余談
驚くべきことに来週はもう五月、寝ても覚めてもコロナコロナで一人暮らしだったらとうに発狂していたことであろう。妻がいてくれてよかった。何気に新居への引っ越しもカウントダウンなのだが、果たして予定通りに行くのだろうか……。相も変わらず細心の注意を払って出勤・勤務しているが確かに県外ナンバーが増えたような気もする。少しずつ何かが良くなっていきますように。
※阿津賀志山異聞全般のネタバレがあります
本題
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控えめに言って神であったのでさっそく妻と鑑賞することにした。勤務後に楽しみがあると仕事にも張りが出るというものである。
七時四十分ごろ帰宅し、入場した。
阿津賀志山。かつての刀剣乱舞の終着点の一つであるその場所でいかなる異なる風聞が……。
身構える筆者に語られるのは音に聞く義経の最期。兄である源氏の棟梁・源頼朝は策略により義経の庇護者であった奥州藤原氏当主・藤原泰衡が義経を追悼するように仕向ける。炎に包まれる衣川館。天下無双の忠臣・無双で言うところのチャージ攻撃を会得しているとしか思えない武蔵坊弁慶に死してなお自らを守護することを遺言し、義経は守り刀――今剣で自害する。そして弁慶もまた壮絶な最期を遂げる、我々の知る、哀しくもまごうことなき真実の歴史が語られたかに見えたが――。
※ちなみ
刀剣男士の格好いい紹介(本気を出すとカットインが入ることを学ぶ)。加州清光with三条ズという布陣は一癖も二癖もあり、部隊長を悩ませる。彼らの向かう場所は、阿津賀志山。そう、史実では自分がけしかけておきながら「は? うちの弟を殺すとか許せんのだが?」という完全なるいちゃもんによって攻め込んできた源頼朝により滅亡に至る藤原泰衡と、何故か生き残っている源九郎判官義経と武蔵坊弁慶によって源頼朝は捕えられてしまった。そこにちらつく時間遡行軍の影。歴史が変わっているのである。
事態の深刻さとは裏腹に、生きた主と会えることに喜ぶ今剣。気負いからか采配が振るわない加州清光。葛藤する岩融。それらを三日月宗近・石切丸・小狐丸といったベテランたちがやさしくケアし、部隊がまとまっていく。
武蔵坊弁慶と義経にすっかり懐いた今剣は、義経から「己の役割」を全うすることの大切さを説かれる。しかし義経自身のその行為はコンプレックスまみれの頼朝にとっては逆効果となってしまい、争いとなるが、お互いの思いを吐露したことで和解……と思いきや持っていた刀剣が豹変、義経の体を侵食する。
「裏の裏」―正面突破で向かう刀剣男士に立ちはだかる武蔵坊弁慶。対するは岩融。「元の主」が強かったと嘯き薙刀対決を制する岩融は、しかし弁慶が手加減をしていたことに気付く。
それは弁慶もまた気づいていたから。今剣が言っていた「大切なヒト」が岩融であることを。この者達であれば自分がなせなかった義経を止めることができるのではないかということを。
だが、その忠義の心は変貌した義経自身によって裏切られてしまうのだった。
そうして今剣は否応なしに元の主と対峙せざるを得なくなる。動揺してか皆で義経の家来になろうとまで言い出す今剣。
そう、彼には「己の役割」という大好きな義経が提示してくれた指針がある。
しかし「守り刀」としての彼の役割は「義経を護ること」。
刀剣男士としての彼の役割は「歴史を護ること」。
相反する二つが彼をさいなむ。それは「守り刀でありながら主人を死に至らしめた」という自分自身の来し方を改めてみさせられるようなつらいつらいアンビバレントだ。
しかし目の前にいるものが「義経公だったもの」と気付いた彼は、自らの手でそれを倒し、「義経の名誉」を護ったのである。もし義経が生きていれば、それ以前の彼との会話がきっかけで失われようとしていた兄弟の絆を君は「護って」くれたのだ、と言ってくれたかもしれない。
ビターな、しかし間違いなく部隊員たちが成長したことをもってこの異聞は締めくくられるのだった……。
完
と思いきやとんでもねえ刺客が待っていやがった。
第二部である。
ショータイムである。
高低差がすごすぎて発電してしまうのである。
理屈ではない。エンターテイメントなのだ。
実際には休憩があったらしいのだが暗転からびしっと洋服でキメキメ刀剣男士が英単語を流暢に歌いこなすその様はまさしく狐に化かされたかのような気持ちだった。現場にいたら筆者の涙にサイリウムの光が反射してさぞロマンチックであったことだろう。
個人的には漢道が好きでした。あんなにシリアスしていた歴史上の登場人物に太鼓を打ち鳴らさせるその発想は天才となんたらは紙一重という賞賛を贈りたい。
どんなベクトルでも全力な「刀ミュ」なかなか得難い経験であった。明日も楽しみにしたい。
個人的に気になったこととか、妄想としては
・藤原泰衡はなんであんなにクボヅカなのか説明してほしい
・時間遡行軍に共鳴する「依り代」となった義経の刀は「膝丸」だったりしないだろうか
といったところで、この辺りは時間があるときに加筆してみたい。
ではまた明日。