カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

もういない義祖父とあり続ける余震

 

コロナ禍直前に撮影した広島駅前の地下街エールエール。折り鶴が舞う。

2026年7月28日に熊本県を震源として発生した大規模な地震により、お亡くなりになられた方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、ご遺族の皆様に心よりお悔やみを申し上げます。合わせて、被災されたすべての皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

週末かつ月末が金曜日という鉄火場で様々な業務の対応をする中、唐突にそれはやってきた。
音というのは全くほとんど魔法のようだといつも思う。空気の振動が、こんなにも感情を揺さぶる。
職場であらゆる端末から、緊急地震速報が鳴り響いた。それが早いか、、ゆさゆさと揺れる。いやな揺れ方だ。強く、長い。
避難誘導をしながら、待合室でもテレビから不穏な音が鳴り響いて耳に殴りこんでくる。すわ第二波と思いきや、先ほどまでの揺れの警報が地デジ放送のラグによって遅れて知らされたものだった。と、思いきや、やはり揺れもあった。

熊本で震度7。当地では震度5強。幸い取り立てて何か壊れたり崩れたり落ちてきたりということはなく、余震が続く中、なんだかずっと揺れているような気分のまま粛々と退勤した。帰路、みんな同じことを考えるようでガソリンスタンドは混んでいていつもより給油にだいぶ時間を要した。段々と明らかになる被害状況に心が痛んだ。つい先週、4歳児と弾丸で駆け抜けた高速道路の無残な姿に人の生死というのは本当に時の運だと感じた。

帰宅後、メイトが日頃から備えてくれている水など防災用品の確認をしていると、当人から声をかけられた。
「ひいじいじが亡くなった」
と。我が家はすっかり子ども主体で何事も動くようになることができたのかなってしまったのか、それはわからないがともかく親等も子どもを基準に考えるので、この場合の「ひいじいじ」とは子どもたちにとっての曽祖父、つまりメイトにとっての祖父であり筆者の義祖父であった。とっさに声が出なかった。
どうしようか――と言いかけて、飲み込んだ。どうしようもない。メイトの実家は広島で、今は新幹線も高速も機能不全の状態にあり、広島の空港から実家まではほとんど広島の端から端である(というか広島空港のアクセスがあまりに悪すぎる)しそもそも直通便がない。
「実家には帰れないことは言ってあるから」
既に筆者が考えるような逡巡は越えて、メイトはそのような結論を出してくれていた。もっとも縁が近い人間がそういうのであれば、無理強いをすることはない。義祖父を送ることにまつわる事務的な話をいくつかして、我々は床に就いた。ボリュームのある1日だった。

と思ったらまた揺れた。結局その日は夜中に3回ほど目覚めた。不思議と1歳児の夜泣きと連動しているようだった。何か地震の予兆のようなものを小さいときは敏感に感じ取るのかもしれない。深夜4時、夜泣きを鎮めるためにゆらゆら揺れていると果たして今地面はどうなっているのかわからなくなってくる。心なしか1歳児も寝つきが悪いような気がする。確かに揺れてビックリして起きたとするならその上でなんかデカいのに抱えられて更に揺らされると「なんだこいつ」と思うかもしれない。肩にかつぐように抱っこして反対の手で頭をなでているうちにようやく寝てくれた。すっかり汗をかいたので洗面所に行こうとしたときにまた揺れて、1歳児は泣く。どっと疲労が押し寄せるが、それでも寝床があり、オムツがあり、ミルクがある。子の泣き声と周囲を隔ててくれる壁がある。冷房が効いている。それらすべてがない状況にすぐ隣の県でこの子の同期は直面しているかもしれないと思うと、叫びたいような恐ろしさがある。どうにか2時間ほど寝て、出勤した。

念のため書いておきますが運転中には撮影しておりません

高速道路が寸断されており下道が混むのではといつもより早く出たが、そこまでではなかった。高速そばの電光掲示板には見慣れたICの横に災害にて通行不可の文字。自分の通勤経路には特に隆起などもなかったが、すでに最寄りの物流は断末魔を上げていた。勤務先にも入荷未定のものが散見され、今日入荷しないということでリスケ、それによってその先もリスケ……と玉突き事故のようなパズルゲームのようなやりくりに忙殺されながら、本来の月末業務をする。月末が金曜日だったのでかえって諦めもついたのはせめてもの神の恩寵だったのか。電話している間にも余震があり、電話先と「揺れました?」「揺れましたねえ」と通常起こらない心理的距離の詰め方をしたりした。

ようやくひと段落して休憩に入ると、ニュース画面からひどくゆがんだJRのレールが目に入った。
「鹿児島はねええらい遠いなあ思うたもんでしたよ」
初めて義祖父とお会いした時、そのような話になった。義祖父は教師だった。修学旅行が鹿児島になり、引率をしたことがあるのだという。九州新幹線などはるか昔、普通列車の旅。かつてリレーつばめを挟んでの広島―鹿児島間4時間の旅も結構堪えたものだったが、果たして義祖父の時はどれくらい時間がかかったのかもちょっと想像がつかない。桜島の話、西郷隆盛像の話……義祖父の四半世紀以上前の記憶の引き出しから筆者が共感できるような話を取り出そうとしてくれる姿勢がありがたかった。

蓬髪の文字通りの好々爺という感じの方で、目元がメイトに似ていたが、不思議なことに義祖母とも似ており、長年の伴侶というのはやはり似てくるのだろうか……というのが初めの印象だった。書斎には本が唸り、80を過ぎてなお文芸誌を購読されていた。文学青年の端くれとして緊張しながらも色々な話をした。話している間ずっと笑顔を絶やさずいてくれ、どうにか「実家挨拶」というミッションをこなせただろうか――心中胸をなでおろした。
最後の最後、見送ってくださろうとしたとき、今まで見たこともない鋭い顔つきをされた。おそらく筆者が見ていたのも気づいていなかったろう。目線の先には新聞があり、子どもが痛ましい被害に遭ったという見出しがあった。そこに筆者は人生の大部分を教育に捧げた人の「子どもたちを守らねばならないという教育者の顔」を見て静かに感動した。

入籍ということになり両家顔合わせの席も義祖父のかつての教え子さんが経営されているお店だった。美味しさにわが一族は家族の絆どころか相争って皿の奪い合いに発展しかねない状態であったが、両親ともに義祖父を尊敬のまなざしで見つめているのが小籠包への欲望で目が曇った筆者からしてもわかった。

父は大学時代に、母に至っては小学生の時、それぞれの実父を失っている。お互い特に親戚づきあいによってひと世代早く、様々な社会的行事をこなしてきたことだろう。そんな二人にとって度量深い義祖父と縁ができたことは嬉しいことであったに違いない。

筆者も例外ではなかった。父母それぞれの父が二人が出会う前に鬼籍に入っているということは、当然筆者が生まれた時に血の繋がった「じいちゃん」は既にこの世になく、関係者からエピソードを聞くだけだった。さすがに声に出して言ったことはなかったが、おじいちゃんが欲しかった。お兄ちゃんの次くらいに。結婚してよかったということは色々あるが、「じいちゃんができた」というのは最上位と言っていい筆者にとってよかったことだった。(であればこそ、そもそも婚姻というものがたまたま筆者が異性愛者であるが故に享受できたメリットであることを既得権益者としてずっと考え改善していかなくてはならない)

思い返せば義祖父と直接会ったのは両手で数え切る程度で、しかしメイトと伴走し始めて10年、きわめてよく知っているように思えるのはメイトがよく彼の話をしてくれたからだろう。共有してくれたエピソードの中で特に好きなのは激動の広島を駆け抜けた生粋の阪神ファンであったということ。そんなことあるんだ。(義祖母はお手本のようなカープファン)欠かさずつけている日記は基本的に阪神の戦績表のような形だったが、メイトが生まれた日はその喜びだけが綴られていたこと。のらくろの同人誌を作っていたということで筆者としてはメイトのウスイホンクリエイターとしてのDNAを感じ取ったが、よくよく聞いてみると孤児で帰るところのないのらくろに家族ができてもうさみしくないという自分の浅ましい想像が恥ずかしくなるほどの優しい後日談を作成したという真相、暑がりの義祖母のために地域で初めてクーラーを導入したら完全に街の寄合所になってしまい、大変だったこと……。ユーモアあふれるエピソードで、自分の想像の中で若い義祖父が躍動していた。

囲碁の本って物騒

「木本さんは、囲碁をやりんさるかね」と初めてのご挨拶の日、義祖母の絶品の干し柿を皆で頂きながら言われた。義祖父は囲碁も好きだった。碁会所へ通うことは晩年までエネルギッシュだったことの一因だったろう。筆者もヒカルの碁世代、なんとなく把握はしているものの、キャラクターが立っている将棋の方にばかり興味が移って、白と黒のシンプルだからこそ無限の広がりを見せる空間には呆然朦朧としてしまって身に着けることができなかったことをこれほど後悔したことはなかった。仕事の合間にアプリで勉強したりするものの、結局へぼ碁しか打てず、義祖父から譲り受けた教授書は解読する前に形見になってしまった。いつか石を並べてみた時、そこに義祖父を見出して泣くほどの力量を得ることはこの先も難しいかもしれないが、囲碁の勉強は再開したい。

義祖父宅の「知の壁」の前に立ち尽くす長子

4歳児にはまだ、ひいじいじが鬼籍に入ったことを教えていない。筆者とは義理であるが、4歳児にはまぎれもなく彼の血が流れている。これまたなんだか不思議な気持ちになるが、筆者ともメイトとも違う天性の人懐っこさを見るたび、戦後の混乱期に周りに人が集まったという義祖父の因子が発動しているのかもしれないと感じることがあった。

義祖父にとっては初めての曾孫で、コロナ禍が落ち着き満を持して広島の地を訪れた時、本当にかわいがってもらった。都合4歳児が会ったのは2回だったが、その度に並みの1年分以上の愛情を注いでもらった。既に足が悪かった義祖父が嫌がっていた杖をついてまで少しでも早く曾孫に対面しようと駐車場まで出迎えてくださったときは、曾孫パワーというものを言葉ではなく心で理解したものだ。

1歳児は対面することが叶わなかった。長子と同様、1歳になったしそろそろ……という矢先のことだった。長子よりも瀬戸内の雰囲気をその表情によく映す1歳児をどう可愛がってくれるのか、楽しみにしていただけにさみしさがある。

そのように日常のあちこちで義祖父を思い出しながら、8月の初め、義祖父が荼毘に付されたという知らせが義弟からあった。依然鹿児島はほとんど陸の孤島と化した状態で、とても参列できる状態ではなく、義弟に孤軍奮闘させてしまったことを申し訳なく思った。もうあの大きな掌がおれの手を包んでくれることは2度とないのだな、としみじみとした。

日常のリズムに余震のノイズを挟み続けられるまま、8月6日になった。この世からまた1人、あの日被曝し、そして力強く生き抜いた人が世を去った。鹿児島大空襲を、その後8.6水害を経験した祖母も亡くなって久しく、あの頃を知っている方々はどんどんと少なくなっている。義祖父はメイトにも筆者にも戦争や原爆の悲惨な話をすることはなかった。闇市でのハラハラする冒険譚や疎開先でたちまち少年たちの大将に祭り上げられたことの話をしてくれた。それは彼が筆者たちに説かずとも当たり前に戦争とはしてはいけないものであり、それを我々が理解しているという信頼の上に成り立っていたことだったと今になって思う。筆者も原爆資料館で見た光景を忘れることはない。義祖父は大変大きな人で、そのすべてを引き継ぐことなど小人の筆者には到底できまいが、当たり前のことを当たり前にし続けるべく努力は絶やさないようにしたい。彼はこのありさまを見なくて済んでよかった……ではなく、一緒にこの景色を観て欲しかったよ、という未来を作れるのは生きている我々だけなのだから。


それでもやっぱりさみしいよ、じいちゃん。

4歳児、ぽこあポケモンを大いに遊ぶ。

※ぽこあポケモンのネタバレがあります

かなり万感の思いであった

4歳児とぽこポケをしてひと月近く、ポケモンセンターが直った。

せっかくなのでそれまでを記録しておく。

ポケットモンスター……縮めてポケモン。早30年という超長寿IPが登場した時、筆者は新小学一年生にならんとする時であり、入学祝にデパートのおもちゃ売り場で買ってもらった。たぶん、入学関係のものをまとめて買った日だったのだろう。パッケージのリザードンに一目ぼれした鮮烈な体験はいつまでも色あせない。その後ヒトカゲを相棒に選び、タケシに苦戦し、コイキングを大金で購入し、カスミで心が折れかけたことも、ついにリザードンに進化した時の感動も。リアルタイムではルビー/サファイアまでプレイした。

その頃にはすっかりポケモンは国民的な人気を博し、ゲームに触れなくとも色々な場所で見かけた。
スマホの中にもいろいろな形で現れた。ポケモンGO、スリープ、歯磨き……。

そのすべてを意図せず巧妙にかいくぐってきた伴侶はひとまずおいといて、4歳児もポケモンには親しんできた。ミスドが好きなのでコラボした時は買いに行ったし、YouTubeのポケモンチャンネルも見た。祖父母からのプレゼントにピカチュウのぬいぐるみをせがんだりもした。絵本も与えてみた。もはやアンパンマンやドラえもんと同じように4歳児にとってポケモンが、とりわけピカチュウがあるようだった。

その娘のはじめての主体的に――と言ってもコントローラーは筆者がまだ握っているのだが――プレイするゲームとして、ぽこあポケモンを選んだ。
選んだ理由としてはざっくり以下。
1.IPとして親子共になじんでいる
2.本編と比して少なくとも直接的な暴力表現が少なさそうである
3.ブロック遊びが大好きな子になじみそうなゲーム設計である
4.基本的にどこでもセーブができる(原則1日1時間の制限に従いやすい)

日曜日、お風呂も上がってひと段落、いつもであればFireTVで適当になにか見て、寝る時間。
おもむろに筆者はコントローラーを握る。4歳児がいつもと違う気配を感じて寄ってくる。
「あ!それポケモンじゃない? パパ、ポケモンするの?」
話が早い。一緒にやってみる? というと、力強く頷く。我々のぽこあポケモンが始まった。

このゲームは漢字にもひらがなをふってくれているが、最近のゲームというのはデカ画面を想定しているのか我が家のゲームモニタ(一応4K対応ではあるが28インチとか)ではちょっと小さく、4歳児が画面に近づきすぎてしまうので、基本的には筆者がメッセージを読んでいく。
案内に合わせて、主人公の見た目も4歳児好みにカスタマイズしていく。はじめて自分が操作するキャラクターが、自分の分身ではなく、子のアバターとなるこの感覚は、なかなか不思議なものがあった。

4歳児(ぽこあポケモンのすがた)

 

名前を付ける際、子はフルネームの本名をつけたがったが、「いろんな人がいるし、せっかくだからここだけのスペシャルな名前をつけようぜ」と迂遠なインターネットリテラシーの伝授を行い、「まいめろでぃ」「いちごプリンセスミッフィーひめ」「えるさ」などの候補の中、子自身が8月生まれということから「8ちゃん」→「はっちゃん」→「はーちゃん」となった。呼ばれるときにさかなクンさんみたいになりそうな気がしたが、世の中にはハッサンさんという偉大な先達もいるし、よいだろうということになった。

分身の格好を1つずつじっくり選んだこともあり、初日はゼニガメからみずてっぽうを伝授してもらうあたりで1時間となり、終了した。

「丸まるって、だんごむしみたいだね」

亀のポケモンという前提がないとそう見えるんだなあ。

伴侶とともに寝室に向かう4歳児を見送りながら(再三書いていることであるが、1歳児の夜泣き対策のため伴侶と4歳児は寝室で、1歳児と筆者は居間で起居している)早く続きをプレイしたい……という衝動が沸き上がるが、少なくとも初回プレイは4歳児と一緒にお話を最後まで進めるぞ、と思い直し、素直に床に就いた。脳裏に広がるのは先ほどの開拓し甲斐がありそうな風景。そしてモジャンボという語の響きがツボにはまったのか爆笑して転げまわり、貴重なプレイ時間を5分失う4歳児の姿であった。

Fallout味を感じる…

4歳児というのは、いそがしい。平日筆者が帰ってくるのは大体家族が食事を終えて入浴しようという頃で、7時半前後だ。スムーズに動けば8時にはモニタの前に陣取り、1時間のゲーム時間を満喫することができるだろう。
だが、4歳児にとってはお風呂は数々の冒険を子分(1歳児)と繰り広げる大海原であるし、髪の毛を乾かしている間も大人の会話が気になってつい親身になって自分の意見を述べてしまうし、風呂上がりのアイスはじっくり味わって食べたいし、明日の服のコーディネートは集中して考えたい。歯磨きはアイスの余韻が消えてからにしたい……。そうなると残された時間は少なすぎる。日々のぽこポケは30分あれば御の字で、15分、タイムオーバーで本日はなし、ということもしばしばであった。

ぽこポケそっちのけで「はたらく細胞」ごっこに熱中していた(好きなキャラクター:黄色ブドウ球菌とマクロファージ)翌朝、

「昨日は、ポケモンやりたかったのにな……」

と悲しげにつぶやく4歳児には「こいつ……」と思いつつ、本人も楽しみにしてくれていることが嬉しくなるのだった。

かといって休日、ちょっと長めにやってみるとゲームに慣れない4歳児の目を疲れさせてしまったり、反省することもあった。「ゲームは1日1時間」というのは、確かに愛の言葉だったのだ。

知育的なところでは、ポケモンの生息地のヒントが示されるとき、

やすらかに…

「さっきのところにあった!」「ここに作ればいいんじゃない?」

とパズルを解くように4歳児が楽しんでいて、たとえば墓石の場所など、子の方が正確に覚えていて助けられることもあった。それはそれとしてこの生息地と出てくるポケモンは人の心がないと思います。

4歳児はどうやら「モジャンボはかせ」がとてもさみしい思いをしていたらしいので幸せになってほしいという思いが強く(あんなに爆笑していたのに)、何かしていても、

「モジャンボはかせのおねがいごとをかなえてあげようよ!」

とすぐに言う。

こういう発言にはちゃんとツッコむので、4歳児はあなどれない。

そうでなくてもすべてのポケモンに話しかけるし、おねがいごとを叶えてあげようとする。その途中でポケモンボールの光が見えたらすべてを忘れそこにまっしぐらに進む。あらゆる木にずつきをする。

「カイロスはちょっとこわい」

わかるよ、あの口はなんか根源的な恐怖を煽るんだよな。

とはいえ赤派だった筆者には憧れでもあるカイロス

なかなか話が進まない。が、それでいいのではないかと思う。フシギダネにお花畑をつくってあげたりストライクにきのみをあげたりドッコラーと同棲したりしてみんなが少しずつ幸せになっていく。それでいいではないか。……おい!最後のやつパパはどうかと思うぞ! 狭い部屋で木材を振り回すなよ!

そうこうしながら「はーちゃん」は少しずつできることが増え、迎えた「ポケモンセンターを直そう」であるが、ポケモンセンターを立て直したい→そのためにはこういうポケモンが必要→そのポケモンがこの状態にならないと動けないポケモンも必要→そのためにはには…→そのためにはにはには……とかつてサマルトリアの王子を探してさまよっていた記憶が惹起され、上記の状況なので少しずつ解決していくこともあり、なかなかもどかしい。というか、普通に忘れて年を取ったな……と思う。ぽこポケは令和最新のゲームなので自分が今どんな頼みごとを引き受けているかワンボタンでわかるのでご安心だ。4歳児のルーティンには目に入ったニンジンをすべて抜くも加わり、ますますメインクエストに使える時間は減ってきていた。

なんでヤドンにあくびをさせたかったんだっけ?大事な誰かを待たせていたような……

それでもなんとかいよいよ大詰め、で「さらさらいわ」を探すが見当たらない。ちょうど他のエリアに行けるようになったので、探しに行くが、なし。3日ほど新たなエリアをさまよい、なぞの声の主が樽に閉じ込められ続けたまま、親子でさらさらいわを探し続けた。ない。そうこうするうち、ポケモンセンターが直っていれば参加できるイベントが始まるので焦ってくる。攻略情報を見るべきか……。

「はっぱですごいことができるようになったよ~ってフシギダネに見せに行こうよ!」気持ちはわかるがまずはさらさらいわを見つけたいんだよな…まあでも子主体でこのゲームするって決めたもんな……言葉のままにフシギダネのいる最初のエリアに戻り、フシギダネに披露した後、横のナゾノクサから「木のベッドが欲しい」とのリクエスト。

謎の石板と化石も各地のボックスに点在している

クラフト横の収納ボックスを何の気なしに開くと……。「さらさらいわ」はちょこんと鎮座していた。どこで拾ったのかいつしまったのか、全く忘れていた。収納ボックスがひとところに集まるような蜜ってどこかにありませんか? ドラクエの「ふくろ」がこの世界にあれば……と強く思う出来事であった。

そうして無事、ポケモンセンターが復活した。できるのが「明日です」と潔く出てくれるのも、よし続きは明日!寝よう!となるのでありがたかった。

ジラーチのイベントも4歳児のプレイスタイルとかみ合っているので短冊がモリモリたまり、かわいい家具が揃ってゴキゲンである。そろそろそういったものを飾り付けられる第二の我が家も検討しなくてはならないだろう。

関係はいたってフラットである

「明かりが消えているし機械も動いてないねェ~ ピカチュウみたいなでんきのポケモンがいたら使えるようになるんじゃない?」

探索中ふとつぶやいた4歳児の推理に鋭い、と思う。初代御三家が(なぜかヒトカゲだけ能力を伝授するのでなく生体チャッカマンみたいな扱いをされているが)出てきたことを踏まえると、電気回りのこととなるとやはりシリーズの顔、ピカチュウではないか、と筆者も考えていたところだ。流れ的にもそろそろ登場してきてくれていいのではないだろうか。いや、キノコで全てがなんとかなるのかもしれないけど、そんなMGSじゃないんですから……。子が待ち望んでいるゲーム世界でのピカチュウとの再会がいつになるか、楽しみにしながら、 poco a poco(ゆっくりゆっくり)親子で楽しみたい。

未来を掴み取れ!という回想

「選び取り」という行事がある。子どもが一歳を迎えた時、子どもの前にアイテムをいくらか並べ、何を選ぶかによって将来を占う……というようなイベントだ。

インターネットの向こう側や創作世界ではよく見る光景だが、たぶん自分の幼少期に行った記憶がなく、長子の時にはコロナ禍でそういう雰囲気でもなかった。

次子がめでたく一歳になった時、前日から実家に泊まっていることもあり、折角だからやってみよう、ということになった。やったことはないが何となく雰囲気は掴んでいる。とりあえず櫛とか、ハサミとか、そういうのを集めよう……と思った時、長子がス…と差し入れてきた。

「これね、タブレット」

なかなか質実剛健なサイズである

どうやらこれを「選び取り」のアイテムとして採用してよい、ということらしい。きょうだいの手作りアイテムで選び取りを行う、なかなか素敵なイベントになりそうだ。

続いて長子は手際よく「車」を生み出した。

四人なのが「我が家」という感じでホロリポイントである

続けて「はさみ」。シンプルながら確かにはさみで、これ以上足しも引きもできない素晴らしいクラフトだ(親バカ)。

まさに研ぎ澄まされたデザインという感じですごくいい

そしてドックオク。なんで? 実家にあるレゴの箱に入っていたのだろうから仕方がない。筆者の記憶にないのでおそらく弟のおもちゃであろう。20年くらいひっそりと実家で過ごしていたニクイやつである。

もう少しアームがうねうねして欲しいところ

そしてスプーン(匙)。

銀の匙の時代は終わり、緑の時代へ。

この匙が結構すごくて、ケースまで作ってくれてかっちりと収納ができる。このギミックを四歳で作れるのはすごい。ベルトに着けて持ち歩きたいくらいである。

長子の愛情とクリエイティブ精神のこもったアイテムが並べられ、いざ、次子は出走の時を迎えた。(背景に大人が映りこんでしまったので画像を加工しています)

日ごろ鍛えたハイハイで猛然と突き進む……かと思いきや、画面はじの座卓につかまり立ちをし、のしのしと迫ってきた。

そのまま一番座卓に近いタブレットを手に取るのか……と手に汗握る我々をあざ笑うかのようにアイテムたちの至近でちょこんと座り、ブリッジのように反った後、ゆらりと立ち上がってスクワットを二、三回決め、車にとびついた。

車を選ぶ子どもは行動力のある子に育つという。選び取る経緯から既にその説得力にあふれているが、これからのますますの成長を期待したい。

Switch2がやって来た日記

GWが…ひと月前……?

祝日の無い6月を駆け出し始めた筆者にとってにわかに信じがたい真実だが、まあ許そう。

今日はニンテンドーSwitch2を遊べる日曜日なのだから。

 

ということで、Switch2を買った。

一言で言えばそれだけの話だが、そこに至るまでおよそ1年の逡巡や苦闘があった。

せっかくなので記録しておく。

 

およそ1年前、Switch2の発表――。

おお、と思いながらも筆者はどこか他人事であった。何しろ育児真っただ中、2週間ほどの育休を終えたところでこれからは仕事と育児をやっていく必要があり、家にいる間は子どもが起きていたら子どもの世話を、子どもが寝ている間は起きた時の仕込みをして、隙あらば寝る。そこにゲームの入り込む余地はなく、例えば子どもを抱っこしてゆらゆらしながらソシャゲをつまむのがせいぜいであった。

初代Switchがまったくもって現役だったし○○オンラインシリーズで往年のソフトを崩すだけでも相当な時間を要すだろう。今すぐやりたい! というソフトもなかったし、任天堂のこと、いつかは安定供給してくれるだろう、と思いながら、長子の乗り物になりながら次子のおむつを替えたりするリズムアクションをこなしているうちに日々は流れていった。オーバークックの経験が生きたな……。

 

年が明けて無双ORIGINの移植が発表された。Switch2は街中でもちらほら見かけるようになった。無双シリーズは筆者にとって人生の一部と言っていいゲームであることは、前に触れた。そのリブート的なシリーズであるORIGINは好評だったが、我が家に対応ハードはなかった。PS5やXBOXを考えなかった訳ではないが、ORIGIN以外のソフトラインナップはかなり大人向けであることが気になり、また決して安くはない価格から、ハードを買うには至らなかった。

 

家計を預かる身として自分がやりたい(無双の場合はメイトもプレイしたいと思ってくれているが)ゲームのためにハードごと買うということは安易に行えるものではない。幸せを計測することは難しいが、こういう時筆者はいい気分になる人が多い方がより良いと考えるようにしている。しかも先述したようにSwitchは全然現役。ただ、「理由」が一つできたな、とは思った。次子の夜泣きもだいぶ落ち着き、夜明けにちょっとふえふえする、くらいになってきており、発表時と比べて肉体的にも多少は余裕ができていた。

 

続けて、物価高対策のための地域商品券の案内があった。地域限定ではあるがプレミア分がつき、対象店舗にはSwitch2を販売している家電量販店も含まれた。これは、いいかもしれない。プレミアム分を「なかったこと」として考え、Switch2購入の原資にしてしまうというのは。任天堂ハードの頑丈さは折り紙付き、消耗品よりも後に残るものを買った方が後々いいのでは。「理由」がもう一つできた。

 

さらに、「ぽこあポケモン」が発表された。子どもたちは幼少期の筆者がそうであるようにブロック遊びが好きだ。というか、長子に至っては既に筆者の領分を大きく超えている。この興味をどう生かしたものかと考えた時、まずマイクラが思い浮かび、次にドラクエビルダーズが思い浮かんだが、どちらにも暴力が絡む。もちろん親がマリオでいろんなやつを踏みしだいていく様も見ている子どもたちであるが、(無双は長子誕生以来居間ではやっていない)あまり過保護に育てたくはないけれど、自分自身が触れるソフトは、できるだけやさしいものであってほしい、という気持ちがあった。その点、「ぽこポケ」は起こっていることは結構ハードな気配がするが、(そのあたりがポストアポカリプスものが好きな筆者に刺さったりもした)ゲームの手触りはかなり柔らかそうに思え、これを長子と一緒にやるのはいいかもしれない、と感じた。「理由」がさらにできた。

 

この段に至ってメイトと相談をした。子のゲーム時間は1日1時間を基本とすることで、ほぼ2つ返事でOKが出た。お礼に先んじてセールされていたときメモGS1-3の移植版を購入した。

あとは地域商品券が発売されるのを待つだけとなり、発売された「ぽこポケ」が好評であることを喜んでいたりすると、あの発表があった。

https://x.com/i/status/2052637381006942572

地域商品券の販売開始を待たずして街からSwitch2が消え、Webには転売が溢れた。

チクショウ!なんてタイミングだ⋯⋯。もはや本来の地域商品券の活用は諦め来る日も来る日もWebを見てみるが最低でもプラス一万円のものばかり。

結局我が家にまだSwitch2は早いというのが上位存在の判断なのか⋯⋯。と1週間ほど調べてあきらめ、メイトの用事でたまさかAmazonを開く。

Amazonが定価でSwitch2+ぽこポケを出品していた。半信半疑でカートに入れ⋯られた! 震える手で確定ボタンを押す。

f:id:kimotokanata:20260607115652j:image

(表示されている店舗は2つ前の住居の最寄り)残念ながら決済はできなかった。定価購入でしかも後から買う予定のぽこポケ付き⋯⋯白昼夢だったと思うしかないのか⋯⋯。

となってしばらくしてからまた見てみると、またカートに入れられる。

これは、行けるかもしれない。

f:id:kimotokanata:20260607115917j:image

およそ1時間の格闘の後、無事購入までできた。過去にはここからキャンセルがあったという話だが油断はできないが、駄目で元々の精神である。

どっと疲れたところにTwitter(自称X)を開いてみると⋯⋯。

https://x.com/i/status/2056612508165906870

結局おれたちは任天堂の手のひらのうえでダンスしてるだけってことか⋯⋯。ちなみに、翌日街の家電量販店にも入荷したというオチがつく。

とはいえその後、期日通りにAmazonはSwitch2を我が家に届けてくれた。シャボン玉石けんの洗濯洗剤は一ヶ月近く延びているが。ありがとうAmazon。

長子とのぽこポケはすこぶるいい感じである。これはまた別にまとめたい。

なにしろ今日は子どもたちが実家に遊びに行っている。この隙についにORIGINを起動するチャンスーー。駄文はこの辺りにして楽しみたい。

5/6ゴールデンウイークゴール日記

5月3週目

まだGWの話しているのはここだけなのでは? と思うが今もはてなブログの新着おすすめを見ると思い思いの記憶/記録が上がってきているので勇気をもらえる。思い出を出力するのはそれぞれのペースでいいのだ。

さて今日は

なんで休みかと祝日を享受するものとして調べようとしたら振替休日だった。祝日法ってほんとうにすばらしいですね。一番好きな法律です。テレビをつけるとこどもの日延長戦だぜみたいな企画や今からでも間に合うお出かけ!という特集があり、みんなこの連休にもう一花咲かせたいという気持ちがあるようだ。

雨がしとしとと

降っており、こうなってしまうと子どもたちの鉄板、「見知らぬ公園で思いっきり遊ぶ」がなくなってしまい、文化的施設を楽しむには子どもたちはまだ幼過ぎる。感受性においては筆者よりはるか上を行くだろうが、その興奮を雄たけびとして伝えてしまう可能性があり、他の利用者諸賢に迷惑だろう。いくら子等は二人とも動物占いが狼だからと言って許されることとそうでないことがある。仕方がないのでお店が開く小一時間、ドライブというか「信号が赤だったら右折するゲーム」をやってみたら結構楽しかった。次も赤なら高速に乗ってしまう、という瞬間がハイライトだった。

お昼ご飯は

町中華にしようと決めていた。宿泊先でもおすすめされ、メイトも友人から勧められたという「珀虎」さんである。これで和洋中すべての「町ごはん」を今回の旅行で食べられたことになる。昨日の夜に行こうと思っていたら急遽のお休みで残念……と思っていたらなんと奥様が臨月でいらした。お子さんより優先するものなど何もないので納得。

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開店とともに入店し、ごま味噌ラーメンのから揚げライスセット、酸辣湯麵のミニ炒飯セット、ミニ天津飯を注文。

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ボリュームと味の両立に驚く。ミニ天津飯、絶対にミニじゃないか、厨房から出た瞬間巨大化したかのどちらかだと思う。嬉しい誤算だが、いけるか……!? という緊張が走る中、1歳児が炒飯をバクバク食べ、すべての皿を空にしてもちもちになって退出した。近所にあってほしすぎるしまた絶対に行くぞ、と家族の思いが一つになるのを感じた。駐車場がちょっと遠いのが難点だが、(特にこの日は雨、子連れだったので)隣の銀行がお休みの日はそこの駐車場を使ってよい、という耳寄り情報も得られた。元気なお子さんが生まれますように。

元々の

行先であった「大隅広域公園」に移動中出くわしてメイトと「おお、ここが」となる時間があった。宿泊先からは結構遠かったねえ、などと。よく考えれば我々は大いなる親しみを持ってこの旅を「大隅旅行」と括って読んでいるけれども実は宿泊先・昨夜の食事先・今から向かう先いずれも自治体は異なっていて、関東であればたぶん東京のイベントに行って神奈川で晩御飯を食べ千葉に泊まったけどもともと埼玉のイベントに行くつもりだった、くらいの距離感である。これらすべてを包括してくれる大隅の偉大さに敬服する。

満腹と

のどかな道の移動でうとうとすーすーしていた4歳児であったが(1歳児は途中スッキリした後ずっと元気だった)トランポリンの場所、着いたよ、と声をかけると本当にパチッと音がしそうなくらいの勢いで目を開けた。

初めて訪問したのはちょうど1年くらい前、長子となった当時3歳児が思いっきり運動できる場所に連れて行ってあげたい……という思いがあり、貸し切りで遊べるこちらを選んだ。結果は大正解で、あっという間に時間が溶ける楽しい時間を過ごし、その後も今日何がしたい? と尋ねると「トランポリンしたい!」と返ってくることがしばしばであった。人気施設で直前では予約が取れないこと、筆者が土曜も仕事をするようになったこと、1歳児の状況などもありなかなかリクエストに応えられなかったが、今回で累計5回目の訪問となる。前回は親子4人で訪問し、好評だった。

予約したのが骨折の前であったのでメイトはキャンセルするかどうか心配してくれたが、ここで行かねばまた当分先になってしまうだろうし4歳児は指折り数えていたため、固定具をきつく締め痛み止めを服用してアクティビティに臨んだ。

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と言っても4歳児は初回のおっかなびっくりからは目を見張るほど成長しており、自ら縦横無尽に駆け回り、跳ね、飛び、筆者はほとんど空間を横断するロープを掴む手伝いをする、くらいのことしかしなかった。それも途中からブロックを配置して踏み台のようにして、自分一人でできるようになっていた。

1歳児もメイトも思い思いに遊んでいた。競技用トランポリンは未体験の方はぜひ体験していただきたい。飛ぶぞ。(文字通り)

同じ空間でべたべたするのではなくやりたいことをやる、こういうのが好きだなあと愛すべき3人を見ながらでかいヨギボーのアルデンテみたいなやつに寝そべってゆらゆらしているうちにあっという間に時間が過ぎた。ここにワープポイントを設置して欲しい。

そして現実へ……。

アクティビティの終わり、それは非日常の終わりを意味していた。いや、筆者にとっては愛する家族を慣れ親しんだ我が家にしっかり送り届けることも大切なイベントである。

つつがなく帰宅し、洗濯機を回す。

ドラム式洗濯機の回転速度(脱水時)は時速100kmを超えることもあるという。そう考えると高速に乗って移動した旅の思い出の速度がその中に封じ込められているようなおかしさを感じた。

5/5ローズロール日記

今週のお題「旅の計画」

GWは

もう行ってしまった。ゴールデンウイークゴーンというとタンエーターンみたいだ。

なのでまあ、日記も、そういうことで……という風にしようかと思っていたけれど、ゴールデンウイークの残滓を文章で縫い留めておくことがいつか自分がこの時を振り返る時のよすがになるだろうとも考えたので引き続き記録していく。

ラヴィット!

がリニューアルでだいぶ批判されていたが、それでもなお平日の日が休みの時はチャンネルを合わせてしまう。この日は4歳児がカイト様を通して認知している貴重な生身のアイドル、佐久間さんが出てくる日なので丁度良かった。

観ている間にメイトも起きてきた。元々今日は、遠方のマルシェにメイトが愛好するお店が出展し、またその周辺に4歳児が以前たいそう気に入ったアクティビティがあったのでそこらにドライブしようぜ、という目的があり、しかしそこはGW、ひと月前にアクティビティの予約は埋まってしまっていた。ただ翌日は早い時間なら空いていたので、いっそのこと一泊しちゃおうぜ、と宿を取ったのが先月のこと。

旅の計画は

アクティビティの予約が埋まっていたというアクシデントに始まりながら、災い転じて4人家族となって初の親戚の家以外でのお泊りを含む形に修正できたぜ~と安堵していたら、そう、追突事故に遭ったのだった……。

とはいえすでにその時はキャンセル料が発生する段階に来ていたので、骨折&代車というまさに満身創痍状態で我々はまずはマルシェに挑むことになった!

旅の計画はver.2

が、どうも聴こえてくるのはそのマルシェは半端なく混むらしいこと。そしてメイトお目当てのお店は少し待てばより近場で出展予定があること。慣れぬ道を代車で行くのは不安があるし、会場が混み合っていて怪我が悪化しては大変である。そこまでして辿り着いてもお目当てが完売している可能性もあるだろう。子どもたちが渋滞でご機嫌斜めになってしまうのも避けたい……。

ということで、宿の近辺でおいしそうなものを食べてそこから考えようということになった! この柔軟性が我が家の美点である。

道中は

すっかり4歳児も会話に参加し、妻との会話だけでは生まれない立体的なものが立ち上がってきて面白かった。しりとりのラリーもずいぶん続くようになった。3人でやると単語の枯渇が速いので正直危ないところがあった。4歳児は負けを悟ると1歳児のミルクを気にしだすというテクニカルなところを見せ、ちょうど筆者も道が詰まってきて運転に集中することになったのでしりとり勝負は発展的解消となった。

この路

わが旅……ということで朝メイトが発見してくれた鹿屋市文化会館近くの「この路」さんで昼ごはんを食べた。開店とともに入店したことで無事スムーズに食事にありつけたが、そこで予約含め満席。15分ほど経って訪ねてきた方は1時間ほど待ちになると案内されていた。噂にたがわぬ人気ぶりに期待が高まる。我々はハンバーグ&エビフライ定食とチキン南蛮定食をご飯を釜炊きにしてもらった上で臨むことにした。

全てがおいしく幸福な余韻を残したまま食事を終えた。4歳児は普通に定食を一人前間食したし、1歳児もおこぼれをバクバク食べた。定食を頼んだ後に抗いがたい魅力で頼んだ海鮮漬もアクセントとなり大変良かった。いつまでも居たくなる居心地のよさだったが外でめちゃくちゃ待ちが発生している気配がしたため(のち予約せずに即食べられたのはとっても運が良かったと知る)、食後速やかに立ち去った。

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チェックインまでは

まだ3時間ほど時間がある。3時間というと自宅とチェックイン先を2往復できてしまう訳だがさすがにそんなことをするつもりはない。代車を執拗にイジメるのではなくおいしいもので膨らんだ我々のカラダをシェイプアップする必要があった。

このため我々は「かのやばら園」に向かうことにした。

うわああああ

忙殺されている間に今週のお題が変わっている! まあ仕方がないことなのでここから書くのを再開しよう。そういえばGW中鬼滅の刃の再放送をたまたま見ました。

Oh...that place is wild rose garden

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というわけではない。「かのやばら園」は「かの、野ばら園」ではなく「鹿屋バラ園」である。鹿屋というのはバラに適した地だったのだなあと思っていたが、出発前折よく今が見ごろということでテレビでしていた特集によると「開園当初は高温多湿というバラが育ちにくい環境で育てていくのがとても大変だった」ということで急に薩摩らしい(大隅地方だけど)大胆なムーヴをしていたことがわかりビックリする。

園内はそんなことを全く感じさせないまさしくバラの楽園のような形に仕上がっているし、かのやばら園で生まれた品種も複数ある。プロってすごいよ。地上の星が聴こえてくるよ。

丘を上へ上へと上がっていくと辿り着く駐車場は多くの車でにぎわっている。今日はこどもの日で子どもが無料。それでか……と思ったが普段も子どもは150円で採算が取れているのか心配になる。

入園入り口では電波も争奪戦で、事前に取得していた電子クーポンを提示しようとするがタイムアウト連発で焦った。SNSに画像を投稿してポプリをもらおう♪という魅力的なキャンペーンもやっていたがそんな状態で画像をアップロードもできず断念した。園内に入ると無料Wi-Fiにより快適に過ごせた。美しいバラに囲まれている時ぐらいインターネット毒電波から離れろと読者諸賢は思われるかもしれないが、デジタルなバラの図鑑にアクセスできるのだ。

訪れるのは2度目、前回は7年前だ。子等がいない時代は既に太古の昔のように思える。まだ今の家に引っ越す前、前日にメイトが敬愛するシルバニアファミリーのみんながやってくるということで訪問を決定、結構な豪雨だったがシルバニアファミリーのみんなの太陽のような明るさで我々は大変楽しい時間を過ごし、かのやばら園マスコットのばららちゃんとも写真を撮った。しかし肝心のバラは大変美しかったものの雨に追われながら見るという形になってしまったのが残念であった。

今回は4歳児は「プリンセスのおにわよ♡」とかなりご満悦であったが途中ワークショップを見つけてからはそれをやりたくて仕方がないbotと化してしまい、すべての発言の語尾が「ねこさんの風船作りたいなあ」だった。行程の3/4くらいで親が根負けし、残りはメイトにゆっくり見てもらって筆者は入り口側へ別ルートで戻りつつ、ワークショップ現場に向かうことにした。

1歳児はというと「絶対にベビーカーに乗りたくない」「絶対に抱っこされたくない」2つの性質を併せ持つ……♦という形で大変難儀した。

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そのような状況でもバラは美しかった。単体でどうだ!いう感じのいかにもバラのパブリックイメージらしいバラも良かったし、集まって群れとしてのバラを形成しているバラたちも良い。メイトは単独行動中に4歳児と同期のバラを見つけており、(ピンクブリックハウス)愛を感じた。

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少し離れたところから安心してみていられるようになった4歳児をローズダンジョンに送り出したりもした。絶対に中央の銅像でムービー付きイベントが発生することであろう。

大盛況のため切り花体験ができなかったのは残念だったがぜひまた秋の見ごろに訪れたいものである。その頃には1歳児も歩行スキルが上達していることだろう。

 

花、そして団子

ということで美しいバラを愛でながらほどよく運動した我々はいい感じにチェックインの時間が迫っていたこともあり、本日の宿泊先に向けての移動を始めた。素泊まりであるので今日の夕食を何にするかを思案する時間にもなる。

寿司…焼肉…各種ファストフード…どれも魅力的でありしかしどれも「これが食べたい!」とまではならなかった。地場スーパーに寄って良さそうな食材でも買って中食にしようかとも思ったがやはりガツンとこない。居酒屋に下戸ふたりと未就学児ふたりで行くわけにもいくまい。

結局チェックインまでに決められず、2軒に絞ったひとつはお休み、もうひとつは電話に出られないということで全国展開だが鹿児島にはこの地にしか店舗がない回転寿司屋さんにお邪魔することにした。まだ夕飯には早いので店内は空いていた。

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鶏肉を使った寿司がおいしくマグロもおいしかった。食べながらなぜか懐かしい気持ちになった。回転すしって、本来こうだよな。こういう感じだったよな。はま寿司・くら寿司・スシロー……頑張りすぎていないか? 無理をしていないか?

お会計の値段も物価高とは思えないような感じでありがたかった。子どもにお菓子までくださり、チェーン店らしからぬ親しみをいだいてしまった。

いい湯だが、だがが

さて満腹になった我々は家族湯に浸かり最高になるはずだったのだが、食事に出る前に確認した時は開いていた家族湯は満員札止め、宿泊先の系列なので男湯女湯は無料ということで、筆者は単独、メイトは子2人と一緒という非常に不公平な配分になってしまった。

これが(将来はわからないけれど――ということで筆者はなるべく最近子どもたちを呼称するときに長女とか次女とかではなく第一子第二子とか、4歳児1歳児というようにしている――少なくとも今生物学上において)子どもたちと性別が違うことの現状ほぼ唯一といっていいほど、残念なところだなと思う。

筆者は元来温泉好きで鹿児島は温泉県であるから、休日には同じく温泉を愛好する父とともに各地の温泉に行くというのが子どものころからあり、温泉で過ごす時間というのは家の風呂とは違ったコミュニケーションとして親子の関係性に大いに寄与してくれたと思う。

しかし性別が違うとそうはいかない。もう少ししたら子どもたちも筆者に興味がなくなり休日は「邪魔だからどっかいけばいいのに」というオーラを放ちだすことだろう(書いてて悲しくなってきた……)からその時にまた一人または父を誘って再開しようとは思うが現在封印しているのが温泉巡りである。(家族湯はしばしば行くけどどちらかというとアトラクション的要素が強い)

ということでメイトの負担がデカすぎるので避けてきた温泉だったが、さすがはメイト、見事にこなしてくれた。筆者は申し訳なさ過ぎて15分くらいで上がったが、ぬる湯の良い温泉だった。

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敷地内には天竺鼠川原さんのイラストと流石にデカすぎるカブトムシのモニュメントがあり、この地のおおらかさを感じた。天気が悪く星が見えないのが惜しかった。

大勝利宿泊

だったと言ってよいだろう、GW中日素泊まり親子4人8,000円。ベッドも広く、館内もきれいで、なによりチェックインさえすれば好きに出てよく、チェックアウトの手続きすら不要(所定のポストにカギを投函して退室すればよい)のは我々の行動スタンスに大変合致していてよかった。合宿施設として使われることが多いということだが、シーズンオフのためまたあまりに安すぎてみんなが警戒していたのか、お客さんもまばらで大変快適に過ごせた。大隅地方を攻めるときの定宿にしたいレベルである。

新鮮な宮崎のテレビを見ていると1日の様々が眠気となって干渉してくるのを感じた。よく考えれば一部屋ということで消灯は家族で一息にする必要があるのだ。いつもは寝室組(メイトと4歳児)と居間組(1歳児と筆者)で21時を境に別れるので新鮮な気持ちだった。

21時に消灯すると、4歳児の不思議なメロディの鼻歌が少し聴こえた後、われわれはふかふかのベッドにふさわしくふがふがと寝たのであった。

5/4異同移動日記

連日

4歳児がしっかり6時過ぎに起きてくるので(幼稚園がある日もそうしてくれれば⋯⋯!)親父と3人で今日は少し離れたパン屋さんまで車で行った。朝のパン屋さんというのは早起きの得の具現化である。

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鹿児島はなんのこともない惣菜にもさらっと黒豚を使っているのですごい。肉の甘みがパンを引き立てる。

お袋とメイトは共通して梅が好きであり親父とおれはどちらもそうでもないのだが、まだ夢の中であるそれぞれのパートナーに同じ「うめチキンカツサンド」を選んでいて笑った。

4歳児は帰宅・手洗いするやいなやアンパンマン様のパンを鼻の部分をガブリと噛みちぎっていた。このタイプのパンは必ずこういう食べ方をするのだが、パン食べ心理テストがあれば何か闇深い回答が得られそうな気がする。

子どもたちの

サイズアウトした衣服をエイチ・アンド・エムに持っていくとクーポンがもらえるという試み(別に子どもたちのものでなくてもいいらしいが筆者は年単位で服を買わずメイトは自分の服はまた別のリサイクル先があるようなので我が家ではサイクルが早い子どもの服になる)をメイトが発見してくれて以来活用している。

得られたクーポンで即座に子どもたちの肌着となった。

店舗が入っているイオンモールがリニューアルして黒山の人だかりということで開店凸したもののイオンモール自体は9時だが専門店は10時開店なので、しばし本編開始直前のデッドライジングのような気分になった。

退出する頃に駐車場はギッチリで有効な戦法であったと自賛した。

大人の用件

(相続のことだったり墓参りだったり実家のそばにいないと手続きだったり)を済ませて帰宅すると4歳児が伯母の家庭菜園で採れた玉ねぎを使ってお袋とカレーを作ってくれていた。これで4歳児は曾祖母のカレーと祖母のカレー2つの手順を学んだことになる。自分の親しんだ味を子がマスターしていくというのは不思議な気持ちだ。

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晴れた昼下がり

何も起こらないわけがなく⋯⋯4歳児は当然公園に行きたがるのだった。1歳児は食後爆睡していたので、2人で車で同じ町内だが少し遠くの公園まで行く。

「チョット、遊ぶとこ少ないネ⋯⋯」

到着して4歳児のコメントを聞きながら筆者は静かに愕然としていた。この公園、こんなに小さかったか⋯? 自分が成長したから⋯?

と思ったが、自分がよく遊んでいた頃から遊具がいくつかなくなり、その分園内の通路の幅が広くなっていることに気がついた。木々もいくつかなくなっていた。

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筆者が子どもの頃から親しんでいた熊?も劣化が著しい。

とはいえ与えられた場所で全力で遊ぶのがこの流儀。誰から得たか分からないコミュニケーション能力ですぐに友達を作り、楽しく遊んでいた。途中、突然鬼ごっこの鬼を任命してきたりしたので筆者としてもよい運動になった。

「この青い部分は海なので鬼は泳げないのでタッチできませーん!」

と青いジャングルジムに登って得意げに言う子を見てそういう概念もちゃんと学んできているのだな⋯としみじみした。それはそれとしてタッチしないけどスレスレに素早く手突を繰り返したりした。あまり大人を舐めるなよ。

ド風が

その間ずっと吹いており、というかだんだん強くなってきており、お日様も陰って体感温度は15℃くらいだった気がする。4歳児はメイトが日焼け防止のために薄手の長袖だったのでまだしも筆者は半袖半ズボンスタイルだったのでかなり身に染みた。

その時点で2時間遊んでいてお友達たちも帰っていたので子に帰宅を促すが、なかなか承諾してくれない。結局実家に近い公園をはしごすることで納得してもらい、一度実家に帰って1枚羽織ってそこからまた1時間ほど子の公園道に付き合うのだった。

夕食は

スペアリブであった。同物同治ってこと?(筆者は肋骨骨折中)

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当初はこの日まで泊まらせてもらって翌朝フェリーで1歳児に海路を経験させてみようと思っていたが、両親が明らかに歩き出した1歳児のバイタリティを見誤っており疲弊の色が見えたのでお互い若干名残惜しい今が一番いい時だと判断して帰宅することにした。すっかり実家で過ごすことが板に付いた1歳児は帰りたくなくて号泣して大変だった。この子は人に罪悪感を抱かせる泣き方が本当にうまい。

連休期間中ではあったが夜の半端な時間帯であることが功を奏しスムーズに移動できた。ねんがんのデカタブレットと再会し、大画面でブログを書いたり積みエンタメを崩すチャンスだったが寝かしつけと共に寝落ちてしまった。