カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

愛を信じてごらんよ 最後に――峯岸みなみ卒業コンサート~桜の咲かない春はない~感想とか。

余談

言葉にはそれぞれ望ましい速度がある、ということはこのブログでも何度か述べてきた。

筆者は、やはり書いたからには読んでほしいという欲求を捨てることの出来ない俗物である。

そういう意味で、峯岸みなみさんの卒業コンサートの感想を5/26現在、まだ書けていないというのは筆者にとって痛恨事である。

と、このタブを開いたまま、29日になってしまった。

そして今、30日になってしまった。(朝の8時)

その間に48界隈だけでも森保まどかさんの卒業コンサートがあり、そして峯岸みなみさんの卒業公演とYouTube配信もあった。時は動いている。

そうして峯岸さんは「元AKB48」となった。

そのスピードと比較して筆者の打鍵の速度はいかにも遅い。遅すぎる。

もはや拙さが許されるときは過ぎ、巧みさを要求されるフェーズになったきらいがあるが、それでもなお自らの場所であるここに言葉を残しておきたいほど、素晴らしいコンサートだった。

また、今日であればギリギリ無料配信が間に合うので、もしかしたら誰かがこれをきっかけに配信のカウンターを回してくれるかもしれない、円盤に繋がるかもしれない(峯岸さんの配信によればまだ円盤確定ではないらしい)という祈りを込めて、折角なので卒業公演、YouTube配信での補足も交えながら、感想を残すことご容赦願いたい。

本題

峯岸みなみのアイドル人生というのは本人も言う通り、決して順風満帆なものではなかった。こんなに文字通り波乱万丈山あり谷ありの人も珍しい。

その起伏が、セットリストという形になるとよりドラマティックで極上のものになる。

その順番が前後するのは筆者としても遺憾ではあるが、構成として彼女のアイドル人生をなぞりながら、適宜コンサート曲の感想を述べる、という形にさせていただきたい。

思えば、彼女のアイドル人生自体が「谷」からスタートしたと言ってもいい。あわや書類審査落ちしかけ、子役経験があったメンバーを除いたメンバーでは最年少、筆者が最近獲得した語彙で言えばマンネであった彼女は、最初の公演ではユニット曲が用意されていなかった。

「会いたかった」公演では「渚のcherry」でユニット参加するが、そこでの彼女の役割は絶対的センター・前田敦子さんのバックダンサーだった。筆者個人としては松井珠理奈さんが(大声ダイヤモンドで是非出演してほしかった……)バックダンサーポジでありながらキレッキレに踊っていたことが思い出深い。わずか中学生の少女が、明確にセンターとそうでないものと区別されたときのその時の気持ちを考えるだに筆者は胸が痛くなる。

卒業コンサート、このイントロがかかった時、古のオタク諸賢はどういった展開になるかドキドキしたはずである。

峯岸さんの衣装は、オリジナルと同じ青。気心知れた宮崎美穂さん、大家志津香さんもまた青。3人で再編成するのか? と思ったところに峯岸さんを弾き飛ばすようにして(もちろん演出)中央に躍り出る一人の少女。

歌詞にぴったりセブンティーン、立てばアイドル座ってもアイドル、歩く姿はパリコレモデルのAKB48の正統嫡流、チームAの秘蔵っ子、千葉恵里さんである。

PRODUCE48にも出演、圧倒的不利をそのアイドル力と努力で覆した「伝説のブンバイヤ2班」の一人であり、TWICEにも言及されるなど話題をさらった。
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その後は世界10カ国の少女たちによるドタバタK-POP留学バラエティ「留学少女」に日本代表として抜擢され、番組中やその活動結果である「ポプシクル」MVでも存分にその魅力を発揮した。


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翌日の単独コンサートでも「小池」を熱演するなど今最もアツいメンバーの一人と言って過言ではないだろう。

そんな彼女が、往年の前田敦子さんよろしく峯岸さんたちを従えてアリーナの中心を一身に集める。その姿はまさしくスターであった。

卒業コンサートという自分が主役の場所で、因縁の「渚のcherry」でセンターを飾って見せる、それによって呪縛を断ち切り、「ストーリー」を完結させる。

そういった「わかりやすさ」を峯岸さんは己とファンに許さなかった。

自分の屈辱の歴史をAKB48次世代の晴れ舞台として塗り替えたその手腕はさすがである。

でも……それでもやっぱりみぃちゃんのセンターが見てえよ!!!

という筆者を含めたオタクたちの心理ももちろん峯岸さんはお見通しであり、卒業公演ではしっかり自らがセンターを飾って(今までもアンダーなどで機会がなかったわけではないが)「渚のcherry」人生を締め括って見せた。この使い分けがベテランの妙味だ。

同様にそういった流れを経て「誰かのために」公演で掴み取った「投げキッスで撃ち落とせ!」をやってほしかった……と思ったらこちらも卒業公演でばっちりしてくれたということで福祉が行き届いている。

CD選抜メンバーとしてはいわゆる「スカひら7」ではなかったものの以降は順調に選抜され、まさかの多数の一期生が集合したメジャー第一弾「桜の花びらたち」にも参加。今回披露したいかにも「秋元アイドル」である「制服が邪魔をする」当時中学生であった彼女が制服メンバーを選ぶ側になるというのは感慨深いものがあるが、そのノスタルジアに彼女のパフォーマンスもメンバー選出もいささかも曇ることはなく、指原莉乃さんに大盛真歩さん(オタクTMI:呪術廻戦の伏黒恵が好き)を「見つけ」させた。

夕陽を見ているか?」で選抜が絞られたときも選抜メンバーとして生き残る。(今回も、翌日のコンサートも感情を載せやすくシンプルかつ優しい詞が染み入る感涙必至だった名曲が歴代最低売上というのは意外である。この曲の「自分をほめてあげよう」というテーマが峯岸さん以上に似合うメンバーが今のところ筆者は思いつかない)以降は主要メンバーとしてAKB48オリコンチャートを駆け上がるのと同様に峯岸さんもアイドルの階段を駆け上がっていくことになる。

大声ダイヤモンド」は移籍後一発目、まさにダイヤモンド・ディスクとも言うべき大傑作は「制服」の井上ヨシマサ氏渾身の力作であった。峯岸さん、小嶋陽菜さん、高橋みなみさんで結成されたノースリーブス主演ドラマの主題歌でもあった。この頃のAKB48楽曲の「柔らかさ」を河西智美さん、柏木由紀さんと担っていた小嶋陽菜さんの歌声が冒頭から染み入る。

言い訳Maybe」はAKB48総選挙シングルの1枚目。総選挙が発表されたとき、自分は絶対に選ばれないと思った峯岸さんは泣いたというが、ふたを開けてみれば見事選抜入り。彼女にとっても思い出深いこの曲はしかし終盤にするにはハード過ぎる。そこで柏木さんが振りにこだわらないようアドバイスしたというが、これこそMVの前田・大島コンビの友情の発露ではないか、とオタは勝手に文脈を感じて感動する。

卒業ソングらしからぬ明るい出だしで始まり、しかし得難きサンチマンタリスムを内包する「10年桜」のキャッチコピーが「2019年、僕はどこで 何をしているのだろう?」であったという事実が筆者を震撼させるが、いいものは決して古びない。

「すぐに燃え尽きる恋よりずっと愛しい君でいて」というフレーズは押し花のように大切にしまっていたいものである。

もう振りもフリーだったんだけど画面に映るメンバー映るメンバーボロボロで、峯岸さんが残したものの重さがどんな言葉よりも雄弁に感じられるのだった。これで次の日バキバキに動くのだから彼女らもプロである。

ここで、峯岸さんは「組閣」によりチームKへ移籍する。

新体制となったチームA・K・Bが陸・海・空を担うような今までの「学園」から部隊…いや舞台をガラッと変えたMVと高橋みなみさんの掛け声が話題となった「RIVER」でAKB48はついにオリコン1位の座を手にする。

今回のコンサートでもその掛け声は些かも衰えることはなく、やはり「たかみな」の掛け声、アオリからではないと取れない栄養素があると実感させられた。現役の岡田奈々さんと呼応するような演出も最高だった。

「桜の栞」収録曲「Choose me!」にはチームYJ名義で参加。同じく収録曲「遠距離ポスター」はチームPB名義で柏木さん、宮澤さんなどが参加していた。この2チームで対決があったのだが、AKB48というアイドルについて、「Choose me!」は「クラスにいそうな感じ、親しみやすさ」を、「遠距離ポスター」は「画面の向こうの、手の届かなさ」を見事に切り分けていて、その対照性が見事である。勝負はチームPBが制したが、いつも賑やか元気印なメンバーたちのシリアスな様子にどぎまぎしたオタク諸賢は多かったと思われる。筆者はこのMVの指原さんの可憐さに「さっしー、宣材写真写り悪すぎ!」と思ったことを覚えている。いや指原クォリティーのヘッダーの写真とか昔ひどくなかったですか?

このころは同時に「マジすか学園」という話題作(オブラートに包んだ表現)が世に出たタイミングでもあったのだが、筆者にとってMVの峯岸さんといえば「いくない!」のイメージが強かったりもしたので折角レジェンドが沢山出てくれたんだったら峯岸さんが前田さんポジでマジジョテッペンブルースとかも見て見たかったな~~というのは今回のコンサートでほとんど唯一超個人的には残念なところであったりする。


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ポニーテールとシュシュ」「Everyday、カチューシャ」「真夏のSounds good !」……夏曲、即ち総選挙投票権封入曲は年々人数の肥大化が進んだが、メンバーに漏れることなく参加し続けた。次世代が日々流入する激動の中にあって、最古参でありながら年若い峯岸さんが生来の気遣いによって日々様々な葛藤があったことは想像に難くない。

総選挙では選抜にランクインし続けるが、同期の桜である前田敦子さんとは順位にずいぶん差がつくようになってしまった。親しみやすい峯岸さんはそれ故に「バラエティ担当」というカテゴライズが固定化されつつあった。

もはや世界にとどろくマスターピース、「ヘビーローテーション」がリリースされ、一躍AKB48知名度が上昇し、「新規」が増えた。彼ら彼女らが大量に過去の情報を参照することでますますその状況が固定化されてしまったことは否めない。


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今までの前田さん一強時代を打ち破り、新時代の到来をその「1234!」のカウントアップで告げたかのような大島優子さんの雄姿は10年以上の期間を経ても全く色あせることがなかった。

この演出は今コンサート随一だと思うのだが、配信で峯岸さんや西野さんが言及していた通り、まずは向井地美音さんが快活にステージを始める。その展開に筆者などは「ああ、さすがに大島さんはスケジュールが合わず、『ヘビロテ』は今のAKBをみてください! のターンなんだな」とすんなり納得してしまう。

が、きっと現地にいたらさぞ気持ちが高揚したであろうヘビロテ特有の低音は鳴りやまない。幕の向こうに浮かび上がるシルエット。それは見まごうこともない不朽のレジェンドである。

幕が上がった時、妻と共に快哉を叫んだ。こればかりは自宅観戦者の特権であろう。この演出力は素晴らしく、出てくるやいなやはつらつとした笑顔で「みぃちゃんにありがとう伝えたかーー?」と千年の知己であるかのように観客を煽ってくれるのだからやっぱりこの人はスターだ。きっと現役諸賢も多くを学んでくれたことだろう。

続けての「Beginner」で「眼鏡みぃちゃん」というモードチェンジを衆目のもとに知らしめた。MV(差替え後)ではメンバーが不安を気にしていた高難度ダンスも難なくこなし、ダンスメンとしての矜持も見せつけた。今回の公演でもますます磨きあがっているそれは錬磨を欠かさなかったことを静かに物語っていた。

時を少し戻すと新生チームKでのRESET公演が開始。旧チームKは体育会系気質、連帯感が強く、特に「転がる石になれ」はその象徴のような曲だった。曲としての象徴が「転がる~」ならば、その精神が形になったようなメンバーが二人いた。ツインタワー、秋元才加さんと宮澤佐江さんである。

正直なところ、事務所も同じだしノースリーブスはまあ、出演があるかな、とは思っていた。一期生もあるかもな、と。

ツインタワーは反則である。今なお色あせない骨太の格好良さを誇る二人が丹田から放つような「We're the teamK」にぶち上らないオタクなんているはずもない。

とはいえ現役メンバーとはかなりブランクがあるところを駆けつけてくれたのは峯岸さんの人徳であろう。新生チームK、峯岸チームK、そして今の込山チームKに至るまで、しっかりとKの意志が受け継がれていることをしかと感じたに違いない。彼女らと現役メンが多数写真を撮ってあげてくれて峯岸さんは大いに嬉しかったという。

卒コンで披露してくれた「逆転王子様」はRESET公演において峯岸さんがついにユニットセンターを射止めた楽曲だ。王道アイドルであるながらダンスにも甘えがない、まさにAとKの幸せなマリアージュであった。もともとダンスを習っていた彼女にとってはより「暴れやすい」環境であったかもしれない。

ちなみにK公演曲と言えばひ…「引っ越しました」は……と思ったのだがこれも卒業公演で無事やってくれたとのこと。アフターフォロー素晴らしい。もう五月の季語にしてもいいくらいですからね。「引っ越しました」

「引っ越しました」については筆者が語るより最強の「引っ越しました」強火オタがいるのでその記事をご紹介するに留めたい。

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ええ話や……。久しぶりに読んでもリーダビリティがめちゃくちゃ高くてビビる。

2011年に入るとAKB48人気は益々加速した。多分弟と大晦日元旦夜更かし&早起きしてAKB特番を見たのがこの年であった気がする。

自然、頼れる峯岸さんも多忙を極めた。だが、それは彼女が本来望むものだったかどうか……。

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多分カスペルスキーの該当ソフトの公式…? チャンネルに残っていたがまあ大概な扱いである。ある種、峯岸さんがどのように扱われてきたかというのは日本のリテラシーの推移において貴重な記録であるかもしれない。

そんな時ノースリーブスのアルバムに収録された曲こそが彼女初のソロ曲「私は私」であった。秋元康の面目躍如であるこの曲は以降の彼女のアイドル活動の背骨となったことであろう。

背骨と言えば、ノースリーブスというユニット自体も彼女のアイドル活動に一本入った芯のようなものである。「純愛のクレッシェンド」をきっかけに劇場ユニットを飛び出した初のCDをリリースするユニットは「Relax!」や「唇触れず」などバラエティ溢れる曲を確かな実力とパフォーマンスで裏打ちし、それはコンサートで久しぶりであってもいささかも衰えることがなかった。宣伝の愛嬌も相まってこの3人の安心感というのはやはり素晴らしいものがある。

運が絡むため選抜常連メンバーも多数漏れてしまった「上からマリコ」でも上記CMネタで「峯岸化」を進めながらも見事選抜入り。彼女の歴史の一ページではあるがまさしく「アテ書き」であるから……と思ったらモニターの「篠田 麻里子」はまたまた嬉しいサプライズであった。筆者はこの曲の選抜でもあった前田亜美さんが推しだったのでもう二度と現れまいと思ったあのスッとした衣装を見事着こなしている千葉恵里さんにまたも驚かされながら、今なお全盛期でセンターを堂々務める篠田さんに畏敬の念を感じた。そして相変わらず一歩引く峯岸さんの気遣いにも。

翌年は筆者は社会人となり、しばしオタ活から離れてしまったが、それでも東京ドーム公演実現と前田敦子さんの卒業は一般ニュースとして筆者の耳にまで届いてきた。すなわち峯岸さんは大目標と、推しメンを同時に失ったのである。

そこから十年間戦い続けたというだけでも感嘆である。ビデオメッセージで出演だった前田さんからも戦友への経緯がありありと感じられ、出演が叶わなかったことが残念でならない。出演が叶えば「夢の河」が予定されていたというが、歌詞の通り「夢がかなったから迎えに来た」のであればなるほど完璧なフィナーレであっただろうから惜しまれる。年末、チームBへ異動。

翌年、峯岸さんのアイドル人生に谷が、マリワナ海溝が訪れる。

この辺り卒コンのOPでもネタにされていたが、あのOPって今後どこかで見られないものだろうか。円盤についてきたりするんだろうか。

その対処として彼女が選んだのは丸坊主&配信。早すぎるYouTuberは国内はもとより国外、なんとアルジャジーラまで取り上げ、残念な形で「世界の峯岸」となった。

下された決断は、研究生降格。

果たしてこの決断が良かったのかどうか、筆者は今も簡単に結論付けることはできない。残念ながらこの後もグループにスキャンダルは絶えることなく、NGT48においては「つながり」が生んだ痛ましい事件が起きてしまった。それは現在もグループ全体が淀んでしまっている原因の一つだと筆者は考えるし、その問題に対する姿勢からメンバーに対してはともかく運営に対しては強い不信感を拭い去れないままだ。

そういう運営の体質悪化、グループの風紀のゆるみを生んでしまったということではやはり48G凋落の一因であるとなっても仕方ないと考える。

ただし、では彼女は即活動自体すべきだったのか、と考えると「そうだ」ともやはり筆者は言えないのである。

然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。

――坂口安吾「不良少年とキリスト」より

坂口安吾 不良少年とキリスト

過酷に生きることは過酷に生きるより何倍も力がいるという言葉がある。峯岸さんは、辛い道を選んだ。十字架を背負い、歩き続けることを選んだ。

筆者が運営を評価することがあるとすれば、これだけ思春期の少女がひしめいていながら今に至るまで(この文言が永久に変わらないことを望む)自裁を一人も出していないことであろう。

当初、その「護り方」が下手で逆に叩かれたりもしたけれど、峯岸さんはよく耐えた。ある種、バラエティではより強い武器を手に入れたともいえる。副産物のベリーショートもよく似合い、剛力さんの物まねという飛び道具を活用したりもした。

総選挙では18位。初めて選抜から陥落し(前回より票数自体は逃している)、以降総選挙選抜に選ばれることはなかった。

伝説の魚」は峯岸さんがアンダーガールズセンターを務めた楽曲だ。奇しくも盟友・にゃんにゃん仮面こと小嶋陽菜さんが16位、60票差で選抜入りはならなかったが、彼女の長い彷徨を肯定したような歌詞とセンターの自信をまとったMVは珠玉の出来で、コンサートでは更に円熟の高みに達していることが確認できた。

劇場ではチーム4が再び誕生し、研究生から昇格と共にそのキャプテンとして就任。これでA,K,B,4,研の本店すべてのチームを経験することとなった。

清純フィロソフィー」「LOVE修行」(オタクTMI:小嶋陽菜さんもこの曲がお気に入り)は峯岸チーム4の下で鍛え上げられた名刀のような切れ味の楽曲だ。これを序盤に持ってくる時点で彼女といわゆる峯岸チルドレン諸賢がどれだけ固い絆で結びついていたかがありありとわかる。なんなら既にみんなうっすら泣いていたような気さえする。

現在もAKBの主力となったメンバーを多数育てた後は慣れ親しんだチームKに再異動。バラエティでもベテランとして活躍しながらも「またあなたのこと考えていた」などボーカル選抜でも存在感を示した。

2019年に卒業を発表、昨年横浜アリーナでのコンサートが卒業の花道になるはずがコロナで延期となり、今回の卒業コンサートとなった。

また会える日まで」はもはや慈母のような歌声とまなざしでメンバーやファンを包み込む。MV、かつてその椅子と同じ位置で写った桜の花びらたちのジャケット写真が懐かしく思い出されるが、とうとう彼女もその席を立つ時が来た。

泣きながら生まれ、泣かれながら見送られる、まさに理想的な人生として彼女はその卒業コンサートを終えた。

彼女らしく卒業生、現メンバーをバランスよく引き立てたコンサートだった。

それだけに、卒業公演でしっかり「みぃちゃん」として暴れまわってもくれていて筆者は他人事ながらなんだかうれしかった。

「親父」秋元氏はコンサートについて人づてに良かったと聞きましたみたいな感じで強がっちゃって……って感じだったのだが卒業公演では史上三人目の卒業メンバーへの手紙を峯岸さんに送った。デレを出してくるな。

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峯岸みなみという一人のアイドルがかつていた。AKB48峯岸みなみの功罪であったと言っても良い。良くも悪くも甘えん坊の末っ子が引っ搔き回し、反抗期の少女がまぜっかえし、清濁併せ呑んだ最古参が包み込む、そういうことを一人でまるっとこなして去っていった。

それが彼女にとって、グループにとって良かったのかどうか、繰り返しになるが筆者にはわからない。もっと後になってわかってくることかもしれない。

ただ、例えば今度始まるという新番組を見る時、「今、みぃちゃんがいればなあ……」と思う時はきっと来るのだろうな、と思う。もしかしたら初回ゲストとかかもしれないけど。

確かに言えることは、アイドル・峯岸みなみは愛を受けていた。愛を与えていた。

愛を最後まで信じ続けることで、奇跡のようなコンサートになった。

そのことにただ、祝杯を上げたい。

またね。

 

第1話