カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

6月6日だからって雨ザーザー降らなくていいじゃん日記

紫陽花が 

そこかしこで咲き誇っていて、6月なんだなあと実感する。意外と6月になってからの方が天気が安定していて、過ごしやすく、いい感じである。問題は今月はまさに上半期の総決算だとでも言いたげに重い業務が集中していることで、これに物価高や年度初めの支払(自動車税NHK、固定資産税、Googleフォトの追加容量代…)がどっと押し寄せてきて、晴天と夕方のそよそよとした風の外界を尻目に、心はすっかり梅雨模様。娘は15㎝の上履きがきつくなってきて、買い替えるついでに祖父母を伴って夏服を買いそろえた。petit mainというお名前からしてなんともおしゃれなブランドを娘は切り札のように節目に1着買ってきていたのだが、今回そこが「プティ・プラ」というお値段3桁買えるけどもしっかりブランドのかわいらしさを備えているラインを展開してくれたため、いつも西松屋で使うくらいの金額で多少被りにくそうな(子育て応援西松屋様やバースデー様は我が家だけでなくすべての家庭を平等に応援しているため、上下とも服がお友達と被るということは決して珍しいことではないのである)服が揃えられたことは大変喜ばしい。親に出してもらったのであるが。ありがとうございます。気が早い話であるが、自分がしてもらっているように娘にこのようにサポートできるかと思うとなかなか憂鬱である。節制しよう。と、この段を書いたのは6月5日だったのだが、翌日はしとしと雨が降り、まさに「6月6日に雨がザーザー降っている……!」と齢34にしてちょっと感動してしまった。

昨日何を 

聴きましたか? 筆者は「昨日何聴いた?」を聴きました。

open.spotify.com

一昨日も今日も聞きました。DJの次元さんとリトルペンギン社のpopさんによる音楽ポッドキャスト番組(ご本人たち説明のまるパクリ)で、しばしばタイムラインを賑わせていたのだがようやく聴くことが出来た。ちょっとしたフレーズやムードから滲み出る「ホンモノ」感にドキドキしながらも新しい知識を得る喜びも感じていたわけであるが、満を持して次元さんの口から飛び出した曲が「FIESTA」であったことで筆者はこの先長くこのPodcastを愛聴しようと決意するのだった。――というのは少し虚飾があり、ほーんと第1回を開いてみたらかかる曲に「FIESTA」が目に入ってきたので矢も楯もたまらず再生ボタンをクリックした……というのが正しいかもしれない。続いて紹介されている曲たちは全く知らないのにいざ耳に届くとすっかり聞き入ってしまいSpotify無料版のプレビュー機能(フルでは再生されない)が恨めしく感じること多々であった。
親のカーステで流れた曲に始まり初めての8㎝CDとして「だんご3兄弟」を、12㎝CDとして「サウダージ」を買うことから始まった筆者の音楽遍歴は中学生時代を主にスピッツポルノグラフィティに、高校生になりTSUTAYAの会員になることで――あのころあのウクライナカラーのカードは新しい世界へのパスポートだった――同じくTSUTAYAのBookエリアで手に取ったロッキンオンジャパンや深夜のスクール・オブ・ロック、学友たちの影響もあって大いに聞く幅が広がり、そのまま大学時代自らがTSUTAYAのアルバイト店員となることでまさに転がる石のように邦楽坂は転げ落ちていったものの、洋楽(この野蛮な分類!)は意識をして聴くことがなかった。
社会人になりサブスクも普及してきたころ、筆者は「ライフイズストレンジ」というゲームに出会い、妻と共に没頭した。フランスのゲームスタジオが制作したこの作品はOPからEDまで、随所に印象深く楽曲が使用され、ことにEDのFOALSによる「SpanishSahara」は筆者の胸を大きく揺さぶったのだった。

Spanish Sahara

Spanish Sahara

  • provided courtesy of iTunes

 

だらだらと話したが、そのFOALSが第1回の雑談の中でさらっと出てきたので、勝手に親しみを覚えたりしてしまったのである。 
その親しみのままに今度はプレゼンの鬼:四角さんが出演されている回を聴き始めた。

open.spotify.com

四角さんの名は知らなくとも「おやすミニョク」という単語は知っている……という人々もいるくらい、筆者にとってはモネク(スターシップ事務所の誇る野獣アイドルMONSTAXのこと。よく収監されている気がする。エッ「ワカワカ先輩」として一世を風靡したのが4年くらい前……?)ペンとしての印象が強く、当然その話が繰り広げられるかと思ったが、それだけではないのが才人の知識の奥深さである。筆者はサバイバル番組を好んで見るという死後地獄の業火に焼かれることが運命づけられた趣味を持っているが、今ではもはやベテランの風格すら持ち始めた世代たちがかつてデビューのため披露していた課題曲としてF(X)のホットサマーはよく見られた。筆者より深くK-POPを愛聴する妻に言わせれば、この作風の変化が即ち今渦中にいる不世出のプロデューサー・ミンヒジン氏においてソルリという人がどういう存在かわかるような気がする……と四角さんが紹介された4wallsを指して言っていたことを思い出す。それはそれとして、愉快動画をシェアすることも忘れないそのエンタメぶりはさすがである。

4 Walls

4 Walls

  • provided courtesy of iTunes

 

次元さんの繰り出す「Panorama」…十年に一度の傑作「ラビアンローズ」があり、百年に二度とない名歌「ヴィオレッタ」があり、初回でも紹介された千古不易の叙事詩「FIESTA」……それらを経てなおアイズワンが繰り出してきた文字通り畢生の、万古長生の曲こそが「Panorama」であった。二年半というただでさえ短い活動期間を大人たちの事情と未知のウィルスによってなお阻まれてしまった素晴らしい十二人が、終わりを予感しながらも最後に愛するファンたちに「永遠に覚えていて 約束よ がっかりさせないでね」と告げて終る……。確かにこれでアイズワンというアイドルは「完成」してしまったのかもしれないが、まだまだ続いてほしかったという気持ちが今もなおある。次元さんやそれを受けての四角さんのトークは既に披露から二年以上過ぎていたはずだが、それを感じさせない熱量であったことがアイズワンがいかに素晴らしいグループであったかの証左であると言えよう。

言語化が巧みな出演者所見をもってしても、アイズワンを考えた時、言葉に詰まる、いや、言葉が余計になっていく……。まさにアイズワンという宇宙の完成を見るようであった。

Panorama

Panorama

  • provided courtesy of iTunes

そうして本日、日プ女子感想回を聞いたわけである。2人の共通のpickである笠原桃菜さんはもちろん、それぞれのいわゆる2pickが最終的にデビューしているのはさすがの慧眼である。早半年が過ぎようとしており、お2人が話されるエピソードのなつかしさに時の過ぎゆく速さの恐ろしさを感じたりもするが、(もはや出だしのリープハイがはるか太古の楽曲のようだった)前述したように筆者はいわば「サバ番愛好家」みたいなところがあり(今はI-LAND2を見ています)感覚が麻痺している自覚があるので、そういう意味でも良識ある意見を聴き自分のキャリブレーションが出来て良かったと思う。

今後は時系列通り聞いていきたいと思う。いつの間にか次元さんが「法王」になっている、その就任の瞬間を何とかとらえたいものだ。

 

水無月一日快晴じゃん日記

喉が痛い。

こういう時は大抵娘の体調不良を受け取った場合なのである。娘は基本的には好き嫌いはないしアレルギーもない、子育てにおいてたいそう有難い子であるのだが、他人の食べているものを食べたがるという悪癖があり、そして奪って一口二口食べるとその魔法は溶け、再びもともと食べていた自分のものに戻る……ということがしばしばある。つまり娘の「お手つき」になってしまったものを引き取って食べることになり、その際に娘の体調不良の原因が我々両親に転がり込んでくる、というメカニズムだ。節々が痛く微熱も出だしたのですわ(急に筆者が悪役令嬢の口調になったわけではない)最近巷で流行り始めているインフルエンザB型では…と思ったが早めに一晩寝たら熱は引いていた。ただ、断続的な3時間睡眠となってしまい横になった時間即ち回復時間になっていないのが辛く、だるさは抜けない。より娘と濃厚に接触する妻も当然体調を崩しており、その状態で昼間は孤軍奮闘してくれているため、夜の娘は筆者の当番であるが本人も依然鼻ぐずぐずである苛立ちもあるのか、わがままに拍車がかかって難儀している。平時であれば自身と妻子の療養のために休みを取るところであるが、よりにもよって近年まれな保険大改定の初日が本日からであり、そのために今週は妻子には大変無理をさせてしまった。(今日は娘にしては本当に珍しく、20時くらいに就寝している。


遠因となって

いるのは先週の親子遠足かもしれない。親子遠足自体に罪はなく、悪いのは日々飽食に身を任せた筆者のボディであるのだが、高低差のある牧場を園ではお利口と定評のある(筆者に対して駄々をこねる様に先生方が大変驚いておられ、連絡帳の文面でもその動揺が継続していた)娘が大いにおむずかりであっぱれ生まれた時から3倍以上の質量になった娘をだっこしなくてはならなかったし、(遠足に張り切りすぎて6時に起床して集合時間の10時半では既におねむだったということもあろう)羊と触れ合い、妻手製のお弁当と牧場で絞られたミルクを使ったソフトクリームを食べてからは元気100倍駆けまわる娘を追いかけることになった。たぶん関節痛はこの時の筋肉痛だと思う。
動物園や水族館に行った時も思ったが、子どもの時に訪れた思い出のスポットに妻や娘との思い出が加わっていくのは何とも不思議な感慨がある。折しも仕事の緊急連絡があり、牧場直営の売店をじっくり見られなかったのは残念だった。

歌詞画

って電波に乗っていい言葉なのか…! という言い方はあまりにひどいがあの懐かしきゼロ年代ガラケーの名刺よりも小さい液晶に精一杯好きをあふれさせる、自分の機嫌を取るための待受画像に、あるいはパケホーダイになって調子に乗って友人に送りつける面白画像の中に、「歌詞画」という文化はあった。……ように思う。筆者は確実に世代ではあるが、しかしそれらとの出会いはいいなあと思う歌詞を検索したら出てくる誰かが作った、確実にオリジナルでない(著作権がクリーンでない)何かであり、端的に言うと検索妨害だと感じていて、作ることはもちろんダウンロードしてみることもなかった。ただ、友人の中にはしばしば送ってくる連中もいた。スキマスイッチガラナとか、YUIのチェリーとか。うわ~~~。(高校時代を思い出してバタつく今年35歳)そういういかにもなハイスクールライフのおすそ分けの象徴として筆者の中にあったのである。
何の話かというとY2K新書の話なのである。作家・柚木麻子さん、振付演出家・竹中夏海さん、ディーバ・ゆっきゅんさんの語る「あの頃」はちょうどお姉さん組とゆっきゅんさんの狭間である筆者にとっていちいちピンポイントで聴いている間ずっとそう! そう! そう! という感じであり、無限にそれに絡めて思い出を語りたくなってしまうのだが、聴いてから一夜明けるととにかく面白かったが断片的にしか覚えていない、ということも多く、超高速のつむじ風のようなエンターテインメントだ。一回、相席食堂方式でY2K新書をかけながら引っかかるワードごとに止めて思い出したエピソードを綴っていくのも面白いかもしれない。2年くらいかかると思う。番組中では「歌詞画」という時代の徒花を自らの楽曲リリース時に復活させ、当時を思い出させた人々から嬌声というか悲鳴というかを引き出して見せたゆっきゅんさんによって語られるこの文化は番組中にもあるようにアンダーグラウンド(バキバキの著作権違反ですからね)ではあるものの、あの時の好きなものに対して何かしたいという衝動の一つではあったのだよな、としみじみしたし、自らも作成していたゆっきゅんさんはgimpを使われていたそうで、筆者の周りにはサークルカットを作るための用途でしか使われているのを見たことがなかったのでそういったカルチャーショックもあったりした。
open.spotify.com

そこで言及される木村カエラさんは筆者もばっちり鑑賞ししっかり地獄に落ちたPRODUCE101JAPANGIRLSの国民代表プロデューサーであり、該当番組の良心であった。番組終了後、どこかで総括記事のようなものを書こうと思っていたが、カエラさんのファイナル進出した練習生たちへの暖かい言葉に、これ以上足す言葉はなにもないな……と思って書かないことにしたのも大体半年前というから恐ろしい話だ。


sakusakuですよ! 

sakusaku…かつて深夜帯にOAされていた音楽情報番組で、鹿児島は息をするように「一部地域」だったので当然筆者は見ることが叶わなかったわけであるが、あるいはレンタルで、あるいはコツコツ小遣いを貯めて購入したCDをリッピングすると「sakusaku〇月エンディングテーマ」の注釈が入るもののなんと多かったことか! 筆者が愛聴したものだけでも、(以下Wikipediaより引用)
20002年
2月「愛のかけら☆恋のかけら」/つじあやの
2004年
4月「平凡」/オーノキヨフミ
7月「陽炎」/フジファブリック
11月「happiness!!!」/木村カエラ
2005年
4月「リルラ リルハ」/木村カエラ
9月「茜色の夕日」/フジファブリック
11月「ハナノユメ」/チャットモンチー
2006年
2月「ほんの少しだけ」/槇原敬之 feat.KURO from HOME MADE 家族
6月「ELECTRIC SUMMER」/Base Ball Bear
10月「キミは君★」/ナイス橋本
11月「シャングリラ」/チャットモンチー
2007年
6月「とび魚のバタフライ」/チャットモンチー
9月「パッション・フルーツ」/フジファブリック
2008年
1月「若者のすべて」/フジファブリック
9月「コノユビトマレ」/スガシカオ
10月「涙色フラストレーション」/monobright
12月「気まぐれロマンティック」/いきものがかり
(引用終り)
このそうそうたる楽曲、済まんがそのゼロ年代をしまってくれぬか、わしには少し強すぎる……と言った塩梅である。一度も見られたことがないが、この曲いいな、と筆者が思うといつも先んじてエンディングテーマにしている天沢聖司のような存在であった。

そんなsakusakuのMCを木村カエラさんがやっていたらしい…といううわさは聞いたことがあったので、リアルタイムの証言が聴けたのは牧場で感じたものとはまた違う感慨深さがあった。都市伝説が真実だったことを知ったような。

 

深淵を

覗くときまたこちらも深淵に覗かれているのだ……とさすがに擦られ過ぎて安易な引用が憚られる格言はさておき、すっかり習慣オリジンタビューを聴いたのであった。

open.spotify.com

話数タイトルが番組タイトルと同じという「オタクが好きなやつ」、リアルタイムであれば最終回かと身構えてしまうところであるが、まさに今BUMP回の収録が進んでいるところなのでご安心である。

構図が反転し明らかになるのは光太郎さんの誠実さ、ツナ缶さんの話の広げ方の巧みさであり、それだけに殿堂入り回がいまや電脳世界の海を漂っているのは1リスナーとして惜しさがある。ぞひ丸さんとのキン肉マン回は筆者も爆笑させていただいた思いがある。

しかし、このスタンスであればそれらをしのぐ傑作回が現れるのはそんなに先のことではないだろうという確信も生まれた回であった。

 

ふるさとのデパート

山形屋が危ないらしい。と言っても大多数の方にはなんのこっちゃと思われるかもしれないが、いまや鹿児島唯一の百貨店となった山形屋が巨額の負債を抱え、私的整理に移行するということであった。最近は店舗内に百均ショップやエディオンを誘致するなど、さまざま模索している様が感じ取れただけに筆者も忸怩たる思いがある。

またしても感慨シリーズであるが、よそ行きの服を着てよそ行きの服を買ってもらう場所であった山形屋に父母を連れて娘のファーストシューズを買いに行き、山形屋食堂でそろって昼食をとった時はようやくささやかながら親孝行ができた……と思ったものだ。

これからも鹿児島県民にとって大切な場所としてあり続けてもらいたい。そういう思いを込めて、絶賛開催中の「初夏の北海道物産展」に行ってきた。物産展という催しの中で異次元の売り上げを記録するという山形屋の北海道物産展だが、コロナ禍で大きくその規模を縮小しなければならない年が続いたのが経営に打撃を与えたのは間違いないだろう。

北の大地の味は濃厚で余韻が残る。娘にとっての山形屋の思い出もそうであってほしい。

ちなみにゴジラVSスペースゴジラでは当時の山形屋ゴジラに襲撃されている。(1時間5分くらいのところ。ちなみにその前のシーンで見切れる今はもうない映画館でこの映画を観たことは筆者の特撮好きとしてのささやかな誇りである)

ゴジラによる破壊後は開館当初のルネサンス様式が復元され、(1998年・平成10年改装)増床を繰り返して現在に至っている(たまに観光客の方が大正時代からずっと同じ建物だと思われていることがある)。もしかしたらこのゴジラによる被害が経営をじわじわと圧迫していたのかもしれない。ゴジラは責任をもってまた破壊しにやってきて、聖地化による観光特需に一役買ってもらいたい。

やっぱり一週間開いちゃった日記―カスタムと角栄

家庭

とんでもない強風で立体駐車場から車を出庫させようとするとあらゆる箇所のセンサーが反応して朝からビビーッとエラー音が鳴り響き、もう帰ろうかなと思ったが出勤した。これが大人になるということである。

翌日は昨日より早く起きて町内会の資源ごみ回収に尽力した。もともとそうであったが娘が生まれて以来さらに家でジュースやアルコールを摂取するということがなくなり、アルミ缶が全く貯まらないのだが市指定のごみ袋に捨てることが必須なので、こういう時に他の家庭のものとまとめて引き取ってもらったりする。

帰ると娘がぐずっており、そのまま身支度をして公園へと出かけた。父にはない高いコミュニケーション能力で2才上のお姉さんによく遊んでもらっているようだった。ただ、娘は何歳か聞かれた時に「さんさい!」と微妙にサバを読んでいた。大人に見られたい年頃なのかもしれない。

筆者はと言えば気がつけば35歳までのこり3ヶ月を切った。何とかそこまでに体重を減らしていきたい。

妻が起きだしてきたようであるので実に2時間半の公園での遊びをなおも継続せんとする娘のヤダヤダを抱きかかえながら車に乗せ、(最近シートベルトを潜り抜けようとするので冷や冷やする)妻と合流して図書館のち地域のイベントに参加した。昼食を調達しようとしていたが、近隣の小学校の吹奏楽が聴けてお得であった。

強風のためか娘が目当てにしていたソフトクリームは機械が故障していた。そんな娘を見かねて妻は自分のポテト&ミニバーガーをほとんど分け与えていた。筆者はと言えばその帰りに久々に三種のチーズ牛丼をメガ盛りで食べていた。痩せろ。

夜は妻が前回食した瓦そばと自らの幼少期の経験をもとに、自前で瓦そばを作ってくれた。値段は外食の1/4程度で大変おいしかった。また作ってほしいものである。

拝聴

open.spotify.com

オリジンタビュー:KAGASEKNIGHTさん(以下文中かがせさん)のオモチャのカスタム回を聴いた。たった(?)の4時間である。番組内でも言及があるがかがせさんは特に筆者と同世代のオタク必聴と言っても過言ではないリモコンラジオMCのお一人であり、(現在アキラさんが単独でされているリモコンラジオ・ハーフボイルドも最高!)いったんほかの番組に切り替えようと思っていたがその声と語り口についつい引き込まれ、内容の面白さも相まってまたもあっという間に時間が溶けていった。

open.spotify.com

stand.fm

かがせさんは筆者より少しお兄さんだと思うのだが、それだけにその歩んできたルートはわ…わかる~~!となっていくこの感覚、まさにリモコンラジオの延長線上であり、そのトークを引き出していく光光太郎さんの手腕も引き続き間違いがない。(光太郎さんのレゴ画像は筆者のTLの楽しみの一つでもある)


筆者もまた始まりはレゴ、「赤いバケツ」の中で「車の車輪」として使われている部分を、ロボットの肩関節として使えるのでは!?と思いついた時のあの興奮は忘れられない。今は専用パーツが沢山出来ていて、それも素晴らしいけれど、やはりレゴの楽しさ、素晴らしさの一つは「見立て」であると今も思っている。ダイヤブロックの球体関節が羨ましくて練り消しを使って悪魔合体したりした「しょっぱいカスタムオモチャ」のおもひでも蘇り、涙ぽろぽろである。輸入玩具ということもあり立派な値段がしたレゴ、それがお菓子売り場で買えることになった喜びと言ったらなかった。(当時のジャンプコミックス一巻分くらいしたけど)ありがとうKABAYAレゴ……。とはいえ買い食いはご法度であったのでスイミングスクールの帰りにスーパーに駆け込み、素早く購入してスイミングバッグに放り込み、帰宅したら素早く洗濯に汚れ物を放り込んだ後、スイミングバッグは洗濯機のそばの定位置にかけ、夕食後の風呂上りにそっと回収する……というスパイ大作戦みたいなことをしていたことも懐かしい。ゴミは公園のごみ箱に捨てていた(今は無いんだよなあ。時代)なんかミルクみたいな匂いのラムネ、おいしくなかったなァ……(後年久々に買ったら改良されていた)とはいえ筆者においてもまた、レゴというものがあらゆる知見を広めてくれたことには疑いがない。あの頃、デパートのおもちゃ売り場に行ってレゴのカタログをもらうとワクワクしたものである。初めて大人のレゴに手を出したのもスターウォーズのドロイドで、これまた奇妙な符号を感じてしまう。


かがせさんは最近「スター・ウォーズ第一作」をついに劇場で鑑賞されていたことの熱気あふれるツイートやスペースは記憶に新しいが、筆者もまた「新三部作」のはじめ、ファントム・メナスを親子で見に行った。コロコロのコミカライズも夢中で読み、ノベライズも読んだ。しかし、そこから旧三部作へは派生していかず、(たぶん一回は通してみているはずなのだが)筆者は小学校の図書室にあったオリジナル展開のジュブナイルを読みふけった。(君は知っているか? パルパティーンの息子・トライオクユーラスを!)この辺りに光のオタクになりきれない自分が象徴されている気がしなくもない。

そんな筆者が中学校に上がり、そこで出会ってもう「おしまい」になってしまったのが仮面ライダー龍騎であったのはこのブログにも何度か書いてきた。そして、当時のインターネットには○○サバイブのカスタムオモチャがあふれており、これこそが筆者が「カスタムオモチャ」という文化を深く尊敬するに至るきっかけであったように思う。既存のソフビや装着変身に手を入れ、設定が、想像が、願望が形になっていく興奮……それは制作過程随時アップがあったりもし、筆者をますますミラーワールドに捉えていった原因であった。
「素体」というものの存在も初めて知ったが、オモチャをカスタムするまでには至らなかった……思えばミニ四駆もマーカーを買ったものの怖気づいて塗ることが出来ず図工の時間に使うくらいで(金や銀のマーカーは小学生に大人気だった)ガンプラも素組ばかりである。自らのセンスや不器用さを言い訳にしてきたが、それは楽しみを損なってはいなかったか……。そういった自問をさせられもした。
しかし一方で筆者は「いいんだよ」と過去の自分に声をかけてもあげたい。その状態は間違いなく100%なのだと。例えばポケモンシリーズは対戦ツールとしても非常に人気を博しているけれども、ストーリーを楽しむことができればそれで満点であり、その後の対人戦を楽しめたらそれは110点、120点…の楽しみとなるように、カスタムもまた、あくまでプラスアルファの楽しみであり、あなたは過去のオモチャを100%楽しめたのだと。

けれど、ラジオの中で語られるかがせさんの「オレ流テクニック」を活用すれば、例えば実家に眠っているオモチャに娘が興味を示したとき、よりディテールアップした姿で継承させることが出来るかもしれない、あわよくば、「パパってすごい」というリスペクトを獲得できるかもしれない……そういった下心も鎌首をもたげてくるのだった。同様にラジオの中であったメイク道具に関して妻が娘の尊崇を一身に集めている現状があるので、余計にである。(キッズネイルを塗ってもらってうっとりしている)

nippper.com

しかしラジオの中で教えてもらったニッパードットコムは抜群にいい。特に上記の記事が良かった。過去のオモチャを労わりつつ、未来のオモチャへの可能性を与えてくれたオリジンタビューに感謝である。

 

拝読

佐藤あつ子著「昭 田中角栄と生きた女」を読んだ。筆者の愛読書の一つとして「大宰相」があることは繰り返し述べてきたが(とうとう中曽根康弘氏も泉下に没してしまった)これは全く史実通りということではなく、特に序盤は架空の人物、半架空の人物もおり、そして作者の史観――語り口によって読者が受ける印象にもバイアスがかかっている。とみにゴルゴでおなじみあのさいとう・たかをプロの作品であるから劇画調の人物がにやり企み顔をするとまさにゴルゴにドゥガーンと眉間をぶち抜かれても仕方なさそうな悪徳政治家に見えてくるものだが、歴史は必ずしもその人物をそう評していなかったりもする。
そういった「デフォルメ」の最たる人物が田中角栄であった。
「大宰相」の原作、小説吉田学校の作者・戸川猪佐武氏は親田中であり、解説を書いた早坂茂三氏は田中角栄の秘書であったからやはりそういうバイアスがかかっている。そうなると別の光が当たった田中角栄という人を見てみたくなり、この本を手に取った。もはやそれ自体が歴史となった「田中角栄ブーム」の巻き起こった2016年の角栄の語られ方はカリスマ重視、半ば神格化されていたが、2012年出版のこちらはナマな角栄が顔を出す。
「寂しき越山会の女王」としてマスコミに取り上げられた田中角栄の腹心にして愛人、佐藤昭(のち昭子)。著者・佐藤あつ子氏はその二人の間の子とされる(田中角栄から認知はされておらず、また遺伝子鑑定なども行っていない)著者曰くおとぎ話のような世界に生きていた幼少時代、欲さずとも大人たちがかしづき、何もかもが手に入る――から、自分の母とのスキャンダルが起因となっての角栄の失脚、それに呼応するかのように彷徨する著者……。
本文では田中角栄の細やかさ、豪放さという相反する長所が随所に見られ、認知はできずとも良き父であろうとしたのだな……と思っていたらさらっと別の愛人の話が出てきてズッコケてしまう。郵政大臣だった角栄が著者に度々プレゼントしていた希少な郵便切手シートもそちらの愛人の子もばっちりもらっていたらしく、角栄、溺愛の仕方がワンパターンしかないのか。 多分真紀子にもあげていることだろう。
しかし別の愛人の子とはっきり違うのは、向こうは男児であり、認知されていた。あるとき角栄は郷里より実父を呼び寄せ、本宅にてその「息子」を抱っこさせたという。その場にいた当時11歳の真紀子氏は号泣したそうだ。そりゃそうだ。角栄ほど人間の機微が分かっていたはずの男がなぜこんなことをしでかしたのか、それほど政治家にとって跡継ぎというのは目を曇らせるものなのかもしれない。
平成元年生まれの筆者の記憶にある田中真紀子という人はビシビシガンガン歯に衣着せぬおばちゃんという感じであったが、忙しい父親との貴重な団欒の時間にこんなことをされた小学生のお嬢さんだった頃があるのだと思うと何とも言えない気持ちになる。著者にとっての真紀子氏は優しい笑顔の印象というから、やはりマスメディアに筆者も知らぬうちに色々と刷り込まれていたのかもしれないと思った。
面白いのは先ほどの大宰相解説を書いた早坂茂三氏は彼の話を読むと角栄一の子分であり懐刀みたいな感じなのだが、著者によるとマスコミ担当に過ぎず、それも高圧的な態度が不興を買って著者の母、佐藤昭の方に陳情に来る人も多かったという。資料を多面的に当たる必要性を痛感させられるエピソードである。
これが面白くなかったのかもう一人の秘書と組んで佐藤昭追放嘆願とでもいうことを早坂は角栄に行うのだが、それは容れられることはなく、もう一人の秘書は田中事務所を去った。ただ、結論から言えばまさにそこが田中政権の命取りになったのだから二人は正しかったと著者は記してもいる。
ちなみに角栄が倒れた後、佐藤昭も早坂茂三も仲良く田中真紀子氏に放逐されることになる。

読了して思うのは角栄、昭、そして著者であるあつ子氏の情愛の深さである。真実は知らず、その点において確かに彼女は角栄の娘なのだと思わせるものがあった。巻末には角栄政権を倒したもう一つの記事、「田中角栄研究―その金脈と人脈」を著した立花隆氏(この方も鬼籍に入られてしまった)との対談があり、そこには父を倒した怨敵という雰囲気はなく、歳月を感じさせた。

図書館に返却する際、田中角栄の書生さんと田中真紀子氏が著した本、戸川猪佐武氏著「昭和の宰相」田中角栄大平正芳政権の7巻があったので入れ替わりに借りた。もう少し、田中角栄の周辺を色々な目で見てみたい。

13日の月曜日だからなんなんだ日記

今週のお題「ラジオ」

日記

割とサクサク淡々と書いていくのは性に合っていたので毎日続けられるかも、と思っていたのだが、日々をそのまま綴っていくと筆者本人はともかく所属組織や娘の幼稚園までつまびらかになってしまう恐れがあると気づいた。(今更ながら娘の誕生日ももうちょっとぼかせばよかったかな~と思ったりするがあの時リアルタイムでお祝いいただいたことはやはり無二であったので、これはまあいいか)嘘をつくのがあまり得意でないたちなので、その時は多少日付や場所をぼかせたりしたとしても後から参照する際に(後から参照するのがブログという外部思い出スクラップ装置に綴ることの利点である)整合性が出てこなかったりするとみっともない。そんな感じで日記というよりはもう少し長いスパンで、しかし週報までするとあれもこれもと思ううちに結局どれも抱え込んでしまう今までの過ちをまた繰り返しそうでもあるので、まあ、いい感じのペースで続けていきたいですね。


この手法の先駆者と言えばもちろん敬愛するでごさんであり、またでごさんが「日記」を記す際に紹介されていた動画も大変含蓄溢れるものであった。本当はワントピックをすいすいと書けるとまあスマートで素敵、ということになるとおもうのだが、このすいすいの極意になかなか至ることが出来ない。

dego98.hatenablog.com

youtu.be

note.com

あと個人的には古賀及子さんといえばこのエッセイがたまらない。段々とペースを速めていき、最後に、ト、と着地する。鮮やかだ。

家族

この間も娘はトイトレを頑張っている。幼稚園でもやっていきましょう! ということで、早速「トイトレ開始はまずここから!」みたいな厚手のパンツを子育て応援西松屋が提案してくれていたので購入して持たせたのだが、幾日かして、連絡ノートには「分厚いとした後も気づきにくいので最初から薄手でやってみましょう!」と先生からご提案頂き、妻が病み上がりの体をおして、娘と共にそういうパンツを買ってくれた。

筆者が買った厚手のものよりだいぶ「女の子のパンツ」という感じで、筆者一人で買うには少し勇気がいるものだった。妻に感謝である。こういうタイプのパンツは幼稚園では「おにいさん・おねえさんパンツ」と呼ばれ、憧れの的となっているらしく、娘のモチベーションも上がったようであった。しかし幼稚園で身につけた社会性が裏目に出てか、お友達が先にトイレに行っていると娘は遠慮してしまうらしく、苦戦が続いている。家では夕食・入浴後はオムツで、声掛けはしてみるが、なかなかトイレには行きたがらない。最近はコトが終わった後は報告してくれるようになり、一歩前進ではあるが。


母の日には去年に引き続き、カーネーションを贈った。朝、(まだ寝ている妻を起こさないように小声で)「ママに、カーネーション、あげる…!」と決意の言葉をつぶやく娘のかわいらしさと言ったらない。当日はかなりの雨であったが、午前のうちに家を出て、妻にささやかな休日を送った。実家で過ごすことで孫との触れ合いを設け、ささやかな実母への孝行もした。天真爛漫な娘の心が我が家と実家を照らしたことであろう。

鑑賞

open.spotify.com

オリジンタビュー:ガンダム00を聴き終わった。凄まじいボリューム(だいたい7時間!)、しかしここまで語り下ろしてもまだまだお二人の「00トーク」が聴きたいと思わせる濃厚さ、さすがだった。筆者は00の登場人物のなかでグラハムがとても好きで、いつの間にか年上になってしまった。ともすれば良質なロボットアニメになりそうなところを(悪いみたいに言うなよな)グラハムがいることで強烈に「ガンダム」になる、その塩梅がたまらない。
無理矢理な分類をするとファーストシーズンはロボットアニメとしてよく、セカンドシーズンはガンダムアニメとしてよい、などというと古強者の皆様にボコボコにされそうなので深く言及は避けるが、しかし我慢弱く人の話を聞かない、空気を読まない男がこの対話を至上とするガンダムにおいてライバルとして、「仮面の男」として現れ、そして最終的にはガンダムを駆るに至るというその軌跡をもって筆者は主人公たちの来し方と同様にこの作品において「ガンダム」とはなんであるかということを示しているように思えてならないのである。――というこの早口の数々は単に筆者の00への偏愛でしかなく、実際この作品をどのように2人が語られたかというのは是非自らの耳で確かめていただきたい。

単純にお2人とも声がよろしいこともありこの一週間の通勤時間は大変贅沢な時間だった。Spotifyならではの堂々と著作権を遵守して曲を引用できる編集もとても良い。UNKNOWNのかけ方が天才過ぎた。筆者も当時は日々追いかけて視聴する――という感じではなく、周辺の極度にガンダムを愛するお兄さんたちの話を聞きながら、時にリアルタイム、時に録画、時に感想まとめサイトで見た気になる(よくない!)……と野放図な大学生らしい視聴姿勢であったので、居住まいを正してしっかりと全話視聴してみたいものである。長いが決して冗長ではない、音声だけで絵が浮かぶような、手に汗握るような体験だった。コロナ禍でつまみ食いした時も予告まで意識していなかったのに、オリジンタビューによれば鮭を頼んで皮を食べないような言語道断の振る舞いだったようだ。娘の興味ベクトルがガンダムになんとか向かないものだろうか……。

しかし、2人とも体力も精神力も凄すぎる。超兵なのかもしれない。

聴いている間にためてしまった「Y2K新書」に追いついたら、また別のエピソードを拝聴したい。まさにお題の通り「最近聴いたラジオ」としてばっちりのPodcastだった。

創作

創作というほどでもないけれど、ツイートで参加できるやつに参加してみました。「落とす」のではなく、憑き物を「憑ける」感じにするのが正しいのだと思うのだけど、どうしても一回落ちというか、話を切ろうとしてしまって、あんまりよくなかったな、と反省。

 

 

5/7 急加速の業務

家庭

連休前無念のおやすみだった娘はさぞ暴れ散らかすだろうと思っていたが大変お利口で給食もおいしいおいしいとしっかり完食したとのことだった。ただ相変わらず園では37℃台を出すので油断ならない。Coolにいこうぜ。園の方でもトイトレを本格的に始めるということで、応援していきたい。

平日であったので妻はやっと診療を受けることが出来、処方薬をゲットできていた。養生して欲しいが妻子の合作でおいしい海鮮チャーハンを作ってくれていた。感謝。

仕事

さて再びの仕事である。いや、本当に仕事だろうか? そもそも筆者はGW前に本当に働いていただろうか? 野山に交じり、竹を取りつつ、よろづのことにつかひけりしていなかっただろうか? そういった似非懐疑主義も空しく、諸々を考慮していつもより早く出勤した。待ちかねていたかのようにイレギュラーが降り注ぎ、サンパチマイクの前に立っていたらもうええわやめさせてもらいますで一礼するところだが、そうもいかないのが辛いところである。ひとまずあらゆるボールを投げて退勤したが、業務という坂道を転げまわってより加速して迫ってきている音が後ろからしているように思えてならない。

鑑賞

open.spotify.com

ボリュームがすごすぎて尻込みしていた光光太郎さんのオリジンタビュー「機動戦士ガンダム00」を聴き始める。筆者が娘を寝かしつけるころ収録スペースがはじまり、寝落ちしてド深夜に起きたら一切テンションが落ちずむしろ加速していたワンマンアーミー・虎賀れんとさんゲスト回である。迸る熱いパトスとクールな分析が同居した感想&考察記事で名高いれんとさんだが、むしろブログという形態はまだ「抑えて」いたことがわかりまだ序盤(40分)(序盤…?)だが大変面白い。Ryoさんの「あなたとトクサツ」もそうだが、人のオリジンを聴くのはとても楽しい。一つの作品があってもそれぞれの置かれた環境やタイミングで全く違う輝きを放ったり、あるいはそれでも不変のものが立ち現われたりする、その妙がよい。光太郎さんはこのタイミングで再度しっかり視聴されたということだが、あのぐだぐだ紛争劇(褒めてます)が嫌な方向にリアルさを増しているということに暗澹たる気持ちになりながらも、この物語を知った人間だから出来ることがあると信じたい。

shonenjumpplus.com

信頼するフォロワーが薦めていたので読んでみた。最初でかなり食らってしまったがその後はどんどん面白くなってきている。公式切り抜き機能もいつの間にか実装されており、活用したいのだがうまくいかない。今は4話まで読んだ。

5/6 連休最終日、雨の自宅で世界旅行。

家族

連休最終日であるが、家族全員どこかしら調子がよくない。昨日までの「さあ行楽にお出かけなさい」という天気はどこへやら、高速やJRが止まるレベルの雨が降っていたのも関係しているだろう。昼前にどうにかしとしと降りとなったので、外で昼食を食べたいと繰り出すが、個人経営店は日曜日まで頑張って今日はお休み、というところも多く、そのためそうでないところは一層混むというありさまでなかなかありつけない。最後に寄ったお店がちょうど団体さんが出たところで、瓦そばにありつくことが出来た。

下関の味、とあるから店主はそこの方なのかもしれない、懐かしい中国地方の語り口に嬉しくなった。そばのパリパリとモチモチの塩梅は広島お好み焼きがそうであるように一人一派的な好みがあると思うが、筆者はこれくらいでちょうどよかった。写真は三人前なのだが、ただでさえおいしいのに空腹という最高のスパイスも相まって一瞬でなくなった。たぶん筆者一人でもぺろりと食べられるであろう。

帰路、賢い妻は祝日であれ図書館の本の返却日であることを忘れていなかったので図書館に寄った。筆者は引っ越してきて以来で、館内掲示に「税金で買った本」のものがあってンフフとマスクの奥でオタクらしい笑いを浮かべた。もうすぐ11巻発売である。

折角なので自分の図書カードを作ることにし、本を3冊借りた。電子書籍やブログ他電脳テキストも素晴らしいが、やはり手に取られるのをけなげに待っている書架に並んだ本たちのタイトルをゆっくり眺めるときの楽しさというのは他に代替が効かない。

読書

そういう訳でさくらももこ著「世界あっちこっちめぐり」を読んだ。確か小学校三年生くらいで母親が図書館から借りてきたのを夢中で読み、小学校の図書室で「もものかんづめ」と「ももこのしゃべりことば」を読んで、中学校の図書室には「さるのこしかけ」と「たいのおかしら」もあったので狂喜乱舞した覚えがある。「世界あっちこっちめぐり」もあったので自分でも借りて読んだ。長じて大学に進学してからも購入し、鹿児島に戻る際に人に譲った。

さくらももこ先生を偲んで手元に置いておこう……。とKindleで探したとき、電子書籍では取扱いがなく、残念だった。他エッセイはあるので権利がいろいろややこしいのかもしれない。ということで人生何度目かの再読なのだが、細部を忘れているのもありやっぱり面白い。今の規範に当てはめるとちょっとという部分があるかもしれないが、語り口が名刀のようにスパスパとしていることもあってそこまで気にならなかった。さくらももこ先生はもとより父ヒロシももうこの世の人ではないんだよなァ……夫とも離婚しているんだよなァ……この息子君ももう三十路なんだなァ……。と読みながらぽつぽつ湧き上がってきたりもする。

筆者がこのエッセイで心に残っているのは特に「ガウディ」「ナシゴレン」「ピエールラニエ」で、今回もそうだった初めて読んで以来、サグラダファミリアは筆者にとってあこがれの建物であり続けている。このエッセイの写真のキャプションでも「完成は無理という声もある」と言われ続け、こまっしゃくれたガキの頃には「サグラダファミリアが完成しちゃったらサ、サグラダファミリアじゃねえジャン 建築を続けること自体が祈りなんだからサ……」みたいなことを思ったりしないでもなかったが、完成すると聞いてしまうとその前に一回行きたいなァという気持ちになる。当たり前だが完成すると以降はずっと完成したままであり、建築が続いていた状態はとても長かったけれど過去になる。「あのサグラダファミリアをじいちゃんはまだ建築中に見たんだぞ」「ええっすげえやじいちゃん その頃ってニンジャはまだいた?」「少しな」みたいな話をしてみたいという欲がふつふつと湧き上がってくるというものである。

グエル公園はガウディがデザインした住居だったが入居希望者は2組しかいなかった……しかもその内1組はガウディというエピソードが筆者はとても好きなのだが(そんな挿絵はないが顔にタテ線が入っているガウディがありありと浮かぶ)今回調べてみたらもう一組は公園に名を冠されているガウディの支援者グエル伯爵その人であったらしく、完全に身内じゃねーか! とますます好きになってしまった。モザイクのトカゲ、凄く好きだけどなあ。

ナシゴレンは毎日これでもいいとさくらももこさんが絶賛していた料理で、いいなァいいなァと言っていたら母が作ってくれたような覚えがある。やはりおいしかった。勝手にハワイの料理だと思っていたがバリ島の料理だった。なんか南国、くらいの筆者の雑な記憶力がよくわかる。バリ島の画家へ向けるさくらももこさんの敬意とぬくもりが伝わってくる筆致がじんわりと沁みた。

ピエールラニエもまた、この本で読んでからずっとあこがれの存在なのだがものすごく今更さくらももこさんとのコラボモデルがあったことを知った。分かっていたからと言って買えたとも思えないが、ちょっぴり後悔している。
単純なものでネクスト・イン・ファッションを見た後はファッションに興味が出るし、「世界あっちこっちめぐり」を読んだ後はどこか遠くへ行きたくなってしまう。夫婦で目論んでいた台湾旅行がコロナで吹っ飛んでしまったので、娘がもう少し大きくなったらまた企んでもいいかもしれない。

鑑賞

ネクスト・イン・ファッション

その「ネクスト・イン・ファッション」を完走した。決勝戦のテーマは「コレクション」。残った出場者はそれぞれ自分が設定したコンセプトに沿った8つの衣服を作成し、ランウェイを彩る。筆者のサバ番好き、リアリティ番組好きの原点ともいえる将太の寿司の最終課題が一人前の寿司であることを彷彿とさせるではないか。寿司のおまかせがそうであるように、相手――モデルや審査員に気を配りながら、自分の人生をランウェイに紡いでいく――そして締めの一品ならぬランウェイのトリはまさにそれぞれの人生の集大成であり、随所に家族の絆も挟まれ完全に将太の寿司である。

充実した鑑賞体験だった。折しも明日はメットガラ、きらびやかなステージに圧倒されながら、そこに至るまでの道中を思い呆然としたい。

BLUEGIANT

妻子が起きてくるまで「BLUEGIANT」を見進めた。娘は寝室で妻と寝たので、今のテレビで再生だ。頼むぞ、この作品とスラムダンクのためにスピーカーをドルビーアトモス対応にしたのだから。

奇しくも雨のシーン。今日におあつらえ向きな曲がかかり、その豊かさはスマホのスピーカーをしのいで大満足である。ご機嫌なセッションもいい。その中でピアノを弾くサワベユキノリは主人公、ダイに組むことを持ち掛けられる。

サワベユキノリの筆者の目線は同じだ、さあ、お前はどうなんだ、見せてみろ、聴かせてみろ――。

極上のスープは一口含んだだけでそこに含まれた豊かな食材を思い起こさせるという。映画版「BLUEGIANT」は原作で言えば第二部にあたるらしく、仙台でのダイのそれまでを筆者は知らない、知らないが、ここに至るまで彼がどれほどひたむきにサックスに向き合ってきたのか、その一端に触れられたような気がした。筆者よりはるかに素養のあるサワベユキノリの気持ちたるやいかほどか。

ここで娘が起きてきて、「かまらい」を見たいと熱望するため、中断。早く続きを見たい。

仮面ライダーガッチャ―ド

「かまらい」は「仮面ライダーガッチャ―ド」であった。幼稚園のお友達がグッズを持っているのかもしれない。パワハラ事件以降、情熱をもってシリーズを追うということは出来ていないが、娘と一緒に見た話は一応リアタイした第一話よりは大分見やすくなっていた。主要キャストの皆さんの顔つきが明らかに初回より凛々しくなっているのは一年間は知り続ける現場に若手さんが飛び込むことの醍醐味であるなあと思う。

「おねえさんのかまらいは?」と事情通の娘が言うので、恐らくそういうことになるのだろう。筆者は遠い日の新番組仮面ライダー555番組予告で流れまくった園田真理の「変身!」を思い浮かべ、平成は遠くになりにけりである、と思わざるを得なかった。

5/5 こどもの日に夫婦でデ~トをする

家族

連休中一回くらい娘と離れて妻を「母」から「妻」にウェイトを移してもらった方がいいだろう、ということを考え、また実家方向から孫への「飢え」の波動も感じ取ったため、両親に娘を預けて妻とデ~トに勤しむことにした。

まずは17ZUMAカレー。限定30皿のGW限定カレーを妻が前日に取り置きを依頼してくれていた。スパイスの構成は複雑で筆者のような人間がうまく説明することは難しいが、辛ウマという言葉に押し込めるにはこのおいしさの奔流はすさまじすぎる。華麗な盛り付けだが混ぜることによってその味は更にすさまじい相乗効果を生み出していた。ああ、無くなってしまう……と惜しみながら、ルーを後生大事に掬って食べた。

デ~トというものは何も四六時中ベッタリしているものではなく、食後筆者は散髪に、妻は中心街にしか置いていないようなコスメの行脚に出かけた。三月末の県外への外出時に(これもなかなかまとめる機会がない)妻と娘はばっちり美容院でますます可愛くなって都会ガールたちとも全く遜色ない状態で臨んだわけであるが、おりしも年度末、三人分の予約はとれず、筆者は県外にて「なんてもっさりした田舎者なんだ」という評判を不本意ながら獲得することになってしまった。そのまま年度初めの濁流に巻き込まれ、ようやくこのタイミングで予約が取れたことが、デ~トの発端の一つであった。(休日の娘を妻一人で見るのは大変な負担が伴うため)親子三人で美容室で髪を切ってもらう時は娘を見ていたり、妻と美容師さんの会話をぼんやり聞いたりしているので、久しぶりに美容師さんと自分個人と対話をしたのが新鮮だった。単独で髪を切るのってたぶん8年ぶりくらいではなかろうか。気持ちと頭と財布を軽くして待ち合わせ場所に向かう。

合流先はレブナイズカフェである。B3昇格を賭けた福井ブロ―ウィンズとの戦い、今シーズンから参戦した超新星福井ブロ―ウィンズはシーズン1位の勢いのまま、昨日の第一戦もまさに吹き荒れて、レブナイズは悔しい負けを喫していた。アウェイではあるがこのような応援イベントを開催してくれたのでにわかブースター(バスケではサポーターのことをこう言う)である我々もありがたく参加した。娘もファンなのでその分も背負って応援したつもりである。

試合は1Q立ち上がりに苦戦するが1点差まで詰め、2Q早々の猛追に大興奮したものの福井もギアを上げ、20点差をつけられてしまう。しかし選手もブースターもあきらめず、後半粘りを見せるが残念ながら敗北となってしまった。

B2での戦いも苦しいものとなるだろうが、来シーズンも応援して少しでも選手の後押しが出来たらと思う。機会があれば遠征してみたい。準優勝おめでとうございます。

広島に暮らしていた頃、プロスポーツチームの試合があるとき、街がそのカラーに染まるのがとても羨ましかったので、こういう風景を鹿児島で見るとなんともうれしい。

娘を引き取り帰宅すると、車内でぐっすりだった娘はチャージ完了と言った感じで大変元気だったが、好きなだけ暴れなさい、父が相手をしてあげよう、というゆとりが持てるのが連休の有難いところである。

鑑賞

かねてから見たいと思っていた「BLUEGIANT」のさわりだけ見た。なにやら最近傑作の呼び声高い作品に「ブルー」はよく入っているような気がし、便乗してカナタガタリblueにでもタイトル替えようかな、という気分にもなる。

恐らくテン年代の仙台から青年が旅立っていく。ハイキュー!!もそうだし、なんだか最近あのあたりに縁がある。旅立つ彼はJR高速バスに乗り、取り出すスマホはかつて筆者が愛用していたメディアスで、それだけでもう胸がいっぱいになってしまう。辿り着く先は新宿バスタだ。2016年開業のそれは筆者の就活には間に合わず、JR高速バスはともかく、就活後半、資金がますます厳しくなって利用した格安高速バスは非常にグレーな場所に駐車していて慌てて乗り込んだりした、あの頃のことを思い出した。

可能性を胸に秘め、野心に燃えていたあの頃の自分を重ねてしみじみしていると娘が起きてきて「たまごの実験」動画を見るために中断したが、早く続きが見たい。

ネクスト・イン・ファッション」の続きも妻と見た。白鳥は美しい姿を見せるために水面下で激しく足を動かしている……というのはデマ…という話もあるがとにかく比喩として、デザイナーたちもそれは例外ではない。スポットライトを浴びるまでに様々な挫折があり、喪失があり、それでも、あるいはそれだからこそ、ハイ・ファッションという戦場へ飛び込んでいく。スマートな男性デザイナーの幼少時の写真はかわいらしい女の子だったり、女性デザイナーが紹介する「愛するパートナー」がまた女性であったり、母子家庭の出身、自身がシングルマザー……そういった「多様性」がセンセーショナルに扱われるのではなく、今のあなたは素晴らしいねと受け止める姿勢はシーズン1からとても好きなところだ。いよいよ残すは準決勝、決勝のみとなった。最後まで見届けたい。