カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

万葉集は「君の名は」からはじまる――新元号「令和」制定に寄せて

余談

元号、令和だってよとボスが伝えに来てくれた、そんな愉快な職場である。

幸いにも元号がいつ変わろうとさほど影響のない業界におり、なんとなくのお祭り気分で過ごすことが出来たが、それも生前退位のおかげなのだな、と思う。

筆者は平成元年生まれであるので昭和の終わりを知らないが、ここまで朗らかでなかったというのは伝え聞く。残り少ない平成の日々も、今日の1日の様にのほほんと過ごしたい。

本題

令和は万葉集から取られたという。といってその文章のルーツは中国に帰すらしく、そういったことが30分もせず情報として流れてくるあたり現代の情報社会のすごさを思い知らされるが、そうなってみると万葉集が気になってくるのが人情である。ぽつぽつと見たことはあるが、しっかり「読んだ」ことはなかった。

早速kindleで検索してみると、kindleアンリミテッド対応の書籍があるではないか。

万葉集(現代語訳付)

 

万葉集(現代語訳付)

万葉集(現代語訳付)

 

 早速昼休みにダウンロードしてみるが1696ページと言うから恐れ入る。そもそも万葉集が全20巻の大著であるから当然であるのだが。それを手のひらに持ち歩けてしまう時代の素晴らしさよ。

ひとまず「令」で検索して(これも電子書籍の素晴らしい利点である)おお、本当に報道で言っていた「令和」の元ネタがあるな、と確認してから最初から読み始める。

万葉集の「葉」は「言の葉」と言うことだとばかり思っていたがそうでもない、ということが分かり早速賢くなる。頭空っぽの方が伸びしろがあるのである。

始まりは「君の名は」

万葉集は4,500余りの歌から成る。そのトップを飾るのが、雄略天皇の御歌である。早速鑑賞してみよう。

篭毛與  美篭母乳  布久思毛與  美夫君志持  此岳尓  菜採須兒  家吉閑名  告紗根  
虚見津  山跡乃國者  押奈戸手  吾許曽居  師吉名倍手  吾己曽座  我許背齒  告目  家呼毛名雄母

う~んなるほど味わい深い……嘘である。筆者の知能では全く分からないのである。読者諸賢よ、母乳というワードに目が釘付けになり解釈がストップしているところ申し訳ないが、それは当て字であってこの歌と母乳は関係ないぞ。

今回参照するテキストの素晴らしいのは書き下してあり、また訳も付してあるところである。

因みに書き下すとこの様になる。

籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜採ます児 

家聞かな 告らさね

そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて 

われこそ座せ われにこそは 告らめ 家をも名をも

う~んなるほど味わい深い……嘘である。おしなべてくらいしか分からないのである。

佐佐木先生の現代語訳を参照しつつ筆者がなるべく短く訳すると、「良い籠、良い掘る串を持ち、この丘で菜を積む少女よあなたの家は。君の名は。大和の国の総体は私が納めています。全てが我が家です。私は告げましょう、家も、名も」と言ったところであろうか。

要するに雄略天皇は出会った女性に「君の名は」と呼び掛けていらっしゃるのである。

というか、そのまんま現代的に訳すと「へい、そこの小物遣いが魅力的な君、どこ住み? 何て名前? ちな、この辺おれのシマだから(笑)」ぐらいの感じである。さすがに砕け過ぎか。でも大体こんな感じであるような気がする。

「君の名は」は完全に観るタイミングを失ってしまって未見なのだが、なにやら口かみ酒が話題になったのは覚えている。雄略天皇もこのあと口かみ酒くらい作ってもらったかもしれない。

天皇と口かみ酒と言えば万葉集と並び称される日本の古文書、「古事記」にて応神天皇が「須須許里がかみし酒に我酔いにけり」と歌っているし、万葉集にも「君がため醸みし待酒安の野にひとりや飲まん友無しにして」という歌があるという。

その歌がいつ出てくるか待ちながら読み進めるのもよいかもしれない。

ともあれ、この様なトップのおおらかな愛から始まる歌集と言うのは何とも素晴らしいではないか。

一気に親しみがわき、続きを読んでいく。

大体みんな同じ事で悩んでいる

万葉集には「相聞」というカテゴリがあり、大まかにいえば「相手がいることを前提にして読む歌」であり、その性質から恋歌が多い。LINEよりはメールである。「Re:Re:」なのである。あじかんのあの曲がなんで「Re:」でもなく「Re:Re:Re:」でもなく「Re:Re:」なのかわかる世代も少なくなっていくのだろうかと思うとちょっと切ない。


ASIAN KUNG-FU GENERATION 『Re:Re:』(Short Ver.)

ともあれおよそ1200年前であっても人は大体同じようなことで悩んでいたり思い至っていたりして、そこに普遍性を感じる。西野カナ女史はかの時代にいてもさぞもてはやされたことであろう。

みこも刈る信濃の真弓引かずして弦箸くるわざを知ると言はなくに

は「弓を引きもしないで弦を張れますとはだれも言いません。だからあなただって私の心を引いてもいないのにわかるなんて言わないで」といったところで、わかる……なんかイケメンにちょっかい出されても自分をしっかり持つタイプのヒロインが平成の御代でも言ってそう……と思うし、

 

あしひきの山のしづくに妹待つと我立ちぬれぬ山のしづくに 

 という「貴女を待っていたら山の雫に濡れちゃった。山の雫に。大事なことなので2回言いました」みたいな歌に

吾を待つと君がぬれけむあしひきの山のしづくにならましものを

即ち「貴方を濡らした山の雫になりたかったことでございます」とか返されているともうなんかこう……壁とかを……殴りたくなるのである。

また、男があなたの髪は今どのようになっていますかね、という問いかけに対する

人はみな今は長しとたけと言へど君が見し髪乱れたりとも

他人から長いとか束ねろとか言われても、乱れてしまっても、貴方が見てくれた髪はそのままにしていますよ、という返歌はめちゃくちゃにかっこいい。

 

まだまだ紹介したい歌は沢山あるのだが、折角なので4/1のうちに記事を更新したいのでこの辺りで。機会があれば加筆したい。

ともあれ、是非この機会に万葉集に触れてみてほしい。 推し歌を見つけてほしい。