カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

愛はさだめ、さだめは血――KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-2話感想

余談

前回、1話他について感想を書かせていただいたところ、予想をはるかに超える反響があり、大変驚いた。なんとGoogleにもおすすめ記事として取り上げていただいたようである。勿論大変うれしかったのであるが、それほどの耳目に耐えるものであったかどうか疑わしく、恥じ入る次第である。

2話もBSテレ東で見た。エリート諸賢が「2話までは見て!」と常日頃主張されていたことが非常によくわかる好エピソードで、今後のハードルがガンガンに上がり切ってしまって心配になってしまうほどであった。1話において「なんだこのクレイジーなアニメは……」と怖いもの見たさで継続視聴した諸賢においてもアニメを見るのではなく、キンプリを観るという体験を改めて味わうことによって単なるネタアニメではないと理解されたことであろうと思う。プリズムに煌めいてあれ……。

しかしその感想となると困ってしまった。本来であればAbema配信までには感想を固めたかったのであるが、平成最後の出勤のための実生活のバタバタであったり、前回過分な評価を得たためにその承認欲求の満たされ振りが忘れられず二匹目のどじょうとして記事を書こうとしているのではないか――と内なる自分との葛藤があったり、なにより感想を書こうとして細部を確認しようと2話を再生するとそのままボーっと終わりまで視聴してしまったりしてなかなか進まなかったのである。

そうこうしている間にabemaTVでの無料配信期間の終了が迫ってきてしまった。また、レインボーライブも早く続きが見たい(実は2話まで見ているのだがそれ以降はこの感想記事を書いてからと縛りを自分に課していた/キンプリで見た人々がいてうれしい。そろそろオーバーザレインボーが結成されるのだろうか)ということもある。

ということで、いつも以上に乱筆乱文になってしまうかもしれないことをご了承願いたい。

abema.tv

以降、ネタバレとなるので未見の方は2話から見ても全く問題ないので是非鑑賞いただきたい。サムネイルのチョイスが謎な以外は表記通り24:09で終わるなど物理的にも安心な作品となっている。CMが本編に被るのでご留意されたし。

 

 

本題

親を子が超える――創作において一つの普遍的なモチーフであり、また現実においてもしばしば話題となるテーマである。それは神話の時代からそうであるし、アニメ漫画的クラシックで言えば巨人の星HIPHOP界隈でやたら引用されがちグラップラー刃牙、実世界に目を移せば和解を果たしたらしい大塚家具など、枚挙にいとまがない。

太刀花ユキノジョウが今回向き合うのはそのテーマ、のように見えて本質は必ずしもそうではないところにキンプリの妙がある。やはりキンプリは愛の物語であって、今回の話と核となるのもやはり愛である。互いの愛が傷つけあってしまうことに気づき、自分が何に拠って立つのかを見出すまでの物語となっている。

ユキノジョウにとっての不幸は、彼がその悩みに囚われた時、既に祖父が他界していたことであろう。

父は同じ舞台に立つものでありながら、国立屋の血を引いておらず、

母は国立屋の血を引いてはいるが、舞台に立つことが出来ない。

2人ともそれぞれ国立屋の、ユキノジョウのことを案じているのは間違いがないが、しかし国立屋の血を引き、舞台に立つユキノジョウの気持ちとは完全にシンクロさせることが出来ず、多くの部分が重なり合っているからこそ、そのシンクロしきらないズレがそれぞれの内面を傷つけてしまう。同じ条件にいた祖父が存命であれば……と思わずにはいられないが、祖父の遺した盆栽こそは自らが死してなお残るものがあるという証明として、ユキノジョウの国立屋を想う気持ちを育ててくれていたはずである。(存命であれば、美しい形を必ずしも保つ必要がないことを教えてくれていたかも知れない)

ユキノジョウが悩んでいる中で、ミナト、カケルがまたスッと風呂に入ってくる。いや、練習の後は汗を流すだろうから非常に論理的な展開ではあるのだが。「嘘がうまい」と言われると同じ声帯を持つラッパーを思い出してしまうが、ともあれ燃えるような髪色そのままの激情を見せられる「高校二年生の太刀花ユキノジョウ」でいられる仲間が出来ただけでプリズムショーは置いておくとしても、エーデルローズにいる意味はあったということであろう。ミナトがカズオ呼びであるのもさらっと言っているがいいな、と思った。洗面器が顔面直撃しても仲裁に徹するミナトが優しく、ユキノジョウがどこを触ったのかがエーデルローズ七不思議に追加されていく。尻アス…いやシリアスなシーンだが程よく中和されているように感じた。(カケルの隅々まで見た発言の時に階上のレオがどんなリアクションを取っていたのか気になる)思えばカケルも大財閥の跡継ぎ候補であり、ミナトもきょうだいを多く抱える身、背負うものを持つ同期から見えないところでも刺激を受けたことであろう。今後それぞれのスポット回で今度はユキノジョウがどのように作用するのかも気になってくる。

自分を「逃げていた」と考えたユキノジョウは改めて自らのルーツ、父と祖父の話に向き合う。父もまた初めから今の父であったわけではない。祖父の藤娘の稽古の姿に藤娘の理想の魂(イデア)を見出し、更にそれを師匠である祖父その人にある種否定されることで一段上の高み、自らの舞台に上がり、当代最高と言われる藤娘を作り上げたのである。

母は「あなたには祖父と父の血が流れている」と言う。しかしユキノジョウのその優しさは、「プリズムショーを志したことは決して逃げではない」と肯定してくれる母の血が流れているからに他ならないと視聴者は感じることであろう。ユキノジョウの髪色はどこからやってきたのだろうとかそんなことは些細な問題なのである。

そしていよいよ、アバンへ時間軸が戻り、プリズムショーが開幕する。\イヨォ~/

迷いのなくなった動きに父母も驚きと感嘆を隠せない。そのままプリズムジャンプに移行し、まずは千本桜フラッシュを造作もなく決める。(そうなると最初の橋は五条大橋なのだろうか?)2連続「国立屋スパイラル」逃れられぬ血のさだめに正面から挑み、乗りこなす。それはその名とは裏腹に迷いの螺旋から抜け出せたことを雄弁に物語っていた。にらみの見事さときたら!

\国立屋!/\国立屋!/

3連続「プリズムジャンプ十八番・国立屋流藤娘:夢見心地恋地獄」現在の歌舞伎演目での「藤娘」は長身の6代目尾上菊五郎がその姿を少しでも華奢に見せるために藤の飾りを大きく作ったことが現代にも受け継がれているというが、同じくすらりとしたユキノジョウがステージに満開の情念と藤に包まれる様は正しく美の暴力と言った形で圧巻である。自らの藤娘とはまた違う形――模倣と違う自らの「魂」を見つけつつある子を悟り、父は動揺する。

\国立屋!/\国立屋!/\国立屋!/

4連続「プリズムジャンプ十八番・百花王子回転炎舞」迷いを捨て、燃え滾る己が血潮。まさか2連続の時にヘモグロビンが映っていたのが伏線だったとは……己の血に眠る祖父を呼び覚ましついに父にその面影を叩きつける。ユキノジョウが分身し、3人で行う連獅子は祖父・父・息子の現実には2度と叶わなくなった3代三連獅子なのだなと思うと力強く、美しくもどこかセンチメンタルである。

\国立屋!/\国立屋!/\国立屋!/\国立屋!/

後半2つの演出は特にすさまじく、BLEACH卍解なのか? 刀剣開放(レスレクシオン)なのか? ユキノジョー・ジャガージャックなのか? といった感じで滅茶苦茶にかっこよかった。かっこいい字体で必殺技名をドンドンドンと出されるのが嫌いな男なんていません。

相手のプリズムショーが観られなかったのは残念だが、結果は見事勝利。父もまた、壁を乗り越えて煌めく息子を眩しそうに見つめるのであった……。

生きるべきか死すべきか、国立屋かプリズムスタァか。まァ一休みしてから考えよう、ではなく総取りを選んだユキノジョウ。そう、二者択一ではない。互恵関係であったこの2つを取り入れることによって、国立屋はますます発展していくことであろう。

久々にスピンオフ「今昔百鬼拾遺 鬼」が発表された百鬼夜行シリーズの「鉄鼠の檻」には今川と言う「うまく描こうとした」ことで伝統芸能の後継者になれなかった男がいる。詳しくは「鉄鼠の檻」を読んでもらうとして、しかしユキノジョウは「国立屋」という檻を見事破って見せた。伝統というのは本来、その時に最善であった革新に過ぎないというメッセージを感じた。このストーリーをわずか三十分足らずで語って見せるのだからキンプリは恐ろしい。

諸般の事情により劇場で鑑賞できないのが臍を噛む思いであるが、3話を座して待ちたい。

文庫版 鉄鼠の檻 (講談社文庫)