カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

学校に泊まろう!――「ユクサおおすみ海の学校」体験記

今週のお題「下書き供養」


f:id:kimotokanata:20191117201949j:image

それは五日ほど前のことであった。

深夜。我々夫婦は各々の端末を前に作業をしていた。

そこに自分の作業が一段落した妻が、一つの情報を持ってきた。

なんとあるところに泊まることができるという。

それは我々にとってかつてとても身近であり今はとても縁遠い場所……。

果たしてそれは一体……と引っ張らずとも読者諸賢はそこが学校であることは先刻ご承知の通りであろう。

へえ、面白いね、といまだ作業中の筆者は答えた。

それが生返事に思えたのか、妻は続けてLINEを投げて寄越した。


f:id:kimotokanata:20191117203907j:image

ブログネタまで気にかけてくれるよき伴侶である。そして記事を読み、筆者は妻の狙いにも気づいていた。

こいつ……うまい魚を食いたいのだな……と。

妻は前世が猫だったのかというくらい気まぐれで生魚が好きだということは既に述べた。近頃ますますすさまじく、中一日くらいで食卓には刺身が並ぶ。

だのにまだ追い求めるというのか。この求道者は。呆れは突き詰めれば畏敬となる。この情熱、妻が仕事を頑張ってくれていることによる家計の余裕、そして筆者自身の興味と休日の兼ね合いから、自分の仕事が一段落した勢いのまま週末に予約してしまった。深夜テンション、恐るべしである。大正琴の稽古を受けて後、夕方に出発することとした。

当日。昼食。妻はスーパーのパック寿司を食べていた。今日の夜は刺身定食だって言ったじゃないですかァーッッッ(AA略)と数年前だったら思っていたかも知れないが、今の筆者は理解している。妻は「刺身腹」を構築しているのだと……。

恙無く稽古を終えると、我々は一路大隅半島を目指すこととなった。


f:id:kimotokanata:20191117210137j:image

いつもと違う角度から見る桜島(撮影:妻)が「お先」とばかりに今から行く場所へ灰を送り込んでいるのをまざまざと見せつけられることとなったが、しかし国道220号線は海に程近く、走っていて気持ちがいい。わき見運転に気を付けなくてはならない。

「まさかり」というユニークな分岐で別れた以外、さしたる複雑な道もなく我々は目的地に辿り着いた。


f:id:kimotokanata:20191117210627j:image

愛車スタンリック君のカーナビは平成23年生。今回宿泊先の前身である菅原小は平成25年閉校であるから、カーナビ上はまさしく我々は小学校に宿泊することになる。

ちなみに菅原小学校のホームページはまだ生きている。

鹿屋市菅原小学校トップページ

校長先生の挨拶は永遠に工事中なのだろう。閉鎖前に駆け込みで開設したように見えるホームページはテン年代製とは思えぬあたたかみに満ちており、往時の姿を僅かに確認することができる。


f:id:kimotokanata:20191117212202j:image

時刻は五時過ぎ。「下校時刻」になってから学校に入る、というのはなんとも不思議な気持ちであった。


f:id:kimotokanata:20191122233134j:image

校章を眺めながら校庭へ向かう。
f:id:kimotokanata:20191122233010j:image

いやオシャレか。美しい風景は撮る人間の技術など関係なく美しいものである。

校庭でキャンプをすることも可能であるらしく、テントが張られていた。シンボルであろう大木の周りでキャンプにきた子どもたちが鬼ごっこをしており、心なしか木も嬉しそうであった。


f:id:kimotokanata:20191122233518j:image

なんとツリーハウスもある。我々はナントカと煙のナントカの方であるので、登るのは無理からぬことである。


f:id:kimotokanata:20191122234205j:image

右手に燃えて上がるはオハラハー桜島である。


f:id:kimotokanata:20191122233629j:image

そして左手には薩摩冨士・開聞岳。鹿児島の誇るこの二大ランドマークを手中に収めることができるとは興奮を禁じ得ない。フォトジェニック!

そうこうしているうちにチェックインの時間が近づき、我々は「登校」することにした。

 

――と、ここまでを書いたのが2019年の11月のこと。その後、年末でバタバタしたり、Googleフォトと連携が出来なくなったり、コロナ禍に突入して宿泊施設を喧伝するのもな、ということになったままずるずると時は過ぎていった。冒頭、黒板に「カナタガタリvol136」とあるが、今回の投稿は216記事目であるからどれだけ寝かしていたかがわかろうというものだ。

しかし今回記事を書くのに写真を見返して、細部はやはり忘れてしまっているものの、素晴らしい体験をした記憶がまざまざと蘇ってきた。やはりこれは記事として残しておきたいと思ったので、以下何事もなかったかのように続けて書きたい。

f:id:kimotokanata:20210415222230j:plain

f:id:kimotokanata:20210415222507j:plain

玄関の廊下にいきなりこんな自虐ポスターが張ってあったりする。大隅半島は「竹亭」「マルチョンラーメン」を生み出しただけでもすでに偉大であることを付記しておく。

f:id:kimotokanata:20210415231829j:plain

元・靴箱がオシャレに活用されていた。

f:id:kimotokanata:20210415223023j:plain

懐かしい感触のリノリウムの床をキュッキュと言わせながら歩いていく。雰囲気のいいBGMが流れている。受付は食堂を兼ねているので、先に食事を頂くことにする。食堂は元・理科室である。

f:id:kimotokanata:20210415223042j:plain

あの「理科室特有の銀枠に黒天板の机」の上にこんなごちそうが広げられると誰が想像しただろうか。今もホカホカのご飯や漬けにされたカンパチの程よい歯ごたえとうまみ、漬物のほろ苦さやふろ吹き大根の滋味、エビ入りみそ汁のいくらでもお代わり出来そうな(ご厚意で3杯もいただいてしまった)だし加減は思い出しては腹を鳴らしてしまう始末である。

f:id:kimotokanata:20210415231228j:plain

妻もほくほく恵比寿顔であり、泊りのうれしさ、久しぶりに2人ともアルコールを摂取したりなどした。学校で飲酒……インモラル!

そして食後の我々は鍵を受け取り、今夜の寝床へと向かう。

そこは――

f:id:kimotokanata:20210415222416j:plain

校長室であった。

f:id:kimotokanata:20210415223213j:plain

はい黒板がドーン!

f:id:kimotokanata:20210415223144j:plain

誰かしら中に悪ふざけして隠れるやつ!

f:id:kimotokanata:20210415222845j:plain

からの対面はベッドである。夜はテンションが上がっていたので朝爆睡してベッドから落ちかけた時ビビッて心を落ち着けるために取った写真を使います。見苦しくてすみません。

f:id:kimotokanata:20210415222332j:plain

あぁ~ッ 黒板のここの「この感じ」……。懐かしい。

もちろんベッドもふかふかである。我々は「学校に泊まる」という体験にワクワクしっぱなしであったがふと落ち着けば「よくよく考えれば校長室にはそんなに思い入れないな……」とも思った。歴代校長先生の肖像がある訳でもなく、ある種綺麗な黒板のある部屋という感じでもある。そんな部屋はふつうないが。

ともあれ我々は風呂上がりでもなお、「夜の学校」を更に深く味わいたいという気持ちが高まるのを抑えきれず、いよいよ探検に出かけることとした。

もちろんBGMはこれである。

f:id:kimotokanata:20210415222432j:plain

燃え盛るあの場所で出会えるなら
Sexy Sexy,

Sexy Sexy,

  • provided courtesy of iTunes

 

f:id:kimotokanata:20210415223057j:plain

今夜は2階は宿泊者がいない。人の気配のない2階に足音がやけに大きく響く。

f:id:kimotokanata:20210415222446j:plain

f:id:kimotokanata:20210415223130j:plain

沢山の人々の喜怒哀楽が重ねられた場所はその思いが質量となって残っているようで、侵しがたい荘厳な雰囲気がある。因みにこれまた定番の25mプールが窓から見えて感動のあまり写真を撮ったのだが今カメラロールを振り返ったら何故か残っていなかった……。

f:id:kimotokanata:20210415223112j:plain

帰りも行きと段数が違うということはなかった。

f:id:kimotokanata:20210415222401j:plain

そのまま外に出た。遮るもののない月と星が美しく、いいカメラが欲しいなあと思ったりもした。

そのまま玄関ロビーのソファに座り、妻と2人、それぞれ読書をした。宇宙開発にも縁深い大隅半島に来て、美しい夜空を見たこともあって、筆者は「宇宙兄弟」を再読していた。

妻は昭和初期のレシピ本を見ていたが時代特有のエスプリが効いており、大変良かった。

f:id:kimotokanata:20210415231755j:plain

時折、校庭でキャンプをしている子どもたちがお手洗いにやってくることもあり、女子小学生らしい3人組が「じゃあうちがこっちに連れてくるからさ、話せばいいじゃん」「でもあいつ今男子で鬼ごっこしてるから来ないよ……」

みたいな話が漏れ聞こえてきて、おお……小学生……とその小さな恋のメロディにくらくらとした。

ちなみにその後も筆者は2時間ほどそこで読書を続けていたが、「あいつ」が来た気配はなかった。ちょっと男子ー! そういうとこだぞ!
そのうち自然な眠気に身を任せ、心地よく眠りにつくことが出来た。なれないベッドに落ちかけはしたが。

f:id:kimotokanata:20210415232609j:plain

目が覚めて窓を開けると校庭。ソテツ。朝から非日常前回という感じだ。朝食までしばし時間があるので周辺を散歩することにする。

f:id:kimotokanata:20210415222929j:plain

f:id:kimotokanata:20210415222829j:plain

f:id:kimotokanata:20210415222759j:plain

f:id:kimotokanata:20210415232847j:plain

f:id:kimotokanata:20210415232913j:plain

f:id:kimotokanata:20210415232930j:plain

夜の妖艶さはどこへやら、健全120%、我々のよく知る「学校」そのものというたたずまいが、なおさらそこに泊まっているおもしろさが際立つように感じられた。また、手前勝手に怖がったりしていた自分を恥じたりもした。

f:id:kimotokanata:20210415233138j:plain

朝食は理科準備室であった。(写真は夜撮ったもの)野生のアインシュタインがいたらしいことが確認できる。

f:id:kimotokanata:20210415223007j:plain

しらすだし茶漬けは優しい味ながらしっかりしたボリュームであっという間に食べてしまい、その勢いを気に入っていただいたのかまたもお代わりを頂いた。

そのままチェックアウトを済ます。-完-

と行きたいところであるが、筆者は来たときから気になっていることがあった。

f:id:kimotokanata:20210415233525j:plain

確かに海が見えるが、「日本一」とは過言では……?

という思いがあったのである。が、校庭の隅、うっそうとした木々の隙間を縫うような道を降りていくと――

f:id:kimotokanata:20210415222901j:plain

f:id:kimotokanata:20210415234305j:plain

青い海、白い砂浜、赤褐色の岩肌、チェックシャツのオタク。

海、近い。なんだこの最高のプライベートビーチは。

f:id:kimotokanata:20210415233853j:plain

潮だまりもあったりして、いつまでも佇んでいたい感じだった。

漁村出身の妻も血色がよくなったようである。

f:id:kimotokanata:20210415233947j:plain

鹿屋市立菅原小学校。明治25年開校。平成25年3月、120年の歴史に幕を下ろし閉校。

校訓「明るく・かしこく・たくましく」。

きっとこの環境であれば校訓は達成されたに相違あるまい。

とても貴重で楽しい体験であった。

校庭でのキャンプなど密は避けやすいと思うので、ぜひ興味がある方は訪れていただきたい。

 

yukusa-ohsumi.jp

kindleに1923冊本があるアラサーはDMMブックス初回100冊70%オフで何を買ったのか

余談

先月、kindle paperwhiteを買った。wifi32G広告なしモデルである。

筆者のAmazonアカウントに紐つくkindleシリーズとしては6台目ということになる。

初代kindlefireHDを発売日に購入したことに始まり、2台目として父用にkindlepaperwhite初代を、1台目の交代要員として3台目kindlefireHD(8インチ)、2台目の交代要員として4台目kindlefireHD(新世代8インチ)、5台目として独り暮らしを始める弟へ餞別としてkindlefireHD(10インチ)といった具合である。

また、歴代スマホにもkindleアプリをDLして適宜使用してきた。

Go to活用時、筆者はスマホと3台目を連れまわしていた。が、3台目も3年ほど使用しており、さすがにバッテリーが往年のころのようにはもたなくなっていた。

加えて、以前とは違いスマホはUSBtypeC、3台目はmicroUSBであるのでアダプタが単純に2つ必要である。荷物は少ないほうが良い。

また、kindleについては過去も言及したことがあるが、

kimotokanata.hatenablog.com

およそ3年前のこの記事時点では1555冊であったが現在は1923冊になっており、ざっと370冊ほど増えていることになる。(とはいえ例えば鬼滅の刃23巻、ハイキュー!45巻、チェーンソーマン11巻、呪術廻戦15巻……とこれだけでも100巻(冊)を超えてしまうから、体感としては冊数ほど本が増加したようには思わない。実際それまでは単純に計算して1年あたり200冊電子本が増えていたわけであるし)しかし積み本の解消速度は遅々として加速せず、何かしらのテコ入れを図りたいところでもあった。

それはkindlepaperwhiteではないか――と筆者は考えていた。現行品は防水であり、また容量も増加、動きも改善されているという。paperwhiteシリーズの読書への没入力の高さとサイズの丁度よさ、電池持ちの良さは筆者も体感としてあった。ケーブル問題も、1週間泊まり込みとかでなければ大丈夫であろう、と。

が、筆者は正月のセールで買いそびれた。上位機種Oasisと天秤にかけていたからである。どうせ買い替えるなら、暫く買い替える必要のないハイエンドがいいのではないか――と思ったわけだ。そして、決め損ね、虻蜂取らずと相成った。

やはり人間、手に入れられないと欲しくなるものである。TLで使いこなしているフォロワーさんを見かけるとますます欲しくなる。たまさか、この大都会薩摩で実機展示している貴重なお店を訪れることがあり、体感してみた。

その軽さ、馴染みのフォルムは筆者に購入を決断させるに十分であった。かくして新生活セールと共に購入に至ったのである。

今回は延長保証はつけたがフィルムのケースもつけなかった。ポケットにすっと入る「丁度よさ」は一回り以上大きいOasisでは難しいだろう。また、さすがにあの価格のものをここまでラフに扱う気には小市民である筆者にはなれないだろう。

おおむね不満はないが、kindleのとても便利な手段である「続きを読む」機能がエラーが出たり、そもそも案内が出なかったりするのが非常に不便である。あと体験版ブラウザにはわざわざTwitterがブックマークされているのにTwitterにアクセスしようとするとエラーになってしまう。

とはいえやはり読みやすさ、目の疲れにくさは普通のタブレットスマホとは段違いである。没入感も桁違いだ。もし「チェーンソーマン」のあのシーンや、「呪術廻戦」のあのシーンをスマホで読んでいる最中に能天気な音と共に通知が来ていたら、きっと今のような胃袋にすりこぎをぶち込まれたような気分にはならなかっただろう……どっちがよかったのかは置いておいて。

さて……この相棒と共にいっちょ、崩させてもらうぜ! kindleの積み本さんよぉ!!

 本題

余談が、長くなった。

そんなタイミングで現れたのがDMMブックス初回100冊70%オフキャンペーンである。

4/12の所定の時間までにチケットを取得すれば、初回の購入に限り対象商品が100冊まで70%オフになるという画期的なキャンペーンだ。

筆者も提督、審神者の端くれとしてアカウントは持っていたのでさっそく検討に入ることになった。

選んだ基準は以下である。

  1. 読む機会を逃していた長編マンガをまとめ買いする
  2. ビジュアル、図版が多いものにする
  3. とはいえやっぱり小説も買いたい……。
  4. ちょっとkindleでは買いにくい本を買う

 読む機会を逃していた長編マンガをまとめ買いする 71/100

本来はこれで100冊全ていく予定であった。今やマンガは20巻、30巻、50巻をすら超えることも珍しくなくなった。必然、TL他で勧められてもうむと挑みにくいのが事実であった。

DMMブックスは「シリーズをまとめてバスケットに入れる」という悪魔的な手法が可能であり、これでどんどんと入れていくと気が付けば800冊になっていたので少し考える必要があった。

book.dmm.com

↑ところでこの導入文が単行本ごとに設定されているといきなりネタバレの辻切を食らったりするのだが1巻と同じなのは個人的に好感が持てた。

ということで筆者はまず進撃の巨人4~33巻を100冊デッキに加えることとした。

ポイントとしては、

「話題作かつ完結作(最終巻はまだだけど)なのである程度安心して読むことが出来る」

「弟は自宅に紙で集めているのでわざわざkindleにて購入する必要性が薄い」

「1~3巻までが期間限定で無料なので実質103冊」

※なので進撃の巨人を買う方は3~33巻を70%オフで買ってから2回目以降の購入で1~3巻を買うようにしよう。実質97冊になってしまってもったいない。

といったところである。

進撃の巨人は個人的に思い入れがある作品ながら10年近く離れていた作品なので、ようやく向き合えることが出来るのは嬉しい。読んだらまた感想を書きたい。

book.dmm.com

↑最終巻を貼ろうとしたら普通にあらすじのネタバレだったので止めました。

もう1シリーズは哲也~雀聖と呼ばれた男~である。「今週のお題」で書きそびれてしまったけれど今年は夫婦そろって麻雀を覚えようかなと思っており、(アンジャッシュ児嶋さんの影響)リアルタイムでこの漫画を読んでいた頃は大学生になれば自然に覚えるだろうと思っていたがそんなことはなかったので購入した次第。

コンビニ本、文庫など旅先などで見かけるたびにちょぼちょぼ買っていたのだがその人気故に、また長期シリーズの宿命としてなかなかまとまってはおらず、kindleにもあるのだが単行本が底本なのでなかなかボリュームもあり……という形で二の足を踏んでいたので渡りに船であった。単行本は間に麻雀講座もあってためになる。

昨日は3時まで読みふけってしまった。印南というキャラクターが筆者に残したインパクトはすごいものがあったな、と再確認。

ビジュアル、図版が多いものにする 26/100

前述の通り筆者はkindlepaperwhiteに大満足なのであるが、欠点、弱点としては白黒であり、インチ数も小さいためビジュアルや図をふんだんに使ったものの可読性が下がってしまう点がある。

といことでこちらではそれをふんだんに活用しているものを割り切って購入してみることにした。

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

やはりエンタメの「圧」を受けるには単純な筆者にはビジュアルが分かりやすい。エンタメの王であるディズニー、すっかり潮流が分からなくなっているイラスト最前線、思い入れがあり過ぎて見られていない映画版「この世界の片隅に」への歩み寄り方としての絵コンテ集、見るだけでワクワクするフィギュアカタログ、筆者のルーツである戦隊ものと(実はその超根本であるカクレンジャー超全集はkindleにあるのだが)ゲーム史をチョイス。また、ミステリーのネタバレ縦横無尽の辞典はかつて自作を断念したのでありがたい話である。

book.dmm.com

book.dmm.com

妖怪馬鹿としてはこのコンボも見逃せないところであった。水木しげる全集補巻は我慢。

book.dmm.com

book.dmm.com

戦国無双5に向けての予習も万全である。最近FGOも始めたので、横断的なビジュアル歴史年表は掘り出し物だった。

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

いわゆる「一般常識」を身に着けたく思った。広く浅く知りながら、更に深掘りしたくなる分野に出会える楽しみが待っているように思える。

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

book.dmm.com

中小企業の唯一の事務方≒何でも屋である自分の職務に活かせそうだと思って買った本たち。あの頃の参考書のように買ったことで満足することが無いようにしたい。

とはいえやっぱり小説も買いたい……。 1/100

book.dmm.com

ということで1冊だけ自分に小説を書くことを許した。選んだのはテッド・チャンの作品集。一生の名誉であるヒューゴー賞を既に4度受賞している凄すぎてシンプルに「天才」と修飾できる生きる伝説であるその作品集をしかし、訳書特有の敷居の高さから保留し続けていたがいよいよ向き合う時が来た、と挑ませていただくことにした。

ちょっとkindleでは買いにくい本を買う 2/100

前述したようにkindleは我が家の「共有財産」である。なのであんまりセンセーショナルな本だったりは買うのがちょっと抵抗があったりする。

しかしこのDMMブックスは見るとしても妻どまりであるので気兼ねなく買うことが出来る。

ということでkindleでも気になりながら価格と内容で足踏みしていたものを2冊チョイスしフィニッシュとした。

book.dmm.com

book.dmm.com

f:id:kimotokanata:20210413012253p:plain

並び替えは任意に出来るのだろうか

f:id:kimotokanata:20210413012246p:plain

f:id:kimotokanata:20210413012342p:plain

非常に楽しくお得な機会を得ることが出来て感謝である。他方、既存ユーザーに対して何かしらフォローがあっても良かったのでは……とも思う。

別のアドレスで登録してのユーザー水増しを期待したのか、ちょっとアングラな雰囲気からの脱却を図りたかったのか、特に深いことを考えていなかったのかは定かではないが……。

電子書籍はまだまだ過渡期であると思う。今後は携帯キャリアのように本のデータをMNPのように任意のプラットフォームに相互移動できる仕組みになったりするかもしれない。月額課金が出てきたりして。

果たしてDMMブックスの100冊がどう育つのか、筆者の理性が進撃の巨人の続刊だけで我慢できるのかどうか、その顛末を気長に待たれたし。


 

 

4月になれば彼女達は

余談

4月である。弊社は年度初めでも何でもないのであるが、しかしここの所取引先の3月締めの忙しさのあおりを食らって結局忙しく、このように毎年自分のところの年度締めと人様のところの分とで2倍忙しいことにもようやく慣れてきた。

早いもので、転職して丸5年が経った。その間に3回引っ越し、妻と入籍し、ブログを始めた。あっという間という気もするし10年分くらい働いたような気もする。もともと新卒あるあるとして3年目の転職として選んだ場所であるから、セカンドキャリア()である現職の方が歴が長くなったわけである。

もとより部署の責任者としてヘッドハンティング押しかけ荒法師してきた人間であるのでキャリアアップというものはないのだけれど、少しは肩書に相応しい仕事ができるようになった……と信じたい。ある程度ルーティンはあるけれど、よく言えば何でも屋、言ってしまえば雑用係の毎日出たとこ勝負のこの仕事が筆者は結構好きである。困ったことに、家と妻がもっと好きなので常に帰りたい衝動との戦いではあるのだが。

ともあれ新入生、新社会人の読者諸賢、おめでとうございます。とりわけ新社会人の皆様、もしかしたら初めてTwitter他でエイプリルフールネタについていけず、昼休みにその「夢のあと」の残骸を眺める体験をしたかもしれない。年度初めに有休を使える身分を共に目指しましょう。なにはなくともご飯は食べましょう。結構昼休みとか食事時間とか社風がもろに出るので、そこで違和感を覚えたら早めに転職を考えるのが吉だと思います。割とマジで。初日から転職の勧めをするのはどうかとも思うけれど。

本題

そして4月ということは、「計画通り」IZ*ONE(以下アイズワン)の活動終了の月となった、ということである。これほど「時計が処刑の時刻を差す」というリリックが響く月を筆者は知らない。

専用アプリで配信される「プラメ」もサービスが終了し、オフライン化するのかと思いきやアクセスが出来なくなってしまうのだという。この辺り、実際にメールとして配信されていた「モバメ」との違いが悪い方に出てしまった形だな……と思う。

「長い冬」のあと、筆者は全員分のプラメをとっているのだが、実は最近、読めていない。着弾したとき、見出しみたいにちらっと見える部分は読むけれど、アプリにアクセスする気になれないのである。まるで見た瞬間から文章と共に彼女らが少しずつ揮発していくかのように思えてしまう。おはようということが、おやすみということが少しずつ死んでいくことだとしたら葬送の行列がそこにひしめいているような錯覚さえ覚えた。

先日、彼女らは元の事務所に戻る旨がネットニュースになった。筆者はこれを、ある種の報復処置、対抗呪文のように感じた。一部の過激な行動に対する牽制であると。そういうことをいうのなら、こちらは「事務所連合」としてこういうことをさせてもらいますよ、と。

筆者としては、訳のあやかもしれないが「解散」ではなく「活動終了」というところに希望を見出していて、それこそウォニョンさんが成人した時に「ドリームアイズワン」とかやってほしいのである。ウォニョンさんとユジンさんで「ダンスを思い出すまで」やってほしいのである。ていうかマジで日本ラスコンやらないの……?

そのためには筆者も散々言ったように色々思うところはあるけれど、決定的に決裂してアイズワンという概念自体が取り上げられるよりは、例えば既存曲を買ってチャートを逆走させるような形で彼女らへの支持を示し、また事務所にウィズワンの魔法(物理)を炸裂させたいと思う次第である。

またも日が替わる30分前の書き散らしになってしまったが、この辺りにしておく。

プラメ最後の日、彼女らが題名を合わせてきたり、繋げてきたりしたらきっと泣いてしまうだろうなと思う。その前に頑張って過去分を咀嚼しておかなければ。プラメは心の栄養である。泣くのにも栄養がいる。

4月になれば、桜が散れば、彼女たちは遠くに行くのだろうか。美しく咲き誇り、バラの花道を歩いてきた彼女らが桜のように舞い散ってしまうのならばやるせない。けれどそうしてうつくしいところだけを見せてくれようと懸命に発信し続けてくれる彼女らの意を酌んで筆者もそういうふるまいをするフェーズに入ったのかな、と思う。

とはいえそれなら5月以降の彼女たちの去就を早く発表してほしくもあるが……。

www.youtube.com

海街diary 6 四月になれば彼女は (flowers コミックス)

老害ども、おらどけよ/壮大怒濤、聖譚曲(オラトリオ)――ナゴヤVSシンジュクドラパ「和衷共同」&「錆びつけば進めず、臆すれば誇りを失う。故に我々は己に否を焼べ、火を灯し続ける」及びバトル曲「Light & Shadow」完全ネタバレ感想・考察・妄想

全編ネタバレですので視聴後に読まれることを強くお勧めいたします。

 

 

 

 

kimotokanata.hatenablog.com

 気が付けばあの「宗教戦争」から一月以上が経ってしまっていた。投票締め切り日までには間に合わせたかったが無念である。どころか、シブヤVSヨコハマも着弾してしまったのでなんとか今日のうちに感想を書き残しておきたい。

ゴヤドラパ「和衷共同」

和衷協同。心を同じくして共に力を合わせ、仕事や作業に当たること。▽「和衷」は心の底からなごみ和らぐこと。また、心を同じくすること。「衷」は中心・心の意。「協同」は力を合わせて物事を行うこと。(三省堂 新明解四字熟語辞典より)

「what do you do?」をもじっているのかなと思ったら普通に存在する熟語だった。浅学を恥じる次第である。

毎回ドラパを聴いて思うのは「ヒプマイのモブって本当にクズばっかりだな……」ということである。そいつらを三者三様のやり方でねじ伏せてスカッとNAGOYAだったわけだが、元メンバーの家族は何とかなったのだろうか……とかその辺りのフォローがおろそかだったように思えてしまうが劇中曲はめちゃくちゃ最高でありシングルカットが急がれる。せめて配信だけでも……。エイプリルフールネタで前みたいに時限MVでも構わないので……。

荒法師で破戒僧、波羅夷 空却の怒りはもっともなのだがその理論で行けばなぜホストクラブを荒らしてしまったのか……が気になる。東京に行くと真正ヒプノシスマイクの洗脳が強化されてしまったりするのだろうか。

白黒つける弁護士、天国 獄の過去、神宮寺寂雷の接点がより深く明らかになった。引きずっていたものを「開眼」させた波羅夷。かつての神宮寺と同じことでありながら受け入れることが出来たのはその関係性の違いだろうか。それとも年月か……。であれば、バトルの後、友情が復活するのを願うばかりである。

そして暗がりを照らす月明り、四十物十四は二人から得た不退転の心とホワイトファルコンでもって正々堂々正面玄関から姑息な陰謀を打ち破った。彼の鳴らす音こそが克己心の擬音化に違いない。

己に克った彼らの凱旋は快進撃へとつながるのか。

シンジュクドラパ「錆びつけば進めず、臆すれば誇りを失う。故に我々は己に否を焼べ、火を灯し続ける」

長い…長い……! この長々したタイトルを打っていたら更新が遅れてしまった訳である。(ブログジョーク)筆者も思ったし、同世代の読者諸賢も「BLEACHかな?」と思われたかもしれない。

で、やっぱり制作陣はBLEACHを意識しているのでは、とオタク特有の「文脈」を幻視したので書き留めておく。

思えば今回に関わらず、特に優勝して以来、神宮寺寂雷先生が「世界」について特に言及することが増えてはいないだろうか。もちろん大事なことであるし、彼の精神性から行っても矛盾しないが、このことと、今回のタイトルを重ね合わせると一人の人物、そしてそのセリフが浮かんでくる。

藍染惣右介。BLEACHの主要登場人物にして神宮寺先生と同じくCV.速水奨。彼は劇中でこう述べる。

勝者とは常に世界がどういうものかでは無くどう在るべきかについて語らなければならない

BLEACH 48「GOD IS DEAD」より

この言葉のオマージュなのではないかと。これは予想だが、殺し屋設定がまだ生きているとしたら恐らく彼の当時の異名は「死神」だったんじゃないかと思う。既にどこかで言及されていたらすみません。ついでにこの流れでシン・エヴァも公開されたし(見てない)さらっと言っておくとイケブクロというか山田家は多分エヴァのオマージュなんじゃないかと思っているのだがどうなるんだろうか。

折角なので独断と偏見でシンジュクの三人に合いそうなBLEACHの巻頭言を添えておきます。

神宮寺寂雷には、

罪無きあなたは 太陽のよう
罪深きあなたも 太陽のよう

BLEACH 60「EVERYTHING BUT THE RAIN」より

伊弉冉一二三には、

剣を握らなければ おまえをまもれない
剣を握ったままでは おまえを抱き締められない

BLEACH 5「RIGHTARM OF THE GIANT」より

観音坂独歩には、

失くしたものを
奪い取る
血と肉と骨と
あとひとつ

BLEACH 41「HEART」より

 ちょっと血中BLEACH濃度が高まってしまって脱線甚だしいのでこの辺りにしておくが、しかしドラパが……辛くて……この辺りが「音声のみのドラマ」の真骨頂というか、言わぬが毒花というか、ヒプマイって満を持して開陳された過去が闇の早押しボタンクイズみたいになったりするので想像力がたくましい人ほどダメージを受ける仕組みになっていて、邪答院仄仄という人物の邪悪を浮き彫りにさせて最高に最悪である。絶対に悲しい過去とかない真の邪悪であってほしいと思う。あと以前から思ってたけどラップがめちゃくちゃうまくて好みである。

依然、一二三はどこかしらにひどい火傷を負っているのではないか(恐らく上半身なので「海パンにジャケット」なのではないか)という妄想を書き散らしたことがあるが、

kimotokanata.hatenablog.com

仄という字は灰を思い起こさせ、やっぱ家燃やしたりくらいしてんじゃないかなあと個人的には思う。

しかし、ホストクラブの様子とかを見ていると繰り返しになってしまうけど前回のナゴヤの振る舞いがどれほど冒涜的だったかというのもわかってしまって辛いものがある。

「TOMOSHIBI」や「Light & Shadow」でもフィーチャーされている一二三。というか、今回は互いの二番手が主軸になって展開しているように思う。思えば、四十物十四と伊弉冉一二三は同じ二面性を持つ二番手というポジションにありながら、一二三はほとんど完全体として、十四はその成長過程として我々の前に現れた。これはそのままそれぞれのチームの状態を現わしているようにも思える。

そうしてもう一つ見逃せないのは「俺は独りでも歩けるよ」と歌っていた観音坂独歩の成長であろう。いつの間にか職場にも信頼できる同僚が出来(貴重なまっとうなヒプマイモブ)、ついに宿敵の課長にも一矢報いることが出来た。こちらもバトル曲にも反映されているがその成果は……詳しくはバトルの項に譲る。前にも述べたが、筆者は29歳の時にヒプマイにハマっているのでわがことのような嬉しさがあった。ぽちん、枕をよだれで濡らそうな……。

ゴヤVSシンジュク

さてバトルである。正直なところ、前回のライブの時の記事から印象は大きく変わらないが、ドラマCDを経て生まれた考えや、レコーディングした、運営が「OK」を出した声から感じられることなどを中心にまた妄言を吐いていきたい。

といいつつ、筆者がまず感じたのは麻天狼のバトルスタイルの変化である。前回はVSシブヤであってもVSヨコハマであっても独歩がまずぶちかまし、一二三が手数で押し、寂雷が重厚な一撃を放つという黄金パターンで挑み、そして勝利した。例えれば攻撃力の高さに反比例して守備力が低い狂戦士タイプである独歩とフットワークの軽さの諸刃の刃として打たれ弱さがある武闘家タイプの一二三が最終的には寂雷の回復があるという信頼と安心でもってかち込めるのが彼らの強さであった、と思う。

今回。王者シンジュクは先手、大将である寂雷がまず気鋭のナゴヤの前に立ちはだかる。自らの運命を背負って立つ殉教者めいたそのリリックは始まりにして既にラスボス登場の貫禄に溢れている。

先鋒の戦法としては悪手である。彼のラップアビリティである回復は先攻の一番手であれば何の意味もない。でありながら百戦錬磨の彼がなぜこの戦法をとったか。一つは天国がナゴヤの先鋒に立つことを予想したからであろう。彼のラップの重さを知っていたに違いあるまい。そしてもう一つは一二三と独歩をもはや庇護すべき対象ではなく肩を並べるチームメイトと考えるようになったからであろう。

無論それは単なる気持ちの問題ではなく、続く二人の戦法からも見て取れる。攻撃力はあるが打たれ弱い二人がマイクリレーによって的を分散しつつ攻撃を加える。これであれば寂雷の回復が後であっても十分フォローが出来る形だ。相変わらず一二三は華麗な声でどぎついことをいうし、独歩はVSシブヤを踏まえた「お前が言えごめんなさい」はせせら笑っている「大人の余裕と強さ」が音源では出ていて良かった。(インタビューで葉山さんは「震え声」と言及されていたが、筆者は「こみ上げる笑い」のように感じた)

「趣味程度のイミテーション」は最初韻を踏むことありきのフレーズに見えてしまっていたがドラパを踏まえると「職業ホストとして誇りを持ってシンジュクNo1という虚飾を務めるうちの一二三をなめんなよ」と言いたかったのかと思えてきた。

しかし独歩は前回のVSヨコハマにおいても「ッシャオラアアアアア」かと思ったら「終了おおおおおお」だったし今回も「以上終了」だしで筆者としてはやはり―糸冬了―を思い起こさせ同年代感をマシマシで感じたりするのである。

きっとたっけえバイクに乗ってそうな天国に対して換気をしながらこのご時世でも電車で通勤することさえも強さとふてぶてしさを醸し出してきたのは嬉しい誤算である。

対するナゴヤは過去を克服した天国が置き忘れた決着を付けるために文字通り最初からエンジン全開でぶちかます。全編にわたってバイクをここまで韻に絡めてくるのはさすがケンザさんと感服せざるを得ない。

しかし圧巻は次の空却と十四のセッションであろう。正直なところ、十四のラップはアンサーとしては弱い。実際のラップバトルで言うところの「ネタ」「仕込み」感が漂ってしまう。あのバチバチの社会人二人を見て「社会に削られて見る影もない中年」にはちょっと見えないのである。

 また、空却に対してはそのように造形されているから仕方ないのだがやはり「若さ」が前面に出ていて一二三・独歩と同世代の筆者としては感情移入がしにくい。

しかし、それを差し置いても榊原さんが小節ごとに少しずつ「四十物十四」から「14th Moon」へとスライドさせていくその声優の妙技には鳥肌が立った。それを補い、引き出したのは空却の真言めいたセッション。

若さ。それは弱さ、そして強さ。次の夜から欠ける満月、十五夜よりも十四番目の月、14th Moonこそが最も怪しく煌めく。それは未完成という眩さ、可能性という輝きである。

ここでようやく筆者は無敗の弁護士の高度な戦略に気付く。彼が先陣を引き受けたのはこの覚醒に時間がかかる切り札の時間を稼ぐためだったのだと。不退転の誓いを宣言し「変身」が完了した相棒を見届けた破戒僧は高らかに宣言する。まさしく御開帳である。

――「そこの道を空けな ナゴヤのおでましだ!」

音楽の盛り上がりも相まって降臨という言葉が相応しいその大胆不敵さは畏敬を抱かざるを得ない。

続いてはそれぞれの一騎打ちへとフェーズは移っていく。まずは二番手同士。前述したように、本CDのメインはこの二番手二人だと筆者は思っている。二人のverseは実はほとんど同じことを言っている。乱暴に言えば、つらい過去があり、しかし素晴らしい仲間に恵まれ、そして今眼前の敵に挑むという構図である。

人類の半分がその恐怖の対象となってしまう感覚、健やかに育つ場となるはずの学び舎が陰惨で醜悪な現場となる感覚、どちらも筆者には想像を絶する体験であり、それは数値化して競うものではない。どちらもそれぞれの言葉でサバイブするものたち、サバイブしたものたちへ惜しみないエールを送っている。

しかしここでも、スタイルウォーズである。一二三はその恐怖の対象との共助を模索し、かつての自分に文字通り衣をまとうことによってサバイブした。十四は過去の自分と訣別する克己によって「違う我が身」に変身してサバイブした。そしてなお自分の敵は自分であるという。

二つのチームのそれぞれのスタイル、共助と克己を体現した生き様をぶつけ合う二人はまさに魂の絶唱である。筆者程度の人生経験ではこの勝敗はちょっとつけられない。ただ、これまでの二戦とも独歩が先陣を切っていたのに今回は一二三が先ほどのマイクリレーであっても一騎打ちであっても独歩より先に挑むことや歌詞の内容を見るに、

続いて三番手同士である。ここは特に、ドラパを聴く前と後では感想が全く変わって面白い部分だった。これもバトル戦績を見ると、独歩は天国が初めて一騎打ちで当たる目上の相手である。多分、深層心理で委縮してしまって本来のバーサーカーぶりが発揮できていない。verseの内容も仮想敵と設定した相手がありありと浮かんでしまう。

独歩が想定した仮想的とはだれか。

課長である。目上で敵対心があり、同僚との泣き笑いを妨害し、常に上から目線で平社員でない者。そしてドラパで見事積年の鬱憤を晴らし誇りを取り戻した独歩が倍返しかどうかは定かではないが反撃できた相手。課長である。力強いリリックではあるが、残念ながら天国にクリティカルヒットとはならないであろう。

他方、天国もまたドラパを見ることで自らの克己の歴史をなぞって踏ん張っていたverseであったことが推測できる。verseの始まり、見当違いはもっともである。独歩は課長向けverseをかましているのだから。しかしここまでを追ってみると、先鋒であった天国は今一番蓄積ダメージは高いはずである。クリティカルヒットではないとはいえ、相当しんどい状態であるはずだ。また、正直なところ寂雷以外はこの男の眼中になさそうである。

そこで彼はどうしたか。自らが今ここに立っている理由、芯の部分を自問自答し、飛びそうになる意識を内側から叩き起こしたのではないか。「逆切れするバカと生意気な若造」も愛情をもってくさしたチームメイトの破戒僧とヴィジュアル系ボーカリスト(最近ギターも始めました)ではないかとすら思えてくる。

深く、深く潜っていく。自分の経験に基づいた独白。私刑の無意味さ。逆恨みの愚かさ。自分自身が変わることの意味。極限状態で今一度の克己を振るうことで見事天国はチーム最年長の意地を見せたのである。

いよいよ大将対決はドラパCDでもキーワードとなったスーパーマン(運営から指定があったとはケンザさんの談)という語を用いて改めて壮大なる決意を怒涛のようにほとばしらせる寂雷。彼の言う「全てを救う」という言葉はそこらの青二才が勢いで想像力もなく吐く言葉ではなく、この世の極限を見てきたもののそれでもなお手を伸ばす遥かなしかし峻厳たる決意である。老若男女容赦なく救う。それはエゴである。それ自体も織り込み済みでたぶん彼は救うのであろう。

「彼」とはだれか。神奈備衢か。飴村乱数か。天国獄か。それとも他の誰かか。もしかしたらかつての殺し屋だった自分自身か。人を殺したことのある自分自身を彼は許しているのだろうか。光のある所に必然ある闇すらも無くそうというのなら、彼が最終的に自死を選ばないかどうかだけが心配である。そう考えると相対する相手が僧であるというのも何か意味があるように思えてしまう。

空却はその決意をおこがましいと一蹴し、その歯切れの良さが心地よい。普通の人間相手であればこれがクリティカルヒットしてナゴヤの勝利確定であろう。だが、筆者としては前述したような寂雷の覚悟を感じているのでこれだけではシンジュクは崩れまい、と思う。「最高のチーム出来上がり」というのもまた彼の強さと弱さの表裏一体をなす若さが感じられつつ、また若いころというのはそれそのものが武器であるということをなかなかわからないものだよな……としみじみもしてしまう。成長できることこそが彼らの強さであり、最高というものは常に更新されていくものだからだ。――「出来上がり」などと自分で足を止めてしまわない限りは。真の敵は自分の中にいる。まさに自分が指摘したとおりに慢心・油断(そういえば仏教用語由来の言葉である)が顔を出してしまったように思う。

楽曲は王者の貫禄と挑戦者の躍動を響かせ、荘厳に幕を閉じる。

果たしてどちらの勝利であるか、筆者は書きながらやはりどうしてもシンジュクびいきになってしまっている自分を感じ記録者として情けない限りであったが、これもまた個人ブログの醍醐味としてご容赦願いたい。

投票の行方がどうなるか。新進気鋭のナゴヤが平均年齢の高いシンジュクをロートルとして追い立てるのか、シンジュクが粛々としかし力強い一撃で退けるのか、投票を終え、そしてようやくこの妄言の書き散らしも終わろうとする今、ようやく腰を据えて待つことが出来そうである。

イケブクロVSナゴヤで家族VS疑似家族のぶつかり合いも見たいし、オオサカVSシンジュクですげえ他人行儀な動機なき戦いも見たい。なんにせよ人事(投票)を尽くして天命(運営発表)を待つのみである。こんなことを言ったら破戒僧に叱られてしまうが、地獄に堕ちて閻魔様の沙汰を待つ間というのはこんな感じであるのかもしれない。

ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- 2nd D.R.B『Bad Ass Temple VS 麻天狼』

老害の考えるオタク五つの誓い

とりあえずなにか食べよう

深夜になった。読者諸賢、何か食べただろうか。

 ねぇ さっきからずいぶん荒れてるみたいだね
落ち着いてるときの君ならそんなこと いわないのに
(中略)
とりあえず何か食べよう 僕は聞き逃さないよ
君の腹の鳴る音は
人は自分で思うより
いい加减にできている
腹が减る それだけで
怒りっぽくもなるんだ

――槇原敬之「とりあえずなにか食べよう」

適切な食事は万病の薬である。平日2日目を生き抜いた自分をまだ労り損ねていたら、どうぞ腹を膨らましてからご一読いただきたい。

半端な平行宇宙で

涙のラストコンサート(仮)の後、プライベートが普通に着弾し、昨日はENOZIも普通に更新された。本当に普通に。

全てが悪い夢で、または自分がいつの間にか平行宇宙にやってきていて、アイズワンの活動終了なんて本当はなかったんじゃないかとさえ思ったが、自分のツイートをさかのぼると悲しみが広がっていた。

最中、こんな記事を拝読した。

hihi17a.hatenablog.com

まさしくという気持ちで、追ってみると前記事でも言及させていただいた方だった。

ここのところ特にヒプマイと(ナゴヤVSジュクCDの感想もいい加減書きたい)アイズワンの記事ばっかりになってしまっているが、もとより本ブログは雑記雑食雑文ブログである。

ありがたいことに、色々な「オタク」の方が訪れて頂いている。

新春所感として述べたように、筆者は今年でインターネット20周年のおっさんである。

オタク人生としてはもっと長かろう。

ウィズワンだけではなく、たまさかこの辺境ブログを訪れて頂いた方々に、せめてものお土産として、平和に細々とネットの片隅でオタクを続けられてきたものとして何に注意してきたかを書き残しておきたい。

もちろん、あくまで筆者の心がけであるので読者諸賢にそぐわなかったり、筆者自身がアップデートできていなこともあるかもしれない(その場合は是非お知らせください)。

でももし、「うるさいなあ」と思うところがあったとしたら、そこだけでも深掘りして、筆者以外の意見も検索したりしながら、自分の現在を俯瞰的に見ていただければ幸いである。人は自らが目をそらしたいことに腹を立てやすいから。

1.犯罪(特にやりやすいのが著作権侵害)をしない

基本である。犯罪をしてはいけない。最近だと、こちらがわかりやすい。

筆者もこうしてブログを書いている人間だから、「何かを伝える」ことについては、それなりに腐心しているつもりである。そして、ビジュアル、画像は情報の伝達において非常に効果的であることも理解しているつもりだ。加えて、筆者はやはり浅ましいことに、「どうせなら多くの人に伝わってほしい、あわよくばほめてほしい」という気持ちを持たずにはいられない俗物でもあるから、他人様の漫画のネタバレ画像スクショがバーンとなったツイートがぼんぼこバズっていたりすると、「ぐぬぬ」という気分になる。漫画アニメの感想は、ぶっちゃけてしまうと常に「スクショをバーンと貼りてえ~~」という欲望との戦いだったりする。(もちろん適切な引用をしてブログ記事等を描かれている方もたくさんいらっしゃるし、筆者も時折引用元を明記して画像付きツイートをすることもある)

最近も「ネットミーム」と化してしまったキャラクターの作者が政治的利用やクソコラでフリー素材扱いされていることに悲しみと絶望の意を表明していたりしていた。

筆者もまた、ニコマスの民であってそういったものを愛でてきたものの、今は公式がガイドラインを提示したり、素材を提供する中で、より節度のある楽しみ方が必要になったと言えるだろう。

 

alu.jp

マンガの場合、「アル」というサイトを経由すれば、対応している漫画はクリーンな状態で引用できるのでぜひ活用いただきたい。

alu.jp

素敵なTwitterマンガのリプライ欄にガビガビに劣化した画質でスタンプめいて貼られる著作権侵害画像が乱舞しているときの哀しさと言ったらない。

2.主語を大きくしない

「オタクの総意だ!」みたいなことは特に怒りにボルテージが上がってしまうとついつい言いがちであるが、あなたはあなた以外の何物も担保することはできない。主語が大きければ大きいほど、巻き込み事故を増やしやすいので気を付けなければならない。主語がデカすぎると主題がずれてしまうこともあり、いらぬ飛び火を招いたりもする。

オタク仲間ですらその真意を推しはかることは難しい。況や推しをや。「推しはこんなことを望んでいない!」という言葉は義憤に駆られた英雄のようでいて、実は推しを業火にくべるような恐ろしい所業である。あなたはあなたの言葉と立場で、配られたカードで勝負するしかないのだ。

かといってあくまで一介の辺境弱小ブログの管理人風情の卑屈な戯言でござんすゲッヒヒヒみたいにへりくだりすぎても予防線を張り過ぎているようでちょっとイラっとするのでこの辺りのさじ加減は難しいところなのだが……。

3.出来過ぎたストーリーには気を付ける

事実は小説よりも奇なり、という言葉もあるが、現実というのは創作のように都合よく物事が呼応し、辻褄が合い、収斂するものではないということは知っておかなければならない。

オタクは文脈を好む。筆者も都度、それを「幻視」し、記事に落とし込んでいる。が、それはあくまでいわば現実を元にした「二次創作」であることを念頭に置いておかねばならない。自家中毒に陥り、それ以外の「解釈違い」を受け入れられなくなってしまったら危険である。

創作や推しに関してだけでなく、例えばアメリカ大統領選挙であったり、直近でも「魅力的なストーリー」に絡めとられ、彼方へ走り去っていくアカウントをいくつか見かけて悲しい思いをした。

ネット上においては「騒音おばさんの真実」という「物語」が広く流布されてしまったし、富山の失踪事件もまことしやかな「真相」が語られていたが、近年全く別の場所で車が(残念ながら、ご遺体と共に)発見されるということがあり、いかに「真実」を捉えることが難しいかが窺い知れる。筆者は一応医療従事者であるので、新型コロナウィルス関連のデマには日々頭を悩ませている。

なんにせよ、情報源を突き止めることが大切である。Twitterでは「ソースはこのツイート」ということがままあるから恐ろしい。簡単なコツとしては、「TVでは報道しない」「メディアが伝えない」は、大体「TVやメディアが伝える価値もないと判断した」という場合が多かったりする。

4.「誰が言っているか」ではなく「何を言っているか」を注視する

それぞれの分野においては、大家であるオタク、「ヌシ」がしばしばいるものである。そのジャンルを豊饒なものにするのにどれだけ貢献してくれたオタクでも、恐らくは人間であるから、誤ることもあるだろう。例えどれほど尊敬している相手であっても、または気の置けない友であっても、ジャンルにやってきてから弟妹のように与えてきたフォロワーであっても、その発言全てを肯定する必要も義務も、あなたにはない。

逆に、普段の思想信条が違うアカウントの発言をすべて否定する必要も義務も、同様に存在しない。相手の上げ足を取り、嘲笑って、「ヌシ」や同じ界隈に忠誠心を見せることなんてしなくてもよいのだ。

ヌシが白と言えば黒いものも白、という状態であれば少し距離を置いた方がいいかもしれない。5に続く。

5.先鋭化に気を付ける

特に女性の場合、Twitterでもジャンルによってアカウントを使い分ける傾向があるようである。無論それ自身を否定するものではないが、そうなると目に見えるツイートの守備範囲が狭くなり、知らず考えも偏りがちになってしまわないように注意が必要である。

Twitterではクソデカワードを使うと良くも悪くも注目されやすく、それによって賞賛を得ることでより発言が過激化し、界隈自体が先鋭化し、はたから見ればカルトめいてしまうことさえある。特に推しアイコンを使っている場合はその発言が推しの顔から飛び出ていて本当にいいものかどうか、深呼吸して確認することが良いだろう。

特に年若いオタク諸賢においては、その情熱が向かう先がどこなのか、「正義」の旗印のもと突き進んでいる場所をしっかり見定めてほしい。仮に「違うな」と途中で思ったのなら、どうぞ途中下車をしてほしい。「凸」で生まれるカタルシスの持続期間は短く、あなたの人生は長い。

活用する機会なんてないほうがいいけど

本当は十戒にしようと思っていたが日が替わったのでこの辺りで。老害なので夜はすぐ眠くなっちゃうのである。もし自らのTL他で自分自身ならず、敬愛するフォロワーたちがこういう兆しを見せ始めたら、「あ! 老害が言っていたこととおんなじだ!」と思って軽度のうちに対処されることを望む。もしそれで疎まれたりするようなら、関係を考え直すいい機会になるかもしれない。

推しは人生を豊かにする。これからもあなたのオタ活が豊かでありますように。

 

あ~~平行宇宙に5回転生出来たらなあ!

そしたら5回とも違う街に生まれて、

5回とも違うものをお腹いっぱいに食べて、

5回とも違う仕事をして、

そして5回とも――

――同じ人が推しになる。

BLEACH モノクロ版 27 (ジャンプコミックスDIGITAL)

↓マシマロなんてハイカラ物は使い慣れないので匿名のご意見はこちらからぜひお寄せくださいませ。

odaibako.net

僕の好きな人がよく眠れますように――IZ*ONE ONLINE CONCERT [ONE, THE STORY]完全ネタバレ感想・妄想・考察

初めての二日間連続のコンサート、[ONE, THE STORY]をIZ*ONE(以下文中アイズワン)が開催した。

恐らくは少なくとも韓国での活動の集大成となるだろうコンサート。

アルバム四集を半分ずつに分けてパフォーマンスを行うのかな、と思っていた。

初日。深紅の衣装で始まったLa Vie en Rose。彼女たちの始まりがそうであったように。その動きは研ぎ澄まされている。どころか張り詰めた、何か危うさと決意を感じさせるような――。

正直なところ、そのパフォーマンスについて筆者が付け加えるべきものは何一つない。

というか、その辺りのことについてはこちらの方のブログが完璧に「おっしゃる通りです」という感じであった。こういう感想が書きたい。

hihi17a.hatenablog.com

それぞれがそれぞれの良さを更に十二分に発揮して各々の最高を更新していったことだけは確認できたが、その詳細を語るにはこの記事ではあまりに狭く、筆者の語彙は少なすぎる。

とくにソンミ先輩のカバー曲であるフルムーンは傾国の美女という概念が形作られたようで最高だった。

アコースティックにアレンジされた楽曲はまた違う顔を我々に見せてくれ、その牧歌的な様子はまさにpanoramaで歌われたキャンプファイアを囲んで行われているようであった。OPEN YOUR EYES, UP, Airplane, SPACESHIP――どこまでもどこまでも、キャンプファイアの煙に乗せて遠く遠く飛んでいくような、澄んだ気持ちのいい歌声だった。

そこから千古不易の詩、FIESTAに続くことで妻と二人で「えっ明日やる曲ある?」と勝手に心配をし始めるが、そこで白い羽が舞い散り、アイズワンの物語に羽根が挟まることで「新章」が生まれるかのような演出が挿入される。

ああ、そうなのか。

筆者は勝手ながら、腑に落ちていた。

kimotokanata.hatenablog.com

kimotokanata.hatenablog.com

 筆者はFIESTA以降のアイズワンのコンセプトの中に「平行世界」「多元世界」的なモチーフを感じ取っていたからである。

そして今回、FIESTAの後に散ったこの羽根がFIESTAのMVでクォン・ウンビさんが扮していた白い羽毛を持つ白蛇「ケツァルコアトル」のものだとするならば――。

我々のいるこの世界はその力によって改変された世界、本来ならば「長い冬」のまま、FIESTAが陽の目を見ることがないままアイズワンが活動終了することを突破できた世界だということを示唆しているのだろう。

その先が「幻想」というのが何度も皮肉めいているが。

そしてpanoramaにおいては、彼女たちは世界線をこれ以上変えることを望まない。

しかし、衣装が「我々の知るPanorama」の色違いであることが、更に枝分かれした世界であることを感じさせるような気さえする。

それでも、こうしてこの世界線のアイズワンは[ONE, THE STORY]へと着地するのである。

ある物語、それはここに至るまでも既に奇跡の連続の軌跡であったと読み手であるウィズワンに改めて実感させるものであった。

宮脇咲良さんに訳詞してほしい曲第一位「WithOne」を経て、チェ・イェナさん作曲、秋元康氏作詞の「lesson」がサプライズで披露される。やすす、お前がコーラ注ぎ芸で注目した女の子はお前に作詞させるまでになったぞ。

 

kimotokanata.hatenablog.com

 秋元康という人の毀誉褒貶についてここで今更語るつもりはないが、やはりこの人のこういう嗅覚というか、センスというか、このタイミングで曲提供しておくか、という策略の嵌めっぷりは恐ろしいものがある、と改めて思う。どうしてそれほどの感性を持ちながら14歳最強マンネが率いるグループに倦怠期の歌を歌わせたり逃避行の無理心中みたいな歌を歌わせたりエビ中の二番煎じみたいな歌を歌わせたりしたのかは永遠の謎である。

「少女たちよ」の昔から言ってしまえばマッチポンプな歌詞を書く人だけれど、PRODUCE48時代に提供した神曲「好きになっちゃうだろう?」のように一般化とアテ書きのギリギリを攻めて多くの「アイドル」へ代入可能にするところは見事である。

 

kimotokanata.hatenablog.com

「夢」について。同じく秋元氏がPRODUCE48に提供した「夢を見ている間」では「いつかは叶ったり叶わなかったり」とされた夢が、「lesson」では「いつか手が届くもの」とされ、その関連性が感動を呼んでいた。

あくまで「候補生」であり、その後一般人へ戻った練習生たちも慮った「叶ったり叶わなかったり」に対してアイズワンになったからには夢を叶えるという秋元氏の気概が感じられるいい対照性だと思う。

この間に筆者としては、上記に記載した記事でも書いたが、宮脇咲良さん終生の盟友でありライバルである兒玉遥さんに秋元氏が送ったという「夢は手を伸ばしたその一ミリ先にある」という言葉をも内包しているのではないか、という妄想を付加しておきたい。

個人的には「夢を見ている間」の対比も見事だが、「好きになっちゃうだろう?」では「あんなに頑張っていたのに思うような結果が出せない」とされていた彼女らが「頑張ってよかった」と「lesson」では変化していたのも良い対比になっていたと思う。

その後のビデオメッセージについてはそれ自体は素晴らしいものだったが、どうも(彼女らにとって)騙し打ちのような印象が強く、また運営に悪印象を持ってしまうこととなった。

 アイズワン諸賢への愛情と反比例して運営への不信感が強まり、奈子さんの夢に出てこられたかが定かではないが、自分自身はひどい悪夢を見た。

2日目。カン・ヘウォンさんからプライベートメールが届き、心底ほっとする。その後、アン・ユジンさん、チェ・イェナさん、イ・チェヨンからも着弾。かすかながら「日常」を感じて嬉しくなる。

そうして夕方、上がった幕の前に現れた彼女たちは昨日のことを感じさせないほど美しく、力強い。ただ、いくらか表情が昨日より柔らかいようにも思えた。昨日と大筋のセットリストをなぞりながら、まるで平行世界で別の世界でやり残したことをやり直すかのように昨日の不足を補っていく彼女たち。ピンクの民が昇天したことを確認。

そうして今度はウンビさん作詞作曲の新曲、「Only One(平行世界)」。ド直球に平行世界が肯定されてちょっと驚く。歌詞の良さに泣く。頼むからこの辺、まとめて音源化してくれ。

もう今日もあと五分、ここのところのパターンでやっぱり怒りや悲しみが先に来てしまってボロボロの文だけれど、今日この時に書き残しておくことに何かしらの意味がある、と思いたいので、ここまで書いて、筆を置く。

アイズワン諸賢が謝ることは何一つない。何一つ誤ってなどいない。

明日もプライベートメールがくることを信じて、今日は沢山悲しむことにする。

アイズワン諸賢、二日間本当にお疲れさまでした。妻や家族は別として、今最も好きな、気になる人々かもしれない。

僕の好きな人が良く眠れますように。

愛は祈りだ。僕は祈る。

 

 

IZONE IZ*ONE Official アイズワン公式ペンライト Light Stick [並行輸入品]

あなたはまだ宮脇咲良を知らない

九州新幹線全線開業10周年おめでとう。

筆者が大学在学中の出来事であり、帰省や就活が格段に楽になったことを覚えている。

未だにまとめ切れていないが昨年のつかの間のGotoにおいても活用させており、我が家にとって欠かせない存在である。

今一人、「九州新幹線」と聞いて思い出す人がいる。

「あなたもあなたもみんなの心に(さくら咲けー!)鹿児島から新幹線さくらに乗ってやってきました宮脇咲良です」

 そのキャッチフレーズを背負って、彼女は我々の前に現れた。(細かく言えば劇団四季の出演経験がそれ以前にある)

HKT48の1期生最終オーディションは2011年の7月10日。実際にその過程においても、九州新幹線は大いに彼女の助けとなったことだろう。

そこからIZ*ONE(以下文中アイズワン)に至るまでの奇跡については、以前述べた。

kimotokanata.hatenablog.com

アイズワンになってからの彼女も、出来る限り追いかけてきたつもりである。

男子三日あわざれば刮目して見よとは過去の話、宮脇咲良さんは瞬きの間にも進化しているかのような速度で我々を魅了してくれた。

分けても筆者の中では過去現在未来のオタク(尊称)を肯定した出来事や、

 

kimotokanata.hatenablog.com

千古不易の名曲「FIESTA」を見事に「以後の歌」としてアップデートして見せた訳詞家としての手腕、アイズワンの夏曲という「祈り」を形にした「Yummy Summer」の作詞作曲などクリエーターとしての側面、

kimotokanata.hatenablog.com

 オンラインコンサートでの「ダンスメン」としての円熟など目を見張るほどの進化速度は宮脇さんだけ時の進みが違うのではないかと思わされるほどであった。

3月10日、アイズワンの活動終了が発表された。

不自然な、「大人の事情」を感じさせる発表だった。

それを裏付けるかのように今に至るまで「プラメ(プライベートメール)」の着弾はない。(筆者は「長い冬」からの再会以来、全員分を申請している)

何よりも筆者がこれが唐突な「事故」だったという確信を抱いたのは、「気づき」を与えてくれたのは、やはり宮脇咲良さんのラジオ番組「今夜、咲良の木の下で(さくのき)」であった。

さくのきは、収録である。活動終了発表の日にOAとわかっていて、もし事前に決まっていた、「円満」な活動終了であれば、彼女が言及しないわけがない、という確信が筆者にはあった。

終了が決定していたとしても、少なくとも3月10日ではなかったのだ。

それを裏付けるように翌3月11日には「大人」たちの裁判の判決が下され、彼女らはまたもその盾に使われたことがはっきりしたのである。

そして今度は宮脇咲良さんが、韓国の巨大事務所に移籍する、いやしない、争奪戦だ――という話がかまびすしい。それが今回の唐突な活動終了発表の原因の一端であるとも。宮脇咲良さんが周囲の人に漏らしていたのだ、とも。

端的に言って、ふざけるなよ、と思う。

先人の言葉を借りて言えば、素人は黙っとれ――である。

宮脇咲良さんの争奪戦が事実かどうか、というのはもはやどうでもいい。

ただそれを彼女が他の人に吹聴することは絶対にないだろう。それは信じているとかそういう次元ではない。知っているのである。そう至るに足る経験を少なくとも筆者は、彼女に与えられてきた。

また、このことに言及するツイートに添付される宮脇さんの画像がことごとく転載なのもげんなりさせられる。そういえば今回の活動終了騒動で「やけくそでご法度のプラメ画像をツイートする輩がいる」と聞いたがにわかに信じがたい。愛するアイドルを守りたいという尊い気持ちがどこで混線して犯罪に接続されるのか思考がトレースできないのである。ちなみにこのブログは過去、インスタからはてなブログ公式の機能を使って引用してサムネにしていたのだが、機能が提供終了したのかサムネが機能していないことがあって悲しい。

やはり今日のうちに書き終えておきたいのでこの辺りにするが、やはり怒りで文章がまとまらずお恥ずかしい限りである。

主張しておきたいのは何よりも優先されるべきは「彼女たちがどうしたいか」であって、それをどう叶えるかがウィズワンの腕の見せどころではないか、暴徒化するのは間違っている、ということと、事務所はマジで誰一人として何を主張する権利もないからな、ということ、MnetとCJは被害者面までしてるのはもはや笑えてしまうこと、明日明後日のオンラインコンサートが盛大に、つつがなく開催されることを心底願う、ということである。

あなたはまだ宮脇咲良さんを知らない。むろん筆者も知らず、恐らく彼女本人ですら知り得ないだろう。オンラインコンサートでまた、彼女の新たなパッケージが見られるだろうから。

それこそが彼女が唯一無二のスターである証なのだ。

豆腐プロレス 通常版 Blu-ray BOX