余談
暗いニュースが夜明けとともに、いや昼夜見境なく、街に降り続けている。
正直なところ今週一週間はとてもしんどかった。全てにおいて全くの部外者が本当に恐縮なのだが、こういう時だけアンテナが自分が本当に嫌になる。感情をぐわんぐわんとデンプシー・ロールを被弾したように揺らされ続けた。
それでも――今日の妻との九州国立博物館を拠り所としてなんとか踏ん張った。
大雨で高速通行止め。遠征、中止。
これで疲れがどっと出てしまって、何もしたくない気持ちになった。
それでもずっと考え続けていることがある。脳内ビジョンがあるとして、ワイプみたいな小さい別窓でずっとエナドリを飲んだハムスターが回す滑車みたいに回転し続けているものごとが。
トイ・ストーリー4についてである。
大体一週間ほど前、筆者はレイトショーで鑑賞後そのまま感想を書いた。三時半くらいまでかかって、七千字あった。
今回、少し時間を置き、当日の感想よりは少し整理できたものが書けそうであるので、また出力しておきたいのである。この感情をこれ以上頭の中に納め続ける自信がない。
ということで、これより先はトイ・ストーリー4の広範なネタバレがあります。また、批判的な内容を含みますのでご注意ください。
本題
初めに総括:グロテスクな「トイ・ストーリー」に見えてしまった「トイ・ストーリー4」
前回も少し触れたが、トイ・ストーリー4は初代トイ・ストーリーのストーリーラインを意図的になぞっている、と思う。
・新しいおもちゃがやってきて持ち主はそのおもちゃに夢中
・ウッディは冷遇されがちとなる
・新入りおもちゃにおもちゃとしての自覚を与えようとするがうまくいかないウッディ
・空回りし、孤立するウッディ
・ひょんなことから新入りおもちゃと共に帰宅困難になってしまうウッディ
・おもちゃの自覚をもつ新入り、彼と心を通わせるウッディ
・新入りを命がけで助けるウッディ
こう書きだしてみると思った以上に重なっている。が、もちろん読者諸賢はご推察の通り実際は初代と4では「新しいおもちゃの加入」と「ウッディの冷遇」は順序が違う。箇条書きマジックの危うさであるが、実際この順序の違い、ボタンの掛け違いが4を初代の本歌取りではなく別のものに変容してしまった原因のひとつではないかと思う。
要素は似通っているが、その組み合わせ方がちぐはぐであり、結果、近似しているからこそその違いが色濃くグロテスクに見える悲劇が―少なくとも筆者にとって――生まれてしまったように思えた。
それが今はやりの要素と言うスパイスを振り掛けられたことで、一層際立って感じる。
初代のストーリーラインを知っているからこそ、ある程度は予測しつつ、もちろん予測は外してほしいという気持ちもあるのだが、えっそこを外してくるの? という気持ちにもなったりした。
といってもその単体の作品としては前回から繰り返しになるが素晴らしいものに仕上がっている。
ただ、古今亭志ん生の「井戸の茶碗」を見るつもりで立川談志の「芝浜」を見せられたら「確かに落語ではあり、双方素晴らしいのだが求めていたのはそれではない」という感覚になることと、筆者の場合は近く感じられた。
カウボーイは「そんなことないよ!」待ちのヘタレアイドルになってしまったのか
今までで1300字くらいうだうだ書いて、これからもだらだら書くのだが、今回言いたいことは大体次の一言に尽きるので、言わせてほしい。太字で。大(200%)で。
ウッディお前…お前どうして週3回しか遊んでもらえないくらいでそんないじけてんだよ!!!!
先程の「グロテスクなストーリー」にも通じるのだが、今作は最近の流行りであるらしい「与えられた役割からの解放」という結論にウッディを誘うために、キャラクターたちの性格、思想信条が歪められたように感じてしまった。
最たるものが上記で、しかもそれが継承の後、序盤も序盤に提示される。
おかしいではないか。ウッディはそんなことは9年も前に我々と一緒に乗り越えたはずじゃないか。
「アァァァァ~~~嘘だろ!?♪(イェアアアアアアアアア♪←スリンキーの声っぽいやつ)」
したではないか。好きな君にも見捨てられてたじゃないか。
筆者は忘れられない。アンディの部屋の壁紙がスペ―シーに変わってしまったあの時のああ……と言う気持ちを。そこからのウッディの這い上がりを。
なのにウッディその人は忘れてしまったかのような感じである。
こっちが「嘘だろ」である。「最悪だぜ」なのである。全てがストレンジなのだ。
もちろん、そこがリフレインしているというのはあるかもしれない。けれど2,3と我々と共に「こどものおもちゃであるということ」を自らに染み込ませてきたはずの彼はそんなヤワな男ではなかったはずである。タフなカウボーイだったはずだ。「こどものおもちゃである」という誇りはちょっと遊ばれないからどうにかなるようなものではなかったはずだ。
だが、今作の彼はどこかおかしい。長年の相棒のバズ他、仲間たちの正論にも耳を貸さない――のはまあ、彼らしくはあるにしろ、常に焦燥感に駆られている。フォーキーへの対応は彼の言葉で言えば忠誠心の延長線上なのかもしれないが、筆者の目には歪んだ媚にさえ映ってしまう。
過去の恋に惑わされ、らしくないドジを踏みまくる。
それでも仲間たちは彼を迎えに行く。良かった、仲間たちの絆は生きていた――けれどウッディは行かない。
それは、この4の事象だけ見たら仕方ないことかもしれない。今のことを見たら。3までのことは過去で、それに囚われるのは愚かなことで、どこまでも広い世界に飛び出していくことは何も間違っていない。子どもは一人だけじゃないと。
そうかもしれない。
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いや~「キミはともだち」を大々的にプロモーションに使っておいてやっぱりそれはどうなんだろうか。
こんな展開になるならラブ・イズ・オーヴァーをダイヤモンド☆ユカイ氏にcoverしてもらうべきではなかったか。
德永英明 - ラヴ・イズ・オーヴァー live from VOCALIST & SONGS 2 TOUR
最後、バズが「ボニーは大丈夫だ」と言い、ウッディは別れを決意する。
けれど、あの時バズに「君がいなきゃダメなんだ! 戻ってきてくれ」と頼まれたらきっと、ウッディは戻ってきたと思うのである。
アイドルの黄金パターンの一つに、
「私はかわいくなくて、ダンスも歌も下手で……」
とアイドルが言うのに対して、アイドルファンが
「そんなことないよ!」
と返すというものがあるが、今回のウッディはなんだか、ずっとその声を求めていたように見えてしまった。
バズ・ライトイヤー好きの妻の寸評
妻はバズ推しで、また深い悲しみに包まれていたのでぽつぽつと喋っていたその内容をまとめておきたい。
「どうして2であんなにリーダーシップを発揮していたのに……電池? 電池を替えたから?」
「3でもエンドロールで保育園のおもちゃたちをきびきび指揮していたのに……」
「大分スピリチュアルなキャラになった……もっとロジックがしっかりしていたような……」
「かっこつけて落ちるのは上手くなっていた……」
まだ傷は深そうである。
トイストーリー4はギャビー・ギャビーのストーリーである
標題。筆者が鑑賞してからずっと考えていることである。
3まではアンディの物語であり、ウッディの物語であった。アンディのおもちゃであるウッディの物語と言ってもよい。
そしてそれは3で美しく閉じた。
が、4が始まった。3のラストシーンが再現され、アンディからボニーへ、AからBへ物語は移行していくのだな、と思った。
が、そうではなかった。4においてボニーはギミックである。障害物ですらある。
おもちゃたちはボニーの気持ちを「忖度」するけれども、本当にボニーに寄り添っているおもちゃは誰もいないのではないかとさえ思ってしまう。
ウッディの解放の物語ということに製作スタッフはしたかったのかもしれないが、筆者は上記の出来事からお膳立てに無理があるように思えて素直に承服できない。
けれどこの物語を確かにものにしたキャラクターがいる。
ギャビー・ギャビーである。
悲しきオリジンがあり、挫折を経た上で、仲間の協力を得て、「その子にとってそのおもちゃがいれば全てが上手くいくと思えるような」おもちゃに慣れる子どもと巡り合うことに成功する。
これだ、と筆者は快哉を叫びたかった。これが「トイ・ストーリー」だ。おもちゃが誰か1人のおもちゃになるということなんだ、と。
だからこそウッディが「勝手にいなくなる」ということを選択したのはショックだった。
メタな話では、誰のための物語かと言うと、これまでの物語を咀嚼したアンディ世代をメインターゲットとした物語かと思った。
けれどこの展開は、ちょっと支持を多く集めるには難しそうである。
ではそうではなく、3で一度完結しているのだから、新たな子供たち、言うなればボニー世代のための物語なのだろうか?
それも簡単には受け入れがたい。3までの話は、「おもちゃを大切にしよう」というシンプルかつ明確なメッセージがあった。けれど4を観て子ども達は何を思うだろう。勿論、最高のエンタメだ。でも、「おもちゃは毎日遊ばないと勝手にいなくなってしまう」という結末はどう受け止められるのだろう。
筆者は余りポジティブな予感がしない。
無限の彼方へ旅立ったウッディ、一つの次元が確定された我々
ウッディはバズや仲間たちに温かく送り出される。
「無限の彼方へ、さあ行くぞ」
――この言葉を使ってしまうのか、と最早旅立ちを受け入れるしかないと関連する筆者である。エンドロールでそれぞれのその後が描かれる。
それが悪い、とかではない。ただこれで、「公式」は確定してしまった。
例えば、これがリブートであったり、パラレルワールド的外伝であったら、筆者は受け入れたであろう。
「やる夫がトイストーリー3の後の世界に迷い込んだようです」であれば絶賛したであろう。しかしこれは、ピクサーが満を持して送り出した正当続編「トイ・ストーリー4」なのである。もはや世界線は確定してしまった。
3のその後は4が地続きで待っているという世界に。
筆者にいずれ子どもが出来た時、トイ・ストーリーは是非一緒に観たい映画だった。
今のところ、その気持ちは過去形のままである。