九州新幹線全線開業10周年おめでとう。
筆者が大学在学中の出来事であり、帰省や就活が格段に楽になったことを覚えている。
未だにまとめ切れていないが昨年のつかの間のGotoにおいても活用させており、我が家にとって欠かせない存在である。
今一人、「九州新幹線」と聞いて思い出す人がいる。
「あなたもあなたもみんなの心に(さくら咲けー!)鹿児島から新幹線さくらに乗ってやってきました宮脇咲良です」
そのキャッチフレーズを背負って、彼女は我々の前に現れた。(細かく言えば劇団四季の出演経験がそれ以前にある)
HKT48の1期生最終オーディションは2011年の7月10日。実際にその過程においても、九州新幹線は大いに彼女の助けとなったことだろう。
そこからIZ*ONE(以下文中アイズワン)に至るまでの奇跡については、以前述べた。
アイズワンになってからの彼女も、出来る限り追いかけてきたつもりである。
男子三日あわざれば刮目して見よとは過去の話、宮脇咲良さんは瞬きの間にも進化しているかのような速度で我々を魅了してくれた。
分けても筆者の中では過去現在未来のオタク(尊称)を肯定した出来事や、
千古不易の名曲「FIESTA」を見事に「以後の歌」としてアップデートして見せた訳詞家としての手腕、アイズワンの夏曲という「祈り」を形にした「Yummy Summer」の作詞作曲などクリエーターとしての側面、
オンラインコンサートでの「ダンスメン」としての円熟など目を見張るほどの進化速度は宮脇さんだけ時の進みが違うのではないかと思わされるほどであった。
3月10日、アイズワンの活動終了が発表された。
不自然な、「大人の事情」を感じさせる発表だった。
それを裏付けるかのように今に至るまで「プラメ(プライベートメール)」の着弾はない。(筆者は「長い冬」からの再会以来、全員分を申請している)
何よりも筆者がこれが唐突な「事故」だったという確信を抱いたのは、「気づき」を与えてくれたのは、やはり宮脇咲良さんのラジオ番組「今夜、咲良の木の下で(さくのき)」であった。
さくのきは、収録である。活動終了発表の日にOAとわかっていて、もし事前に決まっていた、「円満」な活動終了であれば、彼女が言及しないわけがない、という確信が筆者にはあった。
終了が決定していたとしても、少なくとも3月10日ではなかったのだ。
それを裏付けるように翌3月11日には「大人」たちの裁判の判決が下され、彼女らはまたもその盾に使われたことがはっきりしたのである。
そして今度は宮脇咲良さんが、韓国の巨大事務所に移籍する、いやしない、争奪戦だ――という話がかまびすしい。それが今回の唐突な活動終了発表の原因の一端であるとも。宮脇咲良さんが周囲の人に漏らしていたのだ、とも。
端的に言って、ふざけるなよ、と思う。
先人の言葉を借りて言えば、素人は黙っとれ――である。
宮脇咲良さんの争奪戦が事実かどうか、というのはもはやどうでもいい。
ただそれを彼女が他の人に吹聴することは絶対にないだろう。それは信じているとかそういう次元ではない。知っているのである。そう至るに足る経験を少なくとも筆者は、彼女に与えられてきた。
また、このことに言及するツイートに添付される宮脇さんの画像がことごとく転載なのもげんなりさせられる。そういえば今回の活動終了騒動で「やけくそでご法度のプラメ画像をツイートする輩がいる」と聞いたがにわかに信じがたい。愛するアイドルを守りたいという尊い気持ちがどこで混線して犯罪に接続されるのか思考がトレースできないのである。ちなみにこのブログは過去、インスタからはてなブログ公式の機能を使って引用してサムネにしていたのだが、機能が提供終了したのかサムネが機能していないことがあって悲しい。
やはり今日のうちに書き終えておきたいのでこの辺りにするが、やはり怒りで文章がまとまらずお恥ずかしい限りである。
主張しておきたいのは何よりも優先されるべきは「彼女たちがどうしたいか」であって、それをどう叶えるかがウィズワンの腕の見せどころではないか、暴徒化するのは間違っている、ということと、事務所はマジで誰一人として何を主張する権利もないからな、ということ、MnetとCJは被害者面までしてるのはもはや笑えてしまうこと、明日明後日のオンラインコンサートが盛大に、つつがなく開催されることを心底願う、ということである。
あなたはまだ宮脇咲良さんを知らない。むろん筆者も知らず、恐らく彼女本人ですら知り得ないだろう。オンラインコンサートでまた、彼女の新たなパッケージが見られるだろうから。
それこそが彼女が唯一無二のスターである証なのだ。