カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

足踏み

日々が流れていく。診療報酬改定年、いつもならば初月でバタバタしている時期なのだが、今年は6月からなので心穏やか……と言いたいところだが行政や業界の各種対応が出そろいそうなのがGW明けなので、いつもの3月末くらいの「それで結局のところどうなんだ」感がズルズルと間延びしているだけでなんともである。
書きたいことは沢山あり、例えば運転中、例えば娘を寝かしつけているとき、ふとフレーズや構成の一部が浮かんだりもするが、それは浅い夢のように思い出そうとするとつかめずにもやもやする。
↑これくらいのことを書いていけばいいのかもしれないと、特に最近のはてなブログ編集部のおすすめを見て思う。休憩時間にふっとみるのにはてなブログのトップページはとてもちょうどよく、編集部諸賢が一言添えたブログタイトルの向こうにそれぞれの日々が広がっているかと思うとわくわくする。タイトルからそんな風に展開するのかと思う時もあるし、技術系の「○○を××で▽▽できるように■■した」みたいな記事を分からないなりに読むのもいい。原稿用紙二枚程度の、タイトルもその日付を入れたようなサラッとした読み味のまさに日記もたまらない。そのまま数日分遡って読んでしまったりもする。
インターネットのいろんなところに書いた覚えがあるが、高校時代まで、基本的に22時には床に就く生活を送っていた筆者は大学進学を機に1人暮らしをはじめ、バイトをするにあたって22時-26時が基本シフトとしてレンタルビデオ店で働いていた。バイト終わりの深夜、帰り路に様々な建物にまだ明かりが灯っているのを見て、高校生までの自分の生活サイクルとは全く違った日々を送っている人と同じ地域に住んでいるのだ、ということが、たまらなく愉快に感じたことを覚えている。ブログを巡るのはその感覚に近い。
寒い季節は自分の卑小さをより鮮明に浮かび上がらせるということもあって、昨年末から今に至るまでずっと「木本仮名太」をどうしようかな、というのは考えている。気がつけば四半世紀を共にしようというこの名前は、しかし検索してもひっかかるのはこのブログとTwitter(自称X)くらいのもので、つまり現実においてもこのインターネットにおいても功成り名遂げることなく筆者(現実のすがた)は今年35歳になる。
なんか、もういいかな~と感じるのである。Twitterにしても娘について言及することが多いし、その娘についていつまでも言及するわけにもいかないだろう。彼女は一人の人であり、妻のように同意を得ているわけでもないのだから。

とりあえず残り半年ほどを毎度の課題であるけれどももうちょっと軽い日記のようなブログを書いていって文章の勘を取り戻したい。