今週のお題「二十歳」
二十歳、戦争、二人の作家。
「ぼくは二十歳だった。それが、人の一生でいちばん美しい年齢だなどと誰にも言わせまい」(ポール・ニザン『アデン アラビア』より
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2014年4月27日
このツイートをした時筆者は二十六歳だった。そしてある資料によると『アデン・アラビア』を著したときのニザンも二十六歳であったという。が、筆者がこの言葉を知ったのは大塚英志先生の著作であって、そこにはすでに三十歳を超えていたと書いていたように思う。他の資料によれば原著は1936年とあるからそれであればその時点で1905年生まれのニザンは三十歳を超えているので確かに計算は合う。作品が上梓されたのと単行本としてまとめられたことにズレがあってそのためにこのようなことが起こっているのかもしれないが、ともあれいずれにせよ筆者は既に『アデン・アラビア』を著したニザンの年齢を超えたか、あるいは超えつつあるということであるらしい。
ポール・ニザンという人を筆者はこの『アデン・アラビア』でしか知らず、それに触れたのは前述の大塚先生の引用によって知った十五歳の時であったから恐ろしいことに倍の年月が経っており、詳細は曖昧模糊としているが、ただその性急さは感じたように思う。そして怒っていた。『アデン・アラビア』は独白の小説で、恐らくニザンが今の世に生まれていたら難解な文章の中に時折洗いざらしの白いシャツのような上記のような文章を織り込んでくるちょっと毒吐き気味のブロガーとして名を馳せていたかもしれない。
ただ、彼の生まれた時代は2020年ではなく1905年だった。そして1940年、三十五歳で戦死する。映画にもなった「ダンケルクの戦い」に配属されようとしていた時だったということで、どうあっても戦争という暗い大きな影の中で死に絡めとられようとしていたような空気を感じてしまう。
ただ、彼の命を奪ったのも戦争ではあるが彼をパリから脱出させ、アデン・アラビアへ向かわせしめたものまた戦争の空気を感じての焦燥だったと考えると何とも複雑な気持ちにさせられる。
今一人このことについて考えた時、筆者が思い浮かべる作家さんがいる。茨木のり子さんである。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりしたわたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまったわたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていったわたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光ったわたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いたわたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼったわたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかっただから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
茨木のり子さん著「わたしが一番きれいだったとき」より引用
この詩を知った時、筆者は中学二年生で、教科書に載っていた。教科書の最後の著者一覧には詩からイメージされる凛とした美しさの女性の顔が映っており納得した覚えがある。当時は存命でいらしたが、2006年に鬼籍に入られた。これは当時ニュースで見たことを覚えている。独居の中での自然死であったが既に遺書をしたためていらっしゃったという。高校の教科書でも「自分の感受性くらい」が掲載されていたはずだ。
茨木のり子さんは1926年生まれ。調べてちょっと驚いたが筆者の祖母と同じ年の生まれであった。「戦争に負けた」時は十九歳となるはずで、もう一年ずれていれば「二十歳がいちばん美しい年齢と誰にも言わせ」ないニザンと「一番きれいだった」茨木のり子さんと対立してしまうところであったが矛盾を乗り越えているあたりに筆者は静かな感動を覚え、そしてそこに始まる二人の作家の対称性についてしみじみ感じ入ることとなった。
本人はどう考えていたかは知らず、戦争という大きなターニングポイントにおいて生き急いだように見えてしまうニザンと、出来るだけ長く生きることを決め、実際に八十歳まで生きられた茨木のり子さん。それぞれの生き方は美しく、相反するように見えて二十歳の向こう側に対して肯定的である点が共通しているように思えるから不思議だ。
ちなみに茨木のり子さんが詩の最後で触れているのはニザンと同じフランス出身の画家・ジョルジュ・ルオーだが、現在『アデン・アラビア』に触れるにあたってアクセスしやすい書物である池澤夏樹編集世界文学全集ではルオー作の『名誉の戦場』が合わせて収録されている。こちらの『ルオー』氏はジャン・ルオーという人でこれまたフランスの人であるが、こんな番外の偶然を楽しめるからこそ読書というのは楽しいのだよな、と思ったりもした。
アイドルと二十歳
今年の成人式対象は1999年4月2日~2000年4月1日生まれの諸賢ということで各地で開かれる成人式ではまさしく日本の未来がwowwow wowwowすることと思うが、よく考えると来年の成人式は20世紀生まれと21世紀生まれが同時に存在するってことか…ちょっとワクワクするな……そういういじりその世代散々されてきたんだろうな……どうでもいいが筆者は2000年代だけど新世紀じゃない2000年生まれの諸賢に平成生まれだけど1990年代じゃない年の生まれとして勝手にシンパシーを覚えてしまう。
さて今回このお題に臨むにあたって筆者は自分のツイートを「二十歳」で検索してみた。
おお 小野さん引退か 弟が推してたんだよなあ…… まだ二十歳かよ なんにでもなれるさ がんばってください
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2014年7月3日
フレモンちゃんもう二十歳か…
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2014年11月25日
こもりさん……てかまだ二十歳なんやな……
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2015年4月7日
星野さん二十歳になるのか……
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2018年1月7日
オ…オギャーッこいつアイドルの去就しか気にしてねえ!
ともあれいわゆる「普通の幸せ」と「アイドルとしての成功」を天秤にかけた時訪れる大きく2つの決断のタイミングはやはり現状においては「十八歳」と「二十歳」になるのではないだろうかと思う。上記ツイートを見ても半分が二十歳を機に卒業または引退の発表をしたことによるリアクションである。
ことに48Gにおいては二十歳になり成人式を迎えるメンバーは神田明神でお披露目されるのが近年の恒例であり、推しの振り袖姿を見るのをモチベーションとしている諸賢もおられることだろう。
去年の模様はこちら。
ここでも二十歳を機に卒業を控えているメンバーが複数いることがわかる。現在はここからさらに欠けてしまった・しようとしているメンバーがいるのがさみしい。
これより4日前。48Gファンは、いやアイドルファンは衝撃を受けた。山口真帆さんの涙の訴えがNHKニュースとなり、後追いでその事実を認めるような報道がなされたからである。
ちょうど一年前の記事がこちらになる。
筆者の期待は残念ながら裏切られ、NGTにはまだ春はやってきていない。その最初の失望が成人式センターを務めた方が騒動に触れず、総選挙への執着ともいえるようなコメントを残したことだった。同じくNGTの成人式参加メンバーにはその後謹慎、研究生降格となったメンバーもいた。
その後裁判も開廷したが内容はお粗末極まりなく、まだまだNGTの冬は長そうだとただただ悲しくなってしまう。本当に楽曲はグループ随一だと思うのだが……。
明日12日(日)よる10時30分から放送の、読売テレビ・日本テレビ系日曜ドラマ「シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う。」第一話にゲスト出演することが決定しました❣️🐼#シロクロ #シロでもクロでもない世界でパンダは笑う pic.twitter.com/K4F25bMqRT
— 山口真帆 (@maho_yamaguchi) 2020年1月11日
この忌まわしい一周年を払拭するかのように照準を合わせてドラマ出演を実現させた研音はさすが名門事務所、と感心させられることしきりである。
そう事務所。アイドルがいかに輝けるかはYouTubeほかの普及によって風向きはだいぶ変わってはきたけれども、やはりまだまだ事務所に左右されることが大きい。
それが最悪の形で作用したグループがいた。
X1である。
親の因果が子に報いとはまさにこのこと、本人たちに過失のないことでとうとう解散に追い込まれてしまった。
筆者はPRODUCE X 101も全話視聴し、何度か記事化を試みたが結局のところ果たせずじまいであった。
理由はいくつかある。箇条書きにしてしまうと
・ますます露骨なPDpickをはじめとした番組作りの「雑さ」が気になってしまうこと
・活動期間5年と長期のためか全体的に年齢層が若く、必然的に練習生期間も浅く、初期状態ではパフォーマンスに難のあるように感じてしまう候補者が多かった
・やはり字幕ありといえど全編完全に韓国語だと内容がなかなか入ってこない
・何度視聴しても一推しがイ・ドンウク国民代表プロデューサーになってしまう
そして一番の理由は、
・X1がカムバックしたときに合わせて上梓したい
であった。そしてそれは、果たされることがなくなってしまった。
おかしいではないか。まずやるべきは事務所役員の更迭ではないか。
もう本当にずっと怒っていて、悲しくて、昨日は慣れない酒を飲み、檸檬堂のおいしさに気付いたりもしつつ、しかし心は晴れなかった。
候補生たちの若さを反映して、X1も若いグループだ。ああ、だった、とせねばならないことが辛くて仕方がない。未成年のメンバーがほとんどである。
ちなみに筆者は候補生たちの年若さを逆手に取ったデビュー評価局「少年美」がとても好きである。
[ENG sub] PRODUCE X 101 [단독/최종회] 소년미(少年美) 최종 데뷔 평가 무대 190719 EP.12
彼らの成人を、二十歳をしかも韓国と日本ではカウント方法が違うから(韓国では数え年)場合によっては2回もファンが祝福する機会は少なくともX1としては永遠に失われてしまった。
大輪の花火を咲かせるはずだったグループは線香花火のようにはかなく、閃光のように散っていったのである。
筆者も再結成を諦めたわけではないが事務所たちに事の大きさを思い知ってもらうためあえて強い言葉を使ったことをご容赦願いたい。
二十歳から連想されることを思いのままに書き散らしていったら4000字を超えてしまった。二十歳のころ考えていた三十歳はもうちょっと論理的な文章を書ける人間だったのだが。
総括するとしたら、ただ一言、「人生は生きられるときに生きろ」である。