カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

大河ドラマ「西郷どん」第二十三回「寺田屋騒動」第二十四回「地の果てにて」第二十五回「生かされた命」感想

余談

妻が実家に帰った。別になにかしらがあった訳ではなくお盆は混雑するためにその前の早めの帰省である。筆者も同行したかったが金銭的事情と仕事の関係もあり見送った。筆者がいるとどうしても妻は「妻」となってしまうため、「娘」としてリフレッシュしてきてほしい、親御さんに甘えてきてほしい、という気持ちもあった。同様に義理の両親も大変良い方であるが筆者がいては気を遣うであろう、とも。

JR九州会員の早割で切符を取ったので、今回の帰省は豪雨よりずっと前に決まっていたことでもあった。幸い妻の実家そばは被害をさほど受けなかったが、折り込みのチラシにさえ影響がありありと見て取れた。一方で相変わらずやっぱりカープがナンバーワンであり、安心したりもした。「筆者が絶対好きそうなものを食べた。うまい」と「階杉」さんのたんたん混ぜそばの写真を妻が送りつけてきたので、単純なもので自分も麺類が食べたくなって「一軒目」さんに行くことにした。先週妻と一緒に行こうと思っていたが、豪雨の影響か一帯が停電しており(イオンさえも!)、営業されていなかったのである。


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開店五分後についたが既に何人かが並んでいた。鹿児島では希少な「おいしい塩ラーメン」が食べられるうえに、他のメニューも外れがないという誠に毎回何を食べるか悩まされるお店であるので待ち時間があるのはかえってありがたい。(食券制なので空いているときに迷っていると後ろから人が来たときに迷惑になってしまう)

ますます迷わせるのは期間限定の麺をしばしば出すためで、出発時に「きょうは魚介混ぜそば!」と心に決めていても揺らがせてくるくらい魅力的なメニューが毎回筆者の心を袈裟切りにしてくるのである。昨夏はこの枠に担々麺があり、実は若干それを期待して行ったりもしたのだが、今回は「よだれ鶏ピリ辛冷麺」であった。中華料理を大胆に野心的なスタイルがいかにも「一軒目」さんらしく、頼んでみることにした。

 
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美しい……涼を感じる皿とのコントラストがまた素晴らしい。よく混ぜてくださいね、とのことだったがそれを躊躇するほどである。意を決して食べ始めると、程よい辛さのスープ、よだれ鶏のうまみ、野菜が麺に絶妙に絡まって合わさり箸が止まらないおいしさであった。

帰り際、店員さんに「今日はお一人なんですね」とお声をかけていただいた。夫婦でよく来る人、という認知をもらっていたことに若干の気恥ずかしさと嬉しさを覚えながら、間違いなくおいしく満腹でありながら、いつもここに来た時のような満足感を得ていないことにも筆者は気づかされた。妻と一緒に食べる、別メニューを注文してちょっと分け合うということまで含めていつからか休日の筆者の外食というものは成り立っているようになったらしかった。

テレビを見ていてもゲームを見ていてもそんな感じの時間が続いた。一人の気楽さというものが勿論ありながらも根っこの部分でそこから楽しめないというか、サランラップ一枚隔てて世界と接しているような違和感が常にあった。思っている以上に助けられているのだな、としみじみ思った。

恩返しというのも変な話だがしかし、何かしらもっと妻に還元していかねばならない、ひとまずは明日は祝日だけど燃えるゴミの日でゴミ収集車は来るから、忘れずにゴミを出そう、と一時間弱駐車していただけで灼熱の車に乗り込みながら考えた。

 

本題

本日からいよいよ革命編が始まった訳であり、視聴もしたわけであるが、随分と遅くなってしまったが島編完結までの感想をまとめておきたい。

島編が本土編のネガとしてまた機能したなというのは初めて理論だった形で吉之助の信望者が出てきたことで伺える。今までバンドワゴン的に、あるいは雪だるま式に虚像として膨らんでいた西郷吉之助像が島ではかえって等身大であるというのはおもしろい。とつぜんのおっさんとのチッスもあってサービスシーン的にもまったくもんだいありませんね。

一方で本土では有馬新七があっという間にその生涯を駆け抜けてしまったわけであって、その悲劇ぶりがまたしても錦戸亮はじめの熱演で彩られるわけであるが、だから幼少期からその辺の思い出を丁寧にやっとけよって話なのである。思い付きでうなぎをとるなと。

真田丸のあれやこれやで歴史的事件も主人公が当事者でなければスルーという演出にはなれたつもりだったがまさか生麦事件と薩英戦争が一週で終わるとは思わなかった。

史実の薩英戦争がどこか戦争でありながら明るさがありなんか夕焼けの中薩摩とイギリスが野原に寝転がってなかなかやるじゃん……おめえもな……みたいな空気を醸し出しているのは幕末期薩摩のおもしろさのひとつであると思うのだが、その理由のひとつと筆者が勝手に思っている「スイカ売り決死隊」が僅かでも触れられていたのは評価したい。実際は錦戸亮くん、信吾(村上ではなく西郷)はそのメンバーではないのだが自分のことのように語る様はこのドラマの信吾像にフィットしていてよい。

いや、ほんとに好きなんですよスイカ売り決死隊。普通生きるか死ぬかの時にそうだスイカを売ろうってなりますか? そいつの頭スイカ詰まってんじゃないのか? でも極限状態の薩摩びとのある種滑稽な、いっそ真骨頂な感じがとてもらしいと思うのである。

そうして呼び戻される吉之助は船で愛加那と再会する。こうした創作らしい部分が史実なのが吉之助という人のファンタジーさを補強している気がする。因みに島でおっさんのお陰でナポレオンに開眼したというのはドラマの都合で実際は吉之助は自分でナポレオンの自伝を島に持ち込んでいる。

あのおっさん、その後西郷の家に住み込む訳でおいおいおっさんズラブかと言った感じであるが(ブレーン的な感じだったのだろうか)それでも借金はまだ返さない吉之助の心地いいほどの鈍感さを今後このドラマが出してくれるだろうか。