カナタガタリ

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この世は舞台、人はみな役者――半沢直樹シリーズ最新作「アルルカンと道化師」ネタバレ感想

余談

細々とネットの片隅で展開しているこのブログだが、最近土日にやたら伸びる。

どうも「半沢直樹」の記事を多く読んでいただいているらしい。

 

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グーグルサーチコンソールでもって調べてみると、「半沢直樹 木本常務」でかなりのアクセスがあるようである。

みんな……!

きもと常務は……「紀本」だょ……! 「紀本 平八」ダョ……!

なかなかドラマで音だけ聞いていたら思い描くことが困難な苗字ではあるが。

ということでまさか、筆名「木本」仮名太が予期せぬSEO効果を生んでしまうとは思わなかった。人生の妙味である。

そんなドラマが大人気放送中の「半沢直樹」原作最新作が実に六年ぶりに上梓された。

前作「銀翼のイカロス」が上梓されたときは筆者は会計事務所勤務。銀行も割かし身近で楽しんで読んでいたものの、国を相手にした後となると次は世界を相手にするしかなくなるのでは……とそのインフレぶりを心配したりもした。「ロスジェネの逆襲」から家族の描写も少なくなり、半沢の超人化も進み、ここから次回作を展開するのはかなり難しいのではないか、と。

実際に長く間があき、続編は潰えたかと思った時にサプライズ的に書き下ろしで現れた「アルルカンと道化師」。それは言わば「半沢直樹・エピソードゼロ」であった。第一作、「俺たちバブル入行組」(ドラマ化前は半沢直樹シリーズは「オレバブシリーズ」と呼称されていたことが今となっては懐かしい)よりも前、大阪西支店時代の半沢直樹の話の幕が上がる。

本題

ということでここからは最新作「アルルカンと道化師」を含む半沢直樹シリーズの致命的なネタバレがあります。

一時間半ほどで一気に読み終えてしまった。月並みな言い方だが、ページを繰る手がもどかしいリーダビリティはさすがである。実際には前作までと同じく電子書籍で購入したので、スワイプがもどかしかった。

今回は「半沢直樹シリーズ」とはいうものの、どちらかと言えば池井戸潤先生の処女作である「果つる底なき」や「シャイロックの子供たち」を彷彿させるようなミステリ仕立てであることがそのもどかしさを加速させる。

そして謎の方に気を取られているうちに、半沢直樹名物の大仕掛けな「倍返し」の方の伏線がキレイに収斂していきあっと驚かされる――。

予想にも期待にも応えながら、しかししっかり読書のカタルシスを味わうことのできるこの感じをこれだけハードルが上がった中でも体験させてくれる池井戸先生には脱帽である。

アルルカンと道化師」を巡る悲喜劇

表題である「アルルカンと道化師」はもはや伝説となったアーティスト・仁科譲がその名を知らしめた一連のコンテンポラリーアート。仁科が突然自殺してしまったことにより、ますますその価値を高めたその作品がこの話のカギを握る。

半沢直樹が所属する大阪西支店の取引先、仙波工藝社にも仁科の「アルルカンと道化師」のリトグラフ(ただしアルルカンのみ)があった。その仙波工藝社に無理やり同行してきた大阪営業本部・伴野は普通に考えて常識的な人間はしないだろう、という買収ごり押しトークをして、社長や半沢を不快にさせる。

この買収案件は半沢の天敵で現業務統括部長・宝田が糸を引いていた。その宝田の同期が大阪営業本部副部長の和泉であり、こいつが懐かしの大阪西支店支店長・浅野匡と大学の先輩後輩の間柄であることから、岸本頭取が力を入れようと考えているM&Aを成功させて自分たちの出世の足掛かりにしよう――という待ってましたの声を上げたくなる「半沢悪役スキーム」である。

仙波社長は無礼な買収をはねのけるが、起死回生の策のはずであった企画展が頓挫。運転資金として二億円が必要となってしまう。経営計画を修正しようともするが、「社会意義」という言葉に甘え、今一つうまくいかない。我が意を得たりとばかりに再び近づく伴野が提示する買収価格は破格の十五億円。その買収相手はIT企業・ジャッカル。社長の田沼は生前からの仁科のパトロンであり、多くの作品を所有。現在自前の美術館さえ建築中という人物だが、仙波は自社の美術批評誌が特定の美術館の系列に入ることを社是である「論説な公平」を曲げることになるのではと葛藤する。同時に半沢は、宝田が獲得した顧客である田沼の意思に沿うために強引な買収を持ち掛けていたのだろうと納得しつつも、その破格の金額で田沼が仙波工藝社を買おうとする理由がわからず疑惑を深める。

仙波の思いを受け、あくまで買収を受け入れず、融資にて仙波工藝社を救おうと奮闘する半沢。だが連続赤字で無担保の会社が融資を受けるのは容易ではない。しかも、縁戚関係にある堂島商店の計画倒産に加担したのではないかというコンプライアンス上の嫌疑までかけられてしまう……(これまた王道の「宝田が手を回した」展開である)

その流れで半沢は仙波工藝社のあるビルがかつて堂島商店があったビルであること、そこに若かりし仁科が在籍していたことを知る。社長の堂島(現在仙波工藝社にある「アルルカン」のリトグラフは彼が購入した)が死の床でそこにある「宝」を仙波に託そうとしていたことも。

仁科はなぜ自殺したのか? 田沼が法外な値段で買収しようとする理由は? 「宝」とは一体何なのか?

それは半沢が堂島社長の遺品を組み合わせることで一気に収斂していく。カフェで見つかった巨額の価値が付いた巨匠の落書き。堂島商店のデザイン室で撮られた写真。その壁に映っているのは――アルルカンとピエロ。

その写真をヒントに倉庫となっている元デザイン室を捜索すると、そこには確かに現在高値がついている仁科の代表的モチーフにそっくりなアルルカンとピエロが壁に残されていた。仁科の作品であれば、価値にして十億は下らないだろう。

ここで筆者はなるほど! と思わず心中膝を打った。

「なるほどなるほど、このことを何らかの理由で知った田沼がそうとは知らせずこの作品を手に入れようとしていたわけか……もしかしたらこの価値をさらに高めるために田沼が仁科を……? ともかくこれで大逆転、倍返しだ!」

と。

しかし、壁に描かれたアルルカンとピエロの下の署名は仁科ではなく、写真で彼の隣に映っていた青年、佐伯のものであった。だが、描かれた時代は仁科がそのモチーフで世を席巻するはるか前……。

既に故人となっていた佐伯の故郷で半沢は「アルルカンとピエロ」のモチーフは佐伯がオリジナルであり、壁に描いたのも彼であることを知る。仁科はパリに修行に行ったものの行き詰まり、藁にも縋る思いで描いた「アルルカンとピエロ」で世に出てしまう。佐伯に謝罪する仁科だが、佐伯は病弱な自分では果たせなかったことを仁科が果たしてくれたことがうれしいと返事をし、そして翌月病死した。

ミステリ的に言えば「被害者が共犯」のパターンであることがこの現代美術の一大スキャンダルが長い間覆い隠されていた秘密であった、ということが出来るだろう。

仁科の死の真実。それはやはり自殺であり、恐らくはこの罪悪感が大きな要因となっていたことを半沢は察する。合わせて、佐伯の実兄が佐伯という画家を世に知ってほしいという願いと弟の仁科を守りたいという遺志を尊重したいという気持ちで揺れ動いていることも。

「宝」は幻となったが、その生きた証に魂を突き動かされた仙波社長は経営計画を練り直し、堂島未亡人の目にもかない、彼女が倒産からも守り通した物件を仙波工藝社の担保とすることを承諾してくれる。

しかしそれでもなお融資部担当調査役の猪口など宝田の息がかかった連中により怒涛の妨害が続く。このまま資金がショートしてしまうのか、買収を受け入れるのか……?

佐伯は歴史の闇に埋もれてしまうのか……?

人情の街・大阪

第一作でのラスボス・小物界の大物、大阪西支店長の浅野匡。それ以前の彼は……もっと小物だった。副支店長の江島も同様である。

人事部畑を歩いてきたエリートである彼にとって伝統ある祭り(という名の営業協力のお願い)はよりも上司に追随するためのゴルフの練習が重要である。

その代わりを押し付けられた半沢。いくら半沢と言えど支店長と融資課長では格が違う。祭りを支える長老方=根幹顧客たちはとうとう東京中央銀行に愛想をつかし、立売堀製鉄会長、本居竹清にならうように融資を引き揚げ、一気に百億近くの融資額が吹き飛んでしまう。

もちろん浅野は「おあしす」(おれじゃない あいつがやった しらない すんだこと)の精神で貫き通し、査問委員会にかけられるものの宝田以下根回しは完了。半沢がスケープゴートになるというデジャヴュなのか未来視なのかわからない現象が起こる。みんな大好き小木曽も登場だ。

が、実は浅野がゴルフ練習をしていたところは本居会長の旧知の場所。地道な活動を通じて社会に恩返しをしたい本居会長と信頼関係を築いていた半沢はその証拠を突きつけ、査問委員会では不問に付される。

一方、浅野も宝田の力でその場を切り抜けるが、それは宝田の思惑通り半沢が挙げてきた稟議を握りつぶし、仙波工藝社が買収されるように仕向けることを意味していることは明らかだった。が、半沢は見事担保を取り付けた稟議を承認するように迫る。宝田との工作をもっと上に暴露することをほのめかして。

結局、その場をしのぐために半沢の稟議は承認され、それによって今度は宝田の憤怒を買い、全店規模での「M&A案件の発表」に担ぎ出されることになる浅野。その対策は完全に半沢に丸投げである。お前……。

かくしてM&Aは失敗しましたと発表し、浅野と半沢は頭取の叱責と参加者の失笑を買うのか。またしても「半沢あるある」である半沢の出向話も持ち上がる。業務統括部長・宝田の力に一回の融資課長は手も足も出ないのか……?

大坂人情喜劇「アルルカンと道化師」

そして「アルルカンと道化師」を巡る悲喜劇と大阪の人情がラストに向けて、幸福なマリアージュを果たすのが池井戸節の真骨頂である。

まず出向話は人事部長・杉田のもとに宝田が仕組んだストーリーとは真逆の半沢がいかに取引先を思う銀行にとって有用な人物であるかを述べた本居会長と仙波社長の書簡が届いたことで粉砕された。小木曽、こんなんでどうやって今まで銀行で生き残ってたんだ?

宝田一派の怨念は全店会議に向かって燃え上がる。華々しいM&A成功案件が語られる中、大阪西支店はトリである。

壇上に上がる半沢。ジャッカルによる仙波工藝社の買収は失敗したことを述べる。ざわつく場内、勢いづく宝田。

そこに提示される買主・本居竹清財団、売主・田沼美術館、譲渡額五百五十億円の巨額のM&A案件。これこそが大阪西支店のM&A事案である。

仙波社長は言っていた。芸術には社会的意義がある。

本居会長は言っていた。社会に貢献したいと。

そう、彼が設立した財団が美術館を所有する、という伏線は劇中にさりげなく張られていたのである。

この美術館は常設展示として「仁科譲と佐伯陽彦展」を開き、佐伯は名前の通りの陽の当たる場所へついに躍り出たのである。

田沼が仙波工藝社を買収したかった理由はそこにある佐伯のサインが入った「アルルカンとピエロ」が世に知られ、自分のコレクションの評価額が暴落するのを防ぐためだった。逆に言えば、そのコレクションごと誰かに譲渡できれば、買収にこだわる理由はなかったのである。

そして宝田はそのことを知ったうえで美術館建築のための資金三百億円を田沼に融資した。価値が下がるかもしれないというリスクを知ったうえで。自分の実績を上げるために。銀行に対する重大な利益背反行為である。

こうして東京のエリートどもの思惑は大阪の人情パワーによって敗北し、宝田は自らが「敵に回すと恐ろしく、味方に回すと頼もしい」と評した査問委員会に無事かけられることになったのだった。

なお浅野支店長は全く反省していませんでした。これが変な成功体験になって後々ああなったんじゃないか、あいつ。

銀翼のイカロス」が牧野の遺書で始まったように、本書は仁科の遺書で幕を閉じる。アルルカン、道化師、ピエロ。似ているようで違う者たち。アルルカンはずる賢さがあり、ピエロは純真さがある。仁科は自分をそのどちらにもなれない愚かな道化師だと評した。

思えばこの作品はアルルカンになれなかった男たちの物語だとも言える。

半沢直樹は長いものに巻かれるアルルカンにはなれなかった。

仙波友之社長も買収に飛びつくアルルカンにはなれなかった。

宝田などこれほど滑稽な道化師はなかなかいないであろう。

しかし彼らはこの世という舞台において彼らにしかできない役を、少なくともこの「アルルカンと道化師」という一幕において見事にやり遂げた。そのことに筆者は万雷の拍手を送りたい。

蛇足

六年ぶりということを感じさせない見事な作品だったと思う。あれだけ人気が出た黒崎や大和田を安易に出さない点も良い。

半沢と言えば旧Tと旧Sの対立だが、現在進行中のドラマと原作とはポジションが違うため、混乱させないように今回はその点は影を潜めていたのかなと思った。「銀行の良心」杉田部長は次回作辺りでしれっと頭取になってたりしないだろうか。

言ってしまえば後付けなので仕方がないのだが、時代の寵児ジャッカルの関わるM&Aなら確実にマスコミも飛びついただろうに「ロスジェネの逆襲」ではそんな感じではなかったのは少し気になった。個人的には「追い詰められたキツネはジャッカルよりも凶暴だ」という名セリフもあることだし、業界同じだしフォックスとなんか関係があると思っていたら全くなかったのは勝手に肩透かしを食らった気分であった。

同様に「俺たちバブル入行組」では5億であんなに大騒ぎしていたのに今回は扱う金額が500億円越えなのもインフレが宿命とはいえ時間軸的にはうーん……と思ったりもした。

銀翼のイカロス」以降も書く予定があるということだが、審査部時代の半沢のエピソードもぜひ読んでみたい。ヤング半沢直樹、楽しみである。

半沢直樹 アルルカンと道化師