また、戦争が始まった。
早20年以上前、「新世紀」「21世紀」という高揚が、9.11によってどす黒く塗りつぶされてからこちら、ますます焦燥が続く日々である。
妻が起きている間は基本的にリビングのテレビはウクライナ侵攻の情勢を示す番組が何かしら流れ続けている。新型コロナが流行した時もそうであったが、こういう時妻は、情報を取り入れようとすることに常に積極的だ。
だから筆者もその時のように、あまり力を入れ過ぎないようにね、というに留めている。
そんな中、僅か1週間前に「お座り」が出来るようになり両親を驚かせていた娘はいつの間にかハイハイを身に着けていた。プレイマットの上で遊んでいたかと思うと2人してテレビの中の惨状に息をのんでいるうちに足元にやってきて驚かされる。
一方で、「欧州のことももちろん気がかりであるが、すぐそばの娘を放っておくなんておれはいったい何をしているのか……」と自己嫌悪にも陥った。また、自分の精神的な問題だけでもなく、娘もテーブルの脚やらにどこかしらをぶつけて怪我をしてしまうというリスクがあるから、ベビーベッドを解体してベビーサークルを作ることにした。その間、娘と妻には寝室で休んでもらう。
BGM代わりに何か……と思いついたのが、「ウルトラマンジード」であった。
「ウルトラマンジード」はこの令和の電脳空間において共に昭和の懐古風を吹かせる盟友、Ryoさんが特別な思い入れを持っていらっしゃる作品であり、筆者もかつてスペースでその熱い思いを伺い、また「推し」記事ではそのすべてのセンテンスが素晴らしく「はたしてジード、どれほどのものなのか」と思っていたものである。
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しかし「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」ほどではないとはいえ、2クール分のボリューム。視聴にも、なかなか決心がいる状態であった。
その日に限ってなぜ「ジードを見るか」となったのか。それは筆者自身も正直なところ分からないが、ウルトラマンジードのキャッチコピーが「運命――覚悟を決めろ」であると知り、なるほど、そういう星の廻りだったのかもしれない、と今は納得している。
ウルトラマン。
筆者とウルトラマンの「オリジン」は、30年近くも昔、まだ弟もいない、父と母、そして筆者が身を寄せ合って暮らしていたアパートであった。トイレは、和式トイレ。余談ではあるが、引っ越しの時に「五星戦隊ダイレンジャー」の1話を見ていたことを記憶している。
覚えているのは、ウルトラマンよりも、奇妙な姿の怪物。
後に筆者はそれが「リュグロー」であり、その作品は「ウルトラマングレート」であったと知る。
ウルトラセブン直撃世代の父の思惑によってか、ウルトラマン兄弟のソフビはあるし、怪獣図鑑も持っていたけれど、あの頃、ウルトラマンは「スーパー戦隊」や「仮面ライダー」より遠いところにいた、と思う。「パワード」もCMやおもちゃや雑誌でしか知らなかった。
そこにゼアスがやってきて、「テレビ(CMだけど)にウルトラマンが映る」ようになり、いよいよティガがやってきたが、いわゆる「TDG」の直撃を受けたのは筆者と言うよりは、弟たちであった……。
その辺りはRyoさんの企画に参加させていただいたこちらの記事に詳しい。
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同記事は紙幅の関係上、復帰以降は特に「仮面ライダー」に流れを絞っていただいたので、筆者のウルトラシリーズへの「復帰」について簡単に述べておく。
やはり大学時代、先輩によって喚起され、ウルトラシリーズの過去の名作群を鑑賞し、「大決戦!超ウルトラ8兄弟」も観た。
が、肝心のベリアル登場以降は視聴を怠ってしまっていた。当時の円谷は筆者にとって「エイプリルフールにやたら力を入れている会社」であった。
卒業、社会人と人生の階梯を進むにつれて、更にウルトラシリーズと筆者の距離は離れていった。その間、ウルトラシリーズは往時の勢いを取り戻しつつあったのだが、テレビ東京制作となってから、鹿児島では地上波ネットから外れてしまっていたのである。
「ライダー」「戦隊」が休日の朝、なんとなく流れていて、なんとなく把握するのに比べ、能動的に各種サイトに見に行かなければならない「ウルトラ」は日々の喧騒に押し流されてしまっていた。
そんな中、「乙一がウルトラマンに関わる」という情報をこれまた特撮を愛する後輩よりキャッチした筆者はその後輩の助言により、「最低限、銀河伝説というやつを履修すればよい」ということまでは掴んだものの、折しも繁忙期に入り、レンタルはしたものの視聴できず返却する、という醜態を晒した。
そんなわけで筆者の中でベリアルは「映画館でマナーの悪い黒いウルトラマン」であり続けた。
昨年からスペースで特撮勢諸賢との関わりが深まる中で、「ウルトラマントリガー」の初回にも立ち会うことが出来たが、娘の育児もあり、途中で途切れてしまった。やはり地上波放送がなく、「録画」できないことがその一因であることは否定できない。
やはり自分はもうウルトラシリーズに復帰できない「運命」なのか、と半ばあきらめながらも、アマプラで見られることが後半になってわかったので劇場版前にリベンジしたいという気持ちも芽生えた。その時、Ryoさんのプレゼンにより筆者の深層心理に染み込んでいた「ウルトラマンジード」もアマプラで見られることを筆者は覚えていた。
時は2022年の2月26日に戻り、再生ボタンを押す。ウルトラマンジード、シーズン1、エピソード1。
ベビーベッドのねじを外しながら……という「ながら」を許さない展開でジードは幕を開けた。小説は最初の3ページを読んでもらえば勝ちだというが、まさにそのような展開であった。
今もなおウルトラ愛があせず、むしろ強まっていることがわかるツイートがちょいちょいTLに現れる濱田龍臣くんはもとより、「あっテッシンさんじゃん!」とトリガーにも出演した水野直さんを冒頭から見つけ、転校先で塾の知り合いを見つけたような不思議な気持ちになる。
本来であればトリガー視聴時に「店長何やってんすか」となるところなのだろうが、このあたり令和にジードを初めて見るというおかしさの一つなのだろう。事程左様に、同じコンテンツを摂取してもまさに千人千色のストーリーが紡がれるからこそオタク語りというのはたまらないのである。
レッドキングとゴモラという、人口に膾炙したウルトラ怪獣がフュージョンライズされ誕生したスカルゴモラは存在感抜群。対峙するジードも同様にウルトラマンとウルトラマンベリアルをフュージョンライズされ、おなじみの「ぐんぐん」で現れる。
なるほど、確かにこうしてみると思ったより「禍々しさ」のある造形だな、と見ていると、放つ光線まで禍々しい。
2話では女性の放つ足技の応酬に「あ、この作品は坂本監督であったな」と急激な納得感が押し寄せつつ、子どもの頃怪獣図鑑で「なぜこんなセクシーポーズを?」と思っていたダダのポーズがこすられていてなんか笑ってしまう。
全くの余談であるが、鳥羽ライハを演じている山本千尋さんはクォン・ウンビさんに雰囲気が似ていると思うのだがどうだろうか。
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この辺りでベビーベッドはベビーサークルへと姿を変え、娘が起き出してきた。
休日の補完食(離乳食)を食べさせるのは筆者の役割である。とはいえ、我が家は食材に割く時間があるのならその分を娘との触れ合いに使おう、というスタンスであり、ベビーフードをフル活用しているし、最近はパウチの一品物を食べられるようになったので準備はほとんど時間がかからない。
早速ベビーサークルで遊んでいる娘を食事用の椅子に移動させ、食事を始める。本当にありがたいのは、娘はばくばく食事をしてくれる。時々吹き出したりすることもあるが、基本はもりもり食べる。勢いあまって服にもよく食べさせる。元気である。
妻もリビングにやってきて、テレビがウクライナ情勢へ変わる。生後二週間の新生児と非難するお母さんのニュースを見て、胸が痛んだ。生後二週間ということは当然お母さんも産後二週間であり、避難どころか本来布団から一歩も動かしたくない状態の人々が、路頭に迷わされている。
親の心のもやもやが伝わってしまったのか、娘は珍しく寝つきが悪かった。テレビでは、ウクライナが総動員令を発動した、ということを報道していた。徴兵だ。
「もし、あなたがそういうことになったらさ……」
妻は寝室に移動しようとして椅子から立ち上がりながら言った。
「逃げてね」
その言葉を反芻しながら床に就いた。
翌朝。起床、湯を沸かす、ミルクを作る、娘の食事を準備する、自分の筋トレを済ます……としていると娘が起き出してきたのでおむつを替え、保湿をし、準備していた食事を食べさせる。
いつもなら娘と共に見ている、いよいよクライマックス4Kウルトラセブンを見るところなのだが、今日はウルトラマンジードをまた最初から流し、いよいよ3話に突入する。
「サラリーマン・ゼロ」である。わずかな時間で書割ではない、この場所に現れるまでの彼の人生を思わせる行動にレイトというキャラクターがすぐに好きになってしまった。新たなフォームへの興奮も冷めやらぬ中、妻も起きてきた。
「ワリニキ」が作りたい、と妻は言った。
ワリニキはвареники と表記するウクライナの民族料理で、ヴァレーニキ、ヴァレニキあるいはヴァレーヌィクとも呼ばれる。「ウクライナ餃子」ともいう。
色々とバリエーションがあるそうだが、今回参照したレシピでは小麦粉・卵・牛乳で作った生地に具はマッシュポテト、ソースはキノコ、パセリ、玉ねぎを炒めたオイルソースであった。
生地をこねるのと、包むのを半分ずつ担当した。
思いのほかもっちりとした生地を難儀しながら伸ばし、マッシュポテトを包んでいく。ソースを中に包むパターンもあるということでそちらも試してみる。ガヴァドンAが大量出現したかのような錯覚に襲われるが、粛々とゆでていく。
弾力のある生地の中のマッシュポテトはホクホクで、その素朴な味わいをソースがしっかりと存在感のある風味で押し上げてくれ、おいしくいただいた。
食べながら、このレシピはロシアから日本に留学に来た人のレシピだ、と妻は教えてくれた。
「別にロシアの人みんなが戦争したいわけないんだよね」
まったくそうだ、と筆者は思い、顔も知らぬ留学生の前途を祈った。
両親が食事をしているうちに、一足早く食事を済ませた娘はベビーサークル内で縦横無尽に暴れ倒し、力尽きていた。寝室へ移動させ、妻もまた、食後のシェスタタイムである。
再び、テレビ画面をプライムビデオに設定し、「ウルトラマンジード」の再生を続ける。
8話まで見た。
筆者の目が腫れていたのは花粉症か、それとも……。
kimotokanata.hatenablog.com
少し前に書いたとおり、筆者は死に時を見失ったな、と思っている節があり、しかし妻子と1日も長く過ごしたいとも思う矛盾した人間である。
劇中、はじめレイトはゼロに――強大な力に文字通り振り回されているように思えた。荷が重いんじゃないかと感じた。相手はCV.宮野真守である。ゼロがその元を去った時、同じサラリーマンである筆者はよかったじゃないかと肩をたたいてやりたくさえ思った。基地を去った時も、そうだ、それこそがクレバーな判断だと。
けれど、昨日の妻の言葉がリフレインしてもいた。「もし日本でも戦闘に駆り出されそうになったら逃げてほしい」という趣旨の言葉。
幼稚園が砲撃されたという報道。おむつさえ事欠く新生児を連れての難民。
海の向こうの娘の同級生たちが直面している現実とジードの展開がシンクロしたような気がした。
このタイミングで見たことで、一層筆者はレイトに感情移入することになる。頼みの綱のゼロはもういない。もはや彼はただの一般人だ。手の届く範囲、抱きしめられる範囲の、妻子を守ることで精いっぱいだ。それさえできるかもわからない。だからそのために、愛する街を捨てねばならない。愛するもののコアを守るためにそこから派生したものを見切る。身を切るほどつらい選択である。
けれど、可能性がわずかでもあるなら。愛するものをより広い範囲で守ることができるなら。レイトは再び、宝物を抱きしめて、戦場へ向かう。
それはゼロかイチかという悲壮感のある戦いではない。イチをヒャクに、いやもっと大きく、大切なものが生み出していった大切なものすべて、妻、子、街、人、地球を守りたいという気持ち……。
物言わぬヒーローに語り掛けたレイトの言葉の熱が燃え移ったかのようにゼロは復活するのだった。
サラリーマンを超(ultra)えて、ついに彼は真にウルトラマンになったのだ、と感じた。
見終えてしばらく、余韻に浸っていた。
というか、今もまだ浸っていて、なかなか言語化するほど客観視できていない状態である。
とりあえず、「ジーっとしていてもドーにもならねえ!」という衝動に襲われ、エアロバイクを暫くこぎ続けたりした。(ホコリが…3月になったのでまた頑張って活用していきたい)
まずはこの箱庭を、この寝顔をしっかり守れる男になりたい、と考える次第である。
僕が僕であるために、筆者が筆者であるために、もはやそれは不可分なのだ。
それにしても、人生の階梯を登るにつれて離れてしまったと思ったウルトラシリーズにこのように再び接することができるのはうれしい。どうやら、螺旋階段のようにぐるぐると巡り合う運命にあるようだ。
螺旋と言えば、ジードもGENEを意識しているのは間違いないだろうが、それがED(過去)のものになるのかどうか、引き続き楽しみに見ていきたい。
さ、明日も仕事を頑張ろう。