カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

「1番の映画」ではない――スラムダンク新作映画『THE FIRST SLAM DUNK』ネタバレ感想

※滅茶苦茶スラムダンクのネタバレがあります

見るまで

スラムダンク新作映画『THE FIRST SLAM DUNK』を妻と一緒に見てきた。

本来は12/3の公開日に見たいところだったが仕事で断念、翌日も地域の行事で断念、ここでこそ見るぞととっておいた5日月曜日の有給も14日に振替……。まさに公開、あれから10日後――といった視聴予定になりそうだった。

それでも、育児真っ最中の中、劇場で鑑賞できるだけでありがたい。基本は在宅育児の娘は週に1回、近くの一時保育施設で預かってもらい、妻はその日に自分のメンテナンスやこまごまとした家のことを片付けてくれている。幸い娘もその時間を楽しんでいて、年上のお兄さんお姉さんに可愛がってもらっているようだ。

その貴重な1日を、今週は妻は土曜日にずらしてくれた。土日は出来る限り筆者が娘の相手をするようにしているので、そこに一時保育日を入れる、ということは筆者は1日娘メインの日が浮くし、妻は平日ずっとワンオペということになる。

「気にしないで」妻は言う。「私も早く見たいと思っていたから」

この不公平性を少しでも緩和するためにやや早いクリスマスデ~トとして妻の服を選びながら、しかし胸中様々な思いが渦巻いてもいた。

果たして今から見る映画を妻は楽しんでくれるだろうか。自分は楽しめるだろうか。親子3人の時間を引換にしただけのものを得ることはできるのだろうか……。娘が生まれてからこちら、可処分時間・所得の活用方法というのは我々にとって常に横にある話題であり、高速代とガソリン代、もちろん映画鑑賞料やパンフレット代、移動に伴う時間や上映時間……それらをぜいたくに使う映画という娯楽はどうしても隅に追いやられ、それであっても妻は筆者のためにその時間を何度か提供してくれ、それらは記事として結実した。

kimotokanata.hatenablog.com

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妻はあまり「見るぜ視るぜ、映画を観るぜ」というタイプの人間でもない。そんな妻が娘を預けてまで見たかった映画。『THE FIRST SLAM DUNK』。その期待に応えてくれるのか。

交際前、筆者は妻の「チップとデールの片方なら倒せる」という発言に心動かされ、「スラムダンクで一番好きなのは水戸洋平」という宣言にすっかり惚れてしまったという経緯もあり、我々にとって思い出深い作品、スラムダンク。もちろん我が家には新装版が全巻揃っている。

このツイートをLINEでシェアしたのがどちらからかだったか思い出せないくらいだ。夫婦で様々な予想妄想憶測を膨らませた。やはり山王戦か、それともIH編を三部作とかで? もしかしたらリブート、いやいや黒板マンガ+αかも――。ジャンプ原作映画の大作化が増えていたこともあり期待は尽きなかった。

懐かしく記憶にあるアニメ版を東映公式チャンネルで太っ腹にも無料配信したりもし、制作側の本気も伝わってきた。

だからこそあの特番で大きな失望と不安を抱くようになってしまった。

「山王戦をTVアニメのキャストで忠実に映画化する」という「見えている正解」をしてくれないのか……?、という気分になった。これはニンジャスレイヤーのアニメ化(なにがシヨンだ)の時も同じようなことを思い、そこからの当該コンテンツの急激な「オワコン化」がフラッシュバックした。

キャスト一新するのにTV版アニメをPRとして配信していた、というのもかつての思い出を「エサ」に使われてしまったようで嫌だったし、なにより生配信でコメントも閲覧できる状況で声優諸賢を盾に使っているような番組構成も制作者側の姿勢に疑問を持ってしまうことでもあった。

それが販売開始後であったこと、その後の情報の伏せ方もあの「ジョジョASB」のような逃げ切り前提のような感じがしてしまった。

それでも、見ようと思った。見届けようと思った。2人分のムビチケを買った。

「たとえどんな映画であろうと、このイラストは格好良く、手元に残して置けるから、2,000円弱で格好いいイラストカードを買ったと思えばいいよね」

購入日、渡すと妻はそう言って、ムビチケの流川と三井の頭を交互に撫でるような仕草をした。

公開当日。年に1回の仕事をどうにか終えた時には18時が近くなっていた。TLの気配は決して荒々しくはなかった。信頼すべきTL諸賢は軽率なネタバレをつぶやくことはなかったが、それゆえにある種のことは予感させた。それは「シン・エヴァ」の時もそうであったように。

とはいえ夜も更けると少しずつみんなの口が緩み始めるのも仕方のないことで、これは出来るだけ早く見に行った方が良さそうだな、と感じた。そうして予定を少し前倒しして鑑賞することにしたのである。

前日、せっかくだから、とIMAXを予約してみた。既に結構な席が埋まっている。

見た

冒頭、1on1。外用のバスケットボールを地面にドリブルして起こるあの独特の甲高い音。バックボードに当たる音。地面とシューズの摩擦音……。

急激に自分が「あの頃」に戻されていくのを感じた。「バスケット少年」なんて名乗るのは面はゆい、でもなんだかんだで中高6年間バスケ部だった時、より、ちょい前。小学校時代。朝の授業前、昼休み、放課後。ハンベ(ハンドベースボール)もいいけど校庭の隅のバスケットゴールがあるところでやる、適当にラインを引いての3on3は楽しかった。もしかしたらトラベリングもダブルドリブルもあったかもしれない。それよりもシュートが決まった快感、ブロックできた達成感が大きかった。世代ではなかったけど、上のきょうだいがいる友人宅でスラムダンクは全巻読んでいた。

そうだ、あの頃があったからこそ自分は中学校でバスケ部に入ったのだ、と思い出した。競技としてのバスケのルールの複雑さ、厳しい上下関係、女バスほか体育館を使う部活との惚れた腫れた……そういった「余分なこと」にとらわれて忘れていた。バスケットが好きで、楽しかったからバスケ部に入ったんだということに。

目の前の少年の予感される悲劇に胸を痛めながらめぐる思考が急ブレーキで止まる。

描き出される宮城リョータ。そして湘北スターターたち。三井寿赤木剛憲流川楓桜木花道……。その姿はまさに臨戦態勢だ。音楽がいやおうなしに気分を盛り上げる。

そして。

バスケットは5人ではできない。相手がいる。

足からせり上がってくるカメラ。興奮は早くも最高潮だ。まさか。まさか。

胸元に刻まれた「山王工高」。

きた!

そして映し出される、夢にまで見た動く山王工業のメンバー。

表示される「秋田県代表 山王工業高等学校」の文字。

横の妻をちらりと見た。目が合った。2人とも、マスクが無ければ、暗闇でなければとてもお見せできないようなオタク丸出しの「フヒヒ…」という顔をしていたであろう。

山王戦だ。動く山王戦が見られるんだ。自分の体が前のめりになり、声をあげそうになるのを必死で抑える。ちょっと泣きました。

10人は彩られ、ジャンプボールから試合が動き出す。

最初の1on1でも感じたことだが、音が本当にいい。地響きのような強豪校の応援、コート内のやりとり、交代やタイムアウトの音。コートとバッシュの摩擦。屋内バックボードに当たる音。ゴールネットをボールがくぐる音。最高のタイミングでかかる劇伴。

そして、視点だ。バスケットボールの試合はスピーディで、カメラの数も限られているから俯瞰になることが多いが選手の視点で映されると臨場感がまるで違う。自分とマッチアップした相手の威圧感、なかなか相手を振りきれないパスを出したい相手のもどかしさ、視線はしにチラチラして気になる素人……「こう」だったんだ、宮城リョータの山王戦は、とこれ以上なく贅沢に伝えてくれる。

それ以外の細々、シュートが決まった後のバック走やチェック、イチノのスッポンディフェンス絶対嫌だという実感……カメラワークがバスケという競技の魅力を存分に引き出していた。

勝敗はわかっていてもなお、山王は恐ろしく、何度も読み返すたび思ったように、いや、動くからこそよりリアリティをもって「今回は負けるかも」と思う。「勝利確定BGM」が流れてもそこに割り込んでくる反則スーパーエース沢北の恐ろしさのすさまじさを改めて実感させられる。

それでもリョータは諦めない。彼が山王戦中に繰り出す言葉は、現役バスケ部員時代の筆者を何度も鼓舞してくれた。「流れは自分たちでもってくるもんだろがよ!」「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!」その言葉がまた、あの頃より倍近く人生を重ねた筆者に(えっ……豊玉の監督ってもう年下……!?)響く。168cm。当時の筆者とほぼ同じ身長。筆者に彼のようなスキルはもちろんあるわけはなかったけれど、っていうか168cmってやっぱチビの部類なんだ……と思ったりもしたけれど、同じようにリョータに救われたバスケ部員は多かったことだろう。

過去と今が交錯し、色々なしがらみを切り裂くような鋭いドライブはまさに今回のキラーシーンだ。そしてそれは三井の4点プレイにもつながり、士気はますます上がる。これがNo1.ガードでなくてなんだというのか。

そして終盤。原作でページを繰る手ももどかしく、息も忘れる展開は「やっぱ、みんなそうだったよな」と思わず言いたくなるほど「その感じ」が再現されていた。「スラムダンク」というタイトルでありながら、生まれ持ったポテンシャルに依存するそれではなく、地道な積み重ねにより習得したことが勝負を決める。スラムダンクに対して「結局才能ってマンガだろ」というやつがいたとしたら、「まあまあ、そういわず山王戦まで読んで」と勧めたい。

鑑賞後、妻と筆者は静かに立ち上がり、娘を迎えに行くために愛車に乗り込み、直ちに曲を流した。

第ゼロ感

第ゼロ感

  • provided courtesy of iTunes

あの映画見た後この曲を聴かないでいられる人、深津並みのメンタルの持ち主だと思う。

見た後

「1番の映画」としてどうだったか?

映画、というより体験として得難いものだった。

公開前の懸念は払拭されたと言ってもよく、しかしその良さ故に「もうちょっと、こう……」という部分がありもした。

「THE FIRST」。そのタイトルに色々と憶測が飛んだが、1つのニュアンスとしてバスケのポジションとしての1番――PG(ポイントガード)があるということは間違いないだろう。

そして、その視点で見るとどうしても物足りなさを感じてしまうのだ。

この映画の主人公は湘北の1番、宮城リョータであることは衆目の一致することだろう。しかしそのライバルは同年代の山王のスーパーエース、沢北に位置付けられているように思う。もちろん、そうであっても最終盤のオリジナルシーンで「1番をすることもある沢北」とリョータが対峙するのは心憎い演出ではあるのだが……。

山王工業の1番にして主将。すなわち日本一のチームのキャプテンにして1番、深津一成。

ノーマークの相手にド派手なアリウープで先制を決められてもクールに自ら点を取り、「同じ2点だピョン」とリセットして見せる男。

チームの精神的支柱であり、試合の最後最後において監督さえもそのゲームメイクに託した男である彼こそはまさしくリョータの理想像であり、越えるべき壁であり、もっと、本作ではフィーチャーされるべきではなかったか。

山王戦でカットされた場所はいくつかあるが、「深津を評価するおじさん」や観客の「イヤなところで仕事するのが深津」というセリフが削られてしまったのも追い打ちになってしまっている。

そうしてもう1人、かけがえのない「1番」が本作ではほとんど触れられない。

安田靖春(やすだやすはる)、通称ヤス。

原作ではリョータと小学校からの幼馴染の彼は、山王戦のベンチで懸命に応援はしているものの、それ以外では三井とリョータの最悪な再会シーンで位しか出番がない。(きっちり学ランを着ているヤス、めちゃくちゃわかる……と言った感じだ)

登場当初から桜木と赤木の間で翻弄される糸目の2年生部員として扱われなかなかリアル等身の描写がなされなかったものの、三井がやんちゃしていた時には正面切って「帰ってください」と頭を下げる部と部員を思い、胆力のある男であり、未だ映像化されていない(本作の桜木のリバウンド全国デビューシーンで一瞬だけ出た)豊玉戦で相手の挑発に乗せられたリョータの代わりに湘北チームの1番を引き受け、流れを変えた功労者。まさに「心臓バクバクでも平気なふりする」1番の魂の擬人化のような男である。

ところが、リョータの話であり1番の話であると思われた本作での活躍は上記のようにさみしいものとなっている。バスケは1人ではできないチームスポーツだ。煌めくようなシュートセンスもなく、天を衝くような身長(タッパ)もないリョータは素晴らしいクィックネスと感性を持っていたとはいえ、強豪校・陵南にそれだけで声をかけられるとは思えない。チーム自体に力があり、そこにはヤスがいたはずである。

本作で転校時のあの状態から「バスケだけがよりどころ」と述べられるようになるまでは中学校時代のヤス達との日々があった。そこをもっと描写してほしかった。新しいシーンを作らなくても、リョータの挨拶のシーンであれっと思うヤスがいるとか、三井との邂逅の後にヤスと部員たちがやってきて声をかける(周りが止めているのに話しかけてヤスの意外な度胸がここでも確認される)とかするだけで違ったんじゃないかな、と思う。

パンフレットによると当時は描けなかった親視点での話が描けるようになった、ということを井上先生は述べていたが、逆に当時小出しであっても感じられた高校生の青春という意味ではここも掘り下げてほしかった、リョータがバスケが好きであり続け、かつ1番であり続けた理由として欲しかった関係性だ。

リョータの物語」として

では「宮城リョータの物語」としてはどうだったか。

重複するが、ヤスの過去編での薄さが気になる。従来より上記の井上先生のイラストにあるようにリョータより上の背番号である6をヤスが背負っていることについては赤木との相性、素行の面から見せしめの意味で同じポジションで親友でもあるヤスに与えられたのだと思っていたが、今回リョータが兄の形見と言ってもいい「背番号7」にこだわりがあることが明らかになった。

であればこそ、「ヤスなら6番でもいい」みたいな描写があってもよかったのにな、というのは正直なところである。どうもこれまたパンフレットでリョータを主人公にした理由の1つに2年生の物語が薄かったから……というのがあったらしいが、それならばこの関係性を薄くするのはどうなのだろう、と思ってしまった。

また、今回関係性が深掘りされた三井とリョータについても前述したようにヤスの度胸を見せるシーンがターニングポイントであり、劇中での出来事を補強できたはずなので勿体なかった。さすがに細かくなりすぎるのかもしれないが。(襲撃自体がなかったことになっている……とは考えづらいが……)

リョータ、2年生、といえば彩子との描写もそうである。原作では一目ぼれであると明言され、デレデレのリョータだが本作でそのような描写はない。特に必要だとも思わないが、妹の様子を見るに、リョータの母も元はもっと天真爛漫な女性だった感じがあり、(最終盤でその片鱗が伺えるような気がする)快活な彩子にその時の母の姿を重ねたのではないか……と筆者などは考えるのだが一切描写がないので推論に過ぎない。

続けて「ダンナ」と慕う赤木との関係性について。実は今回筆者が最も残念だったのはスラムダンクで最も好きな「感情的になるな……」のシーンの削除だったのだが、その回想で登場する「月バス」は意外な登場を果たす。

リョータの兄、ソータの形見として同じ「最強・山王特集の月バス」が登場するのである。じゃあベタだけど嫌な奴だと思ってたけど「バスケに対して真剣で、亡き兄と同じ夢を持っている」ということがきっかけでリョータの赤木への見方が変わる、というのを回想で示してくれていいのに、というのはわがままだろうか……。

今回の「リョータの物語」のコア、母親との関係性について。子の親になったということもあり、どの年のリョータが泣くシーンでも筆者はワンワン泣いてしまった。手紙にうっかり書いた文でも泣いた。

バスケ部員時代、補欠の補欠だった筆者。母は曾祖母2人の介護と幼い弟達の世話で手いっぱいで、試合を見に来てもらう、ということはほとんどなかった。どうせ出るかどうかもわからないからいつしか試合の連絡もしなくなった。試合の合間、他人のお母さんが作ってくれた差し入れを食べ、頭を下げ、狭い体育館ではシュート練習を出来るのはレギュラーだけだからボールを磨く。お母さん方はそんな筆者を気の毒に思ったのだろうが特に褒める点も見つからないので「お辞儀の仕方が丁寧ね」となんとか言葉を絞り出してくれて余計に申し訳ない気持ちになった。

中学最後の試合。もう相手の学校さえ覚えていない。お情けでもらった背番号は多分ラストの18とかだったと思う。点差が開いていく。残り時間あとわずか、逆転は不可能。コートのメンバーが総入れ替えされる。筆者、17,16,15,14の背番号の面々。思い出作りだ。あと3分とかで20点を逆転できるような逸材が補欠の補欠になるわけないのである。

おふくろが、末弟と少し離れたところで見守ってくれていた。筆者はいつの間にかボールを手に持っていた。切れ味鋭いドライブ――なんてできるわけもない。とりあえず考え無しにダムダムついて、阻まれて、苦し紛れのシュート。

入ってしまった。3Pだった。もちろん、波乱はなく、試合は終了した。公式試合スコア3点。それが筆者の中学校バスケのすべてだった。よくわからない弟がはねて喜んでいたのがわかった。これでうっかり高校もバスケ部に入ってしまい、塗炭の苦しみと生涯の友人を得ることになるがさすがに脱線が過ぎる。

山王戦、母が来ていたことを恐らくリョータは知らないだろう。けれどそれがきっと彼の力になっていたはずである。

この対比として犠牲になっただろうキャラクターが沢北の父、テツ沢北である。バスケットキt……フリークである彼の尽力によって「スーパーエース沢北」はつくられたと言っていいだろう。原作では息子に会場で惜しみない声援を送る協力的な父。リョータの母とはまさに対角線上の関係にある。

きっと、だから彼は本作に登場しない。(魚住みたいによく見たら背景にいるのかもだけど)「来ない親」として設定され、それによって沢北は負けたというように。

リョータと母の関係性の終着点として「会場への応援」を持ってきた点は良かったと思うが、それにより既存のキャラクターがオミットされてしまったように感じてしまった。

それはそれとして、今まで手が震えることのごまかしとしてポケットに手を入れていたリョータが最後にソータの形見を渡すためにポケットに手を入れる描写はすごくよかった。そのときの母の表情も。

極めつけはラストシーンである。海外進出を果たすリョータ。フィジカルの不利を語る沢北よりも更に背の低いリョータが敢然と立ち向かう……。

いい。いいのだが、視聴しながら「リョータが主役で、キャプテンを意識している……つまりラストは『新キャプテンのリョータだ!』のあいさつで締めだな」と思っていたので予想外の着地に驚いてしまった。それは兄をなぞっただけであり、リョータはさらにその先を行く……ということだったのかもしれないが。

いつの間にか8,000字を超えてしまったのでこの辺りで。ハードルを下げていたこともあるかもしれないが特に試合シーンに関しては素晴らしい体験だった。IMAXで見て良かった。試合シーンだけまとめてみたい! という感想を抱いてしまうのがいいのか悪いのか。

あんなにつらかった灰色の青春だったはずなのに、三井を何度でもよみがえらせるあの音を聴くと、なんちゃってバスケットマンであった筆者の血も騒いでしまうから不思議なものだ。近所のバスケットコートを検索している自分がいた。

宣伝のズレでこの作品が届くべき人に届かなくなってしまうと思うと非常にもったいない。劇場で見ることでさらに楽しめる作品だと思うので、ぜひ足を運んでいただきたい。配給会社におかれましては、OPのシーンを解禁するだけでもかなり動員人数が変わると思うのですが、いかがでしょうか。

ひとまずは本日発売のこの本が手元に届いたら、出来るものがある答え合わせはやっていきたいと思う。9,000字超えてしまった。週末はシュートを打とうと思う。

この記事は「孤独のカナタガタリ Advent Calendar 2022」14日目の記事でした。