カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

夕陽のガンマンは朝日と共に――「シン・仮面ライダー」ネタバレ感想

余談

金田一耕助という探偵がいる。
ヨレヨレの和服に帽子を被り、興奮すると頭を掻きむしり、柔和な表情を浮かべながらも、真実を知りたいという知的好奇心には抗いがたくその推理力を鋭く発露、それによって事件が落着した後は1人孤独にその結末を抱えている男……。

幾度となく映像化もされた彼はしかし、時代背景は変わらない。(スーツを着たりすることはある)もちろん本筋のミステリの都合上ということもあろうが、舞台が現代となることはない。

いわゆる横溝正史ブームの仕掛け人の1人であろう角川春樹金田一耕助を「夕陽のガンマン」と称した。もともと彼が世に出たのは1946年のこと。角川春樹が彼に出会ったとき、既に時は流れていた。発掘された時、既に古びていた。だからこそ角川春樹は彼を担いだのだ、という。古いものはそれ以上古びることはないから。
早速彼は自らの城、角川書店から横溝正史作品の角川文庫第一弾として「八つ墓村」を出版した。
1971年のことである。これは異例の10万部というヒットを記録し、横溝正史金田一耕助は一躍スターダムへと駆け上がることになる。
そして角川映画第一弾「犬神家の一族」によっていよいよそれは絶頂を極めるのだが、さすがに余話に過ぎるのでここでは触れない。

その「犬神家の一族」を30分で原作にほぼ忠実に映像化する、という番組がNHKにて放映されたのは2020年のことだ。
「獄門島」、「悪魔が来たりて笛を吹く」と原作の長編を野心的にリメイクしていたNHKが手掛けた「シリーズ横溝正史短編集」の一篇。文字通り本来は短編が映像化されていたところに、「犬神家の一族」が放り込まれた。時間帯が遅いこともあってすべてのエピソードを見られた訳でもなかったが、とみにこの「犬神家の一族」が筆者にもたらしたインパクトは大きかった。なにしろ先ほどの角川版では146分。来月NHK吉岡秀隆さんをみたび探偵役に迎えて放送されるバージョンでは各90分の前後編で制作されるものが、事実「ほぼ原作に忠実」であったのだから。現在、視聴困難なのが非常に惜しまれる名作である。
その作品の出来とともに、筆者は金田一耕助金田一耕助らしさにもしみじみ感じ入っていた。「イケメン」というよりは「ハンサム」という風貌、柔和ではにかんだ表情が古谷一行さんの金田一系統であることを思わせる……。

その俳優さんは池松壮亮さんといった。

本題

余談が、ながくなった。
ゴジラエヴァンゲリオンウルトラマン
それに比べると、「シン」の中で「シン・仮面ライダー」は最も筆者の中にスルッと入ってきた。
というか、過去三作は筆者以上に思い入れがあり、ある種の悲壮感すら醸し出している諸賢が散見され、筆者が軽々しくなにかするのもなあ、という気持ちもあった。

昨年は「シン・ウルトラマン」を含め周囲の協力もあって忙しい中にも映画を観ることが出来て、「シン・仮面ライダー」の特報も何度か目にする機会があった。ムビチケ単品売りがないことを知らず、モダモダとしているうちに公開日が発表された。残念ながら休暇申請日は過ぎており、当日に見ることはできない。
幸い娘は一時預かりを非常に満喫しており、その間妻もゆっくりできるのであれば3/18の土曜朝イチ鑑賞を……と考えていた。
シン・仮面ライダー上映に合わせて夫婦で映画館へ、妻は少し遅れてスラムダンクを鑑賞、久しぶりに二人で外食をして娘を迎えに行く……というように。
と、そこに本郷猛役の池松壮亮さんが「ゲストビジット」として鹿児島を訪れてくださるという知らせが舞い込んできた。
鹿児島という土地はこういう「お祭りイベント」にはなかなか縁がない。ぜひ参加してみたい、と思った。妻も快諾してくれ、見計らったかのように土曜日に業務が発生したこともあり、土曜日は夫婦でスラムダンクを鑑賞し、日曜日に元々の土曜日のプラン(ただしシン・仮面ライダーの時間は後ろにずれる)を採用することにした。
それは筆者にとってSNS封印が一日延びることも意味したが、もう二度とないチャンスの方を優先することにした。
公開日16時。劇場に行って、ゲストビジットは写真撮影があるということでショッカーのお面と扇子、パンフレットとアクスタを購入した。
にわかに緊張が増し、SNSを絶つことにした。あんなにフラットな気持ちでいたのにいつの間にか過去一真剣に映画に向き合っていたかもしれない。

当日。スラムダンクを鑑賞する予定の妻とともに発券する。ふとすれば手がTwitterに伸びそうになるのを押しとどめ、ショッピングモールを一周した。
シン・ウルトラマン以来のフードコーナーに並び、サイクロン号型ドリンクホルダーを買う。家族で外食一回分くらいの立派な値段にのけぞりつつ、もし、今から見る映画が楽しめなかった場合、果てしない後悔が襲うのではないかという不安に駆られながらも、スタッフさんから受け取った。池松さんを少しでも近くで見たいという気持ちから、普段なら取らないようなスクリーン近くの席に座り、スクリーンの威圧感におののく。
昨日見たばかりの予告編群が流れていき、あの波打ちが目に飛び込んできた――。

――「それでは本郷猛役・池松壮亮さんの登場です」

その言葉にはっとして、周りに数テンポ遅れて筆者は拍手し始めた。ほんのさっきまで大画面で見ていた人が、目の前にいる。初めての経験だ。
筆者よりも一つ下、だがその眼差しには二十代のような若々しさがみなぎっていて、しかしやはり優しさをその奥にたたえていた。暖色の衣装が良く似合っている。そして池松さんの話が始まった。
※以下のゲストビジットの内容についてはあくまで筆者の記憶によるものであり、一字一句の正確性を保証するものではないことをご了承ください。
「皆さん、公開直後からこんなに集まっていただいて、あたたかい拍手ありがとうございます。死んだのにね(笑)」
(筆者も含め場内爆笑)

そう、「シン・仮面ライダー」において、池松壮亮さん演じる本郷猛は命を落とした――という表現が正確かどうかはわからない。少なくとも肉体を失った。

筆者の願いは叶わなかったわけである。

一文字隼人の手(足)によって本郷猛が足を負傷、緑川ルリ子を失い、そしてメッセージを託された時筆者は思った。
ああ、原典での「本郷猛役の負傷による戦闘離脱」をこのように翻案して、緑川ルリ子のアップデートによってプラーナか何かが影響を及ぼし、
本郷と一文字が並び立って「変身!」からの本郷は「新1号」にパワーアップを遂げるという展開なんだな……と。
なるほど、「ショッカーによる再改造」をそういう解釈で扱ってくるのか……と。

実際にはダブルライダーが並び立つものの、本郷が「変身」を発することはなく、その生命力はチョウオーグを止めるために使われ、泡と化す。
ちょっと予想が外れたけど自らの犠牲を選ぼうとする本郷を一文字が叱咤し、持ち直し、パワーアップするのか? という筆者の祈りに近い二の矢の予測も裏切られる形となった。あんなにこれみよがしにバイクが2台飾られていたのに……最後は崩壊するアジトからダブルライダーがバイクで脱出、努めて冷静を装うが二人の未帰還に戸惑いだす政府関係者と情報機関関係者の前に逆光で現れる……という展開には残念ながらならなかった。
一文字隼人が「新1号」を彷彿とさせる「1+2号」となり、遺志を受け継いで本編は幕を閉じる。
「プラーナ」という令和の「ふくろ」概念とでもいうべき発明……というかハガレン世界における「賢者の石」のようなものという気もするが……によって大体のことを納得した気になれるのはあの頃の雑多さをいい意味で感じられて良かった。なんかすごい理論があればなんとかなるのだ。

本編の終わり方も筆者は好きである。しかしやはり、筆者の昭和仮面ライダー像を形作ったものに「仮面ライダーをつくった男たち」があり、(新)仮面ライダーSPIRITSがある。そこで提示される「英雄は死なない」ということは、筆者にとって「変えたくないモノ」であったのだということが、こういった形になることで気づかせられた。
筆者は仮面ライダー本編を網羅しているわけでもない。筆者の触れた昭和仮面ライダーは漂白された、美化された、「三丁目の夕日」的「昭和」と同様の実際には存在しない昭和仮面ライダーイデアであるのかもしれない。
しかしそれでもやはり、池松壮亮さんの本郷猛さんには生きて帰ってきて欲しかった、と思ってしまったのだった。

池松壮亮さんの話が続く。
この劇場が単独でゲストビジットされるラストであること。福岡のご出身で、九州の人々のあたたかさを改めて感じた、風もあたたかくて柔らかでこの風で変身したい(笑…鑑賞客があまり受けなかったのを見て照れたように追い笑いするのがかわいらしかった)
途中からずっと音がしており、池松さんも「BGMが……」と気にしている様子。スタッフも「BGM止められますか?」とややピりついていたところ、懐を探る池松さん。
はにかみながら、「あ。オレかあ~~(笑)」スマホの着信音? か何かだったようで、その後は丁寧にお詫びをされていた。こ……この茶目っ気……!良すぎる……。
楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り、記念写真の時間になった。進行役の方が「ライダーだし変身ポーズとか……」と促す中、池松さんは「ヌートバーをしましょう!(笑)」
期せずして2023年のこの時期に公開だったからこそ可能になった「本郷猛とヌートバーのポーズで記念写真を撮る」ということを我々は実現したのであった。
きょとんとしている「ヌートバーのポーズ」がわからないお子さんに気づいたのか、微笑みながらポーズをしてそっちの方を向き、できるまでゆらゆらして見せる池松さんの姿が印象的だった。

本編で池松壮亮さん演じる本郷猛は「仮面ライダーの物真似」をしようとしたとき誰もが思い浮かべる「変身!」と声を出すことをしない。他の劇中変身する人々が変心しあるいは偏心することによって変身する中で、本郷は変わるのではなく、自分が求めていたものに向き合い、受け入れるような形となり、だからこそ叫ぶことはなかったのかもしれない、そういう考えが池松さんの中にもあり、変身ポーズを採用しなかったのでは――と思ったが別の回では普通にされていた。(ポーズ自体は劇中でも普通にしているしね)オタクはすぐこんなことを考えるのである。

本郷猛が死んじゃって悲しいようという話をよくもまあ五千字近くだらだら書いたものだなと我ながら思うがやはり「ヒーローは朝日とともに帰ってくる」という考えは初めて自分たちの仮面ライダーとして一年間追いかけた「クウガ」の最終話の景色にも通じるものがあり、筆者の中で相当「当然変わらないモノ」だと思っていたのだろう。感想を書くとこういう風に自分が当たり前すぎて気にも留めていなかったものに気がつけるので良い。

映画全体をざっくりと。
開幕から「これはPG12の仮面ライダーですよ」とでもいうようなシーンから始まったのは小気味よさがあった。他方でこれ見よがしに出てくるナンバーや「完成していたの」というワードなど「ちゃんと(?)予習してたらもっと楽しめたのかなあ≒この状態で自分はこの映画を満足に楽しめるだろうか?」という視点が早くも発生してしまい、自ら没入度を下げてしまったのが残念だった。大森南朋さんはとても好きな役者さんで、このボイスで肉弾格闘していると「龍が如く」を思い出した。正直なところ戦闘は蜘蛛男編が一番興奮したかもしれない。ライダーキック……ライダーキックはすべてを解決する……!


ハチオーグはもうこれアテ書きだろうという能力に思わず笑ってしまった。
西野七瀬さん日本刀前も使ってなかったっけ? と思ったら白石麻衣さんだった。(コウモリオーグの手塚とおるさんも出ている)
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望むものがすべて手に入るのにただ一つ手に入らないものがあり、それは自分の死によって達成されるという贅沢な話の作りには唸らされた。
面白いけど画面が忙しいしいつもより席が近いせいもあって特に戦闘は目が疲れるな……と思ったところで一文字隼人が出てくるので助かった。まさに一陣の風のようだった。この作品の本郷猛を好きになれたのは、失って悲しいのは一文字隼人が吐露した「また一人かよ」に帰するものが大きい。一言が二時間に匹敵する重みをもつから、人は映画を観ることを辞められないのだろう。

ショッカーの設定周りだったりチョウオーグの思想とかに関しては「なんかPS2くらいのゲームでこういうのやったことあるな」という感じで目新しさということではそこまでなかったが、おそらくは最後期のベルトであろうダブルタイフーンを身につけたチョウオーグが「0号」を名乗るのは緑川博士のことを散々に言いながらもどこかでその子であるという気持ちがあったのかな……とも思わせる。KについてはPLUTO青騎士みたいになるかと思ったら別にそんなことはなかった。

浜辺美波さんの緑川ルリ子はとても良かった。良かっただけに、彼女が本郷猛を「コミュ障」とレッテル張りし最期におけるまでその訂正がなかったのが少し気になった。個人的にはルリ子の方が最初の頃はいわゆる「攻撃的コミュ障」のように感じられ(組織の外部と接点なんてほとんどなかっただろうし)、その一端だと思ったのだが……。

しかし今回一番やられた!と思ったのは竹野内豊さんと斎藤工さんがそれぞれ「タチバナ」と「タキ」であったこと。
仮面ライダー映画に出てくる情報機関関係者といえばスッと「FBIの滝」が出てきそうなところを、この2人で出てくることで「公安の神永」とミスリードさせ、
それによって仮面ライダー映画に出てくる男性陣で味方サイドならおやっさん、そして滝という連想からも遠ざける――これ思いついたらさぞ気持ちよかろう。
まさか上映前予告編の名探偵コナンが伏線とは恐ろしい話である。まさかここまでとはな……。
2人が待ち構えていたことでセーフハウスが一気に全館空調っぽい雰囲気になってしまったのはさすがに誤算だろうが。

今になって仮面ライダーカードのネタバレ要素が何だったのか気になる。サソリオーグとか?

夕陽のガンマンは荒野に散り、朝日と共に帰ってくることはなかった。
共に1971年に表舞台に登場した存在でありながら、変わらずに70年以上の長きにわたりあり続ける金田一耕助と違い、本郷猛(こちらも50年以上変わらずあったと考えるとすさまじい)は令和の世に新たに受肉するにあたり、その登場作品も含めて、
「変わるモノ。変わらないモノ。そして、変えたくないモノ。」を生み出した。ただ、その肉を受ける骨や組織の換骨奪胎がうまくいったかどうかというのは筆者にははっきりわからない。
ガンマン帰らず。その一点において、筆者がこの映画のすべてを最高ということはできないけれど、都度ワクワクさせられる場面があったことは間違いない。
少し気持ちが落ち着いたらまたあのはにかみを探しに行きたいと思う。