カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

新春鑑賞はじめ―特別展「三國志」感想

余談

昨夏、念願かなって九州国立博物館を訪問することが出来た。

九州国立博物館様の試み「ぶろぐるぽ」によって当ブログ記事を九州国立博物館様のHPでご紹介いただいただけでも大変有り難かったのだが、抽選が当たり次回特別展の招待券もいただいた。

東京開催時点で既にフォロワーさんが鑑賞されており、我々夫婦もそれぞれ三國志を愛好していることからもともと鑑賞予定であったのでまさしく渡りに船、さっそく鑑賞と思ったものの年末の業務に忙殺され、気付けば年が明けていた。

元日、夜。筆者は思い悩んでいた。どうにか鑑賞したいがしかしここから5日まではどのタイミングであっても混雑するであろうと。妻と話し合い、明日起きられたら行ってみようということになった。天の配剤に任せたのである。

当日朝。6時に起床できた。蒼天既に死す。特別展当に行くべしという天の啓示である。我々は粛々と準備をし、車のフロントガラスが凍っていることに慄き、なんだかんだで8時ごろ出発した。この時点でカーナビは11時過ぎの到着を示していた。

道中、高速道は思ったほど混雑していなかった。霧、逆光など自然が我々に襲い掛かるものの基本的に流れはスムーズである。鳥栖JCT付近で事故車を発見し、そのベッコリぶりにやはり自動車税は高くとも普通車に乗ったままでいよう……と思ったりもした。ゴーンはうちのキューブの自動車税を払ってほしい。

筑紫野ICで降り、コンビニで軽く腹に入れ、お手洗いを済ます。道中スムーズに運転できたため、11時より少し前に着きそうだ、とカーナビは告げていた。およそ2キロ。展示への期待が夫婦間で高まっていた。

が、そこからが地獄であった。九州国立博物館太宰府天満宮のほど近く。そしてその周りは一本道。

見事に初詣渋滞に巻き込まれてしまったのである。次々と徒歩の人々が我々を追い越していく。所々で膀胱が限界に達したであろう人が車から一時離脱していく荒涼とした風景。カーナビからは駅伝の実況が流れており、そのストイックさを取り入れることでどうにか乗り切ろうと懸命であった。マジンガーZは渋滞のストレスから生まれたというがなるほどな、と感じた。

ようやく九州国立博物館の一部分が見えた時の我々の喜びときたら、「翼よ、あれが巴里の灯だ」という気持ちもかくやであった。

九州国立博物館よ!我々は帰ってきた!

とはいえなんと時刻は13時を回ってしまっていたのでまずは腹ごしらえである。またもバーガー類は売り切れであった。いつか食べてみたい。

妻は桃ソースの杏仁豆腐をチョイス。

妻「桃園の誓いだからね…ウフフ…」

筆者は前回食べて絶品であったミックスベリーパフェを選んだ。ぎっしり中身が詰まっておりコーンフレークも含有されていないのでミルクボーイも動くことはなく安心である。

いつ見ても高い天井に向けて伸びるエスカレーターに乗り、三国志展へと我々は臨むのだった……。

本題

「リアル三國志」の世界へ

ありがたいことに今回も「ぶろぐるぽ」に参加させていただくことになり、九州国立博物館さんから画像を提供していただいた。そして今回の特別展がありがたいのはすべての展示物が撮影OK(映像はNG)ということで、なんと夫婦合わせて500枚近くバシャバシャ撮ってしまった。その大盤振る舞いぶりに感謝しつつ、画像を交えて感想を述べたいと思う。

まず入り口には記述を再現した張飛の蛇矛。こんなん持った大男と目が合ったらそれだけで藁のように死にそうである。

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入場した我々を迎えるのはデカアァァい説明不要な関羽像。その大きさは三国志演義の記述とほぼ一致しているというからなるほど大丈夫(だいじょうふ)である。人の世は曹操を残し、劉備は物語となり、孫権は長命を得るなか、関羽は神になる。その神格化が進むのは三国志演義が巷間に流布してからということで、その直前に作られたと思われるこの像はひげなどもまだ控えめで実像に近い像であるらしい。

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そういったいまや伝説となっている三国志の人物のルーツをたどることから始まる本展示、特に筆者が目に留まったのは劉備が後裔を自称した中山靖王・劉勝の墳墓に彼と共に埋葬されたという玉装剣である。前2世紀というから2千年以上前のものが目の前にあるという事実にまず静かな感動を覚えてしまう。

そのフォルムは思わず「あっ! 無双で一般兵が持っているのとおんなじだ!」と思ってしまうが鞘尻についていた玉は今なお美しく、隣の輝き続ける壺と合わせて持ち主の栄華を今に伝えてくれる。

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三國志の時代は即ち戦乱の時代。そしてそのターニングポイントが「赤壁の戦い」であるが、百万の矢を空間を贅沢に用いて行った再現は必見である。矢ぶすまの「圧」を感じられる貴重な経験であった。

そのそばに澄まして鎮座してある「弩」は特に古参の無双プレイヤーであれば様々な思いが去来すること必至である。

この辺りも見覚えのあるフォルムで、プレイヤー諸賢は親近感を覚えることであろう。

三國志の登場人物」が実在したことをかみしめる展示

親近感と言えば、三國志の時代はおよそ1800年前。当然、同じ人気のある時代と言っても日本の戦国時代や幕末時代のように多く資料が残っているわけではない。

その中でも貴重な三国志の登場人物たちの息吹が感じられる展示も見ることが出来た。

こちらは乱世の奸雄・曹操が建安20年(西暦215年)に陽平関にて五斗米道教祖・張魯を破った後、漢中に軍を駐屯させていた曹操が河の流れの滔々とした様子に感じ入り、岩肌に揮毫したと言われているものの拓本であるという。

同年には後年の作品においても著名な「合肥の戦い」が呉との間で繰り広げられていたこともあり、同行した司馬懿らはそのまま劉備のいる蜀を攻めることを進言したが曹操はそれを却下した。あるいはここで侵攻していれば、後年(建安24年/西暦219年)の定軍山の戦いは起こらず、夏侯淵もその命を散らすことはなかったかもしれない。

改めて揮毫(の拓本)を見てみると「滾(揮毫にはさんずいなし)」のまさしく瀑布が跳ね上がるような自由闊達な感じと比べて「雪」の深々としたかっちりとした感じの対比が面白く、しかし不思議に調和をなしていて見事である。

本来は「滾雪」が正しいのだが、それを部下に指摘された曹操は「この河が『サンズイ』ってことサ……」と傍らの河を指さしたという。口調がそうであったかは定かではない。ちなみに当時曹操自身が立碑の禁を定めており、いたずらな誇示行為を禁じているのだが、「揮毫だからセーフ」ということでこの「滾雪」はスルーされている。忖度案件では?と思わなくもないが、このあたりの立ち回りがいかにも「曹操」を感じさせて微笑んでしまう。多分楊脩がやってたらぶっ殺されてたと思う。指摘したKY部下が楊脩だったように思えてならない。

 今一つ三國志の登場人物の息吹を感じさせてくれる展示がある。魏晋時代に流行した縦長の書体で刻まれた字は「曹休」。曹休、字は文烈。曹操から「我が家の千里の駒」と褒め称えられ、甥でありながら我が子同然に遇されたという彼の印章である。

真・三国無双8ではついにプレイアブル化した。筆者は発売日当日に購入したが3人クリアしたところでアップデートに期待して放置してしまっていて、実は出会えていない。モブ武将時代から「石亭の戦い」での彼と周鮑の死に至るいちゃいちゃはフィーチャーされており、シリーズの愛好者には思い出深い武将であることであろう。アラサーの多くは彼から髻(もとどり)を学んだといっても過言ではない。

そんな彼の墓が2009年に発見され、出てきたのがこの印章である。三国志に登場する人物のうち確実である唯一の印章であるとか。曹操曹丕曹叡と魏三代に仕えた彼が生前どれだけの書類にこの印象を捺印したのか、思いをはせてみるのもよいかもしれない。

三国、それぞれの色

 いよいよ三国それぞれの文化に触れていくわけだが、受験知識として我が身に眠っていた「親魏倭王」や「三角縁神獣鏡」といったワードが励起され、懐かしい気持ちになる。一口に鏡といってもその種類は多種多様であり、そこに古代の無限のつながりとロマンを感じる。

僕ら(日本)が巫女の託宣とか聴いてるずっとずっと前にはもう漢王朝貨幣経済をしていたっていうわけだが、魏もその貨幣「五銖銭」を続けて用いた。魏の領土は広く、混乱を防ぐためであったのだと考えられる。

劉備は蜀を得た折、財政難に苦しみ、1枚で五銖銭100枚分に相当する貨幣「直百五銖」を発行した。

孫権「うちも財政難や……そや!」

ということで呉において孫権は「大泉当千銭」という貨幣を発行した。文字通り1枚で五銖銭1000枚分に値するというスーパー貨幣である!凄まじい悪評で間もなく発行は打ち切られたという。コントか。加減しろ馬鹿!という感想しか出てこない。たまたま展示品がそうであるだけかもしれないが、「大泉当千銭」が一番粗悪に見えるというのがまた皮肉が効いている。

五銖銭は三国時代の後も長らく中国経済において使用されたという。信用が一番だねということを学ばせてくれるエピソードである。とはいえ、当時は布などの物々交換がまだまだ重きをなしていたらしいことも付記しておく。

特に個性の出る各国の墓

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今回の展示の目玉の1つは再現された曹操高陵であろう。その中に立ち入り、発掘された諸品々を眺めるというのは何とも不思議な気分であった。ややオーパーツめいた新時代の陶器が埋葬されていたというのが進取の気風をもつ曹操らしいではないか……としみじみ思わされる。

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墓の中には「曹操様が愛用していた虎だってぶちのめしちまう大矛だぜ!」という石牌があり、曹操の墓だと断定する根拠の一つになったらしい。統治者のイメージが強いが曹操という人はつくづくもののふであったということなのであろう。

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曹操の墓は厳命した通り薄葬であったというが、一部に壁画があったことが確認されている。その内容は残された部分から想像するしかないが、「曹操の墓」「壁画」というと筆者としてはやはり曹丕于禁への嫌がらせが思い出され、その場面は本当にあったのだろうかと気になってしまう。

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厳粛な魏の墓と比較すると、蜀の墓は入り口からしてなんだかフレンドリーな感じがしてそれぞれの色が濃く出ているなあと感じる。

特筆すべきは「俑」の違いであろう。秦の始皇帝兵馬俑で著名なように、有力者の墓に一緒に埋葬される人形のことを「俑」という。

例えば曹操の墓に副葬されていたのがこちらになる。曹操ほどの有力者に副葬されていたものとしては、型からはみ出した粘土がそのままであるなど粗雑さが目立ち、薄葬のコンセプトの下、手間もあまりかけないようにしていたのだろうかと思わされる。あるいは何度も盗掘の被害にあっているため出来のいいものは奪われてしまったのかもしれないが……。

呉の場合はこちら。細かく役割が分かれており、帽子など細かいところにも違いがみられる。製作過程が違うのか風合いも異なり、南国の気風が感じられる。

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そして蜀の俑がこちらである。おかしいだろ。なんだこの躍動感は。当時のいわゆるコメディアンを模しているといわれ、その屈託のなさに思わずこちらも笑みがこぼれてしまう。ちなみに曹操の息子・曹植はその物まねがうまかったとか。ほかの国々が自分を守る兵士だとか、祈りをささげる人々たちを「俑」として副葬する中、コメディアンを選ぶ蜀、連載初期の人手不足なのに音楽家を優先的に仲間に入れようとするワンピースのルフィを感じさせる。その陽気さと裏付ける土地の豊かさこそが、蜀が圧倒的に国力に勝る魏相手に長らく持ちこたえたことの秘密の1つであるのかもしれない。

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呉は棺を置くための台が虎を模しており、やはりゲーム脳の筆者としては「こいつ回転して火を噴きそうだな」と思ってしまうがフォルムがなかなかチャーミングでありながら、神聖さを讃えており見事な造形である。江東の虎の面目躍如というところだろうか。

呉の文化でインパクトがあったのはこちら。ダービーにポーカーで負けた人の成れの果てではなく、瓦である。墓から邪を払う目的があったのかと推測されているが、そのユニークさは他の追随を許さない。

三国時代の終焉と飛躍、拡散。

「晋平呉天下泰平」―「晋が呉を平らげ天下は泰平となった」と刻まれたこの煉瓦は同時代の豪族の墓に用いられたもので、世界一短い三國志とも言われている。戦乱の果て最後に残ったのは魏でも呉でも蜀でもなく、晋であったというフィクションであればNoを突きつけられそうなオチであった。

しかし英傑たちの物語はそれにとどまらず、庶民の間で脚色を受けつつ流行となっていく。そして日本でも横山光輝先生の「三國志」や「人形劇三國志」、そして筆者も入り口となった「真・三国無双」シリーズなど、様々に拡散、飛躍して現在に至っているのである。

 

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もうすっかり音声ガイドがあったら申し込むようになっているが、今回は夫婦とも無双とのコラボ音声ガイドをお願いした。初っ端から曹操関羽…すちだ…であり、夏侯惇は他の武将たちがリスナーを労う最後の場面においても1人だけ「俺はもっと孟徳の話をしたいのだが?」という感じで関羽はことあるごとに義の刃をもとうとし、曹丕は皮肉がちであった。すなわち平常運転であった。ご当地ネタにもボーナストラックで踏み込んでくれ、サービスが行き届いていた。やはり声が聞き取りやすく、またゲームの名場面を思い浮かべることもできてよい選択であったと思う。

あえて言うなら武将のうち3人が220年前後に死に、曹丕も割と早逝するので後半部を補える武将を呉や晋からチョイスしてもよかったのではないか、と思うが……。

ともあれ古代中国から今に至るまで、三国志の世界をリアルに感じることが出来る素晴らしい展示であった。

図録もトートバッグとセットで妻が購入してくれたが、大ボリュームでコラムもついており読みやすい。通販もできるのでお勧めである。

その他グッズも充実しておりいくらお金があっても足りない。別々に買い物をした我々夫婦であったが司馬懿クリアファイルをはじめ何点かかぶっており、その感性の近さを確認できたという点でも意義深い展示であった。