カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

いっど薩摩におじゃったもんせ――仙巌園プライベートツアー「華族のアフタヌーンティー」体験記

余談

元来、筆者は出不精な人間である。仕事柄、ついぞリモートワークを体験することはなかったが、もし命じられたら喜んで実施する自信がある。どんとこいステイホームである。

しかし一方で、外出が嫌いかと言えばそんなことはない。それは特に妻と連れ添ってから顕著で、2人で何か新たなことに触れ、見識を深めるということがとても楽しい。

一昨年(えっそんな前?)こんな記事を書いた。

 

kimotokanata.hatenablog.com

現在Googleフォトとの連携不具合のせいで写真が全滅してしまっており非常に悲しい。どうにかしてほしい。今回の写真は一回LINEでアルバム作成を妻と共同で行った後、PC版LINEでダウンロード、その後はてなへアップロードという何度手間かわからないことをしておりなかなかのストレスである。

ともあれそれをきっかけに妻は仙巌園とLINEで友達となっており、そこで様々な情報を仕入れていた。恐らく今や筆者より仙巌園に詳しいのではないだろうか。

ある日、妻はその仙厳園が「プライベートツアー」を開催するということを知った。料金は一人当たり2000円。そのうち特に妻が心惹かれたのが「華族アフタヌーンティー」コース。なるほど魅力的だと思った筆者は直ちに賛成し、妻は無事プラチナチケットを獲得して見せたのだった。

それから指折り数えたツアー日がとうとう本日訪れたのである。

 本題

国道10号線を進み、右へウィンカーを出す。後続の車が戸惑っている様子が目に見えるようだ。

なにしろ、仙厳園には「休園」の哀しい2文字が張り出されているのだから。

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これは下車してから撮影したもの

筆者も若干不安になりながら敷地内に入ると、職員さんが「プライベートツアー」参加者であることを確認のうえ、駐車場へ通してくれた。駐車場のゲートは開いたままである。今回のツアー料金には駐車場代(通常300円)も含まれているのだ。

下車すると、むわっと湿った熱気が体にまとわりつく。さすがにマスクがしんどい季節になってきたと思いながら、仙厳園入口へと向かう。特設されたテントで再度参加者確認を行う。

恐縮するほど多くの職員さんに丁寧に応対いただき、「コンセプトが華族とはいえこれはすごい」と農民と漁民のハーフである生粋の平民は恐れおののくばかりである。

入場券(通常時は庭園・御殿・尚古集成館を含む。1500円)はツアー料金に含まれている。合わせて、うちわ、マスク、消毒液もいただく。くどいようだがこれもツアー料金に…って確実にもう2000円をオーバーしているのである。

まさかの園内に入る前に元が取れてしまったプライベートツアー。その仙厳園の「本気度」に我々も全力で答えねばならないと気を引き締めて、我々夫婦はなんと我々2人のためにアテンドしてくれる長身かつマスクをしていてもわかるよかニ才(よかにせ=薩摩の言葉でハンサム)・Hさんに先導され入園するのであった。

世界遺産オリエンテーションセンター:近代日本の夜明けは薩摩から

まず入り口にほど近い真新しい建物、世界遺産オリエンテーションセンターを訪問する。昨年末出来たばかりだというこの建物は、その名の通り2015年に世界文化遺産に認定された当地が認定に至るまでの歴史を写真資料やジオラマも踏まえて解説してくれる施設である。

その前に仙巌園感染症対策についての取組みも説明していただいた。入り口での対応から既に心配はしていなかったが、実際に具体的に説明していただくことでさらに安心感は高まった。この後心置きなく楽しめたのもこの説明のおかげと言って過言ではないだろう。

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ちなみにジオラマは窓からのぞく本物と向きを合わせて作成されているという徹底ぶり

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DASH村でもおなじみ反射炉

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実際には鉄製砲台は実用に適さないことも多かったらしい

反射炉そのものは、韮山、萩(そもそも萩反射炉は未完成)もまたそうであったように必ずしも目覚ましい成果を残したということではなかったが、しかしその取り組みこそは人々に「近代化へ向かおうとする意志」を大きく揺り動かしたに違いなく、その夜明け前の活動が文化的に大いに評価されたのであろう。

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世界遺産認定証。さすがにレプリカであるが実物大。思ったより大きかった。

このセンターでの案内は新入職員さんであるというKさんがしてくださったが、コロナ禍で休園を余儀なくされ、実務がなかなか難しかったであろうことを全く感じさせないわかりやすい解説であった。

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ブラタモリでは特別な許可を得て入れたという穴。

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水も滴らぬいい石垣

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石垣は1日にしてならず

センターを出て反射炉跡の実地検分に向かう。試行錯誤の果て、隙間なくかっちりとした石垣を組み、かつ熱を逃がすところは逃がすところでしっかりと作ってやることで、炉の中を1500度もの高温に保ち、鉄を溶かすことができたのである。

丁度雨が降りやんでいたころで、その雨をしっかり石垣の中にとどめる=水を逃す隙間がないほどの技術力には舌を巻くばかりである。仙厳園の中では累代の石垣(上に行くほど新しい)を見ることができる場所もあるが、明らかにその技術が洗練されていっており、こういったところからも高い文化度を窺い知ることができる。

カートで快適移動:平常開園後も実装してほしい

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Hさんは運転もめちゃくちゃにお上手であった

反射炉跡を見学し終えた我々を迎えたのはカートであった。50000平方メートルというデカすぎてぴんと来ない敷地面積を持つ仙厳園を効率よく回ることが可能となるのである。運転はHさんがしてくださる。ますますお大尽旅行である。

心地よく風を切りながら走行するカート。BGMはHさんの解説である。贅沢が過ぎる。先ほどの石垣や、御成門、鶴灯篭、猫神社、筆塚、六地蔵など自力で歩いては特にこの季節は一苦労の点在する名所をスムーズに回っていただいた。

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正門withカートは非常に貴重な画

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「おじさまと猫」との可愛いコラボ絵馬があった。

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そのうちキーボード塚も建立されるかもしれない。

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敵も味方も等しく供養するというのが島津繁栄の秘密かもしれない。

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仙厳園紙袋にも採用されたユニークな灯篭。

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殿以外は通ることも許されなかった特別な門である。


天気は曇り空ではあったが、桜島を築山、錦江湾を池に借景するという気宇壮大な庭園の美しさは揺らぐことがなかった。

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電線がなく、海岸線もより近かった昔はより絶景であったことだろう。

その後薩摩焼、薩摩切子についても解説していただくのだが、これは後述する。その2つに酔いしれた後我々を待っていたのは島津家の「武」の部分の体験であった。

四半的体験:手軽でハマる弓術体験

四半的は宮崎は的までの距離が四間半(約8.2m)、矢の長さが四尺半(約1.36m)、的の大きさが四寸半(約13.6cm)と「四半」が多いことからそう呼ばれる弓術であり、宮崎県の飫肥地方で特に親しまれている。

というのもこのルーツは島津忠親(島津義弘の義父)が伊東義祐(伊東家の最盛期を築いた日向の戦国大名伊東マンショの祖父)と飫肥城を巡る争いにおいて、島津の援軍に対して伊東側の農民が半弓でもって立ち向かい、伊東軍の勝利に貢献。その功績により農民たちが弓で遊ぶことを許したことである、と言われているからである。

つまり島津側としては苦い思い出に直結する遊技でもあるのだが、島津家の家老・上井覚兼(耳川の戦いに参戦、日向一国を実質任された。のち島津家久(いわゆるパパ久の方)と共に豊臣秀長軍と交戦、降伏して伊集院へ配置換え)の日記にも登場することから、島津が日向を支配するようになってからも特に弾圧などはなく、のびのび遊ばれていたようである。島津家に仕えるものたちも行ったかもしれない。

この辺り名より実をとる上井の日向の差配ぶりが伺えるようでおもしろい。

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風が…風が強かったから…

さて陣羽織を拝借して早速の挑戦。弓は引きやすく工夫されており、妻も特に苦労した様子は見られなかった。ギリギリギリ……というよりはぐーっとスムーズに引っ張ることができる感じである。我々は使うことがなかったが、正座が辛い方用に床几も準備されていた。

雨がちらつき始め、風も強くなる。脳裏に様々な狙撃手キャラクターを思い浮かべながら狙い打とうとするが……。

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異世界転生しても射手に立候補するのはやめようと思った。

結果はご覧のありさまである。的の中心部分にあたることができれば商品もいただけたらしいが、残念ながら夫婦ともにそれは叶わなかった。

しかしそのテンポの良さからなかなかの中毒性があり、仮にプラス1000円でもう1回できるとあれば筆者はホイホイやってしまった可能性が高い。

腹は減っては戦はできぬ。その対偶(ちがう)として戦(というほどではないが)をしたので腹が減ったを体感として思い知った我々は、一路昼食へ参じるのであった。

桜華亭:五感が喜ぶ至高の料理

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白地に「丸に十の字」のシンプルな暖簾が美しい

昼食会場は桜華亭であった。その膳の美しさに夫婦で絶句する。

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完全に天下人の料理である。

盛り付けそのものもさることながら、効果的に配置された薩摩切子はまさしく用の美、箸に手を付ける前から既に満腹ゲージの上昇を感じる始末である。もちろんいざ実食となると期待通りどころか完全に上回った。新鮮な造里はわずかに醤油をつけるだけでも口の中に海の幸の香りと味がふんだんに広がり、特に鯛は今まで食べた中で一番おいしかったかもしれない。むっちり感が素晴らしかった。イカのサクサク感も対照的で最高だ。煮物もまた鯛のかわぎしのうまさ、茄子のじんわりとしみこむうまみがたまらない。ローストビーフもまた筆者のような人間にはうれしい存在だ。初めはご飯がお代わり出来たらな……と不遜なことを考えていた筆者であるが、しっかりと満腹にさせてくれる凝縮された膳であった。この膳単品で2000円どころか5000円でもおかしくない。

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「勝者」の景色である。

また、秋篠宮殿下も食事をされたという貴賓室からの景色はまさしく「薩摩を獲った」という気持ちに浸らせてくれる絶景であった。平時はこの景色を1人当たり5500円で食事付きで堪能できるというのは大盤振る舞いではなかろうか。

薩摩切子・近代薩摩焼島津斉彬公がブランディングした2つの美

さて膳の中で薩摩切子が出てきたが、実はこれより前に仙厳園ブランドショップに案内していただいていた。

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真ん中くらいの段階でもうすごい

藩、ひいては国の近代化を急務と考えた島津斉彬。とはいえ近代化のためには大きな課題があった。

資金である。

既に国内は調所広郷が実質商人たちから踏み倒した後であり火の車、必要な資金の単位からしても海外との交易が必要であった。(そんなこと幕末にやって大丈夫なのか? なんて常識的なことをスイカ売り決死隊なんてことをする薩摩相手に言ってはいけない)そのためのカードとして斉彬が着目したのが薩摩切子と薩摩焼である。

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これは復元品だが同様のものが江戸時代にもあったというから職人さんはスゴイ。

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ぜひ実際に訪れてこの光の美に酔いしれてほしい。

斉彬が中国・ヨーロッパ・日本の特長を取り入れた幕末の奇跡のカットガラスである薩摩切子は斉彬の急逝と共に時代のあだ花となりかけたが、35年前に島津家と職人たちの熱意により復活。2色のガラスを用いるなどさらに洗練を重ね、現在に続いている。

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妖しくも美しい艶めいた煌めきがなんともいえない。

 他方、近代薩摩焼は斉彬が島津義弘の時代から連綿と続いていた薩摩焼をより外国向けへと昇華させたもので、実際にパリ万博に出展、高い評価を得た。のちニコライ二世にも薩摩焼を贈り、玄関に大事に飾られていたというから斉彬の目の付け所は正しかったというべきだろう。こちらも現在に至るまで鹿児島一級の品として愛好されている。

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上下にはめ込まれているのは薩摩焼

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お値段270万円。お手軽にスタッフにお尋ねくださいということだがちょっと深呼吸が必要である。

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ニコライ二世に贈られたものの復元。割れやすい薩摩焼でこの大きさのものを作成するのは大変なことであるという。

そんな薩摩の美のうち、薩摩切子のかけらを利用したアクセサリー作りが体験できるという。アクセサリー作りのために向かったのは御殿。文字通り、島津の殿様が過ごしていた場所である。

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島津行燈に導かれ目的の場所を目指す。

事前の感じではティアドロップ型とサークル型どちらかを選ぶのかと思っていたが、なんとどちらも作成可能であるという。またしても太っ腹ぶりに島津家への忠誠心が更に高まるのを感じる。

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紙おしぼりさえ荘厳な趣がある

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色とりどりのかけらはそれだけで幸福感を与えてくれる。

かけらはひとつして同じものはなく、それだけに難しく、また面白い。もとのかけらが美しいのでどう転んでも大惨事ということはなく、また2つ作成できるということもあり気楽に安心してつくることができた。

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かけらの取捨選択中に見つけた隠れミッ〇ー

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ズレすらも愛おしくなるのがハンドメイドの良いところである。

筆者は赤で島津十文字を作り、その隙間をそれぞれの色で埋める、という考えで進めていったが完成したものは多少齟齬が見られるようだ。しかしそれが気にもならないほど楽しい時間を過ごさせてもらった。隙間をうまく埋めるかけらを探すということで、知育にもいいかもしれない。

平民、アフタヌーンティーに臨む:優雅でスイートなひととき

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ブラタモリタモリさんが見た角度から庭園を望む

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西郷どん」で実際に着用された衣装。小道具も随所にあった。

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「かたまり」で認識しがちな紫陽花が個を強調されているのがおもしろい。

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菖蒲の花が季節を感じさせる。アメンボも元気。

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前述の写真にあった八角形は凹み、こちらは盛り上がっている。これは風水的な意味があるらしい。

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この手水鉢も薩摩焼。台風が接近した時は真っ先にこれをガチガチに守るらしい。

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これは殿様の部屋から見ると亀に見える「亀石」。「鶴灯篭」と対になっている。

御殿を巡り、往時の薩摩と島津家に思いをはせていると、いよいよメインイベント「華族アフタヌーンティー」会場「謁見の間」に辿り着く。

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これは前回訪問時の謁見の間。「西郷どん」撮影時の様子が再現されている。立入不可であった。

職員さんによるアフタヌーンティーやイギリスと仙厳園との関係の講話をしていただいたのち、イギリスのご出身で鹿児島在住歴15年、スマートな英国紳士然としたルックスでありながら示現流の師範代という「2次元の方からいらっしゃいましたか?」という仙厳園海外営業部のAさんのイギリス式アフタヌーンティーのマナーレクチャーの後、アフタヌーンティーが穏やかに始まった。

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五代友厚のレシピをもとに作られたという「武士の紅茶」渋い色に反して飲みやすい。

鹿児島県民は意外とお茶を飲まず、(全国2位の生産量なのに……)コーヒーの需要が高い土地柄であるらしい。筆者も日本茶はともかく紅茶を家で淹れるということは殆どないが、それだけにこの紅茶の美味しさには驚かされた。またまた太っ腹なことにお土産に1缶(1包ではない!)つけてくださったのでゆっくり味わいたいと思う。

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実は人生初スコーンであった。

サンドイッチはハムときゅうりというシンプルなもの。なのに恐ろしいほどおいしく、例えば1斤あったら普通に平らげていた可能性が高い。スコーンも単品でも絶品であるのにクロテッドクリームを添えるとまさにハーモニー、金成陽三郎に対するさとうふみやと言ったところであった。

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イギリスを象徴する花・バラが池坊流で活けられていた。

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追加料金を払うから全部食べさせて欲しかった。

ケーキは妻はガトーショコラ、筆者はオペラを選択した。濃厚なのにしつこくないという不思議なおいしさで、2杯目の「姫ふうき」と味をお互いに引き立てあう形となった。

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普段はなかなか見ることのできない杉絵。

満腹感と満足感を得て我々は御殿を後にするのだった……。

終わりに:次の来園者のために、次の次の来園者のために。

その後は今回のツアーについてのアンケートを受け、ざっくばらんにHさんと意見を交わす時間を設けて頂いた。

全体的に素晴らしく、完全に仙巌園サイドからすれば大赤字であろうこのツアー。せめてここで少しでも有用な意見を出そうと夫婦ともどもエキサイトしてしまったきらいがあるが、Hさんはうまく意見を整理してくださり多少なりともブレインストーミングの様相を呈すことができたのではないかと思われる。

・「華族アフタヌーンティー」というコンセプトの中では「四半的」は不適当ではなかったか(四半的そのものはとても楽しかった)

サブカル的なコラボ(薩摩切子のかけらで推しのイメージカラーのアクセサリーを作ろう! とか)のグッズは受けるのではないか

その他こまごましたことなど話させていただき、最後にお土産を頂き丁度良い雨の切れ間を縫って仙巌園を後にするのだった。

本当に贅沢なツアーで、この御恩を返すために年内にあと3回は奉公という名の来園をしたいものである。というか季節ごとに訪れる口実が出来て大変ありがたいというのが本音である。

大企業でありながら、貪欲なほどに意見を吸い上げようという姿勢は断じて胡坐をかいた殿様商売ではなく真摯で誠実な筆者のような雑兵の心を打つものであった。今回筆者が参加したこと、またこの記事が誰かの来園につながれば筆者にとってこれほど嬉しいことはない。

まっちぃと待っせぇめ、いっど薩摩におじゃったもんせ。

(もう少し待ってから、一度薩摩にどうぞお越しくださいませ。)