カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

落第阿房列車その三 京都①あるいは今日という日は残された日の最初の一日


余談

梅田スカイビルを訪れた時にふと、ここへ就職試験を受けてから七年の月日が経とうとしているのだな、と感じた。そもそも書類が通ると思っていなかったので、記念受験くらいのつもりだったがその力の抜け方が良かったのか面接に進むことが出来た。その後の結果で結局就職することは叶わなかったが、いい経験になったと考えている。

本来なら3.12にあるはずの試験であった。実際に試験を受けたのがいつだったのかはもう覚えていない。それほど試験が吹っ飛んだ、というインパクトの方が強かったのだろう。

七年前の今日は昼前に起きた。最もお世話になり続けた先輩の部屋へその日も泊まり込んでいたのだ。そして先輩の就職に伴い、その日が最後の先輩の部屋で過ごす日であった。家主の先輩をはじめ、諸先輩方、同期、後輩とかけがえのない日々を過ごした場所は去りがたかった。最後に先輩のPCで上記とは別の会社の選考結果を見た。通過していた。次回試験日は3.14であった。上記試験と合わせどういう日程でどういった交通手段で行くべきか、という幸福な悩みと三年間の感謝を持ち帰ってもしかしたら自分の下宿よりも愛着のある先輩宅を後にした。バスを待つ間、東京にいる友人に3.14の試験の宿として上がりこませてくれやしないか、という図々しいメールをし、夜行バスの予約をした。

14:46は広島市内へ向かう車中であった。バスセンターを出て、「わたしの食卓」で遅い昼食をとりつつTwitterを開こうとしたらやたらに重かった。関東あたりで地震があったらしい、ということがわかり、マメな東京にいる友人から返信がいまだに来ないことが気にかかった。

夕方、少しずつ大変なことになったという実感が湧いてきたころ、3.12の試験は延期すると通達があった。3.14の方は音沙汰がなく、かといって今後どうなるかわからなかったので夜行バスのキャンセルを行った。夜にようやく東京の友人から返信があり、その返信で何も食べていないことに気が付いた。

3.14の試験は予定通り行う、と通達が来たのは翌日だったように思う。今なお余震がある場所へ向かうことについてしばらく考えたが、新幹線で行くことに決めた。そこそこの人から反対をされたり、たしなめられたりした。友人に滞在費代わりに持って行く物資を調達し、乗り込んだ品川行の新幹線はスカスカで、京都を過ぎて以降は恐ろしくゆっくり進んだ。東京の灯は微かで、本当にコンビニにはモノがなかった。「余震のため臨時休業」の張り紙が忌中のそれのようにそこかしこに貼られていた。いつも通り迎えてくれた友人の顔はしかし明らかに疲弊しており、地震で一度床に落ちて左上が映らなくなったTVは砂嵐の代わりのように津波の映像を繰り返し流していた。緊張と余震とそれらが混ぜ合わされた何かによって夜中に二三度ほど起きた。試験の最中も二度ほど地震があり、自信なく面接は終わり、軒先に緊急避難で古本が並ぶ神保町で三冊ほど古本を買って帰った。試験には落ちた。


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本日は大正琴の師匠がチャリティーコンサートをするということで市内へ向かった。エレキ大正琴は音が割れやすいのだが音の粒が綺麗にそろい、強弱のつけ方も見事で、情念も乗り、さすがお師匠と感嘆させられた。アコーディオンの抒情ある音色もまた素晴らしいものがあった。

昔を忘れないことと今をしっかり生きることは車輪の両輪である。どちらも出来ていない自分をどうすればいいのかを改めて考える機会となった。死ぬまでは生きているという当たり前のことをもっと噛み締めなくてはいけない年になってきているのかもしれない。

本題


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ゲストハウス太鼓屋での夜が更けていく。

太鼓屋さんは、いわゆる京町屋を活かしたゲストハウスである。旅館ではない。過剰なサービスはないが、タオルはついてくるし、シャワーは二十四時間使えるし、スタッフさんの対応はとても気持ちがいい。レトロな雰囲気がまるで映画のセットのようでしかしそれは見た目だけでなくしっかり生活しやすさの工夫がそこここにある。チェックインを一度すればあとはいつ出ようがいつ帰ろうが自由。別料金ではあるが自転車まで借りられる。この絶妙な緩さが今回の旅にばっちりはまった。

寝落ちから一時間、目が覚めた。何故か、答えはすぐそばに文字通り横たわっていた。妻の寝息がいつもの十倍は賑やかだったのである。読者諸賢も寝入りばなに耳元で掃除機を全開にされたら筆者の気持ちをご理解いただけることと思う。

自分の睡眠妨害はともかく、前述したように太鼓屋さんは京町屋のつくりを活かしており、この部屋も吹き抜けになっていて防音性は低い。他宿泊者の迷惑を考えて筆者がハラハラしていると、隣の部屋から外国語でのよりボリュームの高い会話と笑い声が聞こえてきた。もしかしたら「隣の部屋のいびきマジうるせえウケる」みたいな話をしていたのかもしれない。そうこうしているうちに妻の寝息は落ち着いてくれてホッとする。

ホッとすると、今度は果たして神社を回り切れるのだろうか? と心配になってきて、グーグルマップを活用し神社を回るプランを立てることにした。参拝自体は出来ても御朱印を頂く社務所は大体九時にどこも開き、妻は途中で別行動をとるため二時間程度で……と考え、粟田神社、豊国神社の二社を自転車を用いて参拝することとした。それには六時半に起床し朝食前にシャワーを浴びておくことが肝要である。とほわほわした頭でどうにかたどり着いた時は既に一時を回っていた。

途中二度起きつつも何とか六時半に起床した筆者は妻を起こし、上記をたどたどしく説明したが聡明な妻は理解したようであった。「ワタシ シャワー アビル」眠気の残る筆者にも伝わるよう単語を区切って話してくれた。

朝自宅を済ませ我々は「旬菜いまり」さんへと向かった。向かったというか隣である。太鼓屋さんに泊まっていると割引なのである。七時半に予約をしており、見る間に満席になった。目の前で我々の予約に合わせて着々と米が炊きあげられていく。


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見た目通りボリュームがあるのだがどんどん食べてしまう。米が主菜副菜に負けないくらいうまい。米だけで食べられるのでおかずを意識して多めに食べるようにしないといけないほどであった。

予約は三十分刻みで入っているらしく、いわば我々は七時半予約組という運命共同体……ロッター……と勝手な連帯感が芽生え始めていたが、これがまたうまくできていて、ちょうどよく八時ちょっと前に食べ終わるのである。素晴らしいお膳の組み立てぶり、鮮やかであった。次回は是非夜も訪れてみたい。

太鼓屋さんに戻るとちょうどスタッフさんが出てこられており、スムーズに自転車を借りることが出来た。一路粟田神社を目指すことにする。粟田神社は旅立ちのご利益があるとも言い、スタートにはピッタリである。

誤算としてはやはり京都は全土が観光名所ということで、ほぼほぼ直線というわかりやすいルートでありながら、あ、池田屋、やや、弥二さん喜多さん、とついつい足が止まってしまう。


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粟田神社は駐車場から更に坂道があり、これがなかなか梅田ンジョンで痛めつけた足腰に効いた。が、朝の清澄な空気も相まって上り詰めた先の眺望は素晴らしかった。


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粟田神社、鍛治神社、稲荷神社を詣で、御朱印をいただく。

御朱印巡りの ながい たびが はじまる……。


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豊国神社への大返しは途中、狭い道がありまた清水寺などメジャーな寺社も多いため京の道に我々同様慣れていない旅人たちが不規則な動きをするためにこまめなブレーキが筆者の膀胱に暴行を加えたりしつつ十時前に到着した。豊臣だなあという豪奢な感じの本殿である。宝物殿も気になったが今回は先があるためぐっと我慢。御朱印帳への御朱印を頂き忘れたのでそこも含めぜひ再訪したい。すぐ横の京都国立博物館が秋ごろ刀剣の展示を予定されているとのことだから、そこに照準を定めたいものだ。

無事妻を駅まで送り届けたが、困ったことに駐輪場を見つけられなかった。時間は迫っている。仕方なく、自転車二台を筆者が引き受けることにした。これがなかなかつらい。どうみても常人のふるまいではない。ともするとあらぬ方向へ自転車が向かってしまうので、身をかがめてじりじりと二台を少しずつ進めていくしかない。さながらゴルゴダの丘へ向かうような悲愴な姿であったろうが、「ドミネ・クォ・ヴァディス?」と尋ねられたところで筆者には「駐輪場です」と答えるしか術がない。あんまりしんどいので道すがらの人に声をかけ「ちょっと乗ってくれませんか」と言いそうになるところであった。しかし、逆に職務質問等されなくてよかったと今になって思う。誰も乗っていない自転車について聞かれ、「妻の自転車なんです」と聞きなれない訛りでもごもご喋る男の事情聴取なぞさぞ気味悪かろう。

どうにかしばらく行った先に駐輪場を見つけ、一台をそこに停め、残り一台に乗ってゲストハウスに戻り、再び徒歩にて駐輪場に向かって回収して事なきを得た。まだ十一時を少し過ぎたところであった。京都の時間の濃密さに慄いたところで一度記事を閉じたい。