余談
目の前を野犬が歩いている。
先輩は「結構みんな頼んだな~お金足りるかなあ」と野犬そっちのけでお財布の方を心配している。そうですね、と筆者は上の空で返事をする。
見上げると星が瞬いている。吐く息は、白い。
鹿児島に生まれ育った筆者の初めての本州での冬。それは明らかにレベルが違った。帰鹿して後、間違いなく自分の耐寒性能は上がったと思う。「油断すれば水道管が破裂する」という土地は、大都会鹿児島のシティーボーイであった筆者にとっては想像の埒外であった。
そんな筆者と先輩はスーパーを目指している。サークルの飲み会で鍋を囲んだ後、追加の飲み物やお菓子を買いに行く係を仰せつかったのである。月明かりが目の前の野犬を照らし続けている。信号に差し掛かった。赤だ。
野犬は律義にも、しっかり止っている。先輩や筆者を一瞥もしない。青になり、野犬はススッと横断歩道を渡り、筆者たちと反対方向へ颯爽と歩いて行った。胸をなでおろしながら、筆者はとんでもないことに来てしまった、と思ったものだ。
スーパーが見えてきた。落ち着きを取り戻すように、買い物メモを見直す。チューハイ、ハイボール、マシュマロ、せんべい……ピザポテト。
ピザポテトをリクエストしたのが、誰あろう価格未定先輩であった。
ということで筆者と価格未定先輩はリアル先輩・後輩の関係にあり、今回の企画でもっとも古くから交友のある方である。とはいえ先輩は筆者が入学時既に院生であり、大変に多忙であって部誌においても寄稿されることは少なかったが、飲み会などには時々顔を出していただけ、創作の話はもちろんのことスピッツの話やブラックモンブランの話(先輩も九州のご出身であった)などで新入生である筆者にも気さくに話題を振っていただき、爾来人見知りな筆者には大変にありがたいことであった。
また、筆者も含め創作という性格上内に内にこもりがちな人間の多いサークル員であったが、先輩は大道芸のサークルにも所属され、活躍されていた(その流れもあってか、その後それなりに我々のサークルと大道芸サークルの兼部は見られるようになった)
卒後は歌人としての地歩を固められていたが育児期間ということもあり創作活動はセーブされていた。しかし近頃再び、動きつつあるようで、先輩の滲み出るユーモアを楽しんでいた身としては嬉しい。ユーモアにはそれに裏打ちされた切なさがあり、それは特に短歌のような短詩型においては文字そのものだけではなく匂わせる必要があるが、先輩はその匠である。
ちなみに先輩の歌集はAmazonで電子版を購入できる。500円とは思えぬ密度でおススメである。
先輩が生粋のエンターティナーだと思うのは短歌を詠むことそのものだけでなく、その外側の鑑賞についても新視点を持ち込まれたことで、これらはもっともっと評価されるべきであり、筆者の拡散力の無さが恨めしくなる。「いいものは必ず評価される」というのがいかに楽観的な考えであるかというのがよくわかる。
ご子息にもそのエンターテイメント性は受け継がれているのか、幼児の頃作成された迷路の完成度と難解さは特筆すべきものがあった。そのご子息が学校に行かれているというから、筆者も年を取るわけであるが、最近の作品を見ても先輩の完成のみずみずしさはいささかも失われておらず、1人の創作者として尊敬と羨望を覚える次第である。
筆者も2025年は創作をしていますと胸を張れるようになりたいものである。
本題
余談が、ながくなった。
どくさいスイッチ企画さんという名前は以前から聞き及んでいて、「藤子プロに怒られないだろうか…」などと思っていたが、今回初めてネタを拝見し、大変面白かった。ちょうど筆者と先輩の中間くらいのどくさいスイッチ企画さんである。
路傍の詩人という言葉があるけれども、一般企業の社員さんが実はめちゃくちゃ面白い、というの大変格好いいな、と思うし、リスクヘッジの仕方として大変うまいなあと思っていたら退職されていて(現在は契約社員として労働に従事もされているが)筆者も先輩同様に驚いた。
確かに、アマチュア初のR-1決勝4位というのは「勝負のかけ時」なのだろう。しかし齢30を過ぎたところで慣れ親しんだ地を捨て職も捨てて、というのは矢張り圧倒され、そして我が身を振り返ってできないことにやはり自分は覚悟が足りないのか、と思わされる。
筆者はかつて同年代の作家さんとへの複雑な心情を吐露した記事を書いたことがあるが、これに対して先輩はどくさいスイッチ企画さんの行動から感じた焦りを創作として昇華され、ここに筆者は先輩と自分との創作者としての器の違いを思い知ったのだった。
価格未定先輩がどくさいスイッチ企画さんの今後を応援するように引き続き筆者は先輩を応援していきたいと思う。
