パラダイス・リゲインドをはじめとした仮面ライダー555のネタバレがあります
余談
12月7日。Ryo兄さんの朝からの素早い投稿、結騎了さんの翌日の参戦表明という昭和の残り香チームの熱い連携を確認しながらどうにか感想記事を1つ投稿し、娘を寝かしつけた筆者は、しかし依然直近の平日が埋まっていないことが気にかかっていた。どうせ下書き記事はまだまだあるのだからその削減を成し遂げればいいだけなのであるが、ここまで皆さんが当日の投稿をなんなく成し遂げていることから平日当日の投稿に間に合わせなくては……というプレッシャーがあった。翌日は休日とは言え夜が明ける前から町内会行事に駆り出されることが決定していたからである。
#ブロクリ2024
— ツナ缶食べたい (@tunacan_nZk) 2024年12月7日
本当に、本当に申し訳ないのですが、どうしても年内にケリをつけたいアレを成仏させたいので、12/11、貴重な1枠、私にください……。12/18も出ます故、全部埋まった後に参加したい方いたら退きますので……。https://t.co/UecVkIPl5E
そこに「自分のワガママなんです」という体で追加の登録をツナ兄がしてくださった。もちろん申し訳なさを感じる必要など全くなく、筆者はそのツイートを見て緩やかに安眠し、翌日翁よろしく竹を刈りまくった。報酬は大根2本であった。義務教育の時分、「奈良時代でも地方の人々はまだまだ古代ゆかしき高床式住居で暮らしていた」ということを習った気がするが、令和の世においてもおらが村においては貨幣経済の到来は遠いようである。
本題
余談が、ながくなった。
件の登録時、ブロクリ2024のページにツナ兄はこう記された。
どうしても年内にケリをつけたいあの映画について
氏は広く深く映画を鑑賞する人で、これだけであっては筆者には「ははーん……あの映画ね」とピンとくることは難しかった。むしろ、あのツナ兄であっても映画鑑賞についての出力にそれほど迷うことがあるのか、という驚きの方が勝っていた。
それから当日までの間あの映画か……いやそれとも……と頭の片隅で考え続けていた。幸せな時間であった。氏の「引き」のテクニックに惚れ惚れする次第である。
果たして当日朝、記事が投稿された。
マジかァ~~~~~
筆者の特撮のはじまり、そして「ほな、この辺で……」と足を洗おうとするたび引き戻してきた脚本家、(他称)井上敏樹氏。
もちろん仮面ライダー555も筆者はリアルタイムで視聴した。
丁度上記の記事を投稿して少ししてから、パラダイス・リゲインド(以下パラリゲ)が発表されたのではなかったかと思う。
正直なところ、周年作品にあまりいい印象はなく、555とあらばミーム的なものを擦る予感もあり、何より井上敏樹氏が脚本を書く、ということでもし合わなかった場合、賛否両論を巻き起こしたあの「復活のコアメダル」のように「オリジナル脚本家が関わっていないから……」と逃げを打つことが出来ない、という点でかなり「ウッ」となったのを覚えている。ぶっちゃけ、ドンブラの余韻のままサンキュー敏樹……Love……と心のだいじなもの入れに氏を封印しまっておきたかった気持ちが大きかった。
日々を必死に生きているうちに2023年は終わりを告げ、年が明けた。
2024年1月14日。舞台挨拶付きのパラリゲ先行上映が全国で催された。
訓練された精強なるTL諸賢は続々参戦、まるで通常公開初日のような雰囲気で、県内の映画館でも普通に観られることを公開一時間前に知ってしまい、煩悶した。
鑑賞した諸賢はさすがに歴戦の古敏樹者ばかり、誰もがネタバレを軽々にTLに放ることはなかったが、しかし滲み出る何かを察せないほど筆者も鈍感ではなかった。伊達に15年もTwitterをやっていない。書いてて悲しくなってきた。
観たもの必聴であろう諸賢たちのスペースを聴くことが出来ない悔しさと翌日の月曜日の恐ろしさで布団で転がるうちにいつしか眠りについていた。
通常公開が始まったが、公開劇場はスッと行く分には遠く、また妻子ともに帯同するのもはばかられ(PG12作品である)、期間が短かったこともありとうとう見ることは叶わなかったが、先行視聴組と通常視聴組が語り合い、幾分クールダウンした先行組と観たてほやほや通常組(言うまでもないが先行&通常同時視聴組も複数観測された)との間に555本編めいたすれ違いが観測されたりするのを横目で見つつ、「配信がきたら……」という気分にもイマイチなれなかった。「恐れ」の方が強かったのである。
そこに、この記事である。
前日のれんとさんの記事に続き、連続の「未視聴作品の感想」。「フレンズ」においてはその膨大な話数と時間に思わずのけぞってれんとさんの「論文」の「観察対象」という扱いにさせてもらったが、今回は約1時間。いや1時間でやれるのか!? あの作品の「夢の続き」を!? という別の心配があったが、しかしここで見なければ一生観ないのではないか、という予感があった。
東映における労働問題へのささやかな抗議として、筆者はTTFCに加入していなかったが、Amazonプライムにおいてもレンタル扱いで視聴出来るようだ。SD画質がなぜか100円引きの300円。これでツナ兄の新鮮な記事を読めると思えば安いものである。躊躇なくボタンを押し、視聴権利を手に入れた筆者は即再生を押す。FireTVが久しぶりにアニメ以外の東映作品を映し出し始める。と、何か父がエンタメを摂取しようとしているところをかぎつけたのか寝室から娘が飛び込んできた。PG12を3才児に見せるのは憚られ、「明日、ドラえもんを一緒に観る」という約束でどうにか娘を再び送り出す。
邦画あるあるのBGMとセリフの音量の乖離ぶりにイライラしているとスマホに通知があった。かずひろさんスペースでツナ兄とRyo兄さんがよろしくやっている……というもので、パラリゲはこれから1週間の猶予があるがかずひろさん(30歳おめでとう)スペースの(しかも自分が参加できる状態での)リアルタイムでの遭遇は久々。
今年最後のスペースになるかもしれません
— かずひろ (@kazurex1215) 2024年12月13日
しかも遡ってみるとこのようなツイートまで。皆さんブロクリ2024にご参加いただいていることもあり、直接お礼を言えるチャンスでもある。矢も楯もたまらず参加。なあにサクッと参加してその後視聴すれば……。
終わってみれば、午前3時であった。6時間近くしゃべり続けられるかずひろさんの名MCぶりたるや、ここにきてますます腕を上げていることが感じられた。4時間半睡眠で娘の習い事の送り迎えをし、自分の歯のメンテナンスを終え、昼食後1時間程度仮眠。夕食も終え妻子ともに寝室で休み、パラリゲのリベンジタイムだ。再生しようとしたが、ふと昨日のスペースの録音を再生してしまったのが間違い。筆者が不在時のところから聴き返し、気づけばまたも日が替わり、傷心の睡眠となった。
そうして日曜日の深夜に観る、という最も避けたかった事態になった。金土日で感想記事のスパートをかけたかったのに、まだその入り口にも立てていないふがいなさがサザエさん症候群を凌駕した。視聴完了したとき、既に月曜日となっていた。布団の中にありながら様々な感情が渦巻き、気がつけばまたもや深夜3時。
元々の大目的、「ツナ兄の記事を拝読する」をその時間になってようやく思い出した筆者はそのリーダビリティにあっという間に読了し、ようやく気分が落ち着いて眠ることが出来た。
ということでやっと感想が書ける。もう一度貼っておこう。
放送当時は小学生
え……
ツナ兄って………
年下………?(灰化する音)
ともあれ、昨年執筆された555リプレイ記事の過不足の無さ、先行上映参加組という筋金入りのファンぶり、いつも通り信頼できる記事になりそうだと読み進める。
そして氏がまず感じたのが「怒り」であったこと、(このスペースが聴けなかったことが実に惜しまれる)その物語咀嚼能力においてもまだ記事として消化しきっていないことに驚きと納得を同時に覚えながら、世に出るきっかけにこの企画がなっていることに喜びを覚えた。
氏はまずこの作品が「大人向け」たる所以が「老い」を描いているからであるとする。かつてのヒーロー・ヒロインは中年に差し掛かり、夢の続きは疲弊と諦観によって現実に回収されていく。
筆者がよぎりながらも言葉にするのは抵抗があった「中年」をスッと使ってくれることで、ああ、これは「ズッコケ中年3人組」なんだ、とようやく筆者は腑に落ちた。
筆者は上記記事にも書いた通り井上敏樹という人は「されど人生は続く」ということを描く人だと思っていて、その人があの最終回の続きを描くとすればこうなるのは不思議なことではない。
でも――と視聴者が縋りたくなるところを端的な描写で表現する、それをしっかり拾い上げ、肩を抱くように説得するようなツナ兄の文章である。
次の見出しでは本作の大きなトピックである真理のオルフェノク化が語られる。これもまた、あの最終回から時を進める限りいつかは起こりうることであった。
しかし例えば5年後、10年後の物語であったとすれば、真理は自身のオルフェノク化にそこまではじめ拒否反応を示さなかったのではなかろうか。老いが、受け入れること、柔軟性を失わせているのではないか。
巧との再会後の一連の流れも、今、この時の物語だからこそ展開しえたのではないか。
筆者もおいおいと思ってしまった「あんたもオルフェノクになっちゃいなよ」も創作記号的「無神経なオバサン」としてのセリフであればそこまで不思議はない。
我々は最終盤においても20年前の夢追い人園田真理を幻視するから怒りを覚えるのであって、旅をひとまず終えた中年としての言葉であれば受け入れやすくはなる。
事実、彼女はそれで呪いから解放されたのだから。
更にこのタイミングでツナ兄はパラダイス・ロストとパラダイス・リゲインドの結末に類似性を見る。パラロスは遠くない未来に人類が滅ぶだろうこと、パラリゲはオルフェノクの滅亡が迫っていることという対照性がありながら、巧と真理の2人の立ち位置においてはその通りで、なるほどと思わされた。
そして最後にこのパラリゲ――から「始まる」ことを言及して、記事は終わる。指摘の通り、555はこの先いかようにも続編を作りうるフォーマットが生まれた。出来てしまった。パラダイス・リゲインド。再び我々が手にした、取り戻した555が、その作品世界が楽園になりうるかどうかは、ここからが正念場なのかもしれない。
蛇足
ということで、心スッキリしたツナ兄に乗っかって自分の「パラリゲ」感想を述べるのはまさに虎の威を借る狐、ということで以下自分の文責によって端的にパラリゲの感想を述べたいと思う。
一言実感としては「飲み込めない劇薬」だった。
本編もまた劇薬であったのだが、それよりも臭いがきつく、舌触りが悪く、飲み下すまでもっていけない、という印象だ。
おじさんとおばさんが作って主におばさんとおじさんが観る、という映画になった訳だが、今回アンドロイドを除いて「死ぬ」のは若者だけ、その若者たちの造形がそれこそ20年前の創作から出てきたような古さというのはかなりキツイものがあった。その中でファイズギアを手渡す甥っ子君がわずかな希望なのだが、(願わくばあそこで世界を洗濯して帰ってきた男から「たっくん」に渡して欲しかったものだが……)最後の食卓の扱いを見るに望み薄である。
胡桃玲菜においてはそのキャラクター造形の無茶苦茶ぶりに「嫌っているオルフェノクになって絶望からの激昂で襲い掛かるか、実はアンドロイドだったりするんだろうなあ」と考えながら見ていたのでどちらでもないのは驚かされた。555を555たらしめているのは相反する関係にある者たちそれぞれのジレンマの積み重ねだと思っていたので、彼女の真理への仕打ちやその後のスマートブレインへの裏切り、そして最期は尺不足を言い訳にできないほど説明不足で、もうちょっと何とかならないものだろうかと思った。それこそ真理とも心通わせてミューズギアを真理に引き継ぐとかさあ……すると思ったんですよ。ついに真理が仮面ライダーになるんだ! って。違ったけど。
ライダー関連で言えばデルタがやられ役になったとき「これは最終盤で北崎がサプライズのネクストデルタになるんだろうなあ」とも思っていたけどミューズでした。小刀二刀流でちまちまってあんまり北崎のイメージじゃないんだよな……。
ライダーアクションに関しては今、ニチアサですごく贅沢な画を毎週無料で見せてもらっているんだな、という感じだった。やっぱり刻印の出るフィニッシュはカッコいいが……。
たまさか「ハチオーグ戦を彷彿とさせるようなアクセルフォームを用いたバトル」という分をどこかで見たが、高度な悪口なのかどうか気になるところである。
バトルにおいても作劇においてもずっと気になったのが海堂の存在であった。そんなに道化だったっけ? 555に魂を焼かれたものの多くはツナ兄も引用したように海堂の言葉を胸に刻んで生きてきたと思うが、今回の海堂はひたすら空気が読めなくって見ていてどんどん悲しくなっていった。ラー油に関してはファイズ以上に脚本が滑り倒していて、そこで視聴を止めようか真剣に考えたほどである。
草加もなあ……「いつしか戻ってきた(何度見てもいかに真理が草加に興味がないかがわかって味わい深いことば)」のがいつかわからないが、もっと簡単に任務を果たせるチャンスはあった訳で、よくわからない。
例えばスマートブレインはスパイとして潜入させていたけど草加の脳をトレースしたアンドロイドは真理への愛がすさまじ過ぎて命令を拒否していたが巧と真理が心と体を通わせるところを目撃して脳が焼ける(物理)して暴走したとかがあればまだ納得したのだが、なんか裏切っちゃうんだよな。そのせいでネクストカイザもあまり格好よく見えない。バンダイに怒られないか心配になるレベルだ。
本編には多少の齟齬があっても突き進むダイナミズムがあった。まさに若さゆえの猛りであったかもしれないが、それが無くなった今回はただ粗が気になって仕方がない。もちろん約1時間という制約があったことは前提として、時間に追われながら制作した本編よりも見ていて気になるところがあるというのはいかがなものだろうか。リアリティを描こうとしながら、細部の詰めが甘いものを見せられると「信者向け商売」と言われても仕方がないと思ってしまうのである。
一番気になったのは「なぜミューズのAIを旧式ファイズは突破できたのか」にロジックがなかったこと。個人的には「劣化していたため予測値通りの動きができず、結果突破できた」と考えているのだが、少なくとも劇中は解答がなかった。
また、「オルフェノクを延命できる手段」が何をもってして成されるかわからないのも気になった。それは実は不死身になったが故に死ぬことも出来ないロブスターオルフェノクをスマートブレインが軟禁し、抽出したエキスがもとになっていたーーとか敏樹ならやりそうなのだが。
とはいえ井上敏樹が555の続編を描けばこうなるだろうなという納得はあるし、だから描かなくてよかったね、としか今のところ筆者は思えない。
収穫があるとすればやはり555のメインヒロインはオートバジンであると明らかになったことだろうか。