カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

ブロクリ2024参加作品を読む:10日目(虎賀れんとさん「感想『アイカツフレンズ!』- 歪で不器用、愚直で誠実。だからこそ愛したい “トモダチカラの軌跡” 」)

余談

待機音が聴こえる。

そして、待機する皆が既に肩を震わせている様子が、笑いを噛み殺している様が、音声だけであるのにまるで見えるようだ。

毎回律義に違う口上が高らかに轟いた後、変身音が鳴り響き、今日もスペースの救世主が降り立った。

虎賀れんとさんの登場である。

今から思えば転職したばかりであったはずの虎賀れんとさんと出会ったのはやはりかずひろさんのスペース。実はかずひろさんと一度オフラインで対面した仲であったれんとさんははじめ仮面ライダーの話題でよくお話させていただいていたものの、その心は(もちろん仮面ライダーにも並々ならぬ愛と情熱を注いでいたが)ウルトラマンシリーズの次作へ注がれていた。

ウルトラマントリガー。『ウルトラマンティガ』の真髄を受け継ぐものというウルトラマンについては決して詳しくない筆者でも思わずだ、大丈夫!? そんなでっけえことを言っちゃっても……と心配するような惹句をぶち上げて予告されたその作品を、とはいえティガをリアルタイムで見ていた少年であった筆者としては楽しみにもしており、何話か見た。だってあなた、ニュージェネレーションティガですよ。

しかし、ウルトラシリーズは…テレビ東京系は大都会鹿児島にはネットされていない。それこそ、ティガとは違って。とはいえ一時間遅れでYouTubeに配信してくれるだけでも大変ありがたいことなのだが、TLのウルトラ巧者たちはもちろん地上波リアタイで怒涛のツイートを叩きこみ、その後に遅れて視聴するのは都会(まち)の人ごみ肩がぶつかって感じる孤独よりも果て無い草原で風がビュビュンとなって感じる孤独よりもいっそうさみしく、その間娘が生まれちょっぴりオトナになったことも相まって、トリガー視聴は徐々にフェードアウトしてしまった。れんとさんをはじめとするTLの熱いウルトラマン熱に感化されて燃えあがった視聴意欲がそのTLの賑わいぶりに消沈してしまうという悲しい結果となった。

見ていなくともそういうTLを構築しているので何となく評判は入ってくる。それで言えば、やはり「あんまり大丈夫ではなかった」というのが大勢のように思われた。

www.jigowatt121.com

例えば結騎さんは放送終了の翌日というさすがのスピードで上記記事を上梓された。名記事「TENNETくんと僕」のセルフオマージュでティガリアタイ世代、そしてそこからNニュージェネの今に至るまでを追いかけてきたファンとしての鋭い視点、しかしそれでもどうしても「トリガーくん」から感じる愛嬌を熟練のテクニックとバランス感覚でうまく仕上げ、「決して悪いやつではないんだけど、ね……」という着地点を見出している。

ここまで気を遣っても「結騎さんは「否」だ! トリガーは駄作」というような他人のガッツスパークレンスで意欲を挫く、無限の誹りがちらほらと見られ、不定期村の昔から幾度となく見られた「ケンカも

自分の言葉で出来ない愚か者」たちに辟易とさせられた。まさに9日に寄稿いただいた記事で仰っていたような「『トリガーは失敗』という『正解』に辿り着いた人々による擁護派という『不正解』を大いに馬鹿にしていいタイム」という地獄が顕現していたのである。

そこにツイフォン……いや彗星のごとくある記事が現れた。

kogalent.hatenablog.com

れんとさんの記事をクリックして、ブログが開く。途端、右のスクロールバーがぐんぐんと小さくなっていくのを見るたびに、今度もたっぷりと楽しませてもらえるぞ、ひそかにガッツポーズする、というのがかのブログを拝読するときの筆者のルーティンであるが、この時もそうであった。

現時点ではてなレッドスターが9つ、ブックマークが43件。これだけで1つの答えと言えるだろう。結騎さんが言うなればうまく「かわした」ところにれんとさんは正面突破で突き進んでいった。他人の感想を掻い摘んで分かった気になっている連中など到底敵わないようなそれぞれの視点からの分析・批評・感想を読みながら今すぐ円谷はれんとさんを公式の文章担当者として迎えた方が良いのではないかと思わされた。(実際このことと関係があるのかは不明であるが、れんとさんは後劇場版の先行試写会に当選、未見のファンに配慮した感想記事を上梓されている)

それは逆張りではなく、エビデンスを持ってのトリガーへの助言であり苦言であった。これ以前にもやはり賛否両論となった「ウルトラマンタイガ」へも愛ある厳しい意見を綴っていたれんとさんだったが、アプローチがより多彩になることで更に次のステージへ進まれたと言えるだろう。

その後のウルトラマンの、いや邦画における大きなトピック「シン・ウルトラマン」公開に際しての感想は密度に加えて速度も備えた更新で3桁のブックマーク数を獲得、完全にウルトラマン作品について感想を巡回するべき人、と界隈内外に周知されたことが明らかであった。(その後のシン・仮面ライダー感想記事においても同様に大きく支持を得ていらっしゃる)。

新天地とも言える「Free!」感想においても界隈で「例の論文」という扱いで大いに評価されるなど、ますます活躍著しく、「れんとさんの感想をしっかり受け止めたいからまずその作品に触れてみよう」となった人は筆者だけではあるまい。逆に筆者がかつて楽しんだ「キンプリ」にれんとさんが触れてくださったときは「れんとさんのキンプリ感想が読める!!!!」と狂喜乱舞したものだ。実際いつも通りのれんと節が親しんだキャラクターに炸裂している様は最高だった。

ブログ以外でもツナ兄とも連携した鑑賞スペース、光光太郎さんのPodcast「オリジンタビュー」の出演など活躍は多岐にわたり、つい先日は怒涛の勢いで積んでいた記事を消化するという離れ業をやってのけるなど「スピードのあるパワータイプ」とでもいうべき反則めいた攻守隙のないブロガーになっておられる。

自身で執筆される以外にもスペースにてかずひろさんにガンダム00を推薦し、かずひろさんの視線をガンダム00に釘付けにしてあの感想三部作のきっかけを作るなど、いわばプロデューサーとの手腕も発揮していた。また、近頃はついに暗黒秘密組織ポニーテール評議会の議長:ダース・レント卿であることが明らかになるなど、今後の去就からますます目が離せない。

一方、エンタメを鑑賞し、そのアウトプットには常に評価を受けていながら、創作については常に苦悩されている印象がある。これだけの批評眼があれば自らの名を冠した作品を出すことがどれだけ恐ろしいことか、筆者には想像がつかない。

しかしいわば「れんとさんの批評眼」というラスボスを潜り抜けた先の文芸であれば何も心配することはないではないか、という確信がある。それはれんとさんを信じているのではなく、知っているのである。根拠はブログに格納された夥しいれんとさんの魂と血肉を分けた文章である。

kogalent.hatenablog.com

今後の筆者の楽しみは嬉しいことに色々あるが、ブロガー・虎賀れんとさんの記事の感想ではなく、創作家・虎賀れんとさんの作品の感想記事を上げるというのはその上位にランクインし続けている。

本題

余談が、ながくなった。

kogalent.hatenablog.com

「歪で不器用、愚直で誠実」――タイトルを一読して、思わず笑ってしまった。

それはまるでれんとさんではないか、と。

今でもブロガーとして地位を確立しているれんとさんだが、氏ほどの実力と筆力があれば、もっと媚びた文章を書き、今の10分の1くらいの文字数の記事を量産し、アフィリエイトを貼りまくれば、一財産は築けていただろう。言いながら、そんなことをする訳がないから虎賀れんとという人は虎賀れんと足り得ているのだ、とは重々分かっているのだが。

今回この企画を打診させていただいた時、れんとさんは言われた。「自ブログの企画で下書きはすべて放出してしまっており……!」文章であったが、れんとさんの誠実な申し訳なさげな声が聴こえてくるようであった。もちろんこがれんアーカイブファンとしてはそのことは織り込み済みであり、どころか深層心理にそのことが残っていて企画発進を決断した可能性すらある。

そのため筆者は最初の募集要項に以下のように記載した。

ブログの下書きフォルダに、メモ帳に、頭の中に眠っているブログ記事を完成させませんか。

実際に下書きフォルダにあるかどうかは問題としない。プロットの書きつけでも、頭の中で思い描いているものでもよいですよ、という風に。

この「メモ帳に」というのはかつてれんとさんが記事を書く際にノートにプロットをまず書くということを聞いていたからであり、いわばれんとさんへの「アテ書き」であったとすら言える。ぜひ寄稿いただきたく、こっそり外堀を埋めていたというわけだ。とはいえ年末ということもあり様々なことが水面下で動いていることもあるだろうから無理はしてほしくなかったが、結果として埋まりにくい前半に登録して頂けることになった。

別に何かウソでも用事を作って「無理です~~」とでも言ってよさそうなものを、しっかりとしかも予想より早く仕上げてくれる、愚直で誠実、そして正確なれんとさんの心性が如実に表れた一件だった。

投稿された記事を筆者は早速クリックする。スクロールバーがスーッと小さくなっていく。こ……この人は……本気だ! 適当にお茶を濁そうとかそういうことが全く感じられない。「いつも通りのこがれんアーカイヴ」の記事だ。嬉しさと驚きが入り混じりながら、筆者は「論文」の「読解」に向かった。

本来であれば「アイカツフレンズ!」を全話視聴してから読むのが筋というものだが、80話近い話数というインパクト、そして虎賀れんとさんの記事であればその内容の抜粋に些かの疑いもないという信頼を持って、今回は本編を見ずに挑むことにした。(ミュージックビデオは見させていただいた)丁度、国語の現代文の論説文においてその論説が扱っているものを、その時はじめて知るような心持だ。

アイカツ! というのは筆者でも知っている。折よく、初代の劇場版がリバイバルをしていることもあり、TLにも結構な話題が流れてきているし、ブロクリ2024の首位打者と言って過言ではないツナ兄が「アイカツ!スターズ」を敬愛していることも存じていた。

そしてれんとさんはツナ兄からの洗脳プレゼンによって膨大なアイカツ!シリーズのマラソンを開始、スターズの感想は適宜区切りを設けて上梓されていた。

それほどボリュームのあるシリーズのうち、第2作目を1つの記事でまとめる(まとまってしまう)ことに早速やや「フレンズ!」への不安を感じてしまうわけだが、読み進めるとれんとさんの要約が上手いこともあるのだろうが思いのほかスムーズに話は進んでいく。とはいえ同じく女児アニメの金字塔「プリキュア」シリーズでも名物であるいわばケンカ回を28話に持ってくるというのは長期を見越して製作されているシリーズならではだと思わされる。ニュージェネウルトラマンならもう終わっているのである。

主人公フレンズである「ピュアパレット」がW主人公であるからこその描き方、そこまでの布石がステージで結実していく様など、れんとさんの筆致を追いかけている筆者としては「いいじゃん、いいじゃん」とうなずくばかりだ。

「アイドルは素顔を見せていいのか問題」は現実のアイドルでもしばしば去来する。「プロ意識が足りない」などと叩きに発展する場合も決して少なくないが、そういった「ファンの目に触れる場所全てでアイドルを演じ切る」アイドルも、「行動そのものがアイドルになる」アイドルも、「等身大の悩める」アイドルも、みんないていいじゃないか、と筆者は思うし、現実のアイドル界隈でもそういう空気が醸成されてきているように思う。2018年においてそれこそ将来アイドルになる可能性のある女児諸賢にこのメッセージを発信していたことは、それだけでもこの番組があった意味があったのではないか、と思う。

ちなみに全くの偶然なのだが、筆者が応援しているアイドルグループ「アンジュルム」のメンバーである松本わかなさんはまさに「アイカツチルドレン」とでも言うべき幼少期からアイカツ! に親しんできた方で(特に藤堂ユリカ様のファンらしい)、リバイバル上映もばっちり鑑賞されている。

ameblo.jp

ameblo.jp

こういった交錯があるとブログを読むこと、エンタメに触れることの醍醐味だなあと思わされる。

こう読み進めていくと、「フレンズ!」の不評はネットにありがちなマイナス面が過剰に語られるタイプのものだったのか……? とスクロールを進めていくと、本作の悪い意味での「本命」である2年目への言及が始まる。

さらっと「宇宙から来たアイドル」というパワーワードが出てくるが、実は1年目のいわばラスボスであったラブミーティアとの因縁の相手。その絆をいかに主人公たちが結ぶのか……と筋立てはいかにも魅力的だが不要なスカし、引っ張って引っ張って実はそれは真の原因じゃなかったんです、というあまりにもお粗末な展開、長期シリーズの驕りとすら思ってしまう冗長な展開と新キャラ偏重による主人公の存在感の希薄化、設定の未消化……およそ「やってはいけない続編・新章」を全部やってみましたと言わんばかりの流れには目を覆わんばかりだ。筆者はこのようにれんとさんがおそらくは血を吐く思いで要約してくださったからいい。社会人の貴重な余暇を一縷の望みを繋ぎながらしかし裏切られ続ける26話、単純計算で13時間を過ごしたれんとさんのことを思うと胸が痛む。そして、第1期の50話に比べてこの26話という話数から、鈍い筆者とていかんともしがたい大人の事情を察せられてしまうし、れんとさんならではの「ウルトラマンネクサス」で起きた悲劇をもとにした推察が恐らく「核心」なのだろうな、と思わされてしまうのが悲しい。

それでも、とれんとさんは言う。だからこそ、れんとさんなのである。記事を書く時、彼は決して対象を落として終わらない。鑑賞したものをつぶさに拾い集め、検討し、その輝きを必ず見つけ出し、その光を増幅させてくれる。だからどんなに重い記事でもその読後感は風が吹き抜けたように感じられる。暗闇であっても一縷の光が見いだせたような気分になる。

そして……天はそんなれんとさんに再び試練を与える。しかし心配はいらない。きっと年内最後の戦いにも見事勝利を収め、その凱旋としての記事が上梓されることを筆者は確信しているからである。