カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

水無月一日快晴じゃん日記

喉が痛い。

こういう時は大抵娘の体調不良を受け取った場合なのである。娘は基本的には好き嫌いはないしアレルギーもない、子育てにおいてたいそう有難い子であるのだが、他人の食べているものを食べたがるという悪癖があり、そして奪って一口二口食べるとその魔法は溶け、再びもともと食べていた自分のものに戻る……ということがしばしばある。つまり娘の「お手つき」になってしまったものを引き取って食べることになり、その際に娘の体調不良の原因が我々両親に転がり込んでくる、というメカニズムだ。節々が痛く微熱も出だしたのですわ(急に筆者が悪役令嬢の口調になったわけではない)最近巷で流行り始めているインフルエンザB型では…と思ったが早めに一晩寝たら熱は引いていた。ただ、断続的な3時間睡眠となってしまい横になった時間即ち回復時間になっていないのが辛く、だるさは抜けない。より娘と濃厚に接触する妻も当然体調を崩しており、その状態で昼間は孤軍奮闘してくれているため、夜の娘は筆者の当番であるが本人も依然鼻ぐずぐずである苛立ちもあるのか、わがままに拍車がかかって難儀している。平時であれば自身と妻子の療養のために休みを取るところであるが、よりにもよって近年まれな保険大改定の初日が本日からであり、そのために今週は妻子には大変無理をさせてしまった。(今日は娘にしては本当に珍しく、20時くらいに就寝している。


遠因となって

いるのは先週の親子遠足かもしれない。親子遠足自体に罪はなく、悪いのは日々飽食に身を任せた筆者のボディであるのだが、高低差のある牧場を園ではお利口と定評のある(筆者に対して駄々をこねる様に先生方が大変驚いておられ、連絡帳の文面でもその動揺が継続していた)娘が大いにおむずかりであっぱれ生まれた時から3倍以上の質量になった娘をだっこしなくてはならなかったし、(遠足に張り切りすぎて6時に起床して集合時間の10時半では既におねむだったということもあろう)羊と触れ合い、妻手製のお弁当と牧場で絞られたミルクを使ったソフトクリームを食べてからは元気100倍駆けまわる娘を追いかけることになった。たぶん関節痛はこの時の筋肉痛だと思う。
動物園や水族館に行った時も思ったが、子どもの時に訪れた思い出のスポットに妻や娘との思い出が加わっていくのは何とも不思議な感慨がある。折しも仕事の緊急連絡があり、牧場直営の売店をじっくり見られなかったのは残念だった。

歌詞画

って電波に乗っていい言葉なのか…! という言い方はあまりにひどいがあの懐かしきゼロ年代ガラケーの名刺よりも小さい液晶に精一杯好きをあふれさせる、自分の機嫌を取るための待受画像に、あるいはパケホーダイになって調子に乗って友人に送りつける面白画像の中に、「歌詞画」という文化はあった。……ように思う。筆者は確実に世代ではあるが、しかしそれらとの出会いはいいなあと思う歌詞を検索したら出てくる誰かが作った、確実にオリジナルでない(著作権がクリーンでない)何かであり、端的に言うと検索妨害だと感じていて、作ることはもちろんダウンロードしてみることもなかった。ただ、友人の中にはしばしば送ってくる連中もいた。スキマスイッチガラナとか、YUIのチェリーとか。うわ~~~。(高校時代を思い出してバタつく今年35歳)そういういかにもなハイスクールライフのおすそ分けの象徴として筆者の中にあったのである。
何の話かというとY2K新書の話なのである。作家・柚木麻子さん、振付演出家・竹中夏海さん、ディーバ・ゆっきゅんさんの語る「あの頃」はちょうどお姉さん組とゆっきゅんさんの狭間である筆者にとっていちいちピンポイントで聴いている間ずっとそう! そう! そう! という感じであり、無限にそれに絡めて思い出を語りたくなってしまうのだが、聴いてから一夜明けるととにかく面白かったが断片的にしか覚えていない、ということも多く、超高速のつむじ風のようなエンターテインメントだ。一回、相席食堂方式でY2K新書をかけながら引っかかるワードごとに止めて思い出したエピソードを綴っていくのも面白いかもしれない。2年くらいかかると思う。番組中では「歌詞画」という時代の徒花を自らの楽曲リリース時に復活させ、当時を思い出させた人々から嬌声というか悲鳴というかを引き出して見せたゆっきゅんさんによって語られるこの文化は番組中にもあるようにアンダーグラウンド(バキバキの著作権違反ですからね)ではあるものの、あの時の好きなものに対して何かしたいという衝動の一つではあったのだよな、としみじみしたし、自らも作成していたゆっきゅんさんはgimpを使われていたそうで、筆者の周りにはサークルカットを作るための用途でしか使われているのを見たことがなかったのでそういったカルチャーショックもあったりした。
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そこで言及される木村カエラさんは筆者もばっちり鑑賞ししっかり地獄に落ちたPRODUCE101JAPANGIRLSの国民代表プロデューサーであり、該当番組の良心であった。番組終了後、どこかで総括記事のようなものを書こうと思っていたが、カエラさんのファイナル進出した練習生たちへの暖かい言葉に、これ以上足す言葉はなにもないな……と思って書かないことにしたのも大体半年前というから恐ろしい話だ。


sakusakuですよ! 

sakusaku…かつて深夜帯にOAされていた音楽情報番組で、鹿児島は息をするように「一部地域」だったので当然筆者は見ることが叶わなかったわけであるが、あるいはレンタルで、あるいはコツコツ小遣いを貯めて購入したCDをリッピングすると「sakusaku〇月エンディングテーマ」の注釈が入るもののなんと多かったことか! 筆者が愛聴したものだけでも、(以下Wikipediaより引用)
20002年
2月「愛のかけら☆恋のかけら」/つじあやの
2004年
4月「平凡」/オーノキヨフミ
7月「陽炎」/フジファブリック
11月「happiness!!!」/木村カエラ
2005年
4月「リルラ リルハ」/木村カエラ
9月「茜色の夕日」/フジファブリック
11月「ハナノユメ」/チャットモンチー
2006年
2月「ほんの少しだけ」/槇原敬之 feat.KURO from HOME MADE 家族
6月「ELECTRIC SUMMER」/Base Ball Bear
10月「キミは君★」/ナイス橋本
11月「シャングリラ」/チャットモンチー
2007年
6月「とび魚のバタフライ」/チャットモンチー
9月「パッション・フルーツ」/フジファブリック
2008年
1月「若者のすべて」/フジファブリック
9月「コノユビトマレ」/スガシカオ
10月「涙色フラストレーション」/monobright
12月「気まぐれロマンティック」/いきものがかり
(引用終り)
このそうそうたる楽曲、済まんがそのゼロ年代をしまってくれぬか、わしには少し強すぎる……と言った塩梅である。一度も見られたことがないが、この曲いいな、と筆者が思うといつも先んじてエンディングテーマにしている天沢聖司のような存在であった。

そんなsakusakuのMCを木村カエラさんがやっていたらしい…といううわさは聞いたことがあったので、リアルタイムの証言が聴けたのは牧場で感じたものとはまた違う感慨深さがあった。都市伝説が真実だったことを知ったような。

 

深淵を

覗くときまたこちらも深淵に覗かれているのだ……とさすがに擦られ過ぎて安易な引用が憚られる格言はさておき、すっかり習慣オリジンタビューを聴いたのであった。

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話数タイトルが番組タイトルと同じという「オタクが好きなやつ」、リアルタイムであれば最終回かと身構えてしまうところであるが、まさに今BUMP回の収録が進んでいるところなのでご安心である。

構図が反転し明らかになるのは光太郎さんの誠実さ、ツナ缶さんの話の広げ方の巧みさであり、それだけに殿堂入り回がいまや電脳世界の海を漂っているのは1リスナーとして惜しさがある。ぞひ丸さんとのキン肉マン回は筆者も爆笑させていただいた思いがある。

しかし、このスタンスであればそれらをしのぐ傑作回が現れるのはそんなに先のことではないだろうという確信も生まれた回であった。

 

ふるさとのデパート

山形屋が危ないらしい。と言っても大多数の方にはなんのこっちゃと思われるかもしれないが、いまや鹿児島唯一の百貨店となった山形屋が巨額の負債を抱え、私的整理に移行するということであった。最近は店舗内に百均ショップやエディオンを誘致するなど、さまざま模索している様が感じ取れただけに筆者も忸怩たる思いがある。

またしても感慨シリーズであるが、よそ行きの服を着てよそ行きの服を買ってもらう場所であった山形屋に父母を連れて娘のファーストシューズを買いに行き、山形屋食堂でそろって昼食をとった時はようやくささやかながら親孝行ができた……と思ったものだ。

これからも鹿児島県民にとって大切な場所としてあり続けてもらいたい。そういう思いを込めて、絶賛開催中の「初夏の北海道物産展」に行ってきた。物産展という催しの中で異次元の売り上げを記録するという山形屋の北海道物産展だが、コロナ禍で大きくその規模を縮小しなければならない年が続いたのが経営に打撃を与えたのは間違いないだろう。

北の大地の味は濃厚で余韻が残る。娘にとっての山形屋の思い出もそうであってほしい。

ちなみにゴジラVSスペースゴジラでは当時の山形屋ゴジラに襲撃されている。(1時間5分くらいのところ。ちなみにその前のシーンで見切れる今はもうない映画館でこの映画を観たことは筆者の特撮好きとしてのささやかな誇りである)

ゴジラによる破壊後は開館当初のルネサンス様式が復元され、(1998年・平成10年改装)増床を繰り返して現在に至っている(たまに観光客の方が大正時代からずっと同じ建物だと思われていることがある)。もしかしたらこのゴジラによる被害が経営をじわじわと圧迫していたのかもしれない。ゴジラは責任をもってまた破壊しにやってきて、聖地化による観光特需に一役買ってもらいたい。