カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

大河ドラマ「西郷どん」第六回 「謎の漂流者」感想

余談

年末年始を妻に鹿児島で過ごしてもらったので連休を利用して妻の実家に帰省することにした。起床は五時半。実質三時間しか寝てないわー実質ー。

 
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夜明け前の妖艶な桜島。(撮影:妻)

道はそれほど混まず、スムーズに駅まで着く。JR九州のアプリから既にチケットを購入しているので発券するも、パーク&ライド認証のため結局窓口に並ぶことに……と思いきや、改札でも対応してくれるらしい。ライフハック。睡眠が浅いからか何かしらのプレッシャーによるものか、軽い吐き気があったので車中食は軽いものにする。


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誰がなんといっても軽いのである。しっとりしていて美味しかった。

本州に入ると車窓は吹雪で白く染まった。その向こうに別の白が見える。徳山コンビナートだ。大きな獣が猛りたつ内臓を冷やしているかのような光景に目を奪われる。


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(これは下車してから撮った別の工場群)

新幹線は九時半前には広島に着く。恐ろしいことに二時間半もかからない。筆者が初めて大学受験でその地に降り立ったとき、それは恐ろしいことに十年も前になろうとしているが、九州新幹線はまだ部分開通で乗り換えを二回要して四時間弱かかったことを考えると隔世の感がある(そもそも高速バスで八時間かけて帰ったりしていた)その頃の筆者に「お前将来広島に行くことを帰省するっていうことになるよ」と言っても絶対に信じないであろう。それよりその腹は一体どうしたんだと言われるであろう。車内でちょこちょこしたことはいずれ別記事に結実すると思われるので今回は割愛する。

広島駅は筆者が在広島当時とは大分様子が変わっているが、それでも一番ホームへ降りていく途中マクドナルドの匂いがふと漂うと、駅でマックを食べるか、そばを食べるか、広電に乗り換えて最寄りの電停近くの松屋で食べるか、山陽本線に乗って最寄りの駅近くでモスバーガーを食べるか、フレスタに買い物に行くか、そんな学生時代、講義帰りの夕食の算段を思い出し何だか鼻がつんとするような気持ちになるが日曜ダイヤの乗り換えはシビアであり、感傷はどうにか乗り込んだ在来線のドアと共にぴしゃりと閉ざされた。


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妻の実家は書庫があり、油断するといつまでもいてしまう。義父はどんどん持って帰りんさいといってくださるがさすがに気後れする。事前に用意してくださった(妻が話してくれていたのである)三冊にとどめ、他は帰省中に目を通すことにした。この辺りも、別の記事に譲る。ひとつの目的を持って関連書籍としていくつか、単純に読みたいものをいくつか、というつもりだったのだが、単純に読みたいものの方にも関連性を見いだすものが出てきて驚いたりした。


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文字通り枕頭の書となっている帰省中つまみ食いするつもりの本。(まだ三冊目までしか読んでいない)読者諸賢なら次に筆者がどのような記事を書くつもりか推察いただけるはずである。

義理の祖父母の家にも行った。筆者は実の祖父は自分が生まれる前に既にこの世にいなかったので、この年になって祖父と呼べる人が出来てとても嬉しい。また祖母と呼べる人が増えることもまた嬉しい。



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義理の祖母がつくってくれる干し柿は素朴な甘さでついついあとひとつと手が出てしまう。筆者の実の祖母もこの干し柿が大層好きで、めっきり食が細くなったがこの干し柿は食べる。お互い顔を会わせたことはないが干し柿によって繋がっているというのはなんともふしぎで、またすてきな縁だと思う。

義理の父母も祖父母も薩摩の芋男相手に大変よくしてくださる。こんな素晴らしい人たちから愛する子であり孫を奪っていったのだな、と思うと申し訳なさが募る。盆と正月(くらいの年のはじめと半ばごろ)に帰省するとして、あと何度この人たちに愛する宝の顔を見せてあげられるのだろうとしばしば考える。即ちそれだけ夫としての甲斐性に自信がないわけであり、何とか払拭しなくてはなるまいが、まずはより気軽に帰省できるよう休みがしっかりとれ、帰省資金も気にしないでよいように目の前の仕事を頑張ろう、という結論となった。


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瀬戸内の海は穏やかだった。この海のように適度に広い心の持ち主を目指していきたい。

 

本題

余談が、ながくなった。さて前記事でアニメ封神演義の構成について文句をつけたが、今回の構成は同じくらいひどい。いやこの場合内容もひどいのだが。

前回感想で「吉之助の入牢はジョン万次郎と引き合わせるための偽装では?」というような予想をたてた。それは当たっていたわけだがだからといって話の展開に筆者が納得がいっているかというとそうではない。入牢させる必要性は全く無いし(普通の役人じゃなくて同じ境遇なら心を開くと思ったのだろうか?)斉彬が相撲大会でさっさと立ち去った意味が全くわからない。前回は優勝を盛大に祝い、今回会わせたい男が……と引き合わせた方が視聴者もカタルシスを得られたし、 話の繋がりも良いだろう。今回の構成では「ところで脱走はいいのか」と気になって気になって話が入ってこない。糸さあが気の毒すぎる。というかあの状態でよく須賀(吉之助の最初の妻)の父は縁談持っていこうと思ったな。(どのタイミングで民衆の誤解を解いたかの説明が全く無い)

吉之助、今回自分では何もしていない。母や正助どんをうまく活用しただけ。まあ周りが勝手に空気読むのは西郷どんらしいといえばらしいのだが。恋愛方面は下駄を脳天に打ち付けられたことにより恋愛中枢が破壊されたのではないかと思うくらい鈍い。ジョン万次郎、そして糸さあの言葉がのちの敬天愛人という思想、そして維新へと繋がるのだ……という展開にしたいのはわかる、わかるのだが真田丸大坂の陣に繋がるまでの呪のかけられ方を見てしまった後ではあまりにも雑である。

斉彬も吉之助のどこをもってあっぱれとしたのかよくわからないしあの刺客でなにを試したかったのかもよくわからない。愛を確かめたいために無茶をする倦怠期のカップルじゃないんだから。人材求めているわりに在野のチェックも甘いのが透けて見えるのも痛い。というかジョン万次郎にはご飯食べさせないで自分はステーキ食べてるんじゃないよ。というか土佐からあのスピードで情報仕入れられるんなら軍艦要らないのでは?

別に恋愛要素をやるなとはいわない、いわないがその尺はお由羅騒動(高崎崩れ)に使うべきだったということは今後もことあるごとに言っていきたい。せめて相撲大会を絡めて郷中の若者たちのキャラをもっと掘り下げるのに使ったらよかったのでは。相撲大会と言えば、米とお菓子はどうなったんでしょうね。

次回予告時点で須賀がかなりマイナスな描かれ方をしているのが早くも不安だが、次回以降の軌道修正を待ちたい。