カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

君が好きだよエイリアン――妻と暮らせば、あるいはTwitter→twilog→ブログの変換、実践編

余談

20代最後の文章をどうするか、と考えた時、妻のことを書こうと思った。

このブログにおいて重要なキャラクターと言うかコンテンツと言うか、とにかく不可欠な存在である妻は、即ち筆者そのものにとって不可欠な存在であって、気が付いたら人生の1/5くらいを過ごしていることになる。その間の筆者の人生から妻を抜けば木石のようなものになるであろう。

結婚して3年目くらいになる。隠す必要もないがわざわざ喧伝する必要もないと思ってTwitterではそんなにtweetをすることもなかったが、ブログで妻へのホワイトデーのお返しが好評だったことを受けて、しばしば呟くようになった。

 

kimotokanata.hatenablog.com

 

妻について語ろうと思った時、しかし改めて語り下ろすと気恥ずかしいので、twilogで「妻」で検索し、ハイライトされたtweet群でもって妻の輪郭を縁取る、ということを試みたいと思う。

tweetからブログ記事への変換の参考にもなれば幸いである。

 

本題

ということで、カテゴリ別にまとめてみた。

妻と会話

大学時代は成績優秀者であり、確実なる才女であるはずだが言動はしばしば思考の死角を突いてくる。

頭が良い人のことを「頭の回転が速い」と例えることがあるが、常人が横回転であれば妻はジャイロ回転している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妻のツッコミ

ボケ倒すように見えて冷徹なツッコミを入れてくることがある。

 

 

 

 

妻と寝言

妻はビックリするくらいはきはきと寝言を言う。寝言は寝てから言えを忠実に守っている。

筆者は寝ている人の言葉に相槌を打ってはいけないという先祖の教えを厳守しているので返事をしたことはないが、突っ込みたい衝動との戦いである。

 

 

 

 

 

 

 

妻のご飯

うまい。やすい。はやい。月の食費を三万円で抑えつつ三十万円ぐらいの満足度を与えてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妻と推し

遊☆戯☆王のバクラ、ゴールデンカムイの尾形上等兵と鯉登少尉、刀剣乱舞鶴丸国永、ヒプノシスマイクの観音坂独歩、新選組シルバニアファミリーなど。

 

 

 

 

 

 

 

妻のプレゼント

しばしばロンダリング対象となる。

 

もしかしてあなたのいう「妻」とはあなたの想像上の存在ではないでしょうか

実在します。

 ただ、特定を避ける為に実際の日時とツイートする日時をずらしていたり、会話の詳細は覚えていないのでその辺はふわっとさせたりしているのでもちろん筆者がつづる妻がそのまま実在の妻とイコールという訳ではもちろんない。

結論

蛇足

 

 夢、叶ってました。webに外部記憶装置を設置しておくと思いもかけないところでこういう伏線回収が行われているのを発見するのもまた、醍醐味であると思う。

 


キリンジ - エイリアンズ

楽土は僕らの中にある――Twitter一夜城とブログ本丸

www.jigowatt121.com

写真は熊本城の櫓。本文とは特に関係ないが熊本城はやはり名城……。

余談

筆者がインターネットの大海に漕ぎ出したおよそ二十年前(ウッ頭が……)、世は大個人HP時代であった。

各々の「城」には城主選りすぐりの宝物が並べられ、据え付けられた日記からは城主の日々の研鑽の様子が伺い知れ、掲示板では譜代外様様々な人々が活発な論議を交わしていたものだ。

が、城の宝物と言うのは貴重であるから宝物なのであって、中々日々増える性質のものではないものがほとんどであった。

必然、日記や掲示板がメインコンテンツへ移行していく城主が多く見られた。

筆者にとっての「ブログ」とはこの時に現れた日記の外部サービス化という認識である。

多くの城が、天守閣の模様替えを行った。存外住み心地が良かったらしく、個人HPは顧みられることが少なくなっていった。

まさしく戦国期における山城から平城への移行と同様であった。城主と言えど人間、手軽さを求めることは当たり前のことであった。

個人の情報発信は即ちブログで行われることが主流となっていった。

ゼロ年代後半、Twitterニコニコ動画、pixivと多くのコンテンツ発信ツールが稼働を始めた。

言うなれば大名屋敷とでも言うべきさらに手軽さ、利便性が高まったそれは発信者の心を大いに惹きつけた。消費者も同様であった。ブログは更新情報の通知ツールという扱いになったりもした。

個人のコンテンツ発信場所としてのブログは勢力を失い、いわゆるまとめブログやちょっと胡散臭い感じの意識高いブログが「ブログ」の代名詞となりつつあった……。

それが昨年、自分がブログを始めるまでのブログについての認識であった。

本題

ブログを始めるまで

筆者がインターネットにおいて自らの所属を何か一つ明らかにする必要があるとすれば、それはTwitterになると思う。今年で十年目になる(ウッまた頭が……)。

Twitterはいい。気軽である。マジな話、Twitterのお陰で精神の均衡を保ち、何とか人間のふりを出来ていた時期と言うのが筆者にはある。

筆者は群像劇が好きだ。だからTwitterが好きだ。登場人物全員が意志を持っていてリアルタイムに情報を発し、ある時はその交錯が垣間見えるとかめちゃくちゃに楽し過ぎるコンテンツである。しかも自らも登場人物として介入することだってできるのだから。

一昨年、「真田丸」があった。べらぼうに面白く、筆者もハッシュタグをつけて何度か実況に参加した。この一体感はTwitterの醍醐味だ。特に大河は「この頃この地方では、誰々はこんなことを」「こうなっているけど史実は」という補足情報も流れてくるのでドラマの理解に一層役に立つ。

その中でひときわ鋭い知見を発し続ける方がいらして、確認するとなんと考証を担当されている丸島和洋先生その人であった。その下支えによって真田丸を益々楽しむことが出来たが、先生は兼ねての宣言通り、真田丸の完結と共にアカウントを消してしまわれた。

これは筆者にとって痛恨であった。アカウントが消えればツイートも消えてしまう。筆者のFav(現いいね)欄ががらあんとしてしまい、それはなかなか慣れることはなかった。

また、それ以外にも真田丸を見ていて様々湧き上がった感情をリアルタイム以外で吐き出したいという感情も芽生えていた。筆者は脳の処理能力が余りよろしくないので、三日後くらいにはっとすることがままあるのだが、そのタイミングでいきなりハッシュタグをつけてつぶやくのもなあ、というのがあった。

翌元旦に本ブログを開設したのは上記のようにTwitter諸行無常と自分の出力熱の高まり、そして今回の言及先の結騎さんの「ブログ良いよブログ」というたぶらかしのせいだ。結騎さんはこの大Twitter時代においてもブログにて熱い記事を上梓し続ける、稀代のアウトプッターでありホイホイ始めてしまった。HIPHOP的文脈で語れば「俺が狂ったのはあんたのせいだ」ということでもある。

即ち筆者自身が軽率にブログを始めてしまったTwitterのオタクであり、結論から言うと「ブログ良いよブログ」である。

Twitterのツイートという一夜城

誤解を恐れず言えば、Twitterは基本的には消費される文章である。もちろんすべての文章は消費されるものであるが、そのインスタント性がより強い。

その代わり、即効性がある。速度がある。先程Twitterを大名屋敷としたが、ツイートは一夜城である。そこから放たれる火矢である。

何度も書いてきたし、今後も書き続けていくが、速度が無くては届かない言葉と言うのは確かにある(届いてしまう、ということにもなるのだが)。

速度に乗っかることで出てくる言葉というものもある。端末を起動し、タイトルをつけ、構成を考え、どれ、としている間に失われてしまう、文字通り「つぶやく」という形だから出力されうる言葉というものが。

二日酔いの朝、枕元のスマホを手に取り思わずつぶやいた言葉。

テレビ画面を注視しながら、無意識にスワイプしていた文章。

終電の車内、つり革を握りながらの一言。

そこにはエチュードの妙味がある。

けれどTwitterは「流れていく」ツールである。タイムラインと言う激流は、一夜城の建築材料を運びせしめた川のように色々なところへつぶやきを届けることに一役買うけれども、後から追いかける人々はその激流をかいくぐって見つけなければならないという難点がある。

また、「文脈」を追いにくいのもまた難点である。

Twitterでしばしば見かけるのは、

「Aは○○という意見があって、それは確かにそうだ(最初のツイート)」

「でもAには××という側面があるのも忘れてはいけない(二つ目のツイート)」

「BはAより××では優れているけど全体的には私はAが好きかな(三つ目のツイート)」

という「連ツイ」が例えば最初のツイートだけ加速度的に伸びてしまって、親切心または他の気持ちで「Aには××という側面がありますよ!」「××も把握していないとかニワカか?」「ホントそうですよね!A最高!」「ちくわ大明神」などという文脈が全く理解されていないリプライがつきまる地獄の顕現である。

言葉と言うのは端的に言って化け物である。140文字に格納するということは特に対象への思い入れが強いほど困難である。無論、であればこそ140文字に格納してみせると言うのが文章への矜持の見せどころでもある、と言えるが、これまた普段の「界隈」では何を今さら、の部分であるから省略した部分が流れて行ってしまった結果、それが通じずに地獄に発展してしまう場合もある。

また、一ツイートには四枚しか画像を添付できないというのも弱点であると言えるだろう。

ツイログがあるじゃないか、という話になるが、ツイログはあくまで「自分のツイート」がまとめられるのであって、RTを含めた「その日の状況の保存」という意味ではやはり難が残る。というか、過去の自分のツイートを見返すと「>RT なるほどなあ」みたいなツイート多過ぎんだよ! 何がなるほどだったんだよ!引用RTならいいのかもしれないが、未だに筆者はちょっと抵抗があったりする。たまに使うけど。

Twitterが流れていくことでもう一つ懸念事項としては、自らも把握できないということである。しばしば、過去の自分が未来を収奪に来ることがある。若さゆえの無知なるツイートの発掘だ。

自分が忘れているちょっとしたつぶやきがネットの大海原を漂い続けているというのは、考え方によっては結構なリスクである。

ブログという本丸

他方、ブログである。以下、特に言及がなければ「はてなブログ」の話だと思っていただきたい。

筆者にとっての利点はまずは文字数制限がないところ。次に写真が大きい画像で沢山載せられるところである。

そして、気を遣わない。自分の家だからである。城だからである。本丸なんである。

それでもはてなブログは他サービスと比べてソーシャルな側面は強いかなと言うのはあるし、独自ドメインではないけどまあ「はてなマンションのカナタガタリ号室」でくつろがせてもらっている、くらいの気持ちではある。

Twitterは路上である。公共の場所である。もちろん、ブログだってそうではあるんだけれども、Twitterでは路上弾き語りで、ブログでは演奏会へようこそ、くらいの感覚である。

逆に言えば、訪れる方もちょっと靴を脱いでゆっくりしてください、と思う。

ブログとTwitterは喧嘩しない。むしろ、相乗効果が期待される。

今回のブログ自体、下記のツイートに肉付けした感じであるし。

記事が出来たらツイートで告知も出来る。現状このブログは検索流入Twitterが半々くらいである。

もう一つ、今回の記事を書こうと思った理由がある。

www.ongakunojouhou.com

筆者はフジファブリックが好きである。あの十二月の、気温だけではない寒々しさを忘れることはない。だからこそ離れていた期間があった。情報をシャットダウンしておきたい期間が。

漸く情報を拾えるようになった時、このブログ記事はしっかり残ってくれていた。別に筆者のためではない。けれど筆者は救われたのだ。この記事が令和の今この時にあってくれて良かったと。

このブログにも、昔書いた感想記事を今も見に来てくださる方がいる。そういったことに筆者は幸せを感じるし、急上昇した理由を探って新作の発表を遅れて知って喜んだり、久しぶりに記事を読み返して当時の自分の熱量にちょっと赤面しながらも結構興味深く読んだりもする。

刹那、閃光のようなその一瞬だけ輝き、消えていってほしいからこそTwitterというツールを愛用している方々も多数いらっしゃることだろう。

けれど自分の感情の置き所一丁目一番地をウェブ上に置いておくことで救われることがある、というのを身をもって体感している人間としては、いいですよ、ブログ。と言っておきたい。

そしてあなたの文章を残してほしいし、読ませてほしい。

あなたから見える景色はあなただけのものだから、それを共有してほしい。

 

 

否定され、しかし礎となった時代。九州国立博物館特別展 室町将軍ー戦乱と美の足利十五代ーを鑑賞した話。


特別展:室町将軍 - 戦乱と美の足利十五代 -

余談

相変わらず、刀剣乱舞に楽しませてもらっている。薩摩刀の実装......ずっと待ってます。

実際の刀剣においても機会を見つけては鑑賞させてもらっているのはこのブログにも綴っている通りだ。
個人的には阿修羅像降臨の折、機会を逸してから九州国立博物館はずっと訪問し損ねてしまっていたので、満を持してという気持ちもあり、また重要文化財一振り、国宝二振りの刀剣を含む貴重な品々と展示を通して自分のなかで今一つ形をつかめていない室町時代という時代を俯瞰したいという気持ちもあって、特別展にお邪魔することにした。

はじめは、初週に伺うつもりであった。が、折からの悪天候で出発三分前に高速バスの終日運休が決定、その後繁忙期もあり涙を呑んでいた。やはり、自分と九州国立博物館は縁がないのかーーそう思うこともあった。

たまさか、一週間前に急遽時間が空き、妻の素早い宿抑えムーブにより念願の九州国立博物館への来訪が実現することと相成った。

それは素晴らしい体験であり、今なお咀嚼しきるのに時間がかかっている。ただでさえ長口上が常の筆者であるから、その一つ一つを語り起こしていては盆も明けてしまうだろう。

まずは本記事で特別展の感想をまとめておきたい。

なお、特別展は一部を除いて撮影禁止であるが、今回は九州国立博物館様の「ぶろぐるぽ」という取り組みに参加させていただき、資料写真のご提供を頂いた。

筆者の拙い万言よりもはるかに一枚の写真が雄弁に物語ってくれるであろう。ありがたい。

本題

室町時代。勝手ながら筆者の印象は「混沌とした時代」であった。

権力のバランスに危うさがあり、また文化もその時々によって振れ幅が激しく、何か時代を一気通貫するものがない――それが鑑賞前のイメージだ。

この記事もまた、足利の重宝の数々を点として渡り歩き、その中で何かつながるものを見つけようとした鑑賞方法が元になっているからオムニバス的な形になってしまうかもしれないが、ご容赦頂きたい。

当日は開館前にすでに多くの方が並んでおり、筆者と妻もその一団に加わった。九州国立博物館の素晴らしいところはiD決済が出来るところである。キャッシュレス万歳。

天井の高さに圧倒されながら、会場である二階に向かう。


特別展:室町将軍 - 戦乱と美の足利十五代 - TVCMラップ

 

室町時代を通貫するもの。その数少ない要素が十五代にわたる足利将軍たちである。

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CMで、また入り口で展示は語りかける。これは特別展の題名通り「室町将軍」の物語なのであると。
室町時代と言う複雑怪奇な時代は将軍を道標として切り開くものであるのだと。

そういう意味でラップと漫画で敷居を下げているのは知識に乏しい筆者としても有り難かったし、小学生諸賢も結構食いついているようであった。

音声ガイドをレンタルしていると、早速ここからオープニングのナレーションが始まり、気持ちが高まる。

特別展は全部で四章構成となっており、まずは幕府の祖・足利尊氏南北朝の動乱から話が始まる。

第一章 南北朝の動乱足利尊氏

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我々を迎える三幅の掛け軸。

それぞれ誰かわかるだろうか?

耳の早い読者諸賢であれば、真ん中の騎馬武者が現在では「足利尊氏ではないという説が有力である、と言うことをご存知かもしれない。

現在は太平記を読む感じでは完全にドブぬめりクソ野郎としか言いようがない高師直、もしくはその一族と言う説が有力なようである。(読者諸賢には釈迦に説法であるが、歴史とは基本的に勝者が作るものであり、記述そのままをストレートに受け止めるのは特に動員兵力とかマシマシにしているらしい太平記においてはやめておいたほうがいい。が、しかし悪役としては滅茶苦茶キャラクターが完成されている)しかしやはり「室町時代」を想起させる非常に有名な肖像画であるから、この目で見られたのは嬉しかった。

左は正真正銘、足利尊氏である。優しい目をしている。広島の浄土寺にて発見されたもの。源頼朝徳川家康の肖像と同じ格好なのでこれが恐らく征夷大将軍の正装なのだろう。ちなみにみんなが知っている源頼朝像は現在、尊氏の弟である直義説が有力となっており、兄弟してややっこしいことになっている。

一番右はご存じの通り後醍醐天皇である。ガンダーラは探していない……と言いたいところだが、彼にとってのユートピア、京都、そして天皇が力を持つ治世が結局のところ手に入らなかった点を鑑みるにやはりガンダーラを追い求めていた可能性がある。

室町時代の黎明期は即ち尊氏と後醍醐天皇の憎悪百合である、というと各方面から怒られそうであるが、この辺りの関係性のぐちゃぐちゃさが入りから室町時代のハードルを上げている一因ではないかと個人的には思う。

そのあたりをこの第一章ではゆっくりと解きほぐしていってくれる。湧き上がってくる尊氏のイメージは簒奪者ではなく気の良い兄貴分的な姿である。

それ故に各方面にいい顔をし過ぎて、苦労をした印象もあるが……。

革包太刀 号 笹丸(名物二ツ則宗) (重文)

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その尊氏が佩用していたと伝わるのがこの太刀。

細身で優美、反りも滑らかで、直刃であることが更に気品を添えているように見える。

筆者はやはり直刃スキーであるので今回の展示ではこの太刀が一番心に残った。太刀だけでなく、「革包」の名の通り綺麗に張られた革の拵も素晴らしい。このヴィンテージと言う言葉では足りない質感の素晴らしさは是非、生で見ていただきたい。

後方からのぞくことが出来るのも素晴らしい。

ガラスケースに映っているのは仏舎利塔

武と仏。それが尊氏の生涯の彩りであることを考えると、象徴的な写真であると言えよう。

第二章 室町の栄華――義満・義持と唐物荘厳

続いて第二章は室町幕府の黄金期。なんといっても主役は文字通り黄金の金閣寺も作り、室町に住んで「室町幕府」という呼称の所以ともなった足利義満である。

彼が築き上げたバベルの塔、北山大塔の存在は半ば伝説であったが、最近その実在を裏付けるような部材が発見され、それを鑑賞できる。比較対象がご当地の博多ポートタワーだったりするのが親しみがわく。

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勘合貿易という単語に遥か学生時代を思い出す読者諸賢もいるかもしれない。筆者は勘合貿易をお互いの札が合えばOK! 的な使い方をしていたと習った記憶があるのだが、実際は割り印としての活用が主であったらしい。

もちろん合わなかったらそれなりのケジメが要求されたようである。その勘合貿易の割り印照合を体験することが出来る。写真撮影も可能だ。君は、生き延びて貿易品を持ち帰ることが出来るか?(冨野御大展にも行きたかった)

木印「日本国王印」&雲龍鎗金印箱(どちらも重文)

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木印は本来予備的なものであったが本体が紛失してしまい、割と頻繁に用いられていたらしい。金印箱は龍の装飾が恐ろしく細緻であり、金印をしまっておくための金印箱を厳重にしまっておくための箱が必要なのではないかと思わされた。

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因みにこれは対馬の宋氏が偽造していた印。用途と時代は少し違うのだが印つながりで一緒に紹介。この偽物が現存しているおかげで実際の室町将軍印がどんなものであったかわかる、と言うのだから歴史は面白い。

続いて義満の息子であり、歴代最長在任者である義持の時代となる。鎌倉とごたごたしたり、親父がやっとのことで始めた日明貿易を断絶させたりと、義満の陰に隠れてしまっているが色々な火種を蒔いている。

その大本は父・義満への曰く言い難い気持ちにあったのではないか、と思う。彼にとっての不幸は父への反抗がそのまま幕府の寿命を縮めてしまうことであった。

瓢鯰図(国宝)

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そんな義持はストレスの解消もあったのか、よく寺社仏閣を参拝したという。

特に禅については良く収め、如拙に銘じてこのような絵を描かせている。

(わかりにくいが、写真右から二番目)

↓公式ツイッターの画像が判り易い。二枚目。

簡単に言ってしまえば禅問答をイラスト化したもの。呆然としている男性の姿が印象的で、教科書等で見たこともある読者諸賢もいることだろう。

上部に書き連ねてある漢文は当時の高僧たちによる回答である。即ちこの絵画には出題と回答が一体になっているのであるが、解説においては回答が訳されていなくてこの絵画の味わいを損なってしまっていると感じた。

音声ガイドには一例を紹介してくれているので是非聞いてほしい。

回答といってもいわゆる身内受けというか出題者である「将軍ヨイショ」みたいな印象のものも多く、それを身分のわけ隔てない知的交流の場であったと考えるか、権力と求道が密接に結び付いてしまったことを嘆くのか、そういった判断のきっかけすら与えられないというのはもったいない。

ちなみに筆者が同様の出題をされたら「鯰が飛び込んでくるのを待ちます」と答えると思う。

 

第三章 将軍権力の揺らぎと成熟する文化――義教・義政の時代

 黄金期に蒔かれた火種が、早くもきな臭くなり始めている。

くじ引き将軍の名の通り、くじ引きで将軍にさせられた足利義教はしかしその経緯故か、彼なりに幕府、将軍の権威を引き上げようとする。

それは主に、父・義満の摸倣であった。勅撰和歌集日明貿易、有力豪族の引き締め……。この辺り、祖父、徳川吉宗享保の改革を模倣した松平定信寛政の改革を思い出させる。(そっちの方が時代としては後なのだが)

そして定信がそうであったように、義教もまた、偉大なる先駆者のトレースが上手くいかないことで改めて自らの、幕府の力の衰えを感じたことであろう。

統制の為に義教が取った方法――それは「万人恐怖」と称されるほどの恐怖政治であった。料理がまずいと処罰。梅の枝が折れていたら処罰。にっこり笑ったら処罰。しかしそれは結局のところ「やられる前にやる」方向へ部下を追い込み、公家に「犬死」と日記に記される無残な最期を遂げることになる。

 

尉(重文)

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室町時代に起こった文化と言えば、と能(猿楽)の観阿弥世阿弥親子を思い出す読者諸賢は多いであろう。筆者もそうである。

きっとパイオニアとして悠々自適の人生を送ったのであろうと。

そうではなかった。大庇護者であった義満の死後、義持は(やっぱり義満への対抗意識もあったのかなあ)田楽に傾倒し、以前より扱いは悪くなった。

義教の時代、彼は芸能においてもやはり義満を模倣しようとした。能へ再び、権力のリソースが注がれようとしていた。

が、それは世阿弥ではなく、そのいとこ、音阿弥に対してであった。義教は以前より入魂であった音阿弥に世阿弥の持っていた「大舞台で公演出来る権利」などを譲り渡してしまう。

世阿弥は、困窮し、都落ちすることになった。そうこうするうち、息子に先立たれてしまう。そうした受難の中、この面は彫られたと考えられている。髭が滅失していることもあり、より受難が色濃く映し出されているように見えてしまう。

ある意味では義教の義理堅さを表していると言えるが、しかし権力の理不尽さが面と言う形になったようにも思える。

 

さて父が惨死し、引き継いだ義政も、上手くいかない。(実際には兄が幼くして父の跡を継ぎ、一年持たずして病死している)というかそんな状態でバトンを渡されても既に機能不全が出始めているのである。

それでも義政は初め頑張った。小競り合いをする武士たちの争いに介入し、調停しようとした。将軍親政という父、祖父の理想を実現させようとした。

だが、そもそも身内がやいのやいのと思うようにならない、そうこうするうち、種火はいよいよ燃え盛り、応仁の乱が起きる。

それが誰も得をしない形で終結をしたとき、義政の政治的関心もまた、燃え尽きていた。

後に東山文化と呼ばれる文化的活動に彼はのめり込んでいくことになる。今我々が「和室」と呼び慣れ親しむ空間の誕生である。

そしてそこで利用される茶碗について数々の名品をコレクションしたのはさすがに将軍(隠居したけど)と言えよう。

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青磁花茶碗 銘 馬蝗絆(重文)

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もとは平清盛の息子、重盛の所有物であるこの茶碗は割れてしまった際に中国に送り、替わりを求めたが、これ以上のものはないと「本場」中国に太鼓判を捺され、鎹で修理を施された上で帰ってきたという逸品である。

さらっと言っているがこの時代に中国に「この茶碗取り替えてほしいなあ」という理由で送ることが出来る辺りに室町将軍の力を感じる。

ライティングが素晴らしく、青磁のぬらりとした碧さが魅惑的に出ている。ただ、この銘は修理されたときに施された鎹が蝗(イナゴ)に見えるということから名付けられたのであるが、それが少し見えにくかったように感じた。台に載せるなどすればより分かりやすかったかもしれない。

灰被天目 銘 虹(重文)

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室町時代は評価が低かった灰被天目だがそれであってもなお将軍がコレクションに加えたほどの名品。その銘の通り斜めにかけられた釉薬の境目が虹のようにきらめくさまは成るほど名品であり、角度を変えて何度でも鑑賞したくなる。

 

第四章 戦国の将軍たち――流浪する将軍と室町幕府の終焉

ここで音声ガイドの大般若長光が意味深な言葉を発する。やや、と思って展示の裏に回ると、ついにこの特別展の目玉の登場である。

 

太刀 銘 長光(名物 大般若長光)国宝

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しっかりとした反りと大胆かつ優美な刃文。太刀そのものの存在感に刃が負けておらず、むしろ競い合っている風ですらある。

剣豪将軍の異名を持つ足利義輝が大事にしていたのも納得できる文句なしの名刀である。

太刀 銘 康次(国宝)

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青江派の刀で大般若長光よりさらに長く、反りが強い。それに示し合わせたかのような豪壮な乱れ刃が素晴らしい。大日如来と素剣の入れ方にも無駄がない。

最後の将軍・足利義昭島津義久に送った刀。これほどの名刀を贈ったことは島津への将軍の期待値の高さをうかがわせる。(鬼島津こと島津義弘の「義」は義昭の偏諱であったりする)実際、都を追われてからも島津は将軍に惜しみなく援助した。もともとの願いの織田信長をどうにかしてくれたかどうかは……まあノーコメントで……。

現在鹿児島県の国宝は太刀 銘 国宗のみであるのだが、この康次を島津でとどめておいてくれたら国宝が一つ増えたのになあ、と鹿児島県民としては思う。

ある将軍は凶刃に倒れ、ある将軍はついに京の地を踏まずに亡くなり、ある将軍は追放される。

室町幕府はその役目を終えつつあった。その経緯がかつて初代将軍・足利尊氏と対立していた勢力のそれと末路が似ているのは歴史の皮肉であろうか。

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歴史の無常さにしんみりとしているとこの歴代将軍像勢ぞろいコーナーへとたどり着く。

この「圧」は是非体感して頂きたい。写真撮影も可能である。

個人的には、

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今回の特別展のキービジュアルにもなっている義満像(栄華を極めたはずなのになんだか悲しそうだ)や、

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恐怖政治を擬人化したような義教像、

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「どうしてこうなった」と言わんばかりの顔をしている義昭像が特にお気に入りである。

 

出口前に足利尊氏の生涯をまとめたVTRがあった。

地蔵菩薩をお守りとして生涯持ち歩いていたという尊氏のイメージは武家の棟梁と言うより一家の家長、頼れる親分と言った感じで、そういう「ほっとけなさ」が彼にはアットのだろうなと思う。

良くも悪くも優し過ぎた、苛烈になれきれなかったのではないか。

だからこそ、運命は彼に愛する者達との対立を余儀なくさせるのだが……。

尊氏は後醍醐天皇とはっきり敵対しても「尊氏」の名を捨てないし、死後天竜寺を建立して供養している。それが外面のためだけとはどうしても思えないのである。

その懐深い彼が実の弟、息子を人生のラスボスに設定しないといけなかったなんて余りにも惨い。

観終えて、本来ならば導入として設置していてもおかしくない内容であるのに出口直前で展開されていた理由がわかった。

室町幕府を通貫するもの、それは尊氏の祈りである。人々を守りたいという気持ちは、歪んでしまうことはあってもぶれることはなかったように感じた。

天皇と敵対したということで、足利将軍は水戸学をきっかけに評価は厳しく、幕末においては逆賊として先程の木造の首が晒されるという事態すら招いた。

その延長線上にある明治以降もまた、一度否定されたという事実は色濃く残り、不当な評価のままである嫌いは否めない。

だが、和室がそうであるように現在の我々の生活様式の基盤となったもので室町時代が生み出したものは多い。そしてそれらの多くは、室町将軍の影に日向にの援助があってこそのものであったろう。

室町時代を通して今につながる歴史のダイナミズムに思いをはせることが出来る、大変意義深い展示であった。

また、足利尊氏が一度都を追われ、九州国立博物館のある地・大宰府で再起、天下を手にしたことは劉邦が天命の地、漢中で漢中王になってから巻き返したことを思い起こさせ、その子孫で自身も漢中王となった劉備も関係する三国志展が次回特別展であることに不思議なめぐりあわせを感じた。

審神者ご同業諸賢においては、大般若長光パネルは一階の左端、カフェーそばと入り口から結構離れたところに設置されているのでご留意されたい。

コラボグッズは数が行き届いており、無事確保できて嬉しかった。転売屋死すべし。慈悲はない。一応、転売への転載防止のために画像を加工してあります。

 

やはり危惧していた通り、特別展のみで七千字を超えてしまったので他展示については項を分けることをお許しいただきたい。また明日。

 

 

トイ・ストーリー4は誰の「ストーリー」なのか――補遺:トイストーリー4ネタバレ感想

余談

暗いニュースが夜明けとともに、いや昼夜見境なく、街に降り続けている。

正直なところ今週一週間はとてもしんどかった。全てにおいて全くの部外者が本当に恐縮なのだが、こういう時だけアンテナが自分が本当に嫌になる。感情をぐわんぐわんとデンプシー・ロールを被弾したように揺らされ続けた。

それでも――今日の妻との九州国立博物館を拠り所としてなんとか踏ん張った。

大雨で高速通行止め。遠征、中止。

これで疲れがどっと出てしまって、何もしたくない気持ちになった。

それでもずっと考え続けていることがある。脳内ビジョンがあるとして、ワイプみたいな小さい別窓でずっとエナドリを飲んだハムスターが回す滑車みたいに回転し続けているものごとが。

トイ・ストーリー4についてである。

大体一週間ほど前、筆者はレイトショーで鑑賞後そのまま感想を書いた。三時半くらいまでかかって、七千字あった。

今回、少し時間を置き、当日の感想よりは少し整理できたものが書けそうであるので、また出力しておきたいのである。この感情をこれ以上頭の中に納め続ける自信がない。

 

 

ということで、これより先はトイ・ストーリー4の広範なネタバレがあります。また、批判的な内容を含みますのでご注意ください。

 

 

本題

初めに総括:グロテスクな「トイ・ストーリー」に見えてしまった「トイ・ストーリー4」

前回も少し触れたが、トイ・ストーリー4は初代トイ・ストーリーのストーリーラインを意図的になぞっている、と思う。

・新しいおもちゃがやってきて持ち主はそのおもちゃに夢中

・ウッディは冷遇されがちとなる

・新入りおもちゃにおもちゃとしての自覚を与えようとするがうまくいかないウッディ

・空回りし、孤立するウッディ

・ひょんなことから新入りおもちゃと共に帰宅困難になってしまうウッディ

・おもちゃの自覚をもつ新入り、彼と心を通わせるウッディ

・新入りを命がけで助けるウッディ

こう書きだしてみると思った以上に重なっている。が、もちろん読者諸賢はご推察の通り実際は初代と4では「新しいおもちゃの加入」と「ウッディの冷遇」は順序が違う。箇条書きマジックの危うさであるが、実際この順序の違い、ボタンの掛け違いが4を初代の本歌取りではなく別のものに変容してしまった原因のひとつではないかと思う。

要素は似通っているが、その組み合わせ方がちぐはぐであり、結果、近似しているからこそその違いが色濃くグロテスクに見える悲劇が―少なくとも筆者にとって――生まれてしまったように思えた。

それが今はやりの要素と言うスパイスを振り掛けられたことで、一層際立って感じる。

初代のストーリーラインを知っているからこそ、ある程度は予測しつつ、もちろん予測は外してほしいという気持ちもあるのだが、えっそこを外してくるの? という気持ちにもなったりした。

といってもその単体の作品としては前回から繰り返しになるが素晴らしいものに仕上がっている。

ただ、古今亭志ん生の「井戸の茶碗」を見るつもりで立川談志の「芝浜」を見せられたら「確かに落語ではあり、双方素晴らしいのだが求めていたのはそれではない」という感覚になることと、筆者の場合は近く感じられた。

カウボーイは「そんなことないよ!」待ちのヘタレアイドルになってしまったのか

今までで1300字くらいうだうだ書いて、これからもだらだら書くのだが、今回言いたいことは大体次の一言に尽きるので、言わせてほしい。太字で。大(200%)で。

ウッディお前…お前どうして週3回しか遊んでもらえないくらいでそんないじけてんだよ!!!!

先程の「グロテスクなストーリー」にも通じるのだが、今作は最近の流行りであるらしい「与えられた役割からの解放」という結論にウッディを誘うために、キャラクターたちの性格、思想信条が歪められたように感じてしまった。

最たるものが上記で、しかもそれが継承の後、序盤も序盤に提示される。

おかしいではないか。ウッディはそんなことは9年も前に我々と一緒に乗り越えたはずじゃないか。

「アァァァァ~~~嘘だろ!?♪(イェアアアアアアアアア♪←スリンキーの声っぽいやつ)」

したではないか。好きな君にも見捨てられてたじゃないか。

筆者は忘れられない。アンディの部屋の壁紙がスペ―シーに変わってしまったあの時のああ……と言う気持ちを。そこからのウッディの這い上がりを。

なのにウッディその人は忘れてしまったかのような感じである。

こっちが「嘘だろ」である。「最悪だぜ」なのである。全てがストレンジなのだ。

もちろん、そこがリフレインしているというのはあるかもしれない。けれど2,3と我々と共に「こどものおもちゃであるということ」を自らに染み込ませてきたはずの彼はそんなヤワな男ではなかったはずである。タフなカウボーイだったはずだ。「こどものおもちゃである」という誇りはちょっと遊ばれないからどうにかなるようなものではなかったはずだ。

だが、今作の彼はどこかおかしい。長年の相棒のバズ他、仲間たちの正論にも耳を貸さない――のはまあ、彼らしくはあるにしろ、常に焦燥感に駆られている。フォーキーへの対応は彼の言葉で言えば忠誠心の延長線上なのかもしれないが、筆者の目には歪んだ媚にさえ映ってしまう。

過去の恋に惑わされ、らしくないドジを踏みまくる。

それでも仲間たちは彼を迎えに行く。良かった、仲間たちの絆は生きていた――けれどウッディは行かない。

それは、この4の事象だけ見たら仕方ないことかもしれない。今のことを見たら。3までのことは過去で、それに囚われるのは愚かなことで、どこまでも広い世界に飛び出していくことは何も間違っていない。子どもは一人だけじゃないと。

そうかもしれない。

いや~「キミはともだち」を大々的にプロモーションに使っておいてやっぱりそれはどうなんだろうか。


「トイ・ストーリー4」君はともだち♪

こんな展開になるならラブ・イズ・オーヴァーをダイヤモンド☆ユカイ氏にcoverしてもらうべきではなかったか。


德永英明 - ラヴ・イズ・オーヴァー live from VOCALIST & SONGS 2 TOUR

 

最後、バズが「ボニーは大丈夫だ」と言い、ウッディは別れを決意する。

けれど、あの時バズに「君がいなきゃダメなんだ! 戻ってきてくれ」と頼まれたらきっと、ウッディは戻ってきたと思うのである。

アイドルの黄金パターンの一つに、

「私はかわいくなくて、ダンスも歌も下手で……」

とアイドルが言うのに対して、アイドルファンが

「そんなことないよ!」

と返すというものがあるが、今回のウッディはなんだか、ずっとその声を求めていたように見えてしまった。

バズ・ライトイヤー好きの妻の寸評

妻はバズ推しで、また深い悲しみに包まれていたのでぽつぽつと喋っていたその内容をまとめておきたい。

「どうして2であんなにリーダーシップを発揮していたのに……電池? 電池を替えたから?」

「3でもエンドロールで保育園のおもちゃたちをきびきび指揮していたのに……」

「大分スピリチュアルなキャラになった……もっとロジックがしっかりしていたような……」

「かっこつけて落ちるのは上手くなっていた……」

まだ傷は深そうである。

トイストーリー4はギャビー・ギャビーのストーリーである

標題。筆者が鑑賞してからずっと考えていることである。

3まではアンディの物語であり、ウッディの物語であった。アンディのおもちゃであるウッディの物語と言ってもよい。

そしてそれは3で美しく閉じた。

が、4が始まった。3のラストシーンが再現され、アンディからボニーへ、AからBへ物語は移行していくのだな、と思った。

が、そうではなかった。4においてボニーはギミックである。障害物ですらある。

おもちゃたちはボニーの気持ちを「忖度」するけれども、本当にボニーに寄り添っているおもちゃは誰もいないのではないかとさえ思ってしまう。

ウッディの解放の物語ということに製作スタッフはしたかったのかもしれないが、筆者は上記の出来事からお膳立てに無理があるように思えて素直に承服できない。

けれどこの物語を確かにものにしたキャラクターがいる。

ギャビー・ギャビーである。

悲しきオリジンがあり、挫折を経た上で、仲間の協力を得て、「その子にとってそのおもちゃがいれば全てが上手くいくと思えるような」おもちゃに慣れる子どもと巡り合うことに成功する。

これだ、と筆者は快哉を叫びたかった。これが「トイ・ストーリー」だ。おもちゃが誰か1人のおもちゃになるということなんだ、と。

だからこそウッディが「勝手にいなくなる」ということを選択したのはショックだった。

メタな話では、誰のための物語かと言うと、これまでの物語を咀嚼したアンディ世代をメインターゲットとした物語かと思った。

けれどこの展開は、ちょっと支持を多く集めるには難しそうである。

ではそうではなく、3で一度完結しているのだから、新たな子供たち、言うなればボニー世代のための物語なのだろうか?

それも簡単には受け入れがたい。3までの話は、「おもちゃを大切にしよう」というシンプルかつ明確なメッセージがあった。けれど4を観て子ども達は何を思うだろう。勿論、最高のエンタメだ。でも、「おもちゃは毎日遊ばないと勝手にいなくなってしまう」という結末はどう受け止められるのだろう。

筆者は余りポジティブな予感がしない。

無限の彼方へ旅立ったウッディ、一つの次元が確定された我々

ウッディはバズや仲間たちに温かく送り出される。

「無限の彼方へ、さあ行くぞ」

――この言葉を使ってしまうのか、と最早旅立ちを受け入れるしかないと関連する筆者である。エンドロールでそれぞれのその後が描かれる。

それが悪い、とかではない。ただこれで、「公式」は確定してしまった。

例えば、これがリブートであったり、パラレルワールド的外伝であったら、筆者は受け入れたであろう。

「やる夫がトイストーリー3の後の世界に迷い込んだようです」であれば絶賛したであろう。しかしこれは、ピクサーが満を持して送り出した正当続編「トイ・ストーリー4」なのである。もはや世界線は確定してしまった。

3のその後は4が地続きで待っているという世界に。

筆者にいずれ子どもが出来た時、トイ・ストーリーは是非一緒に観たい映画だった。

今のところ、その気持ちは過去形のままである。

トイ・ストーリー4 (オリジナル・サウンドトラック)

最上大業物2/14工――「最上大業物 忠吉と肥前刀」が、いや佐賀県立博物館がとにかく素晴らしい話

余談

本当に書きたいことがたくさんあるのである。余裕があるものは後回しにしてしまいがちなのである。しかし光陰矢の如し、5月末に見に行った「最上大業物忠吉と肥前刀」がなんと本日までなのである。これはいかん。

何しろ大変に素晴らしい展示であり、素晴らしい博物館であった。まだ訪れていない近隣諸賢の、いや諸県の審神者諸賢は是非鑑賞されるべきであるし、そばに住んでいない審神者諸賢は今からでもフリーザをぶっ倒して瞬間移動を会得して向かうべきである。

肥前忠広ファンでなくとも刀剣ファンであれば必ず満足のいく展示となっている。

本題

「所謂肥前刀」以前

肥前刀の歴史というのは即ち、忠吉一門の歴史である。というのも大正6年に刊行された「西肥遺芳」にてそのように記されているからである。

無論それ以前、いわゆる古刀時代においても肥前での作刀は行われていた。しかし刀化鍛治の集団の形成には至らず、筑前や豊後などからの単発的な移住で終わっていたようだ。

本展示ではその頃の刀も見ることが出来る。

ということでなんと、備前刀、銘国行の刀(佐賀県重要文化財)、左文字の系譜の刀などいきなりの大盤振る舞いである。

特に筆者は銘 貞俊の刀に心惹かれた。

直刃の美しさもさるものながら、きびきびと凛々しく刀身に刻まれた文字、キュートな栗尻の茎など、見所が多い。何百年も前の刀とは思えない行き届いた手入れに、佐賀県立博物館様のプロフェッショナルさがうかがえる。

最上大業物14工を2名輩出した一門

さて忠吉一門である。初代忠吉は本名を橋本新左衛門と言った。橋本家は武士の家系であり、竜造寺家に仕えていたが沖田畷の戦いによって主君・当主(忠吉父)・と祖父が討ち死に、忠吉は当時元服まであったため断絶した。薩摩人としては開幕から申し訳ない気持ちになってしまったが、橋本家は少弐氏の一族であるという。であれば、ある種復讐を代行したとして見逃してほしい……(竜造寺家は少弐氏から下剋上を行って勢力を拡大した)この辺りは佐賀県立博物館にも詳しいので是非じっくり見ていただきたい。

知行断絶では武士としては最早食べていけない。刀匠に転じることを決意した忠吉は上京し、山城国の刀鍛冶に師事する。その人こそ埋忠明寿であったというから文久土佐藩、幕末土佐藩びいきとしては何やら不思議な気分になってしまうではないか。実装されないかなあ埋忠明寿。

忠吉は中央がきな臭くなったことも感じたのか、慶長3年(1598年)に帰国。「鍋島化け猫騒動」など風説の流布の被害にあいながらも竜造寺より継承され肥前の主となっていた鍋島勝茂によりお家復興を許される。(勝茂は妙法村正を愛好しており、忠吉に写しを何度か作らせたという。また、「享保名物帳」に記載された「鍋島江」の所有者でもある)以降藩御用達の鍛治として幕末まで一門は栄えることとなる。

忠吉自身は晩年、隠居を機に「忠広」と改名した。以降一門は「忠吉」「忠広」「忠行(初代忠吉の孫(3代忠吉の兄弟)が祖とされる)」の名を幕末まで継いでいくのである。岡田以蔵の愛刀であり、刀剣乱舞に登場した刀剣男士の「肥前忠広」はこの初代のことを指すというのが一般的な説である。

改めて初代忠吉の刀を見てみよう。(銀河万丈ボイス)

肥前国忠吉」と5字で名が切られていることから初期の作品であることが分かる。刀剣乱舞の「肥前忠広」からしたらお兄さんということになるが、地金が冴えている。沸き立つ波紋が忠吉一門の中で唯一戦国乱世を知る刀工の心中が表れているようだ。刀身が先細りで反りが浅い形は江戸時代前期の特徴を先取りしているように思える。どっしりとした感覚で、なるほど「実用」の説得力がある刀である。

この初代忠吉と三代忠吉が「最上大業物14工」という刀剣鍛治に対する最大の賛辞を寄せられている。国民的漫画でもおなじみ「最上大業物」は「首切り浅右衛門」としても知られる御様御用(刀剣の試し斬り役)にして死刑執行人の山田浅右衛門がまとめた優れた刀鍛冶たちのことで、古今鍛冶備考という本となっている。役割からしてもなかなかの説得力を持って受け入れられたようである。

その中に同じ一門から2名選出されたというのは忠吉一門の優秀さを示す証明であるといえるだろう。同書の元ネタである「懐宝剣尺」は佐賀唐津藩士・柘植平助であるのでもしかしたらちょっと身びいきもあったかもしれないが……。

他の「最上大業物」には一国兼光を鍛刀した長船兼光や長曾根虎徹和泉守兼定(ただしこちらは歌仙兼定を鍛刀した方の之定)など錚々たる名が並び、またも幕末を感じさせてくれる。極めつけは三代忠吉は「陸奥守」を名乗っているあたり歴史は物語より奇なりというか個人的には俗な言葉を使えば「エモい……」と思う。

3代忠吉は残念ながら薙刀のみの展示であった。個人的には親子合作の刀が「刀鍛冶の名門」を感じられて印象に残った。初代は忠吉→忠広と名を変えたが、五代目以降は忠広→忠吉と名乗ることが多かったようである。

宗家以外の刀も充実

 宗家以外の刀のほか、脇差、拵え、鍔や諸派の刀なども充実していて飽きさせない。

特に筆者が好きなのは初代行広のこの刀。太刀を意識した豪放で力強いつくりがたまらない。存在感が物凄かった。

パネルで刀鍛冶の風景も確認することが出来、他展示の案内まである。

いつまでも見ていたかったが、閉館時間が迫っており、アンケートにその素晴らしさへの感謝をしたためて再びロビーへ出た。無料、とのことであったがなんと佐賀県立博物館自体が無料であり、この素晴らしさへの感謝をなにかしらお金として還元したい、臆面もなく言えばこの博物館に課金したい、という思いで過去の図録を見ていると、グリコ展の図録に心惹かれたので買ってしまった。佐賀の方だったんですね。図録だけでも素晴らしい展示であったことが伝わってきた。朝ドラにならないかなあ。

しかしお姉さんはおまけでポストカードセットをつけてくれるのだった。よそじゃ1枚100円で売ってそうなものをたくさん……実質無料になってしまった。文化度が高すぎます!

因みにこの展示の図録はなかったのだが無料のリーフレットが既に情報量が素晴らしいものがあって、普通にお金をとれるレベルであった。今後の刀剣鑑賞にも役立つことであろう。

ダンディに見送られるつつ、後ろ髪引かれながら同地を後にした。必ずじっくりと時間をかけてまた訪れたいものである。

時が流れても、変わらないもの。それは――トイ・ストーリー4 感想(ネタバレ)

トイ・ストーリー4の完全なるネタバレがあります。

余談

子どものころ、クリスマスプレゼントはビデオだった。ライオン・キング、ダンボ、バグズ・ライフトイ・ストーリー……様々な作品が筆者や弟たちの視野を広げてくれた。ソファーは切り立った断崖で、スカーとハイエナごっこをやったり、布団は洞窟でジニーとアラジンごっこをやったり、ピンクの象ごっこをやったり……。

「一人が歌いだすと、他が歌の続きを引きとってプチ・ミュージカルごっこがはじまる」というのは、きょうだいのいる我々世代のあるあるだと思うのだが、どうだろう。

その中でもトイ・ストーリーはやはり特別な作品だ。「だから大切に遊ぶんだぜ」という言葉を受けて、ジャンプの上にフェイスタオルを敷いて、おもちゃの「ベッド」にして自分の隣でかわるがわる寝かせていたりしたものだ。

トイ・ストーリー2は映画館で見てた。よく行く玩具問屋で「誰が買うんだこれ」と笑ってしまった「特急指令ソルブレイン 正木俊介ソフビ」の来し方について思いをはせたりした。(少年筆者は宮内洋という存在をまだ知らない)

トイ・ストーリー3は、帰省時に母と、親友と見た。筆者にとって初めての3D作品だった。親友は、「3Dで良かったよ……涙がメガネで隠れるから……」といい、筆者も鼻をすすりながらうなずいた。トイ・ストーリーの時、布団をかけて寝ていたおもちゃの数々は、ほとんどが筆者の部屋から姿を消していた、と思う。そんな曖昧な認識しかもう、自分のおもちゃに出来ていなかったのだ。

本題

鑑賞まで

さて、トイ・ストーリー4である。筆者はトイ・ストーリーとは「アンディのおもちゃ・ウッディの物語」であって、だからこそ3で大団円だと思っていた。「あばよ、相棒」で当時ぐしゃぐしゃに泣いた。それはアンディと、トイ・ストーリーをリアルタイムで追い続けていたスクリーンの向こうの筆者たちに言ってくれているように思えたからだ。それはおもちゃからの「赦し」だった。筆者と筆者のおもちゃの間に「あり得たかもしれない未来」を描き切り、憑き物を落とすかのような。

所謂派生作品はだから、見る勇気がなかった。時系列もわからないけれど、あれほどきれいに終わった作品の続きを見て、大好きだからこそ少しでもマイナスを感じたくなかった。いい思い出としてそれこそ子供のころのおもちゃ箱に一緒にしまっておきたかった。

けれど、TwitterのTLは日に日にその話題が膨れ上がっていく。いずれネタバレを踏んでしまうこともあるだろう。信頼する人々のツイートによって先入観を持ってしまう可能性もある。見よう、と思った。妻は3を見逃してそのままだったということで、7/11に2人で一緒に見た。「トイストーリーかと思ったら途中途中プリズンブレイクだった……でも面白かった。4も観たい」という感想を引き出し、勢いのまま初日レイトショー4DXを予約した。

まさかの業務が空前の忙しさで、泣く泣く1日ずらすことになった。妻は準備万端であるのに筆者はやっと連絡が出来たのが開幕直前というありさまで、とても申し訳なかった。慈悲深い妻は1日ずれても付き合ってくれた。あんたは俺の相棒だぜ。

情報は、全く入れないで見た。強いて言えば、映画館内の立て看板くらいである。

今日のために、コンタクトを準備した。4DXの解説ムービーが始まり、トイ・ストーリー4の本編が始まった……。

感想(ネタバレあらすじにのせて)

9年前。前作3からの間隔と同じこの数字が出るのは暗示的だ。外の天気と同じ大荒れの雨の中を、おもちゃたちが行く。救出作戦だ。早速4DXの恩恵を受ける。3では1人になり、そして寄付されるバービーがこの時は3体いることがいて、ああ、あのバービーもやはり大切な人形だったんだな、最後の1体になるくらいには、と改めて思わされる。

痛快なアクションとは裏腹な静かな、しかし毅然とした決別。ボー・ピープの不在は3当時から話題だった。台詞でさらっと触れられるだけ。陶器であるから、割れてしまったのだろうか……。としんみりしたものだ。この去り方は、オモチャ(彼女は厳密な意味でのオモチャではないが)として1つの理想だ。必要とされるべき人のところへ行く。それがオモチャであるという考え方。実用という点で、2で提示された結論とも矛盾しない。ウッディはまだアンディに必要とされている。2人は別の道を行くけれど、それぞれの道は間違いではないのだ。

トイ・ストーリー4完。良い補完でしたね。

そうではなかった。いわばこれはピクサー名物ショートムービー枠。そこから9年の時、アンディとの蜜月、バズとの出会い、ジェシーやブルズアイの合流、そして継承――が奔流する。直前に3を見ているので、そのCGの表現力の向上にまだ上があるのかと驚かされた。

現在。アンディのおもちゃを継承したボニーはもうすぐ幼稚園だ。遊びの趣向も変わってきている。お気に入りのおもちゃも。我らがウッディはここのところ、登板回数が減っているようである。バズはそんなウッディが平静でないことに気が付くが、ウッディは誤魔化す。

皆に止められても結局、ボニーの幼稚園体験についていく。同じく一人遊びが好きで引っ込み思案だった筆者自身の過去を思い出して胸が苦しくなりつつも、ウッディの機転によって救われたことにホッとする。

いわばウッディとボニーの合作であるフォーキーはしかし、自分がおもちゃとしての役割を与えられたことを受け入れることが出来ない。一躍一番人気に躍り出たフォーキーがゴミになろうとするのを寝る間も惜しんで止めるウッディ。心配するバズに「内なる声」がそうしろと言うのだ、とウッディ。

初代「トイ・ストーリー」のバズと今回のフォーキーは、突如躍り出た一番人気ということで共通している。ただし、前者は突然職場に現れたスーパー新入社員であるとすれば、後者は予測不可能な赤ん坊であるという違いがある。

ウッディの立ち位置も変わっている。以前は一番人気を取り戻そうとし、今回は一番人気であるフォーキーを育成することで、院政を行おうとするような節がある。

トイ・ストーリーはまた、ウッディの「エゴ」の物語であると思う。この作品に出ている誰よりウッディは人間臭い。アンディ世代の男性であれば、「世紀末リーダー伝たけし!」をご記憶の諸賢は多いと思うが、筆者はウッディを見るたび、あの作品の「へるすィー」や「サンタのおっちゃん」、そしてしまぶーの「エゴについての語り」を思い出してしまうのである。人に喜んでもらいたい、それ自体が既にエゴ、という考え方は当時小学生であった筆者の心を揺さぶったものだ。

ウッディはボニーに対して献身的だ。それはボニーのおもちゃだから。ボニーに幸せになってほしいから。彼自身の言うところの忠誠心である。ただそれは特に今回、「だから、俺を見捨てないでほしい、もう一度愛を注いでほしい」という裏返しのエゴが透けて見えてしまう。思わずアンディの名前を口走ってしまうことがまたその見方に拍車をかける。「もうおれにはこれしかないんだ」という言葉からしても、ウッディ自身もそのことに自覚的なのであろう。フォーキーはユニークでとても愉快なキャラクターなのだが、ウッディにとっても、脚本にとっても「コマ」としての役割の方が強くちらついてしまって、誘導のための無茶な行動や言動が必要なものだと分かっていても、分かっているからこそ筆者としては気になる点がいくつかあったのは残念だった。

そういう下心があるからこそ、やっとフォーキーがその気になったのにウッディはアンティークショップにノコノコと入ってしまう。「ボーに会えるかもしれない」という別の下心で上書きされてしまったからである。この辺り、もうちょっと何とかならなかったのかと思う。フォーキーが興味を示して止めるけどボーのランプシェードが目に入ってしぶしぶ一緒に行くとか。

アンティークショップの描写はため息が出るほどに素晴らしい。骨董の光沢の再現がすさまじすぎるし、棚のつくり込みなど目眩がしそうだ。そこで現れる腹話術人形のベンソンとアンティーク人形のギャビー・ギャビー。

「愛されなかったことは生きなかったことと同義である」というのはルー・サロメの言葉だが、であればギャビー・ギャビーは半世紀以上生きていなかった。生まれつきのボイスボックスのエラーで満足に音が出ないため、子どもに遊んでもらうことも、好事家にコレクションされることも出来ない。それはいつしか彼女の中で、ボイスボックスさえあれば全てがうまくいく、という考えに歪んでいってしまう。その不穏さに気づくウッディたちは逃げ出そうとするも、フォーキーは囚われてしまう。

再び逃亡者となるウッディのもとへ颯爽と現れるのはいかにもな強い女性然としたボー・ピープ。そして羊ガールやサイズと声量が釣り合っていない婦警さんたち。まだ個人のおもちゃで消耗しているの? と彼女は言う。世界はこんなに広いのに、と。オープンワールドゲームであればそのまま自分の操作パートに移行しそうな場面の後、やはりウッディはボニーのおもちゃであり続けようとし、潜入し、これまた大きな見どころであろう大活劇の末に多くの犠牲を払って、結局のところ失敗してしまう。それでも再度挑戦しようとする。「何があっても友達を見捨てない」彼はしかし、バズをある意味では見捨てて無謀な突入をする。持ち主のいないおもちゃに対してしっかり地雷を踏んだ上で。

待ち受けていたギャビー・ギャビーはしかし、しおらしくボイスボックスを要求する。誰かに愛されることの喜びを痛いほど知っているウッディ。フォーキーの件もあり、了承してしまう。最初からそうしておけばこんなに苦労しなかっただろというのは言わない約束である。2では声を出す笛が壊れたペンギンのおもちゃ・ウィージーが大変難儀していたがギャビー・ギャビーはボイスボックスの不調は通常の喋りに特に影響しないんだというのがちょっと気になった。

しかしギャビー・ギャビーの半世紀かけて組み上げた夢は、破れるには5秒もいらなかった。カウボーイは好きだけどアンティーク人形はお気に召さないハーモニー、嗜好がよくわからない。(音が出ること自体に興味を持っていたそぶりがウッディの時あったので余計に)打ちひしがれるギャビー・ギャビー。子どもはハーモニーだけじゃないと諭すウッディ。それはまるで自分自身にも言い聞かせているようで……。

恋は理屈ではない。やっぱりウッディが気になるボーとその一行はウッディたちと合流。あの手この手で引き留められているボニー一家のレンタカーを目指す。お父さんが気の毒すぎる。

途中、ベンソンがコメディチックに離脱するのだが、そのまま放置だったのは悲しいものがあった。

カナダの英雄がトラウマを克服し、ギャビー・ギャビーがまた、当初の想定とは違った幸せを手にする。コロコロ大作戦の面目躍如でもある。「誰かのおもちゃであることの幸せ」「大事なおもちゃがそばにいるとなにもかもうまくいくような気持ちになる」ということをボスキャラクターが表現してくれたのは嬉しい驚きであった。今回物理的なダメージという意味で脅威は猫であり、(もちろん腹話術人形ズも恐ろしかったけど)歴代ボスと比べて悪逆度が低いのはそういう伏線だったのかなと思った。

そうして、お父さんが牢屋行を何とか免れたとはいえ大きな犠牲を払って回転木馬へ役者が揃ったとき、ウッディを皆が迎えに来た時、しかし、ウッディは戻らない。

ウッディはボーたちとともに流れのおもちゃとなることを選んだ。

ある程度覚悟はしていたがやはり、ここでグッと胸が苦しくなった。筆者は既に、3や冒頭で見せてくれた「ボニーの部屋という世界」に愛着がすっかり湧いていて、そこが彼らの帰る場所だと思っていたのだな、と辛い形で気づかされることになった。

「誰かのおもちゃである」というのはおもちゃにとって一種の呪縛ではあるのだろう。しかし、仲間との衝突をも恐れず愚直に「誰かのおもちゃであること」を追求してきたのがウッディではなかったか。

ボーとウッディが決定的に違うのは、持ち主から「No」を突き付けられたかどうかだ。ボーはフリーである。誰のものでもない。(アンティークショップの売り物ではあるのだけれど)どうしようと彼女の勝手である。独立独歩である。

ウッディは違う。彼はボニーの所有物だ。ここでいなくなっては、ただの失踪である。家出である。子どもは興味が移りやすい生き物だ。また何かのきっかけでウッディブームが来ることもあるだろう。その時、クローゼットに彼がいなかったボニーはどれだけ悲しむだろうか。

アンディが大学の夏休みで帰省し、ボニーの家へ懐かしのおもちゃたちを見に来ることだってあるかもしれないではないか。(というか筆者はトイ・ストーリーが再開するのであれば、最後はアンディとボニーが結婚して2人の間の子供の手にはウッディが……みたいな展開になるのかと思ったりもしていたのである)

ウッディは前作で屋根裏部屋に移る友たちに、それでもアンディのおもちゃなんだと言い聞かせていた。しかし今回、自分が同じような境遇に置かれるとボニーのおもちゃであることを捨てるというのは、やっぱり前回は自分は大学行だからという気持ちがあったのかと邪推してしまう。補欠になったとたん部活を辞める中学生かよとさえ思ってしまう。

「クローゼットだろうと、屋根裏部屋だろうと、ずっと遊んでもらえなくても、俺はボニーのおもちゃだ。いつか捨てられたらその時は、どんなところにいても君を見つけてみせるよ」

ぐらいのことを言ってボーと別れるのだとばかり思っていた。

更に言えば、送り出すのがバズなのは相棒だからというのもわかるのだが、「ボニーは大丈夫」というのはバズが言うのはどうなんだろう、と思ったりもする。それはドーリーの役目ではないだろうか。

選択肢として流れのおもちゃというのはあっていいと思う。しかしそれはあくまで「誰かのおもちゃ」という役割を終えてのセカンドライフだと筆者は考えていたのであるし、少なくとも過去3部作においては繰り返しになるが「アンディのおもちゃ」であることの意味を描き切ったと思っていた。

フォーキーには「お前は(ボニーの)オモチャであれ」と言っておきながら、彼の「ゴミでありたい」という自由を否定しておきながら、自らはオモチャとしての自由を手に入れる形で巣立っていく、というのも何やら煮え切らないものを感じてしまった。

また、ボニーがウッディの存在を旅行中ずっと気に留めていないのがやはり気になった。クローゼットにしまいっぱなしならともかく、旅行に連れて行っているのだからせめてクライマックスのシーン、他のおもちゃが後ろに勢ぞろいで並んでいるシーンではさすがに気づくのではないか。

展開妄想

例えば。ボーから誘われ、逡巡するウッディ。そうこうするうちに、ボーの両親が勘づくか何かで、バズたちは車へ撤退する。整列するおもちゃたちと、先ほど見た警察官から、保安官・ウッディがいないことに気付くボニー。車の中で自分を探すボニーの様子に戸惑っていると、ボーは優しく微笑みウッディの紐を引く。

ボイスボックスが故障しているので途切れ途切れのかすれ声になるウッディ。それに気づき、ウッディを見つけるボニー。無事我が手にウッディを取り戻したボニーは外にいたから風邪を引いちゃったんだね、とボイスボックスの不調も物語に取り込み、ボーはその様子にモリーを重ね合わせながらもまた新天地へ旅立っていく……。みたいな展開では、ダメだったのだろうか。

そういう意味で、エンドロールでその後のボニーの部屋は正直なところ見たくなかった。ウッディがいないことでボニーが傷ついていても、ノーダメージでもちょっとつらいな、と思ったからだ。見た限りでは後者だったのだが、その「最初からいなかった人」のような扱いは結構クるものがあった。そういえばピエロって今回出てきただろうか。どうせなら、ギャビー・ギャビーのその後が見たかった。あとベンソン。

観終えて

筆者は時が流れても、ウッディとその持ち主、仲間たちとの絆は決して変わらないものだと考えていた。それがトイ・ストーリーというサーガに流れる通奏低音だと。しかし、製作陣にとってはそうではなかったのかな、というのが今回観て正直な感想である。もちろん道を別にすることが喧嘩別れだとは思っていないが、この決断には寂しいものがあった。

重ねて言うが、流しのおもちゃという生き方自体は何ら否定しない。ただ、3部作が丁寧に積み上げてきたオモチャと人間の関係性を歪め(キャラクター性の改変まで感じさせて)てまでより価値があるような提示をしているように見えてしまったし、製作者側が「新しい価値観」として打ち出したいような雰囲気も感じるが「それ3でグリーンメンが既にやっていることでは?」とも思ってしまうのである。(個人的には彼らの行動は3の中でもやっとする部分(アンディのオモチャでありながら見限るような形で去っていくのがショックだった)だったが今作のウッディは似たようなことをしているというのが余計につらい)

映画自体は実に極上のエンタメに仕上がっている。それは間違いない。それだけにウッディの選択について、自分でも驚くほど引きずってしまっている。7000字以上の感想になるとは思っていなかった。今回は特に推敲もしていない(気持ちの整理がつかずできない)ので読みづらさが大変なことになっていると思うがこれも鑑賞後すぐのライブ感ということでご容赦願いたい。

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他こまごま

・新キャラクターたちは皆魅力的で、特にダッキー&バニーは見た目しか知らなかったのでギャップに驚かされたし、大いに笑わせてもらった。

・個人的にお気に入りのMr.ポテトヘッドやエイリアンズの出番が少なかったのが残念だった。

・バズの内なる声の解釈は面白かったが、リーダーシップという点では前作より劣化していたように思えるのが残念だった。

・お父さんがんばれマジがんばれ

・4DXで観るとシリーズ恒例の派手に転がりまわるオモチャたちの感覚が追体験できるのでそれだけでも価値があると思う。

川よ、俺の川よ―避難指示、その時のある鹿児島県民の記録。

余談

26年前の8月6日、筆者は未就学児で、母と、まだ未婚で筆者をかわいがってくれた伯母――この年にはクリスマスプレゼントか何かで「五星戦隊ダイレンジャー」の「ウォンタイガー」を買ってくれた(そういえば少し前に話題になったグリッドマンのオリジナルもこの年であったはずだ)――と一緒に七夕飾りを作っていたという。

8月に七夕飾り? と思われるかもしれないが、元来、鹿児島は七夕を旧暦で祝うものだそうである。

にわかに大人たちが騒ぎ出した時も、筆者はわっか飾りの色が隣同士で被らないかどうかにご執心であった――という。

全て煮え切らない口調になってしまうのは母からの伝聞であるからである。

大人たちが騒ぎ出した理由である豪雨災害は、8.6水害と呼称され、今なお語り継がれている。鹿児島県民の共有神話となったといっていい。

筆者が強く覚えているのは、団地に住んでいた親戚の白いバンが流されたこと、その中の商売道具が全部水に浸かってダメになってしまったこと。その親戚は階段が浸水してしまい、ドアにまで到達して開けることも叶わず窓から避難したこと、である。

とはいえそんな状態の団地に筆者を呼ぼうはずもないから、これもまた少し落ち着いてから写真か何かを見せられたのかもしれない。

それでも筆者がその記憶を脳裏に刻み込んでいるのは、そのことを語る親戚の意気消沈した顔の傷ましさがあるのだろう。ザ・薩摩人という感じの彫りが深く、顔が四角く、豪快で情が厚いその親戚がその話題の時だけは、目に見えて気落ちしていた。個人事業主であった彼には商売道具の損害の補填も十分為されず、再起に大変苦労し、また親友も災害で喪っていたのだとまた別の機会に母から聞いた。そういうことを自ら決して言わないのもまた、良くも悪くも生粋の薩摩人らしさがあった。

特撮でもしばしば、大自然が人を襲う。その背後には悪の組織や怪人・怪物が暗躍していることもあり、その排除によって解決することがままある。

けれど実際の災害において、そんなわかりやすい敵はどこにもいないのだった。

長じてからも8.6水害は筆者の人生にちょくちょく顔を出した。小学校の遠足で行った石橋記念公園はその水害を受けて石橋を移設したことが発端の公園であったし、働き出した頃に8.6水害から20年が経過した記録放送がMBCラジオで行われ、当時の放送そのままがラジオで流された時にはよりによってその日が結構な雨であったので今の状態かと大慌てして、一人でウェルズの「宇宙戦争」かよみたいなことになっていた。

後の妻が鹿児島にやってきてくれて、二人で暮らす部屋を探す時に川近くを両親から猛反対されたのも印象深い。それほどに鹿児島県民にトラウマを刻み付けた出来事であった。

 

本題

雨の音で目覚めたのか、いつも通り眠りが浅かったのか。ともかくその日はぼんやりとまぶたを開けると同時に耳にはザアザアという音が飛び込んできた。雨自体は、先週からずっと降り続いていた。10号線も冠水している箇所があった。

それまでは空梅雨のような日々が続いており、寒暖の調整もそうだが、どうも鹿児島の天候の神というのは緩急のつけ方が雑だな、としみじみ感じていたりした。

ともあれもうひと眠り――と思ったところに耳障りな音が鳴った。エリアメールである。避難勧告が発令されていた。

筆者は窓を開けて周りを確認した。幸いなことに我が家の周りはいつもの雨の日の風景である。今のところは。さすがに眠る気にもなれず、家族にLINEをしてお互いの状況を共有したり、雨雲レーダーを見たりして脳を少しずつ起こしていった。

通勤時間に差し掛かり、スタッフ連絡網でもどこそこの用水路が溢れている、などの情報が共有され始めた。通行止めの箇所も既に出てきており、これにより定時に通勤困難なスタッフも出てきていた。

筆者も少し早めに出勤したが、考えることは皆同じなのか大通りは混雑しており、結局いつも通りの時間に到着した。

様々な問い合わせの電話に対応しているうちに1日が終わり、明日はさらに雨足が強くなる、という言葉に隣町のスタッフは近隣での宿泊を決意した。波乱の文月の幕開けであった。

正直2日は雨足自体は大したことがなく、7月3日が最も長い1日であったといえる。既に県外に居住する高校時代の友人たち数人から「無事か?」という問い合わせを何回かもらっていた。全国ニュースになっているらしい。

その日の夕方に筆者も自身で見る機会があったが、都会のキャスターの語りで中継される「コウツキガワ」はおらが村の出来事ではないような不思議な感覚があった。

誰もがあの日を過らせていた。8.6水害を。

筆者の勤務先は一般的な企業とは性格を少々異にする場所で、こういう時だからこそ必要とする人々がいる。であるので営業はしつつ、しかし来る予定の方々に決して無理はしないよう、(避難指示が出ているのである)呼びかけも同時に行った。スタッフも近隣に住むスタッフ最小限で運営することとした。

それが社会的使命と分かっていても、しかしエゴで言えば帰りたさも正直なところあった。何しろ晴天であっても筆者は帰りたさを身にまとっているような人間である。妻は自宅で一人心細いのではないかと心配でもあった(後に分かったことであるが遊戯王デュエルモンスターズタッグフォーススペシャルの闇マリクを倒してご満悦であるようであった)

そんな休憩時間に #鹿児島大丈夫 のハッシュタグを見かけて随分救われた気持ちになった。あらためて感謝申し上げたい。勤労意欲が湧いた。蘇る勤労である。勤労ロードショーなのである。

通常よりだいぶ早く上がったものの、ガソリンスタンド、スーパー、他もろもろの施設が早じまいしており消灯していたため、まるで時間が分からず少なからず混乱した。

明日以降どうなるかわからなかったこともあり、ガソリンを満タンにしておこうと開いているガソリンスタンドを探した。途中、当地の大動脈である国道が封鎖されているのを見ていよいよ異常事態を肌で感じた。モータースポーツのCMのようにタイヤが水しぶきを高く舞い上げる。いけどもガソリンスタンドは見つからず、給油ランプはけたたましく点滅した。ガソリンスタンドに向かおうとしてガス欠になるという寓話めいた結末が脳裏をよぎったが、そんなさなか一生のお願いで願ったことが功を奏したのかなんとか24時間セルフのガソリンスタンドを見つけて給油することが出来た。なお、一生のお願いは2時間後、無事帰宅して調子に乗って食べたセイカの南国白クマアイスによって腹を冷やしのち下したことによるトイレ籠城時に再び使用されることになる。

帰宅をSNSで幾人かのフォロワーさんに労っていただいた後、妻が雨ということでと作ってくれたカレーピラフを貪った。何が雨ということでかさっぱりわからなかったがパラパラでとても美味しく……ハッ! 雨がパラパラ降りになるようにという祈願だったのかと今思い至った。

満潮のことが気になりつつしかし、疲労が蓄積していたようで泥のように眠ってしまった。

一夜明けた。冗談のように良い天気だった。だから、調節が雑じゃないでしょうか、神。昼休みに確認すると、妻から「洗濯物を干しました」とLINEが来ていた。機を見るに敏。

上記写真は3日と4日それぞれの同じ場所の写真である。

ようやく筆者は川についてリソースを割く精神状況になり、「甲突川」で検索した。

甲突川は、耐えていた。

残念ながら、支流であったり筆者の近隣がそうであったように小川や用水路の氾濫、堤防の決壊、増水による冠水は所々であったけれど、本流の致命的な氾濫はなかった。

筆者は、甲突川が好きである。歴史の流れを文字通り脈々と伝えているような大きな川。これまで何度も意図して、あるいはせずしてその上を通ってきた親しみ深い川。そのそばでは、笑顔が溢れていてほしいと思う。だから、危険の代名詞のような(実際そうだったのだが)状態で連呼されていること自体が苦しかったし、大氾濫が繰り返されず、汚名を上塗りすることがなかったことはよかったと思う。

誠に痛ましいことに、現在分かっているだけで鹿児島県内で2名の方が犠牲になっており、心からお悔やみを申し上げたい。であるから、今回も我々は天災に勝つことは出来なかった。とてもそんなことは言えない。けれど、一矢は報いたのだと言いたい。26年間の、地道な努力、公共事業、対策の結果が実って、8.6水害より前進しているのだと。経営者判断による早期閉店も素晴らしいことであったと思う。

天災は天がもたらした災いである。しかし、それはまたむざむざと人がそれに対してどう備えてきたかを映し出す鏡、即ち人災である部分を炙り出す側面を持つ。今回のことがまた、8.6水害がそうであったように、フィードバックがなされ後の人々の為の様々な方策に活かされることを願う。

ヤマタノオロチ荒れ狂う河川の具象化だという説がある。我々の歴史は川との付き合いの歴史である。畏怖、対策、改善の3種の神器が正しく活用されることが望ましい。