カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

生き過ぎたりや三十二

どうせ俺らは早く死ぬ - phaの日記

生きに生きて40歳、俺らは結構長く生きた - シロクマの屑籠

『自由』が『虚無』と化した先の人生の生きがいについて(あるいは個人主義と共同体主義の狭間で) - 自意識高い系男子

自分の人生に飽きたくない - インターネットの備忘録

40代のおれは無敵で最強すぎるから直線でおまえらをぶっこ抜いてやる - 関内関外日記

どうも最近、「はてなダイアリー的なムーブメント」がはてなブログトップでよく見られるようになり、懐かしさと寂寥が絡み合って胸に転がり込んでくるような心持になる。

こういった「40代ムーブメント」みたいなこととは全く関りなく、たまさかTwitterで大学時代の先輩であるF先輩と二、三やり取りをした。鳥取の市は四つしかない、というもので筆者が残り一つ(倉吉市であった)を思い出せずにもやもやしていると助け舟を出して下すったのである。

F先輩は鳥取の産であり、大学の長期休暇明けにはいつも梨をモチーフとしたおいしい銘菓をサークルに差し入れて頂いていたのだが、その銘菓の名前も今や遠いかなただ。中国地方に住んでいたのも早十年前、お恥ずかしい限りです、とリプライを返すと、その流れでF先輩はおれも今年四十だしなあ、とおっしゃられたので再び歳月の流れを感じ、またその後に見たはてなブログで丁度そういう話題が盛り上がっていたので不思議な気持ちになった。

kimotokanata.hatenablog.com

去年でインターネットに漂い始めて二十年が経った。そう考えるとその当時の「おもろい兄ちゃん・姉ちゃん」が四十の峠に差し掛かっているのも何ら不思議ではなく、最近はwebで興味深いエントリを見ても年下が増えてきているのを見ても隔世の感がある。

筆者はそれこそ十年前くらいまでは「オッこの生き方にしてこの人生ありだな」というものでまあ木本家の血はより洗練された次男三男が次代に伝えてくれるだろうしそんな長生きもしないんだろうなと思っていたらたまさか結婚が出来て、こともあろうに子どもまで授かったという受け身でめちゃくちゃ幸福になってしまったタイプの人間である。

明日、「もしもし、これは夢ですよ」と言われたら「いやあどうにも話がうますぎると思いました」と納得してしまう予感すらある。

もちろん娘の成長は楽しみだし、妻とこれからしたいことも沢山あるが、しかし一方で「生き過ぎたりや」という気持ちもまた、時折鎌首をもたげる時がある。

まだギリギリ今なら死んでも皆に多少は惜しんでもらえるのではないか、老醜を晒す前にポックリ逝ったほうがいいのではないか、というような。

西村賢太先生の訃報が影響しているのかもしれない。

あるいは、島津斉彬と言う人が一切合切やり残してしかし名君として名を留めている、そういった展開を期待しているのかもしれない。自己評価が低いのか高いのかわからない。

しかしまあ、三十二である。誕生日が来れば今年三十三だ。学生時代神のごとく思っていた先述のF先輩の当時の年齢より上になってしまった。さっきから計算が合わないのではと首をかしげている読者諸賢に言っておくとF先輩は休学を挟んで大学八年生で卒業したという伝説の先輩であられた。そういった伏魔殿的な側面を持つ大学生活という期間が筆者は好きであった。大学生化についてはついこの間も話をしたばかりであるのに、冬の寒さは人を後ろ向きにさせるのかもしれない。

単純に考えても通常の腐れ大学生の倍の知識量を持つF先輩はそれに飽き足らず歯車的嵐の小宇宙めいた深淵なる論理でもって文で芸しようとする後輩どもの作品をばっさばさと斬り、墓碑に備える花のように助言を与えていく、というサークルの主であり、神であった。

一年生の夏休みに差し掛かろうという時、「木本の、あの作品は面白かったな」とF先輩が声をかけてくださったことがあった。筆者は凡人であって、人の反応を求めて創作している部分もあり、「神に認められた」ということがその後の創作にどれほど影響を与えたか知れない。

他方、二年の秋に書いた作品に「木本、どうした?」と言われると部誌に掲載直前に作品を取り下げてしまうこともあった。

こういった気持ちを芥川龍之介夏目漱石について「先生にあこがれる一方で、先生に好かれようと自作の筆をまげてしまわないかと恐れもした」という風に残していて、筆者と芥川を比べるなどおこがましいにもほどがあるのだが、みんなそういう存在があるのだな、と無闇に納得したことを覚えている。

本日、折よく「追懐の筆-百鬼園追悼文集」という本をkindleで見かけて購入した。内田百閒のkindleの本は二、三年前にすべてチェックしたはずだがと思っていたらちょうど去年の今頃の出版であった。

その名の通り内田百閒が各所に寄せた追悼文がまとめられている。

何度も書いているが筆者は「ヒャッケンマワリ」が大変に好きで、とりわけ夏目漱石の葬儀の時のエピソードが非常に心に残っている。

「追懐の筆-百鬼園追悼文集」の巻頭はまさしく「漱石先生臨終記」である。葬儀の話だけでなく、学生時分に岡山駅夏目漱石をお見送りに行く話(実際は夏目漱石は途中で病気になりいなかったのだが)や、借金を申し込みに行って全裸の夏漱石と会う話など、筆者が夏目漱石周りに興味を持つきっかけになった「先生と僕」のネタ元も同居しており、静かな感動と一次ソースにあたることの大切さを改めて感じたりもした。

 

「先生と僕」は四コマ漫画夏目漱石とその周辺の人物が活写され、幕間に漱石たちの書簡や小説の抜粋があって満足度の高い名著である。

文庫化もしているようであった。解説とかどうなっているのだろう……気になる……(電子本はページがくたびれてきたから買い替えるということが出来ないのが辛いところだ)

少し話がそれた。次の追悼文は「湖南の扇」「亀鳴くや」であり、こちらは芥川龍之介への追悼文だ。「あんまり暑いので死んでしまつた」という文章は聞いたことがある人も多いのではないだろうか。

内田百閒と言う人は夏目漱石芥川龍之介ほど人口に膾炙してはおるまいが、八十を過ぎて大往生を遂げられた。その間に多数の追悼文を遺し、まだ筆者は先に紹介したものと「空中分解」を読んだだけであるがいずれも名文である。

そっちがいいな、と思う。残されるのは寂しいが、しかし生き過ぎた人間が捧げることが出来る哀悼があるはずである。

とはいえ、妻と娘よりはさっさとあの世に行きたい所存であるが、四十歳の時娘は八歳か……ともすぐ考えるので、当分は生き恥を晒していきたい。あわよくば生き方を洗練させても見たい。まだまだ並走してもらう予定の妻に少しは見直してもらえるように。

こういう風にもだもだ考えていたものに一旦の結論が出せたりするので、やはり読書はやめられない。

たとえば去年、この「四十代になっちゃったよムーブメント」みたいなものが起こっていればこの本に辿り着くこともなく(出版されていないので)、モダモダしたままだったのかと考えるといいタイミングでみんなモダモダしてくれて大感謝であるなあと思う次第。

各自、人生をしていきましょう。