カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

5/6 連休最終日、雨の自宅で世界旅行。

家族

連休最終日であるが、家族全員どこかしら調子がよくない。昨日までの「さあ行楽にお出かけなさい」という天気はどこへやら、高速やJRが止まるレベルの雨が降っていたのも関係しているだろう。昼前にどうにかしとしと降りとなったので、外で昼食を食べたいと繰り出すが、個人経営店は日曜日まで頑張って今日はお休み、というところも多く、そのためそうでないところは一層混むというありさまでなかなかありつけない。最後に寄ったお店がちょうど団体さんが出たところで、瓦そばにありつくことが出来た。

下関の味、とあるから店主はそこの方なのかもしれない、懐かしい中国地方の語り口に嬉しくなった。そばのパリパリとモチモチの塩梅は広島お好み焼きがそうであるように一人一派的な好みがあると思うが、筆者はこれくらいでちょうどよかった。写真は三人前なのだが、ただでさえおいしいのに空腹という最高のスパイスも相まって一瞬でなくなった。たぶん筆者一人でもぺろりと食べられるであろう。

帰路、賢い妻は祝日であれ図書館の本の返却日であることを忘れていなかったので図書館に寄った。筆者は引っ越してきて以来で、館内掲示に「税金で買った本」のものがあってンフフとマスクの奥でオタクらしい笑いを浮かべた。もうすぐ11巻発売である。

折角なので自分の図書カードを作ることにし、本を3冊借りた。電子書籍やブログ他電脳テキストも素晴らしいが、やはり手に取られるのをけなげに待っている書架に並んだ本たちのタイトルをゆっくり眺めるときの楽しさというのは他に代替が効かない。

読書

そういう訳でさくらももこ著「世界あっちこっちめぐり」を読んだ。確か小学校三年生くらいで母親が図書館から借りてきたのを夢中で読み、小学校の図書室で「もものかんづめ」と「ももこのしゃべりことば」を読んで、中学校の図書室には「さるのこしかけ」と「たいのおかしら」もあったので狂喜乱舞した覚えがある。「世界あっちこっちめぐり」もあったので自分でも借りて読んだ。長じて大学に進学してからも購入し、鹿児島に戻る際に人に譲った。

さくらももこ先生を偲んで手元に置いておこう……。とKindleで探したとき、電子書籍では取扱いがなく、残念だった。他エッセイはあるので権利がいろいろややこしいのかもしれない。ということで人生何度目かの再読なのだが、細部を忘れているのもありやっぱり面白い。今の規範に当てはめるとちょっとという部分があるかもしれないが、語り口が名刀のようにスパスパとしていることもあってそこまで気にならなかった。さくらももこ先生はもとより父ヒロシももうこの世の人ではないんだよなァ……夫とも離婚しているんだよなァ……この息子君ももう三十路なんだなァ……。と読みながらぽつぽつ湧き上がってきたりもする。

筆者がこのエッセイで心に残っているのは特に「ガウディ」「ナシゴレン」「ピエールラニエ」で、今回もそうだった初めて読んで以来、サグラダファミリアは筆者にとってあこがれの建物であり続けている。このエッセイの写真のキャプションでも「完成は無理という声もある」と言われ続け、こまっしゃくれたガキの頃には「サグラダファミリアが完成しちゃったらサ、サグラダファミリアじゃねえジャン 建築を続けること自体が祈りなんだからサ……」みたいなことを思ったりしないでもなかったが、完成すると聞いてしまうとその前に一回行きたいなァという気持ちになる。当たり前だが完成すると以降はずっと完成したままであり、建築が続いていた状態はとても長かったけれど過去になる。「あのサグラダファミリアをじいちゃんはまだ建築中に見たんだぞ」「ええっすげえやじいちゃん その頃ってニンジャはまだいた?」「少しな」みたいな話をしてみたいという欲がふつふつと湧き上がってくるというものである。

グエル公園はガウディがデザインした住居だったが入居希望者は2組しかいなかった……しかもその内1組はガウディというエピソードが筆者はとても好きなのだが(そんな挿絵はないが顔にタテ線が入っているガウディがありありと浮かぶ)今回調べてみたらもう一組は公園に名を冠されているガウディの支援者グエル伯爵その人であったらしく、完全に身内じゃねーか! とますます好きになってしまった。モザイクのトカゲ、凄く好きだけどなあ。

ナシゴレンは毎日これでもいいとさくらももこさんが絶賛していた料理で、いいなァいいなァと言っていたら母が作ってくれたような覚えがある。やはりおいしかった。勝手にハワイの料理だと思っていたがバリ島の料理だった。なんか南国、くらいの筆者の雑な記憶力がよくわかる。バリ島の画家へ向けるさくらももこさんの敬意とぬくもりが伝わってくる筆致がじんわりと沁みた。

ピエールラニエもまた、この本で読んでからずっとあこがれの存在なのだがものすごく今更さくらももこさんとのコラボモデルがあったことを知った。分かっていたからと言って買えたとも思えないが、ちょっぴり後悔している。
単純なものでネクスト・イン・ファッションを見た後はファッションに興味が出るし、「世界あっちこっちめぐり」を読んだ後はどこか遠くへ行きたくなってしまう。夫婦で目論んでいた台湾旅行がコロナで吹っ飛んでしまったので、娘がもう少し大きくなったらまた企んでもいいかもしれない。

鑑賞

ネクスト・イン・ファッション

その「ネクスト・イン・ファッション」を完走した。決勝戦のテーマは「コレクション」。残った出場者はそれぞれ自分が設定したコンセプトに沿った8つの衣服を作成し、ランウェイを彩る。筆者のサバ番好き、リアリティ番組好きの原点ともいえる将太の寿司の最終課題が一人前の寿司であることを彷彿とさせるではないか。寿司のおまかせがそうであるように、相手――モデルや審査員に気を配りながら、自分の人生をランウェイに紡いでいく――そして締めの一品ならぬランウェイのトリはまさにそれぞれの人生の集大成であり、随所に家族の絆も挟まれ完全に将太の寿司である。

充実した鑑賞体験だった。折しも明日はメットガラ、きらびやかなステージに圧倒されながら、そこに至るまでの道中を思い呆然としたい。

BLUEGIANT

妻子が起きてくるまで「BLUEGIANT」を見進めた。娘は寝室で妻と寝たので、今のテレビで再生だ。頼むぞ、この作品とスラムダンクのためにスピーカーをドルビーアトモス対応にしたのだから。

奇しくも雨のシーン。今日におあつらえ向きな曲がかかり、その豊かさはスマホのスピーカーをしのいで大満足である。ご機嫌なセッションもいい。その中でピアノを弾くサワベユキノリは主人公、ダイに組むことを持ち掛けられる。

サワベユキノリの筆者の目線は同じだ、さあ、お前はどうなんだ、見せてみろ、聴かせてみろ――。

極上のスープは一口含んだだけでそこに含まれた豊かな食材を思い起こさせるという。映画版「BLUEGIANT」は原作で言えば第二部にあたるらしく、仙台でのダイのそれまでを筆者は知らない、知らないが、ここに至るまで彼がどれほどひたむきにサックスに向き合ってきたのか、その一端に触れられたような気がした。筆者よりはるかに素養のあるサワベユキノリの気持ちたるやいかほどか。

ここで娘が起きてきて、「かまらい」を見たいと熱望するため、中断。早く続きを見たい。

仮面ライダーガッチャ―ド

「かまらい」は「仮面ライダーガッチャ―ド」であった。幼稚園のお友達がグッズを持っているのかもしれない。パワハラ事件以降、情熱をもってシリーズを追うということは出来ていないが、娘と一緒に見た話は一応リアタイした第一話よりは大分見やすくなっていた。主要キャストの皆さんの顔つきが明らかに初回より凛々しくなっているのは一年間は知り続ける現場に若手さんが飛び込むことの醍醐味であるなあと思う。

「おねえさんのかまらいは?」と事情通の娘が言うので、恐らくそういうことになるのだろう。筆者は遠い日の新番組仮面ライダー555番組予告で流れまくった園田真理の「変身!」を思い浮かべ、平成は遠くになりにけりである、と思わざるを得なかった。