カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

木元哉多先生著「閻魔堂沙羅の推理奇譚」を木本仮名太、拝読する。

余談

弟(初號機)が誕生日である。不器用な兄を反面教師として、周囲に気づかいをよくし、順風満帆に人生を送ってくれている。周囲というのは兄である筆者も含まれていて、「兄のおかげで、好きなことが出来たし、出来ている」と言ってくれたことがある。言うまでもないが弟が好きなことが出来たのは弟の精進の賜物であり、父母及び親戚の物心両面の献身の成果であって、そこに筆者の某かが介在する余地はない。筆者が何か弟の人生の岐路について影響を与えたことがあるとすれば、そのまま「好きなことをしなさい」と唆したくらいである。であっても決断したのは弟である。

きょうだいにおいて一番上というのは不公平である、とよく言われる。何かにつけ「お兄ちゃんなんだから」「お姉ちゃんなんだから」と理不尽な我慢を強いられる、と。無論筆者においても例外でなかったがしかし弟も筆者の兄に生まれついてしまったばっかりに可視不可視の様々な理不尽をぶつけられてきたはずであるし、我が家の場合は弟とは三歳ほど離れておりその間に双方の家から初孫として寵愛の限りを受けたので多少の理不尽は仕方がなかろう、と思う。弟に至ってはやはり自らが生まれて三年ほどして弟(弐號機)が爆誕しており「弟なんだから」と「お兄ちゃんなんだから」のサンドイッチ状態で単純に考えて筆者の倍苦労しているはずである。それでいて、上記のようなことを言ってくれる弟という人格を獲得せしめたのは、やはり弟自身の功績であろう。

けれども筆者は、「おう、兄はお前のお兄ちゃんなんだからな、当たり前よ」とのみ、弟に言う。そこに内包される「お前のお兄ちゃんにしてくれてありがとうな」という気持ちを忖度してくれる立派な弟である。他人に押し付けられるのではなく、自ら発信する「お兄ちゃんなんだから」のなんと甘美なことであろうか。


竹森マサユキ / ハイホー MEGA★ROCKS 2017 @SENDAI CLUB JUNK BOX

弟のことを考えるとき、いつもカラーボトルさんの「ハイホー」という曲が脳内でBGMとして流れる。「グッと! 地球便」のEDにもなっている曲で、聞くと日曜日が終わるなあ、という気分になる読者諸賢もおられることだろう。行動的な人間で、ある日カンボジアで井戸を掘っていても全く驚かないが(実際勤め始めた企業では海外赴任の可能性もある)、体には気を付けて頑張ってほしいと思う。きばいやんせ。

 

本題

余談が、期せずして二回連続家族の誕生祝とたいへん内輪のものになった。

さて本題である。本日、講談社タイガさんより、木元哉多先生の著する「閻魔堂沙羅の推理奇譚」が発売された。第55回メフィスト賞受賞作品である。このことに関して、友人知人の複数名より、問い合わせが筆者にあった。「この、著者の木元哉多(きもとかなた)さんとは、君のことではないか」と。いずれも筆者が講談社メフィスト賞をこよなく愛すると知っている方々の指摘であり、言外に「受賞おめでとう」といった含みをにじませてくれていた。しかし残念ながら、木元先生と筆者は全くの別人であり、筆者はそもそもメフィスト賞に応募すらしていない、土俵にすら上がっていないのであった。友人知人諸氏には誠に申し訳ない次第である。またかえって僭越であるが、木元先生にも筆名被りという点において深くお詫び申し上げたい。

折角の機会であるので付記しておくと、妖艶な絵を描かれる「きもとかなた」先生も筆者とは全く別人の方である。18歳未満の読者諸賢の検索を固く禁じます。

とはいえ俄然「閻魔堂沙羅の推理奇譚」に興味が湧いたのであった。こよなく愛するといいながらもメフィスト賞は随分とご無沙汰になっており、(というよりミステリ、ひいては読書がここ何年もご無沙汰になってしまっていたのである)「○○○○○○○○殺人事件」以来、およそ三年ぶりに手に取ってみることにした。一刻も早く読みたかったので、地方の悲しさ、本日読めるという確信もなかったこともあり実書店ではなくkindleで予約注文をした。

起床してそのまま読み始め、途中外出で中断しながらも二時間ほどで読み終えた。後には良質な読書体験をした後の満足感が残った。

以下感想。犯人、トリックなどは記述しませんが、簡単なあらすじについては述べつつ感想を書きますのでこれ以上の前情報なしに読みたい! という方はここで読むのをおやめください。

 

 

 

物語はプロローグと、各話ごとに独立した四話からなる。各話の扉でその話で亡くなる人物の氏名、年齢、職業、死因が記載される。プロローグを除き、各話の亡くなる人物が亡くなるまで、閻魔堂沙羅との邂逅、謎の解明、そして……といった構成で話が展開される。この、扉で誰がどのように亡くなるかわかっている、というのが一つ仕掛けとして面白いところで、それぞれの人物が死へと向かっていることを読者である自分だけは知っている、というのはページを繰る手を急がせる。往年の「志村ー、後ろ! 後ろ!」メソッドのミステリへの素晴らしい活かし方であり、今後メディア展開することがあれば(上記のように構成が分かりやすいので、アニメ化などやりやすいのではないかと思われる)、ニコニコ動画Twitterなどで実況が大いに盛り上がることであろう。

ミステリとしては、それぞれの話で推理することになる人は別に探偵でも警察でもない普通の人々であり(それぞれの人物の推理力のバロメーターが、どれだけ過去推理小説を読んだか、という辺りがまたいい)、彼らが与えられたヒントで辿り着けるためにはそこまで謎を複雑化するわけにもいくまいから、ストレートでわかりやすいものになっている。いずれの話も閻魔堂沙羅より「今までの話で真相に辿り着ける」とある(少なくとも閻魔堂沙羅の設定したボーダーラインまでは)ことに偽りはなく、いわゆる新本格を嗜むタイプの読者諸賢であれば、真相を喝破することは難しくないだろう。

つまり、推理パートにおいても当事者でない読者はその分冷静であり、真相に一足早く辿り着くことが多かろうから、懸命に推理する登場人物をいいぞいいぞ、あるいはいや、そうじゃないだろう、と思いながらやはりページを繰る手を加速させてしまうのである。

個人的には第一話の「なぜ彼女に会いに来た彼ぴっぴがエロ本を読んで(見て?)いたのか」という謎の提示とその理由が素晴らしかったのだが、ここの素晴らしさを熱弁すると根幹的なネタバレになってしまうので是非ご一読いただきたい。

閻魔堂沙羅というキャラクター(物語の都合上仕方ないとはいえ、ちょいちょいポンコツであるのがまた可愛らしい。できれば、各扉に各話のファッションの望月けい先生描かれるところの閻魔堂沙羅がいればもっと素晴らしかったのだが……)、十分以内に真相を解けなくては地獄行き、というキャッチーな設定だけで筆者であれば快哉を叫んでしまいそうであるが、そこにそれぞれの人物の人生を活写することで講談社タイガというレーベルに相応しい、それぞれの読者に刺さり、若い読者には一刻も早く読んでほしい作品に仕上がっている。個人的には話としては第三話が一番好きである。

五月には早くも第二弾という噂もあるので、是非続けて購入したいと思う。プロローグのアレはアレするのか気になるところである。

良好な読書を体験できたこと、何より、同じ読みを筆名にした筆者にとって、大変にモチベーションを刺激していただいたこと、勝手ながら木元先生にお礼を申し上げて結びとしたい。

閻魔堂沙羅の推理奇譚 (講談社タイガ)

 

閻魔堂沙羅の推理奇譚 (講談社タイガ)

閻魔堂沙羅の推理奇譚 (講談社タイガ)