カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

ポップコーン、MASTERキートン、崑崙山。

夜中から降り続く雨と、夜更けに見た「実写版デビルマン」の余波のせいか、ひどく体調のすぐれない日だった。エアコンをつければ寒く、切ると暑い。そしていずれにせよ頭痛がひどい。こういう時は、娘に着せるものにも迷う。

そういった日々の癒しは帰宅すれば家族、勤務の合間はTwitterである。

そんな中、常日頃お世話になっているRyoさんのツイートが目に留まった。共感しながらも、それだけに留まらない含蓄を得た気持ちになった。

重ねて、

気が付けば二十年来の愛読書であるMASTERキートンが電子版配信開始であるという。この二つに勝手ながら運命的な符号を感じたので娘をようやく寝かしつけたすきに、久しぶりにブログを書いてしまおうと思う。

MASTERキートンはいずれ劣らぬ名編が揃った一話完結漫画の教科書、もはや聖書のような作品だが、その中でも筆者が特に思い入れの深い作品の一つが「シャトーラジョンシュ1944」だ。回電子化された完全版では6巻に収録されている。(同じ巻に収録されたエピソードでは「西から来たサンタ」もクリスマスシーズンに読みたい名編である)

1944年、第二次世界大戦真っ最中、フランス・ブルゴーニュ地方。わずか半日しか摘み頃が存在しないワインとなるブドウを若きシャトーの跡継ぎヴィクトールと使用人・リベロは敵軍が侵攻中に命懸けで収穫、奇跡のワイン、最高のワインが出来上がった。

しかし奇跡は二度起こらないから奇跡という。残念ながらシャトーラジョンシュにとって1944は最高であり続け、昔ながらの製法を続けることで赤字が嵩み、経営方針の転換を余儀なくされていた。

いまや二億円の価値が付いた「シャトーラジョンシュ1944」最後の一本を抵当に融資を受け、近代的なワイン工場へ転換するのだ。

そんな天文学的価格のワインへ保険を設定するためシャトーラジョンシュを訪れたキートンは事情の説明を受け、ヴィクトールの「神の思し召し次第だったワインの出来が、科学の力で安定生産できる」という言葉に対し、「何年かに一度偶然できる大傑作というのはなくなってしまいますね」とポツリとつぶやくのだった。

そしていよいよ、融資の調印式=ワインの引き渡し式が迫るのだが……。

まさしくワインのように豊潤で余韻深い名編であり、機会があればぜひご一読いただきたい。

ちなみにアニメ化もされているが、近代化を推し進める妻・マルグリットの背景が深堀され、ラストが大幅に変わっている。こちらもまたしみじみとするエンディングとなっている。

ついでにもう一つ、「鎌倉殿の13人」で現在進行形で日本一の大天狗としての隆盛を極めつつある後白河法皇が今様を編んだ「梁塵秘抄」にはこういう歌がある。

「崑崙山には石もなし 玉してこそは鳥は打て
 玉に馴れたる鳥なれば 驚く気色ぞさらになき」

崑崙山と言えばアニメ化が待たれる封神演義を想起される読者諸賢もおられよう。名玉の産地として知られ、逆に石はない。この辺り中国の歴史書書経」の「崑崙火を失して玉石倶に焚く」と矛盾するのだがややこしくなるので今回はおいておくことにする。

要するに、石がない場所では貴重な宝玉でわざわざ鳥を取ろうとするけど鳥もそれに慣れているのでつまんねえな、といったところである。

blog.hatenablog.com

ちょうど一週間前、特撮マスターの諸賢らの中にひょっこり紛れ込ませていただいた。筆者はやはり、書いたから読んでほしいという気持ちは常にあり、こうして取り上げていただくことは望外の喜びである。実際、アクセスも伸びた。

他方で、なかなかブログを書くのにまとまった時間を取れない中、拙い記事でせっかく得たチャンスを失ってしまわないだろうか……という逡巡もあり、そうやってモダモダしている間に順調に閲覧数はいつものはてな番外地の落ち着きを取り戻してきている。

そういった中、今日の出来事は筆者の中でまさに雲間に差し込む光のような僥倖であった。

打席に入らなければ三振することはないが、ホームランを打つことも絶対にないのである。

変にかしこまって構えて画一した記事を書いたってつまらない。これからも思うままに、自分の好き勝手にブログを書いていこう。まさしく玉石混淆になるかもしれないけれど、時々は誰かに対して満塁ホームランばりの何かをもたらすことができるかもしれないし、それは狙ってやるものでは(少なくとも今の筆者の段階においては)ないのだろう。

おっと、娘の夜泣きの気配がするので今日はこの辺りで。