カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

鏡の向こう、約束の場所ーーミラーマン、そして父が筆者をオタクにしてくれた

今週のお題「おとうさん」

あれだけ書きたいものがあるといっていて、しかし書けていない。これには続編発表によって急激にブレスオブザワイルド熱が高まったり本業の方がこれからどんどん忙しくなりそうだったりすることによるのもあり、また作業環境の更なる改善を待っていたこともある。


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カバーが安かったので買ってしまった。デフォルトの黒でも良かったのだがこの「銀河」がべらぼうに良い。思わず江戸っ子になってしまうてえもんよ。スタンドにするとこんな感じでWebという宇宙に飛び込みますよ、という感じがしてますます良い。セールで買ってから飼い殺しにされてきた不憫な端末であるが、今後存分に可愛がっていきたいと思う。


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さて父の日であった。実父においてはアサヒビールでも送っておけば良いので話は早いのだが、義父についてはお酒を飲まれないのでもう無理である(対応力のバリエーションのなさ)妻に相談すると、柿の種が良い、ということで粛々と従った。さすがにちょっと上等なやつにしようと企んで、妻に一緒に選んでもらった。お気に召せば良いが......。その流れで先程のカバーを発見したのである。これは父を大切にする者には良いことがある、ということであるかもしれない。

 

さて作業環境を新調しいよいよ記事に取りかかろうとしたところ、ひとつの訃報が入ってきた。「ミラーマン」の主演俳優の方が亡くなられたと言う。

実生活においても間違いなくヒーローであった氏の逝去を悼みながらも、筆者はごく個人的に何かしら数奇なものを感じられずにいられなかった。

父と筆者、そしてそのオタク人生を振り返るときに「ミラーマン」という作品はターニングポイントであったと言えるからだ。筆者の中の「特撮」観を形作ったひとつと言っても良いかもしれない。

ということでまたも懸案のあれやこれやを横に置いて、個人ブログらしくパーソナルな話を綴っていきたいと思う。

今や社会人一年生である弟二号機がいなかった頃であるから、幼稚園の頃であったはずである。戦隊ものが夕方から休日朝になったりし、今も続く休日にやたら早く起きるルーティンが形作られていた頃でもあった。ちなみに山間部の祖母の家では戦隊ものをやるチャンネルの電波が入らなかったのでこの頃から筆者は祖母宅へのお泊まりを渋り出すようになる。

カクレンジャー、ジャンパーソン、親父が借りてきたウルトラマン(グレート)や仮面ライダー(アマゾン)、なんか怖いやつ(真・仮面ライダー)......。おもちゃとしても仮面ライダーウルトラマンのソフビセットが与えられ、幼い筆者にも、大体「でかいヒーロー」「バイクに乗るヒーロー」「ロボットのヒーロー」「皆で戦うヒーロー」という区分があるらしい、という理解は何となく出来るようになっていた。

親父と風呂に入ることが好きだった。今から考えるとすぐ出たがる筆者を浴槽に留めようとしていたのだろうが様々なことを教えてくれた。ウルトラマンは兄弟であるが血が繋がっていないこともあるという衝撃の事実、仮面ライダーは皆バッタだと思っていたらアマゾンはイグアナ、タイガーマスクの原作最終回の救いの無さ......。

今考えると親父のすごいところは筆者をちゃんと一人の人間として見てくれていたことである。そこに子どもだから適当に誤魔化しておこうということはなかったし、軽んじることはなかった。その代わり自分の言に反したらひどく怒られた。(散々ねだって連れていってもらったゴジラVSスペースゴジラをおまけをもらった時点で満足してドラマパートが難しくて寝てしまったときとか)

金田一少年の事件簿」が面白いと言ったら金田一耕助の存在を教えてくれたし、麻薬を使っていたことがあることも教えられた。「名探偵コナン」が面白いと言ったらシャーロック・ホームズも麻薬を使う悪癖があることを教えられた。「地獄先生ぬ~べ~」が面白いと言ったら稲生物怪録について。こう考えると単にストレートに知識を与えるのがめんどくさかっただけではないかという気もしてくる。

さて、余談が長くなった。その風呂問答の中で筆者が覚えていることがある。子どもと言うのは、モノを聞きたがるし、クイズをしたがり、勝ちたがる。「とっても! ラッキーマン」にはまってお絵描き帳に自分の考えたヒーローを描いていた時分であった。風呂場で父にクイズを出した。

「クイズね! ○○マンを言ってください。先に言えなくなった方が負けね! あ、ウルトラマンは他のウルトラマンはだめね(自分が覚えてないから)」

勝算があった。父はジャンプではラッキーマンをろくに読んでいまいと考えていた。少なくとも読み込んではいまいと。しかし以外と、親父は答えてくる。勝利マン、友情マン、「会長はいいのか?」と余裕まで見せながら......。しかし筆者はどうにか「三本柱マン!」と勝利を確信した大声で告げた。

ミラーマン

けれども親父はまるで慌てずそういうのだった。全くの想定外の事態に慌てる筆者。

「どうした、言えなかったらお前の敗けだぞ」

そして筆者は敗北した。風呂上がり、早速ラッキーマンを一から読み返して「ミラーマン」を探し出さなくてはと思った筆者を親父は捕まえて、出掛けるぞ、と言った。この事を鮮明に覚えているのはそれが風邪を引いたとき以外で初めてパジャマで外出した出来事だからである。

いつもジャンプ他本を買いに行く「○○堂」であった。(メインは文房具なのだろうが、模型、本、ガチャガチャ、駄菓子、アイスなど様々あり、問屋価格で安かった)その奥、親父がアイスを選んでいる間などに眺めて暇を潰している「てれびくん」や「テレビマガジン」ゾーンで、親父はひとつの本を取った。いわゆるムック本である。

「これがミラーマンだ」

その初めて見るヒーローは、筆者に衝撃を与えた。不思議なことに漫画では沢山いるヒーローを受け入れられていたのに、特撮、実写ではそういったことを考えすらしていなかったのだ。他のページもめくってみた。また違うヒーローがいる。シルバー仮面レッドマン、バロム1、アイアンキング......。その壮烈なる画面に筆者の目は釘付けであったが、しかし親父に取り上げられた。

「帰るぞ」

ぶっきらぼうに言う親父の手には先程のムック本が入った袋が下げられており、代価として筆者は親父の足の裏踏みを帰宅後余儀なくされた......。

翌日からお風呂場での対決がヒーローの名前古今東西となったのは言わずもがなである。そのムックは弟怪獣の襲来により見るも無惨な姿になりはしたものの、一応今も実家に残っているはずである。

クラスに一人は怪獣博士がいた時分であった。家で親父に連戦連敗の筆者はしかし、幼稚園では誰も知らないヒーローを知っている大袈裟にいってしまえばヒーローであった。筆者にとって幸福だったのは、園長先生が親父と同世代で、「ミラーマンを知っているのか!」と反応してくれたことであった。そうでなければ、筆者は嘘つきとして蔑まれていたかも分からない。

かようにミラーマンは筆者にとって親父との想い出であり、特撮観、ヒーロー観を更新してくれた存在であり、また友達と大人が認めてくれ、自己肯定感を高める経験をさせてくれた実に思い出深い作品だったのである。

それが長じて、「人が知らないことを知りたい、もっと深くまで物事を突き詰めたい」という欲求にハマり、オタクめいた人格形成に繋がっていく......。

ミラーマン」そのものは実はしっかり観たことがない。なんだか初恋の人に会うようなきまずさがあって見られないでいるのである。けれど石田信之氏に弔意を表して、今こそ見てみようかな、とも思う。

次に親父と温泉に行くとき、背中を流すときの話の切り出しは「ミラーマン、見たんだけどさ」になることであろう。

ミラーマン大全