大河ドラマの青年期を見るのは難しい。というのも主人公たちの青臭い主張がその人物の若さゆえなのか、それとも脚本の不備なのか判断に困るところがあるからだ。
そう言った点で今回の導入ナレーションで「斉興の悪政を……」と主観満点で言われてしまったのが気になった。ナレーションは西田敏行さんだからメタな話、後年の西郷の主観ということでいいだろうと無理やり納得できなくもないが……。
「子どもは国の宝」であるけれど吉之助父が結局まずは吉之助に土下座をさせてしまうところ(流れとしては親父が何とか食らいついて金を借りてみっともなくも子どものため・家のために頑張るとーちゃんを見せるところじゃないのか)はちょっと残念。
あ、ちなみにこの人たち、この大河で描かれるかどうかわかりませんがこの後もう100両借金します。借りた後の即消えものに散財するところをご覧になったので皆さん余り驚かれませんね。一応返済は頑張ります。(25年ローン。維新後、西郷どんは倍にして返しにきますが、板垣さんは利息分を受け取らなかったとか。いい話ですね。(そうか?)あと俵の米が既に精米済みだったんですけどおばあちゃん1人だと食べる前に痛みますよね……いや画としての白いコメがぎっしりを見せたかったのは痛いほど伝わるのだけれども。
中村半次郎の登場
中村半次郎、のち人斬り半次郎、維新後桐野利秋は西郷に最期まで(洒落ではない)付き従った人物であるが、この頃から出てくるとは思わなかった。今回も子役さんが中村瑠輝人さんという方らしい)とても良かった。
吉之助の「子どもは国の宝」メソッドで救われる今回のタイトルの分かりやすい象徴としての登場であったが、この時点で覗かせている「武士である自分への強い執着」が後の西南戦争に至る過程でどのように描写されるかというのは注視していきたい。
調所広郷の退場
斉興隠居作戦(斉彬藩主就任作戦)の切り札として出された密貿易の嫌疑は、対抗呪文:調所広郷の全責任を負っての自死により無効化(どころか、相手陣営をあおる逆効果に)される。この辺り斉彬の頭はいいんだけどその論理に情を今一つくみ取れていない感じが出ている。吉之助はそこを補うことが出来るのか。
調所広郷は以前も書いたかもしれないが非常に評価の難しい人物で、彼がいなければ薩摩藩はこの後でかい顔をするどころでなかったのは確かである。
斉彬は恐らく、伝えた時点で「あ、こいつ自死するな」というのは悟ったはずである。が、その後自分が生まれた時の話をされるとは思わなかったのではないか。愛する子を続けざまに亡くした斉彬に、これは効いたはずである。障害物であった調所が、自分の中で人間になってしまった。その戸惑い。死の報告を待ちながら、どこか席に表れてくれることも期待してくれていたのではないか。「死なせとうはなかった」はある種本心であると思いたい。
調所の語る「斉彬が生まれた時」まさに「子ども(斉彬)は(薩摩)国の宝」であったはずである。調所もまたその宝のために、国のために汚れ仕事を引き受けた。それが(調所視点で考えれば)自分が必死で再建したのに再び浪費しようとしている男に成長していたと分かったとき、果たして調所はどのような気持ちだったか。重ねて、自分を葬ろうとまでしていると分かったときは。とてもではないが想像が出来ない。
ちなみに斉彬、藩主になったらしっかり調所家を処分している。斉彬派だって表立っては斉興チームを悪く言えないからそういうのが全部調所家に来るのである。調所は死してなお斉興を守ったともいえる。(後年、息子の一人は華族、男爵に叙されている)
そしてお由羅騒動(高崎崩れ)へ……
島津家の人々パート、小柳ルミ子氏の怪演×呪いの噂=説得力という感じでお由羅の画面制圧力がすごい。久光の昔のカンフー映画みたいなショックをカット割で細かく見せる演出がシリアスな笑いを生む。単純にこれで悪堕ちしてほしくはないが……
そしてショッキングな切腹申しつけで次回への引きとなる。調所が斉興の風よけとなったように、斉彬が弾圧されるときは赤山が風よけとなるのはある種理に適っているが、赤山が切腹申しつけされるのはまた調所と比べ一段階重い意味があって……この辺りはまた次回の感想で述べたい。
しかし吉之助、相変わらず視野が狭すぎる。鈴木亮平氏の演技もあって熱量はすごく伝わるのだが、そろそろ変わって欲しいところ。これが脚本の都合でなく青年の愚直さであることを信じて、次回、志継承イベントを待ちたい。