気持ち、そして憧れの「真作虎徹」に初めてその肌で触れるその時が命の終わるときであったということを考えるに、役者さんの熱演もあって筆者はやはり涙なくしては観劇できなかったのである。

今一人、選ばれなかったことに思い悩む刀剣男士がいる。大和守安定である。筆者が刀剣乱舞の世界に深く耽溺するきっかけとなった「花丸」でそうであったように、どうも彼は「池田屋事件の時の帯刀が自分であったら」という思いが強いようである。どんどん限界沖田オタクと化す彼は、ついには新選組隊士として潜入してしまう。一歩間違えれば歴史改変につながることであるが、相方・加州清光は信じている。その絆の強さと加州自身の胆力は前作から地続きであることが感じられる。潜入時に名乗る偽名・奥沢は池田屋事件で亡くなった隊士として実在しており、この世界線では池田屋事件の際にフェードアウトしたということになっているのだろう。

そうして大和守安定は、選ばれた側、事件に居合わせたものだからこそ「大切な人が大変なことになっていてもどうすることもできないという辛さ」を味わうことになる、ということを痛いほど感じ、薬瓶を使うことはなかった。同時にそれを体験させないがための加州清光の配慮に改めて気づき、そしてその相棒と出会わせてくれた元の主・沖田総司にも感謝することで「選ばれなかったもの」という呪いを彼もまた断ち切ることに成功するのである。

その沖田総司は黒猫=時間遡行軍にそそのかされ、その身を乗っ取られて刑場へ向かわされる。

前作の義経VS今剣の件もあるのでハラハラしていたが、局長の偉大さで乗り切れてよかった。蜂須賀と安定、それぞれで一編が成立するのに実に贅沢な作りであったといえよう。そうなってくると土方歳三と土方刀のエピソードも欲しくなってくるのだが……。

しかし舞台の公演時は観劇後、空を見上げると天狼星が瞬いていたかと思うとやはりリアルタイムで体験できた先輩審神者諸賢にうらやましさが募ったりもするのであった。

第二部

太鼓は労咳に効く。みんな知ってるね。

やっぱり漢道が好きです。

前作で覚悟はできてると思ったら開幕ロボットダンスマスカレードで覚悟の足りなさを痛感する次第であった。また明日。

ミュージカル『刀剣乱舞』~幕末天狼傳~ [Blu-ray]

阿津賀志山RPG――ミュージカル『刀剣乱舞』 ~阿津賀志山異聞~初見感想

余談

驚くべきことに来週はもう五月、寝ても覚めてもコロナコロナで一人暮らしだったらとうに発狂していたことであろう。妻がいてくれてよかった。何気に新居への引っ越しもカウントダウンなのだが、果たして予定通りに行くのだろうか……。相も変わらず細心の注意を払って出勤・勤務しているが確かに県外ナンバーが増えたような気もする。少しずつ何かが良くなっていきますように。

 

※阿津賀志山異聞全般のネタバレがあります

本題

 控えめに言って神であったのでさっそく妻と鑑賞することにした。勤務後に楽しみがあると仕事にも張りが出るというものである。

七時四十分ごろ帰宅し、入場した。

阿津賀志山。かつての刀剣乱舞の終着点の一つであるその場所でいかなる異なる風聞が……。

身構える筆者に語られるのは音に聞く義経の最期。兄である源氏の棟梁・源頼朝は策略により義経の庇護者であった奥州藤原氏当主・藤原泰衡義経を追悼するように仕向ける。炎に包まれる衣川館。天下無双の忠臣・無双で言うところのチャージ攻撃を会得しているとしか思えない武蔵坊弁慶に死してなお自らを守護することを遺言し、義経は守り刀――今剣で自害する。そして弁慶もまた壮絶な最期を遂げる、我々の知る、哀しくもまごうことなき真実の歴史が語られたかに見えたが――。

※ちなみ

刀剣男士の格好いい紹介(本気を出すとカットインが入ることを学ぶ)。加州清光with三条ズという布陣は一癖も二癖もあり、部隊長を悩ませる。彼らの向かう場所は、阿津賀志山。そう、史実では自分がけしかけておきながら「は? うちの弟を殺すとか許せんのだが?」という完全なるいちゃもんによって攻め込んできた源頼朝により滅亡に至る藤原泰衡と、何故か生き残っている源九郎判官義経武蔵坊弁慶によって源頼朝は捕えられてしまった。そこにちらつく時間遡行軍の影。歴史が変わっているのである。

事態の深刻さとは裏腹に、生きた主と会えることに喜ぶ今剣。気負いからか采配が振るわない加州清光。葛藤する岩融。それらを三日月宗近・石切丸・小狐丸といったベテランたちがやさしくケアし、部隊がまとまっていく。

武蔵坊弁慶義経にすっかり懐いた今剣は、義経から「己の役割」を全うすることの大切さを説かれる。しかし義経自身のその行為はコンプレックスまみれの頼朝にとっては逆効果となってしまい、争いとなるが、お互いの思いを吐露したことで和解……と思いきや持っていた刀剣が豹変、義経の体を侵食する。

「裏の裏」―正面突破で向かう刀剣男士に立ちはだかる武蔵坊弁慶。対するは岩融。「元の主」が強かったと嘯き薙刀対決を制する岩融は、しかし弁慶が手加減をしていたことに気付く。

それは弁慶もまた気づいていたから。今剣が言っていた「大切なヒト」が岩融であることを。この者達であれば自分がなせなかった義経を止めることができるのではないかということを。

だが、その忠義の心は変貌した義経自身によって裏切られてしまうのだった。

そうして今剣は否応なしに元の主と対峙せざるを得なくなる。動揺してか皆で義経の家来になろうとまで言い出す今剣。

そう、彼には「己の役割」という大好きな義経が提示してくれた指針がある。

しかし「守り刀」としての彼の役割は「義経を護ること」。

刀剣男士としての彼の役割は「歴史を護ること」。

相反する二つが彼をさいなむ。それは「守り刀でありながら主人を死に至らしめた」という自分自身の来し方を改めてみさせられるようなつらいつらいアンビバレントだ。

しかし目の前にいるものが「義経公だったもの」と気付いた彼は、自らの手でそれを倒し、「義経の名誉」を護ったのである。もし義経が生きていれば、それ以前の彼との会話がきっかけで失われようとしていた兄弟の絆を君は「護って」くれたのだ、と言ってくれたかもしれない。

ビターな、しかし間違いなく部隊員たちが成長したことをもってこの異聞は締めくくられるのだった……。

と思いきやとんでもねえ刺客が待っていやがった。

第二部である。

ショータイムである。

高低差がすごすぎて発電してしまうのである。

理屈ではない。エンターテイメントなのだ。

実際には休憩があったらしいのだが暗転からびしっと洋服でキメキメ刀剣男士が英単語を流暢に歌いこなすその様はまさしく狐に化かされたかのような気持ちだった。現場にいたら筆者の涙にサイリウムの光が反射してさぞロマンチックであったことだろう。

個人的には漢道が好きでした。あんなにシリアスしていた歴史上の登場人物に太鼓を打ち鳴らさせるその発想は天才となんたらは紙一重という賞賛を贈りたい。

どんなベクトルでも全力な「刀ミュ」なかなか得難い経験であった。明日も楽しみにしたい。

個人的に気になったこととか、妄想としては

藤原泰衡はなんであんなにクボヅカなのか説明してほしい

・時間遡行軍に共鳴する「依り代」となった義経の刀は「膝丸」だったりしないだろうか

といったところで、この辺りは時間があるときに加筆してみたい。

ではまた明日。

ミュージカル 刀剣乱舞 ~阿津賀志山異聞~ Blu-ray

「とどまれにんげんは家」の現実だから――「あつまれどうぶつの森」プレイ雑感

今週のお題「オンライン」

余談

通勤が続く。

田舎の幸い、通勤は自家用車でのドアtoドアであるので他人との接触がないのは幸いだが、またしても県内での感染者が確認され、自分や周囲がどんどんと疲弊しているのを感じる。

この記事ももっと早くに書くつもりだったがそういった日々の生活にプラスαが出来なくなって、困難になって久しい。

そうなると「今日もブログを書けなかった」が心に澱のように沈んでいくようでそれもまたつらい。

はるか昔、自分の打鍵したものが形になるなんてすごいという感覚を思い出すために苦境にあるという妻贔屓の印刷屋さんにお願いして同人誌でも出してみようかと思う。

明日は少しでも何かが良くなっていますように。

本題

blog.hatenablog.com

ということではてな界隈では既に一度クライマックスが訪れた感もある「あつまれどうぶつの森」であるが筆者も絶賛プレイ中である。

最近生活のモチベーションはエイブルシスターズとたぬき商店の日替わり商品を確認する楽しみにあるといっても過言ではないくらいである。

とびだせどうぶつの森も妻(当時は彼女)と一つの3DSでプレイしたものだったが今回は同時プレイが出来るということも後押しとなり購入した。時系列的には100日後に死ぬワニ(そういや単行本を買わないといかんな)の流れにもんにゃりしていて癒しを求めていた、という状態であった。

まだ村長であったころを捨てきれない筆者である。

……満喫しているようである。

実はカブを一度も買えていない。おらが島はほとんど買取カブ価が三桁を超えないのでそういう意味では幸運であるのだが、「祭り」に参戦できていないような一抹の寂しさがある。

オンラインでフレンドの島にも何度か遊びに行かせていただいた。「同じソフトですよね?」といいたくなるような細部まで目が行き届いた島ばかりで、恥ずかしくなってしまってもてなしていただいてばかりで未だに一人もお迎えできていない。

出来やしないよ……そこらに脱ぎ捨てた服やプレゼントを拾うためにとりあえず置いた家具が散乱している島にお誘いなんて……。

妻に至っては「なぜ我々はフルーツに直接かぶりついているのにどうぶつの皆は缶ジュースや紅茶を飲んでいるのか……?」というタブー中のタブーに触れてしまい、いまだ家がない。(なので誕生日に手紙も送れなかった)(直接の交流だけでなく、手紙を送ることによる緩い交流が出来るのも本作の良いところであると思う。)

そんな中交流した人間の一人に、実弟がいた。現在四国在住であり、今年の正月は我々夫婦が揃って体調がすぐれず寝正月だったこともあり今年は未だ顔を合わせていない実弟とまさかの「あつ森」で2020初邂逅を果たすとは世の中何が起こるかわからないものである。

以前何かの余談で触れたが、実弟は本来今月結婚式の予定であった。しかし自分も医療業界に携わる人間でもあり、コロナ感染拡大を受けてひとまず今夏まで(中止・それ以上の延期は式費用の半分近いお金がかかるらしい)の延期を先月決断した。当時はまだ楽観視されていることもあり(なのでこの段階で卒業旅行に行っていた大学生諸賢などを無知暴虐の徒のように糾弾するのはおかしいと考える)、かなりの抵抗があったようだが結果から見れば英断であったといえよう。

実弟はあまりゲームをする人間ではない。恐らく幼少のみぎりに筆者が「真・三国無双」シリーズにおいて「この関羽ってやつ使って! ほんで敵が出たらこのボタン押して!」という風にユニーク武器人足として酷使したことと「ラチェット&クランク」で盛大に3D酔いしたことが影響していると思われるが、しかしなぜそんな実弟が「あつ森」で筆者と邂逅するに至ったのか。

それは彼の妻が「ぶつ森」ヘビーユーザーだったからによる。彼女もヘビーゲーマーではないが「ぶつ森」は別腹というタイプであり、彼女にとっても楽しみであった結婚式の延期を受け、実弟は八方手を尽くして同梱版こそ手に入らなかったものの、なんとか彼女の前にニンテンドーswitchと「あつ森」を正規の手段で調達することに成功したのである。愛……愛じゃよ……。

そしてぶつ森ヘビーユーザーの看板に偽りなく、二日目に筆者がお邪魔してみるとイースター家具はかなりそろっており、道もきれいに整備され、花はみずみずしく、商店と博物館も開業をほのめかしているこなれぶりであった。

余りのRTAぶりに実弟の分身を作成する時間すら惜しまれ、迎えてくれた弟は妻を模したポニーテールの女性であった。思わず弟がリモートワークの結果「バ美肉」に到達したのかと思ったがそうではなかったようである。

特産品はモモであり、くしくもわが「かごひろ島」と同じなのであった。それから我々はしばらくの間、島を駆け回り、棒で向こう岸へ渡り、ムシを挟み撃ちにし、レシピをシェアし、壁紙を交換し、釣果を見せびらかしあった。

幼き頃の筆者にとって、実弟は17時のチャイムが鳴ってもバイバイしなくてよく、趣味嗜好も合い、気を使わなくてもよい一番の「友達」であったことが懐かしく思い出される時間であった。

どうぶつの森」シリーズは本来、スローライフを売りとしたゲームだ。とはいえ、オンラインに対応し、3DS時代以上にSNSでのシェアが活発になったことでやはり先述した筆者のようにほかのプレイヤーと比べてしまったり、効率化を求めてしまう面があるようにも思う。

そうではなくただ気の置けない友達とぶらぶらするだけでいいんだよ、ということを学んだようにも思った。

筆者の考える「いいゲーム」の定義の一つに「プレイしているとき以外でそのゲームのことを考える」「次こうしよう、ああしようが脳内で止まらない」というものがあるが、「あつ森」はまさにそういったゲームである。

まずは今週末の釣り大会を楽しみに、引き続きゆっくり過ごしたい。できれば今の一番のパートナーである妻と。

あつまれ どうぶつの森|オンラインコード版

出会いは悲哀・別れ・透けた布キレ――シンジュクドラパ「過去からのchaser」ネタバレ感想・妄想・考察

ヒプノシスマイク シンジュク・ディビジョン 「麻天狼 -Before The 2nd D.R.B-」

臨戦態勢――と見せかけて多分観音坂独歩だけ「あれ? 俺取引先にメール返したよな……」ということを考えていると思います。

余談

妻の誕生日である。Twitterでつぶやいたところ、たくさんの方から「めでたいいね」をいただき夫の筆者としても大変ありがたい気持ちになることしきりであった。

しかし時勢が時勢、本来であれば一泊二日の温泉旅行でもと考えていたのだが断念し、迅速にちょっといいテイクアウト料理を最小限の接触で回収し、しばしドライブの後家で過ごすことにした。

桜はまだ五分咲きもどうか、という感じであった。一方桜島は昨日に引き続き大きく噴煙を噴き上げていた。わざとらしいくらいに快晴で、しかしやはり道行く人々は少なく、それゆえに暖かな日差しがありながらも随分と寒々しい光景に感じられた。

それぞれの持ち場で頑張るしかない。もう少ししたら一度緩んでしまった連休の時のつけが弾け出すフェーズとなることだろう。少しでも被害が少なく済むことを祈る。

来年も妻の誕生日を一緒に祝いたい。できれば、いい方の「非日常」を味わいながら。

本題

さて、そんな妻がヒプマイと出会って以来ずっと「推しディビジョン」であり続ける麻天狼の新曲&ドラマトラックが世に出て少しの時間が経った。その前後でライブの中止やその代替であるアベマライブ、前回のライブ円盤、アプリの配信など盛りだくさんであったり筆者の業務多忙によってタイミングを逃してきたが、妻の誕生日に捧ぐという意味でも今日のうちに感想他諸々を残しておきたい。

以下、ヒプノシスマイク全般に関するネタバレが含まれます。

感想

今回の半年間という怒涛の連続リリースの肝は「バトルシーズン前夜」――即ち恐らくは次回のバトルシーズンで初めに戦うであろうディビジョン同士がドラパでバチバチになる、という構図であろう。

そうしてオオサカはイケブクロに酒盛りをしたりカチコミをしたりし、シブヤはヨコハマに対してカミングアウトをし、(どう考えても妹にお兄ちゃん嫌いされたほうでダメージを受けていたようであったが……)因縁がちょっと強引さもありながらも深まったりしていた。

ゴヤとシンジュク。既にナゴヤのドラパで神宮寺寂雷と天国獄の因縁は仄めかされており、そして筆者も含めヘッズたちはもう一つ因縁を感じる組み合わせもあった。(後述)。すっかり釣り糸が馴染むようになったチームメンバーたち。

しかしシンジュクが他のディビジョンと異なるのは、その年齢層の高さ。そしてそれ故に持つそれこそ釣り糸が絡まったかのような複雑な過去だ。その過去が、彼らに迫る。ミヤモトマサシの有名なコトワザの「過去が今私を収穫に来た」とはこのことであろう。コトダマに包まれてあれ……。

神宮寺寂雷は飴村乱数の豹変とそれにより現在昏睡状態となった神奈備衢について告白し、また天国獄の鬱屈した積年の感情と向き合う決意をした。

伊弉冉一二三は自らを女性恐怖症に至らしめた旧知の女性と改めて話をしたいと考え、前に進む決意をした。

そして――観音坂独歩は最初のドラパから「弟が高校受験に失敗したのも自分のせい」と鬱々とするほど気にしており、恐らくは受験の失敗により希望した高校に進学できず、そこでひどいいじめにあって地区外に引っ越し、親戚か誰かの姓を名乗ることになった実弟、ナゴヤディビジョン二番手、四十物十四と――。

――えっ他人?

ドラパ中、一二三の店にカチコミをかける波羅夷空却と四十物十四。筆者はなるほど、ここで独歩と十四が対面し、ひと悶着あるのだと考えた。しかし全くそのような気配はなく、単に厄介者として勃発するラップバトル。(選択肢はいらねえな作れを実践する波羅夷空却)というか初対面宣言をしてしまうナゴヤ・ディビジョン。筆者の頭は混乱したまま、警察が来たことでうやむやになり、神宮寺寂雷が「ディビジョンバトルか……!」といつものいい声で呟いてドラパは幕を閉じるのであった。

先ほど(後述)とした――筆者が、恐らくは少なくないヘッズが予想したナゴヤとシンジュクのもう一つの因縁――「観音坂独歩と四十物十四兄弟説」はここにもろくも崩れ去ったのである。そんな……それじゃあこのドラパで観音坂独歩はいつもの社畜芸を披露して、神宮寺寂雷に「飴村乱数と話したほうがいいと思う」と女子トークみたいな話をして、無水カレーを美味しくいただいたりで全然過去から追跡されてないじゃないですか……ある意味一番瞬間瞬間の過去に強迫されているのかもしれないが……。

完全に二人が兄弟というのは天谷奴零が山田父くらいのガチガチに鉄板のヒプマイ得意の「布石」だとばかり思っていたので考察厨としての筆者のショックは結構デカかった。おいは恥ずかしかっ 生きておられんごっ!

……ま、まだ真正ヒプノシスマイクで記憶を封じられているかもしれないし……ないか……。

考察・妄想

神奈備衢 悪玉説

神宮寺寂雷が信頼していた神奈備衢。彼を昏睡状態に追い込んだ飴村乱数。それによいって二人はその絆を分ってしまった。しかし、そもそもなぜ飴村乱数はそのようなことをしたのだろうか? TDD解散のため? 「飴村乱数」の秘密に神奈備衢が感づいてしまったから? 真正ヒプノシスマイクの試運転?

恐らくそれもあるのだろうが、コミカライズをFP&Mしか追えていない筆者の妄想として神奈備衢が悪玉であった、という説を上げておきたい。

神奈備――カンナビス。すなわち大麻である。麻薬が蔓延してしまっているヒプノシスマイクの世界観においてこの苗字はいかにも不穏である。その名の通り彼が医療関係者という立場を利用して麻薬の流通に関わっていたとしたら? それを知った飴村乱数が神宮寺寂雷を傷つけないように文字通り自らを犠牲にして彼を告発ではなく昏睡状態にすることで世間からは被害者扱いされ、かつ麻薬の蔓延を食い止めていたとしたら? こんなに悲しい友情はないではないか。(そして今の「飴村乱数」にはその記憶はなく、神奈備衢を昏睡状態に追い込んだことによって神宮寺寂雷から向けられた怒り、憎しみだけが共有され、結果として彼を嫌うようになったとしたら辻褄が合う)もしくは飴村乱数は中王区より中王区謹製の麻薬の流通を任されており、マーケットの被る神奈備衢を潰した、ということも考えられるかもしれない。ともあれ一癖も二癖もあるヒプノシスマイクの世界の住人たち、神奈備衢にも何か秘密があるのではないかと筆者は考える次第である。

伊弉冉一二三の「伊弉冉」姓の業


ヒプノシスマイク「パーティーを止めないで」/伊弉冉一二三Trailer

初めて「イントロで爆笑する」という経験をしてしまった。MVも最高である。余りにもゴールデンボンバーなこの曲は、しかしフルで聴くとあまりにも伊弉冉一二三なのである。鬼龍院翔さんの器用さ、作品への向かい合い方に畏敬の念を感じざるを得ない。

各種定額サービスでも絶賛配信中であるので是非フルで聴いていただきたい。そこで歌い上げられているのはドラパとも呼応する過去への対峙、そしてシンジュクの夜ごとのパーティーでナンバーワンホストという布キレ――スーツを纏い続ける伊弉冉一二三という一人の人間の悲哀である。

はじめ筆者が彼を知った時、名前に違和感があった。「伊弉冉イザナミ)」は読者諸賢もご存じの通り、国生みの神であり、「伊弉諾イザナギ)」と対になる女神である。なんで男神の「伊弉諾」にしなかったのだろう、と思った。ナンバーワンホストということだったので後に常世の神、黄泉津大神となる=夜のイメージだから、なのかなと思ったがそれだけだったらまんんま夜の神、月夜見でもいいじゃないかとも思ったのである。

しかし前回、そして今回の伊弉冉一二三の個人曲を聴き、彼のホストとしてのスタンスを見るにつけヒプノシスマイクの運営が彼に「伊弉冉」と名付けたその罪深さ、それによって深まる彼のキャラクター性に慄いたので書いておくことにする。完全に筆者の妄想であるのだが。

伊弉冉伊弉諾の国生みは初め、失敗する。生まれた子・蛭子は骨がなかった。その後もうまくいかない。さらに上位の神に相談すると、神は「伊弉冉から声をかけるからいけない」という。そこで伊弉諾から声をかけるとなんということでしょう、元気な淡路島が生まれました――というくだりが国生み神話の初めのサビといってもよかろう。

ここで分かるのは現・淡路島の主、上沼恵美子氏の偉大さ――ではなく前時代的な価値観でも(そりゃあ何世紀も昔ですから……)なく、「伊弉冉から声をかけると二人は幸せになれない」ということである。

即ち運営は女性をいたわり、またある時は積極的に行動していくナンバーワンホスト・伊弉冉一二三のままでは彼は幸せになれません、という呪いをかけているのだ。

そしてその姓の由来が「黄泉津大神となったから」つまり死者の国の神となったからということであれば、「一回死ね」とも言っているわけでキャラクターとして生まれながらに背負った悲哀がとんでもないことになっている。

更に今回のドラパで女性恐怖症の決定的な原因となった女性がいることも明らかとなった。果たして何が起こったのか。妄想を続ける。伊弉冉は火神、加具土命(カグツチ)を生むとき、自らの体をも焼かれて死に至る。ここから考えると、ひどい火傷を負わされたのではないか、と予想できる。

そう、あのほのぼのディビジョン曲「パピヨン」で歌われた伊弉冉一二三の姿。

海パンにジャケット 大胆なセット

正気じゃない 興味深い

―麻天狼「パピヨン」より

神宮寺寂雷にこう歌われた完全にギャグなその姿も、子猫ちゃん対策の他に上半身に負ったひどい火傷を隠すためと考えれば納得ができる(真っ先に咎めそうな独歩も何も言及していないことも辻褄が合う)のである。

脱線

ちなみにこの加具土命、父である伊弉諾に追いかけられ、切り殺されるがその時にその血から生まれた神々に石析神根析神など八柱がいる。「イワサク・ネサク」というとはっとする読者諸賢もいることであろう。


ミュージカル『刀剣乱舞』 歌合 乱舞狂乱 2019

脱線なので八柱を漢字を確かめつつ打ち込むのは省略させていただくが、「刀ミュ」歌合のこの動画の謎かけを解くと現れる刀に関わる神々が加具土命を斬った時に顕現した神なのである。神が神(しかも実子)を殺すことで生まれる神に司られる刀…これまた業深いものを感じさせてくれる。

伊弉冉一二三は麻薬の売人なのか?

根強く語られている考察の一つに「伊弉冉一二三は麻薬の売人なのではないか?」というものがある。筆者としては願望も込めてそうではあってほしくない……と否定的な立場ではあるのだが、新曲にも特に後半に「ドラッグでハイになっている状態」の隠喩と考えても差し支えない場所というのは確かにあるし、伊弉冉が黄泉平坂で伊弉諾と別れる時に言ったという「一日に千人を縊り殺す」という言葉が中毒患者を生み出すことを意味しているのではないか、と考えられなくもないが……。筆者は伊弉冉一二三のホストとしての矜持を信じたいと思う。

脱線2

今回のようにある知識が好きなジャンルと意外な化学反応を起こす、というのはやはり読書の醍醐味である。「古事記」はいろいろな本が出ているが、筆者は原文を注釈付きで用いつつ、こうの史代さんのまんが形式で語られる下記の本が内容が頭に入ってきやすかった。全三巻、揃えても三千円と少しと専門書と考えれば破格である。戦国無双プレイヤーであればユニーク武器の元ネタもわかってお得かもしれない。

 

ぼおるぺん古事記 (一)天の巻

ぼおるぺん古事記 (一)天の巻

 

 伊弉冉一二三の「いつか包まれたい」という願いが叶う時が来るのだろうか。

秘密のベールではなく、暖かな愛が生身の彼を包んでくれることを願って。

 

ヒプノシスマイク -D. R. B- 5th LIVE@AbemaTV感想

余談

もう毎回コロナの話題で申し訳ないのだが、とうとう当県も陥落した。

行動範囲内であるので大変動揺している。今までも危機感があったが、それまでの既に罹患者が出ていた県での人々の心に自分は結局より添えていなかったのかもしれないと少し暗い気持ちにもなった。

またしても自分が嫌になるのは自分や自分の身内が「第一号」にならなくて良かったと安堵した気持ちがなかったとは言い切れないからだ。罹患された方の回復を祈り、また一層の予防に努めていきたい。

弟の結婚式も延期になった。本来は延期でも何百万円もかかるところを式場の好意で半年までなら無料にしていただけたという。ただ、半年後にどうなっているか……人々の理性と政府の対応を信じたいところである。

というか自分の新居への移行がスムーズにできるのかもちょっと不安になってきた。

そして本日。本来ならば妻と筆者は関東にいるはずであった。しかし既にその目的であったヒプノシスマイクのライブ、「ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- 5th LIVE@サイタマ《SIX SHOTS TO THE DOME》」は中止が発表されていた。我々も既に飛行機のチケットの払い戻しとホテルのキャンセルを終えていたが、宿泊するはずだった池袋が火の消えたように、時の止まったように静まり返っていたのを液晶の向こうに見て不思議な気持ちになった。

その一助となれたなら、筆者にとって妻にとって不要でも不急でもなくとてもとても大切なイベントではあったけれどそんな風に感染拡大を防ぐための協力ができたのなら、意味があったのだと思いたい。もしカメラが映し出したのが乱痴気騒ぎであったら筆者も怒り狂っていたところであった。

そしてヒプノシスマイクの運営はAbemaTVでの代替ライブを準備してくれており、我々は早めの夕食を済ませてPCを接続したテレビの前にて待機するのだった……。

本題

最高だった。

前回のライブでもそうだったが幕が上がった瞬間迎えてくれた演者諸賢は言霊を纏うことによってそれぞれの演じるキャラクターそのものが乗り移ったようであり、完全に「ご本人登場」といった趣であった。

二次元の壁を突破してきた彼らを代表して山田一郎=木村昴さんがいう「画面越しなんて関係ない」という言葉には説得力があり、我々は一瞬にして遠く離れたリビングで鑑賞する人間からこの最高のライブを最前線で鑑賞できるライブ参戦者へとそのポジションを昇格することを許されたのである。

開幕は先日中止の発表と共に我々の前に現れた「ヒプノシスマイク -Division Battle Anthem-+」。本当は満員大入りの会場でサプライズ発表したかったのかなあ……きっと筆者もイケブクロ→ヨコハマ→ナゴヤ!?と大いに驚いていたことであろう。新ディビジョンの面々は既存のディビジョンよりさらにアレンジが極まったバースを見事にこなしていた。

 


ヒプノシスマイク Division All Stars「ヒプノシスマイク -Division Battle Anthem-+」

イケブクロ・ディビジョン

IKEBUKURO WEST GAME PARKからイケブクロの進撃がはじまる。「おはようイケブクロ」ではないのはバトルシーズン前夜ということでより攻撃力の高いほうを選んだのだろうか。(シンジュクも「笑わすな」だったし)この時、カメラの後ろでは他のディビジョンの面々が見守っていたらしく、Oh…マイメン……といった感じである。先ほど画面の壁をぶっ壊した一郎が新たな壁を打ち砕こうとする決意、敗けたことを糧にして文字通り一回りでかくなった二郎に比べ、その圧の強さが不穏に感じる三郎はやっぱり心配である。気のせいか一郎も心配そうな顔をしていたような……。CDで聞いた時から思っているんだけど三郎は真正ヒプノシスマイクのために一郎をいじって作られたデザインベビーだったりしませんよね?

ヨコハマ・ディビジョン

ヤクザというかマフィアのゴッドファーザーのような左馬刻様の威厳たっぷりのライムに切れ味鋭い入間巡査部長のバースが乗り、理鶯現無職はその重低音にセクシーなアレンジを加えて見せる。流血でつながるファミリー、それがヨコハマ・ディビジョンだと言わんばかりのアンダーグラウンドな格好良さ。それぞれの個人曲はヨコハマの今、過去、未来を俯瞰しているようで、自分たちのシマを護り、拡大するという覚悟を感じる。そういえばテリトリーバトルでどこを手に入れたのだろう。町田?

オオサカ・ディビジョン

クリーピーナッツがいちゃいちゃしてからのオオサカ・ディビジョン。半年前、1ダースがライブの場で初めて全員揃い、12人最高! ウチら……ズッ友だよ? みたいな雰囲気を醸し出している中、中王区による「テコ入れ」として出てきた彼らに対して実に賛否両論が巻き起こったものだ。それをねじ伏せて見せたのはひとつに彼らのキャラクター性、そして楽曲とそれをモノにしているとこから感じられる演者の方々の「本気度」であったと思う。

 

kimotokanata.hatenablog.com

 クリーピーナッツが楽曲を提供してくれたから勝利なのか。そんな訳はなく、この曲の手ごわさはカラオケで挑戦した方ならば嫌ほど感じたことであろう。それが今回、liveでも彼らは見事にこなして見せた。特に後半の寸劇めいた展開などはライブだと非常に映えた。個人曲も振付が愉快であったり、しっとり聞かせてくれたり、おっさんが歌うのにガチガチの最新トレンドだったりと飽きさせない。

ゴヤ・ディビジョン

kimotokanata.hatenablog.com

 今回のライブの素晴らしさのうち少なくない部分を占めているDJ、そしてダンサーのパフォーマンスとnobodyknows+のコメントの後現れたのはナゴヤ・ディビジョン。オオサカ・ディビジョンの楽曲の素晴らしさは後続のナゴヤ・ディビジョンに対して相当なプレッシャーになったはずである。筆者もオオサカに比べて楽曲のちら見せも遅いことから運営も苦戦しているのかと思っていたが、お出しされたものはオオサカと毛色が違いながらやはり一級品のものであった。そして個人的にはオオサカ以上に難しい。完全に波羅夷 空却な葉山さんが「後半戦」という単語を口にした時、あっという間に一時間が経っていることに気付き驚きながら、しかし「家族」たる彼らのグルーヴにあっという間に引きずり込まれるのであった。少年から大人に変わろうとしている二人の該当のバース部分の動きが特に印象に残った。絶対にライブで無理だろうと思った「そうぎゃらんBAM」が完全に再現されていたのは声のプロ恐るべし、といったところであるしトレンドにスタンドマイクを、ヒプマイ楽曲に新風をぶち込んだ四十物十四は素晴らしき異端であって、天国獄の楽曲はコール&レスポンスを大勢でしたかったなあ……としみじみ思いながらもダンスに夢中であった。

シブヤ・ディビジョン

kimotokanata.hatenablog.com

 もちろん単独でも素晴らしいのだが、もしまだシブヤのドラマパートを聴いていないのであればぜひ聴いてから再度鑑賞してほしい。感涙必至である。CD音源ではなんとか抑えていた感情がライブで爆発している科学者=飴村乱数などヤバい(語彙力の喪失)その生の渇望が刺さるのである。「ピンク色の愛」でもポッセぶりを確認できてよい。「萼」の春の日差しのような温かさ、「SCRAMBLE GAMBLE」の「この仲間に全て賭けるぜ」などいちいち沁みる。

シンジュク・ディビジョン

箱推しであるのだが、あえて言うならシンジュク推しである我々。いよいよ待望の推しディビジョン。まさか再び自分より年上の男性に対して「かわいい」という感想を抱く日がくるとは思わなかった……「パーティを止めないで」を流し続けていれば世界から争いはなくなるかもしれない。そういえばシンジュクのドラパ感想を書けていないのでそのうちに書きたい。

中王区からのお知らせ

kimotokanata.hatenablog.com

以前していた予想が当たり、中王区での楽曲&ドラパがリリースされるようである。筆者はもともとプロデューサーを本業としていた時期があり、無花果女史の歌唱力についてはその間違いなさをよく知っているつもりであるので楽しみである。左馬刻様も複雑な気持ちになりながらも三冊予約することだろう。各店舗の特典発表が待たれる。

Survival of the Illest& ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-+

アプリにサプライズで現れた新曲(YouTubeにも早くMVが欲しい……)をさっそく披露してくれた。ちなみに筆者は乱数のSSRが運よく出たので主力で頑張ってもらっている感じである。この曲で言えば夢野幻太郎先生パートが難しくてムキーっとなっている。判定に違和感のある読者諸賢においては設定から調整ができるので是非お試しあれ。筆者はそれで万年Dの曲がSSをとれるようになりました。恐ろしいのは早くもオオサカ・ナゴヤが参加していないと物足りなさを感じてしまうところである。アニメ放映終了辺りでアップグレードをアプリともども望みたい。

そこからの満を持しての全員曲は万感迫るものがあった。

アニメPVお披露目

kimotokanata.hatenablog.com

この記事が「ヒプマイ アニメ」で来訪されるたび申し訳なさを感じる筆者である。しかし夏アニメとは思ったより早く驚いてしまった。今回の挿入歌のようにアニメオリジナルの曲も登場するのだろうか?個人的には今回の挿入歌はあまりにも「アニメのOP」過ぎてちょっと違和感があったが、実際のOPと一緒に見ればそれも吹き飛ぶかもしれない。

「リリックでダメージを受ける」という描写をアニメでどうシュールにならずに展開してくれるかが楽しみである。決勝戦を描く感じなのだろうか。

アフタートーク

本当に18人一人も欠けることなくライブが出来てよかった。そしてそれをこういった形で見せてくれた各所に感謝がいっぱいになる思いであった。黒田さんに「殺すぞ」と言われてしまったら筆者であれば以降貝のように口を閉ざすだろうが天丼してくるのが浅沼さんの凄いところである。それぞれのリラックスした状態が見れてほっこりさせられた。

終わりに

こんなものを現地で見たら失神のち介抱を必要としていたかもしれないので今回が自分にとっては正解だったのかもしれない。とはいえもちろん、今後の参戦を諦めたわけではない。木村さんが言ったように、いつか彼らの視界に自分のハンドサインを掲げる日まであきらめずに日々を送っていきたい。本当に得難い時間をありがとうございました。

【Amazon.co.jp限定】ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-4th LIVE@オオサカ《Welcome to our Hood》 Blu-ray(B2布ポスター付き)

 

 

非情緒的な死と再生――『100日後に死ぬワニ』雑感

余談

相変わらずコロナウィルスの終息は見えてこず、日々の業務にガッツリ影響が出てきている。ブログを書いたり読んだりしたいのだが、昨日はせっかくの祝日だというのに半日昏々と眠ってしまった。

原稿関係は一回完全にストップさせてもらった。来月くらいに再開できるといいのだが……。融通を利かせて頂いて有り難い限りである。こういったことができるのも妻がしっかり家計を支えてくれているからで、頼もしくもあり情けなくもあり。

来週は本来東京行のはずであったのだが、キャンセルになってしまったので浮いたお金で少しでも経済を回したいと思う。

あと「どうぶつの森」が今回、同じ村で協力プレイができることが分かったのでまた妻とやってみたいな、と思ってもいる。

本題

『100日後に死ぬワニ』と筆者

『100日後に死ぬワニ』を筆者が知ったのは2日目、実際に読み始めたのはそこからもう少し後、M-1の日からであったように記憶している。

2日目の時点ではそもそも「ちゃんと続いた」ことに驚いている人も一定数いたように思う。そのまま、100日間ほぼ定時に更新、完走するという偉業をきくちゆうき先生は成し遂げられた。

筆者も仕事柄、「死」に触れることはある。来週も当たり前にお会いすると思っていた方が、ということも何度かあった。だからこそM-1の日に更新された、自分と同じように漫才番組を満喫しているワニくんの姿と、その下に無情にカウントされる死までのカウントダウンに心を揺さぶられたのを覚えている。

とはいえ「誰かしらがRTしてくれる」という状況に(それほどTL上でも話題になっていた)甘え、能動的に追うというよりは前述したような業務の多忙さもあり、目に入った時にまとめて読む、ということがほとんどだった。

それでもやはり残り10日を切ってからは、その日のうちに確認することが増えた。

この感覚を、筆者は覚えがあった。

 

kimotokanata.hatenablog.com

 「へうげもの」において古田織部の死への外堀がどんどんと埋められてきていくときのそれと似ていたのである。約束された結末。その「幅」をどう料理するのか――まさしく料理人、漫画家の腕の振るいどころ、山田先生文字通り「乙な仕事」を見せてくださった。

きくち先生はどうであったか。

筆者は、ワニくんの最期をコンビニで看取った。昨日は18時から不要不急の会合があり、終わったのは21時前。家で待ってくれている妻にアイスでも買っていこうかとLINEでシュポポッと尋ねているうちに、ふとそういえばワニくんはどうなったろうか、と検索をかけたのだった。

死という事実の冷たさが桜吹雪の柔らかな暖かさにくるまれながら、しかしそこに鎮座しているように思われた。思われる、と感じさせる描写が絶妙であると思った。

またヒヨコの存在が「アッパレ! 戦国大合戦」で描かれた「多少の時間、ディティールは変わっても避けようのない死」を感じさせつつ、ワニ君の100日間の行動が救ってつないだ命のリレーというのが確かにあったのだ……という風にも思わせてくれてこれもまたよかった。

加えて、ネズミくん――登場人物の中では我々に最も近しかった人物――が死の遠因になってしまったかのような描写もまた心に引っ掛かりをつくる演出であった。

素晴らしい〆方だと思う。気付けば、ワニくんを看取ることが自分の生活の一つの原動力になっていたのかもしれない。

身近な人、具体的には妻がいるということがとても大切で尊いことのように思え、リクエストのアイス以外に金のハンバーグでも買ってこようかと思った時、きくち先生のTwitterが更新されていることが分かった。

もしかして続きが?

「新しいツイートを表示」をクリックすると、現れたのは怒涛のメディアミックスであった。

 

マネタイズが嫌だとかそういうことではなくて

一応最初に述べておくけれども、これまでもこれからもブログに書くことは筆者個人の個人的な意見である。Twitterユーザーがとか、オタクがとか、連載を追っていたファンがとかそういったことではなくてただただ筆者がこう思ったというその記録である。

先ほどのツイートを見た時の率直な感想を正直に言うと「お、おお」であった。

その何とも言えない気持ちのまま帰宅し、妻に「ワニくんは死んだよ」と伝え、(妻は鬼滅の刃のネタバレを防ぐためTwitterトレンドをエジプトに設定し、ワニくんの日々を見ると悲しくなるので関連ワードをミュートしていた)雪見だいふくを食べ、寝た。

起きるとワニ君が結構な炎上となっており、少なくとも彼らの望むコンテンツとしては「死んで」しまったことが見て取れた。

一読して思ったのはネット上の「電通アレルギー」は相当根深いものがあるのだな、というもの。朱に交われば即赤くなるとでもいうように、少しでも関わっていればそのコンテンツは即有罪、断じる我々は正義、という人々がまだいることにはいささか驚かされた。(電通という企業を擁護するわけではありません。念のため)

ステマだった! と激昂している人もいてそういう人は大概「よく知らないけど」が接頭語についているのだった。ステマがスッゴイテキトーナマーケティングだったとしたらあるいはそうかもしれないが、ステルスマーケティングではないのじゃないかな。

最初から仕込みだった! というのも筆者は違うのではないかと思う。色々な人が述べている通り、最初から舞台が整っていたとは言い難く、どちらかというと「いっちょ噛み」なのだろう。商標登録前後でその辺りの話は進んだのかな、とは思うけれど今回のこのバッシングを見るに「スポンサーが付きました」と連載途中で言っていたらそもそも完走できたかどうかも怪しかったのではなかろうか。

筆者が1日ぼんやり考えて思うのは「雑さ」である。筆者は100日間、言い方はよくないかもしれないが楽しませてもらった。香典代わりに単行本も買うだろう。優れたコンテンツはそれに見合った対価を得てほしい。

だからこそ「雑さ」が見えてしまうと嫌なのである。例えば「モナー」のように、例えば「だいしゅきホールド」のように、「誰のものでもないが、あなたのものだと言われるとそれは違うだろう」というものがネット上にはある。もちろんワニくんの物語はきくち先生のものだが、100日間の間に醸成された空気というものが確かにあった。そこに敬意を払っているかのように振舞ってくれていれば、全然違ったのではないかな、と思うのだ。例えば今日の19時に告知するとか。

実際のところ今日のコラボショップは大盛況で、それは昨日のうちに告知したからだ、という意見もあるかもしれないが、朝のニュース等で取り上げられたタイミングでもよかったんじゃなかろうか、きくち先生がお話しされていた「死を思う」というこのコンテンツの大目的について、内輪が水を差してしまった形になってしまったのではなかろうか、と思ってしまうのである。

アルク特別お題キャンペーン「#トーキングマラソン やってみた」

アルク「トーキングマラソン」×はてなブログ 特別お題キャンペーン
by アルク「トーキングマラソン」

その点トーキングマラソンなら気持ちを伝えるための気の利いた英会話のフレーズがスマホで簡単に学習でき、しかも2週間無料なのである。

みたいな感じに急にぶっこまれてしまうとこっちとしても困惑してしまうのである。喪に服したいなんて勝手なことを言うな、と言われたらその通りなのだが、しかし仮に広告代理店が絡んでいるとするならコンテンツを「雑に」扱ってしまったことで大変になってしまったことはTwitter上だけでも沢山あったろうに、それでもまだやっちゃうんだなあ、と「今回の出来事のせいで芽をつぶされるかもしれないまだ見ぬコンテンツ」のことを勝手に考えてまた筆者はつらくなってしまうのである。

とはいえこれはあくまで筆者のお気持ちであって、それをきくち先生や他の方々に投げる気には到底なれず、石もて追う人々を見るにつけ、昨日ワニくんは死んだことはこの光景を見ずに済んだだけでも良かったのかもしれないと思わずにはいられない。

100日後に死ぬワニ (ゲッサン少年サンデーコミックス)

ところで今日は弟の誕生日である。おめでとう。

3月にして君と離れ

今週のお題「卒業」

余談

九州新幹線全線開業九周年おめでとう。

開業から今に至るまで、毎年必ずお世話になる我が家にはなくてはならない乗り物である。

先週も九州新幹線に乗って週末を広島で過ごした。

何度乗っても二時間半程度でついてしまうという事実になかなか慣れない。

新幹線の中で寝るつもりで無茶をしているのに実際新幹線に乗るとテンションが上がってしまって寝るタイミングを逃すのは毎回のことであるので何とかしたい。

surfaceGOを持って行ったが、ほとんど開くことはなかった。恐らく新幹線の「あの台」にすごくしっくりくると思うのだが。次回は是非新幹線の速度に乗せた記事をリアルタイムでお届けしたいものである。

今回の広島旅の諸々を掲載しようと思ったらGoogleフォトとの連携が停止していてまいった。また日を改めて報告したい。

余談2

人生というくくりの中でもかなり上位の楽しみにしていたイベント、ヒプノシスマイクのライブが残念ながら中止が決定された。

もちろん「そちら」の方に触れるだろうなと覚悟はしていたけれど、いつもヒップでホップな公式Twitterが真顔の文章を述べているのを見るとその異常事態ぶりに驚き、そして追いかけて深い悲しみがしみじみと五臓六腑に染み渡っていくのであった。

今はただ幸福な夢を見せてもらったと思うしかない。

本当は大入り満員のドームで発表したかったのかもしれない新音源の発表に運営の意地を見、また今後の展開をいろいろと妄想させられた。

これもまた別記事としたい。

余談3

本来ならば今回、「卒業」をテーマにFF7について書くつもりであった。

というのも筆者はFF7を敬愛し、PS版、PSアーカイブス、PS4版の3つのバージョンを購入していながらも実は今までEDを迎えたことがなかったのである。

二十年以上の時を経てFF7のストーリーを「卒業」しよう、ちょうどリメイクのデモもプレイしたし、ということだったのだが、プレイ途中で欲が出て、どうせならトロフィーもコンプリートしたいと思うようになった。

どうにか明日にはコンプリート出来そうなのだが、今日にはちょっと間に合わないというこの間の悪さが筆者の人生を象徴しているように思える。

本題

余談が、ながくなった。

といってもライブの中止の影響もあって体調ますます悪く、簡潔に済ませようと思う。

今回卒業したのはこちらである。

f:id:kimotokanata:20200313000257p:plain

眼鏡って普通そこが割れます?

もはやいつ作ったかも覚えていない、少なくとも十年以上を共に歩んだ相棒が眼鏡業を卒業することになり、この度別れることとなった。

実はリーバイス製というブランドものなのだが、そのロゴもとうに剥がれ落ち、レンズは少なくとも三回は替えたはずである。特に前職の時の度の進み具合と言えばえげつないものがあった。

筆者が業務において大変バタついていることは何度か書いてきたけれども、特にコロナウィルスの対策においていろいろなものがやってきたり場所を動いていたりして、そういったものに頭からガーンとぶち当たり、相棒はあわれ真っ二つとなったわけである。ここまで綺麗に割れるとむしろ伝統芸のようにすら思える。この速度でもってスタッフ諸賢にぶつからなかったのは不幸中の幸いであった。筆者も特にどうということはなく強いて言えば鼻が少し縮んだかもしれぬ。クレオパトラであったら危うく歴史が変わっていたところであった。

歴史と言えば筆者はその人生のおよそ半分近くをこの相棒を通して見てきた。それこそ初めての九州新幹線も、広島での日々も、就活での東京、大阪、名古屋、福岡その他諸々での日々も、数々のエンターテイメントも、筆者の愛する人も、ものも、全てが相棒によってぼやけた視界から意味のあるものへと文字通り可視化され、それを咀嚼することができたのである。

実はその前にレンズ部分のフレームにひびが入ってしまっていて、だましだまし使っていたがやはり寿命ということだったのだろう。相棒を眼鏡の螺旋から解放した筆者は、しばしコンタクトレンズで戦うことにした。

さっきの言い草だと生涯一眼鏡人のようであったが高校時代の部活からしばしばコンタクトは活用していて、いくらかストックがあったのである。筆者個人としては眼鏡がないと顔にひっかかりがないのであまり好きではないのだが、妻はコンタクトを推してくれるのでこのままコンタクトでもいいか、とも思っていた。

ところが筆者は現代っ子であるので流行に敏感。花粉症の到来を既に鼻で感じ取っており、コンタクトレンズでは企業戦士のパフォーマンスが著しく劣ることが予感されたため、やはり新たなる眼鏡の作成、相棒の召喚が必要であるという結論に至った。

f:id:kimotokanata:20200313002308p:plain

箱は捨ててもくれるのだが引き取らせてもらった

f:id:kimotokanata:20200313001925p:plain

堅牢な作りが頼もしさを感じさせる

そうして調達したのがJINSの花粉カット眼鏡モイストである。ゴーグルのように守備範囲が広く、物理的に花粉をカットするぞという気構えに溢れていてよい。鼻あて、耳あてがラバーでグリップが効いており、長時間の装着でも不快に感じない。ただ、その性質上普通の眼鏡よりかなり食い込むので瞼のくぼみとフレームのフィット具合が気になる人は気になるかもしれない。

また、つくりが大きめになるため、眼鏡ケースについては慎重な検討が必要であろう。筆者はJINSさんでもらった大きめの眼鏡ケースをそのまま使用している。眼鏡をどれだけ大事に使い続けられるかはどこまで就寝時等に眼鏡ケースに入れることを守れるかに比例すると思っているのでしっかり収納していくことを心掛けたいものだ。ちなみにモイストの名前の通り、フレームには眼鏡内側のうるおいを保つ効果のあるスポンジ(専用スポイトで水分を補充する)が搭載されているのだが眼鏡を(その部分はスポンジであるとはいえ)自分から濡らしにかかる、という行為がまだ自分の中で折り合いがつけられておらず、その効果のほどはまだ確認できていない。

レンズは曇り止めにしようと思ったが、店員さんより曇り止めの効果は大体一年程度であること、曇り止めのレンズは一般的なものと比べ柔らか目であり、傷がつきやすいことを助言いただき、あっさり撤回し代わりに同価格のブルーライトカットをつけてもらった。

乱視が入っているためか残念ながら店頭に在庫がなく、受け渡しは別日であった。笑ってしまったのが視力が少し回復していた点である。前の職場より就業時間が短く、パソコンを見つめる時間が減ったことがその一因ではないかとにらんでいる。

受け渡し予定日。より少し前に前述した広島行の予定があり、ダメもとで電話をしてみるとちょうど入荷したとのことで早めに調整してもらうことができた。これは本当にありがたいことであった。

装着してその視界のクリアさに驚く。先代相棒をたくさん傷つけてしまっていた(レンズ的な意味で)とあらためて思う次第であった。

しかしやはりマスクをしていることもあり眼鏡が曇り、逡巡していると300円の曇り止めスプレーを勧められた。是非もなく購入。商売がうまい。スプレーすると油膜のようにギラギラしていて不安になるが、ティッシュで丁寧に広げつつ拭きあげてやると、その後は全く問題なし。まったく曇らなくなって感動した。

これからは新たな相棒と共にますます見聞を広めたいと思った次第である。