カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

5/3思想シーソー日記

実家の朝

筆者にとってのGW初日、昨日の爆ウマテイクアウト中華を食べて九州の至宝ブラックモンブランまで食べて風呂に入ると21時、ストンと寝落ちて肋骨の疼痛で起きたのが4時。

シンクロニシティというわけでもなかろうがほぼ同時刻に朝刊が届いたり第二子が夜(?)泣きしたりし、落ち着いた頃には目が覚めてきて5時にリセットされるソシャゲのデイリーを消化したりしているうちに第一子が2階の寝室から降りてきた。令和であっても子どもは休日朝早いのだ。

6時になると親父も起きてきたのでそのまま3人で簡単な朝食を作って食べた。実家ではこのパターンが多い。昨日は妹に占拠されがちだった(筆者がアバラをやられて抱っこに支障があるので親父がその責を担うことが多かった)じいじに甘えられて第一子も満足げであった。

暁の出会い

を果たして大感動したのもこの日であった。

先述の明け方のぼんやりタイムに出会ったプロジェクト・ヘイル・メアリーの二次創作がたいへん良かったのである。

 

筆者が感想記事で書いた「観たかった風景」が、筆者の貧困な想像力を大いに飛び越える形で、しかも2年も前にこの世に存在していた、こんなことがあるからインターネットはやめられない。様々な感情が去来したが、ここでは万感の「ワオ!」に留めたい。二次創作に抵抗がないプロジェクト・ヘイル・メアリーのファンの方はぜひご一読いただきたい。

ファーストシューズ

を買うのが本日の大目的である。第一子と同じようにふるさとのデパート山形屋のミキハウスでファーストシューズを買い、山形屋食堂で揃って食事をするというのが父母の祖父母としてのロマンであるらしく、我々としても拒む要素は一切なかったのでそのようにする。

しかしGWであり山形屋の魂である北海道物産展が開催中。開店凸を目指すが既に駐車場は長蛇の列であり、親父の熟練のテクニックにより我々はどうにか山形屋にたどり着いたが親父は他に車を停める場所を探す流浪の時間があった。

近頃調子がいいと5歩くらい歩く本日の主役である第二子は売り場に着くと日頃のアグレッシブぶりはどこへやら、よほど椅子の座り心地がいいのか微動だにしない。仕方がないので大人たちがかわるがわる履き替えさせてみる。

そのなかで、唯一履いたとたんに歩き出した靴があったのでそれに決めた。12cm。不思議なもので靴を履いた瞬間、どこまでもどこまでも歩いていきそうな頼もしさが感じられ、先ほどまで早く自分でシャキシャキ歩けるようになってほしいと思っていたのにもう少しゆっくりでいいのになんて感じてしまうから親というのは勝手である。

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10時半

という驚異的な時間に昼ご飯に取り掛かることになった。さすがに早すぎないか、天下の山形屋食堂もスカスカだよと思っていたが各人の注文が決まった11時頃になると既に行列ができ始めており、歴戦の薩摩人である親の判断に感謝した。

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筆者は北海道物産展の雰囲気を感じたいという思いから味噌ラーメンを選択し、また家族で全然「子」とは思えない「こぐま」をシェアして食べた。美味。出る頃には食堂は30分待ちであった。

祝日を享受する

分際としてなんで祝日かくらいは知っておきたい本日は憲法記念日、もちろんクンフーを顕彰するのではなく日本国憲法が施行されたことを記念しての祝日である。

仮にも法学徒として4年を過ごした筆者であるが日本国憲法の単位は履修していない⋯はず。教職員の資格を取るにも必修の科目で「そんな予防線みたいなこと⋯おれはしたくない!」とか変な理屈を捏ねて法制史の授業を取ったのがリーガルマインドを斜めから学ぶスタートだったように今となっては思う。

とはいえ憲法は最高法規であるから法学を学ぶにあたり当然そこここで顔を出してきたし、もちろんそれまでの義務教育や高校での授業でも学んできたので一般教養程度としては筆者も理解しているつもりでいる。

そんな筆者は改憲派である。

で、9条はこのままでいいと思っている。

筆者がヒジョーに困ったなあと思っているのは改憲派=9条改正派のようになってしまっていること。

筆者は今年で法律婚をして10年になる。(ちなみに結婚式はしていない)法律婚をしたのはそれにより伴侶の危機を助けることができると思ったから。

手術の同意や緊急時の面会、財産の保護、継承……学部生としての知識、新卒で入った税務会計事務所の経験から、婚姻というものの「既得権益」を嫌というほど痛感させられたし、隣りにいる人が少しでも善く生きる事ができるように、2人で暮らしていくのであれば、その事実に特典がついてくるのであれば、選択しないという手はなかった。

それはたまさか我々が異性であり、伴侶が「別に筆者の名字に変わってもいいですよ」という人であったから享受できたことである。

ヤダな、と筆者は思う。

それってなんか、我々がズルしてるみたいじゃない?

パートナーを得た人は、もちろんそれ以外の関係性も保障されることに越したことはないけどまずは第一歩として、現状の異性婚と同じ権利を保障してもいいじゃないか、と考える。

それは、憲法違反らしい。

じゃあ、改憲しましょうよ、というのが、筆者の持論である。

そんなことも保障してくれない憲法のほうが間違っている。

婚姻の平等を願う人々の中にはそうではなく現行の憲法の解釈によってどうにかしようという方もおられるし、実際のスピード感――筆者が安穏と法に守られている間にもパートナーの末期の手を握ることもできない人がどこかにいる――を考えたときにそうするべきなのかもしれないが、現行の憲法で多様な関係性を認めることはファミコンでSwitch2のゲームを遊ぶような無茶がやはりある、と感じる。ハードとして古くなっているのだ。

日本国憲法成立時、激減した人口を増やし基盤を安定させるために一番わかりやすく人口を増やしうる異性婚者を保護したことは理解できるし当時他のパートナーのあり方が浸透していなかったこともわかる。しかし今や人口すなわち国力ではないしただでさえ減っていく人口が「異性婚以外を認めない狭量な国」ということで流出してしまったらその方が問題ではないか、とも思う。

一方で既婚者九州男性として人生をやっていると「現状制度にあぐらをかいている不届き者」みたいな石を不意に投げられる時もあり、グエーとなるときもあるが、早くそんな時代もあったと笑い話になってほしいし、今の与党の絶対安定多数はそのチャンスでもあるので、今一度真剣に考えてほしいと思う。兵器を売った金でもらう給付金で子どもを育てたりしたくねえよ。

思いの外長くなってしまったのでこの辺りで。この間書いたようにタブレットを持ち帰れずにスマホで全体像をあまり把握しないままライブ感のままに書いてしまっているが、それもまたリアルだと思って欲しい。

昨日、日記を読んでくれた友人がプロテスタントとしての文章だと評してくれて嬉しかった。引き続きそうありたい。一昨日の日記を読んで心配してくれた皆もありがとう。

5/2むしゃくしゃムシャムシャ日記

連休が

折り返しですね。ウソだろ……まだ始まったばかりのはずなのに……CMのあともまだまだ続くよのまだまだくらい欺瞞じゃないかよ……。(この日記は5/3夜七時半に書いています)

5/2は普通に仕事だった。良い子の皆は医療保険の仕組みを知っているかな? 医療機関の自己負担ではない部分、つまり医療機関の売上の7〜9割近い部分はレセプトという請求書を作って毎月10日までに所定の方法で送らないと受付けてもらえないんだ(そして受付けてもらえたとて支払われるのは2ヶ月後なんだ)。

そう、毎月10日。年末だろうが年始だろうがGWだろうが毎月10日が締切なんだ。レセプトもだいぶ電子化が進んだけど未だにCD提出のものもあったりして、これは郵送に載せるので筆者が勤務しているような大都会では受付機関に届くにはどうあがいても+1日は見込んでおかなくてはいけないから今回のようなケースでは不慮のことも考えるとその作業をGWまでにするしかない。しかし作業中何かあっても受付機関はもうGW休みに入っているから繋がらないんだよな……ちくしょう……。

毎年このような呪詛をスタッフと吐き合うことで団結を高めている。共通の敵ってほんとうにすばらしいね。

幸いなのは今年は休日当番の割当がなかったこと。全国の休日当番医の皆様、本当にお疲れ様です。

読者諸賢におかれましては引き続きご安全にお過ごしください。日本の明日を最も真剣に考えているのが気象庁であるように、あなたの健康を誰よりも休日当番医が願っています。

業務が

一段落したところではてなブログの新着をチェックしていると素晴らしい日記ブログに出会った。

少し固めの文体から生まれるユーモアという自分の目指しているものの理想のようなブログでとても素晴らしかった。ブクマや読者登録ができないのが残念だったがそういうところも信念を感じて好きだ。

おすすめに上がっていた日記も素晴らしかったが、そこからご自身でリンクを張っていた日記がまた素晴らしかった。

hekigaura.hatenablog.jp

ありがたいことに我々は沢山のことばに触れられる日々を過ごしているしそれはとても素晴らしいことであるけれど、例えばTwitter(自称X)を主戦場にすることで思想も140文字ナイズされてしまったとしか思えないような人々がたくさん生まれたように与えられた場所やことばや読み物がしっくり「きすぎる」のは怖いことだと思う。自分のほうがそれに合わせたような生き方・考え方になってしまったらそれは本当に自分なのだろうか?

AIはこれからもどんどん進化していくだろうし便利になっていくだろうし既に筆者よりもずっと精緻で美しい文章をもう書けるようになっているかもしれない。

けれどそれはどこまでいっても自分のことばではないのだ。取るに足らないことだからこそ自分のことばで残したい。そう思って、今年もGWに日記を書くことに決めたのだった。

功夫

という素晴らしい蘭州牛肉麺のお店がかつて鹿児島・天文館にあり、その牛肉麺の美味しさはもとより油そばがメチャウマで、天文館そばに行くたびに食べていたのだが2年ほど前に閉店されてしまい、悲嘆にくれていたが、先月から当時から並行して経営されていた火鍋のお店をメインに再開してくださった!

「推しは推せるときに推せ」ではないが、閉店後から今までの「どうしてもっと食べておかなかったのか」の鬱憤を晴らすがごとく隔週ペースで利用させてもらっている。本日も帰省時の手土産として購入させていただいた。

豚のほほ肉のトロトロぶり、餃子のもちもちジューシーさ、ホルモンのスパイシーな味わい……どれも特級品だ。骨折さえしなければ、GW突入だ! カシュッ!となるはずだったことが惜しまれる。

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功夫三国火鍋←鹿児島市近郊であればuberや出前館にも対応しテイクアウトもされているので、鹿児島の方、GWで鹿児島に来たけどどこも混んでいるな……という方天気が悪くてホテルにこもりきり……という方にもおすすめである。書きながら、既にもう食べてくなっている。

5/1骨折りくたびれ日記

一昨年

kimotokanata.hatenablog.com

GWはそういえば日記をつけていたのだった。ナチュラルに去年の気分だった。恐ろしい。まあ実際には今年の筆者のGWは5/3からだしこれを書いているのは5/2なんだけれども前回の日記から今回の日記までの間に「去年の12月の日付のブログを半年にわたって断続的に書き続ける」という経験を積んだのでもはやその程度誤差である。ともかく日記を今年も書いてみようかなと思う。たぶん書く。書くんじゃないかな……まあちょっと覚悟はしておけ。

大型連休と

言えば積みエンタメの消化であるが(そんなことはありませんよ)、今年は実家に帰省している間に進撃の巨人かヒロアカを読み進めようと思っていたらでかタブレットを忘れたことに気づき大変気落ちしている。二大デケエ画面で読みたい漫画過ぎるだろ……。というか日記の更新も多大な影響が出るな……。やっぱりシークレット厄年なのか?

※シークレット厄年…本来の厄年とは別に個別に各人設定されている厄年のこと。いろいろとたいへんなことがおきる。今考えた。

やっぱり

というのは今年はまだ半分も済んでいないのに本当に色々なことがあり、具体的に言うと表題にしたように骨を折ったりしたのである。というか、前日譚として事故に遭ったのである。

事故に遭ったのは一週間前。いつも通りの帰り道、ちょっと違うとすれば昨年末から進めていた大きい案件が一息ついてボスからお褒めの言葉もいただき、多少心が軽いってことカナー

ボグッ

一瞬、何が起こったのかわからなかった。自分の車が突然故障したのかと思い、ブレーキを強く踏み直す(停止中だった)。信号が変わり、前の車が遠ざかっていく光景をぼんやり覚えている。ややあってようやく、愛車の背面に他人の車が突き刺さっているのに気付いた。

車から筆者と同年代か少し下だろう男性が申し訳なさそうな顔をして出てきた――直感で自分に非が無いことが理解でき、ハイになってもいたので警察署への連絡、車の安全場所への誘導、(センサーがいかれており少し動かすだけでこの世の終わりのような警告音がして恐ろしかった)家族、職場、保険会社への電話、レッカー車の手配、警察への説明、タクシーの配車依頼、現場検証の間、車を停めさせてもらったコンビニへの挨拶などサクサクとすすめた。ずっと首がぼんやりとした違和感があり、さりとて明日は先の案件のスタッフへの共有という一大ミッションがあったため、午後から受診することになった。

受信時には腰と脇腹も痛みが出ており、合わせて検査してもらった。受診結果は案の定むち打ち症状が出ているということで、しばらく通院してくださいということになる。

で、5/1。この日は朝から雨が降っていて、そのためか痛みがいつもより強かった。特に脇腹が痛かったので、リハビリだけの予定だったのだが精密検査を再度してもらった。

肋骨が折れていた。

痛いはずだぜ。

創作、特にバトルマンガだとポッキーのようにポキポキ折られるアバラだが一本でこんなに痛むとは思わなかった。(とはいえ一週間なんかいてえな~で乗り切れる痛みではあった)実に人生のおよそ半分前、高校時代に手根骨をアレして以来である。

My new gear……として貧相なチャンピオンベルトのようなものを装備することにより、痛みは多少和らいだ。これによりGWは慣れない代車とひび割れたボディで過ごすことになったが、流石に人身事故に切り替えようかな……と考えている。

 

「観たかった風景」は原作にも映画にもなかった――プロジェクトヘイルメアリーネタバレ感想

余談

kimotokanata.hatenablog.com

前回の記事で触れたように、映画「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を観た。1人で観た映画としてはシン・仮面ライダー以来?

今年に入ってから観た映画は「ドラえもん」と「私がビーバーになるとき」で、どちらも第一子と見た。今後一緒に観ることが確定している(前売り券を購入済)のは「マリオギャラクシー」と「クレヨンしんちゃん」。アンパンマン映画はもう、大丈夫。とのことだった。あんなにアンパンマン(あんまんぱん)を連呼していたのに、(今でもテレビでやってたら観たりするのに)もう卒業なんだな……とちょっとしんみりした。ドラえもん映画は去年から、クレヨンしんちゃん映画は今年デビューである。(去年のボーちゃんのやつもかなり面白そうだったけどタイミング逃したんだよな~)

メイトとは昨年「ザファ」の復活上映を観たのが最後である。今年もあるといいな~。

近場(車で1時間弱)の映画館では映画鑑賞ごとに1pt、6ptで一回無料というキャンペーンがあって、複数人で観る場合一回の受付だと1ptだが都度購入すると(一緒に干渉する人との間に他人が割り込んでくるかもしれないというリスクが一応あるけど)その度に貯まる。つまり「ザファ」「ドラえもん」「ビーバー」で丁度一回無料で観られることになっていたので、「家族のいる男がひとりで家庭も顧みず前売り券も買わずに(正直今の子どもたちのハチャメチャ具合だと2時間半も休日離脱するなんて不可能だと思って前売り券は買わずにいたのだ)高い金を払って映画を観ている」という状況はひとまず免れたわけだ。

ドリンクやポップコーンはとても蠱惑的だったし日頃「映画館を支えるためにそういうのはなるべく買いましょう」という言説に従ってもいたが、今日に限っては我慢することにした。すっかり、誰かと分け合うポップコーンでしか自分の食べる量がわからなくなっていたのだ。

そうなると途端に時間が余ってしまい、開場までの間、駐車場をぐるりと一周したりしてそれでも時間が余ってもう一周――まるで周回軌道みたいに――としたところでようやく入場。淡い期待だったがやはりワッペンは配布終了しており、俄然「大作映画」を観るぞ、という気持ちになってくる。

配給のタイミングなのか、3種類くらいの映画の予告編を繰り返し繰り返し見た後、「ひょっとして、ループしているのか?」と疑いだす頃に、画面は宇宙を映し出し始めた――。

本題

余談が、ながくなった。

ということでここからは「プロジェクト・ヘイル・メアリー」原作・映画の区別なく、一切配慮無くネタバレを致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久々の2時間半という長丁場映画、しかしそんな時間は全く感じさせなかった。そのスピード感のために原作から削られた描写もあったし、余韻のために新たに加えられた描写もあった。

ただ、原作を読み終えた時、勿論傑作SFを読み終えた! という充実感や忘れ難い余韻を味わいながらも、心中に引っかかっていたものは、映像化にあっても残念ながらそのままだった。

変則的な構成だが、時系列とかそういうことを丸っと無視して、映画原作問わず、プロジェクト・ヘイル・メアリーにまつわることで筆者が気になった順にトピックを挙げて書いていきたい。つらつらと書いてしまうといつまでも終わらなさそうなので。

教師グレースの残していった生徒たちについて

原作でも映画でもず~っと引っかかっていたのはこれだ。原作のグレース先生、大好きだ。今からあの言葉を言ってしまう……かつてそれを言っていた大人たちに冷たい視線を向けていた子どもだったことを忘れて……。

「あ~ 子どものころにこの本読んでたらなあ そしたらもっとちゃんと勉強したのに」

言ってしまった。さておき、大好きだ、原作のグレース先生(同じことを倒置してさらに強調するな)本人も述懐していたように子どもたちは大人が本気なのかフリなのかわかってしまうもの。原作のグレース先生は生徒に全力で向き合ってくれているいい先生だ。新しい知識を仕入れて「明日はこれを生徒に教えちゃお!」となってくれる先生、よすぎるよね。

だから……。原作でも映画でも万感がぐーっと迫るラストシーン……。グレースが「生徒」たちに、彼らの前世代の勇者たちが尊い命を散らした遠因でもある相対性理論についてクイズを出す(そしてみんなが理解している!)シーンが素晴らしければ素晴らしいほど、筆者はグレースが地球に置いてきたかつての生徒たちのことを思ってたまらなくなってしまうのだ。地球の「未来」「可能性」そのものの彼ら。少なくともグレースが目覚め、「真相」を知るまで、途方もないミッションに挑んだ動機の一つとして、支えとして、彼らはあったはずだ。

原作で生徒に言及されるのは帰路に着き、異常を発見するまでの間が最後。みんなに生き延びて欲しいがそうもいかないだろう――という思考の末、「深く考えるのはやめよう」となる。

映画では早々に生徒たちの言及はなくなってしまう。そもそも、生徒たちへの指導からしてなんだか今一つ覇気が無い。「学界を追われ、仕方なく腰掛けでやってます」という雰囲気がある。原作におけるアストロファージやペトロヴァライン周りの解説を生徒に振られて(仕方なく、という感じ、ちょっと解釈違い!)説明するなど脚本の工夫は見事だが……。

書きながら気づいたが「教師グレース」の象徴である「地球」をロッキーにプレゼントするのってアシタカがカヤちゃんからもらった首飾りをサンにプレゼントするみたいだな……。

ちょっと話がそれた。原作、プロジェクトヘイルメアリーが成功した(太陽が元の光度を取り戻した)時、筆者はその成し遂げた人たちの中にグレースのかつての生徒がいて欲しかった、というかいたと信じている。(地球上で経った時間のことを思えば、そうなっていてもおかしくはないだろう)できれば、それをグレースの旅立つまでが描かれた時のように、カットバック形式でサラッと書いてほしかった。我々読者は知り、グレースは知ることのない、彼が地球に残してきた意思が、知識が、ちょっとした屁理屈や時々使いどころを間違えるユーモアが、しっかりと息づいていることを教えて欲しかった。だって、あとからまた書くかもしれないけど、この物語は宇宙の果てでロッキーというスパダリに会ってなんとかなったぜって話じゃなくて途方もない積み重ねの尊さを知らせてくれる物語だと思っているので。

そういう意味で、映画の授業シーンではさっき述べたような解釈違いこそあったものの、プロジェクトヘイルメアリーに関する要素に対して異様に食い下がる生徒が出てきて伏線では? と期待してしまっていた。

果たして、映画では追加シーンで「ビートルズが到着した地球」がほんの少しだけ描かれる。今だ! 冒頭の生徒が成長して登場するチャンス! と思ったものの、残念ながらそういったことはなく、地球上での「グレースが教師として生きた証」が示されるチャンス、筆者が観たかった風景はやはり展開されなかった。

小説を読んだとき、久々に学ぶこと、新しい知識を得ること、既存の知識を組み合わせて困難な命題に取り組むことの楽しさを味わうことができた。それは間違いなくグレースの語り口あってのことだったし、そういう教師の天性があるということを作者のアンディー・ウィアーとしても伝えたかったのだと思う(だからこそあのラストシーン)ので、いっそう、観たい風景だった。

「その後の地球」について

その追加シーンについて。

筆者は劇場で観た時、「現実の世界だったら多分飛び立って持って二三年で一回地球が超混乱してストラットはよくて更迭悪くて処刑されてそうなので映画の世界は民度が高くて素晴らしいな」と思っていたのだが、監督によるとやっぱり数年で世界は混乱してストラットは終身刑になったけど脱獄して逃亡しながら世界を救う旅を続けているんだって。(タトゥーは終身刑・仮釈放なしを示す)そこは何とか劇中で説明しとこうよ!

www.slashfilm.com

ちょうど今Xで「インフラ系ヒロイン」という言説が広がっていてその意味するところはよくわからないけれど管理者権限系ヒロインであるところのストラットは原作ではある種裏主人公的な印象のある人物で、人類を(できるだけ多く)救うという目的のための自身の考える最短距離をズバズバ突き進んでいく様はグレースが様々な仮説を立てては失敗し、挑戦しては試行し、飛躍しそうになったら踏みとどまる「善き人」であるだけに一層鮮やかで一種痛快ですらある。

ただ、彼女にはその資質があるけれど本性ではない。役割(ロール)を演じているのだ。

「わたしが大学でなにを専攻したか知ってる? なにで学位をとったか?(中略)歴史よ。歴史専攻だったの(中略)たいていの人は科学か経営学専攻だろうと思ってるけど。あとはコミュニケーションとかね(筆者注:すごいユーモアだ。後略)」

――プロジェクト・ヘイル・メアリー下巻274Pより引用

核を用いての地球温暖化、湿地を破壊してのパネル設置、沢山の知的財産権の侵害、そしてグレースへの死への片道切符の強制――冷酷な科学の権化として君臨していたストラットは元々は歴史学者。それを知ると、合理的ではあるけど極端な先述した数々は本来専門家でない人が「そうあろう」として必死に大げさにやっているようにも見えてくる。

ストラットは賢者だ。歴史から学ぶ。その結論の到達点がグレースを犠牲にすることだった。しかし一方で歴史というものは先人や自らの経験値を積み重ねた人々がちょっと(あるいは、すごく)はみ出していくことで変えてきた。グレースがそうであったように。

これまた追加シーンのカラオケの歌唱は映画のハイライトの一つだろう。そもそも映画ではそれまでのストラットの「悪行」はかなりマイルドにされているけれど、彼女の人間性を感じさせるのにとても効果的なシーンだった。なんか爆発直前のシーンではグレースといい感じだけに、そこからの原作通りの急転直下が悲しい。

自分が役割を演じているからこそ、同様に演じてくれないグレースに一層当たりが強くなってしまったのかもしれない。

演じるといえば、エヴァ・ストラットという人物にザンドラ・ヒュラーをキャスティングした人はすごい。超大作を二時間半に収められた理由の半分はキャスティングだろう。とりわけザンドラ・ヒュラーとライアン・ゴズリングの演技、特に目の表情の巧みさは時に百万言より雄弁で、観る側に説得力をもたらしてくれた。ロッキー役のエリディアンについては残念ながら筆者は今まで把握していなかったが、今後引っ張りだこになることは間違いあるまい。

おっと、やっぱり話が横道に。残された側、しかしどっこい生きているストラットがグレースがビートルズに託した映像を見る、この時の目! 素晴らしい。彼女が歴史から導き出した「賢者の論理」を、ほぼ間違いない人類の滅亡を、見事打ち破って見せたグレースへの心地よい敗北を味わっている視線。最高なのだが、しつこいようだけどストラットにはグレースの「生徒」にも心地よい敗北を喫して欲しかった。

あの映像のどこかでグレースが本人も特に意識せず、「クイズ」を唐突に出してストラットの後ろから笑顔でかつての生徒が答える、その表情にはストラットに対して「どうだ」という、自らの師の功績を誇る色がある――そんな風景が観たかった。

あと、せっかくビートルズなんだからあのシーンは「ヒア・カムズ・ザ・サン」流してほしかったな~。

ヒア・カムズ・ザ・サン (2009 Digital Remaster)

ヒア・カムズ・ザ・サン (2009 Digital Remaster)

  • ビートルズ
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

Here comes the sun, doo-doo-doo-doo
Here comes the sun, and I say
It’s alright

Little darlin’, it’s been a long, cold, lonely winter
Little darlin’, it feels like years since it’s been here

Little darlin’, the smile’s returning to their faces
Little darlin’, it seems like years since it’s been here

Sun, sun, sun, here it comes

Little darlin’, I feel that ice is slowly melting
Little darlin’, it seems like years since it’s been clear

It’s alright

太陽が戻ってくる

もう大丈夫さ

長く孤独な冬だった

こちらに来てからずいぶん長いこと経ったみたい

みんなに笑顔が戻るだろう

ずいぶん長いことかかっちゃったけど

「陽はまた昇る」ってやつさ

氷河期だって終わる

久しぶりに「晴れ」を思い出そう

大丈夫だからさ

――Beatles「Here comes the sun」より引用。和訳は映画版「プロジェクトヘイルメアリー」を踏まえて筆者が好き勝手やったもの。

逆に言えば、この他にも「チケット・トゥ・ライド」だったり「ゲット・バック」だったり筆者のような凡人であれば色々入れたくなってしまうところ、あのように絞るのがやはりプロの技、ということなのだろう。

「ネタバレ厳禁」の功罪

一番言いたかった「いや地球の生徒わい」ということを書いていたら5,500字を超えていてさすがに少し落ち着いた。ところで、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」については「ネタバレ厳禁」と言われ続け、映画のプロモーションも直前まではフォローした人にリプライを送るという前代未聞の形だったりした。

筆者も例にもれず、先人からネタバレを踏まないようにと言われ、そのようにした。電子書籍だったので残りのページ数とかで展開を予想したりとかもせず、純粋に文章を追いかけていられた。

読み始めた時の感想は「すべてがFになる」を初めて読んだ時を思い出した。何か賢そうな独白があり、文章空間のイメージとして「白い」がある感じ。

「信頼できない語り手」が信じられないようなことをどんどん言ってくるし、置かれた状況がとんでもないことが語られる。少しずつ語り手と読者の知識や前提条件が繋がっていき世界が輪郭を確かにしていく頃に訪れるファーストコンタクト。

これかあ~~と当時思ったものだ。こりゃ確かに知らずに読んでほしいわ。あ、そっちのジャンルもやってくれるの!? という嬉しさというか、サービス精神旺盛さというか。

ただ、これは上巻の大きな大きなハイライト、筆者は下巻でも何か「ネタバレ厳禁」な何かがあるに違いないと警戒し、そちらに神経を配るあまりタウ・セチでの大冒険には熱中できていなかったかもしれない。

映画と同様に原作も地球でのできことが時系列順に段々と近づいてくる、ここに仕掛けがあるのだろうとは思っていて、(このカットバックはとても映像的で「ネタバレ厳禁」ではあるけど「映像化不可能」とは全く思わなかった)

・ヤオとイリュヒナをグレースが殺害したのをそのショックで自ら忘れている

・本当のグレースは既に死んでいて、語り手のグレースはクローンまたはアンドロイドである

のどちらかだと思っていたのだが、下巻の大ネタとしては恐らく「グレースは自分の意志で搭乗したのではない」という部分だったのだろう。確かにすっかりグレースに感情移入していたのでショックではあったけれど、個人的には想定を超えてはこなかった。

映画から観た人には「それで、なんであんなにネタバレ厳禁って言われてたの?」ってなるのも無理はないだろう。予告編でロッキーがバリバリ出てくるし。個人的には予告では「何か(ブリップA)の影が映る」くらいでよかったんじゃないかなあとも思うが、このロッキーフィーバーの前にどちらがプロモーション的に正しかったなんて言うまでもないだろう。もう少ししたらロッキーが表紙にめちゃくちゃデカく載っている文庫版とか出るんじゃないか。

筆者的にはネタバレに対しては「公式がTwitterで話題にしたらある程度言及していい」くらいの気持ちでいるが、あまり過度に言われるとハードルが無限に上がってもしまうので難しいな、と感じた。それこそ「シン・○○」系も色々大変だったネ……。

友情に振るのは分かったけどそれにしちゃあもったいないことをしている気がする

その「ネタバレ解禁」も今は昔、ライランド・グレースのイニシャルがライアン・ゴズリングと同じでアテ書きの「におわせ」だったという話がフツーにTLに流れてくるくらい大ヒットしているわけであるが、さっきもちょっと書いたけど確かにグレースだ! という実感がすごかった。筆者は地元のゆかい温泉施設「スパランド裸・楽・良」を思い出してしまうこともあり「ラ・ラ・ランド」は未見なのだが、観たくなってしまったくらいだ。長大な原作を支えるグレースの独白が圧縮された彼の表情、とりわけ目の動きは――ザンドラ・ヒュラーの時と同じことを言っているが筆者のような人間にもわかるくらいどちらも多くのものを内包している目なのだ――たまらない。

動きとしては隔離されながらアストロファージが生物であることを突き止めた時、ロッキーが恐らく彼にとってのヘイルメアリー・パスとしてキセノナイトでメッセージを託した、それを宇宙空間で受け取った時のガッツポーズがそれぞれ特に印象に残っている。

少し残念だったのがロッキーとの出会いで最初は「恐怖」が勝っているようだったこと。原作は地球のみんな、すまねえ。でも目の前にファーストコンタクトがぶら下がってるからよ……! くらいのぶち上りっぷりだったので余計に。(それでまた、読者としてもいやあ、いくっきゃねえよな! ここはよ! みたいな気分にさせてくれるのだ)ただ、宇宙船の追いかけっこはシュールで面白かった。

そこからの「バディ」ロッキーとの出会い、これまたたくさんの積み重ねと試行錯誤で意思疎通する原作の面白さは減ってしまっているけれどロッキーの「視界」は映像ならではの凄味を感じたし、自分の動きをトレースしてくれるロッキーから去りがたいグレースの仕草に彼らそれぞれの孤独を思い、しみじみとさせられた。ロッキーがいかにして一人になりそこから孤独な時間を過ごしたかも、原作の放射線の恐ろしさよりも「エモ」に比重が置かれていたと思う。映像で宇宙空間の果てしなさがこれでもかということ描写されるだけに、一層響く。

そこからのいわば日常パート、タウ・セチでの息の合った連携とそれぞれが命懸けでの相手へのフォロー……映像美の真骨頂だ。特撮の意地というのも見せてもらったように思う。

ただ、死を半ば覚悟していたグレースへのロッキーの「アストロファージあげるよ」周りがちょっと軽いかなあ、というのはあった。

相対性理論や放射線を知らないために必要量以上のアストロファージを積み込み、クルーが犠牲になってしまった、しかし、その「無駄な」アストロファージがグレースを救うことになる禍福は糾える縄の如き展開、死を覚悟していたグレースが思わずあふれ出す安堵の感情……。それらはライアン・ゴズリングの特級ハグによってエモに包まれ深い感動となるものの、もう少し前段の「その手があったか!」感も含め、描写があっても良かったなと。

禍福は糾える……と言えば、その決死行で無事得たタウメーバのコントロールのために大活躍した窒素は爆発事故によって搭乗できなかった正規科学者デュボアの自殺のための用品だし、(なんで積みっぱなしだったのかは不明、グレースはああいう乗せられ方だったので文字通り死に方も選べなかったということなのだろうか)それまで無敵で素敵な超技術だったキセノナイトが地球を救うために進化させたタウメーバの前には全く無力になってしまったりといった展開の目まぐるしさも薄れてしまっていたのは残念だった。

命を懸けて得たそれぞれの故郷を救うアイテムをそれぞれの知恵と技術を持ち寄って増やし、それぞれの必要分を分かち合って永遠の別れを交わす――あとは凱旋したグレースが「学界を通報された俺が世界を救う英雄となった件~ESA長官が謝ってくるけどもう遅い~」する様がエピローグ的に描かれていくのかと思いきやエラーが発生し、対処はしたもののこのままでは親友の宇宙船が大きな棺桶になってしまうと知った時の衝撃。

原作を読んでいてもここのショックが一番大きかった。片道切符の旅で、でも帰れるかもしれなくて、実はそもそも無理やり生かされてて、ミッションをやり遂げられるかもわからなくて――でも、できた。

後は帰るだけ。英雄になるだけ。凱旋。

自分だけは。

友人は? 死ぬ。

そんなことってあるのかよ。

映画はその前に「そんなカス母星なんて捨てちまえよ!」と言いたくなるように最悪の真実がこのタイミングで告げられたりするのだが、原作ではグレースは生き、ロッキーは死ぬ、あるいは、その逆。例外はない。という残酷で冷たい方程式が淡々とわかりやすく語られ、読者はただそれでもどうにかならないかと祈るようにページを繰る。

そして、グレースはロッキーを助けに向かう。すなわち、自らが死ぬことを決断する。それでも母星には義理を果たしてビートルズたちを旅立たせて――映画でのこのシーンは本当に素晴らしかった。

ただ、特に映画では直前に情けなく死にたくなくてわめく無理やり乗せられるグレースがいたからこそ、「改めて自分で片道切符を選択する」グレースの覚悟をもっと感じたかった。自己犠牲とかではない――恩寵(グレース)――結局のところこの物語は史上最大規模のラブストーリーなのかもしれない。(エヴァ=イヴであったり、ロッキー=ペトロであったり聖書的な下敷きが用いられるのは洋画では珍しくないが、こういうのを見るたびに聖書をちゃんと読まないとなあと思う)(なんでロッキーがペトロになるのかはゴールデンカムイを読めばわかる)(なんでだよ)

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もちろん、再会からのハグは最高だった。それだけに、そのためにグレースが何を差し出してそこまでやってきたかをもっと伝えてきてほしかった。映画の組み立てならなおさら。

極めつけは禍福は糾える縄の如しの最終着地点――死の覚悟を決めてやってきたブリップAに大量に貯蔵されている憎き? 変異型タウメーバを食料とすることでグレースも生き延びる目算が経つ――という大いなる隣人愛が還元される帰結が映画でははっきり示されなかったのも残念だった。トロッコ問題なんて関係ねえ! だっておれたちはトロッコじゃなくてヘイルメアリー号とブリップAだから問題ごとぶち壊してまた構築してやっていくぜ! というあの思考の死角を突かれる感じ、味わいたかったぜ。

おわりに

なんとここまでで9,400字になってしまった。3,000字くらいでサクッと書くつもりだったのに……。ここまで読んでくれた方、どうもありがとうございます。

あとは流れの中で言及し損ねたけど書いとかないと一生外に出さなそうな感想を脈絡なく出力して終わりにします。今までもそうか。

仮にメアリーと呼ぶけど、あのヘイルメアリー内のシステム、よかったなあ~。「怪盗クイーン」シリーズのRDや「ウルトラマンジード」のレムを思い出させてくれた。フツーのSFだったら相棒ポジになっていると思う。なので映画ではエリドでも元気にやってる姿が観られて嬉しかった。

ほんとにのっけのヤオとイリュヒナ、泣かされましたよ。こればっかりは原作既読の特権かもしれない。特に規律正しいイメージのヤオがお子さんと一緒に変顔している写真……本当に素晴らしいカットだった。彼の人生、大切な者たち、それを守るために自らが死地に向かう覚悟、たった1枚の写真でヤオという人間を理屈ではなく精神(こころ)で理解できた気がした。あれで「この映画、いいぞ!」早速確信が深まった。

正規科学者と副科学者、デュボアとシャピロ。あまりに単純なミスで飛び立つことが叶わなかった二人。――本当にミスなのだろうか? そもそも万が一を防ぐためのバックアップなのにどうして二人ともその場所に? 離れて別々の場所にいることがリスクヘッジなのでは? 恋人同士だったから? あれはもしかして二人の心中ではなかったのか? そもそもストラットが上記のリスクヘッジを見逃すだろうか? 推論に推論を重ねてしまうけど、あの時点でのストラットはグレースが本当はヘイルメアリー号に登場したいと考えていて、二人の心中を見抜いてはいたけど席が空くから見過ごしたのでは……? というのはさすがに陰謀論過ぎるだろうか。

ロッキー、流石に可愛すぎる。もっと渋い声でもよかったかなあ。(動きとギャップが出て)最後のシーンがどれくらい経っているのかよくわからないけど、エリドまでの旅の間も二人は相当話をしたろうし、いまだにカタコトっぽくなっていたのはちょっと解釈違いだった。

コミカライズも予定されているようで、楽しみである。10,000字超えてしまった。誰かに届けばいいなと願い、インターネット宇宙にこの文章を投げたいと思う。Hail Mary!

テキサせ! 唐突BBQ部!あるいは一般家庭レンジでテキサス風BBQを作った話

※生肉が急に出てくることがあるので苦手な方はご注意ください

余談

Twitter(自称X)がにわかに賑わいを見せているかと思えば今までは翻訳を任意にクリックする必要があった他国のツイートが自動翻訳されるようになったらしい。アルゴリズムも変化したのか、たくさん流れてくるようになった。

勝手に翻訳するといういかにもX的な使用はもちろん誤訳他による解釈の行き違いを招く可能性もあり一切懸念なしの大絶賛とはいかないけれども、手元の薄い板の中で展開される国際交流は単純に知的好奇心を満たし面白いものであったし言い回しなどにそれぞれの育った場所の個性が出ているようで面白かった。

我々夫婦はどっぷりインターネットであり、夫婦LINEはそれぞれのTLで見かけたツイートをシェアすることもしばしばだ。(この記事や子どもたちの記事も事前にチェックしてもらった上で公開している)

先週特に妻は海の向こうのBBQについてのツイートを多くシェアしてくれた。海の向こうではあるものの、幼少期海軍基地が身近であった彼女にとっては(妻の語る本場ハンバーガーのおいしそうなことと言ったら!)懐かしい思い出の風景でもあるのだろう。昨年は第二子の誕生もあり、帰省できていなかったことが改めて申し訳なく思い出された。

お詫びにというわけではないが週末は筆者が第二子の面倒を見て、(第一子は春休みを利用して筆者の実家にお泊り中)妻は愛するスパイスカレーを一人でゆっくり食べてもらおうかと思った。

しかし妻は、「映画が観たいんでしょう、観てきたら?」と筆者に「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を鑑賞を促してはくれたものの、スパイスカレーについては後日でよいということだった。

観賞後、筆者は業務スーパーにいた。塊肉ほか、シーズニングなどを調達するために。

妻が欲しているテキサス風BBQを、何とか実現させたいと考えたのである。

本題

余談が、ながくなった。

以下、基本的に下記noteを参考にチャレンジを行った。とても参考になるので純粋に家でテキサりてえよ~と思った読者諸賢はこちらを参考にすべきだろう。著者がランプ肉をサーロインとイチボに正確に切り分けるスキルを持っていらっしゃることが突如発覚するシーンなど素晴らしいハイライトである。

note.com

本場テキサスではブリスケット――広島出身の妻からすれば「コウネ」という名前で親しみ深い部位――を用いて調理するということだが見当たらず、妻好みの赤身肉ということでランプ肉のイチボサイドを採用した。

オーストラリア産約800gで3,000円くらいだった

テキサス風BBQなのにオージービーフ? というやつをコンロに放り込んだところでニンニクパウダーやマスタードを購入していく。あとはこのチャレンジの要、スモークリキッドなのだが残念ながら取り扱いが無かった。すっごく細い春雨は3バージョンくらいあるしパッケージでは何味か全く想像がつかない異国のアイスはあるが、スモークリキッドがない我が町の業務スーパーに大勢のニーズに応えることの難しさをしみじみ考えるのであった。

幸いAmazonにあったので即注文した。明日には届くらしい。最近この大都会薩摩においてもAmazonの翌日届くものが増えて消費者としてはありがたい限りだが、どこかで何かがきしんでいるのではないかと恐ろしくもなる。

提案してから大変乗り気だった妻に(上記のnoteも妻がシェアしてくれたもの)スモークリキッドの到着のため明日以降のチャレンジになることを詫びると、

「いいよいいよ、肉の解凍もあるし。明日からここはテキサスや」

と気前よく許してくれた。

テキサスチャレンジ・初日

翌日夕方、Amazonからスモークリキッドが届いたと妻からLINE。肉の解凍も完了したらしい。文章だけでも伝わるテキサス魂。仕事が片付くのはまだ先のため手伝えないのは無念だが、なにせテキサス風BBQは時間がかかる。睡眠時間に直結するため、また妻のはやる気持ちを抑えるのも無粋と思って妻単独でのテキサスチャレンジが始まった。

解凍され美しいルビー色を魅せるイチボ(各400g)

マスタードはシーズニングとの「接着剤」と思って塗ると良いらしい。

律儀にも妻は作業工程を写真に収めてくれていた。心配になるくらいのマスタードだがうろたえない。テキサスレディやテキサス野郎はうろたえないのだ。

目分量である

ピエール瀧、槇原敬之、岡村靖幸、長渕剛にんにく、塩、砂糖、胡椒をアメリカンな量投入し、混ぜ合わせていく。これをドライラブといい、テキサス風BBQの要である。

ここで躊躇するようでは荒野を生き延びることは出来ない

このドライラブをたっっっっぷり肉に擦り込んでいく。妻の細腕でここまで立派に擦り込んでくれたことに感謝が堪えない。

テキサスの風を感じ駆けつける第二子

ここまでくれば後はステージは電子レンジへと移る。使用歴五年目、昨年一時期故障によりただ入れたものを輝かしく紹介するだけの箱になっていた彼だが、ギリギリ保証内だったため無償で修理されて帰ってきた。まさか自らがテキサスになるとは思いもよらなかったことであろう。そのため、五時間連続過熱機能なんてないのは仕方がないことである。ぶっちゃけおまけくらいの感じのオーブン機能なのだ。

だが、今回のチャレンジにおいては定期的にスモークリキッドを噴霧するというのも重要なミッションである。タイマーを60分にセットし、130℃予熱なしで開幕のスイッチは押され、我が家の電子レンジはテキサスになりはじめた。

電子レンジはテキサスに生まれるのではない、テキサスになるのだ。我が家の電子レンジもまた……。

1テキサス

2テキサス

3テキサス

4テキサス

5テキサス

ちょうど5テキサスと6テキサスの間に筆者は帰宅した。花粉症で慢性鼻詰まりの筆者でもドアを開けた瞬間ガツンと鼻腔をくすぐられるテキサスフレーバー!

靴を脱ぐときに思わず足元をタンブルウィードが転がっていないか確認したほどだ。リビングへの扉を開けると一層香りの密度が高まり、香りだけで豊かな顎髭が生えそろいそうだ。

折よく鳴った聴きなれた電子レンジの時間を知らせるアラームもどこか誇らしげである。

5テキサス目を終えた肉は美しいバークが形作られていた。筆者も今まで焦げだとばかり思っていたバークとは肉の表面に形成される黒い皮膜のことで、これは焦げ付きではなく、肉のタンパク質、スパイス、スモークの煙の粒子が低温で長時間加熱されることで起こる複雑な化学反応によって形成される「テキサスBBQの魂」。

この黒光りするアーマーによってテキサスBBQはその内にうまみと水分を閉じ込め、Tender&Moistしてくれるということだ。

わずか一日でこの荒野の極意を会得した妻は手慣れた手つきでスモークリキッドを振りかけると、本日最後のテキサりを開始した。

待っている間見るのはもちろんネトフリの「バーベキュー最強決戦」。おのずとテキサス代表を贔屓しながら見ているうちに、再び愛馬エレクトロン・レンジャーがいなないた――失礼、電子レンジが6テキサス目の終了を告げた。

6テキサス

 

もはやため息が出るようなバークである。ここまでバークを育てるには眠れない夜もあっただろうと声をかけたいところだが、一般家庭の電子レンジでわずか半日で成し遂げた妻に感嘆することしきりであった。

早速ナイフを入れてかぶりつきたいところだがそれではノー・テキサス。

で、でたーッ! 妻48の必殺技の一つテキサス・クラッチだぁーッ

一度肉を包んで休ませるテキサス・クラッチなる秘伝を筆者に伝授してくれる妻であった。参考にしたnoteもここから一日開けたということで、我々もそれに倣うことにした。

なにしろまだテキサ道はまさしく道半ば。ここから6時間の加熱が待っているのだ。

テキサスチャレンジ2日目~そして実食へ~

ガラガラヘビに襲われることはない適温の室内で目を覚ますとテキサスの香りに包まれる。テキサス・クラッチを施した肉にはそのうえで一応ラップもしてみたが部屋自体に充満する香りは換気扇を全開にしてもなお満ちていた。

おそらく妻は起き次第今日のチャレンジをはじめ、昼頃完成を見るだろう。

妻のこと、筆者の帰りを待って晩御飯でと考えてくれているかもしれないので、昼にでき次第、調理者の特権として即食べてみて欲しいとお願いした。べ、別にブログのネタにしたいから早くレポートして欲しいだけなんだからねっ。

ここから別の試合が始まるぜ

ちょうど出勤したころ、妻からは了解の返事とともに「パンも作る」と続けて発言があった。筆者はてっきり妻がテキサスジョークまで身につけたのかと思った。なぜってパンを焼くためのオーブン機能はまさに肉を焼くために使われているのだ! それも6時間も!

生ハム・バジル・チーズ…うまくないはずがない!

「パン」が!「焼成」されているゥーッ!

ところが妻はフライパンを駆使してパンを生み出していた。BBQを作りながらさらに一品、まさに昨日視聴していた「バーベキュー最強決戦」を思い起こさせ、妻の柔軟な吸収力にまたも一本取られてしまった。

このmoist感が伝わるだろうか

そしてついに「その時」はおとずれた。累計12時間、向き合い続けた肉についに刃が入れられる。出てきたのは美しい色にしっとりとうまみをまとわせた極上の肉。

小食な妻と娘で一塊400gをあっさりかたづけたというからその「本物」ぶりがわかるというものである。

これ全部食べました

流石鉄の忍耐力を持つ妻、筆者が帰宅する夜までのこり一塊は大切に残してくれ、家族で分け合って晩餐とした(パンも残してくれていた、やさしい)

美しい断面

一口かじった瞬間12時間という重みがうまみとともに口内にあふれるような感覚だった。この肉は見た目以上に「重い」!そして不遜ながら畜産県に生まれ育って肉牛に関しては相当舌が肥えている自負がある筆者だが、類を見ないうまさであった。鹿児島の一般的な焼肉とは違う、一つの肉の料理法の頂点を垣間見た気持であった。

しかしそれでも妻は「ジャーキーみたいになってしまっている部分もあった」と反省を怠らず、筆者としても和牛日本一鹿児島県の誇りがあるため、時間などを調整して今度は鹿児島の牛で挑戦してみたいと思う。

密度の濃い時間を過ごさせてくれた遠くの地のピットマスターたちとすぐ隣にいてくれる妻に敬意を表してひとまず終わりとする。

あの「ゼロ」と僕たちについて。

まことに大きな巨人が、六十周年を迎えようとしている。

「大きな」

と言えば、当時特撮において大きさとは、恐怖の対象であった。巨大な回避不可能の災厄として象徴的なゴジラをはじめとして、御しがたく、意思疎通が難しい存在として「大きいもの」はあった。それは劇場に見に行くものだった。当時の特撮ヒーローは等身大で、茶の間に収まる規模で子どもたちに身近さと模倣しやすさを担保していた。

その暗黙の境界線を踏み越えたのが、ウルトラマンであった。ウルトラマンによって人々は初めて茶の間のテレビに銀幕の迫力で、巨大なヒーローが活躍するということを目撃した。

誰もが、

「目撃者」

となった。文字通りのスケールの大きさに、不慣れながら「目撃者」となった人々は、その新鮮さに高揚した。

この痛々しいまでの高揚がわからなければ、この時代の特撮はわからない。

社会のどういう階層の、どういう家の子でも、風呂敷も、銀玉鉄砲も、棒切れさえも必要なく、我が身さえあれば、光の巨人に、ヒーローになり得た。
現代に続く特撮の隆盛の一端は間違いなく、その円谷がもたらした想像力(ツブラヤ・イマジネーション)から来ている。

今から思えば実に滑稽なことに、円谷プロダクションというひとびとは、毎週放送されるテレビ特撮番組で映画並みのクオリティを追求した。ウルトラマン以外でも同様である。財政の成り立つはずがない。

が、ともかくもいいものを作り上げようというのは、もともと円谷プロ設立の大目的であったし、円谷英二の少年のような希望であった。

60年代の終わりとともに英二が没し、円谷プロ自体も斜陽の時期が訪れた。作り上げた魅力的なキャラクターがもたらす収益で、新たなキャラクターを生み出すための費用を補填する日々が続き、2007年に連結子会社化。2009年7月には経営陣から円谷一族が完全に離脱した。

その先の、話をしたいと思った。

思った、というのは正確ではない。

今年の初め、親愛なるブロガーの友人たちと古き良き「ブログバトン」のような企画をやってみないか? という話題になり、全員乗り気で行うことになった。そのような志を持つ方々の末席に座る、あるいは露払いとなる機会を得た。
その機会を、企画として「リレー・リレーション」と名付けた。

この企画の栄えある第一回は、2009年7月、「ゼロ」になった後の円谷から生まれた当時最も若かった巨人が今、60周年記念映画の主人公としての大役を担うまでどのように振舞ったかという物語である。

主人公は、勿論あの蒼き英雄になるかもしれないが、ともかく我々は5人の人物にその軌跡を教示してもらわねばなるまい。

稀代のアウトプッターである結騎了さんからは、彼が銀河の光以外に、我々に何を取り戻したのかを。
アメコミ映画にも造詣深いかずひろさんからは続編映画においてヴィランの手法がいかに効果的にウルトラ文脈に取り入れられたのかを。
確実にその動向を円谷も把握しているだろうれんとさんからは地上波に「ウルトラマンの新作」をもたらした功績や徒手空拳のヒーローが武器とともに何を手にしたのかを。
まさしく彼同様親子で眩く輝いてるRyoさんからはジードにおいて「青二才」であった彼がどのように成長し物語に影響を与えたのかを。
新学説発表のたびに界隈を震撼させているぞひ丸さんからは全世界配信肉体言語コミュニケーションがなにをもたらしたのかを。

学ぶことができるかもしれないし、そうではないかもしれない。いずれにせよ、ここからは筆者も企画参加者というよりは彼らのファンとして、楽しみに更新を待ちたいと思う。

彼らはウルトラシリーズのファンであって、狂信者ではない。その体質として肯定のみを語ることはない。見上げた巨人の大きさに威圧されることなく、その肩越しの空にひどく輝く星を見つけて、追いかけていく様を見せてもらえることであろう。

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第二子純粋期の終わり

余談

今年も「なぜ今年も始まったばかりなのに2月の話とかするのだろう……」とか思ってたらもう今週末2月じゃあねーか のタイミングになってしまった。ここまでくるとさすがに年が明けたことを認めざるを得ない。
来年のことを話すと鬼が笑うというが昨年のことを話すとどうなるのだろう。落ち込むかもしれない。ちょうど来週が節分なので、このあたりで去年末からの話でもして鬼にデバフをかけておきたい。間違ってバーサク状態とかにしてしまっていたらごめんなさいね。

とか言っていたらなんと年度末である。さすがにささっと書いておきたい。

昨年末はおかげさまでブロクリを完走し、感想も年内に終わらせられて年末年始休みでオブザイヤー的な記事だったり日常の記事だったりコンテンツの感想記事だったり書きたいな、それではなくともブロクリにいっぱいいっぱいで他のアドカレ記事を読みたいな~と思っていたのだが、家族が突然入院し、慌ただしく正月休みが過ぎ去り、2月は逃げ、3月は去ろうとし、その間第二子は居間すべてをそのテリトリーに収め、筆者が安穏と打鍵できる空間は消失してしまった。

そうするうちに第二子純粋期もまた、終わりを迎えていたのである。

本題

余談が、長くなった。

もし拙ブログを追ってくれている人がいるならばはて、と思うかもしれない。我が家の第二子は昨年生まれたばかり、純粋期の終わりどころかまさに真っ只中ではないか――と。

 

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誤解を招く言い方であった。第二子はついぞ微笑むことはなかった――と言うべきだったかもしれない。

あるいはまた、第二子はいい赤ちゃんでなかった――と言うこともできる。

ますます混乱させてしまったかもしれない。

第二子はこのたび、退院してこの方飲み続けていた雪印メグミルクの粉ミルク「ぴゅあ」を卒業したのである。

 

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我が家の第一子のとき、明治「ほほえみ」が救世主であったことは前に述べた。キューブ状のミルクは慣れぬ短時間睡眠のなかでの育児でも正確な量のミルクを素早く与えることができ、台所周りが散らかることもなかった。出せる日が少ない空き缶でベランダのごみ箱が圧迫されることもなかった。味もいいらしく、第一子はガンガン飲み、すくすく育った。途中からは森永「E-赤ちゃん」にもお世話になった。

第二子の誕生が近づいたとき、我々は生まれくる子にどのように栄養を与えていくかを話し合った。妻は出来る限り母乳でいこうと言ってくれた。それは母としての愛情はもちろん、尋常でない物価高に翻弄される我が家の台所事情を慮ってのことだということがすぐに分かった。

筆者はもちろん妻の気持ちを尊重したいが、今回は最初から帝王切開が確定しており少しでも負担を減らしてほしいこと、また完全母乳の場合我が子とのコミュニケーション手段が1つなくなってしまうというエゴなどによりミルクも第一子同様活用していこうと伝えた。

しかし「ほほえみ」や「E-赤ちゃん」が素晴らしいことは第一子がすくすくと元気に育っていることから明らかであるが、それだけにいいお値段がすることも確かであった。

そこで、大手粉ミルク最安値である「ぴゅあ」を検討することにした。安いからって少ないとか薄いとか栄養価が低いとかではなく、広告宣伝費を抑えているから安いのだという。

産科との提携クーポンで1缶安く買えるということもあり、まずはこれを試そう、ダメならまた考えよう、ということになった。

妻がまたもその心身を犠牲にして第二子を生んでくれ、筆者はぼけっとしている間に二児の父となった。妻は宣言通り授乳しつつ、ミルクを取り入れることで筆者にも父親ヅラをさせてくれた。また第一子の時とは違いコロナが沈静化していたので筆者の実家に帰省して。筆者の父母も第二子にミルクを与える当番となり、大人一人あたりの負担が減りありがたかった。

粉ミルクの弱点、スプーンでの計量もセリアで大きい計量スプーンを買うことで軽減された。

はたして第二子は「ぴゅあ」をよく飲んだ。徐々に割合を増やしつつ生後6ヶ月以降は完ミ状態となり、第一子のときと同じく筆者が一人で夜面倒をみられるようになった。

身長体重ともに平均で発達も正常、どころか助産師さんも驚くほどのしなやかな筋肉をその身に秘めており、「ぴゅあ」がほかのミルクにまったく劣っていないことを証明してくれた。

今回の卒業の理由は一般的な区切りである1才が近づいてきたことと、またもお金の話になってしまうのだがフォローアップミルクの同じく雪印メグミルクの「たっち」は同じ一缶でもより量が多く、なのに安いという不思議な状況が起こっているため、できれば早く移行したいということによる。

せっかくなのでジェミ坊(筆者が頻回に使う暗黒帝国グーグル謹製のAI、Geminiのこと)にその軌跡を計算してもらった。たまにすごい間違いをどや顔でするので業務に本格的に取り入れる勇気はないが、こういうことに役立つので助かっている。

誕生してから今日までの約11ヶ月間、飲んだミルクの総まとめです。

合計日数: 334日間

飲んだ缶数: 34缶(約28kg分)

作ったミルクの総量: 約214リットル

2Lペットボトルに換算すると 約107本分!

一般的な家庭用お風呂(約200L)が一杯になる以上の量です。

💰 かかった費用の目安
ミルク代合計: 約63,920円

1缶1,880円(税込)で計算。

「ほほえみ」との総額の差:約27,200円
同じ期間、もし「ほほえみ」を選んでいたら、約2.7万円ほど支出が多くなっていた計算になります。この差額で、ちょっと豪華な1歳のお祝い膳や、長く使えるおもちゃ(ジャングルジムなど)が買えてしまう金額ですね。

調乳量の違い

ぴゅあ: 1缶(820g)で 約6.3L

ほほえみ: 1缶(800g)で 約5.9L
※実は「ほほえみ」の方が1缶の内容量が20g少ないため、同じ34缶でも「ぴゅあ」の方が約13.6リットル分多く作れていることになります。

実際には「ほほえみ」キューブ型はその便利さ故により割高になっているので、さらに節約ができているといえよう。しかしあくまで約1年間で3万円ほどであり、右も左もわからない初めての育児の場合少なくとも最初に「ほほえみ」を使うことでミルク周りの不安がことごとく解消されるのだから、今でも育児を控える方々にお勧めのミルクを聞かれたら筆者は「ほほえみ」を挙げるだろう。

しかし大手最安値の「ぴゅあ」を選択するとこういうメリットがあるし、「安いから劣っている」ということは全くない、ということを自らの育児をエビデンスとして続けて付け加えることができたので、良い経験になったと思う。

もちろん「たっち」もぐんぐん飲み、その成果かつい最近は自立するようになった。雪印メグミルクが「かくていしんこく」というフォローアップミルクを出してくれたら来年から任せられるようになるかもしれない。

幼年期の終り