感想
当ブログは雑記ブログだが、そのうち何事かの「感想」記事が多くを占める。
「感想」でブログを検索すると最古は5年前。ブログ開設から1週間、記事で言うと3つ目である。「西郷どん」の感想を1年しっかり走り切れたら今とはまた違うブログの地平を見ていたかもしれないが、ここではそちらに話は広げない。
感想とは何だろうか。
感想とは相対した物と自分との1on1だと筆者は考える。
「感想を書く」というのは、自分の感性や嗜好とセルフでディベートしてお題を深掘りする行為だと思っているので(だから繰り返せば繰り返すほどディベートの精度が上がる)、それをなにか「解釈や考察の正解を当てて発表するイベント」のように捉えるのは、すごく損しているのではと感じてしまう......
— 結騎 了 (@slinky_dog_s11) 2023年4月12日
その通りです。おわり。みんな感想を書こう!
……せっかくなので筆者もなんか書いておこうと思う(ああ、引用した記事にある「盛り上がってるからおれもなんか言いたいよ~のムーヴ…!)
換装
蒼天航路という三国志の曹操を主人公とした漫画があり、筆者がとくに人生に影響を受けた作品の1つなのだが、その25巻にこういう話がある。
赤壁の戦い――三国志に詳しくなくとも一度は聞いたことがあるかもしれない大戦(だったのかなあ? ほんとにというとこから始まったりするのだが)が恐らく読者の誰も即座に飲み込めない形で終結した前巻。正直それがついていけず挫折した読者も相当数いると思うのだが、25巻以降は作品に更に枯淡の味わいが加わり、筆者はとても好きである。余談が、ながくなってしまった。
赤壁の戦い敗戦後、曹操は故郷・礁にいた。真っ先にそこを訪ねたのは股肱の臣、夏候惇である。(二人は幼なじみのいとこであり、彼にとってもここは故郷)
乗馬する曹操のそばに、自分の背に寝転んだ夏候惇を乗せてゆるゆると馬は近づいていく。
夏候惇は空を見上げたまま、誰に言うとでもなくつぶやいていく。
夏候惇「こういう日にゃ 詩才のないのが腹立たしくなる
ふんッ 柄でないのはわかっている
嗤う郷里の鹿でも追い
一杯ひっかけ野に寝そべってるのが似つかわしい」
すると前方にいた曹操が、夏候惇の馬に自らの馬を並べ言う。
曹操「そのまま ことばを続けてみたらどうだ」
夏候惇「…… ……」
曹操「あともう少しで詩になる」
夏候惇「(曹操の方をちらりと見ながら)たてがみを背に 日輪の影を追う」
曹操「詩 狩り 酒
素直に並べられた言葉のあとに
なぜ気宇壮大な自分をつなぐのか?」
あらゆる創作の示唆に富んだ話に思えるが、こと感想に関しても当てはめることが出来るのではないだろうか。
誰に何を言われるでもなく、自らの胸のうちから漏れる言葉、心境一番搾りこそが最も尊い「感想」だと筆者は考える。
ただ、それが他者に見られると意識するとちょっとええかっこしいしてよそ行きの言葉を使ってしまう……それによって結果的に、全体がいびつになってしまったりとってつけたようになってしまう……筆者も何度やったかわからない行為である。
間違いのないよう参考文献をあたり、他者の感想を確認し歩調をそろえ、各方面に配慮しながら文章を進めていく……。それによって感想はまろやかになっていくだろう。万人に好まれ、「バズる」かもしれない。しかし貫通力は緩やかに弱まっていく。
全体的な分量が増える中で、自分の言葉の密度がどんどん薄まっていくからだ。人は人の腹に括った一本の槍に弱い。ぶっ刺さる。慣れない語彙やよそ様から借りてきた論や言葉に換装してゴテゴテになったところで感心はすれど本来「感想」に求めていたものからは遠ざかってしまうだろう。そして自分も把握しきれていない言葉は取り回しが悪く、一度こけたら自ら起き上がるのは難しい。
血肉になっていない言葉というのはまるでそこだけフォントスタイルやサイズが違うみたいに浮いていたりして、他人から見たら意外と分かるものだ。(たまーに比喩じゃなくマジでコピペでよそ様ブログの物を貼り付けて書式が違うのでバレバレという剛の者がいたりする)
志ん朝の文七元結を聴いた。ものすごく上手くて感動したが、凄さはなかった。観客はめいめい、「上手いね」「名人芸だ」と笑顔で語りながら会場をあとにしてゆくが、談志の芝浜の時のように、思いつめた顔でうつむきながら帰ってゆく人は一人もいなかった。
―扶桑社「赤めだか」立川談春より引用
「談志の芝浜」のような刺さり方をする感想を筆者も書いてみたいものである。
いや、それは創作の方で頑張れよと言う話なのだが。
(ちなみに筆者は落語の中では志ん生の「井戸の茶碗」が一番好き)
乾燥
ウェットな感想が好きだ。自分の書いた中で今読み返しても「なかなかいいじゃないか」という感想は湿度が伴っているように思う。正確なデータ、評価が定まってからの後出し、そういったドライなものが混じっているとつい割り引いて読んでしまう自分の悪癖がある。今後AIが溢れてくるだろう文章というフィールドにおいて、湿度や温度は生身の人間が文章に乗せられる武器の一つではなかろうか。
二千字程度で収めるつもりが二百字超えてしまった。この辺りにしておいて、皆々様の八百万の事柄への感想を読み漁る方にまわりたい。