カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

Domo Arigato, Mr. ……

やあ皆さん、モイ!

私は無事昨日年度末を倒し、バカンス休暇を楽しんでいます。

ここは時間の流れも穏やかで、波音に耳を澄ましながらハードカバー版「海底二万里」の原著を読む贅沢ときたら……。

嘘です。「年度末」という地面のゴミ穴にありとあらゆるものをぶち込んだら次の日に大気に開いた「年度初め」という穴からすべてが雪崩落ちてきたようなそんな一日でした。

それでも……私は激務の中で人の皮をかぶるためのよすがTwitterを開いて彼を探しました。毎年この日に現れる彼。

柔和な笑みを絶やさず、とはいえ看過できぬことには包丁でもって対抗し、全然わからないようでなんかわかる言語を駆使し、我々の食欲を喚起させる……。

……外はカリッとゴールデンブラウン。中はジゴワット…いやジュワッとジューシー。

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ゲナゲーゲナッゲ

ミスターナゲットの姿を。

……しかし、彼はどこにもいませんでした。ホームの新着。DMの中。そんなとこにいるはずもないのに。

年度初め、疲れたアラサーの体。欲するのはサクサクとジューシーの黄金比率のナゲット。

しかし夜も更け、代謝の落ちた体においしいもの、すなわち脂肪と糖で出来ているそれをぶち込むなど、猛獣の檻に生肉を投げ込むがごとき所業ッッ。

日中の激務で食事もままならなかった体はこれ幸いとカロリーをため込み、結果ビールも飲んでないのにビール腹が形成されていくことでしょう。

けれど、彼がいれば。

ナゲットの写真をツイートすれば、ミスターナゲットは喜んでくれます。その喜ぶさまを見たくてエイプリルフールにナゲットを買うという奇習は一部で確実に根付いていました。

私はそれはミスターナゲットを喜ばせようという気持ちからだと、自分自身思っていました。

が、彼がいない今、気づいたのです。

彼の存在は、「赦し」だったのだと。

「彼が言うんだから、しょうがないな……」

そういった言い訳でナゲットを食べることを己に赦す、罪悪感を減らすためのギミックとして機能していたのだと。

ああ、ミスターナゲット、あなたに会いたい。お礼が言いたい。

あなたと陽だまりのマックカフェで話がしたい。

たとえあなたが生き馬の目を抜く現代社会のただ一日に現れた癒しの蜃気楼だとしても。

それがかなわぬ今、ただ私は二年前あなたにそそのかされて買ったポテナゲ特大セットのことを、あとあなたがミステリー好きであったことを古びたラジオから流れる流行歌のようにノイズ交じりで思い出すのです。

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(15分/1008字)

煎じ詰めれば千字になるか・月末編

月末である。年度末である。どうにかこうにか、来年度の自分を信じて業務を投げ散らかしてきたわけだが、目を閉じて開けたら来年度の自分になっているというこの状況はどうしたことか。年度末の翌日に年度初めを設定した人間は人の心がないと見える。ロスタイムという発明を会計年度に取り入れることを急いでいただきたい。

 

さて、そういったこともありここ最近のエンタメ周りが停滞が目立ったが、他方で時々訪れる「自民党の人物Wikipedia巡りブーム」がまた鎌首をもたげてきており、そこからまた「大宰相」を一通り読み、Kindleアンリミテッド対応の自民党関連本も何冊か読んだ。党内情勢複雑怪奇、昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵、一昨日の敵はやっぱり明々後日も敵、そういった感じのクソデカ感情が煮詰まったような人間関係が展開され、ほぐれては収束し、また絡み合いダイナミズムが生まれるさまは、傍から見ているには抜群に面白く、事実は小説よりも奇なりをまさしく地でいっている。

 

とはいえ相手は生きた人間、特に政治家というタイプであるから、その本当の心根というのは本人にしかわからないし、またその本人が語ることが必ずしも真実であるとも限らない。眉に唾をつけて、あくまで「フィクション」として楽しむのがちょうどよい距離感なのだろう。

 

典型的な例が「大宰相」にある。「大宰相」は「小説吉田学校」をさいとうたかをプロが劇画化したもので、途中挟まれるベトナム戦争の経緯など完全に絵面がゴルゴなのだが、さておきいわゆる「三角大福中」時代を俯瞰するに比肩するものがなかなか見当たらない一級のエンターテインメントである。

 

現在出回っている新版と違い、筆者の所持する旧版は田中角栄の秘書・早坂茂三氏が各巻解説をしており、その饒舌ぶりもご愛敬なのだが、そのあたりからも察せられるように「大宰相」は基本的に親田中視点である、という点に注意せねばならない。

 

その田中角栄は本作で吉田茂に貴重な示唆を与える青年代議士として颯爽と登場するが、他の人物の回顧録吉田茂の娘を含む)を参照するに、どうもその場に角栄はいなかったようなのである。そしてこのシーンは、現在好評連載中「角栄に花束を」でも採用されてしまっている。無論「角栄に花束を」は「大宰相」よりさらに外連味を増した内容であり、フィクション配分も多めなのであろうが、こと近現代においてはなおのこと「嘘のつき方」は気を付けなければならないとエイプリルフール五分前に思うのであった。

20分/1041字

歴史劇画 大宰相 第一巻 吉田茂の闘争 (講談社文庫)

煎じ詰めれば千字になるか・停滞編

だいぶ間が空いてしまった。今日もこんな時間(23:37)である。元々更新頻度を上げたく思って設定したこのコーナー(?)なのだがこうなってしまうのは痛恨の極み……と思いつつ実は二月は結構たくさん更新してみたのだけど特にPV的には伸びが見られず、どころかなんも更新しない日の方が数字が良かったりして、人はPVのみに生きるものではないがそれはそれとしてたくさん見られると嬉しいよね、というのも正直なところであるから、要するにまあ、端的に言ってちょっとモチベーションが低下していたり、社会の年度末の空気で忙しかったり、ウクライナ情勢だったり、保険改正だったり、娘の夜泣きが一度一度がすさまじくやかましいとか寝つきが悪いとかではないものの、一時間ごとだったりとかして睡眠時間が連日三時間とかになったりしたりなど、マイナス要素がてんこ盛りであってなんとなくブログから足が遠のいていたのであった。

親がブログから足が遠のいている間にも娘は育つ。節句祝いに三か月ぶりに実家に帰省の折、力強いハイハイを見せつけ親類を驚かせていた。(ハイハイは本当に早くて、世が世であればハイハイレース荒らしになっていたのではないか……というのは親バカが過ぎるだろうか)その中には大正生まれの筆者の祖母、娘にとっての曾祖母もいた。実に年齢差九十六歳の令和生まれと大正生まれの邂逅は感慨深いものがあった(祖母は昨日誕生日であった。めでたい)。他方で、妻の実家には県外ということもあり未だ娘を連れて帰省できていないので、申し訳なさが募り、また妻の寛大さに頭が下がる。

三十年来の父の友人からマル秘情報を習得することにも余念がないようであった。

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いよいよつかまり立ちもこれ見よがしにやるようになり、家庭で「防壁」として使ってきたものがもはや娘にとって「アトラクション」へと姿を変えつつあることが見て取れ、成長はうれしいながらも恐ろしさを感じる。ここ最近の寒暖差の激しさに体調を崩さないかどうかが心配である。

のしのしと我が道を行く娘の後姿は力強い。見ているとその成長を誰に言うでもなく書き留めるというだけでもブログを書き続ける理由にはなるのではないか、これからも続けよう、という気になった。背負うた子に教えられ、どころかまだ背負っているうちに教えられてしまった。もはや親孝行は完了したといえる。

(974文字/20分)

煎じ詰めれば千字になるか・節句編

娘の初節句である。

桃の節句。今まで32年間(えっちょっと待って……32……? 令和になっても年齢のカウントって止まらないんだ……)全く縁のなかった行事は、一月ほど前に双方の両親、つまり娘にとっての両祖父母が雛飾りについての「打診」をしてきたときから始まった。

結局、母方の親から出資するのがよかろう、という伝統的なんだか何なんだかとりあえず娘の衣食住でてんやわんやな我々としては手出しが無くてありがたい展開で落着した。

とはいえ狭いながらも楽しい我が家、裏を返せば楽しいけれども狭い我が家を縁起物とはいえその活躍時機が1年で極めて短い雛飾りに多数を占められるのは懸念があった。雛飾りは我々の領土を租借するが、雛飾りに我々は住むことが出来ない。この決定的な矛盾点を解決するには雛飾りそのものを極めて簡素にすることが最上であろう。

www.hina-ningyou.co.jp

雛飾りは「人形工房ひととえ」さんのものにした。ふっくらまるく柔らかな顔つきのお雛様がどことなく娘に似ている、と妻が見つけてくれた。筆者もそう感じた。ことに、夏生まれだからと涼しげな着物柄を選んだらちょうどよくそのお雛様が一番娘に顔が似ているように感じられたのは不思議なことである。

www.hina-ningyou.co.jp

また、さまざまな組み合わせを事前にシミュレーションできるのも助かったし、面白かった。君も「ぼくのかんがえたさいきょうのひなかざり」を作ろう。ぼんぼりで差をつけろ。

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ヤマト運輸で雛飾りはやってきた。こんなシールがあることを知らなかった。

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中身はこんな感じ。羽箒が雰囲気がある。

f:id:kimotokanata:20220303234949j:plainシンプルな親王飾りにした。娘の前でひなまつりの歌を歌う時は五人囃子や官女や右大臣などいない登場人物の部分はハミングでごまかさねばなるまい。

や実物は一層柔らかな雰囲気が出ていて、見ているだけで顔がほころんでしまう。

本日は娘も終始ご機嫌であった。雛あられがわりのサツマイモボーロもモリモリ食べた。

妻の料理もますます冴えわたっていた。いつもなら「スシローのひなちらしにしよう」とでも言いそうなものを、妻の本気度が窺い知れた。今まで桃の節句を祝ってあげられなくてごめん。

「ひしおこし」の賞味期限が5月4日までで、端午の節句までに片をつけろ、というメッセージを感じた。

(25分/960字)

サラリーマン・カナタ

 

また、戦争が始まった。

早20年以上前、「新世紀」「21世紀」という高揚が、9.11によってどす黒く塗りつぶされてからこちら、ますます焦燥が続く日々である。

妻が起きている間は基本的にリビングのテレビはウクライナ侵攻の情勢を示す番組が何かしら流れ続けている。新型コロナが流行した時もそうであったが、こういう時妻は、情報を取り入れようとすることに常に積極的だ。

だから筆者もその時のように、あまり力を入れ過ぎないようにね、というに留めている。

そんな中、僅か1週間前に「お座り」が出来るようになり両親を驚かせていた娘はいつの間にかハイハイを身に着けていた。プレイマットの上で遊んでいたかと思うと2人してテレビの中の惨状に息をのんでいるうちに足元にやってきて驚かされる。

一方で、「欧州のことももちろん気がかりであるが、すぐそばの娘を放っておくなんておれはいったい何をしているのか……」と自己嫌悪にも陥った。また、自分の精神的な問題だけでもなく、娘もテーブルの脚やらにどこかしらをぶつけて怪我をしてしまうというリスクがあるから、ベビーベッドを解体してベビーサークルを作ることにした。その間、娘と妻には寝室で休んでもらう。

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BGM代わりに何か……と思いついたのが、「ウルトラマンジード」であった。

 

ウルトラマンジード」はこの令和の電脳空間において共に昭和の懐古風を吹かせる盟友、Ryoさんが特別な思い入れを持っていらっしゃる作品であり、筆者もかつてスペースでその熱い思いを伺い、また「推し」記事ではそのすべてのセンテンスが素晴らしく「はたしてジード、どれほどのものなのか」と思っていたものである。

www.bokuboku12.net

しかし「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」ほどではないとはいえ、2クール分のボリューム。視聴にも、なかなか決心がいる状態であった。

その日に限ってなぜ「ジードを見るか」となったのか。それは筆者自身も正直なところ分からないが、ウルトラマンジードのキャッチコピーが「運命――覚悟を決めろ」であると知り、なるほど、そういう星の廻りだったのかもしれない、と今は納得している。

ウルトラマン

筆者とウルトラマンの「オリジン」は、30年近くも昔、まだ弟もいない、父と母、そして筆者が身を寄せ合って暮らしていたアパートであった。トイレは、和式トイレ。余談ではあるが、引っ越しの時に「五星戦隊ダイレンジャー」の1話を見ていたことを記憶している。

覚えているのは、ウルトラマンよりも、奇妙な姿の怪物。

後に筆者はそれが「リュグロー」であり、その作品は「ウルトラマングレート」であったと知る。

ウルトラセブン直撃世代の父の思惑によってか、ウルトラマン兄弟のソフビはあるし、怪獣図鑑も持っていたけれど、あの頃、ウルトラマンは「スーパー戦隊」や「仮面ライダー」より遠いところにいた、と思う。「パワード」もCMやおもちゃや雑誌でしか知らなかった。

そこにゼアスがやってきて、「テレビ(CMだけど)にウルトラマンが映る」ようになり、いよいよティガがやってきたが、いわゆる「TDG」の直撃を受けたのは筆者と言うよりは、弟たちであった……。

その辺りはRyoさんの企画に参加させていただいたこちらの記事に詳しい。

www.bokuboku12.net

同記事は紙幅の関係上、復帰以降は特に「仮面ライダー」に流れを絞っていただいたので、筆者のウルトラシリーズへの「復帰」について簡単に述べておく。

やはり大学時代、先輩によって喚起され、ウルトラシリーズの過去の名作群を鑑賞し、「大決戦!超ウルトラ8兄弟」も観た。

が、肝心のベリアル登場以降は視聴を怠ってしまっていた。当時の円谷は筆者にとって「エイプリルフールにやたら力を入れている会社」であった。

卒業、社会人と人生の階梯を進むにつれて、更にウルトラシリーズと筆者の距離は離れていった。その間、ウルトラシリーズは往時の勢いを取り戻しつつあったのだが、テレビ東京制作となってから、鹿児島では地上波ネットから外れてしまっていたのである。

「ライダー」「戦隊」が休日の朝、なんとなく流れていて、なんとなく把握するのに比べ、能動的に各種サイトに見に行かなければならない「ウルトラ」は日々の喧騒に押し流されてしまっていた。

そんな中、「乙一ウルトラマンに関わる」という情報をこれまた特撮を愛する後輩よりキャッチした筆者はその後輩の助言により、「最低限、銀河伝説というやつを履修すればよい」ということまでは掴んだものの、折しも繁忙期に入り、レンタルはしたものの視聴できず返却する、という醜態を晒した。

そんなわけで筆者の中でベリアルは「映画館でマナーの悪い黒いウルトラマン」であり続けた。

昨年からスペースで特撮勢諸賢との関わりが深まる中で、「ウルトラマントリガー」の初回にも立ち会うことが出来たが、娘の育児もあり、途中で途切れてしまった。やはり地上波放送がなく、「録画」できないことがその一因であることは否定できない。

やはり自分はもうウルトラシリーズに復帰できない「運命」なのか、と半ばあきらめながらも、アマプラで見られることが後半になってわかったので劇場版前にリベンジしたいという気持ちも芽生えた。その時、Ryoさんのプレゼンにより筆者の深層心理に染み込んでいた「ウルトラマンジード」もアマプラで見られることを筆者は覚えていた。

時は2022年の2月26日に戻り、再生ボタンを押す。ウルトラマンジード、シーズン1、エピソード1。

ベビーベッドのねじを外しながら……という「ながら」を許さない展開でジードは幕を開けた。小説は最初の3ページを読んでもらえば勝ちだというが、まさにそのような展開であった。

今もなおウルトラ愛があせず、むしろ強まっていることがわかるツイートがちょいちょいTLに現れる濱田龍臣くんはもとより、「あっテッシンさんじゃん!」とトリガーにも出演した水野直さんを冒頭から見つけ、転校先で塾の知り合いを見つけたような不思議な気持ちになる。

本来であればトリガー視聴時に「店長何やってんすか」となるところなのだろうが、このあたり令和にジードを初めて見るというおかしさの一つなのだろう。事程左様に、同じコンテンツを摂取してもまさに千人千色のストーリーが紡がれるからこそオタク語りというのはたまらないのである。

レッドキングゴモラという、人口に膾炙したウルトラ怪獣フュージョンライズされ誕生したスカルゴモラは存在感抜群。対峙するジードも同様にウルトラマンウルトラマンベリアルフュージョンライズされ、おなじみの「ぐんぐん」で現れる。

なるほど、確かにこうしてみると思ったより「禍々しさ」のある造形だな、と見ていると、放つ光線まで禍々しい。

2話では女性の放つ足技の応酬に「あ、この作品は坂本監督であったな」と急激な納得感が押し寄せつつ、子どもの頃怪獣図鑑で「なぜこんなセクシーポーズを?」と思っていたダダのポーズがこすられていてなんか笑ってしまう。

全くの余談であるが、鳥羽ライハを演じている山本千尋さんはクォン・ウンビさんに雰囲気が似ていると思うのだがどうだろうか。

www.izone-official.com

この辺りでベビーベッドはベビーサークルへと姿を変え、娘が起き出してきた。

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休日の補完食(離乳食)を食べさせるのは筆者の役割である。とはいえ、我が家は食材に割く時間があるのならその分を娘との触れ合いに使おう、というスタンスであり、ベビーフードをフル活用しているし、最近はパウチの一品物を食べられるようになったので準備はほとんど時間がかからない。

早速ベビーサークルで遊んでいる娘を食事用の椅子に移動させ、食事を始める。本当にありがたいのは、娘はばくばく食事をしてくれる。時々吹き出したりすることもあるが、基本はもりもり食べる。勢いあまって服にもよく食べさせる。元気である。

妻もリビングにやってきて、テレビがウクライナ情勢へ変わる。生後二週間の新生児と非難するお母さんのニュースを見て、胸が痛んだ。生後二週間ということは当然お母さんも産後二週間であり、避難どころか本来布団から一歩も動かしたくない状態の人々が、路頭に迷わされている。

親の心のもやもやが伝わってしまったのか、娘は珍しく寝つきが悪かった。テレビでは、ウクライナが総動員令を発動した、ということを報道していた。徴兵だ。

「もし、あなたがそういうことになったらさ……」

妻は寝室に移動しようとして椅子から立ち上がりながら言った。

「逃げてね」

その言葉を反芻しながら床に就いた。

 

翌朝。起床、湯を沸かす、ミルクを作る、娘の食事を準備する、自分の筋トレを済ます……としていると娘が起き出してきたのでおむつを替え、保湿をし、準備していた食事を食べさせる。

いつもなら娘と共に見ている、いよいよクライマックス4Kウルトラセブンを見るところなのだが、今日はウルトラマンジードをまた最初から流し、いよいよ3話に突入する。

「サラリーマン・ゼロ」である。わずかな時間で書割ではない、この場所に現れるまでの彼の人生を思わせる行動にレイトというキャラクターがすぐに好きになってしまった。新たなフォームへの興奮も冷めやらぬ中、妻も起きてきた。

「ワリニキ」が作りたい、と妻は言った。

ワリニキはвареники と表記するウクライナの民族料理で、ヴァレーニキ、ヴァレニキあるいはヴァレーヌィクとも呼ばれる。「ウクライナ餃子」ともいう。

色々とバリエーションがあるそうだが、今回参照したレシピでは小麦粉・卵・牛乳で作った生地に具はマッシュポテト、ソースはキノコ、パセリ、玉ねぎを炒めたオイルソースであった。

生地をこねるのと、包むのを半分ずつ担当した。

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思いのほかもっちりとした生地を難儀しながら伸ばし、マッシュポテトを包んでいく。ソースを中に包むパターンもあるということでそちらも試してみる。ガヴァドンAが大量出現したかのような錯覚に襲われるが、粛々とゆでていく。

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弾力のある生地の中のマッシュポテトはホクホクで、その素朴な味わいをソースがしっかりと存在感のある風味で押し上げてくれ、おいしくいただいた。

食べながら、このレシピはロシアから日本に留学に来た人のレシピだ、と妻は教えてくれた。

「別にロシアの人みんなが戦争したいわけないんだよね」

まったくそうだ、と筆者は思い、顔も知らぬ留学生の前途を祈った。

両親が食事をしているうちに、一足早く食事を済ませた娘はベビーサークル内で縦横無尽に暴れ倒し、力尽きていた。寝室へ移動させ、妻もまた、食後のシェスタタイムである。

再び、テレビ画面をプライムビデオに設定し、「ウルトラマンジード」の再生を続ける。

8話まで見た。

筆者の目が腫れていたのは花粉症か、それとも……。

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少し前に書いたとおり、筆者は死に時を見失ったな、と思っている節があり、しかし妻子と1日も長く過ごしたいとも思う矛盾した人間である。

劇中、はじめレイトはゼロに――強大な力に文字通り振り回されているように思えた。荷が重いんじゃないかと感じた。相手はCV.宮野真守である。ゼロがその元を去った時、同じサラリーマンである筆者はよかったじゃないかと肩をたたいてやりたくさえ思った。基地を去った時も、そうだ、それこそがクレバーな判断だと。

けれど、昨日の妻の言葉がリフレインしてもいた。「もし日本でも戦闘に駆り出されそうになったら逃げてほしい」という趣旨の言葉。

幼稚園が砲撃されたという報道。おむつさえ事欠く新生児を連れての難民。

海の向こうの娘の同級生たちが直面している現実とジードの展開がシンクロしたような気がした。

このタイミングで見たことで、一層筆者はレイトに感情移入することになる。頼みの綱のゼロはもういない。もはや彼はただの一般人だ。手の届く範囲、抱きしめられる範囲の、妻子を守ることで精いっぱいだ。それさえできるかもわからない。だからそのために、愛する街を捨てねばならない。愛するもののコアを守るためにそこから派生したものを見切る。身を切るほどつらい選択である。

けれど、可能性がわずかでもあるなら。愛するものをより広い範囲で守ることができるなら。レイトは再び、宝物を抱きしめて、戦場へ向かう。

それはゼロかイチかという悲壮感のある戦いではない。イチをヒャクに、いやもっと大きく、大切なものが生み出していった大切なものすべて、妻、子、街、人、地球を守りたいという気持ち……。

物言わぬヒーローに語り掛けたレイトの言葉の熱が燃え移ったかのようにゼロは復活するのだった。

サラリーマンを超(ultra)えて、ついに彼は真にウルトラマンになったのだ、と感じた。

見終えてしばらく、余韻に浸っていた。

というか、今もまだ浸っていて、なかなか言語化するほど客観視できていない状態である。

とりあえず、「ジーっとしていてもドーにもならねえ!」という衝動に襲われ、エアロバイクを暫くこぎ続けたりした。(ホコリが…3月になったのでまた頑張って活用していきたい)

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まずはこの箱庭を、この寝顔をしっかり守れる男になりたい、と考える次第である。

僕が僕であるために、筆者が筆者であるために、もはやそれは不可分なのだ。

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それにしても、人生の階梯を登るにつれて離れてしまったと思ったウルトラシリーズにこのように再び接することができるのはうれしい。どうやら、螺旋階段のようにぐるぐると巡り合う運命にあるようだ。

螺旋と言えば、ジードもGENEを意識しているのは間違いないだろうが、それがED(過去)のものになるのかどうか、引き続き楽しみに見ていきたい。

さ、明日も仕事を頑張ろう。

スーパー猫の日記念・猫クロニクル・抜粋

折角なのでなんか投稿しておきましょう、ということで困った時のtwilog検索「猫」で引っかかったツイートなどを抜粋しておく。ハブアナイススーパー猫の日

kimotokanata.hatenablog.com

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まあなんですな、「木本氏」という一人称は止めて本当に良かったと思います。

 

【復刻】超人的な経験――「イン・ザ・ヒーロー」ネタバレ感想

今週のお題「復活してほしいもの」

余談

今年の健康診断まで半年を切ったので再び減量を始めた。妻の妊娠中に行ったフィットボクシングを中心とした減量により、娘が生まれた後の不規則な生活でもほとんど変わらなかったのだが、年末年始で一気に半年で減らした分が戻ってきてしまった感じだ。学生時代は仮面ライダーの大人向けでないベルトが巻けたものだったのだが。

あの体型が、せめて代謝が復活してほしい……と思いつつ、お題として真に筆者が復活を求めるのははてなダイアリー時代の下書きである。

はてなダイアリーが消える、ということで特に移行作業もせずwebの海の泡となれ我が駄文たち……と思っていたら、親切なことにはてなブログに移行してくださっていた。しかし、さすがに下書きの方は消えてしまっていたのである。

下書きにはちょうど十年位放置していたバットマンの諸々について語った記事があって、二万字くらいあった。少なくとも今の自分には書けない文章であったはずなので、何かしらに残しておけばよかったな、と今更思うのだから勝手なものである。

さてそういうことで後ろ向きに昔のブログを眺めていると、1つの記事が目に留まった。家族で劇場に足を運んだ映画、「イン・ザ・ヒーロー」である。

巷ではある映画が大いに話題になっているが、今の筆者には劇場へ足を運ぶあらゆるリソースがない。

とはいえ観もせずに賢しら顔でこき下ろすということも避けたい。

そういうことで、筆者がこの十年スパンで一番劇場に足を運んでみた映画で「思てたんと違う」となった映画の感想をこのブログに復刻させてなにがしかの代わりにしておこうと思う。

ということで、「本題」以下は七年前、二十五歳の筆者が書いた文章をそのまま載せてある。もしかしたら誤字もあったりするかもしれないがそのままにしておいた。記事内で高校生である弟が当時の筆者と同じくらいの年齢になっていると考えると恐ろしい。

よろしければ御笑覧のほどを。

 

 

本題

家族で「イン・ザ・ヒーロー」を見に行った。


www.youtube.com


家族で映画を見に行くことが年に何回かはあって、この間は「清州会議」だった。
つまり今回見に行った原因の一つは「清州会議」以降、木本母の中で「寺島進さんブーム」が静かにしかし長々と起きていたことが原因である。
このちょっと前に木本家では「超高速参勤交代」が見たいというムーブメントも起こっていたが、時間がとれなかったため満を持しての映画館と相成った。
ちなみに親父は「ルーシーが見たい」とごねていたが(彼は娯楽大作が大好き)なんだかんだ妻のリクエストにこたえてあげるあたり良い夫婦である。

ぴあの初日満足度一位だったそうだが、二周目ということもあってかスクリーンは小さく、かつお客さんの入りもまばらであった。超高速参勤交代と同じように、やや「渋め」のチョイスだったといえよう。
ちなみに弟二号機の彼女さんは三姉妹そろってホットロードをほぼ時を同じくしてみていたらしい。高校生はそうでなくっちゃ。

さて本題。
いきなり串田アキラの主題歌をバックに戦隊モノOPである。なんだこの再現度は。
左上に時間が出てないか確認してしまったぞ。

勿論、この正義感に燃える若者たちが主人公ではない。
今回はこの中の人たちが、イン・ザ・ヒーローが主人公なのである。

スタント集団HACのリーダー、スタント一筋25年の本城渉と売出し中のアイドル俳優一之瀬リョウが主軸となって話は展開する。

始まりは戦隊モノの劇場版から。
劇場版新キャラとして久々の顔出し出演のはずだった本城。しかしその座は一之瀬によってあっさり奪われてしまう。しかも一之瀬はこの仕事を腰かけ程度にしか考えておらず……。

始めは「中の人業」を馬鹿にしていた一之瀬も、本城の仕事に対する熱意、自分の夢(アカデミー賞を受賞してスピーチする)を馬鹿にしないこと、好きなゲームのモーションアクターをしていたこと……などなどから少しずつHACになじみ、忍者が出て殺すタイプのハリウッド映画、「ラストブレード」選考通過のために努力を重ねていく……。

というのが本筋であって、こういう舞台立てならこういう展開だろうなというとこから特に外れることもなく話は進んでいく。

特によかったのが中盤、寺島進さん演じるベテランスーツアクターの結婚式。
結婚式の余興でアクターたちが戦隊に扮するのだが、その際、寺島さん演じる海野氏はレッドで登場する。
普段は彼は(本人いわく、「タッパが足りない」ため)ピンクを演じている(女性より女性らしいとの評判で)ため、マスクを外さずにレッドが新婦へ向かうとき、周りは「ちょっとちょっと違うでしょ(笑)」みたいな空気になるが、新婦はそれ以前、戦隊が決めポーズをとった時点で(彼女は特撮番組のスタッフである)すべてを察し、泣き出してしまうのだ。(ちなみに寺島さんは事実、女性役のスタント経験がある)

余談になるが、「仮面ライダーを作った男たち」という漫画がある。
最近、と言っても二三年前だが、新装版も出た。
その中には「大野剣友会」――仮面ライダーの「中の人」たちのエピソードがある。
わけても「いつも改造人間役だった役者が引退の時にはなむけとして仮面ライダーの中の人となった」という挿話が筆者はとても好きで、見ながらつい思い出した。

さてそうこうしながらついに一之瀬はハリウッドへの切符を手にし、すべては万端と思えたとき、それを起点として本作はクライマックスへ舵を切り始める。
一つは、はた目にはとんとん拍子に出世していく一之瀬を目の当たりにして自分との違いを思い知り、限界を悟ったHACの中堅どころの退職。
そしてもう一つは「ラストブレード」監督の暴走(NOCG、NOワイヤー!)によるアクションスターの逃亡。(による、本城へのオファー)

これら二つがHAC代表としての本城と、アクション俳優としての本城それぞれに大きな衝撃を与える。
そしてそれは、一つの結論となって彼から吐き出される。

「俺がやらなきゃよ……誰も信じなくなるぜ!? アクションには夢があるって」

そういうことなのだ。
イン・ザ・ヒーローとはスーツの中の人ではなくて、誰かの心の中でいつまでも生き続けるヒーローのことだったのだ。

かつての妻の制止を振り切り、
一之瀬の遠慮(彼のアカデミー賞でスピーチがしたいとは、生き別れの母にお礼を言うためであり、本城がこのオファーを断ると映画自体がぽしゃってしまうのを本城が気にして受けたのではないかと彼は思っている)も退け、
おお……見よ! 死に装束めいた純白のシノビ衣装を身につけダーク=ニンジャ100人と凄絶な斬り合いに臨む本城を!

 


といった感じの映画であった。
身もふたもないことを言ってしまうと予告編通りの映画であって、
それを裏切ってくれるのは基本的に変にメタな(EDロール最後の監督の独白とか)悪い方向にくらいで、予想した通りの展開が現れては消えていった。
そういった意味で着眼点は素晴らしいが、脚本には新鮮味はあまりない。
キャラクターもせっかく個性的なのにもったいないと感じる部分が多かった。
(例えばハリウッド礼賛のプロデューサーが序盤で特撮現場をさんざんバカにして帰っていくのだが、ラストブレードのオファーに来るのは同一人物である。ここにあいつがついに認めてくれた! というカタルシスは全くなく、ころころ態度を変える都合のいい大人へ不快感を覚えるだけであった。たとえばこいつが実はすごい特撮マニアだったとか、本城と付き合いのあった一之瀬のマネジャーから話が行くようにするとかしてくれたらよかったのになあ。ちなみにこいつの連れているアイドル? 女優? もステレオタイプなもの知らずでイラつくだけで映画に何ら寄与することはなかった。こいつが惚れるんだけど一之瀬は夢のために全く相手にしない、それを見て本城は「ただちゃらちゃらしてるだけじゃないんだな」と認識を新たにする、くらいしてくれてもよかったのになあ)

かといって面白くなかったわけでは決してなく、俳優陣の演技は素晴らしかった。特に福士君いい役者になったなあとフォーゼから見ている身としては感慨深いものがある(ちなみに彼はバイクアクションだけはやたらうまいという設定があって笑える)
またクライマックスの100人斬りは圧巻……なのだが、劇中の設定に反して(CGなんだろうなあ……ワイヤーなんだろうなあ……)と思える部分がちらちら出てきてしまったのはいただけない。

個人的には大スクリーンで見るよりは、ソフト化されてから特撮映画の前に見ることによって本作品、そして特撮映画が相乗効果でよくなる、というのが正しい視聴方法のように思えた。