カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

永遠に擬した刹那連鎖に座す―インターネット生活20周年

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余談

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

2018年元旦に開設したこのブログも丸3年が経過し、ますます頑張っていきたいところである。

恒例の昨年の反省からすると、

 

kimotokanata.hatenablog.com

 

目標とした週に1回の記事の公開は公開できた記事が47記事と12か月・4週計算ではぎりぎり1記事足りないある意味絶妙な感じで終えてしまった。「今週のお題」への参加も積極的だったとは言い難い。

アドセンス周りは去年はチャレンジすらできていない。

当ブログ「らしさ」というのもいまだ、模索中である。

体たらくな昨年とは体よくおさらば、心機一転頑張っていきたい所存である。

本題

2021年。

すなわち、筆者が本格的にインターネットに、webの海に漕ぎ出でてから早20年が経過した。それ以前も父の職場に遊びに行った折などに触れてはいたが、我が家に家庭用PCがやってきたのがその時だった。

まさしく黒船襲来であった。好きな漫画のタイトルでYahoo!を検索すれば、そこにはガキが及びもつかない深い考察が展開されていたり、原作者本人と見間違うような絵が展示されていたりした。

その中でも大手といえるサイトの掲示板に書き込み、そこで知り合った同世代のサイトにお邪魔したりもした。キリ番ネチケット、常連アイコン……何もかもみな懐かしい。

チャットにも熱中した。テキスト中毒の気がある筆者がTwitterを飽き性ながらずっと使い続けているのは、都度今まで見たことのないテキストが眼前に出現するからというのが理由の一端であるが、チャットもまさしくそうであった。しかもレスポンスがある。レスポンスができる。この「眼前のテキストに相互干渉できる楽しさ」というのは、もしかしたら今のはLINEのオープンチャットとかディスコードで体感できるのかもしれないが、あの無味乾燥な画面で繰り広げられた楽しさ、空気感というのは筆者はちょっとほかに代替が思いつかない。

中学生になってしばらくして、「レスポンスの速射性」を追い求め続けた結果、いつの間にか筆者は2ちゃんねるに辿り着いていた。今となっては比べるべくもないが、当時はまさしく不誠実な集合知の廃棄所といった佇まいで、ゲームの攻略情報など他と一線を画すスピードであった。もちろん、お礼は3行以上である。鮫島スレに張り付いて1日無駄にしたりするのである。

ゲームといえば連邦VSジオンDXにもハマっていたが、当時のオンライン対戦の敷居の高さたるやハナから挑戦する気にもならないものであった。

そうして高校生になり、2006年がやってきた。この年、筆者は携帯電話を手にした。多くの友人は高校合格を機に携帯電話を買ってもらっていたが、筆者はPCがあるし……と遠慮していたが、高校では見る間に携帯電話を持つ者と持たざる者との間に歴然とした格差が顕現し始め、遅れて導入したのだった。

そして筆者はニュー速VIPに出会う。闇鍋めいた魅力を放つ勢いすさまじきその掲示板に、そのころ咲いていたあだ花に「新ジャンルスレ」というものがあった。

そこで筆者は初めて「まとめられる」という経験をする。それは全く利害関係のない人間に評価されるという新鮮な経験であり、それは「文才ないけど小説書く」スレ参加へと繋がっていく。

その後大学へ進学し、入会したサークルのサイト運営(先輩方から受け継いだものを後輩へ右から左に流しただけ)をしながら、はてなダイアリーをはじめ、Twitterを開設し、今に至るのである。

なぜこんなことをつらつらと書いたのか。新年早々後ろ向きに過去を振り返ってどうするのか。本当はもっとディティールを書きたかったがあと5分で日が替わるので端的に言うと、上記に挙げたサイト、Twitter以外全部消滅しているんである。いや、サークルのサイトも消えてたのは今検索して知ってちょっとビビった。プロも輩出しているのでどっかで話題に上がったりしてないかなーと思ったらそりゃあ自分が管理していた当時はジオシティーズだったからないことはわかってたけど後継のブログに内容が引き継がれた形跡がないのである。

2ちゃんねる自体は名前を変えて存続しているし「元スレッド」もいくつか見つけられたが、まとめてくれていたサイトはかろうじてインターネットアーカイブで見つけることが出来ただけだった。

例えば電子書籍だって急に配信停止になったりする。永遠というものが仮にあるとしたら、それはインターネットの外にあるのだろう。

デジタルタトゥーというものが問題になっているように、すべてが消える訳ではない。しかし多くは。この大海の中を漂い、摩耗し、朽ちていく。

デジタルのデータはデジタルであるがゆえに、アナログのものより軽んじられる傾向があるように思うが、アナログよりもいとも簡単に消え失せてしまう。

そのことを踏まえて記事を書いていこう、コンテンツに触れようと思った元旦である。

そういえば、妻と出会って10周年でもある。妻の忍耐強さに敬服して記事を終えることとする。