カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

カナタ・アイデンティティ

戦争が続いている。いや、そもそも戦争と言えるのかどうか……。フィクションの世界ですら大味すぎると言われそうな独裁者によるまさしく侵略の惨禍は、今も止まることがない。

その悪意が向けられた先の産婦人科、断たれた未来が乳母車という形で可視化されたニュースを見たとき、思わず涙がこぼれた。娘を抱きしめた。抱っこはあっても抱きしめられることはあまりない娘は戸惑っているような声をあげた。その声を、あの乳母車の持ち主たちは2度とあげることはできないのだ。

ウルトラマンジードを完走した。劇中終盤で訪れるクライシス、それを現実と重ね合わせながら、ウルトラマンのいない我々の世界を思った。あの世界で、ジードが、ゼロが地響き立てて降り立ったとき、人々はどれだけ心強かったことだろうか……とも。

ウルトラマンジードについて、実は筆者はウルトラマンの最強フォーム特集かなにか、そう言った記事から「ロイヤルメガマスター」という最強フォームがある、ということは聞き知っていた。が、「マグニフィセント」の知識は全くなかったので、初登場時は大いに興奮させてもらった。

ルーツとしての父、ベリアル。いわば生みの父、ケイ。育ての父…そして変身の力を補助するウルトラの父……様々な父が交錯する中、ジードは、リクは自分そのものへの理解を深めていく。

他方、対立するケイは自らの感情も、ベリアルへの感情も理解できないままその苛立ちに自壊するようにして破れる。まさしく「憧れとは理解から最も遠い感情だよ」の真骨頂と言うべき展開である。

……いっとくか!アレ(登場人物をBLEACHの巻頭言で喩えるやつ)

主よ、我々は
孔雀を見るような目つきで
あなたを見る
それは期待と、渇仰と
恐怖に似た底知れぬものに
縁取られているのだ

ーー集英社刊BLEACH28巻より

ケイを感じますね。

そうなるとリクは、

そう、我々に運命などない
無知と恐怖にのまれ
足を踏み外したものたちだけが
運命と呼ばれる濁流の中へと
堕ちてゆくのだ

ーー同6巻より

対してレイトは、

恐れることは ただ一つ
恐れを知らぬ 戦士と為ること

ーー同38巻

ゼナは

人は皆すべからく悪であり
自らを正義であると錯覚する為には
己以外の何者かを 己以上の悪であると
錯覚するより 他にないのだ
確信した正義とは、悪である
正義が正義たり得る為には
常に自らの正義を疑い続けなければならない

ーー同44巻

ベリアルは……

王は駆ける
影を振り切り
鎧を鳴らし
骨を蹴散らし
血肉を啜り
軋みを上げる
心を潰し
独り踏み入る
遥か彼方へ

ーー同32巻

と言ったところだろうか。これめちゃくちゃ楽しいな。

総集編が挟まり、後半戦、という気分になる。総集編も人工知能レムをナチュラルにリクや仲間たちが友人と思っていることが伺えてよかった。リクというのは自分自身が不安定な存在であることを本能的に感じていたからなのかどうなのか、ペガの件も含め、「人間」の範囲がとても広い、と思う。

シャドー星人の出現に自らの「戦士としての自分の父」にいわば見捨てられた男の反乱、即ちリクとの対比を感じ、後半戦の縦軸となっていく……のかと思いきや前後編で決着がついて驚いた。宇宙人のクソデカ感情を人の星でぶつけ合うのやめてもらっていいですか!?

そんな中、ついに堕ちたる皇帝、ベリアルという天災が襲来する。強大な力と細心の手練手管によって我が子・リク…ジードを文字通り取り込んだかに見えたベリアルだが、リクは自らの正義のルーツを思い起こし、ロイヤルメガマスターに至る。

ロイヤルメガマスター、以前画像で見た時には「モチーフがじいさんって…武器も杖なんか…」と正直思ったりしていたのだが、動いているのを見ると滅茶苦茶かっこいい。その活躍でついにベリアルは打倒され、宇宙に平和が訪れたのだった。いい最終回だった……。

と思いきや、ONE PIECEでもそんな話があったがその強大さによって抑え込まれていた有象無象が蠢き出す。

すっかりカリスマブレイクしたケイの姿もある。そんな……オープニングではあんなにキメキメでコーヒー飲んでるのに……。

「午前10時に怪獣が出現する」というエピソードは日常に怪獣が膾炙していく描写や赤毛連盟的な展開など、終盤に出てくる「奇妙な味わいのエピソード」としてかなり好きだった。

ここから最終話までは一気に見た。レイト親子のパートはいつも泣かされる。何気ない子どもの一言にこそ。ぐっと惹きつけられるんだよなあ……。だからこそ後のゼロへのレイトの「2万年早いですよ」が嬉しい。

タイトルが主題歌というオタクが好きなやつ。最後の変身の余韻。筆者は特撮の教養を全く持ち合わせていないが、あの変身の撮り方は流石に興奮してしまった。

主題歌と共に出現する全フォーム……よく考えるとよくわからないのだが理屈じゃないのだ!

ウルトラの父(ケン)にさっさとこいやとヤキモキし、来たら来たらでやられてハラハラしつつ、ケイとライハの物語もエンドマークが浮かび上がる。リクに喝破された通り、「かわいそうな人」ケイ。しかしある意味では、勝ち逃げだったのかもしれない……。

筆者はジードを視聴しながら、これは父と子の訣別の物語なのかと思っていた。しかし、最後の最後でこれは父子のラブストーリーなのだと感じた。ベリアルがずっと求めていた自分を救ってくれるウルトラ戦士。それは他でもない自分の息子だった。その誇り高き拳が、彼自身をもかつて理想に燃えていた真紅のボディへと変じさせる……。

ベリアルが最後に「息子」ではなく「ジード」と言ったことこそは、彼もまたジードをひとかどのウルトラ戦士と認めたからではなかったろうか。

正直、「決着は劇場版で!」とかだったらどうしようと少しドキドキもしていたのだが、綺麗に完結してとてもよかった。

それだけに、美しく終わった作品にありがちなのだが、彼らはこれからもあの街で過ごしていくのに、自分はそれをもう見ることができない、そのことに言いようのない寂しさを感じてもしまうのだが……。

気づけば、久しぶりにソフビ売り場に立っていた。

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魅力的な怪獣たちを探すが、さすがにトリガー怪獣に押されその姿は見えない…逆にレッドキングとかゴモラとかほんとにすごいな、と思う。

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小一時間ほど悩んで買ったのは、ウルトラマンベリアル・アーリースタイル。発売日はジード放送以降ということで、今この時にジードを見ていなければ手にすることが無かったソフビだと考えると、今見た意味があったように感じられて良い。

おもちゃ売り場に行って自分のものだけ買うのも気が引けたので娘用のおもちゃも買った。ソフビ5体分である。現在も気に入って遊んでくれているのでよかったと思う。

加えて、細やかなウルトラの神からの贈り物があったので記しておく。

勤務先にはキッズスペースがあり、スタッフのお子さんが小さい頃遊んでいたおもちゃを寄付してもらって置いていたりしたのだが、コロナ禍において感染防止のため、倉庫に移動していた。現在は月一で風通しなどをして、再び子どもたちに遊ばれる時を待っている。たまさか今月は筆者がその当番であった。

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なんとまあ。筆者もメンテナンス当番は初めてではないのだが、今まで意識したこともなかった。文字通り視野が広がったと言うことなのだろう。コロナ禍が開けたら、先ほどのベリアルアーリースタイルを寄附してもいいかもしれない。

もっと細々語りたいことがあるのだが、娘を寝かしつけながら、慣れぬiPhoneでの入力はこの辺りが限界である。

今は続けてウルトラマンオーブを見ている。また感想を書きたい。

いつまでも娘が笑顔を向けてくれる父でいられるように、今の筆者が筆者アーリースタイル(闇落ち前)にならないように、日々を誠実に生きていきたい。