余談
その日、鹿児島の気温は二度であった。
前日というかその日の一時まで続いた忘年会の帰り、代行を呼んで乗り込んだ車のフロントガラスは凍っていた。帰り着くと恐らく日が変わる前後までは頑張って起きていてくれたのであろう気配が――例えば居間の暖房が消え切らない温かさなどから――感じ取られた。
既に夢の中にいる妻は二次元を嗜む。夢の中にいるが夢女子ではなく掛け算するタイプの女子であるらしい(あまり踏み込まないようにしている)中でも鯉登少尉は日を追うごとにますます別格であるようで、この間は「待ち受けを鯉登少尉にした」という報告がスクショとともにLINEで来た。年の瀬に配偶者のスマホの待ち受け画面が鯉登少尉になったことを報告された時の筆者の気持ちを五十文字以内で応えよ(配点:十五点)ということはさておき妻への鯉登少尉の思いはいよいよ絶ちがたいらしい。
どうも妻はある分野においてはある程度のポジションを築いているらしく、年明けには今までは自家通販を行っていたがついに鬼の哭く街・凍狂のイベントに参加するらしい。らしいというか飛行機のチケットと宿の手配は筆者がしたので確かな情報である。面倒くさい(月島軍曹顔)ともあれ基本的には妻が安穏と過ごせる日々が即ち筆者にとっての平和であるので妻が活発であると筆者としても楽しいし平和である。
仙巌園への訪問が二月イベント用の取材も兼ねているのならば。日本酒でどっしり重い頭を抱えながらこれはどうにか明日は仙巌園に行かねばならない、と改めて決意し、震えながら寝た。
翌朝。筆者が朝シャワーを浴びていると妻が起きてきたようであった。仙巌園は何時からか試みに聞いてみると「九時」と即答された。出来ておる喃……。
奇しくも時刻は九時。「九時半までに準備が出来たら出発しよう」と見くびっていってみたものの、浴室から出ると既に準備は完了されていた。明らかに普段とメイクの質が違った。覚悟完了である。
日差しの明るさがかえって放射冷却で明日の冷え込みを約束させる中、我々は出発した。
本題
仙巌園は正月準備まっさかりであった。
今回の企画展示は御殿であるので通常の入園料千円+御殿の入場料三百円の合計千三百円が必要である。もし入場口で御殿分の追加料金を払い忘れても、御殿での支払いも可能であるからご安心である。
いずれこれも記事にまとめたいと思うのだが、妻の「経費」にするため二人の会計を分けることとした。
入場すると蓑が飛び込む。また谷垣の家の源次郎がミノボッチ被ってついてきているのか? と一瞬錯覚しそうになるが、これらは色とりどり品種とりどりの牡丹を守るための処置。
覗き込むとその鮮やかに心奪われる。特に島津紅の美しさは無類である。
道なりに行くと「ジゲン流」の解説展示がある。
薩摩ジゲン流は「示現流」と「薬丸自顕流」の二つに大別される。
東郷重位が「タイ捨流」(妖怪首おいてけこと島津豊久はこちらの流派であったといわれる)と「天真正自顕流」を昇華させ江戸初期に誕生したのが示現流である。
その高弟であった薬丸氏の子孫が江戸後期に西郷どんでもお馴染み調所広郷の支援で立ち上げたのが薬丸(野太刀)自顕流である。門外不出、御家流派であった示現流と違い薬丸自顕流は郷中教育(地域の年上が年下を教える教育制度)にも取り入れられ、下級武士の間で大いに流行した。「明治維新は薬丸自顕流によって叩きあげられた」という言葉もあるほどである。
時は流れ、門外不出であった示現流は以前も少し触れたように中心街に道場及び資料館を開放しているし、下級武士御用達剣術であった薬丸自顕流の一会派は今年初詣にも行った精矛神社にて加治木島津家当主が指導されているというのだから歴史というのは面白い。
翻って鯉登少尉は「自顕流の使い手」であると杉元と対峙したときに尾形が言う。上記を踏まえると鯉登父は下級武士出身であり、郷中教育によって薬丸自顕流を学び、維新志士として明治維新に貢献、西郷下野には従わず東京に残り、海軍閥に属して日清日露を戦い抜き、現在の地位に就いたと想像できる。
よって鯉登少尉は東京育ちであるためふだんは標準語を使いこなすが、家族での会話は薩摩弁であり、また薬丸自顕流を習得しているため戦闘状態や極度の興奮状態に陥ると薩摩弁や猿叫が出てしまうのであろう。とも推測できる。
鯉登少尉ファン諸賢は彼を分析するにあたって是非参考にしていただきたい。
さて二流派は初太刀を大事にすることや反復練習が中心であることは共通するが、打ち込みやその対象などに相違点がある。ジゲン流の代名詞ともいわれる蜻蛉の構え(と一般的には言われるが「構え」は防御のための行動であるとしてジゲン流の習得者たちはあまり使わないともいう。蜻蛉を取る、というらしい。使うと通っぽいかもしれない)もそれぞれ違いがある。
薬丸自顕流は「横木打ち」と言ってその名の通り横になった束ねた木を打つ。
示現流は立木打ちと言って縦の木を打つ。開祖・東郷重位は庭の柿の木をすべて打ち枯らしたという。
「3月のライオン」で藤本雷堂氏が打ち込んでいたことでもお馴染みですね。
因みに立木を達人が打ち込むとこの様になるという。これは新選組もビビる。
ブース内では演武も見ることが出来る。猿叫を聞きたい方にも是非お勧めである。
さて御殿に向かう道中、晴天のため桜島が美しい。
あの伝説の相撲回でもお馴染みのスポットである。
いよいよ今回のメイン、御殿に乗り込む。お殿様のお住まいに我々がお邪魔できてしまうのだからすごい時代である。先に料金は払っているのでチケットを見せてスムーズに入場。時間を合わせればツアーもあるようだが妻の思考回路はもはやショート寸前、鯉登少尉に今すぐ会いたいよ……という様子であったので先を急ぐ。
いきなり雰囲気負けしてしまう。空調も場を壊さないよう配慮されている。
中庭の風景の美しさには参った。筆者が文学的素養があれば和歌の一つでも詠んでしまう所である。中庭の周りはぐるぐる回る順路になっているが、そのたび微妙に表情を変えた中庭を楽しむことが出来る。
紅葉の降り残してや島津御殿
ロシア皇帝に贈られたという薩摩焼の復元。ゴージャスながら大陸の気風と薩摩の息遣いが見事に同居しているように感じる。
そして企画展示。西郷どんで残念だったのは、吉之助が農本主義者でありその思想を実現させようと頑張る、という切り口で戦うことも出来たのに、節々にその萌芽が見えていたのに、結局テンプレート的な描写から抜けきれなかったことであるな、と改めて感じた。弟である従道が開拓使を閉じるのもなんだか象徴的である。
鹿児島では有名であるがゴールデンカムイともコラボしたサッポロビールを作ったのは鹿児島人。北海道のサッポロビールは筆者のようなビール下手でもおいしかったのでぜひ飲んでほしい。
ゴールデンカムイパネル展示は全体像は是非見てほしいので掲載は避けるが、こののち妻は鯉登少尉のここ……空いてますよ? 言わんばかりに屏風の空白部分にすっ……と並んだので筆者も無言でシャッターを切った。記念撮影にお勧めである。
しかし鶴見中尉&鯉登少尉のポストカードが手に入るひみつのことばがあれでよかったのだろうか……(そういえば基本的に企業アカウントと友達にならない妻がポストカードの為に音速で友達申請をしている辺りも本気度がうかがえる)
ちなみにひみつのことばは入り口のスタッフさんにお伝えすれば大丈夫である。
更に進むと再びロケ地が。
執務室は中に入ることが出来、撮影も可能。(調度品に触れることは出来ない)殿様の気分で撮影してもらったが写真を見てみると完全に殿様に叱られてガチへこみしているさまにしか見えない。
寝室、お風呂、ご不浄まで見ることが出来てしまう。しかし轡紋がゲシュタルト崩壊を起こしそうである。
御殿内の釘隠しは凝っていて、色々な種類がある。ちょっと上を見ながらの探索もまた楽しい。
素晴らしい余り二周してしまった。やはり幕末と現代が地続きであることを確認していくのは楽しく興味深い作業である。
引き続いては仙巌園ブランドショップへ。薩摩切子のお重という珍しいものを観られた。
展示は一月七日まで。是非お尋ねいただきたい。