カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

老害ども、おらどけよ/壮大怒濤、聖譚曲(オラトリオ)――ナゴヤVSシンジュクドラパ「和衷共同」&「錆びつけば進めず、臆すれば誇りを失う。故に我々は己に否を焼べ、火を灯し続ける」及びバトル曲「Light & Shadow」完全ネタバレ感想・考察・妄想

全編ネタバレですので視聴後に読まれることを強くお勧めいたします。

 

 

 

 

kimotokanata.hatenablog.com

 気が付けばあの「宗教戦争」から一月以上が経ってしまっていた。投票締め切り日までには間に合わせたかったが無念である。どころか、シブヤVSヨコハマも着弾してしまったのでなんとか今日のうちに感想を書き残しておきたい。

ゴヤドラパ「和衷共同」

和衷協同。心を同じくして共に力を合わせ、仕事や作業に当たること。▽「和衷」は心の底からなごみ和らぐこと。また、心を同じくすること。「衷」は中心・心の意。「協同」は力を合わせて物事を行うこと。(三省堂 新明解四字熟語辞典より)

「what do you do?」をもじっているのかなと思ったら普通に存在する熟語だった。浅学を恥じる次第である。

毎回ドラパを聴いて思うのは「ヒプマイのモブって本当にクズばっかりだな……」ということである。そいつらを三者三様のやり方でねじ伏せてスカッとNAGOYAだったわけだが、元メンバーの家族は何とかなったのだろうか……とかその辺りのフォローがおろそかだったように思えてしまうが劇中曲はめちゃくちゃ最高でありシングルカットが急がれる。せめて配信だけでも……。エイプリルフールネタで前みたいに時限MVでも構わないので……。

荒法師で破戒僧、波羅夷 空却の怒りはもっともなのだがその理論で行けばなぜホストクラブを荒らしてしまったのか……が気になる。東京に行くと真正ヒプノシスマイクの洗脳が強化されてしまったりするのだろうか。

白黒つける弁護士、天国 獄の過去、神宮寺寂雷の接点がより深く明らかになった。引きずっていたものを「開眼」させた波羅夷。かつての神宮寺と同じことでありながら受け入れることが出来たのはその関係性の違いだろうか。それとも年月か……。であれば、バトルの後、友情が復活するのを願うばかりである。

そして暗がりを照らす月明り、四十物十四は二人から得た不退転の心とホワイトファルコンでもって正々堂々正面玄関から姑息な陰謀を打ち破った。彼の鳴らす音こそが克己心の擬音化に違いない。

己に克った彼らの凱旋は快進撃へとつながるのか。

シンジュクドラパ「錆びつけば進めず、臆すれば誇りを失う。故に我々は己に否を焼べ、火を灯し続ける」

長い…長い……! この長々したタイトルを打っていたら更新が遅れてしまった訳である。(ブログジョーク)筆者も思ったし、同世代の読者諸賢も「BLEACHかな?」と思われたかもしれない。

で、やっぱり制作陣はBLEACHを意識しているのでは、とオタク特有の「文脈」を幻視したので書き留めておく。

思えば今回に関わらず、特に優勝して以来、神宮寺寂雷先生が「世界」について特に言及することが増えてはいないだろうか。もちろん大事なことであるし、彼の精神性から行っても矛盾しないが、このことと、今回のタイトルを重ね合わせると一人の人物、そしてそのセリフが浮かんでくる。

藍染惣右介。BLEACHの主要登場人物にして神宮寺先生と同じくCV.速水奨。彼は劇中でこう述べる。

勝者とは常に世界がどういうものかでは無くどう在るべきかについて語らなければならない

BLEACH 48「GOD IS DEAD」より

この言葉のオマージュなのではないかと。これは予想だが、殺し屋設定がまだ生きているとしたら恐らく彼の当時の異名は「死神」だったんじゃないかと思う。既にどこかで言及されていたらすみません。ついでにこの流れでシン・エヴァも公開されたし(見てない)さらっと言っておくとイケブクロというか山田家は多分エヴァのオマージュなんじゃないかと思っているのだがどうなるんだろうか。

折角なので独断と偏見でシンジュクの三人に合いそうなBLEACHの巻頭言を添えておきます。

神宮寺寂雷には、

罪無きあなたは 太陽のよう
罪深きあなたも 太陽のよう

BLEACH 60「EVERYTHING BUT THE RAIN」より

伊弉冉一二三には、

剣を握らなければ おまえをまもれない
剣を握ったままでは おまえを抱き締められない

BLEACH 5「RIGHTARM OF THE GIANT」より

観音坂独歩には、

失くしたものを
奪い取る
血と肉と骨と
あとひとつ

BLEACH 41「HEART」より

 ちょっと血中BLEACH濃度が高まってしまって脱線甚だしいのでこの辺りにしておくが、しかしドラパが……辛くて……この辺りが「音声のみのドラマ」の真骨頂というか、言わぬが毒花というか、ヒプマイって満を持して開陳された過去が闇の早押しボタンクイズみたいになったりするので想像力がたくましい人ほどダメージを受ける仕組みになっていて、邪答院仄仄という人物の邪悪を浮き彫りにさせて最高に最悪である。絶対に悲しい過去とかない真の邪悪であってほしいと思う。あと以前から思ってたけどラップがめちゃくちゃうまくて好みである。

依然、一二三はどこかしらにひどい火傷を負っているのではないか(恐らく上半身なので「海パンにジャケット」なのではないか)という妄想を書き散らしたことがあるが、

kimotokanata.hatenablog.com

仄という字は灰を思い起こさせ、やっぱ家燃やしたりくらいしてんじゃないかなあと個人的には思う。

しかし、ホストクラブの様子とかを見ていると繰り返しになってしまうけど前回のナゴヤの振る舞いがどれほど冒涜的だったかというのもわかってしまって辛いものがある。

「TOMOSHIBI」や「Light & Shadow」でもフィーチャーされている一二三。というか、今回は互いの二番手が主軸になって展開しているように思う。思えば、四十物十四と伊弉冉一二三は同じ二面性を持つ二番手というポジションにありながら、一二三はほとんど完全体として、十四はその成長過程として我々の前に現れた。これはそのままそれぞれのチームの状態を現わしているようにも思える。

そうしてもう一つ見逃せないのは「俺は独りでも歩けるよ」と歌っていた観音坂独歩の成長であろう。いつの間にか職場にも信頼できる同僚が出来(貴重なまっとうなヒプマイモブ)、ついに宿敵の課長にも一矢報いることが出来た。こちらもバトル曲にも反映されているがその成果は……詳しくはバトルの項に譲る。前にも述べたが、筆者は29歳の時にヒプマイにハマっているのでわがことのような嬉しさがあった。ぽちん、枕をよだれで濡らそうな……。

ゴヤVSシンジュク

さてバトルである。正直なところ、前回のライブの時の記事から印象は大きく変わらないが、ドラマCDを経て生まれた考えや、レコーディングした、運営が「OK」を出した声から感じられることなどを中心にまた妄言を吐いていきたい。

といいつつ、筆者がまず感じたのは麻天狼のバトルスタイルの変化である。前回はVSシブヤであってもVSヨコハマであっても独歩がまずぶちかまし、一二三が手数で押し、寂雷が重厚な一撃を放つという黄金パターンで挑み、そして勝利した。例えれば攻撃力の高さに反比例して守備力が低い狂戦士タイプである独歩とフットワークの軽さの諸刃の刃として打たれ弱さがある武闘家タイプの一二三が最終的には寂雷の回復があるという信頼と安心でもってかち込めるのが彼らの強さであった、と思う。

今回。王者シンジュクは先手、大将である寂雷がまず気鋭のナゴヤの前に立ちはだかる。自らの運命を背負って立つ殉教者めいたそのリリックは始まりにして既にラスボス登場の貫禄に溢れている。

先鋒の戦法としては悪手である。彼のラップアビリティである回復は先攻の一番手であれば何の意味もない。でありながら百戦錬磨の彼がなぜこの戦法をとったか。一つは天国がナゴヤの先鋒に立つことを予想したからであろう。彼のラップの重さを知っていたに違いあるまい。そしてもう一つは一二三と独歩をもはや庇護すべき対象ではなく肩を並べるチームメイトと考えるようになったからであろう。

無論それは単なる気持ちの問題ではなく、続く二人の戦法からも見て取れる。攻撃力はあるが打たれ弱い二人がマイクリレーによって的を分散しつつ攻撃を加える。これであれば寂雷の回復が後であっても十分フォローが出来る形だ。相変わらず一二三は華麗な声でどぎついことをいうし、独歩はVSシブヤを踏まえた「お前が言えごめんなさい」はせせら笑っている「大人の余裕と強さ」が音源では出ていて良かった。(インタビューで葉山さんは「震え声」と言及されていたが、筆者は「こみ上げる笑い」のように感じた)

「趣味程度のイミテーション」は最初韻を踏むことありきのフレーズに見えてしまっていたがドラパを踏まえると「職業ホストとして誇りを持ってシンジュクNo1という虚飾を務めるうちの一二三をなめんなよ」と言いたかったのかと思えてきた。

しかし独歩は前回のVSヨコハマにおいても「ッシャオラアアアアア」かと思ったら「終了おおおおおお」だったし今回も「以上終了」だしで筆者としてはやはり―糸冬了―を思い起こさせ同年代感をマシマシで感じたりするのである。

きっとたっけえバイクに乗ってそうな天国に対して換気をしながらこのご時世でも電車で通勤することさえも強さとふてぶてしさを醸し出してきたのは嬉しい誤算である。

対するナゴヤは過去を克服した天国が置き忘れた決着を付けるために文字通り最初からエンジン全開でぶちかます。全編にわたってバイクをここまで韻に絡めてくるのはさすがケンザさんと感服せざるを得ない。

しかし圧巻は次の空却と十四のセッションであろう。正直なところ、十四のラップはアンサーとしては弱い。実際のラップバトルで言うところの「ネタ」「仕込み」感が漂ってしまう。あのバチバチの社会人二人を見て「社会に削られて見る影もない中年」にはちょっと見えないのである。

 また、空却に対してはそのように造形されているから仕方ないのだがやはり「若さ」が前面に出ていて一二三・独歩と同世代の筆者としては感情移入がしにくい。

しかし、それを差し置いても榊原さんが小節ごとに少しずつ「四十物十四」から「14th Moon」へとスライドさせていくその声優の妙技には鳥肌が立った。それを補い、引き出したのは空却の真言めいたセッション。

若さ。それは弱さ、そして強さ。次の夜から欠ける満月、十五夜よりも十四番目の月、14th Moonこそが最も怪しく煌めく。それは未完成という眩さ、可能性という輝きである。

ここでようやく筆者は無敗の弁護士の高度な戦略に気付く。彼が先陣を引き受けたのはこの覚醒に時間がかかる切り札の時間を稼ぐためだったのだと。不退転の誓いを宣言し「変身」が完了した相棒を見届けた破戒僧は高らかに宣言する。まさしく御開帳である。

――「そこの道を空けな ナゴヤのおでましだ!」

音楽の盛り上がりも相まって降臨という言葉が相応しいその大胆不敵さは畏敬を抱かざるを得ない。

続いてはそれぞれの一騎打ちへとフェーズは移っていく。まずは二番手同士。前述したように、本CDのメインはこの二番手二人だと筆者は思っている。二人のverseは実はほとんど同じことを言っている。乱暴に言えば、つらい過去があり、しかし素晴らしい仲間に恵まれ、そして今眼前の敵に挑むという構図である。

人類の半分がその恐怖の対象となってしまう感覚、健やかに育つ場となるはずの学び舎が陰惨で醜悪な現場となる感覚、どちらも筆者には想像を絶する体験であり、それは数値化して競うものではない。どちらもそれぞれの言葉でサバイブするものたち、サバイブしたものたちへ惜しみないエールを送っている。

しかしここでも、スタイルウォーズである。一二三はその恐怖の対象との共助を模索し、かつての自分に文字通り衣をまとうことによってサバイブした。十四は過去の自分と訣別する克己によって「違う我が身」に変身してサバイブした。そしてなお自分の敵は自分であるという。

二つのチームのそれぞれのスタイル、共助と克己を体現した生き様をぶつけ合う二人はまさに魂の絶唱である。筆者程度の人生経験ではこの勝敗はちょっとつけられない。ただ、これまでの二戦とも独歩が先陣を切っていたのに今回は一二三が先ほどのマイクリレーであっても一騎打ちであっても独歩より先に挑むことや歌詞の内容を見るに、

続いて三番手同士である。ここは特に、ドラパを聴く前と後では感想が全く変わって面白い部分だった。これもバトル戦績を見ると、独歩は天国が初めて一騎打ちで当たる目上の相手である。多分、深層心理で委縮してしまって本来のバーサーカーぶりが発揮できていない。verseの内容も仮想敵と設定した相手がありありと浮かんでしまう。

独歩が想定した仮想的とはだれか。

課長である。目上で敵対心があり、同僚との泣き笑いを妨害し、常に上から目線で平社員でない者。そしてドラパで見事積年の鬱憤を晴らし誇りを取り戻した独歩が倍返しかどうかは定かではないが反撃できた相手。課長である。力強いリリックではあるが、残念ながら天国にクリティカルヒットとはならないであろう。

他方、天国もまたドラパを見ることで自らの克己の歴史をなぞって踏ん張っていたverseであったことが推測できる。verseの始まり、見当違いはもっともである。独歩は課長向けverseをかましているのだから。しかしここまでを追ってみると、先鋒であった天国は今一番蓄積ダメージは高いはずである。クリティカルヒットではないとはいえ、相当しんどい状態であるはずだ。また、正直なところ寂雷以外はこの男の眼中になさそうである。

そこで彼はどうしたか。自らが今ここに立っている理由、芯の部分を自問自答し、飛びそうになる意識を内側から叩き起こしたのではないか。「逆切れするバカと生意気な若造」も愛情をもってくさしたチームメイトの破戒僧とヴィジュアル系ボーカリスト(最近ギターも始めました)ではないかとすら思えてくる。

深く、深く潜っていく。自分の経験に基づいた独白。私刑の無意味さ。逆恨みの愚かさ。自分自身が変わることの意味。極限状態で今一度の克己を振るうことで見事天国はチーム最年長の意地を見せたのである。

いよいよ大将対決はドラパCDでもキーワードとなったスーパーマン(運営から指定があったとはケンザさんの談)という語を用いて改めて壮大なる決意を怒涛のようにほとばしらせる寂雷。彼の言う「全てを救う」という言葉はそこらの青二才が勢いで想像力もなく吐く言葉ではなく、この世の極限を見てきたもののそれでもなお手を伸ばす遥かなしかし峻厳たる決意である。老若男女容赦なく救う。それはエゴである。それ自体も織り込み済みでたぶん彼は救うのであろう。

「彼」とはだれか。神奈備衢か。飴村乱数か。天国獄か。それとも他の誰かか。もしかしたらかつての殺し屋だった自分自身か。人を殺したことのある自分自身を彼は許しているのだろうか。光のある所に必然ある闇すらも無くそうというのなら、彼が最終的に自死を選ばないかどうかだけが心配である。そう考えると相対する相手が僧であるというのも何か意味があるように思えてしまう。

空却はその決意をおこがましいと一蹴し、その歯切れの良さが心地よい。普通の人間相手であればこれがクリティカルヒットしてナゴヤの勝利確定であろう。だが、筆者としては前述したような寂雷の覚悟を感じているのでこれだけではシンジュクは崩れまい、と思う。「最高のチーム出来上がり」というのもまた彼の強さと弱さの表裏一体をなす若さが感じられつつ、また若いころというのはそれそのものが武器であるということをなかなかわからないものだよな……としみじみもしてしまう。成長できることこそが彼らの強さであり、最高というものは常に更新されていくものだからだ。――「出来上がり」などと自分で足を止めてしまわない限りは。真の敵は自分の中にいる。まさに自分が指摘したとおりに慢心・油断(そういえば仏教用語由来の言葉である)が顔を出してしまったように思う。

楽曲は王者の貫禄と挑戦者の躍動を響かせ、荘厳に幕を閉じる。

果たしてどちらの勝利であるか、筆者は書きながらやはりどうしてもシンジュクびいきになってしまっている自分を感じ記録者として情けない限りであったが、これもまた個人ブログの醍醐味としてご容赦願いたい。

投票の行方がどうなるか。新進気鋭のナゴヤが平均年齢の高いシンジュクをロートルとして追い立てるのか、シンジュクが粛々としかし力強い一撃で退けるのか、投票を終え、そしてようやくこの妄言の書き散らしも終わろうとする今、ようやく腰を据えて待つことが出来そうである。

イケブクロVSナゴヤで家族VS疑似家族のぶつかり合いも見たいし、オオサカVSシンジュクですげえ他人行儀な動機なき戦いも見たい。なんにせよ人事(投票)を尽くして天命(運営発表)を待つのみである。こんなことを言ったら破戒僧に叱られてしまうが、地獄に堕ちて閻魔様の沙汰を待つ間というのはこんな感じであるのかもしれない。

ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- 2nd D.R.B『Bad Ass Temple VS 麻天狼』