カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

老害の考えるオタク五つの誓い

とりあえずなにか食べよう

深夜になった。読者諸賢、何か食べただろうか。

 ねぇ さっきからずいぶん荒れてるみたいだね
落ち着いてるときの君ならそんなこと いわないのに
(中略)
とりあえず何か食べよう 僕は聞き逃さないよ
君の腹の鳴る音は
人は自分で思うより
いい加减にできている
腹が减る それだけで
怒りっぽくもなるんだ

――槇原敬之「とりあえずなにか食べよう」

適切な食事は万病の薬である。平日2日目を生き抜いた自分をまだ労り損ねていたら、どうぞ腹を膨らましてからご一読いただきたい。

半端な平行宇宙で

涙のラストコンサート(仮)の後、プライベートが普通に着弾し、昨日はENOZIも普通に更新された。本当に普通に。

全てが悪い夢で、または自分がいつの間にか平行宇宙にやってきていて、アイズワンの活動終了なんて本当はなかったんじゃないかとさえ思ったが、自分のツイートをさかのぼると悲しみが広がっていた。

最中、こんな記事を拝読した。

hihi17a.hatenablog.com

まさしくという気持ちで、追ってみると前記事でも言及させていただいた方だった。

ここのところ特にヒプマイと(ナゴヤVSジュクCDの感想もいい加減書きたい)アイズワンの記事ばっかりになってしまっているが、もとより本ブログは雑記雑食雑文ブログである。

ありがたいことに、色々な「オタク」の方が訪れて頂いている。

新春所感として述べたように、筆者は今年でインターネット20周年のおっさんである。

オタク人生としてはもっと長かろう。

ウィズワンだけではなく、たまさかこの辺境ブログを訪れて頂いた方々に、せめてものお土産として、平和に細々とネットの片隅でオタクを続けられてきたものとして何に注意してきたかを書き残しておきたい。

もちろん、あくまで筆者の心がけであるので読者諸賢にそぐわなかったり、筆者自身がアップデートできていなこともあるかもしれない(その場合は是非お知らせください)。

でももし、「うるさいなあ」と思うところがあったとしたら、そこだけでも深掘りして、筆者以外の意見も検索したりしながら、自分の現在を俯瞰的に見ていただければ幸いである。人は自らが目をそらしたいことに腹を立てやすいから。

1.犯罪(特にやりやすいのが著作権侵害)をしない

基本である。犯罪をしてはいけない。最近だと、こちらがわかりやすい。

筆者もこうしてブログを書いている人間だから、「何かを伝える」ことについては、それなりに腐心しているつもりである。そして、ビジュアル、画像は情報の伝達において非常に効果的であることも理解しているつもりだ。加えて、筆者はやはり浅ましいことに、「どうせなら多くの人に伝わってほしい、あわよくばほめてほしい」という気持ちを持たずにはいられない俗物でもあるから、他人様の漫画のネタバレ画像スクショがバーンとなったツイートがぼんぼこバズっていたりすると、「ぐぬぬ」という気分になる。漫画アニメの感想は、ぶっちゃけてしまうと常に「スクショをバーンと貼りてえ~~」という欲望との戦いだったりする。(もちろん適切な引用をしてブログ記事等を描かれている方もたくさんいらっしゃるし、筆者も時折引用元を明記して画像付きツイートをすることもある)

最近も「ネットミーム」と化してしまったキャラクターの作者が政治的利用やクソコラでフリー素材扱いされていることに悲しみと絶望の意を表明していたりしていた。

筆者もまた、ニコマスの民であってそういったものを愛でてきたものの、今は公式がガイドラインを提示したり、素材を提供する中で、より節度のある楽しみ方が必要になったと言えるだろう。

 

alu.jp

マンガの場合、「アル」というサイトを経由すれば、対応している漫画はクリーンな状態で引用できるのでぜひ活用いただきたい。

alu.jp

素敵なTwitterマンガのリプライ欄にガビガビに劣化した画質でスタンプめいて貼られる著作権侵害画像が乱舞しているときの哀しさと言ったらない。

2.主語を大きくしない

「オタクの総意だ!」みたいなことは特に怒りにボルテージが上がってしまうとついつい言いがちであるが、あなたはあなた以外の何物も担保することはできない。主語が大きければ大きいほど、巻き込み事故を増やしやすいので気を付けなければならない。主語がデカすぎると主題がずれてしまうこともあり、いらぬ飛び火を招いたりもする。

オタク仲間ですらその真意を推しはかることは難しい。況や推しをや。「推しはこんなことを望んでいない!」という言葉は義憤に駆られた英雄のようでいて、実は推しを業火にくべるような恐ろしい所業である。あなたはあなたの言葉と立場で、配られたカードで勝負するしかないのだ。

かといってあくまで一介の辺境弱小ブログの管理人風情の卑屈な戯言でござんすゲッヒヒヒみたいにへりくだりすぎても予防線を張り過ぎているようでちょっとイラっとするのでこの辺りのさじ加減は難しいところなのだが……。

3.出来過ぎたストーリーには気を付ける

事実は小説よりも奇なり、という言葉もあるが、現実というのは創作のように都合よく物事が呼応し、辻褄が合い、収斂するものではないということは知っておかなければならない。

オタクは文脈を好む。筆者も都度、それを「幻視」し、記事に落とし込んでいる。が、それはあくまでいわば現実を元にした「二次創作」であることを念頭に置いておかねばならない。自家中毒に陥り、それ以外の「解釈違い」を受け入れられなくなってしまったら危険である。

創作や推しに関してだけでなく、例えばアメリカ大統領選挙であったり、直近でも「魅力的なストーリー」に絡めとられ、彼方へ走り去っていくアカウントをいくつか見かけて悲しい思いをした。

ネット上においては「騒音おばさんの真実」という「物語」が広く流布されてしまったし、富山の失踪事件もまことしやかな「真相」が語られていたが、近年全く別の場所で車が(残念ながら、ご遺体と共に)発見されるということがあり、いかに「真実」を捉えることが難しいかが窺い知れる。筆者は一応医療従事者であるので、新型コロナウィルス関連のデマには日々頭を悩ませている。

なんにせよ、情報源を突き止めることが大切である。Twitterでは「ソースはこのツイート」ということがままあるから恐ろしい。簡単なコツとしては、「TVでは報道しない」「メディアが伝えない」は、大体「TVやメディアが伝える価値もないと判断した」という場合が多かったりする。

4.「誰が言っているか」ではなく「何を言っているか」を注視する

それぞれの分野においては、大家であるオタク、「ヌシ」がしばしばいるものである。そのジャンルを豊饒なものにするのにどれだけ貢献してくれたオタクでも、恐らくは人間であるから、誤ることもあるだろう。例えどれほど尊敬している相手であっても、または気の置けない友であっても、ジャンルにやってきてから弟妹のように与えてきたフォロワーであっても、その発言全てを肯定する必要も義務も、あなたにはない。

逆に、普段の思想信条が違うアカウントの発言をすべて否定する必要も義務も、同様に存在しない。相手の上げ足を取り、嘲笑って、「ヌシ」や同じ界隈に忠誠心を見せることなんてしなくてもよいのだ。

ヌシが白と言えば黒いものも白、という状態であれば少し距離を置いた方がいいかもしれない。5に続く。

5.先鋭化に気を付ける

特に女性の場合、Twitterでもジャンルによってアカウントを使い分ける傾向があるようである。無論それ自身を否定するものではないが、そうなると目に見えるツイートの守備範囲が狭くなり、知らず考えも偏りがちになってしまわないように注意が必要である。

Twitterではクソデカワードを使うと良くも悪くも注目されやすく、それによって賞賛を得ることでより発言が過激化し、界隈自体が先鋭化し、はたから見ればカルトめいてしまうことさえある。特に推しアイコンを使っている場合はその発言が推しの顔から飛び出ていて本当にいいものかどうか、深呼吸して確認することが良いだろう。

特に年若いオタク諸賢においては、その情熱が向かう先がどこなのか、「正義」の旗印のもと突き進んでいる場所をしっかり見定めてほしい。仮に「違うな」と途中で思ったのなら、どうぞ途中下車をしてほしい。「凸」で生まれるカタルシスの持続期間は短く、あなたの人生は長い。

活用する機会なんてないほうがいいけど

本当は十戒にしようと思っていたが日が替わったのでこの辺りで。老害なので夜はすぐ眠くなっちゃうのである。もし自らのTL他で自分自身ならず、敬愛するフォロワーたちがこういう兆しを見せ始めたら、「あ! 老害が言っていたこととおんなじだ!」と思って軽度のうちに対処されることを望む。もしそれで疎まれたりするようなら、関係を考え直すいい機会になるかもしれない。

推しは人生を豊かにする。これからもあなたのオタ活が豊かでありますように。

 

あ~~平行宇宙に5回転生出来たらなあ!

そしたら5回とも違う街に生まれて、

5回とも違うものをお腹いっぱいに食べて、

5回とも違う仕事をして、

そして5回とも――

――同じ人が推しになる。

BLEACH モノクロ版 27 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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