カナタガタリ

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たつね行まほろしも哉つてにても―科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』綺伝 いくさ世の徒花 改変 いくさ世の徒花の記憶 大千秋楽ネタバレ感想・考察・妄想

科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』改変 いくさ世の徒花の記憶(法人特典なし) [Blu-ray]

余談

今年初め、筆者は初めて「刀ステ」を現地でその身に浴びた。それまでに予習としていくらか見てはいたが、やはりリアルタイム、ライブでのそれは「圧」が違った。誇張でもなんでもなく、この舞台と同じ時代を生きられる幸せを噛み締めたものだった。

引き続きこの舞台を追いかけていきたいと思った。

そこにこの未曽有の事態である。

「ミュージカル『刀剣乱舞』 〜静かの海のパライソ~」

が東京公演の千秋楽を早め、他公演を見送ることが決断された。

そして「舞台『刀剣乱舞』綺伝」もまた――。

しかしそれだけでは終わらないのが刀剣乱舞というコンテンツの素晴らしさである。

「科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』綺伝 いくさ世の徒花 改変 いくさ世の徒花の記憶」。

これはコロナ禍のこの状況に舞台という表現形式をどのようにアップデートしたかという革新の目撃者となった筆者の感想、考察、妄想ごちゃまぜの闇鍋走り書きである。

本題

ということでここからは当該作の血も涙もないネタバレがあります。

コロナ禍をも利用し更に表現の次元を高めた舞台の凄味

「別の本丸の特命調査」として語られる今回の科白劇。

相変わらずそのSEを聴くだけで心を湧き立たせる「入電」。

いつも以上に壮大なOP。

心を高揚させながら、しかし既に人が密集しない工夫がなされている。

今回は時間遡行軍もアンサンブルではなくプロジェクションマッピングにより表現されるが、キャスト諸賢の錬磨された殺陣によってそこに遡行軍がその場にしっかりと「在る」。

刀剣男士の殺陣も基本的に一人一人となっており、密に配慮しつつ、今まで画面所狭しときらびやかに展開され、目が追いつかなかった筆者にも優しいじっくりばっちりとアクションを味わうことができるようになっている。

そして目玉はまさかの「刀装」という形で参加した講談師さん。上記のように人員。動き・演出をコンパクトにしなくてはならない本舞台においてあたかも百見は一聞に如かず、的確なフレーズ・声量・テンポにて紡ぎ出されるその言葉の渦は我々をいつも通りの「刀ステ」に、いや、更なるステージへと導いてくれるのだった。

愛しさ余って憎さ百倍の細川夫婦

ストーリーとしては細川ガラシャを核として改変された世界線キリシタン大名を中心に慶長熊本を「神の国」として支配している時間遡行軍の排除が目的となっている。

一見理想郷(パライソ)のように思える「神の国」だが、「そうはならんやろ」というぐらいドレッドなうらぶれはてた細川三斎忠興の登場によって本来既に慶長熊本において亡き者たちが生きていることの影響が如実に出ていることが冒頭から示唆される。

 

kimotokanata.hatenablog.com

 筆者もゲームにて無事特命調査は終えているのだが歌仙兼定を極めておらず、次回復刻時までに極めたうえで記事にしようと虎視眈々とその時を狙っている。

上記予想記事においては筆者は「文久土佐藩」、「維伝」における「核」が彼であったように、「慶長熊本」においても「核」があり、それは細川忠興ではないかと予想していたが、実際には細川ガラシャであった。しかも味土野(現在の京都府京丹後市弥栄町明智領であった。)幽閉時であるというからガラシャの父・明智光秀麒麟が来ず、待ちかねて自らが羅刹となり第六天魔王織田信長を本能寺にて紅蓮の炎に消したその時のほとんど直後である。

普通は細川ガラシャを核に歴史改変をするにしても大坂屋敷人質事件あたりではないかと思うのだが、この時代に設定するあたり、やはり「刀ステ」において本能寺、織田信長というのが非常に特別に扱われているように思えてならない。

ところで明智ガラシャ細川忠興の結婚を決めたのは……。

そう、織田信長なのである。

やはりこの辺り狙っているような気がする……。

今回タイトルの歌は全文では以下のようになる。

たつね行まほろしも哉つてにても
たの有かをそことしるへく

「あなたを尋ねてくれる幻術使いがいてくれたらいいのに。人づてでもあなたの行方が知ることができるように」というこの歌は源氏物語にて桐壷帝が詠んだ歌を本歌とする、幽閉中にガラシャが詠んだとされる歌である。形式上離縁されながらも幽閉され開放するわけでもない夫、忠興に対してなお慕ってくれているガラシャがいじらしいが、この世界線において幻術使いが忠興を尋ねることはなく、ガラシャの元に時間遡行軍が訪れるのであった……。

言いがかりで庭師を弑したばかりか妻を蛇呼ばわりする鬼・細川忠興ガラシャの行いによって落ちぶれた彼は彼女を憎むが、それは愛情がオーバーフローして憎くなっているもはやバグのような状態である。だから彼は、ガラシャを斬ることができない。

ガラシャもまた忠興を憎む。(めっちゃ順当な感情である)しかしそこにはやはり愛しさがある。自らを殺してほしいほどに。しかし、歌仙兼定キリシタン大名の働きによってそれはなされない。それによって彼女はいよいよ異形へと姿を変えてしまう。

地藏行平と行動をしつつも最後には彼や歌仙兼定、古今伝授の太刀、キリシタン大名たちに誉めそやされた「花」としてではなく、「蛇」として散っていくことを選ぶのであった……。

細川君! いちゃつきに刀剣男士や世界線を巻き込むのはやめよう!

ともあれ細川ガラシャがその真意を誰にも察してもらえずにそれぞれの都合のいい「偶像」として扱われる様は、実際の史実にて亡くなったガラシャの死が「キリシタンの鑑」「子殺しの烈女」「貞淑なる夫人の理想」などそれぞれの都合で勝手にラベリングされ、消費させていたことを考え合わせると何とも言えない気持ちにさせられる。

七海ひろきさんの熱演もあって筆者の中では「魔界転生」のイメージが強かったガラシャ像がようやく更新されたのだった。完全にガラシャさまの虜となって終演を迎えた次第である。……「宝塚」は我々オタク夫婦としてはハマったらおしまいの最後の沼として恐れているが、段々と包囲が狭まっているようで恐ろしい。

キリシタン大名・その数奇なる運命

細川夫婦の流血の痴話喧嘩に花を添えるのはキリシタン大名たち。朧の騎士ならぬいわば徒花のキリシタンと化した彼らは西洋の武器を振るい、刀剣男士と相対する。

そのラインナップを見るに細川ガラシャから続くキリシタンの地獄がシームレスに導かれるように感じられたので以降、史実の彼らの歴史を紐解きながら綴っていこう。

まずはゲームの特命調査:慶長熊本に未登場の二人、大友宗麟黒田官兵衛孝高(如水)。2人ともキリシタン大名のビッグネームである。細川ガラシャキリスト教に入信したのは大友宗麟と島津の争いによって細川忠興が九州に従軍し、その隙を縫って教会に行ったためであるからいわば宗麟は「細川ガラシャ」の生みの親と言ってもいい。

大友宗麟が洗礼名ドン・フランシスコとなるのは天正七年からで、前年に耳側の戦いので大敗があり、現世利益が目的とされているがその後も有力豪族離れは加速し、島津の北上が止まらぬ中、秀吉に懇願する形で九州征伐を行うものの、本人は島津降伏の前に病に倒れた。(天正十五年没。ということで史実の彼は「慶長」を知らない。)だからだろうか、信仰のむなしさを感じているところに獅子王に朗らかに肯定され敗れる彼は嬉しそうであった。九州の大大名という重責から離れ、初めて一人のキリシタン「ドン・フランシスコ」となれたのかもしれない。

黒田官兵衛、彼のリクエストに従えば孝高はかつて出会った彼とは違う彼だとは言うが、しかしこちらとしては相変わらず頭の回転に驚かされる。「維伝」での「彼」がそうであったように、彼もまた様々な自分の記憶が混濁しているがそれを活用する貪欲さこそ天下の軍師である彼にふさわしい。「一合戦仕る!」はやはり鳥肌ものである。相対する山姥切長義に敗れる彼はかつての自分が山姥切国広に敗れたことに触れる……こういうリフレインが筆者は大好きである。史実の彼は九州の関ヶ原と呼ばれた石垣原の戦いにおいて宗麟の遺児・大友義統の軍と相対し、日本号の所持者・母里太兵衛友信が苦戦する場面もあったが勝利。しかし関ヶ原のスピード決着によって所領は変化せず、慶長九年に没。キリスト式の葬儀が行われた。

小西行長は後述する事情で大名でなくなった高山右近の旧臣を多く召し抱えた。また、天草一揆を鎮圧したのち領土とした。その地のキリシタンの勢力が強まったが、弾圧をするのではなく教会に援助を積極的に行っている。関ヶ原の戦いで敗北。キリシタンのため切腹を拒否、斬首された。

大村純忠天正十二年、沖田啜の戦いにおいて甥・有馬晴信と相対するが積極的に戦うことはなかった。その後九州征伐に際しては秀吉に臣従、本領を安堵されるが既に病に侵されており、宗麟と同じく天正十五年にその生涯に幕を下ろす。キリスト教には熱心だったが改宗しないものの扱いも厳しかったようで、領内では反発も大きかったようだ。

その甥・有馬晴信の沖田啜の戦いの陣には弥助がいたという説がある。関ヶ原にて小西行長の所領を攻略。息子が家康の側近となるなど安定した老後を送れるかと思われたが長崎奉行暗殺の陰謀が露見し、切腹させられた。資料によってはキリシタンのため小西行長同様に斬首としたともされる。彼の領地はキリシタンが多く、彼自身もキリシタンであったため、陰謀露見後、息子の代で国替えが起こってからはかの地は弾圧の対象となった。その地の名は島原という。

 高山右近細川忠興と同じく利休七哲の一人に数えられた知識人。「へうげもの」主人公古田織部の義弟でもある。キリシタン大名の多くが秀吉の圧力により棄教する中、領地・地位よりも財産を選び、大名の地位を失った。その後、有馬晴信の事件も影響もあって発令された家康の禁教令により国外追放。マニラで歓迎を受けるも間もなく病を得て慶長19年、元和偃武を目前にして客死した。葬儀は盛大に行われたという。細川忠興キリスト教のことを教えたのは史実でも彼であるらしい。

 ……段々と一つの事象に収斂していくのがわかるだろうか。

そう、「ミュージカル『刀剣乱舞』 〜静かの海のパライソ~」の舞台である天草・島原の乱へと人々がつながっていくのである。

更に言えば、島原の乱を引き起こした苛烈な政治を行った松倉勝家は細川家と同様に明智家と縁戚の関係にありながら土壇場で見方をせず日和見(洞ヶ峠)を決め込んだ筒井重慶重臣の家系であるというのも奇妙な縁であるといえる。

極めつけにはガラシャの甥であり、本能寺の変後根絶やしにされた明智家の男子で唯一と言ってもいい生き残りであった三宅藤兵衛は天草富岡城の城代としてキリスト教一揆の農民たちに討ち取られるに至ることを考えるに、やはりこの二つの熊本のリンクが偶然だとは思えないのである。

例えばこれら二つを経た後の「大演練」において、かつて同じ刀派がそうであったように天草に縁があるキリシタン大名小西行長の所持していた刀、「芦葉江」が顕現したりしたんじゃないか……とか妄想してしまうのである。

 

演技に圧倒されて妄想ばっかりになってしまった。ディレイ配信も拝見して、もう少し内容を煮詰めたいと思う。

本当に「これが舞台だ!」というものを見せてもらって大満足であった。

詠むべき時を安心して待つことができそうである。